第181話 緊張の対峙
「化物……が……」
残った感情を全て吐き出すかのように、蹲ったままアブラヒムが呟いた。
リオの心も同様。動揺した心臓が早鐘のように五月蠅く耳に鳴り響いている。
「ひっど~い! ボク傷付いちゃった~。クロウ~慰めて~」
「とりあえず胸の傷を治してからだな」
「ありゃ? ホントだ……。もう少しでおっぱい見えちゃうじゃ~ん……。チラッ」
「みみみ、見せんじゃねえっ! ほらっ、立ってくれ!」
「立ってるのにぃ?」
「やっかましいっ!」
纏う空気が違う。
自分達に纏わりつく空気が重く澱んでいるというのに、目の前の化け物どもはまるで意にも介さず場違いな会話を繰り広げている。その違いが如何に恐ろしいか。
刃を振るわれ、
「いつでも言ってね? 見せるだけじゃなくて、触っても揉んでもいいし、挟んだりしても……もう何でもしてあげるからっ!」
「寄せんなっ! 溢すなっ! 見せつけんなっ!」
新赤の月と新青の月の始め。年に2度しか訪れない紫紺の月の光に似た怪しげな瞳が闇に煌めく。
濁々と留まる事無く溢れていた女の命を総べていた筈の血液。
アブラヒムの剣はあの女の心臓を確実に穿っていた筈だ。確認するまでも無く、致命傷を負った筈の女が淫靡な空気を湛えて微笑んでいる。
首を片手で持つ男に見せつけるようにしたその豊満な胸に起こった異変は、リオの目にも見えてしまった。
血を流し続ける胸の中心、2
ほつれた糸が絡まり合うように、白い肌が織られていく。
その胸元には大きな傷跡が残っていたが、それすら美しいと感じてしまう様な猥らで恐ろしい姿が目の前で蘇った。
「おいっ! また俺の首持ってくなっ! 俺の首返してくれ」
「や~ん。もうちょっと~」
胸を貫かれたままにしゃべっていた女も恐ろしいが、それよりもっと悍ましい生き物が弱り切った声をあげている。
もう血の出ない胸に抱かれた首を取り戻そうと、手を動かし続ける首の無い体。
首が無い男の体が動いている。噂で聞く『
「ちょっと……あんっ……もっとぉ……」
「あ、
「ボクのクロウ~。返して~」
「俺んだっつーの!! あぶねえぞっ!」
女から首を取り上げた男が首を掲げている。
その首元から赤い糸が伸びる。禍々しい赤い光が闇の中に立ち込める。
「もうちょっとだけ使わせてよぉ~……あれ?」
「あー!? お前っ、手え突っ込みやがったな!?」
赤い光の中に腕を入れた女の腕が消えた。
何が起こっているのか分からず、しかし動く事も出来ずにリオは立ち尽くす事しか出来ないでいる。
「あれ? 再生しない……。クロウ~、どーしよぉ……。これじゃあひとりエッチできなくなっちゃう……」
「最初に心配すんのソコぉ!?」
女が消え失せた腕を見つめホロリと涙を溢した。
繋がった首の調子を確かめようとしていた男も慌てふためいている。
「こ、これ、引っ付くか?」
そしてまたもや悍ましい光景が映し出される。
弱り切った顔の男が腕から手を生みだしていた。
包帯が巻かれていた筈の女の手首は、白魚のような美しい素肌を晒して、男の腕から生えてくる。
「わー! ボクの手~! 引っ付いた! ……うん、ボクの手だ」
「胸揉んで確認すんじゃねえよ!? ていうかホント、どうにも緊張感がねえなぁ……」
女は歓声をあげて手首を受け取り、失った手に再び戻す。そして豊満な自分の胸を白い手で揉みしだき、妖艶な笑みを浮かべた。
男が女を叱りつけ、頭を掻いてぼやく。そして思い出したかのように自分の方に向き直り――。
「んで? どちらさま?」
先程まで首を切り離されていた男が、自分に向かって問いかけていた。そのなんとも暢気そうな声色に、リオはギュッと心臓を掴まれた気がした。吐く息さえも億劫なほど、恐怖に体が強張っている。
もう二人の男女は人と変わらぬ姿をしている。
背の高い男と胸の大きな娘。人と比べて何も変わらない、人では無い何かに見据えられ、リオの足の感覚がフッと消えた。
耳も目も何もかもが信じられない。ただ、悪夢の中に迷い込んだような、渦巻く恐怖からも逃れられない絶望にリオの唇が震え始める。
いつの間にか砂の上にへたり込んでしまっていた。
