第194話  愚者の屋敷


 豪華な調度品の並ぶ煌びやかな一室に一人の女性が立っていた。

 その身には何も身につけておらず、ただ首に鈍色の枷だけが嵌まり、女の体を飾っていた。


「そう固くならなくてもいいわよお?」


 女の目の前には豪華な衣装を身にまとった金髪の少女が寝転んでいた。

 寝室なのであろう、天蓋付きの見事な設えのベッドに横たわり、胡乱気な視線で女を値踏みしている。


「お、お嬢様……私は何かお気に召さないことでも仕出かしたのでしょうか……?」


 不安げな表情で女が跪いた。

 体を震わせ、小さくなりながらも必死に自分の生にしがみつく動きだ。

 首に嵌った枷の存在から目を逸らそうと、涙目になりながらもベッドに横たわる少女に慈悲を乞う。


 目の前で横たわっている少女はこの場で一番身分の高い人間。それは女も知っている。

 貴族の、領主の屋敷に呼ばれた時には自分の美貌であれば当然とすら思っていた。

 奴隷の身となってしまってもう長いが、それでも自分の年は女の盛りを迎えたばかり。数多の顧客のリピートを受ける身としては、領主の御眼鏡に叶う日も遠くは無いと思っていた。


 バッグダルシアの領主は美形の奴隷を集めている。それはこの街に住む奴隷であれば誰もが知っている事実であった。美しいものしか傍に置きたがらないのは為政者としては良く有る話なのだと言う。


 その思いが叶ってやっと領主の屋敷に召集された時は内心喜んだものだ。

 領主に呼ばれた奴隷達は、その後戻って来る者達の数の方が少ない。領主に気に入られれば、街の奴隷では考えられないような良い服を着せてもらい、食べた事も無い食事を振る舞われ、仕事さえしていれば下手な町民よりも良い暮らしができるともっぱらの噂であった。


 だからこそ女は今この場所に呼ばれていることが不安で仕方が無かった。

 目の前に横たわる少女からは、およそ少女では持ちえないような威厳に満ちた雰囲気を感じる。

 貴族と言うものはこういうものだと聞かせれていても怖気付く――そんな捕食者に相対したような恐怖を覚え女はブルリと体を震わす。


「私は毎日しっかりと働いています! お気に召さない事を仕出かしていたのならどうか! どうかお慈悲をくださいませ!」


 女は跪いたまま少女を見上げた。少女の一言だけで自分の首は物理的に飛ぶ。奴隷となって長いがその現場を見た事はまだなかった。しかしその言いつけを守らなかった者の末路は、時折奴隷局の裏手に並べられていた。横たえられた首の無い死体。そしてその胸に抱かれたその者の首。

 あんな光景を見てしまったのなら、主に逆らおうとする奴隷などいやしない。

 必死にご機嫌を取り、不況を買わないよう振る舞って来たつもりだった。


 なのに何故――――? 女の縋るような視線を受け、ベッドの上の少女がクスリと笑う。


「なあにか勘違いしているんではなくて? アテクシはあなたを褒めようとココに呼んだのよお?」


 放たれた少女の言葉に女は「へ?」と間抜けな声を上げていた。

 不況を買わないように働いていたが、それでも女は美貌意外に誇れるものなど持ってはいなかった。愛想と容姿だけでこの世界を生き抜いてきたと言って良い。手先も不器用だったし、力も無い。女の奴隷に求められる物は大概が容姿や体であったからこそこの年まで生きて来られたのだと思っている。


