第189話 転移装置(仮)
「今日はご領主様の所で荘園作業だ! 粗相するんじゃないぞ!」
奴隷の朝は早い。
しかし早すぎでは無かろうかと九郎は瞼を擦る。同時に自分の計画は躓き過ぎだとも思ってしまう。
(リオだけでもアルトに任せたかったんだが……)
過酷な環境の奴隷の身分。身の危険も貞操の危険も大きい奴隷局の扱いを知り、九郎はアルトリアにリオを朝一番から借りる手続きをするよう頼んでいた。リオさえ無事に連れ出せれば、自分の身などどうとでもなる。稼いだ金がいくらか目減りするがいつ襲われるかもしれないこんな状況下に女性を置いておく訳にはいかない。
しかし奴隷局が開く前。と言うより朝日も昇らない夜中から働かされるとは、九郎も思いもよらなかった。
自由も何も無い奴隷は、寝る時間すら無いのだろうか。睡眠すら満足に取れないのであれば命など容易く燃え尽きてしまうのではと思えて、改めて人の命の安い世界に溜息が零れる。
「領主様が借り手は初めてだな……」
「当たり前だ。領主様は奴隷局の大元だろ? 借りるんじゃ無くて引き取ってくれんじゃねえの?」
「そう言えば前に領主様の所に行ったやつは戻って来てねえな」
「場末でこき使われるよりはましな暮らしが出来るんじゃね?」
「気に入られたらの話だろ」
「おいっ、ぼやいてっとEランクに落とされちまうぞ?」
奴隷の待遇改善など期待できるものでは無いが、これほど夜中に働かせることはやはり何か事情があるように思えた。奴隷たちの愚痴交じりの話し声に九郎は耳を欹てる。
周りの奴隷たちの話しを聞く限り、偶にこう言った事が起こるようだったがそれほど頻繁に起こることでは無いらしい。
それにしてもと九郎は眉を顰める。
奴隷局は大元を辿れば領主の管轄に行きつくとの言葉は考えさせられる。領主が人買いの元締めとは、『奪う街奪われる街』の最たるものだが笑えもしない冗談だ。
「リオ? 荘園作業って何すんだ? ってか俺内容何も聞かされちゃいねえんだが……」
ともあれ今日一日は奴隷として過ごすしかないと諦め、リオに尋ねようとした九郎は言葉に詰まる。
眠たげにしているかと思っていたリオの顔は暗闇の中で分かるほど蒼白だった。
いつも何かに怯えているリオだったが、今の怯えようは普通じゃない。唇を噛みしめ奥歯を鳴らす事を隠そうとしているのか、口の端に血が滲んでいる。
日の登っていない砂漠は気温が低いと言うのにも拘らず、額に脂汗をかいて自分の肩を抱くリオの姿は異常とすら思えるものだった。
「おいっ! 大丈夫か? 熱でもあんのかっ!??」
九郎が慌てて体を支えようと腕を伸ばす。
しかしリオは九郎の腕を払いのけ、表情に似合わないセリフを吐いた。
「やっと……やっと巡って来た……」
リオの待ち望んでいた時を噛みしめるような口ぶりと、青褪めて怯えた目つきは酷くちぐはぐで――――。
九郎は何か良からぬ事が起こる気がした。悪い予感だけは、確実に当たって来た自分の身が恨めしいと感じていた。
☠ ☠ ☠
「はあ…………すっげ…………」
朝早くから移動させられていた九郎は、朝日が昇ると同時に感嘆の声を漏らしていた。
何も無い砂漠の街――そう思っていたバックダルシアだったが、水も何も無い砂漠に街が出来る筈が無い事に今更ながらに気付かされた。
朝日の強烈な光に照らされた眼前には、自分が砂漠にいたことすら忘れてしまいそうな別世界の光景が広がっていた。
青々と茂る草木。透明な水が広がる大きな湖。その湖畔に立つ明らかに洋館と思しき大きな建物。
部分的に切り取ってみればそこは楽園としか言えそうに無い緑豊かな土地だった。
この街に来てからそう時間が経っていない九郎だから、知ることは無かったのかと言うと、そうでも無さそうだ。
緑の広がる地は、高い城壁とも言えそうな壁に遮られていた。四角く区切られた壁は湖をすっぽり覆い、砂漠の中に緑の箱庭を作っていた。
