第201話  シオリ


「えっ!?!」


 目覚めるとそこは白く眩い空間だった。

 床も壁も天井も……全てが真っ白で独自に輝いているかのような光を放っていた。


「ヤット目覚メタナ……」

「う~そ~? ほんと~?(ホント?ホント?) ほんとだ~! (ホントダホントダ)」


 目覚めて直ぐ、呆れた様子の威厳のある低い男の声と、性別も分からない小さな声が何重にも重なった山彦が耳に届く。


「え? ええっ!? ちょっと! どう言う事!? 何!? 夢!? アタシいつの間に寝ちゃった? あれ、会社にいたはずよね!? 明日までに仕上げなきゃいけない帳簿がっ!」


 上牧 四織――彼女が白い部屋で目にしたのは何だかよく分からない不思議なモノだった。

 一つは真っ赤に燃えている雄牛。巨大でそれだけで人を威圧する迫力を伴った大きな角を持つ炎の雄牛だった。


「混乱シテイルノカ……。落チ着クガ良イ。トハ言エ、コレカラ更ニ混乱スルコトガ予測サレルナ」


 炎の牛の口からはモーと鳴く声では無く、低く重みのある人の声が響いていた。

 一言発する度に熱が吹きつけるようで、四織は顔を覆う。


「泣くかな?(カナカナ) 落ち込むかな?(カナカモ) それとも発狂しちゃうかな?(キタイキタイ)」


 そしてその雄牛よりもさらに奇妙な光景が目の前に広がっている。

 雄牛と対になる場所には小さな竜巻が舞い上がっていた。竜巻――目に見えない筈の風が目に見えているには訳があった。

 竜巻に巻かれて緑の葉っぱのようなものが大量に舞い上がり、それ自体が意思を持っているかのように浮き沈みしていた。

 目を凝らして見てみると、それは6編の花弁を持つ緑の花のような植物だった。

 白い部屋中を小さな緑の物体が所狭しと舞い散っていた。


 そして奇妙な事にその花が囁くような小さな声を出しているのだ。風が鳴くような音に混じって、確かに人の声らしきものが部屋中に満ちる勢いで木霊していた。


「夢――」


 どうみてもあり得ない状況に四織の脳は直ぐにその答えを導き出した。

 頬や体に当たる熱も風も、それが現実だと突き付けて来るが、それを頭が理解していない。


「夢デハ無イ。上牧 四織。ソナタハモウ死ヌ――」

「へ?」


 だからこそ雄牛が言った言葉も耳の奥をするりと抜けて行った。

 夢の中のお告げか何かだろうかと、ぼやけた頭で呆けた返事を返すことくらいしか四織には出来ない。


「も~! (ヤンナッチャウナー、ホラミテコノマヌケヅラ)ミラったら知恵者を気取るのにま~た同じ轍を踏むつもり~? (バカ牛、バカ牛)」


 四織の間抜けな返事を聞いて、緑の竜巻――いや竜巻に巻かれた6編の植物が小さな声で囁き合っていた。一つ一つは小さな声でも大量に舞うその植物は一つ一つが意思を持っているかのように口々に勝手気ままにしゃべっていた。それが風の音に混じり大きな山彦として四織の耳に届いて来る。

 驚きは更に加速していた。牛がしゃべる――それだけでも夢と断じるには充分なのに、それに加えて植物がしゃべっているのだ。

 しかしその驚きは次の瞬間更に大きな驚きに塗り替えられた。


「こ~言うのはね~、見せるのが一番早いんだよ~。(ジョウシキダヨネー、ネー?)」


 緑の植物が非現実な映像を虚空に映し出していた。


「あ、アタシ……?」


 カラーテレビが出始めたのは四織が生まれてから後の事だ。未だにテレビの映像は時折砂が掛かったように乱れるのが常。そんな荒い映像では無く、そこに映し出されていた映像は間違い無く本物と思えるような、それこそ空気までを映し出していた。