 そんな顔だけの自分の何処を褒めようとしているのだろうと、女は訝しんだ表情を浮かべた。


 これで相手が男であったのなら、自分の身を預ければ良いだけだし、容貌や体を褒められる事も理解できる。

 しかし相手は自分よりも年下であろう歳若い少女だ。体と美貌意外に誇るものなど何も持っていない自分の何処を……女はその言葉を口にしようとしてそのまま飲み込む。

 天蓋の奥には少女以外に人がいた。


 どれもこれも容姿で選ばれ集められたこの屋敷の奴隷の中でも、飛びぬけて美しい男達だった。

 均整のとれた体つきと女の自分でさえ霞みそうな美貌。

 少女のハレムを形成しているであろう半裸の彫刻のような男性達に目が釘付けになっていた。

 自分の身が何も身につけていない事に羞恥心は覚えない。奴隷としての時間が長く、肌を晒す事に羞恥を覚える心などとうに失っている。


「わ、私もお慈悲を分けて頂けるので?」


 女は自分の置かれた状況から、一つの可能性を導き出していた。

 過去の自分の借主の男達も時折大勢の奴隷を侍らせ、色事に耽る事が時たまあった。

 男の虚栄心を満たすための行為であると認識していたが、少女もそれをしようとしているのだろうか。

 主人が女であるから、自分の身が求められる事など無いと思っていたが、少女は特殊な趣味でも持っているのだろうか。

 様々な可能性を頭に思い浮かべ、その奥に侍る男達に視線を移す。

 どれもこれもが望んで抱かれたいと思ってしまうほどの美貌の持ち主たち。主人のベッドに侍っているのだから、お気に入りの愛妾であろう男達に女の喉が微かに動く。


 狂乱に耽るにしても少女一人の身で、多くの男達の相手は難しい。だからこそ自分が裸で呼ばれたのだろうかと、女は期待を込めて言葉を口にした。


「そんなんじゃないわよお。アテクシあなたの綺麗な鼻が羨ましくって……近くで見たいと思ったのよう」

「は、鼻? ……ですか?」


 ねっとりと絡みつくような口調で、少女が言葉を放っていた。

 歳の割には落ち着いた……というより老成したしゃべり方だと女は心の中で思ったが、その事はおくびにも出さずに自分の鼻を指さす。


 確かに自分の鼻筋は綺麗に真直ぐ通っている。容貌を印象付ける大きなファクターの一つは眼と鼻だろう。

 その中でも高くスラリと伸びた自分の鼻は、女が誇れる美貌において重要な位置を占めていた。

 この鼻があと数hhルハイン低ければ自分はこの年まで生きて来れなかっただろう。そう思うほどには女にとっての誇りであった。


「そうよお? もっと近くで見せてちょうだあい?」

「は、はいっ!」


 薄い笑みを浮かべたまま少女は女に手招きした。

 弾かれるように女は返事をすると共に少女に侍る。天蓋の影の中で少女の白い顔が眩しく映る。

 これほどの美貌を持ちながら自分の鼻を羨むとは、なんとも贅沢な……と思いながらも女の中でも自尊心が満たされていた。

 少女の顔は美貌を誇る自分ですら、うらやむほどの美貌を持っていた。

 鼻の形一つとっても自分と遜色のない美しい形。なのに少女は自分の鼻が羨ましいと言ったのだ。


 美しい少女に自身の誇りを褒められ、女は心の中で鼻を高くする。


「やっぱりいい形よねえ?」

「そ、そんな! シオリお嬢様の方がずっとお綺麗な形ですわ」


 女の鼻を白く細い指でつつと撫で、少女は流し目を送って来た。

 女は謙遜しながら少女を誉めそやす。心の中では鼻だけならとの気持ちを持っていたが、それを主人に誇るような愚を犯すほど、女は愚かでは無かった。


「そんな事言ってえ? ほら見てよお? 私の鼻ってこんなに醜い」

「醜いだなんて! シオリお嬢様ほどお可愛らしいお鼻の持ち主……な……ど……」


 女は愚かでは無かった。目の前に晒されたそれ・・を見ても、悲鳴を上げる事はしなかったのだから。

 実際悲鳴をあげるほどの驚きが有った訳では無い。確かに少女の顔……鼻の形が先程まで認識していたものとは別物みたいに低い団子鼻に変わっていたとしても、化粧で彩る貴族の娘であればとの、可能性に行きつき悲鳴を上げたりはしなかった。


アテクシ、あなたのような鼻が本当に羨ましい……。欲しいわあ……その鼻……。欲しいわあ……あなたの誇るものが……」


 悲鳴を上げたりはしなかった。

 女の口からは、声にならない声だけが空気と一緒に漏れ出ていた。

 砂で出来た城のように、自分の中の何かが崩れ零れた気がした。


☠ ☠ ☠


「うわ~! すごいっ!」

「て、天才かっ!?」

「そんなところに気が付くとは!」


(なんだかなぁ……)


