第188話  躓いた先


 自分に順風満帆という言葉は縁が無い。

 九郎がこの言葉を噛みしめたのはバッグダルシアの街に来て1週間目の事だった。

 何処でも寝られる。不死の体になってから寝違える事も無くなったし、体が硬く成ることも無い。


 ジョボジョボジョボジョボ……


「異世界……せちがれぇ……」


 ただ心が硬くなるのはいかんともしがたい。九郎は鉄格子のはまった窓を見上げてぼやく。

 部屋の隅には何処でも見かける素焼きの壺。その用途も十分に存じている。

 何せ九郎はこのような場所に入ることは経験済みだ。暗くじめっとした土作りの壁。プライバシーのへったくれも無い通路と部屋とを隔てる鉄の格子。


 牢屋と言うものは何処に行っても同じ造り……別に知りたくも無かった。


☠ ☠ ☠


 リオを買い取る為に金を稼ぎ始めて一週間。

 九郎達は『殴られ屋』で金を稼ぎ、カクランティウスは街の外で魔物を狩って素材を集める。

 全てが順調に運んでいると思っていた。事実『殴られ屋』の方も噂が噂を呼び、日に200人もの参加者が集まることも珍しい事では無かった。街の特徴なのか、時折毒針を仕込んで参加して来る者もいたりもしたが、毒の攻撃など九郎にとっては関係無い。突き刺さった毒針も九郎の体に削り取られ、証拠を自ら隠滅してしまうありさまだ。見た目は和やかな殴り合い。その実暗殺めいた攻撃を受けていたが、『不死者』にとってはどちらも一緒。

 一月を待たずしてリオを買い取る金が出来るかに思えていた。

 まさに順風満帆だと感じていたのだが……。


「んだよ? お前もションベンか? 男は良いよな、管があんだからよ」


 先程から素焼きの壺に跨り用を足していたリオが胡乱気な視線を向けていた。

 もとから荒っぽい口調が素の様子だったリオだが、今は九郎に対しても敬意も遠慮の欠片も無い。

 不死者への恐怖はまだあるのか近付いては来ないが、九郎を同列と見なす視線は嘲りさえも含まれている。


 羞恥の心などとうに無くしてしまったのか、男と同室だというのにリオは恥らう事無く用をたしていた。

 そこに目を向けるのは憚れたから視線を逸らせていたと言うのに、とんだ言い種だ。


 しかしそれに抗議する気力も無く、九郎は鉄格子越しに夜空を見上げる。


「どうしてこうなった……ってかあんのかよ……異世界に……」


 首元を撫でると硬く冷たい鉄の感触。

 リオが同列と見なすのも仕方が無い。九郎は今首輪を嵌められ、薄汚れた牢屋のような部屋で渋面しているのだから。


道路交通法どうこうほう……」


 呟きの言葉は自分自身の迂闊さの表れでもある。

 役所ぜんとした奴隷局を見た時に気付いておくべきだった。この街には確実に『来訪者』の影が見えていた。日本の法律だってある可能性もあった。


 路上パフォーマンスで金稼ぎを企んでいたのだから、九郎も怖いお兄さんがショバ代をせっついて来ることくらいは想像していた。それなら自分を倒して全て持って行けばいいと、暴力に対しての備えはしていたつもりだ。

 しかし街の役人が出張ってくることまでは想像していなかった。

 以前アルバトーゼで商売を始めた時は、そもそも街の権力者が傍に居た事をすっかり忘れていた。


 このバッグダルシアの街では路上で商売をするにも許可が必要だった。

 異世界、しかも文明のあまり進んでいない世界で、道交法があるとは思ってもおらず、勝手に商売を初めてしまって言い逃れができる状態では無かった。

 それに加えて九郎はこの街に税金を納めずに入って来ていた、所謂密入国者でもあるのが不味かった。


「奪う事、奪われる事が通常の街」とは聞いていたが、まさか為政者、役人までもがその例に漏れないとは思ってもいなかったとの思いは、逆恨みになるのだろうか。

 未納だった通行税と許可申請の金額を払えば大丈夫だと思っていた九郎の甘い考えは、即座に打ち砕かれた。罰金の高額さに信じられない思いだった。

 あれよあれよと言う間に九郎に科せられた罰金は山のように膨れ上がり、もちろんその罰金を支払えるほどの金額を持っていない九郎は、崖から転げ落ちるようにその道を下ってくことになる。奴隷落ちという道を……。


 当然奴隷が奴隷を持つ事など許されていない。こんなことならアルトリアをリオの主人として登録しておけば良かったと悔やんでも後の祭りだ。

 罰金を払えない九郎の所持品、リオは再び奴隷局に残りの金額分を差し引かれた状態で戻され、それでも足りない分は九郎が奴隷として働く事で補てんすることになった。いつの間にか奴隷にとされてしまった九郎は、何がなんやらと言った状態だ。


 とは言え、首輪を外す事は九郎にとっては造作も無い。無理やり外して逃げ出す事も、何の問題も無い。首が落ちれば取れるのであれば、首輪を傷付けるだけで首が落とせる。死体が必要であるなら、それこそ細胞移動で死体を残して行けば脱出することはいとも容易く出来てしまう。