 その中に映るのは見慣れた薄暗い社内。今日も仕事が片付かなくて、他の者達がディスコだクラブだとはしゃいでいたのを横目に、終わらない仕事に唸っていた筈だった。

 その事を裏付けるように、その映像の中には見慣れ過ぎた特徴の無い女が一人、机にうつ伏せに伏していた。眠っているのではない……。その目はカッと見開かれ、口からだらりとだらしなく舌を垂らした青い顔。その顔に息遣いは感じられない。空気までをも映し出すかのような鮮明な映像であるのにだ。


「ひぎっ……ひぁっ……あ゛あ゛あ゛……」


 四織の口からは怖気の走った嗚咽が漏れていた。夢の中で自分の死に顔を見せられるなど誰が想像しているだろう。鮮明にありありと映し出されたその姿は、間違いなく死んだ自分の姿だった。紺色の地味な会社の制服にすら埋もれてしまうような地味な顔。好景気に浮かれ遊び歩いている同僚達を尻目に、一人寂しく社内に残された愚鈍な女の最期だった。


「ホラ見ロ。マタ狂ッタ使者ヲ送リ出スツモリカ? アーシーズ」


 映像の中の自分の続きの空気を吸うかのように、パクパクと口を開け閉めしている四織を眺めて、炎の雄牛が呆れたような声を出す。


「ミラってば優しー。(ヤサシー! ヤサスィー!) でもどうせ知らせなきゃならないんだし、こう言うのは流れに身を任せてれば良いじゃな~い。(ナ~イ、ナ~イバァ)」

「オマエタチハ適当スギル……。コレデハ我ノ力ハ使イコナセヌ」

「じゃあ、ワレワレが貰うねー。(ヤッター! 久シブリノ使者ダー)ミラったら、最近有望そうなの使者にしたもんね~?(ズル~イ。イイナー)」


 緑の植物と炎の雄牛の掛け合いも、四織の耳には届かなかった。


 だから四織はその後の記憶は朧気でありあやふやだ。アーシーズと名乗る植物の集合体から『|神のギフト』と言うらしい力を授けられ、それと引き換えに『|神の指針クエスト』と呼ぶ仕事を押し付けられ、異世界の草原に放り出され空腹で倒れるまで、ずっと四織は夢の中を歩いている気でいた。


☠ ☠ ☠


「シオリお嬢様! 大変でございます!」


 もう日も天上を傾こうかとしている頃、扉を叩く音に起こされた四織は胡乱気に瞼を擦る。

 傍らにはギリシア彫刻家と見紛うばかりの、均整のとれた肉体が素肌のままに横たわっている。

 分厚い豪華なカーテンの隙間から漏れ出た光は、中の空気を僅かに温め、キラキラと輝いていた。


(懐かしい夢を見たものね……)


 その光の中に腕を掲げ、陶磁器のような白い肌に目を細めながら四織はフッと息を吐き出す。

 見惚れるような瑞々しい肌。ほっそりとしていて、それでいて長い白魚のような手。

 肩にかかる金髪は差しこむ光に負けないくらい、眩い輝きを放っている。シーツの隙間から零れ出る胸の谷間は、どの女にも負けないくらい張りと形を誇っていて、伸びる足はそれだけで色気をふんだんに含んでいた。


 元の四織も決して醜女ブスと言う訳では無かった。

 どこにでもいる顔。知り合いに似ている――良く言われるセリフからも分かる通り、特徴が無いのが特徴とでもいわんばかりにありきたりな顔だった。

 しかしその時代、高度経済成長の頂点とでも言えそうなそんな時代。誰もが着飾り自分を輝かせる時代にあって、シオリの顔は地味過ぎた。

 要領が悪かったのも手伝って、引く手あまたの就職事情の中、中小の小さな会社の事務方としてひっそりと日陰を歩くことになった。夜の蝶としてひらひらと輝くネオンに消えていく同僚達を傍目に、一人遅れた仕事を片付ける毎日。鬱屈して他者を羨む事しか出来なかった。


 あれから40年。一度死の宣告を告げられた上牧 四織は何の因果かこのアクゼリートで生を謳歌していた。


 アーシーズと呼ばれている神様から貰った四織の『神の力ギフト』――『サンダツシャ』。

 概念さえも奪えるこの強力な力を使って、四織はここまで伸し上がってきた。

 目の前に広がるのは宝の山。あれもこれも、ずっと欲して止まなかった四織の憧れ。それが手を伸ばせば奪えてしまう事に、四織は歓喜した。

 日陰者と蔑まれ、見向きもされなかった自分が誰もが目で追うような美貌と存在感を得る事が出来たのだ。今迄路傍の石ころだった自分が、世界の主役となる日が来た――そう感じるのも無理はない。


「シオリお嬢様! 大変でございます!」

「いいわあ……。入りなさい」


 一糸纏わぬあられもない格好のまま、四織は胡乱気な声を上げる。

 誰もが見惚れる躰。恥じることなどありはしない。服も宝石も何もかも……自分の体を彩るだけの装飾でしかない。一番価値あるモノは自分自身。自分は今や生物の頂点とも言える存在だ。


「お休みの所大変失礼いたします」


 重厚な扉を開き、映画俳優のような眉目秀麗の男が扉の前で頭を下げた。

 チェリオ――3年前に奴隷とした美しい若者だ。立ち居振る舞い、言葉使い。どれをとっても一級品で、洗練されている。それでいて気配りや、気遣いの出来る見た目だけでは無い『イイオトコ』。

 若く少年のような男を好む四織であっても目に留まる、そんな存在感を持った男だった。


「いいわあ。アテクシも今起きたところだったしい……。いつも美しいわねえ、チェリオ」


 お世辞でも何でも無く、四織はチェリオを褒め称える。

 四織の目にはチェリオが輝いて見えている。落ち着いた所作や、思慮深げな瞳。贅肉の欠片も見えない肉体と誰もが目で追う美貌。これほど完成された男は中々お目に掛かれない。

 その完成された男に不満があるとすれば――。


「もったいないお言葉です……。私など、シオリお嬢様の美しさにも、アルフォスの美しさにも敵いません」


 恭しく頭を下げたままチェリオは謙遜で返して来た。


 ――これだ……――


 頭を下げたチェリオを見つめ、四織は僅かに眉を顰める。


「そんなことないわあ。あなたはアルフォスよりも年を取って見えるけれど、その分成熟されているわあ。彼の見た目では出し得ない、経験の差が滲み出ているものお」


 言い含めるかのようにシオリはチェリオに重ねて言う。

 言っている事に嘘は無い。どれもこれも四織の本心からの言葉だ。


「重ね重ねこの矮小なる身に余るお褒めの言葉、ありがとうございます。しかし私めなど知恵者であるアルフォスには及びもつきません。若い頃からシオリお嬢様の手の中で磨かれたアルフォスと比べれば、私の経験など砂塵の一粒にしか成り得ません」

「もお~……。そんなこと無いと言っているのにい……」


 しかし態度を一切変えず、チェリオは恭しく頭を下げて恭順を示してくる。

 彼の体は四織の目には眩く輝いている。彼より歳を経ても得られなかった、落ち着いた雰囲気。全く隙のない立ち居振る舞い。どれをとっても羨むには値する。

 だが奪う事は出来ない。チェリオからは奪う事が出来ない。


「全く……。アテクシがこれほど褒め称えていると言うのに……少しは誇ったらどう?」

「勿体ないお言葉……。しかし私は自分の小ささを弁えております。輝かんばかりのシオリお嬢様に比べれば、私など路傍の石ころにしか成り得ません」


 胸に手を当て深く頭を下げるチェリオに四織は小さな溜息を吐き出す。

 卑屈な奴隷に対しての呆れの溜息では無い。目の前に輝く宝石を手に出来なかった悔恨の溜息だ。


「あなたはいつも謙虚よねえ……。それで? アテクシの眠りを妨げてまでの用とは?」


 少し不機嫌になりながら四織は諦めたように尋ねる。

 彼の身は未だに美しく輝いている。自分には無い色、自分には無い輝き。


 妖艶な目つきで指を咥え、流し目を送る四織の姿は、欲しがる幼子の仕草と重なりチェリオの背筋に汗を浮かばせていた。

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