第180話  弛緩する戦場


 月と星だけが照らす砂漠と言うものは、昼間と違った「死の世界」を体現しているかのようだ。

 闇の中でありながら、月の光がさらに濃い影で砂丘を色分けしている。


「ちっ……。こっちの女めちゃくちゃ上玉じゃねえか! 勿体ねぇな」


 アブラヒムが口元を歪めて呟いていた。


(ここで殺されておいて良かったね・・・・・……。アンタは……)


 自分で殺しておきながら、惜しそうに女を見る髭面を一瞥しながらリオは本心からそう思った。

 アブラヒムの視線の先には胸元に大きな剣を生やした美しい娘の姿がある。

 月光の中で永遠の眠りについた娘は安らかな夢の中で逝けたのだ。この器量、この躰であれば生きていてもその後に待つ運命は悲惨の一言だろう。

 嬲り者にされ、男達のおもちゃとなり生きて行く方がよっぽど地獄だ。

 花嫁姿のような格好で砂漠のど真ん中にベッドを用意するような、世間知らずのお嬢様なのだろう。

 男と抱き合いそのまま逝けたのだから、彼女は幸せな人生だった。


幸せ・・? 違うな……。不幸じゃ無かった・・・・・・・・だけか……)


 首の無い男を抱きしめたまま、胸を貫かれて眠る娘にもう一度侮蔑の視線を送る。

 そもそもリオは男と抱き合って眠るこの少女が幸せだったとは思えない。

 男は全て身勝手で乱暴な生き物だと思っている。


「ちっ……おい穴! とっととこいつら解体バラしちまえ! この布だって金になるんだからよぉっ! ちゃんと肉を無駄にすんじゃねえぞぉ!? 聞いてんのか奴隷!」

「ああ……」


 アブラヒムが自分の手で犯した失敗を擦りつけるようにがなった。

 女の胸に突き立てた剣を引き抜き、ベッドのシーツで拭っておきながら酷い言い草だ。

 いつか殺してやる……リオは憎悪を隠して短く答える。

 いつか――そのいつかがいつ来るのか分からぬまま、自らが犯した罪を見下ろす。

 一刀の元に泣き別れた男の首を見下ろし、リオは自分の首に嵌った鉄枷を撫でる。

 灼熱の日中に於いては肌を焼き、極寒の夜に於いては絶望をもたらす鉄の首枷。

 自分もこのようになれば自由を手に入れられるのでは……そんな幻想さえ抱いてしまう。


(自由……あるわきゃないのにね……そんなもの……この世界に……)


 奴隷の子として生まれ奴隷のままに生きてきた。いや、奴隷のままにまだ・・死んでいないだけ。

 死ねば自由を得られるのだろうかとそんな夢を抱いた時もあったが、死んでさえ奴隷だったとしたらと考えるとその恐ろしさに絶望する。

 リオは自分の握った曲刀シャムシールを見つめる。

 自由と言う言葉は知ってはいるが、それがどんなものかが分からない。

 ただ、母が憧れ、主人が掲げたその言葉だけが、自分を生かし続ける最後の餌だ。

 リオは何も手にしていない。今握っている曲刀シャムシールも、今し方奪った男の命も、自分さえも。


「奪うか奪われるかだけの違いさ? アタシ達は奪われる側の人間だった……それだけ――――」


 哀悼の言葉も謝罪も口にせず、リオは砂漠に転がった首に語りかけ、そして言葉を失った。


☠ ☠ ☠


(この世界ってのはホントに物騒だよなぁ……)


 砂漠に転がった首のままで九郎は渋面する。

 まさか寝ている間に首が落ちるとは思っていなかった。

 綺麗に落とされたものだと感じながら、考える事はこの先・・・どうしたら良いだろうかという事だ。

 首を切断されたという事は、自分の胴体の方は今ベッドで大量の血を噴き出している事だろう。

 このまま体を『修復』させると横で寝ていたアルトリアまで削り取ってしまいそうで少し拙い。

『修復』の赤い粒子は光すら削り取る。例え強力な『不死性』を持つアルトリアと言えども無事である保証が持てない。

 アルトリアが全身血まみれになっててくれたのなら、全身取り込んでもう一度生みだせば良いだけなのだが、この場所からではその確認が取れない。下手に残ってしまって彼女の『不死』を削り取ってしまったのなら目も当てられない。

 ならば首から下を『再生』させれば話は早いのだが……。


(俺の下半身が増えちまう・・・・・んだよなぁ……)


 九郎の新たな悩みとして、自分の死体が出来上がる事に懸念を覚えていた。

 別段自分の姿と同じ死体が増える事が問題では無い。

 シルヴィアの故郷、フィオレの里では自分の死体がゴロゴロ転がる状況を作ったこともある。魂の残滓さえ残っていない肉体はただの肉だと思っているので、躊躇うことも無い筈なのだが――。


(アルトに知られるとヤヴァイ気がしてならねぇ……)


 九郎の懸念の先は、今も自分の体を抱いて寝ているアルトリアだ。

 血の一滴からでも、魂の欠片からでも体を『再生』させることが出来る九郎は、自分の死体をダッチにするアルトリアの姿が思い浮かんでいた。

 死体に忌避感など覚えようのないアンデッドのアルトリアが、自分の知らない所でアレコレしているのを想像すると、何だかゲンナリしてしまう。もちろん息子にスル能力は無いのだろうが、それでも知らない内に弄ばれている気がして背中がむず痒い。

 自分に恋慕の情はまだ抱いていないだろうが、情欲は迸るほど抱いているアルトリアを毎日目にしてきただけに、大人のオモチャを提供することに九郎は躊躇いを覚えていた。――九郎は、これまで残して来た体がどういった扱いを受けているのか知らない。


(いや……そういや俺、血とか動かせるんじゃね?)