 なのに九郎がこの場所――奴隷局の牢屋にリオと共に入っているのかと言えば――。


「おう、ビアスタ―に買われて使いモンにならなくなっちまったのか、俺が確かめてやろうか?」

「テメエ具合だけは良かったもんなぁ? 泣き叫んでもいいぜぇ? そっちの方が興奮するからよ」

「ふざけんなっ! 手前らに好き勝手やらせねえ! く、来んじゃねえっ!」


 同じ境遇だというのにそこに同類憐れむ気持ちは無いのか、汚い身なりの男達が薄ら笑いを浮かべていた。


わりいがこのコは俺が先約なんだ。手出ししようとするんだったら容赦しねえぞぉ?」


 九郎はリオを後ろに庇いながら険の含んだ目つきで男達に凄む。ガタイも細く弱そうに見える九郎であっても、奴隷の身分の彼らよりは肉付きが良い。上背もあるので怖気付いたのだろうか。寄って来た男達は舌打ちしながらまた元の場所に腰を落ちつけていた。


「んだよ? まさかアンタ、アタシのションベン見て興奮しちまったとか言うんじゃねえだろうな!? お前も今はアタシと同じ奴隷なんだ! 突っ込ませてなんかやらねえからっ!」


 庇った事に感謝の気持ちを持てとは言わないが、この態度には少々消沈してしまう。

 リオの態度に眉を下げた九郎だったが、彼女の様子を見て更に眉を下げる。

 威勢だけは良いがリオの腰は引けていた。小刻みに震える足に九郎は顔を曇らせる。

 この震えはどちらに対しての震えなのか。

 犯されそうになったことに対しての恐怖なのか、それとも自分が近くにいるからなのか。

 九郎に対して恐れを露わにしなくなっただけマシだとも思うが、あれだけ害意が無い事を示していたと言うのにまだリオと打ち解けたとは言い難い。


 それでも同室になれただけ幸運だったと今は思う。

 奴隷局の牢屋は男女関係無く詰め込まれるとは思っていなかった。


 今考えてみれば、男女を同室に放り込む理由は何となく分かる。

 周りの牢屋から聞こえてくる嬌声とも悲鳴ともつかない声から予想が付く。奴隷局の職員が言っていた言葉が、下世話な冗談では無かったと思い知らされる。

 男女関係無く薄暗がりの中に放り込む。そうなると何が起こるかなど考えるまでも無い。盛りのついた男達に襲われる女達。

 孕めばそれだけ奴隷が増えると言っていた奴隷局の方針なのか、見事に爛れた牢屋があちこちに出来上がっていた。


 例え今迄がそうだったとしても、九郎にこの状況で一人だけ脱出する気にはなれるはずが無い。

 リオを命を救った事で先の未来までの責任を持てとカクランティウスに言われた手前、そのまま放って行く訳にもいかなかったし、放って置く気にもならなかった。

 望まない逢瀬を強要させられてきたであろうリオの光を失った目が、未だに九郎の心焼き付いて離れない。

 一度守った命を放り出す事など出来ないと同時に、少しでも関わりあった女性が悲しい思いをして欲しくない。過去にこだわりを持たない九郎だったが、関わり合った女性がこれから襲われることになるのは見過ごせなかった。


 それに――多少蹴躓いた程度で諦められるのなら、九郎もアルトリアも端からリオを買おうとは思っていない。


「おう、アルト? そっちはどうだ? ん? カクさんが今日は2万稼いだ? んじゃ、順調そうだな……。ふんふん、まあ俺は俺でどうにかするから、リオを早く買い取ってくれよな?」

「何ぶつぶついってやがんだ!? 奴隷になって気でも狂っちまったのか……?」


 自分の腹と会話する九郎を、不気味そうに見やるリオ。同室の男達も同様だ。

 役人に捕らえられた九郎だったが、アルトリアは丁度その時いなかった。九郎とカクランティウスが稼いでいる中、一人余り役に立っていないことを気にしていたのか、彼女は別の稼ぎ方が無いのか調べていた。

 そのおかげでアルトリアが役人に捕まることは無かったのだが、九郎の今の状況は彼女も知っている。

 アルトリアがみだりに触れた人々を『魔死霊ワイト』の眷属にしてしまわないよう、渡していた九郎の盲腸がこんなふうに役立つとは当初は考えていなかったが……。


 意識を盲腸に傾けるとアルトリアの心配そうな声が聞こえてくる。

 役立たずの臓器と呼ばれる盲腸がこんなに役立つとはとしみじみ思いながら、九郎は盲腸で遠く離れたアルトリアと会話する。まるで携帯電話だ。盲腸が最先端の文明の利器と化している現状には笑えてくる。


「ちょっ!? 舐めんなっ! オイヤメロ! 擦るんじゃねえ!」


 九郎が突如狼狽えだす。更に不気味そうにリオが距離を取っていた。

 隅の方で震えるリオと男達を隔てるようにして九郎は腰を床に下ろす。

 この状況でさてどうしたものか――九郎は口の端をピクピク痙攣させながら考え込むのだった。

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