第195話  『合成獣―キメラ―』



「じゃあ早速仕事を教えるが……」


 奴隷にとって時間とは自分の物では無い。それを如実に示すかのように焦げ茶色の髪の男、チェリオがすぐに話を切り出した。


「とは言っても、奴隷管理の仕事は少し特殊でな……。俺ら奴隷管理係は各職場の奴隷達が職務を逸脱しないか――まあ簡単に言えばちゃんと働いているかどうかを見る仕事なんだが」


 九郎達が何かを言う前にチェリオは勝手に扉の外へと出て行く。

 奴隷管理局でリオの弟、フォルテの事を調べようとしていたのに、部屋の中にいたのは5分と経たない時間だけ。九郎がリオを覗き見ると、彼女は顔を顰めて悔しそうにしている。


「慌てんじゃねえ……。こいつらは今迄の奴隷とは違った雰囲気がありやがる……。慎重にいかねえと変な疑いを持たれちまうぞ?」

「あ、ああ……」


 九郎が小声でリオに釘を刺し、チェリオの後を追いかける。

 奴隷管理の面々は今迄目にしてきたような他の奴隷達のように朴訥とした雰囲気が感じられない。

 見るからにデキる・・・雰囲気を持っていることが、どうしてこんなに不安を煽ってくるのか分からない。ただ、今迄平穏そうな人々ばかりを目にしてきたからか、ここにきて現れた彼らに言いようのない不安が付きまとう。


「ま~、そんなに緊張するなよ。俺らは奴隷つってもSランク。そんじょそこらの奴隷とは別次元の権限を持ってっから、奴隷局員にだって命令できる立場なんだぜ?」


 小声で話す九郎達を横目に、チェリオは手をヒラヒラ振りながらニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。

 緊張しているのは彼らに対してだと言うことを感付かれているのか、それとも初の職場に緊張していると思われたのか。判断のつかない九郎は愛想笑いで場を濁しておく。

 

 とは言え何もしゃべらないのでは情報を得る事も出来ない。


「そういやチェリオさんでしたっけ? 俺最近奴隷になったばっかでランクとか全然分かんねえんすけど、いったい何なんスか?」


 場繋ぎ的な会話ではあるが、九郎は気になった事を尋ねてみる事にした。

 自分とリオはDランクだとは言われていたが、それ以外のランクの奴隷を見た事が無かった事が一つ。

 そして奴隷がランク分けされていったいどういった意味が有るのか知りたかったのが二つ目だ。


「おう? なんだ、お前も根っからの奴隷じゃ無かったんか? 道理で周りの奴らが賢い賢い言う訳だ……」


 チェリオは九郎の言葉に意外な驚きを見せていた。


「も?」


 その言葉の意味を考えながら、九郎は気になった事を口にする。

 リオは生まれながらに奴隷だったと言っていた。奴隷が産んだ子供は初めから奴隷として扱われる。だからこそ奴隷局の職員は、リオを借り受けた時に孕めばその分料金を返すとまで言っていた。

 しかし奴隷が産んだ子供ばかりで奴隷が賄われている訳では無い。このバッグダルシアの街には総勢2万人以上もの奴隷がいるのだと聞いたばかりだ。

 中規模の街であるバッグダルシアで2万人と言えば、人口の半分以上が奴隷と言える。九郎が街で過ごしていた時見かけた人々も、半数は奴隷の首輪を身につけていた。


「ああ。俺も元は商人だったんだよ。3年前にこの街に来て、何か分からねえうちに街の法律に引っかかっちまってな? 気が付いたらこのざまって訳だ……」

「俺と同じっすね」


 チェリオはもともと旅商人だったようだ。自己紹介がてらに歩きながら話すチェリオの半生は、山あり谷ありの波乱万丈な人生だったようだ。

 そして終焉を迎えたのがこの街。チェリオは「まさか奴隷の身分に落ちるとは」と頭を掻きながら苦笑を浮かべていた。


「まあ、とは言えここの暮らしも慣れて見れば悪いもんじゃねえさ。シオリお嬢様はお優しいお方だし、それに何よりお美しい。美人のハレムの一員になるとは思っても見なかったが、美人相手だったら望むところってもんだしな? それに俺のランクはS。そう言えばランクの話だったな……」