カチカチ歯の根は五月蠅いのに、手足は冷たく動かない。
そう言えば男達はどうしたのだろうか。自分を含め15人の盗賊。街に入る前の、直前の商隊を襲う事を生業にしている悪逆非道な男達はどこに消えたのか。自分はただの情婦で奴隷だが、彼らの恐ろしさは自分が一番身に染みている。残虐で慈悲の欠片も無い、悪鬼の如き強さを持った男達の声が聞こえない。暴力の権化と思っていた荒くれを束ねる頭領も、逃げ出す隙も与えてくれなかった目端の利く副頭も……。獲物に歓喜の雄叫びを上げている筈の、殺したいほど憎い男達の声が聞こえない。
「おい……奴隷! とっとと、奴らを始末しろやぁっ……」
ただ聞こえるのは一番下っ端……それでも自分とは天地の差があるアブラヒムの呻く声だけだ。
その声が耳に届いていたのだが、リオは動く事が出来ないでいた。
震える手足が鉛のように重く、血の気の引いた背中に冷たい汗が流れるだけ。
それでも命令の意味を確認するかのように首を何とか動かす。
意味を分かってはいるが、時間を稼ぎたくて。
ただ目の前の恐怖から目を背けるために。
油の差していない扉のような動きで、何とかそちらを向くと、髭面の男の苛立ちと焦りの顔が目に映る。
(動けないんだ……許して……)
いつの間にか自分は死んでいたのではないかと思うほど、体が全く動かない。
誰に対しての謝罪なのかも分からないままにリオは慈悲を乞う。
ここで動かなければまた酷い事をされてしまう。棒で打たれるのも、引きずり回されるのも嫌だ。
動かなければ最悪の状況が待っていると知っている。なのに、それでも手足は動いてくれない。
何に縋り何に謝ったのか。目の前の化物たちに慈悲を乞うたのか。それとも口だけ五月蠅いこの下っ端の男に許しを願ったのか。それとも、不甲斐無い自分の人生に対しての諦めの言葉なのか。
分からないままに顔を強張らせたリオを睨み、アブラヒムは更に苛立ちを募らせた。
「奴隷よぉっ!? テメエいい加減にギヒ?」
アブラヒムがもう一度声を上げようとして、奇妙な声で鳴いた。
その声が彼の断末魔の悲鳴であった事をリオは即座に理解出来ないでいた。
「何を手間取っておるのやら……」
アブラヒムの頭から剣が生えていた。
リオの瞳に絶望の光が広がっていく。
鎧を着た男がアブラヒムの頭に鈍色の剣を突き立て、肩を竦めていたからでは無い。
絶対的強者としての風格がその男にあったからでもない。
目の前に立つ男の頭に、二本の剣が突き立っていたからに他ならない。
☠ ☠ ☠
「カクさんっ!!!」
一瞬自分の声が何に対しての叫びだったのか分からなかった。
「『
男の頭に剣を突き立てたカクランティウスは、苦笑を浮かべていた。そんな彼の頭にも2本の剣が突き立っているのだから同じ様子に見えなくも無い。
ただ、その苦笑に苦笑を返しながらも、九郎の頬は引きつっていた。
「カクさん、頭から剣が生えてるよ?」
「おお、気付いておらぬかった。道理で生命力が減っている気がしたのだ」
アルトリアも取り繕ったような笑顔を浮かべていた。
彼女も今さらながらに感じているのだろう。辺り一面広がるむせ返るような血の匂いに。
「カクさんた、達人ポイのに気配察知とか……で、出来ないんすか?」
頭に刺さった剣を無造作に引き抜くカクランティウスに、九郎は上擦った声でどうでも良い言葉を繋げる。
「むう……。どうにも我ら不死系魔族はそういった危機に対して鈍感でな……。簡単に死なぬ弊害かも知れぬな? 第一気配察知が出来ておれば、吾輩全裸で埋まっておらんよ」
カラカラと笑いながらカクランティウスは男に突き立てていた剣を引き抜く。
切れ味が鈍いと言っていた彼の持つ剣は、男の頭蓋を力任せに砕いたのだろう。
ドロリとした脳みそが零れ、辺り一面広がっていた血の匂いがまた一段濃く香る。
「この匂い……カクさん……何人いたの?」
アルトリアの顔に隠し切れない戸惑いが浮かんでいた。
アルトリアの短い問いかけにカクランティウスは眉を顰める。
「さて? 多分12、3だと思うが……朝になって増えているかも知れんな」
カクランティウスは顎を撫でると簡単そうにその問いに答えた。