壁を越えない限りこのような光景を見る事は叶わなかっただろう。この先が領主の地だと言う場所から線で引かれたように壁が聳え立ち、その内側と外側とでは完全に世界が別れていた。
唯一別れていないのは水だけだが、湖から引かれた水路のような物は緑の絨毯に格子模様に張り巡らされており、壁を
農業廃水は茶色の川を作り街の中を掠めるようにして流れ、最後に泥のような水たまりを作っていた。
そう言えばと九郎は一人思い出す。砂漠の街であるバッグダルシアだったが、水に困窮している風では無かった。
遠目に朝の水汲みをしているであろう街の人、奴隷らしき人影が茶色の川縁に集っている。
水の味は悪かったのだが、「まさかこんな廃水が街の人々の飲み水として使われていたとは」と九郎は顔を歪める。ただ自分の仲間たちは廃水だろうが毒水だろうが関係無い事に気付き、力が抜ける気もしてくる。
とは言えこの先はただの人であるリオもいる事だ。水は自前で何とかしたほうが良さそうだと考え直し、川一本分自分の体に溜まっている事を思い出す。
しかし――――、
(つーかお貴族様ェ……。もうちょっと領民のことも考えやがれよ……)
持てる者が贅沢をすることはこの世界では常識だということくらい、九郎も身に染みている。何処の国であっても貴族と庶民の格差は大きなものだった。しかしこれほど目に見える形で生活環境が違い過ぎると、一言いいたくなってくる。
良い場所には偉い人が住むのだろうが、格差もここに極まれりといった感じだった。
「貴様らはこれからこの場所で果実を集めろ! 黙って食ったりしたら鞭打ちの刑だから覚悟しておけよ!」
庶民どころか殆んど最底辺の生活の方が長かった九郎が、世の無常を噛みしめ歩いていると、連れて来られた先で男が怒鳴っていた。
その首にも枷が嵌められている事から男も奴隷であることが伺える。
ただ立場が上の奴隷なのか、鞭を片手に威張り散らしている。
「貴様らはこっちだ!」
何処の世界でも上下関係が付きまとうのだなと変な納得の仕方をしていた九郎にも声が掛かる。
自分達は一纏めで作業させられるのか、適当に一部分ずつを切り取るかのように集められた奴隷たちが各所に散らばって行く。
「貴様らはこの果実を集めろ! 午前中にあの場所まで摘み取らなければ飯は抜きだと思え!」
果ても見えないような遠くを指さし奴隷頭おぼしき男が怒鳴っていた。
目の前には葡萄の木が所狭しと植わっている。たわわに実った果実は瑞々しく、九郎の喉がゴクリと動く。
「止まるな! 早く動かんかっ!」
一瞬立ち止まっただけなのに奴隷頭が鞭を鳴らした。
切羽詰まっているのは向こうもなのだろうか。額には脂汗のような物が滲んでいた。
☠ ☠ ☠
作業自体は何の滞りも無く進んでいた。
朝早くから起こされた事を除けば単なる農作業の一環と変わらない。サボらなければ鞭が飛ぶことも無く、実家が農家だった九郎にしてみれば拍子抜けもいいところだ。
とは言え『不死者』である九郎の体力が底無しだということも関係しているのだろう。
元から酷使され続けていた奴隷たちは、サボっているようには見えなかったが動きも緩慢で精彩に欠けていた。
一人ずつに区間を割り当てられていたが、誰もがノルマに辿り着くのは午後を回りそうな感じがする。
「リオ、俺が高い場所のを取ってくから低い所だけ取ってきゃいい」
背の高い九郎であれば造作も無いが、女性の身長ではキツイ場合もある。
背伸びして懸命に手を伸ばしていたリオに九郎は声を掛けた。
「あ、ああ……任せた……」
九郎の声に一瞬体を竦ませたリオは短く答えて低い場所の葡萄を摘み取り始める。
ぶっきら棒にも見えるが、心ここに在らずとも見える。
「なあ……」
リオの様子を慮り、高所の葡萄を摘み取りながら九郎は呟く。
