第199話  変わらない為に


「おいっ! アルミナ! それはまだ熱いって! やけどしちまう」

「ああああっ! エウダールさん、そんな所で糞しちゃ駄目だあぁぁぁぁ!」

「グレコっ! そんなもんに興味もつんじゃねえ!」


「よく続くわね……彼……」

「あいつは……よく分かんねえ奴だよ……」


 畜生相手に名前で呼び、人に接する態度で一人喚いている男に対してラムスが呆れたように呟いた。

 その横でリオが複雑な顔をして感想をぼやく。

 リオも彼らを人と見る事は出来ていない。人間性を全て失ってしまった彼らは只の獣にしか感じられない。

 しかしその中に弟の姿があれば話は変わって来る。弟フォルテも人では無くなってしまっている。

 それでもフォルテを人だと感じたい。だからこそ、リオはその他の人々をどう感じれば良いのか分からなくなっていた。


 チェリオとラムスからシオリの能力『サンダツシャ』の事を聞いてから数日経った。

 シオリの能力を知ったからと言っても、その殆んどが憶測でしかない。奪われたフォルテの何かを取り戻すためにも、いきなり押しかけて交渉しても駄目だろうとのチェリオの言葉で、九郎とリオは揃って畜産係の担当に移されていた。

 アルフォスやベーテ、奴隷管理の面子からは若干訝しんだ視線を受けたが、もとから畜産係も経験させられる可能性もあった事や、チェリオの


「珍しく畜産を見ても動じなかった」


 との言葉からなし崩し的に畜産係の奴隷とされることになっていた。

 やはりこの光景を見て普通でいられる人間は少ないのか、畜産係で働く奴隷は精神をきたしていまう事が多いのだと言う。自分も奴隷であり、飼育しているのも奴隷。いつか自分もこのように扱われるかもしれない……そう思ってしまえば正気でいられる筈も無い。


「それよりフォルテを元に戻す方法を……」

「焦っては駄目よ。私達にはただ一度の機会しか訪れない……。それを確実に射止める為にももう少し情報が欲しいわ……」


 リオの言葉にラムスは唇を噛みながら苦しそうに答える。

 シオリを殺す事で奪われたものが取り戻せる保証が無い。奪われたものを取り戻すには『脅迫』という手段を取らざるを得ない。また同時に施された獣の部分を取り去って貰わなければならない。

 しかしシオリは『来訪者』としての強大な『魔力』を操る事の出来る怪物で、自分達はシオリの気分次第で首を落とされる『奴隷の首枷』を付けられている。このまま乗り込んで行っても交渉のテーブルにつかせる前に全滅してしまう事が容易く予想できると、ラムスは静かに語る。


全滅・・はしないんじゃねえかなぁ……)


 リオはEランク奴隷――家畜として、食用に育てられている奴隷達に食事を与えている九郎の背中を眺めて顔を引きつらせる。


 この屋敷にいる人間の中で九郎を『不死』だと知っているのは未だにリオ一人しかいない。

 ラムスやチェリオの二人の協力者にも、おいそれと打ち明け事の出来ない九郎の正体。それは『正体』を知られてしまえばラムス達からの協力を得られなくなるかも知れない、九郎が『化物』であることに恐れを抱くかもしれないと言った現実的な観点と、「私達の言葉を完全には信用するな」とのラムスの言葉があったからだ。


 九郎の『不死』はリオにとっても最後に残った切り札だ。

 リオ自身九郎の事を『化物』だと感じている。だからこそリオは九郎に頼り縋ったとも言えるが、心の奥底では未だに九郎を正視できない恐れを抱いている。


(それでも……次のアタシフォルテには幸せを……自由ってやつを掴んで欲しいんだ……)


 臆病な自分がどうして九郎と共にいるのか。その理由はこの一点に集約されていた。

 リオは自分自身を既に終わった者・・・・・だと考えていた。幸せな人生を歩くのは自分でなくていい……。ただ次の自分には幸せであって欲しいと願った子供の頃からの思い。

 それはただの現実逃避とも言えそうな、惨めで悲しい想いでもあった。自分の身は汚れけがされ、先の未来に希望など持ちようが無い。奴隷として生まれ、奴隷として死ぬと運命づけられている自分が夢を持つとしたら、それは現実では望めない妄想しか残されていない。

 夢とも現とも言えそうに無い悪夢から這い出てきたような九郎達『不死者』を、リオは半ば妄想の延長だと思い込んで縋っていた。


「あああああっ! イグニスさ~ん! 俺で腰振んなぁぁぁぁぁっ!」


 肌色一色の畜産小屋で九郎の叫びが木霊していた。


☠ ☠ ☠


「だ~か~ら~! 熱いっていってんだろっ!」


 四つん這いになりぶーぶーとしか言わなくなった人々の間で九郎は何度目かのボヤキを口にする。

 左手には古ぼけた鉄製の大きな鍋を持ち、右手にはおたまを持った状態で顔だけを顰める。


 鍋の中には白いゴメが大量に煮えていた。

 死んだ同族でさえ食べてしまう住人相手であれば、九郎の肉体を与える事も出来たのだが、『人が人を喰らう』事に忌避感を覚えてしまった今の九郎には、おいそれとその方法を選択出来ない。死んだ自分の肉体はただの肉と感じていても、彼らに自分を食べさせることを九郎は躊躇った。