何の感情も見せず、浮かんだ雲の数を数えるようなそっけない態度で。
「そんなに!?」
アルトリアの悲鳴のような声にカクランティウスが目を丸くする。
どうして驚かれているのか分かっていないのだろうか。
「カクさん……なんで……何で殺す必要があったんだよっ!」
九郎もアルトリアに引きずられるように叫んでいた。
そこにあるのは恐怖に似た感情。そして僅かな怒りだ。
死なない自分達が人を殺す。それは出来る限り避けるべきだ。
殺されることの無い『不死者』が人を殺す。そこに言いようの無い理不尽さを覚えていたからこそ、九郎は人を殺す事を躊躇っていた。
その思いはアルトリアも同様だろう。命全てに憧憬を向ける彼女も、命を奪う事を恐ろしいと感じている。
二人の『不死者』が持った同じ思いを、カクランティウスは欠片も持ってはいなかった。
その事に裏切られた様な気持ちになってしまい、感情のままに叫んでしまった。
「何故? ふっ……そうよな。分かるぞ、その葛藤も」
感情を露わにした九郎を見つめ、カクランティウスは鼻で笑う。
気圧されたようにアルトリアが九郎の腕を掴む。
アンデッドすら滅ぼすアンデッドであるアルトリアが、カクランティウスの発する何かに怯えている。
「俺らの気持ちが分かるんだったら、どうしてっ!!?」
死ぬ事の無い自分達が命を摘み取る事には理由がいる。
九郎は食べる為に命を狩る。しかし食わないものは極力殺さないようにしてきたつもりだ。
アルトリアも襲われ仕方なく、意図せず命を奪う事はあっても、自ら進んで命を狩る事はしてこなかった。
九郎も心の奥では今夜の状況が、襲われた範疇に入り、殺してしまっても仕方は無かったと思う部分もある。
しかし、10人を超える野盗に一言も声を出させず、斬り伏せる実力を持っていたカクランティウスであるのなら、また別の、この結果と違った手段も取れたのではないかと言う縋るような気持ちがあった。
「その答えは……貴殿が貴殿で答えを得るのが一番だろう。だから吾輩は吾輩の得た答えを伝える。何故こやつらを殺したのか……それは吾輩が命を大切に思っておるからよ」
重々しく頷いたカクランティウスは九郎を真正面から見据えてくる。
その迫力に九郎も気圧され口ごもる。死ぬ事の無い自分が恐れを抱く。先程感じたその意味を九郎は今理解する。
カクランティウスの体から放たれる王者の威厳。
『死』と言う本能的な恐怖から解放されている自分達が、彼に恐れを抱く理由。畏れを感じて。
『魔王』と呼ばれた男の持つ、支配者としての強烈な威圧感に畏怖を抱き、九郎は唾を飲み込む。
「クロウ殿。貴殿は今夜のこやつらは何者だと思う?」
カクランティウスが眉を吊り上げたまま九郎に問う。
「野盗……じゃ……」
「そう、野盗だ。盗賊、山賊、海賊……こやつらの場合何と言うかは知らぬが、人を襲い荷物を奪う
カクランティウスは九郎が答えを言い終わらぬうちに、再び頷き睨んでくる。
「これは吾輩が王になってから得た答えだ。王で無い貴殿に関係の無い事かもしれぬ。だが、吾輩はこやつらを生かしておくことは出来ぬ」
「なんで!?」
九郎の代わりにアルトリアが叫んでいた。今迄自分を犯そうとした悪漢にさえ涙を流していたアルトリアにカクランティウスの言葉は伝わらない。
そんなアルトリアの様子にカクランティウスはフッと優しげな表情を作り、子供に諭すようにゆっくり語る。
「それはな、アルト殿……。吾輩がここでこやつらを見逃せば、さらに多くの死が生まれるからだ」
殺さなければ死が生まれる。
アルトリアにはカクランティウスの言葉の意味が分からなかったのだろう。怯えたような瞳のまま、アルトリアはカクランティウスを見つめて答えを促す。
「吾輩達は『不死者』。そう簡単に命を取られる事は無い。だが、全てが我々のような者ではない。アルト殿もクロウ殿も良く分かっておろう? 人は死ぬ。容易く死ぬ。大切に大切に抱え込んでいても、何もせずとも死ぬのだ。ただ食わないだけで。空気が無いだけで。凍えただけで!」
