第187話  今日もやられ役


 灼熱の太陽の下、筋肉隆々の逞しい男が拳を振り上げていた。

 一歩踏み出す毎に砂塵が舞い、腰の入った力強い拳が眼前に迫る。

 振りかぶった右腕は丸太のようで、岩をも砕きそうな威力を持っているかに見えてしまう。


「ぶぉっふぉぉっ!」


 頬に拳をめり込ませて九郎が吹き飛ぶ。顔の形が変わりそうな拳の一撃。

 九郎はそのまま威力を殺しきれず、砂塵の舞う道端に叩きつけられる。

 地面に転がり体のあちこちをぶつけ、口の中に血の味が広がる。


「どうだぁ!? くたばっちまったかぁ!? てかそろそろ本気でくたばっちまえよぉ……」


 しかしなぜか拳を振るった大男は不安気に顔を歪めていた。

 男の拳に伝わってきた感触は、確かに人の首でも千切れそうな威力を孕んでいたのだが――。


「まだまだぁぁぁぁっ!!」


 道端に吹き飛ばされもんどりうって倒れていた九郎が、むくりとおきあがり気勢を吐く。

 大男はウンザリとした目つきで九郎を睨んでいる。睨んでくると言うより怖気付いているようにも見えなくも無い。


「ほらっ! もっと来いよぉ! 熱くなれよっ! がんばらねえと時間切れだぜ!!?」


 何処かのプロテニスプレーヤーのように熱い口調で九郎が挑発する。


「くそったりゃぁぁぁぁっ!」


 今し方強烈な一撃を見舞った男の方が肩で息を切らせている。顔に不安がありありと浮き出ている。

 しかしそれでも引くに引けないのか、やけくそぎみに拳を九郎に浴びせ、がむしゃらに殴りつけてきた。


「ぼへっ!? ほらほらぁ! ぶへっ!? まだまだぁ! がっ!? どうしたどうしたぁ!?」


 鈍い音と時折聞こえるくぐもった声。そしてその間に響くノリに乗った九郎の合の手。


「はーい! 時間だよ~!」


 アルトリアの場違い感たっぷりの平和な声が砂漠の青い空に響き渡った。

 同時に九郎を殴りつけていた男が地面に崩れ落ちる。


「ざ~んねん! 良いパンチだったけど、ちょっとだけ威力が足りなかったな!」

「ほんとーに……タフな野郎だぜ……」


 殴られ続けていた九郎が片目を瞑って手を差し出し、殴りつけていた男が肩で息を切らせてその手を掴む。別に夕陽を背負って喧嘩し、友情が芽生えた訳では無い。


「もうすこしでやられそうだったぜ?」

「嘘吐きやがれ……。ケロっとしてやがる癖に……」


 九郎に引き起こされた男は忌々しげに呟くと九郎に背を向け去っていく。


「は~い! 次の挑戦者はいるかな~? 砂時計が一回落ちるまでに彼を気絶させたらここにあるお金は総取りだよ~! 腕自慢は早くしないと倒されちゃうよ~! 挑戦権は一回100リルギット! 彼を倒せたら今なら100倍だよ~!」