「んだよ……」
煩わしそうに視線も向けずにリオが答える。
手だけ動かし横目にリオの様子を探ると、眉を吊り上げ奥歯を噛みしめた表情が映る。
「なんか今朝呟いてたけど、お前この場所に来たかったんか?」
やっと巡って来た――確かにリオはそう言っていた。その言葉と表情は合ってはいなかったが、言葉だけで鑑みるとリオはこの場所に来ることを待ち望んでいたように聞こえる。
だがあの時のリオの顔は今迄見た事も無いような恐怖に彩られていた。それこそ『不死者』の饗宴とも言えそうな自分達の惨劇、『死』を冒涜するかのような光景を目の当たりにした時よりもだ。
自らの死を感じた時よりも恐ろしいもの。人間の本能を越える恐怖が何なのか。その事の方が気になったが、いきなり尋ねても答えが返ってくる気はしない。
「はっ」
しかし、一拍挟んで本題に入ろうと思っていた九郎の企みは空振りに終わった。
リオは短く言葉を吐き捨てると九郎の言葉から逃げるように背を向ける。
「ただ……廻って来ただけさ…………の払いが……な……」
その言葉は九郎の問いに対してのものでは無かった。
事実リオは背中を向けて九郎に顔を向けようとはしていない。聞こえた言葉も要領を得ない途切れがちの言葉だけ。
ただ、自分の中に語りかけるように小さく呟いたリオの言葉は、九郎の耳に静かに響いていた。
☠ ☠ ☠
「あ、アルト? ああ、なんか2週間くらい拘束されちまいそうなんだわ。取りあえず別の手立てを考えてみるけど、カクさんには引き続き金を稼いでくれるように言っててくれ。ん? アルトも稼ぐ? いやあんまり無茶されて大惨事に……ああ、分かった。怒んな。期待しておく。はあ? ご褒美? お、おう……気絶しねえ奴なら……」
結局午前中に作業が終わったのは九郎とリオを含めて奴隷の一部だけであった。
食堂とも言えない掘立小屋で、何の肉だか分からないものが浮いた薄味のスープを受け取り九郎は、状況を報告していた。
奴隷頭とおぼしき男の話によると、荘園作業は全部が終わるまで続くのだと言う。その間は領主の敷地内の小屋で寝泊まりさせられ、壁の外へと出る事は出来ないそうだ。
九郎はともかくリオも今は領主側の人間が主人として登録されている身だ。壁の外へと逃げ出し、命の危険に晒してしまうことはあってはならない。それにリオも逃げ出す気は無さそうに思えた。
「ぶつぶつ腹に向かって何がしてえんだ? ホントに気がふれちまったのか?」
リオが怪訝そうに眉を顰めていた。
九郎を恐れる気持ちはまだ有りそうだったが、リオは態度と裏腹に九郎と共に行動する事には意義を唱えなかった。
同じ奴隷の身分となり、九郎の言葉を聞く必要は無かったが、それでも自分の身を守るためにと言った感情が見え隠れしている。
(一週間の俺の努力が実を結び始めたんならいいんだが……)
ジト目で見つめられる中九郎は心の中で一人言ちる。
この一週間リオと共に過ごしてきて分かった事は、リオの歪な性格だ。ぶっきら棒で蓮っ葉な性格が元なのだろうが、それが奴隷の身分によって何度も砕かれ、歪な形で凝り固まっているように見えていた。
言うなれば虚勢をはるチワワ。吠えながら怖気付き、直ぐに折れてしまう心の弱さはそれだけ彼女が辿って来た道が過酷だったことを示している。
そのささくれ立った心を解きほぐそうと九郎も努力はしていたつもりだ。
床で寝る事を普通に感じていたリオにベッドを使うようにも言っていた。
どのみちアルトリアはほっといても自分のベッドに潜り込んで来る。何も出来ないししないのだからと九郎もそのことは半ば諦めている。ならば何故3人部屋を取ったのかと言えばリオの為だ。
――1人でベッドに寝る事なんか初めてだ……――
初日に呟いたリオの声は少し感激しているようでもあった筈だが……。