 ひとしきりシオリを褒め称えてから、茶目っ気を含んだ苦笑を浮かべ、チェリオは奴隷のランクについて話し始める。


 奴隷のランクは大きく分けて5つに分かれていた。

 通常奴隷の子として生まれながらに奴隷だった者はD。所謂教育も何も受けたことの無い、最底辺の奴隷だと言う。リオも奴隷の子供だからDランクだ。

 そして力や頭脳。その他能力が認められた場合、C、I、Aとランクが上がっていくらしい。

 このランクは奴隷局の貸出料金に関係してくるそうだ。当然DランクよりもAランクの方が貸し出し料金は高額になる。それだけ有用性が違って来るのだとチェリオはリオを横目に話を続ける。


「当然奴隷に成り立ての奴はDランクからだが……、クロウって言ったっけ? 賢いと評判らしいから直ぐにI辺りまでは行くんじゃねえの? っと……、そう言えば横の女も推薦されてたんだよな? 奴隷の子供が賢いってのは信憑性に欠けるが……、まああいつらよりは・・・・・・・ってところだろうな」


 チェリオが誰の事を蔑んでいるのかは言葉にしなくても分かってしまう。

 九郎でさえ呆れる、『考える事を放棄した者達』に対して、チェリオも同様の感情を抱いている様子だった。


「あれ? ランクはDからCときて、なんで次がIなんすか? その次がAだったらそこはBでしょうが」


 話の腰を折るのもと思ったが、どうしても気になり九郎はチェリオの話に割って入る。

 話の口ぶりからしてSランクが最高峰のランクだと言うのは理解できるし、奴隷の能力によってランク分けし、貸出金額が代わって来るのも納得できる。

 しかしそのランク自体がD、C、ときていきなりIが入って来ることが不思議に思えた。

 それはアルファベットを知っている九郎だからこそ感じた違和感であって、この世界の住人であるチェリオやリオには感じない違和感だったようだ。


「なんでBじゃねえかって言われても分からんが……。このランクはシオリお嬢様が付けたランクだって聞いているが、何でも頭文字を取ったとかなんとか」

「頭文字?」

「Dが『ドレイ』。Cが『チョットマシ』。Iが『イッパンナミ』。Aが『アタマイイ』。そんでSが『シンエイタイ』って聞かされている。まあ、意味までは分からないが、シオリお嬢様はかの伝説の『来訪者』だと言うからな。別世界の言葉なんだろうと、アルフォスは分析していたな」


 おうむ返しに尋ねた九郎にチェリオは難しい顔で言葉を並べた。

 その言葉に九郎は眦を下げ、力が抜けたような弱り顔を浮かべる。チェリオの話す略称だけが、完全に外国人が話す日本語のイントネーションだったが、理解は出来た。ただ、もう少し捻れとシオリに物申したい気分になってしまう。

 単純に日本語の頭文字を取っただけのランクだったが、これでランクBが何故かIに置き換わっていた理由は分かった。適当なランク分けなのだろうと感じたが、それでもSランクの意味が知れて、チェリオが奴隷局員にさえ命令できると言った意味も分かった。


 奴隷の首輪はシオリの駒を表す印だ。

 異世界に一人紛れ込んだシオリは、他者との境界を分けるのに奴隷と言う印を付けているように感じた。

 だからこそシオリの屋敷には奴隷しかいないのだ。


(ちょっと警戒しすぎ……いや、俺も『不老不死』じゃなかったら警戒してたんかな……?)


 自分の手駒には大きな権限を与えているが、それでも決して心底信用している訳では無い。

 いつ裏切られるか怖くて保険を掛けているとしたら、理解出来なくも無い行動だ。

 考えてみれば、あの雄一でさえ毒殺の危険性にかなり気を使っていたし、妻でさえ『支配』していた理由に裏切りを恐れていた部分も有ったのかも知れない。


(つっても雄一に同情心は湧かねえな)