 アルトリアが声を張り上げ客引きをしだした。

 もうすっかり慣れたもので、よどみなくすらすらと口上を述べていく。


「おう、ねえちゃん! 俺がやらしてもらうぜ?」

「は~い。じゃあ彼女にお金を払ってね~」

「あん? 奴隷に金を集めさせてんのかぁ? ちょろまかされるぞ?」


 怪訝な顔をしながらまた一人鴨が現れた。

 リオの持つ鍋に一枚の銀貨を放り投げ、頭の禿げあがった髭面の男が九郎の目の前に立つ。


「らっしゃっせー。俺から反撃はしねえから、砂時計が落ちるまでに俺を気絶させたらアンタの勝ちだ。オーケィ?」

「はっ!? そんな心配よりも死んじまわねえ事を祈っとくんだな!」


 最初は皆そう言う――九郎は心の中でほくそ笑みながらも真剣な顔で構えを取る。


「じゃ~……はっじめ~!!」


 アルトリアの合図がかかり、男は一直線に向かって来る。


「ぐおっふぉぉぉぉ!!」


 九郎がまた宙を舞った。


☠ ☠ ☠


「こんな事でお金って稼げるんだね~……」


 感心した様子のアルトリアのセリフに、九郎は鼻を擦ってドヤ顔を浮かべる。

 リオを買い取る為に必要な金を稼ぐ。そう決めたは良いが九郎は最初の一歩で躓いた。

 小説やなんだでは異世界に転移して来た者達は、地球の知識を使い濡れ手に粟の状態で金を容易く稼いでいた。それに習って自分も知識チートで荒稼ぎと目論んでいたのだが、このアクゼリートの世界に来ている日本人は自分一人で無い事を、再確認させられる羽目に陥っていた。

 バッグダルシアの街の市場には、既に日本人の『来訪者』が市場で荒稼ぎしたであろう跡がありありと残っており、簡単に作れそうなアイデア商品は殆んど出回った後だった。現地の人を虜にしたであろう便利グッズやファッション用品も粗方出尽くしており、九郎は途方に暮れていた。

 当初予定していた九郎唯一の特技といっていい料理も、この地方で作れるであろう物はほとんど売られていた。二番煎じで荒稼ぎするには少しばかり厳しい状況だった。


 そこでアルトリアと「ゴメを売るか」の話し合いになった。

 九郎の命を吸ってアルトリアの肉体で育つゴメは、味良し栄養良しでどんな食材にでも良く合う。しかも元値が掛からない商売するにはうってつけの食材に思えた。

 しかし奴隷の身分のリオは大丈夫だったが、それでも二の足を踏んでしまう。

 リオでさえ『食べれるもの』との認識がなかったほど、ゴメは食物としての見た目が悪い。

 知らなければとの思いもあるが、逆に「それにしか見えない」と言われる可能性も考えられる。


 ゴメを売るのは最後の手段にしたほうがいい……九郎はそう判断して別の稼ぎ方を模索していた。その結果――。


「やっぱ働くってのは地道に体を酷使してナンボ……てなもんだよな!」


 ここまで上手くいくとは思ってもいなかったと、九郎は上機嫌である。


 九郎が思いついた稼ぎ方は、所謂『殴られ屋』と言う超マイナーな職業だった。

 職業と言うよりもエンターテナーと言った方が良いかも知れない。

 ボクサー経験者などが路上で「殴られる」ことを商売にしている珍しいもの。スピードに自信のある格闘技経験者が素人の拳をそう喰らうことも無いからとの理由で、ある種の見世物としてなりたっているこの職業を、九郎は別の観点から思いついていた。

 

『不死』の自分は死ぬことは無い。殴られても全く問題無い。

 パンチングマシーンを思い浮かべて、九郎はこの商売を思いついていた。まったく躱す気も躱せる気もしていなかったのは言うまでもない。


「一日で13400リルギット……」


 しかし思った以上にこれが当たった。

 鍋に入った銀貨を数えていたリオが震えながら呟いている。


 砂漠の人々の気性が荒いのか、それとも奪われるのが通常のこの街では、ストレスの溜まっている者が多かったのか。

 刃向わない者を殴れると聞いて、我も我もと集って来た。特に最初は気の弱そうな商人や、飲んだくれていた中年などのいわゆる負け組の様子を呈した者達が、九郎に拳を振り上げてきた。彼らは言うなればこの街の暴力……力ずくで奪われた経験のある者達だったのだろう。

 体の中の鬱憤を吐き出すように九郎の顔面い拳を叩きこみ、帰る頃には少しだけ晴れ晴れとした表情を浮かべていた。完全にパンチングマシーンと同じ扱いである。

 それから続いて力自慢が噂を聞きつけやってきた。もとから力で奪う事が普通の街なのだからと、九郎を倒せたら売上総取りを掲げていたからだ。

 最初はストレス発散で九郎を殴っていた人々が多かったが、次第に溜まっていく賞金目当てに街の「暴力を振るう方」が参加してきた。

 しかし九郎は『不死者』。こと打撃に関しては、数えきれないくらいに体に刻み込んできている。

 自傷や禁忌の痛みに晒され続けた九郎にとって、力自慢の拳も蚊に刺された程度でしかない。

 煽るだけ煽って、相手が疲れるまで殴られてしまえば、相手はもう九郎達から金を奪う気力も残っていない。もとから勝てば全てを貰えるのだ。それが出来ないのだからどうしようもない。