 屋敷で働き始めて早や3日目。

 称賛の言葉を浴びていると言うのに、九郎の表情は優れない。


「なんだか馬鹿にされてる気がしてくる……」


 隣のリオも同様の気持ちを抱いている様子だ。

 リオの弟、フォルテの居所を探りながら、様々な場所で研修と言う名のたらいまわしにあっていた九郎とリオだったが、行く先々で浴びせられる称賛の言葉は気持ちの良いものでは無かった。


「まあ、言われたことだけをするように命令されてるんだろうけど……」


 反抗の許されない奴隷と言う身分だからこそ、考える事を求められてこなかったのだろう。

 言われた事をそのまましていればそれでいい。そう言う風に躾けられているからこそ、彼らは考える事を放棄しているようにも思えた。


「でもリオもそう思うんか? これだけイケメン達に褒められたら少しは嬉しくなんねえの?」


 野菜を刻みながら隣のリオに九郎は尋ねる。

 野菜の大きさを揃える事すらせずに料理を作っていたようで、揃えて切ると言う事をしただけで称賛を浴びた。こんな単純な事で褒められても、確かにリオの言う通り馬鹿にされていると感じるのも分からなくはない。

 しかし感嘆の表情を浮かべているのは皆見目麗しい美少年、美青年だ。

 女のリオであれば少しくらいは気持ちよくなってくるのではと、考えてしまう。

 九郎はここにいるのが男ばかりだからこそげんなりしてしまうのであって、女性に囲まれて称賛を浴びれば気持ちよくなる自信がある。


「はっ! アタシにとって男ってのはどれもこれも一緒さ! 突っ込む事しか考えてねえ野郎の言葉なんか聞きたくもねえ」


 リオは顔を歪めて、純粋に手際を知ろうと近付いてきたイケメン奴隷達に包丁を向けて威嚇していた。

 九郎も気付いたリオの男嫌い。リオの男性恐怖症はかなり根が深そうだ。

 強気な性格から男と話す時には威勢が良いのだが、それは口先だけで、いつも顔は青ざめ油汗を流している。

 自分もその範疇に入っているのだろうかと、九郎は役立たずの息子を偲ぶ。

 確かに自分も健全な男なので、ヤリタイと言う思いは持っている。しかしそれが出来ないからこそ、リオに協力していると言う建前上の動機があるので、複雑な気分にはなる。


「男がそればっかじゃねえって言いてえところだが……。しかし……なかなか見つからねえな……」


 何の肉かも分からない肉を刻みながら九郎は話題を変える。

 九郎の言葉にリオも眉を寄せる。


 屋敷に来てから3日経ったと言うのに、いまだにリオの弟フォルテの居場所は掴めていない。

 何せ会う奴隷会う奴隷いちいち知恵が足りないのだ。今迄自分の頭で考える事をしてこなかったであろう奴隷達は、自分の生活――所謂仕事場周りの人員しか把握していない。他の場所にいる奴隷の事など気にも留めていないのだ。

 だからこそ新たな仕事場に赴いても、その仕事場にいる人間しか確認できず、フォルテを探す作業は遅々として進んでいなかった。


「いるはずなんだ……。姉弟だから分かる……フォルテはきっとここにまだいる……」


 リオが俯き震えながら、確信の無いあやふやな、憶測のみの言葉ポツリと溢す。

 姉弟の絆に縋っている部分もあるのだろうと九郎は何も言わない。

 今迄忘れていた弟の特徴を必死で周囲に尋ねるリオだったが、その焦りは自信の無さの表れなのか、自分に言い聞かせるように喚くリオからは、他人を気遣う余裕は無さそうだった。


(まあ……今のところ平和そうだから良いんだけどよ……)


 九朗は自分の手元を食い入るように見つめている美少年達を眺めながら溜め息を吐き出す。

 シオリと言う名の『来訪者』の登場により警戒していた九朗だったが、ここ数日相手に動きは見られなかった。

 夜に九朗達と同時期に呼ばれたイケメン奴隷達が一人づつシオリに呼ばれて居なくなるが、それ以外に身の危険を覚えた事はない。

 呼ばれた男達は戻って来た時にスッキリとした顔をしているのだから、きっとそういう事なのだろう。


 逆に女の奴隷達は平和そのもののようにも見えていた。女性の奴隷達も皆顔立ちの整った者達ばかりだったが、男の奴隷達は暫くの間女に手を出す事を禁じられていた。

 部屋も男女別々にされ、襲われる心配も無い。リオも安全な夜を迎えていられる様子だった。

 シオリがつまみ食いを終えるまでの間だろうが、今の所女の奴隷達は、無理やり襲われる事も無く平和な夜を過ごしていらるようだった。


「しっかし、飯も街より全然良いもん食えているみたいだし、別に理不尽な要求を言われる事もねえし、確かに奴隷にとっちゃ楽園なのかもな」


 思わず九郎の口から感じたままの感想が零れる。

 やっていることは単純な仕事だったし、屋敷の中では理不尽な事をされたりする事は無かった。

 管理している奴隷頭達も皆性格の良さそうなイケメン達で、リオが経験してきたような理不尽極まりない生活と比べれば、よっぽど人間らしい生活が出来ているように見える。

 仕事をしている限りは食いっぱぐれになることは無さそうだったし、九郎は住み込みのリゾートバイトにでも来たような感覚になっていた。


「んなわけねえ……。ならアタシは何でこんなに不安な気持ちになってんだよ!? きっとこの場所で恐ろしい事があったからこそ……」

「わ、悪い悪い……。まあ、一人以外全て奴隷って屋敷が楽園ってのも変だったな」


 リオが眉を吊り上げ、今度は九郎に包丁を向けて来た。

 九郎は慌てて言葉を訂正する。

 九郎が感じていたのは、この屋敷であればこの厳しい世界の中でも平和に暮らして行けるのでは、と言った率直な感想だったが、弟が囚われていると思っているリオからすれば、確かに不謹慎な物言いだったのかもしれない。

 ただ九郎がそう思うのも無理のない事でもあった。


 九郎はこの世界に来てからずっと感じてきていた。アクゼリートは危険過ぎる世界だと。

『不死』となった自分だからこそ身の危険を感じる事は無いが、何処の国でも人々にとって死はいつも隣り合わせ。日本人の感覚からすれば余りに不条理な命の安さに辟易していた。

 凶暴な動植物が蔓延る荒野が広がり、木々も疎らなレミウス。ジャングルのほとりに立つミラデルフィア。年中雪に覆われているアバウム。そして雨の一滴も振らないこのバッグダルシアと、人が生きていくには厳しすぎる世界ばかりだった。


 その中でここほど平穏な暮らしが出来ている場所は見た事が無い。


 何処の国であっても力の無い者達からバタバタ死んでいくのが常だった。

 九郎の目には何も考える事をしてこなかったここの奴隷達は、今迄生きて来られた方が奇跡に思えるほどひ弱そうに映っていた。戦う術など全く持たず、疑う事すらしようとはせず、ただ純粋にその日々を暮らす事だけを考え生きている。

 考えないのだから、未来を見る事も無く自分達の立場を悲観することもない。

 ある意味馬鹿だからこそ幸せとでも言えばいいのだろうか。

 街の奴隷として散々な目に遭って来たリオの事を考えると、言う事は憚られるが、フォルテもこの場所で生活出来ていた方が幸せだったのではないか……そんな気持ちすら持ってしまう。


(まあ日本人の女の人だもんな……。シオリは……。雄一みたいにやりたい放題で人殺ししまくる奴なんてそういねえ……)


 認識を改めると言うよりは初心に戻ったと言った方が良いだろうか。

 日本で暮らしていたのなら基本、命が尊いものだと言うことを叩きこまれて育って来た筈だ。

 世間に対して恨みでも無い限り、人殺しを忌避する感覚の方が正常だろうと思う。

 九郎が常に感じている人殺しに対しての忌避感は、自分でなくても持っているものだと信じたい。

『来訪者』としてこの世界に来ているのなら、シオリも何か強大な力を持っているのだろう。だからこそ、領主という地位にまで上り詰めているように思える。

 そんな力を持ったシオリが奴隷を集める事に、言いたい事もあったが、それでもこの屋敷で暮らしている人々は平和そうだった。

 身分は奴隷と言う身分であったし、逆らえば物理的に首が飛ぶ枷を付けられているが、それは彼女の恐怖心からだったのではないだろうか。知らない世界に放り込まれた現代人のシオリにとって、異世界は始め恐ろしい世界に映っていたとしても不思議では無い。この世界に住む人々が全員善人で無い事は九郎も良く知っている。

 そんな中で暮らすシオリに取れた安全の保障が『奴隷の首輪』だったのではないだろうか。

 長い間この世界で生きて来たであろうシオリは「絶対裏切らない保証」が欲しかった……。そうではないかと九郎は考え始めていた。


「ああ、クロウ! そっちはお嬢様の食事の分だ。同じお玉を使っちゃ駄目だ」


 考え事をしながら手を動かしていた九郎に、料理係の奴隷頭が声を上げた。

 いつの間にか奴隷用の食事の準備は終わり、シオリ用の食事の準備に入ろうとしていたようだ。


「え? でもこれ同じ味付けっすよね? 使ってる食材は違うみてえっすけど……」


 屋敷の中にいる奴隷で無い人間はシオリ一人。それ以外1000人もの奴隷が住んでいる。

 奴隷用の食事の用意の方が量も時間も必要になってくる。先に下ごしらえした肉と野菜を刻んだ鍋は、後は煮るだけの状態にしてある。

 今日の献立は奴隷用のはカレー風味のシチューのようなもので、シオリの食事の中にも同じような味付けのスープが一品入っていた。

 だから九郎は流れでシオリの食事の用意に取り掛かろうとしたのだが、それを見咎めた料理奴隷頭が慌てた様子で止めてきた。


「キミは奴隷になって日が浅かったんだよね? でもこれだけは守ってくれなきゃ、僕たち全員の首が落ちる事になっちゃうから気を付けて!! シオリお嬢様の食事と僕たちの食事は絶対に! 何も混ぜちゃいけないんだ! 奴隷と主人の食事が同じになってはいけないからね!」

「う、うっす!」


 かなり厳しめに叱られた九郎は反射的に返事をする。

 身分制度に慣れていない九郎にとっては普通の行動でも、身分の違いが天と地ほど離れている奴隷と貴族の間では絶対にしてはならない事があるらしい。

 料理奴隷頭の剣幕に、隣のリオがまた青褪めた顔で眉をひそめていた。


☠ ☠ ☠


「なんだか人が減ってねえか?」


 その事に気が付いたのは食事時だった。

 1000人もの奴隷がいるのだから直ぐには気付かなかったのだが、九郎と同時期に集められた奴隷の中でも、日本の友達の顔に似ていた奴隷がいた。

 懐かしい思いを勝手に覚えていた茶髪のイケメン奴隷が、食事時にも関わらず2日続けて姿を見ていない事をふと疑問に思って九郎は口を開く。


「女の方は誰も減ってねえけど……」


 椀の中のスープを口に運びながらリオが眉を寄せて答える。

 女の奴隷は20人にも満たない数だけに、把握する事は容易だろうが、男の奴隷の数は1000人を超える。いちいち顔を覚えていないと、リオはスープの具を咀嚼しながら言って来る。


「お前……それじゃあ馬鹿にしてたここの奴らと同じじゃねえか……」


 九郎が呆れながら言葉を返す。

 九郎も1000人の顔を覚えきれているとは言い難いが、これでも記憶力は良い方だ。

 特に人の顔を覚える事に関しては九郎にとっては得意分野だった。人の顔を見て話す習慣と、一言話せばマブダチと言いそうな軽い性格が手伝って、地球にいた頃の友達も1000人を超えていた。


「アタシは元から男の顔は良く見てねえ……」

「おまっ!? それじゃあフォルテ見ても分かんねえんじゃ……」

「フォルテは別だっ! アタシにとってフォルテは『幸せになる予定のアタシ』なんだっ! もう4年も経っちまってるけど……一目見れば絶対に分かるっ!」

「おっ、おおっ……。分かった、分かった……。食いながら叫ぶんじゃねえ……飯が飛び散るだろうが」


 勝手に親近感を覚えていた奴隷の一人の姿が見えない事に疑問を呈した形だったが、男性恐怖症のリオに男の顔を良く見ろというのが無理な話だったようだ。

 リオにしてみれば男は恐怖の対象で、普段であれば顔を見るのも嫌な存在なのだろう。

 九郎の顔もあの荘園での一件で、初めてまじまじと見てきたくらいである。


「それじゃあ確認しようがねえなぁ……。まあ一斉に飯食うって訳じゃねえし、別の部署だと時間帯も違うからな……」


 学校給食のように奴隷達が一斉に食事をとることはありえない。

 部署ごとでも食事の時間は違っているし、そのなかでも空いた時間に手早く掻き込むのが奴隷の食事だ。

 2日見ないだけで何かあったのかと警戒するのは時期尚早だろうかと考え直す。


「そう言えば女性部屋ってどんな感じ? 男の方は数が多いからぎっちぎちでむさ苦しくってよぉ……」


 話題に女性の事が出たのでと九郎はリオに尋ねてみる。

 男の奴隷は数多くいるので、何処の部屋もスシ詰め状態だったが、リオ達女の奴隷の数は少ない。

 快適に暮らしているのだろうかと、少しの嫉妬も混じっている。


「他の奴らがヤリたがって五月蠅い」


 しかし返って来たのはあられもない女性の生態だった。


「嘘!? マジでっ!?」


 今迄奴隷の女たちは男の奴隷に襲われる事を嫌がっているものだとばかり思っていた。

 確かに今いる奴隷達はイケメン揃いだが、顔が良ければ抱かれたいと思う女性ばかりでは無い筈だ。

 自分の中の常識や、女に対しての幻想が崩れそうな気分になりながら九郎が目を見開く。


「孕んでいる間は寝ているだけで飯が食えるからな……。産んだ後も1年は楽して過ごせるってんで、孕みたがる女が多い……。アタシの母さんもそれが目当てだったみたいだし……」


 今度はリオが顔を顰めて飛び散った物を手で払いながら、奴隷の女の心理を説明して来た。

 そこには母親の愛情と言うものは無く、奴隷の女たちは自分達が楽をする為に子供を孕みたがるのだと言うあまりにも酷い理由があった。

 

「奴隷局の牢屋でも争っている様な声が聞えなかったけど……なんとも世知辛え……」


 自分の身の為だけに子供を欲しがる女性の奴隷達の心理を知ってしまい九郎は眉を下げる。

 しかし向こうが求めているのであれば、九郎は「そう思ってもらう」だけで良いので、顔だけでも覚えてもらった方がいいかと考えていると、丁度目端に女性のシルエットが過った。


「噂をすりゃあ影って……リオの弟の影は見えねえケド……ん?」


 噂をするだけで現れてくれるのなら、ここまで苦労はしていないのだがとぼやきながら女性の奴隷に視線を向けた九郎は微かな違和感に首を傾げる。

 食事の配膳に並んでいる女性の奴隷の横顔は、一度見ただけなので確信は無かったのだが、何かが違っているように思えた。

 女好きを公言する九郎は女性の顔を忘れない。ただ一度、一瞬見ただけで全てを覚えられる訳でも無い。まじまじと見つめた訳でも無いその女性の顔つきに微かな違和感を感じたのだが、それを言葉にすることは出来なかった。


(あの子の鼻……あんなだっけ?)


 ただ記憶の中の女性の顔との小さな違いに首を傾げる程度だ。

 記憶の中ではスラリとした鼻筋の通った美女だった筈だが、配膳を受け取る女性の鼻は魅力が失われているように思えた。


(まあ、面と向かって顔を合わせた訳じゃねえし……)


 一度固まったイメージが次の時に違っていた事による違和感。しかし自分が見たイメージが確かなものだったとも言いにくい。


「な、なんだよ……。お前……あっちに乗り換えようって腹積もりか? アタシを見捨てて……アイツに……」

「ばっ!? 馬鹿言ってんじゃねえよ? 嫉妬か!? デレ期!? …………んな訳ねえよな……」


 自分の記憶の中の女性との違いに首を傾げていた九郎を見て、リオが顔を歪めていた。若干涙目になっている。一瞬期待した九郎だったが、早々期待は崩れ去る。

 リオの顔は捨てられる間際の犬のような悲壮に満ちた顔であって、決して別れを切り出された恋人の顔では無い。その中に恋愛感情に関するものは一欠けらも含まれてはいない。

 ただリオは九郎しか縋る者がおらず、自分一人ではどうする事も出来ない事実を知っているからこそ、九郎を手放す事が出来ないでいるだけ。言うなれば九郎を利用しようとしているに過ぎない。


 しかしその本心など透けて見えていても、九郎はリオを見捨てる気など微塵も無かった。

 九郎の中でリオの笑顔を見ると決めている今、他に手ごろな女性がいたからと言って、リオを放り出しすことなど考えもしていない。


「ただ、もうちょっと態度を軟化させてくれても良い気がすんぜ……」

「だ、だからっ! 抱きたいなら抱きゃあいいだろうがっ! 男は勝手に入れて勝手に出すだけだろっ!」

「そんなんじゃねえ……から……」


 いつまで経ってもリオの態度はそっけないし、九郎に対して当たりも強い。しかしそれが彼女の男に対する態度なのだと、最近分かり始めて来た。

 精一杯虚勢をはるのは、彼女の怯えの裏返し。ともすれば泣き出しそうになるのを堪え、小さな精神的勝利を得るための布石。「どのみち最後は負けて終わる」と言う諦めの感情が、歪んだ形で表れているだけだ。


(恋愛とかって……経験ある訳ねえし……その前に酷い目に遭って来たんだから当然だろうな……)


 酷い男ばかりを相手にしてきたリオにとって、男とはそう言う生き物だと確定してしまっている。だからこそ自分が男の良い部分を、言葉では無く態度で示さなければと、九郎の中には奇妙な使命感が芽生えていた。


☠ ☠ ☠


「あと回っていない部署って言えば寝室係と畜産係と……今日は奴隷管理係?」

「奴隷管理……ここならフォルテの居場所が分かるかも知れない……」


 5日が過ぎた頃には九郎とリオは粗方の部署を経験したことになっていた。

 何処に行っても称賛されるだけされた後、別の部署に回されてしまう。九郎達は作業の効率を良くするためのアドバイザー的な立ち位置になってきていた。


「しっかしポッと出の新人に管理係って大丈夫なんかね?」


 九郎は独り苦笑を浮かべながら横のリオを覗き見る。

 リオの顔はいつものように焦りと不安が滲み出ている。多くの部署を廻った九郎達だったが、フォルテの居場所は掴めていなかった。

 もう殆んどの奴隷と顔を合わせた事になる筈だが、まだフォルテは見つかっていない。


(可能性があるのは寝室係……? フォルテを拐かしてっかも知れねえから……リオの不安を煽っちまう)


 これだけ探しても見当たらないと言うことは、フォルテはシオリのお気に入りの男娼として抱え込まれている可能性が高い。それ以上に、決して口に出せない予想も九郎の中に湧き出ていた。


(もう……いない・・・可能性も……)


 リオが決してその可能性を口にしようとはしないのだから、九郎も気遣って言うことは無いが、フォルテがこの屋敷にいない可能性・・・・・・。死んでしまった可能性もかなり高まって来ていた。

 屋敷の奴隷達の生活を見る限り、身の危険を感じるものは無い様に思えたが、それでも何かを仕出かして首を飛ばされてしまった可能性や、病気で死んでしまった可能性は拭いきれない。