 そこで代役としてゴメ……アルトリアの体で育つ虫の幼虫を『巫山トレスト・インの夢・ア・ドリーム』で大量に生み出していた。

 九郎の命を吸い、アルトリアの体で育つゴメも広義で言えば『人を食べている』との意味になるのかも知れないが、虫と言う媒介を挟むことで『人が人を食べる』と言う九郎が感じた『業』からは逃れられる。


 彼らの『出荷』は当分先だと言う。

 その時が来たら、九郎は代わりに自分の肉体を使おうと決めていた。人が人を喰らうと言う『業』を感じてはいたが、それと人の命とを秤に掛ければ命の方に傾く。


(しっかし……あらぁどこにいってもこんな役回りだなぁ……)


 畜産場は託児所、もしくは痴呆老人だらけの老人ホームといった有様だった。

 人間性を奪われ獣となってしまったのだから仕方が無い。人の姿を残した獣たちは本能のみで生きている為、言葉など通じようも無い。蜂の巣をつついたような喧騒で食事に群がるその姿は、彼らを人と見れなくする。


 それでも九郎は彼らを人間として見ようとしていた。

 一度は『人では無い何か』に見てしまった彼らだったが、九郎は無理やり彼らに人格を当てはめていた。

 そこにあったのは同郷の者が仕出かした罪に対する『罪悪感』だ。


 背負う必要のない『罪悪感』だとは感じていたが、九郎には彼らが雄一に『支配』された『人形』と重なっていた。


「しっかし……どうにも分からねえのが『簒奪』の仕組みなんだよなぁ……」


 食事に群がる人々を眺め九郎は口を引き結ぶ。

 シオリを脅迫するためにも、早急にシオリの能力を分析しなければならなかった。ラムス達から知らされたシオリの『神の力ギフト』は言うなれば憶測であり、予想の範囲を出ていない。

 話だけ聞けばシオリは何でも奪えてしまえるように思える。それはチートの中のチートとでも言えそうな規格外の力だ。


 しかし九郎はその強力な力に疑問を抱いていた。


 九郎はフォルテの世話をしながら、他の人々に食事を配っているリオの姿を横目に眺める。


(リオがここにいたってのは確かそうなんだよなぁ……。実際フォルテはココにいたんだし……)


 記憶に綻びはあるが、リオがこの屋敷で生まれ育ったことはかなり信憑性が高くなっていた。

 3年前にここに来たチェリオは知らなかったが、40年以上前からずっとこの屋敷で働いているラムスはリオの面影を覚えていた。他には無い黒い肌と金色の目を持つリオは、部署の違ったラムスでさえ覚えるほどの容姿だった。


 それなのにリオはその容姿のまま外へと放逐されたことになる。

 フォルテのように人間性を奪われるでも無く、他の女性達のように美貌を奪われるでもなく、外に放り出されただけ……。

 リオの容姿はシオリの琴線に触れなかったからかとも考えられるが、それだけでは無い引っ掛かりを九郎は感じていた。


(雄一の時は絶望している相手でないと『支配』できないみたいだった……。シオリも何か……トリガーが必要なんじゃねえのか?)


 九郎は自分の『神の力ギフト』を分析しながらシオリの『神の力ギフト』に当てはめる。

 雄一の『神の力ギフト』が絶望した人間にしか効果が無いのと同じで、九郎の『神の力ギフト』にもトリガーと考えられる条件が存在している。

 『フロウフシ』は言わずもがな自分が傷付かなければ全く意味をなさない力であるし、『ヘンシツシャ』のほうも一度その被害に遭わなければ『変質』させる事が出来ない。

 特に『ヘンシツシャ』の『神の力ギフト』は通常であれば全く使えない力であった可能性が高い。


 力を欲した九郎は、あれから何度も自分の体を様々なものに『変質』させようと試みてきた。

 体を岩のように硬く『変質』させることが出来ないだろうか。腕を水のように『変質』させて鞭のように使えないだろうか等、色々試してみた。

 その結果九郎は『自分が経験した被害』以外には『変質』させることが出来ない事が明らかになっていた。


 シオリと事を構えるのは決定事項だ。フォルテをこのままにしておいてはリオは心から笑えない。

 しかしシオリの能力『サンダツシャ』を調べておかなければ、最悪の事態を招きかねない。

 シオリがもし何でも奪えるのなら九郎の『フロウフシ』さえ奪われてしまう可能性がある。自分が持つアドバンテージは死なない事の一点のみだ。そのカードの切り方を間違えてしまえば、自分の身は愚か、リオやフォルテも無事では済まない。

 その為にもシオリの『神の力ギフト』が発動するトリガーだけは把握しておかなければならない。


「なんだか数日で雰囲気が変わったような気がすんな」


 慎重に事を進めなければと九郎が一人考えていると、後ろから呆れたような声がかかった。


「チェリオさん。丁度良かった」


 九郎はその声に顔をあげて振り返る。

 苦笑いを浮かべてチェリオが畜産場に入って来ていた。

 いままで死体に群がり貪り食う人間を見ていただけに、薄汚れているとは言え皿に盛った食事をしている人々に、多少の悍ましさは緩和されているからだろう。


「お前……本当にここにいても普通に出来るんだな……」

「んなこと無いっすよ? やっぱ気持ちのいいもんじゃねえし」


 苦笑いのままにチェリオが口の端を引き上げ、九郎が渋面して肩を竦める。

 畜産係に抜擢された奴隷達は次第に精神を蝕まれてしまう。ラムスのように種族が違えば多少忌避感は薄れる様だが、同じ人族なら早々に口数が少なくなっていくらしい。

 確かに見ていれば気持ちの良いものでは無いだろうが、九郎は『フロウフシ』か『ヘンシツシャ』かどちらかの『神の力ギフト』のおかげで発狂することは無い。


「チェリオさん。シオリが『簒奪』をするとこ見た事あります?」


 そんなことよりもと、九郎はチェリオに考えていた話題を振る。

 チェリオはSランク奴隷――彼女自身が『シンエイタイ』と称している事からも、奴隷としてはいるがシオリの側近に近い。その立場にいるのならシオリが『神の力ギフト』を発動させる瞬間を目にしているのではと考えての質問だった。


「ああ……あるぜ。傍から見てても信じられねえ光景だった。幻でも見ているのかと思っちまうくらい、認識がぼやけちまうんだ……」


 チェリオは顔を顰めて身震いをした。


「そこのところを詳しく教えてもらえねえっすか?」

「そりゃあ良いが……また何で?」

「シオリの『サンダツシャ』にも奪える奴と奪えない奴がありそうなんす。ラムスさんやチェリオさんが、何を奪われたのかが分かってれば話は早いんすけど……」


 チェリオもラムスも本人は何を奪われたのか・・・・・・・・が分からない。

 だからこそシオリの能力が憶測の域を出ないのである。

 その様子を客観的に分析すれば、シオリの『神の力ギフト』のトリガーが分かるかもしれない……そう考えての事だった。


「そりゃあまあ……不甲斐無くて悪いな……。で、シオリお嬢様の『簒奪』の様子だが……俺の知る限りじゃ相手を褒めるんだ」

「褒める?」


 チェリオの言葉に九郎はおうむ返しに聞き返す。

 明らかに可笑しな手順を踏んでいるように聞こえた。『簒奪』――相手から奪うのであれば気付かれないよう何かをしているのかと思っていたが、それをあえて意識させるとは思ってもいなかった。


「目の綺麗な奴隷だったら目を褒めまくるんだ。肌が綺麗だったら肌を、髪だったら髪をってな具合に、そりゃあもうべた褒めするんだ」


 チェリオも何故そんな事をしているのか分かっている風では無い。これから奪うものを相手に意識させないと駄目なのだろうか。しかしそれだとラムスが言っていた大地の『魔力』や『収穫』を奪える力に説明がつかなくなる。それに意識させるだけでいいなら、リオの美貌は奪われていても良い筈だ。


「そんで自分をひたすらに蔑むような口調をなさる。『アテクシは……』『アテクシなんて……』。あれだけの美貌を持ちながらひたすらに自分を卑下なさるんだ」


 チェリオは「信じられるか?」とでも言いたげな仕草に、九郎は苦笑いを浮かべたまま頭を回転させ始めた。その時だった。


 ――クロウ! 大変大変! ――


 体の中から脳に響く声に九郎は慌てて自分の腹を見る。


「アルト!? どうしたっ!?」

「うおっ!?」


 いきなり自分の腹に向かって声を上げた九郎にチェリオが驚いている。

 しかしそんな場合では無い。アルトリアの声が九郎の離れた盲腸を伝って脳内に声を届けて来ていた。

 アルトリアのこれほど焦った声は中々聴く事が無い。彼女も九郎と同じ『不死者』だからか、動じる事があまりない。いつものほほんと長閑な雰囲気を醸し出しているか、それとも情欲にほのめいているかのどちらかのアルトリアの焦りの声に九郎は思わず大声を上げていた。


 チェリオの奇異の目も気にする余裕も無く九郎は意識を盲腸へと集中させる。

 視界を移し替えるとアルトリアの焦り顔がアップで迫っていた。


「どうしたんだ!? ゴメなら充分補充されてっぞ? ――――は?」


 何故そんなに焦っているのか分からず、訳も分からず頓珍漢な言葉を口にした九郎の脳に、アルトリアの言葉が嫌な響きを伴って響いていた。


 ――クロウ! 大変! 人が一杯死んでる! 奴隷局! 誰も動かない――

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