 絶対倒れない事を分かっているのに賭けを持ち出す事に、良心の呵責は感じない。なにせ殴られているのは自分であるし、パンチングマシーンでも金はかかる。


 ある意味『奪われる街』だからこそ思いついた捨て身の商売は、驚くほどの盛況ぶりで初日を終えていた。しかし――。


「リオの値段はいくらだっけ? リオは一日50リルギットで……30年……540000リルギットだから……1080000リルギット? 先は長そう……」

「ぐっ……」


 頭の中で暗算していたアルトリアが溜息を吐いた。その言葉に九郎も眉を下げる。

 奴隷としてのランクは最下層よりも一段上なだけのリオの一日の貸出料金は安い。

 一日借りても50リルギット。今泊まっている宿代よりも安い。

 しかしそれでも30年分となると高額だ。

 100人以上に殴られ続けた九郎の今日の稼ぎは13400。確かに一朝一夕に稼ぎだせる金額では無かった。


「うむ……今帰ったぞ」


 九郎とアルトリアが二人して金稼ぎの大変さに顔を曇らせていると、カクランティウスが部屋の中へと入って来た。日も落ちているのでカクランティウスは兜を脱ぎ、いつのもイケメン中年の様相。表情は明るいのか暗いのかどちらにも取れそうな微妙な様子だ。


「おかえり、カクさん。そっちはどうだった? ボクらは13400リルギットだったんだけど……」


 アルトリアが自身の目的――九郎との逢瀬が遠い事に消沈しながらも、カクランティウスを出迎える。

 金を稼げば良いだけだと言い放ったカクランティウスだったが、彼は昼間なかなか出歩くのは難しい。

 人ごみで彼の正体がばれてしまえばそこで一気に立場が悪くなってしまう。

 しかし自分が言いだした事でもあるからと、彼は彼で金を稼ぐ方法を探りに行くと言っていた。

 正体がばれる危険性を考えれば出歩かない方が良いとの九郎の言葉を、カクランティウスは何故か頑なに拒んでいた。「自分もリオを買い取ればいいと言った責任がある」「国家予算に比べれば微々たる金額」「吾輩一家の大黒柱だったのだぞ」――と……。

 しかし、カクランティウスは王族。金の稼ぎ方など全く知らなさそうだ。

 ――大黒柱も何も、カクさんこの前まで人柱みたいに氷漬けになってたじゃん――

 九郎はその言葉がのど元まで出かかっていた。

 だが何か必死な様子も見て取れるカクランティウスの意気込みを無下にも出来ず、ならばと別行動していたのだが……。

 あまり期待は出来ないだろうと九郎も肩を落としたまま視線を向ける。


「ほう? では初日は吾輩の負けであるな?」


 しかし意外にもカクランティウスは片眉をを跳ねあげた。

 勝ち負けの話では無いような気もするが、どれほど稼ぎが有ったのかと九郎は訝しんだ視線を向ける。

 カクランティウスは鎧の懐を漁り、取り出した物をザラザラとベッドの上に放り出す。

 放り出された銀貨が小さな山を作っていた。


「吾輩は7000ちょっと……と言ったところか。何、明日であればもう少し稼げるとは思うぞ?」

「わ~。ボクらは3人で13000なのに、カクさんこれどうしたの? 奪って来たの?」

「吾輩が野盗と同じ事をすると思われる事すら心外だな。普通に狩りに行って来ただけだ」


 事無げにカクランティウスは言い放つ。

 狩りと言っても何処でといった疑問が残る。九郎も冒険者としてある程度名をはせていた一人だ。魔物を狩って売るのが一番効率が良い気もしていた。しかしこの街に入るには通行税が逐一掛かる。