 幼女を『支配』し妻として侍らせていた雄一を思い出し、九郎は顔を顰める。

 幼い子供にまで恐れを抱くのは人として、男として胆が小さいにも程があるし、何よりベルフラムにまで手を出そうとしていた事が気に食わない。それに『支配』をするには相手を絶望させなければならないことから、雄一が取ったであろう卑劣な手段を思い浮かべると顔も歪むと言うものだ。


「成程ねえ……。って、あれ? そう言えばEランクってのを聞いた気がするんスけど……?」


 一人シオリの心情を慮り、雄一の心情に唾を吐きながら九郎はふと顔を上げた。

 ここに来る前、奴隷達の会話の中で「Eランクに落とされるぞ?」といった会話を聞いた覚えがある。

 最低ランクが更に下にあるのかと、その時はそう思った程度だったが、チェリオが言ったランクの中にEランクは入っていなかった。

 その事が気になり尋ねてみると、チェリオは口元を覆い嫌そうな顔で九郎を睨んでいた。


「必要無い知識を持っちまうと、お前等直ぐにそっちに行っちまうんだぞ? 知らねえ方が良い事ってのもある……」


 えらく意味深な言葉に逆に興味がそそられた。

 同時にこれだけ探しても見当たらないフォルテの事を考えると、嫌な予感も込み上げてくる。

 九郎はチェリオの視線に狼狽える様子を演じながら、リオへと視線を走らせる。

 一瞬であったが、怖気るように視線を彷徨わせていたリオと視線が交差した。


(…………。わーったよ……。怖がりなのに判断が早えこって)


 一瞬目が合っただけだが、リオは恐怖を押し込めるようにギッと九郎を睨んできた。フォルテが見つからない以上、探せる場所はとことん探す事に異論はないのだろう。


「でも、俺らどの道奴隷管理係で働くんなら知っとかなきゃいけねえんでしょ? なら早い方が」

「まだ適正見てるだけなんだが……。まあ、結局いつかは知る事だろうし……しゃあねえか……。俺の代わりにって話だったし……」


 頭を掻いて首を振ろうとしたチェリオだったが、九郎の言葉に考えを改める素振りを見せる。

 チェリオの様子から、その知らない方良い知識とは、彼自身があまり知りたくはなかったものだったに違いない。

 そこにEランクの奴隷が関係しているのかと思うと、九郎も進んで知りたいとは思わない。

 しかしこれだけ探して見つけられないフォルテの行方を捜すためにも、見ていない場所は探さなければならない。


「んじゃ、お願いしゃっす! 新人なんで色々聞いときたいじゃないっすか」


 人の良い笑顔を作りながら頭を下げる九郎に、チェリオは眉を寄せたまま一滴の汗を流した。

 その汗を拭いながら、チェリオは何の関係も無さそうでありながら、酷く不吉な言葉を放って歩き出した。

 その言葉は九郎の心の中の嫌な予感に、大きな重さを加えていた。


 ――知らねえぞ? 痩せたって苦情を俺に持ってこられてもな――

 

☠ ☠ ☠


 暗闇をランタンの灯りが赤く照らす。

 屋敷の角に作られた小さな小屋から地下に降り、九郎達は暗い通路を歩いていた。

 いきなり暗がりに連れ込まれてリオはかなり怖気付いたのか、九郎の服の端っこを握りしめ、今にも泣きそうな表情で着いて来ている。


 全く水分の欠片も無い砂漠のど真ん中の街であっても、地下はじめじめとしており、陰気な空気が漂っていた。

 そう言えば砂漠と言ってもこの辺りは緑広がる場所だったな――と九郎は壁を越えて最初に目にした大きな湖を思い出す。


「ここは昔『土の魔境』って呼ばれてたらしいぜ? 今はこの辺り一帯が『砂の魔境』って呼ばれてるけどな』


 先頭を歩くチェリオは沈黙は悪とでも言うかのように話し続けていた。

 地下通路は大きな岩が積み重なり、隙間の部分が道となっている。

 通路には所々に燭台が取り付けられていたが、どうやら自然の洞窟を利用しているらしい。


『魔境』と言う単語に九郎の彷徨いセンサーが警報を鳴らしはじめる。

 この世界に来てから九郎は、『風の魔境』『水の魔境』『光の魔境』『砂の魔境』と4つの魔境に入っており、全てで彷徨った経験を持っている。『水の魔境』に関してはシルヴィア達と攻略した際にはほぼ直進していたが、その前、九郎がアプラスからミラデルフィアに辿り着くまでにちゃんと彷徨い済みだ。