自分達は『死』と言う理から外れた者達だという事を強調しながらも、カクランティウスは命の軽さを重く語る。『死』の理から外れた彼にもどうしようもない、命の儚さ。『不死者』から見れば呆気ないほど簡単に死ぬ人々に、憤っているかのような言いざま。同時にその儚さに言いようの無い悲しみを抱いているかにも見える。
愛する妻を病で失ったカクランティウスは、人の弱さを九郎達以上に実感していたのかも知れない。
「こやつらをここで屠ったからと言って、野盗の被害は減らぬかもしれぬ。だがそれでも吾輩に出会った野盗は殺さねばならぬ。何故なら見逃した野盗が人を殺せば、それは吾輩が見逃したから人が死んだに他ならないのだからな。しかもその命は、無辜の民。力も持たぬ子供、
その言葉に九郎が苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
その心中では穏やかでは無い後悔が渦巻いていた。
自分が躊躇ったからこそ生まれた死。自分と同じ『来訪者』であった小鳥遊 雄一。
決闘時、最後の最後で殺す事を躊躇ったからこそ、その後多くの死が生まれ、それどころか憐れな魔物にされてしまった人々の事を思い、心の古傷が痛む。
雄一を決闘の時に殺していれば、自分は安寧とアルバトーゼの街で暮らしていたのかも知れないと何度思った事か。護衛に付いていてくれた冒険者の人々も、間接的に自分が殺してしまったのではないかとの思いに、何度打ちひしがれたことか。
悪人と断じれる人間を殺す事を躊躇った所為で、いったいどれ程の人が死んだのかを思うと、カクランティウスの言葉は自分の弱さを責めているかに聞こえてしまう。
「クロウ殿は以前吾輩に問うたよな? 国が滅びていたのならどうすると」
苦しげに顔を歪めた九郎を見つめながら、カクランティウスは語気を緩めた。
眉を下げ、薄い笑みを湛えて懐かしむような表情を浮かべる。
「吾輩はそれに答えた。墓を建てる、只それだけだと」
九郎が思い浮かべた言葉をカクランティウスは再度語る。
自分の王としての責務は墓守だとカクランティウスは言っていた。不死系魔族だからこそ、人々の名をいつまでも覚え、死んでいった者達を忘れないことこそ王の務めと言っていた筈だ。
「吾輩は王ではあるが、ただ力の強い武骨者よ。治世の
カクランティウスの言葉に九郎はもう一度深く考え込む。
力の強い彼が復讐を望むのなら、九郎は彼を解放するつもりは無かった。例えどちらが悪いか明らかだったとしても、死を振り撒く事を元から嫌った故にだ。
その時彼は「国が無くなっていたのなら復讐する気は無い」と確かに語っていた筈だ。
復讐心に駆られないのならばと、そこから深くは考えなかったが、それこそが彼の信念であると思えた。
「民のおらぬ王は王では無い。守るべき者を失った吾輩は剣を振るう理由が無い。ただそれだけの理由よ」
九郎が答えに行きつく前に、簡単そうにカクランティウスは答えを告げていた。
「力だけの王が出来る事など一つしかない。民を守る事。吾輩はそれしか出来ぬ愚鈍の王よ。だからこそ吾輩は民を害する野盗を殺す。か弱き者を食い物にする輩を屠る。か弱き者を食い物にする輩へと自ら剣を振るい死を振り撒く。例え数多の死の果てに吾輩が冥府に落ちようとも、胸を張って神に伝えよう。吾輩は不死の先に命を繋いだとな!」
言い終わったカクランティウスは、二人に意見を求めるかのように視線を巡らせていた。
アルトリアが九郎を見上げ縋るように腕を抱く。
その視線は反論を求めるかのようにも、同意を促すかのようにも見えた。
否定の言葉は見つからない。自分の躊躇いの先に少女達を死に近付けた経験がある九郎に、カクランティウスの言葉を翻す力は無い。
しかし同意の言葉も発せない。自分自身の思いだけで罪を裁く――その責任を被るだけの勇気が出ない。
「吾輩はお主たちに答えを求めるつもりはない。これは吾輩が吾輩自身に課した『不死』の在り方よ。否定されようとも肯定されようともそれを変える気はないのでな……」
何も言わない九郎を一瞥すると、カクランティウスは座り込んだままの女に向かって歩き始めた。
「駄目だっ!!!!」
答えも出せないまま九郎は今一度叫んでいた。
信念で動くカクランティウスを止める言葉は見つからないが、それでも体は動いていた。