 何せリオの記憶は4年も前のもの。その間にフォルテにどんな厄災が降りかかっているのかも分からない。

 残酷な世界だと言うことは九郎よりもリオの方が良く分かっている事だろう。

 だからこそ九郎がその言葉を口にしなくても、リオは薄々感じているのかも知れない。

 しかしそれを信じたくない気持ちは痛いほど伝わってくる。


「奴隷管理係ってことは名簿とかあったりするかも知んねえし、ここが踏ん張り所だよな」

「あ、ああ……」


 九郎はあえて元気よく力こぶをリオに見せる。

 もう殆んど可能性が無いにしても、九郎も諦める気にはなれなかった。最終手段としてはシオリに直に聞き出す方法も取ろうと思っている。

 目の前の少女を笑顔にすると約束した。ならば自分も出来る事は何でもするつもりだった。


「うっす! 今日は宜しくお願いしまっす!」


 その為にもフォルテの無事は自分も祈らなくては――そう思いながら九郎は扉を開く。

 屋敷の中でも特に上の立場の奴隷が集まると言われている奴隷管理室。管理係の奴隷以外は奴隷頭しか入ってはいけない場所と聞かされていた場所へと足を踏み入れる。


「ん? 見ない顔だが……ああ、新しく入った奴隷にいたな」


 扉を開いて直ぐに九郎達を値踏みするような視線が飛んで来ていた。

 奥に座っていた銀髪の男性からの言葉のようだ。

 この屋敷の奴隷と出会って初めて初見で馬鹿っぽいとは思わせない口ぶり。

 一度何処かで見られていたのか、自己紹介するまでも無く、九郎の素性に気付いた素振りに、九郎も少し驚いていた。


 この屋敷のの奴隷であるから皆イケメン揃いなのだが、その中でも一際整った顔立ちの青年。

 さらさらした銀髪をきっちり分け、所謂優等生イケメンと言ったところか。この世界で九郎は初めて眼鏡を付けた人間に出会った。

 管理室の制服なのか奴隷の首輪をしてはいるが、いままで見て来たどの奴隷達よりも豪華な執事服を着ており、眼鏡を上げる仕草をする青年からは知性がはっきり感じられた。


「あー。ローテルとかステルとかが言ってた賢い奴隷ってふれこみの? 馬鹿達が褒めてたからってどれ程のレベルだか分かんねーっての」 


 九郎が返事を返す前に今度は横から声が響く。

 驚いて横を見ると、オレンジ色の髪を短く刈り込んだ、元気そうな少年が薄ら笑いを浮かべていた。

 浅黒い日焼けした肌とバランスのとれた筋肉。およそ管理者側とは見えないような、軽薄そうな顔つき。

 しかし彼も先の青年と同じような執事服に身を纏っていることからして、この部屋の住人なのだろう。


「しかし管理部の人員は減る一方だ。暫くしか使えないかもしれないが、仕事は減ってはくれないからな」


 その少年の言葉に異を唱えるようにして、背中を向けていた男が振り向く

 先の二人が20代には見えないような歳若さだったのに比べ、こちらは九郎よりも少し年上に見える。

 焦げ茶色の髪を後ろに撫でつけた逞しい男性。映画俳優のようなオーラを纏った成人男性のイケメンだ。


「うっす! クロウっす! しゃーっす!」


 格好からして管理者的な立場にいる事を伺える者達が控えていた。黒の執事服に身を包んだイケメン達はそれだけで自分よりも賢そうに見えてしまう。今迄のように基本的な事をすれば褒められるような生ぬるい職場とは違う様子に、九郎も内心緊張して来る。


「隣は女?」

「えっ!? あ、ああ……リオだ……」


 オレンジ髪の少年があからさまな警戒心を浮かべながらリオに視線を向けた。

 リオも同じように警戒心を剥き出しにしたまま返事を返す。


「ベーテ。今は女の奴隷もいるんだから、管理する方も女の方がやり易いだろう。シオリお嬢様に要らぬ嫉妬心を持たないようにするためにも、女の管理者も必要なんだ。どの道期間も長くは無い」

「ああ。そういうことねアルフォス。りょーかい、りょーかい」


 一瞬険悪な雰囲気が室内に流れたが、それを銀髪の青年がピシャリと封じる。

 銀髪眼鏡の青年。アルフォスと言う名のようだが、彼がこの奴隷管理室の奴隷頭なのだろうか。

 オレンジ髪の少年はベーテと言う名のようだ。

 九郎が二人の顔と名前を一致させつつ、もう一人の男に視線を向けると、同時にアルフォスも焦げ茶色の髪の男に声を掛けた。


「チェリオ。ここのクロウとリオはキミが躾けてくれ」

「まあ、増員頼んだのは俺だからなぁ。仕方ねえか! おう、俺の名はチェリオ。奴隷管理室の仕事は他とは違って馬鹿じゃ勤まらねえからな? しっかし覚えろよ?」


 映画俳優のような雰囲気のあるウィンクをしながら、焦げ茶色の髪の男が片手を差し出して来た。


「ク、クロウっす……。宜しく……」


 その手を握り返しながら、九郎はもう一度挨拶をする。

 今迄出会ってきたこの屋敷の奴隷達は、良くも悪くも朴訥とした雰囲気の持ち主ばかりだったが、ここにきて一癖も二癖もありそうな奴隷達の登場。九郎の中の緊張はまた元に戻って張りつめ始めていた。

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