 あれだけ九郎を重ねて入り込むのに苦労した門を、カクランティウス一人で抜けれるとは思えない。


「狩りって……人狩りなんざぞっとしねえな」

「え~? カクさん人攫いになったの? いくらこの街で奴隷が普通にいるからって……」

「……ちっ……」


 カクランティウスの人となりを知っている九郎とアルトリアは冗談のつもりだったのだが、リオが明らかに嫌そうに顔を歪めて舌打ちしている。


「じょ、冗談に決まってるじゃねえか! リオ、カクさんは出来た人間だ! 人攫いなんざぜってしねえって!」


 奴隷のリオがいる場で言う冗談では無かったと、九郎が慌てて訂正する。

 生まれながらに奴隷だったとはいえ、リオも奴隷の辛さは身に染みている。奴隷を増やす人攫いは唾棄すべき人種だと思っているのだろう。


「リオよ? 心配するでない。吾輩は人攫いも良く思ってはおらぬ」


 冗談で敵意を向けられては敵わないとカクランティウスも否定する。続いてふっと目の光が消え、遠くを見つめる。


「吾輩……何故あの時この方法を思い浮かばなかったのか……。塹壕戦も経験し、坑道の中も潜った事があったというのに……」


 カクランティウスは自身の行いを悔いるかのように顔を歪めていた。

 悔し涙を見せそうなカクランティウスの話を聞くに、彼は地面の下を通って街の外に出ていたのだと言う。

 黄の魔法。土の魔法を得意とするカクランティウスは、大地に穴を掘り街を囲む塀の下を通って外へと出ていた。砂ばかりでトンネル掘りには向かない地でも、カクランティウスも酸素を必要としていない。

 沈まないようにだけ充分に注意し、陶器の皿を持って砂の中を泳いで外へと出ていた。

 街の外へと出てしまえば、骨の体でも誰に憚ることも無い。魔物を追い求め、倒し、肉や素材を剥ぎ取って今し方換金し終えて来たのだと言う。


「ボクも明日からカクさん手伝った方がいい?」


 今日は呼子として活躍していたが、アルトリア自身が金を稼いだ実感があまり湧かないのだろう。話を聞いて、アルトリアがカクランティウスに問いやる。


「とは言え吾輩一人で充分手は足りておるし……。それにアルト殿は……なんと言うか……ゴメにしてしまうのでは無いか?」


 言い辛そうにではあるが、カクランティウスセリフは断りの言葉に近い。

 戦闘に関してならカクランティウスにも引けを取らない強さを持っているアルトリアだが、素材を残さなければならない点から考えると、明らかに不向きであった。

 アルトリアは気を抜くと魔物でさえ『魔死霊ワイト』の眷属にしてしまうし、攻撃手段もゴメによる苗床、九郎がまだよく知らないスカートの下の食いしん坊。そして毒による攻撃。

 どれも素材をこれでもかと言うほど痛めてしまうものばかりだ。


「そっかぁ……」


 自分の能力に思い当たったのかアルトリアもそれ以上はゴネなかった。


「でも一日で2万リルギットは稼げてるじゃん? これなら一月くらいで貯まりそうだろ」


 アルトリアに励ましの言葉が思い浮かばず、九郎はとりあえず場を取り繕う。

 アルトリアも気持ちを切り替えたのか笑顔を見せる。


「そうだね! 300年待ってたんだから、一月くらい一瞬だよね? じゃあカクさんも戻って来た事だし、ご飯にしよ?」

「おうっ! 腹ペコだぜ!」

「あ、吾輩、外で蠍を食って来たから……」


 アルトリアの言葉に九郎が頷き、カクランティウスは後退った。

 逃げ出そうとしたカクランティウスの腕を掴みながら九郎は考えていた。

 カクランティウスが外へと出ようと必死だったのは、蠍など別の食材を手に入れる為だったのではないかと……。ゴメとは別の……普通の食材は彼にとっても死活問題だったのではないかと……。

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