 なので九郎もチェリオの服の端をしっかと掴む。


 ただ燭台と言う目印があるのに迷う馬鹿はいない。

 チェリオを先頭にして暫く進むと、ようやく目の前が開けてくる。


「へえ……」


 そこは不思議な空間だった。

 暗闇を抜けたと思ったらいきなり空が現れていた。

 洞窟の中に出来た森――とでも言えば良いのか、地面から20メートルくらいの高さにうっそうとしたシダがぶら下がり、まるで『大地喰いランドスウォーム』の口のように、空が丸く切り取られていた。

 周囲には大きな苔とでも言えそうな植物が生い茂り、顕微鏡の中の世界の様な菌類が繁栄を謳歌している。中心には地下水なのか雨水なのか、大きな池が出来ており、蓮に似た薄紅色の花が咲いている。

 まるでピーターラビットの絵本の中に迷い込んだかのようだ。


「こっちだ……」


 一瞬不思議な景色に見惚れた九郎に、チェリオは幾分緊張した面持ちで顎をしゃくる。彼の目指す先を見ると、洞窟の壁に沿うようにして、小さな小屋が一件建っていた。


「畜産……?」


 九郎は小屋の横に掲げられた立て板を読み上げ首を捻る。

 話の流れではEランクの奴隷がいる場所へと案内してもらっていた筈だ。

 チェリオのセリフからグロイ物を見せられる気がしていたが、屠殺現場だとしたら見くびられ過ぎな気がしてしまう。

 九郎は日本ですら獣の解体を経験していた田舎の出身であり、またこの世界に来てからはほぼ自給自足の生活を余儀なくされていた身だ。いまさら獣の解体現場を見せられて気分が悪くなるはずが無い。

 ここでEランクの奴隷達が働いているのだろうが、痩せると言うより太りそうだと九郎が眉を上げたその時、澄んだ声と共に小屋から人影が姿を現す。


「あら? チェリオ。今日は出荷は無かった筈だけれど?」

「分かってるよ、ラムス。今日は研修だ、研修……。大丈夫そうだったら明日からこいつらをここに来させるつもりだ」


 扉を開けて出てきたのは20代前半くらいの女性だった。

 初めて新参以外の女性を目にして、九郎は驚き足を止める。


「そんな事言って……。その子達を早々に処分しようとしているのでは無いのかしら?」

「人員の補充を上申したのは俺だ……。出来れば大丈夫であって欲しいのは俺の本心だ」


 小屋から出てきた女性は九郎達を一瞥すると、物騒なセリフを口にしている。

 チェリオは先程見せていた緊張した表情を幾分和らげ、肩を竦めてそれに返す。

 二人の視線が自分達に向き、九郎は慌てて姿勢を正す。


「あ、今日から研修中のクロウっす」「リオ……だ……です」


 頭を掻いて会釈を返した九郎にリオが続く。


「ラムス。畜産係の奴隷頭よ。ここに来るって事はまだ・・の子達よね? 暫くの間だけれど宜しくお願いするわ」


 柔和な笑みに少し悲しみを交えながら、女性が自分を紹介した。


「ラムスさん……。森林族っすよね」


 その言葉も言い終わらない内に、九郎は思わず尋ねてしまう。


 ラムスと名乗った女性は、肌も髪もボロボロであったが、森林族――九郎の恋人シルヴィアの面影を感じさせる深い緑色の髪色と、長く尖った耳を持っていた。年もシルヴィアの容姿よりは老けて見えている事から結構上なのだと理解する。

 森林族はおよそ1000年生きる種族だと聞いていたが、全く老化しない訳では無い。

 人族――所謂一般の人間よりも10倍くらい老化が遅いというだけだ。とは言え老化しても皺皺の老人になる訳では無く、壮年程度の老化で止まるらしいが……。

 見たところ20代前半くらいの年齢のようだから200歳を超えているのか――決して言葉には出せないセリフを思い浮かべながら、九郎は女性に確認する。


「え? ええ……。珍しいわね? この大陸で森林族を知っているなんて……」


 九郎の不躾な言葉にラムスと名乗った森林族の女性は面食らったように目を見開く。

 ラムスは、突然訪れた男が懐かしの言葉を口にしたとでも言いたげに、九郎の顔を見詰めてくる。


「俺の恋人も森林族なんス。それに俺は別の大陸で暮らしてたんで」

「あなた人族よね? よく森林族と恋人関係に成れた……。といってももう関係ないわよね……。奴隷になってしまったのだから、もう会う事も無いでしょうし……」


 九郎の言葉に、ラムスは驚き顔から同情する表情に顔を変化させて顔を伏せた。

 その言葉に言い返したい九郎であったが、ぐっと言葉を飲み込む。

 通常奴隷になってしまえば死ぬまで奴隷から逃れられないのだろう。自分の身も、奴隷として働いて借金を返す口実だった筈だが、奴隷の身でどれ程働けばその額が返せるかなど触れられもしなかった。

 そもそも奴隷に給料が支払われているようには全く見えない。体よく騙された事にいまさらながらに気が付き、彼女の言葉に苦面する。


 とは言え九郎の身を縛るものなど、本来は無い。

 逆らえば首が飛ぶ奴隷の首輪も『不老不死』の九郎にとっては何の枷にもなりはしない。

 ただ、隣にリオがいるので好き勝手に振る舞うのは少し躊躇われ、九郎は大人しく項垂れておく。


「でもまだ終わりじゃないわ。あなた達はまだ奴隷ですもの……」


 九郎が項垂れた事に気を使ったのか、慰めの言葉のようなものを言って来るラムス。

 奴隷が救いであるかのような言葉に九郎が訝しんだ顔で首を傾げると、ラムスは悲しそうな顔のままチェリオに向き直る。


「いいのよね? 知らないわよ?」

「どの道誰かに任せるつもりだったんだ……。潰れんなら、速い方が代えが効くだろ?」

「本当に悪い人よね……。あなたって……」


 ラムスの言葉にチェリオは顔を顰めて答えていた。

 話の内容は分からないが、不吉な事を言っている事は分かる。

 しかし怖気付いていても始まらないと九郎はラムスに頷いて見せる。


「そう? 食事は抜いてきた? でも今日はどの道何も食べられなくなるでしょうけど……」


 諦めたようにラムスは九郎達を部屋へと招き入れる。

 暗がりに吸い込まれるように、ラムスは小屋の奥、更なる洞窟があるであろう、岩に設えられた扉の奥へと消えていく。


(屠殺場が怖くて肉が食えなくなるような軟弱なもやしじゃねえよっ!)


 九郎は嫌な予感を振り払ってその後を追う。

 横目に見るリオの顔はいつものように青褪めている。しかし彼女も引く気は無いのだろう。

 何が待ち受けているのか分からないまま九郎達は奥へと進む。


 扉の奥は来た道同様、岩盤の割れ目に作られた洞窟だった。チェリオが言った『見たくはなかったもの』は『見られても拙いもの』だったようだ。

 屋敷の敷地の地下に作られた誰も知らない秘密の部屋。そんな感じを思わせる、幾つもの扉で管理された通路を、九郎達はラムスは灯りを頼りに進んで行く。

 光の後を追うように進んでいると、九郎の鼻にツンと畜産特有の堆肥の匂いが香ってきた。

 そして聞こえて来るのはブーブー、メェメェといった動物の鳴き声鳴き声。


(豚? 山羊? なんで家畜を飼うのをこんな厳重に隠してんだ……? 砂漠特有の宗教のタブーとか……こっちにもあるからか?)


 だんだんと大きく聞こえてくる鳴き声に九郎は考えを巡らせる。

 この砂漠の街で普通に出されていたから気にしていなかったが、いままで食べていた肉が何の肉だったのかとかは気に留めたことが無かった。

 腸とヤツメウナギを足したようなグロテスクな魔物まで平らげて来た九郎にとって、それが何の肉かなどあまり気にならない。食えるものは愚か食えないものまで食べて来た今の九郎に、食べられない者など無いと言っても過言では無い。ゴメでさえ、今は普通に口に運べる。

 だが宗教が絡んでいるとなれば厳重にしている理由にはなり得る。食物の少ない砂漠の街で、食べ物に禁忌を課すのはどうかと思わなくもないが、宗教はそういった言葉とは相いれないものだ。


「食えて美味けりゃ何でもねえ。な?」


 光が再び広がりを見せる直前九郎はリオへと視線を投げる。

 その目が見開かれわなわなと震える理由には思い至らなかった。

 口元を押さえ顔を歪めるリオの目に何が映っていたのかは九郎も直ぐに知る事になる。


 ブーブー。ブーブー。ブーブー。


 ただその前に九郎は後悔していた。

 豚だと思ったのなら何故気が付かなかったのだろうかと。豚がブーブー鳴くなど誰が言ったのか。

 耳に聞こえるその声を、どうして豚だと思ったのか。甲高い声や、低い声、若い声――様々な声の入り混じるその声に何故気付かなかったのかと――――。


「ここが畜産係の職場。Eランク……『エサ』を育てて出荷するの」


 ラムスの言葉は九郎の耳の遠くで響き続ける。

 膝を付き、ハイハイする赤子のように這い回る人のような何か。

 知性の欠片も感じられず、ただ意味も無く鳴きつづける彼らは半分人であり半分は家畜だった。


 半分人のような何か――多くは豚と人を掛け合わせた様な、手足が短く脂肪を蓄えたハムのような人間だった。

 その他には胸を露わにしている女性がいる。しかしその乳房の数は8つ。女性の上半身は普通なのに、下半身は大きく膨れ上がり、乳牛そのもののパンパンに張った乳房が6つ垂れ下がっている。

 老婆のように腰を屈めて歩き回っている男性がいる。ただその腰に添えられた手は手羽先肉と同じく肥大しており、胸も大きく膨らみ鳩胸どころの大きさでは無い。


 豚の様な何かが一か所に集まって頻りに頭を突っ込んでいる。

 裸のままに地べたに群がり何かを食べていることは理解出来る。しかしそれが何かと言わず、人の死体だと知っていても、それを頭が拒否してしまう。


 ――あなた達はまだ奴隷なのだから――


 ラムスの言っていた言葉が、九郎の頭の奥で再び響く。

 この様子を見れば奴隷であることすら『救い』に感じられる。奴隷は奴隷であれどまだ『人』足りえた。

 しかし目の前に映るのは人の面影を残していながら『人』では無かった。

 九郎の目にさえ、それは人と映らなかった。


『化物』……その単語が九郎の頭の中に浮かんでいた。


☠ ☠ ☠


 ずっと九郎は人では無い者達にも人格を見出して来た。

 最初に出会った天使と死神。この世界の神々の姿も人には非ざる姿だった。半幼半老のグレアモルはまだ辛うじて人の姿と言えるだろうが、翼の生えた歯車の姿をしたソリストネは完全に人の姿とは違っていた。しかし九郎は二人を相手に人として接し、人だと思って会話した。

 完全に寄生虫の形をしたサクラやその家族に対しても、九郎は人格を見て尊重していた。愛着すら感じ、話が通じているかも分からないまま、毎日話しかけて過ごしてきた。


 ――しかしそれは彼らに知性があったからか――


 目の前の人々を人と思えない自分自身に問いかける。

 ソリストネやサクラと比べるまでも無く、彼らはまだ人の姿を残している。なのに九郎の頭が彼らを人と認識しない。その事が訳も分からず許せなくて、九郎はギリと奥歯を噛む。


 知性の有る無しでは無い。それは過去の九郎が証明している。

 実際目の前の彼らと同様、狂っている様子を見せていたアルトリアの父親にすら人格を見ていた。あの悍ましいアンデッドにすらあって、彼らに無いもの。それが何なのか分からず九郎は呻く。