腕に縋っていた筈のアルトリアも、同時に動き出していた。
「何が駄目なのか答えを聞かせてもらえるかな?」
カクランティウスは九郎達の行動すら御見通しと言わんばかりに、苦笑を浮かべていた。
彼がその気になれば九郎が動く暇も無く、座り込んでいた女を斬り伏せる事も出来たと、九郎は後になって気付く。
しかしこの時は、そんなことすら思い浮かばないままに、九郎の体は動いていた。
「カクさんの考えは理解出来た……。俺が見逃した奴が大勢の人を殺した事も有る……。だからカクさんの言葉は正しいんだと思う……。だけど女は駄目だ! どんな悪人だろうと、俺の目の前で女を殺す事だけは許せねえ!」
自分でも陳腐なセリフだと感じながらも、九郎は思ったままに喋っていた。
見逃したものが悪ならば、女でも男でも死を生みだす可能性は変わらない。きっと出会っていないだけで、それこそ雄一よりも悪逆非道な女もいるだろう。
しかし自分は『真実の愛を求める者』、女に縋らなければならない立場だ。目の前で女が殺されようとしているのに、ただ見ているだけの自分が許せない。
出来るのなら男であれ女であれ改心させるチャンスがあってもいいと、九郎は思っている。しかしそれはきっと甘さなのだろうとも分かっている。
ならば自分の事だけを考え、自分の為だけに責任を負う事が九郎の出来る精一杯に思えた。
自分の目的の為に女を庇う。身勝手で自分勝手な思いであるのなら、その後の罪も『死』も受け入れられる。
この考えは以前の九郎であれば持ちえなかった考えだった。
悪人であれば男も女も関係ない。死罪に匹敵するのならそれも仕方のない事だ。今までの九郎であれば、そこに責任ももたずに軽く言い放っていただろう。
だが、アルトリアに惹かれ始めている今の九郎にこの言葉を発する事は出来ない。
カクランティウスの言葉を穿って見れば、アルトリアすら彼の剣の先に入ってしまう。
意図しなくてもアルトリアは死を振り撒く存在だ。心優しく、明るい少女であっても、世間から見れば恐ろしいアンデッドでしかない。
しかし九郎はアルトリアが害されようとするのならアルトリアに付く。
どれだけ邪悪で恐ろしいと言われようとも、九郎には彼女を見捨てるつもりは無い。危険と目され軍を差し向けられたとしても、守る為に戦う気概も持っていた。
「カクさん……この子は殺しちゃ駄目だよ……。女の子はね? 命を紡げるんだ……」
アルトリアもアルトリアの考えで動いていた。
座り込んだままの女に覆いかぶさるようにして、触れないようにビクつきながら、長い袖で隠すかのように庇っていた。命の輝きに魅せられたアルトリアも、九郎と別に女性を庇う理由があった。
九郎とアルトリアがカクランティウスに対峙し彼を睨む。その動きにカクランティウスは眉を跳ね上げ口元を引き上げる。
一瞬の間の時間が酷く長く感じた。
いつの間にか東の空が白んでいる。
「『不死者』二人に構えられては、今の吾輩では荷が重いな……。では朝食までの間、吾輩が死体の処理を引き受けようかな?」
朝日が照らす光に崩れるようにカクランティウスは髑髏の顔に戻っていた。
九郎とアルトリアの二人が恐れた『魔王』の殺気は消え失せている。
僅かな動作で剣を鞘に納めると、カクランティウスは首を鳴らして元いた場所へと戻っていった。
「ふぅ……」「はぁ~……緊張した……」
九郎とアルトリアは緊張の糸が切れたかのようにその場に座り込む。
『不死者』になってからここまで怖いと思った事は無かったと思えるほど、背中にぐっしょりと汗を掻いていた。
カクランティウスの後姿を見つめながら、九郎は自分の言った言葉を鑑みる。
正しい事を言った自信はまだ持てないけれど、それでも自分の覚悟は言えた気がした。
カクランティウスは自分の覚悟を認めてくれたのだろうか。彼の信念に反する自分の答えを認めてくれる訳が無いとも思えてしまうが、九郎は朝日に照らされたカクランティウスの顔が髑髏に戻るその一瞬、満足そうな笑みを湛えていたようにも見えていた。
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