「んな分けねえだろ。俺は発狂するこたぁねえよ……。言っとくが俺が辿って来た道も生半可なもんじゃねえからな? っと、わりいわりい。アルト、できた? 血に触るんじゃねえぞ? 一緒に取りこんじまったら会うまで再生出来ねえからな?」
どうにもリオの態度は九郎に対しては芳しくない。荒っぽい態度はそれだけ打ち解けてきた証なのかと思っていたが、彼女の性格を考えると虚勢を張っているだけのようにも思えてくる。
不幸自慢をする気は全くないし、自分が不幸だとも感じていないが、九郎も客観的に見ると辿って来た道は大概だろう。発狂するのならとうの昔に発狂している気がしてならない。
もう既に慣れたが自分の体を虫に食われたり、炎に焼かれ焼け爛れ炭化したり、毒しか食べる者が無かったり、30日以上寝ずに歩きつづけたり……考えてみると碌な目にあってきていない。
自分の『ヘンシツシャ』の『
「化物が狂ってねえって言っても真実味に欠けるぜ……」
「おまっ!? アルトは神様で俺は化物!??」
ただ、発狂しなくても心は傷付く。侮蔑を含んだリオの言葉に九郎は眉を寄せる。
一週間の間にリオはアルトリアだけには態度を軟化させていた。
(やっぱ餌付けが一番効果的なんか? そういやベルの態度が変わったのも『クロウ汁』からだったもんなぁ……)
懐かしい思い出を思い出し、九郎が苦笑を浮かべる。
この世界はどこも過酷で生き辛い。そんな中で人々の一番の楽しみはやはり食べる事なのだろうか。
自分も
しかしそれは九郎が一人であった場合だ。
『不死者』の仲間を得た九郎は今回はいろいろ出来る。一人では生き延びる事しかできない自分であっても、仲間がいれば自分は有能になれる気がする。肉体を提供するばかりが自分の存在価値では無いと、九郎は口の端を吊り上げた。
「便利家電を飛び越え、今の俺は未来家電だぜ?」
「はぁ?」
怪訝そうな顔をさらに歪めたリオの目の前に九郎は拳を突き出した。
一瞬また身を竦めたリオに弱り顔を浮かべながら、もう一度ドヤ顔を作って掌を開く。
「おま……お前も……?」
リオの顔が今日初めて少し輝いていた。
開いた九郎の掌には、白いゴメ粒が溢れ出ていた。
「俺の体で出来た訳じゃねえが、俺の体を使って取り寄せたんだ! AM〇ZONも真っ青な宅配能力だろ?」
片目を瞑って見せた九郎の力にリオが目を見開いて驚いていた。九郎も内心驚いている。
携帯機器としてだけでも十分役立っている九郎の盲腸だが、アルトリアが命を吸い取る末端でもある為、ちゃんと生きている。だから傷付ければ血も出る。
そこで九郎は試しに、アルトリアが持つ盲腸を傷付け血をゴメに振りかけて貰っていた。
血に浸されたゴメを九郎が『
するとゴメは九郎の体の何処かの『水筒』に溜まることになる。
それを今度は自分の掌から生み出せば――魔法も何も使えなくても、自分の能力の応用でここまでの事が出来るのかと、やってみた九郎も驚きの結果になっていた。
血で満たされるものしか削り取れないので大きなものは無理だが、ゴメくらいの大きさなら訳は無い。
便利家電の道もここまで来たのかと感慨も
部分的に『修復』の力を使う事も考えてみればずっと以前に出来ていた。
雄一と戦った時には部分的に『再生』させなかったこともあるし、片手だけを離れた場所で『再生』させることも出来ていた。考えれば考えるだけ『
「じゃあ結局コレ作ってんのアルト姉じゃんか……」
「うぐ……。てかいつの間にアルトとだけ何か仲良さげ!?」
姉と慕うまでに二人の仲が進展していた事に驚きを隠せない。
多分主人の命令で呼ばせているだけだと思うが、それでも悔しい。
アルトリアはアルトリアで、リオにずっと餌付けをしていたことを九郎が知るのは、この少し後のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます