第200話 人を構築する素材
――クロウ! 大変! 人が一杯死んでる! 奴隷局! 誰も動かない――
アルトリアの焦りの声が九郎の頭の奥に響いた。
「は? はあ? なんで!? アルト……お前まさかっ……」
混乱した様子で九郎は思わず叫ぶ。大量に人が死んでいると言う報告に、アルトリアが『
――違うよっ! ボクはクロウからしか吸っちゃいない! それにボク初めて奴隷局に忍び込んだんだから、もとからここがどう言う場所だか知らないもん! ――
「はぁ? 忍び込んだ?!? ナンデ!?」
――ずっと開いて無かったんだよ! 折角クロウとリオを買い取ろうとお金用意したのに! ――
二人とも混乱している所為か、話の要領が掴めない。
(俺の分も? は? アルトが貯めた? 二人分だとひのふの……200万!? マジかよ……ってそうじゃねえっ!)
混乱の上に混乱を重ね、入って来た情報に頭が付いて行かない。
九郎が一人目を白黒させていると、カクランティウスの声が頭に響く。
――ア、ア、ア……。コレデ聞コエテイルノカ? くろう殿。吾輩ダ。かくらんてぃうすデアル――
「づおあっ!? カクさん! 口が近いっ! つーか怖ええっ!」
意識を盲腸の方へ切り替えると真っ暗な深淵に飲み込まれそうになる感覚に陥る。
カクランティウスの髑髏の口が九郎の盲腸を飲み込まんとするように近くに迫っていた。
――ヌ? くろう殿ハ見エテイルノデアルカ? ット……マズハ落チ着キタマエ。吾輩ガ説明スル。ヨイナ? ――
カクランティウスは落ち着きを払った声で淡々と語り出す。
アルトリアがカクランティウスの予想以上の速さで大金を稼いできた。それで九郎とリオを買い取ろうと何度も奴隷局に足を運んでいたのだが、奴隷局はある日を境に全く開かなかったと言う。
暫くは様子を見る為に待っていたのだが、あまりにも何日も開かないのに業を煮やしたアルトリアが、カクランティウスと共に奴隷局に忍び込む事を画策したのだと言う。
骨だけの姿になっていようともカクランティウスは魔王であり、黄の魔法――土の魔法の使い手だ。
奴隷局の地下に穴を掘りモグラよろしく床下から侵入して見たのだと言う。
――ソウシタラホレ……コノトオリノ有様ダ――
カクランティウスはそう言いながら九郎の盲腸を高く掲げた。
「うえっ……」
殆んど明かり窓が開かれていない状態。薄暗い奴隷局の窓の隙間から零れる砂漠の日差しの僅かな光に照らされていたのは腐ってぐずぐずに崩れた死体の群れだった。
熱い砂漠の街、締め切った部屋の中で人が死ねば、時を待たずしてこれ程腐敗が進むのかと言った見るも無残な汚物の塊。見ているだけでも死臭が漂って来そうな光景に九郎は思わず呻く。
何万体もの『
人を構築している殆んどが水分であることを、この様な形で見せつけられるとは。
死んだ時期が違っているのか、そこには人が汚物の塊になる行程が、恐ろしい形となって広がっていた。
比較的新しい死体はまだら模様の斑点を全身に浮き上がらせた状態で石の床に転がっていた。
そしてその隣では腐敗してガスが溜まったのか、風船のようにパンパンに膨らんだ死体が蹴れば転がりそうな形で横たわっていた。膨れているのは腹部が殆んどだが、顔も手足もどこかのマスコットキャラクターのように鞠のように膨張している。内側から膨れた人の形がこれ程悍ましいとは思ってもいなかった。
そしてそれよりも古い死体。死体と呼んでも良いものか分からないそれが、人であったことを表すのは汚物に沈んだ骨だけだ。その他の部分――肉の部分は殆んどが溶け落ち、ぐずぐずの腐汁として床を黒く染めていた。
「ああ……。この
その汚物の中でアルトリアが死体を穿り泣き声を上げていた。
悲痛な顔で死体を漁るアルトリアは、体が腐汁にまみれる事も厭わず、悲しみに暮れたように死体の腹から黒い物体を持ち上げていた。
――アルトッ…………――
自ら死体の中に身を埋め、肉片を擡げるアルトリアに九郎は声を掛けようとして口ごもる。
恐ろしい現場で恐ろしい姿の筈なのに、アルトリアから悍ましさは感じなかった。彼女から感じたのは痛ましさ。それがどうしてなのかはアルトリアが肉片を胸に抱いた事で理由が分かった。
「子ヲ孕ンデイタ者ガイタノダナ……」
カクランティウスの言葉が九郎の脳に響く。
死を見慣れていた筈のアルトリアがこれ程取り乱していた訳が分かった。
黒ずんだ肉片は僅かに人の形をしていた。それも、小さな――掌に収まるほど小さな人の形を……。
命を産みだす事を誰よりも渇望していたアルトリアにとって、産まれなかった子供と言うものは彼女の心を掻き乱すのだろう。擡げた肉片は、誰かの腹の中で生まれるのを待ち望んでいた新しい命だった。
――カクさん……。これは……――
アルトリアの悲痛な声が響く中、九郎はカクランティウスに問い尋ねる。
いきなり広がった死体の群れ。奴隷局の中が全滅していた理由が分からない。
「シバシ待テ……。ウム……フウム」
九郎の問いにカクランティウスは、無い眉を顰めるような仕草で暗い眼窩を仄めかす。
カクランティウスは転がっている死体にしゃがみ込み、唸りながら調べていた。
そうして何体かの死体を見て回ったカクランティウスは、ポツリと呟いた。
「マズイコトニナッタヤモ知レン……」
カクランティウスの言葉の中にも哀愁が含まれているように感じた。暗く今は無い眼窩からは、その哀愁を覗き見る事は出来ないが、それでも彼の中にもアルトリアと同じく思う何かが存在していた。
その呟きの訳を聞こうと九郎が言葉を発する前に、カクランティウスは一体の死体の前に屈みこむ。
「くろう殿。見エルカ? コノ死体モ、ドノ死体ニモ傷ガ無イ」
擡げた男の死体をつぶさに九郎に見せながら、カクランティウスは重々しく口を開く。
盲腸を通して見えた死体は、刺し傷切り傷の類は全く見られなかった。
まだこの死体は死んで間もないのか、その死に顔に苦悶の表情が浮かんでいる。
その恐ろしげな死に顔をさらに恐ろしく彩っているのは、死体の全身に浮かんだ緑の斑点だ。
苔かと思える深い緑の斑点が、死体のあちこちに浮き出し、その全身を緑色に染めるかのごとく広がっていた。
「吾輩モ知ラヌ病……。疫病ダナ」
カクランティウスの言葉は冷たく九郎に響いていた。
これほど大量の人間が一気に死に絶えるような病。この世界に来てから風邪一つひかなかった九郎にはすぐに思い至らない死因。カクランティウスの言葉の中の哀愁は、病で亡くなった彼の妻、ミツハを思い出したからだろう。
見渡す限りの死体の数は100や200ではきかなさそうだった。
奴隷局の地下に入れられていた奴隷の数は1000人を軽く超えていた筈だ。
それだけの数が全滅している事に、九郎は今は無い喉で息を飲み込む。
考えてみれば不衛生な奴隷局なら病の温床となりえる。暗い地下に纏めて詰め込み、衛生管理も殆んどされていない。一人の人間が病に掛かれば、爆発的に蔓延することは直ぐに予想がつく。
そして奴隷の檻の中は無法地帯。男女が交わり続けていれば、性病やその他の病も瞬く間に広がる事だろう。動けなくなった奴隷、病にかかった奴隷は処分される。それを恐れて奴隷達も体調の不具合を訴えたりは出来なかった筈だ。
九郎の頭の中では、中世ヨーロッパの人口の6割以上を死にたらしめた『黒死病』、ペストの名前が駆け巡っていた。
この世界の医療技術は殆んど進んでいない。治療の魔法と言う便利なものがあるから、医術がそれほど重要視されていない。
しかし雄一が言っていたように、毒に対抗する手段や病気に対応する手段も同時に進んでいなかった。
「あると殿ガ言ッテイタ事ガ確カデアレバ、街ノ中ニモ広ガッテイル可能性ガ高イ……。早急ニ手ヲ打タネバ全滅モアリ得ルゾ」
カクランティウスが誰に言うでもなく呟いた言葉は、冷たく重く九郎に圧し掛かっていた。
☠ ☠ ☠
「畜生! 本当になんでこのタイミングなんだよ!」
屋敷の廊下を早足で歩きながらチェリオは口の中の言葉を吐き捨てる。
いきなり自分の腹と話し始めたと思ったら、焦り顔で突拍子も無い事を言い出した男。
クロウと言う名の『来訪者』思しき男の言葉が真実だった事で、内に蠢く感情を抑えきれない思いがしていた。
遠くで起こった物事をさも見て来たかのように語るクロウ。その内容が真実だった事でチェリオはクロウが『来訪者』である確率を引き上げていた。
クロウが本当に『来訪者』かどうか、チェリオは半信半疑だった。シオリの威圧感に気圧されない人物との噂を得てクロウに興味を覚えたチェリオは、その奴隷管理の身分を使い、九郎を影から調べていた。
見た目は普通の若者。背は高いが肉体に恵まれている風では無かった。
ただ他の奴隷はどこか疲れた目をしているのに対して、クロウの目は光を失っていないことくらいが特徴に思えた。
この屋敷に初めて訪れた奴隷達は、皆屋敷の奴隷達に誉めそやされて段々と気が大きく成って来る。
その中でクロウが奴隷の様子を訝しがっていた事も、チェリオがクロウを他の奴隷と違うと踏んだ理由の一つだった。大きな当たりを引いたとの嬉しさと、その確証を得た理由の中身に、自分の運が良いのか悪いのかの判断が付かなくてチェリオは顔を歪める。
この屋敷の中は愚者ばかりだ。
一部を除いてシオリに思考能力を殆んど奪われているのだから、当然だろう。
顔が良いだけの愚者を抱えていても、全てが奴隷で運営されるこの屋敷ではそちらの方が有用だ。
変な考えを起こさず、言われたことだけをする
ただ何も考えず、思考をしないと言う事は人体に何かしらの影響を与えているようだった。
言われた事以外をする事の無い奴隷達は、次第にそれすら出来なくなっていってしまう。
思考の無い行動は夢と同じなのか、彼らは自分が今何をしているのかさえ分からなくなってしまうのだ。
そうなったら最後。残ったものをシオリに奪われ、Eランク――家畜として肉になる道を辿る他無い。
そうした奴隷を入れ替える為に、シオリは度々奴隷を屋敷に呼び寄せていた。
「もう少しで……もう少しで手が届きそうなのによっ!」
口を結んでも漏れ出る声はチェリオの焦りを表していた。
☠ ☠ ☠
チェリオがシオリに見初められたのは、もう3年も前の事だ。
北方の裕福な商家に生まれ、大きな商隊を率いて砂漠を横断しようとしていたチェリオは、砂漠の中にポツンと佇むこのバッグダルシアで運命の狂いに嵌まりこんだ。
もう滅んでいるとばかり聞かされていた中央大陸において、生き残っていた都市が有った事がまず驚きだったが、街があるのに危険な砂漠で夜営をしようとする者はいない。
その例にもれず、チェリオも高い関税を払ってでも身を休めたいと思い街の中へと入ったのが運の尽きだった。
気が付いたら奴隷になっていた。
バッグダルシアの街の法律は滅茶苦茶だった。
塩、胡椒などの香辛料はもとより、木綿や麻など繊維、貴金属にいたるまで、
門で荷物を確認し、そこらじゅうで取引されている商品が、
それだけでは無く、罰金の金額も法外な額を突き付けられ、チェリオは街に入って一日を待たずとして全財産とその身の所有権を失った。
それでもチェリオはまだどん底だとは思っていなかった。
人より優れた容姿で、領主であり美しい少女に気に入られたからだった。
最初は美しい少女だと思っていた。身分の差も忘れて心を奪われた。
だが自ら心を奪われてしまった事で、チェリオの心は奪われなかった。
シオリの愛妾として最初は「この人生も悪くない」と考え始めたチェリオだったが、次第にシオリの悍ましさに気が付いてくる。
季節ごとに変る容姿。いつまで経っても年を取らない少女。
不老と思えるほど長い時間を同じ姿で過ごす種族がいる事は知っている。魔族や森林族と呼ばれる種族は人族に比べて老化が遅い。寿命も遥かに長いので、その類かとも思った。
しかし容姿が変わる事の説明が付かない。
同時期に領主の屋敷に呼ばれた奴隷達が次々と阿呆になり、次第にその姿を変えていく事に気が付いてからはもう駄目だ。シオリが他者から様々なモノを奪う『化物』であり、その実態がしわがれた老婆かも知れないと感付いてしまったら――。
そこから先は地獄の日々だ。少女の姿をした『化物』を、少女の見た目の老婆を抱く日々。
チェリオが耐えられたのは、チェリオが容姿に優れた商人であり、老婆であっても、醜女であっても抱く事で利益が出るならと抱いてきた経験があったからこそだった。
しかしそれもずっと続けられる訳では無い。シオリに飽きられてしまえば、知性を奪われ他の奴隷達と同じような愚者と成り果て、行きつく先は家畜の檻。
そうなる前に何とかしなければと考えていた時に出会ったのがラムスと言う名のこの屋敷でただ一人、ずっと生き続けている女だった。
静かな目の中に強い意志を持った女だった。
とりいって特徴のある見た目では無く、どこにでもいる平凡な容姿の森林族の女。
しかし畜産と言う精神を蝕む場にいて、森の奥の湖のような静かな目をしたラムスに、チェリオの琴線は揺れた。
何気なく興味を覚えて探ってみると、ラムスもシオリの正体に気付いていた。
――共に逃げ出す手を考えないか? ――
いつの間にかチェリオはその言葉を口にしていた。
愚者ばかりの屋敷の中で、自分と同じ事に気が付いている人間に出会った事で嬉しかったのかも知れない。同時に逃げ出す時にばれても、二人なら生き延びられる確率が上がるかもとの打算的な考えもあった。
しかしラムスは首を振り、チェリオを見据えて静かにその言葉を紡いだ。
――あなたはいいの? 奪われたままで? ――
その言葉にチェリオは愕然とした。自分はまだ何も奪われていないと思っていた。
考えてみればシオリに何かを奪われた者は、その奪われた何かに気付く事は無い。まるで元から無かったかのように振る舞っている。そこでチェリオもやっと自分も何かを奪われている事に気が付く。
その奪われたモノが何だか分からないが、ラムスから見れば分かってしまう何かを奪われているのだと気が付いたチェリオに、ラムスは続けて囁いた。
――商人だったんでしょ? ――
この言葉が決定打だった。商人であるからこそ奪われるだけの自分に嫌悪感を抱いた。商人であるのなら奪われたまま黙って逃げ出すことなど出来ない。取引を経て財を得る商人であったからこそ、チェリオは奪われたものを取り返したいと思った。
相手の言質を取り、情報を使って自分を有利に持って行き、そして利益を得るのが商人だ。
納得も何も無く、ただ奪うだけでは野盗――チェリオが蛇蝎の如く嫌う者達と同じでは無いか。
そこから2年。チェリオとラムスはシオリの情報を集める事に奔走した。
とは言えラムスは殆んど畜産場から動く事を許されていない。もっぱらチェリオが立場を利用して、シオリの能力を探り、ラムスと共に考える。殆んどチェリオだけでも良い作業だったが、何を奪われているのか気付けない状況である為、他者の目は必要だった。
そうして調べていれば何でもありなシオリの能力にも、奪えるモノと奪えないモノが存在することくらい気が付く。クロウが言った言葉はチェリオもとっくに気が付いていた。
初対面で全てを晒すほどチェリオはお人好しでは無い。ここではそんな人間は生きてはいけない。
特にこの情報はチェリオやラムスにとっては命綱だ。協力を要請した立場ではあるが、昨日今日に知り合った人間にその端を掴まれる訳にはいかない。
(せいぜい使える奴隷であってくれよ……)
チェリオはクロウの暢気そうな顔を思い浮かべて、浮かんだ笑みを噛み殺す。
強い者、賢い者が奪い、弱い者、馬鹿な者が奪われていく。それは何処の世界であっても変わらない。
ただ奪うだけではチェリオが嫌悪する者達と同じだが、自分はクロウに情報を与えている。
ならばこれは取引だ。チェリオ達は情報を与えるのと引き換えに
それに頷いたクロウは、渡した情報で吊り合ったと納得したのだ。
(ずっと『化物』を抱いて集めた情報だ……。命にだって吊り合うさ……)
利用する者も、利用される者もその価値を考えなければならない。それが自分達に残された最後の思考と言う財産だ。考える事が出来なくなった人は家畜と変わらない。人を人と足らしめるには意志が必要なのだ。
チェリオは浮かぶ笑みを戻すために自分の頬を強く叩く。
乾いた小気味の良い音が廊下に響き、一拍置いて上げたチェリオは元の優男の笑みを湛えていた。
「シオリお嬢様! 大変でございます!」
その笑みに少しの焦りを混ぜてチェリオは大きな扉を叩く。
この流れがどう言う風に傾くのか、そこから先は自分の運命に身を委ねるしか無い。
その事にチェリオの心の奥底の商人としての血が僅かに騒いでいた。
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