「ほらやっぱり……。まだ・・の奴隷に見せたらこうなるに決まってるでしょ?」

「タフそうに見えたから行けるかと思ったんだが……。外から来たっていっても様々だからな。『合成獣キメラ』くらい見た事あるかと期待しちまった」


 片手で顔を覆って呻く九郎と、目の前の光景に糸の切れた人形のように膝をつくリオを眺め、ラムスとチェリオが顔を見合わせていた。


「『合成獣キメラ』?」


 焦点の合わない目で九郎がボンヤリチェリオを見やる。


「シオリお嬢様のお慈悲ってやつさ。少しでも人を食ってる気にならねえようにって、わざわざ人で無くして頂けてんだ」


 自虐とも取れそうな軽薄な笑みを浮かべて、チェリオがあっけらかんと答えてくる。


 Eランク――『エサ』といったラムスの言葉が聞き間違いで無ければ、目の前の動物達は食用に育てられていると言う事になる。

 確かにこの光景を見てしまえば、食事が喉を通らなくなるのは間違い無い。


 人が人を食べる。九郎自身が確実に『禁忌』、『地獄行き』と感じた罪の形。

 それを緩和させるために、シオリが何かをして彼等をこのような姿にした。

 チェリオの言葉は暗にそう告げていた。


 確かにショックは大きく、暫く肉は食えそうにないと思うが、ただそのことから目を背けることは九郎には出来ない。

 自分も相手に知らせないままに『人』を食わせた事があるから……。極限の飢えの中、自らを差し出した少女に、逆に自分を食わせている。

 だから目の前にある罪の形から目を背けることは出来ない。


 だからそれで九郎が呻いている訳では無かった。

 それよりも――九郎は目の前の光景に呻きながらも理由を捜す。


「なんで……なんで俺はこいつらを『人』だと認識できねえんだ……?」


 九郎の口から苦悶の声と共にその言葉が漏れ出ていた。

 人である筈の形をしているのに人に見えない者達。ブーブーと豚の真似をしている狂った奴隷。彼らが家畜として、しかも食用として育てられている悍ましさも感じているのに、彼らに人間性を見出せない。

 狂っているからと理由が付けられない。彼らは人である筈なのに人としての何かが完全に抜け落ちているかに感じられた。


「奪われたのよ……」

「お、おいっ! ラムス!」


 九郎の呻きにラムスが苦しげに呟く。

 その言葉を聞きとがめてチェリオが慌てて声を遮る。

 その言葉が今目の前にしている地獄絵図の理由に感じて、九郎はゆらりとラムスを見つめる。


「あなたは感じなかったの? シオリお嬢様の持つ外見とは隔絶されたカリスマ性。人間性。知性。人の頂点に立ちえる風格を?」


 憔悴しきった眼で睨む九郎に、ラムスは不思議そうに首を傾げた。自嘲の笑みすら浮かんでいそうなその顔には疲れ切った哀愁が漂っていた。

 ラムスを止めようとしたチェリオが口元を歪めて目元を覆う。そこまで言ってしまってと、ラムスを見放したかのような仕草だ。


「んなもん感じた事はねえ! それがどう関係してんだよっ!!」


 思わず九郎は荒っぽい口調で尋ね返す。

 シオリに風格など感じた事は無い。言われて見て初めて自分以外は彼女にそれを感じて跪いていたのかと思い出したくらいだ。カリスマ性も知性も何もかも、シオリからは感じていないと言った九郎に、今度はラムスの方が目を剥く。


「あなた……いったい何者なの?」

「それよりも、先に質問に答えてくれ! どうしてこいつらが『人』に見えねえのかを!」


 ラムスの問いを遮り九郎は喚くように腕を振るう。

 ブーブー豚の鳴き真似をする狂った奴隷達。びちゃびちゃと排泄しながら苔を食み続ける牛の様な乳房を持つ女。姿かたちにまだ人を思わせる何かが残っているのに、狂っていること自体憐れに思うのに、それ以上に自分の認識が狂っているかに感じられて気持ちが悪い。


「だから……奪われたのよ……。彼らはシオリお嬢様に……。知性を、力を……そして――」


 豚の真似をする奴隷達を悲しそうに見つめ、ラムスはホウと溜息を吐き出した。

 その溜め息に混じって、続く言葉が九郎の耳を通り過ぎた。


 ――――意志を、心を、尊厳を、人間性を、人としての全てを――――


「フォ……ル……テ……」


 その言葉はリオの放った嗚咽のような呟きの中で、九郎の中の何かを揺らした。

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