 悲惨な光景と卑猥な光景を想い描いていた九郎に、その時妙案が思い浮かぶ。

 九郎は切断されていても動く事が出来る。それに下半身だけで物を見た事も、片足だけで魔物の胃の中にダイブした経験もある。九郎は自分であれば意のままに動かす事が出来る事に気が付く。


(よしっ! いっちょやってみっかっ!)


 九郎は体の方に意識を傾ける。そう言えばこうすればアルトリアの様子を見る事が出来たなと考えながら、首の無い体でアルトリアを確認する。


(やっぱすぐに『修復』しちまわねえで良かったぜ……。ってアルト!? あふっ)


 血に濡れてびしょびしょだと言うのに幸せそうな寝顔で眠るアルトリアの胸も血に濡れていることに驚き、同時に寝惚けて腰を擦り付けてきたアルトリアの柔らかな太腿を感じてしまう。

 怪我はしているようだが何ともない様子だ。そもそもアルトリアは痛みを感じているのだろうかと思ってしまう程、安らかであどけない寝顔に取りあえず胸を撫で下ろす。

 耳の無い耳元では柄の悪い男と、若い女の声が聞こえてくる。


(野盗か? 久しぶりに会った気もするけど、やっぱ多いんかね、この世界……。文無しと農民とヘンタイ襲って何取ろうってんだ? と、まずはそんなことより……)


 会話に耳を傾けて様子を探りたいところだが、取りあえず先に体を元に戻そうと九郎は意識を血液に向ける。


(取りあえず元の持ち場に戻ってみんべ)(うぇーい)(つってもどうすんの?)(片足だけでも動けたから匍匐前進の要領でやりゃいけっだろ)(溜まってるから擦れて……)(おいっ!? お前さっきまで下にいただろ!?)(ふっ……今日は俺の……俺たちの勝利だぜ?)(勝利なんざしてねえよっ!?)(目的も達成せずに何が勝利か!)(この熱いパトスをぶちまけてこそ!)


 相も変わらず細かく分けた意識は喧しい。

 いちいち全部自分なのだからと顔を顰めながら、九郎は飛び散った血液を戻して行く。

 互いに手を取るように、シーツに染み込んだ血が浮き出て血だまりを作る。


(おい? 結構遠くまで飛び散ってんぞ?)(時間かかりそうな奴は後で纏めて戻ってくりゃいいべ)(取りあえずアルトを削んなきゃ問題ねえよ)(おいっ!? 胸の中に隠れてやがったぞ、こいつっ!!)(嫌だぁぁぁぁ! 俺はここで幸せに抱かれて眠るんだぁぁぁぁ)(引っ立てろ!)(裏切り者!)(ああっ! 感覚共有してっから、また暴れん棒達が!!?)(くっ……この流れ)(乗るっきゃないよね、このビッグウェーブに!)


 全てが自分の意識だが、それだけに内心の葛藤も色々ある。アルトリアの胸の滑らかな感触を感じて、血液が下半身を目指し始めた。


(我ながらアルトの事言えねえぐらいに節操がねえ……)


 砂漠に転がったままの九郎の首が顔を顰める。今現在の司令塔、理性アタマが分かれているので、どうにも欲望に忠実な気がしてならない。

 それでもただ一つの事を目的としたためか、血液は切断された首に吸い込まれるようにして戻り始めた。――多くの血液がただ一心に息子を目指していると言うのが何とも情けない気分にさせる。


(こちら司令塔! キミ達の熱意は受け取ったが、それは無駄な行為である! 大人しく元の持ち場に帰りなさい!)(えー?)(今日こそイケる気がしねぇ?)(そうだぜ! 先っぽだけでも!)


 頭が発した信号に、下半身で戦闘準備を始めていた血液たちのブーイングが巻き起こる。 全く懲りない様子に自分の事ながら心配になってきた。


 ――そんな九郎の下世話な感情とは裏腹に、その場に起きていたのは見るも悍ましい光景だった。


「奪うか奪われるかだけの違いさ? アタシ達は奪われる側の人間だった……それだけ――――」 


 黒髪の女が九郎の顔を見つめたまま目を見開いていた。

 切り落された首だけの状態で、自分の欲望に顔を顰め、眉を下げての情けない表情を浮かべていた九郎と女の目が合う。


(猫みてえな女だな……)


 一瞬で固まった女を見ながらそんな感想を抱く九郎。

 セミロングくらいの汚れた黒髪を無造作に横で束ねた若い女だ。

 スラリとした肢体は猫を思わせる均整を保っていたが、幾分痩せ細っているようにも見える。

 CかD――胸の膨らみから目星を付けた程よい大きさの胸に、九郎は場違いな目新しさを覚える。


(そう言えば、あるか無いかの二択だったなぁ……今迄……)


 普通の大きさの胸が随分感慨深い。レイアやアルトリア巨乳シルヴィアやチビッコナイチチかのどちらかだった事を思い出し、シルヴィアに妄想の中でハタかれた気がした。


 自分よりは年上には見えない、少女とは言えないまでも、大人と感じる事も出来ない女。

 17、8くらいであろうか。自分を見つめたまま固まっている女性をもう一度観察する。

 特徴的なのは月夜の闇でも輝く日に焼けた褐色の肌と大きな金色の瞳。砂漠の夜を体現したかのような黒猫に似た女性。

 ただその瞳の輝きは濁っていて、驚いていると言うのは分かるが感情の起伏が乏しい様にも思えた。


「夜這いにしちゃ激し過ぎじゃねっすか?」


 落とされた首が百面相を相していれば驚くのも無理は無いと、今迄の経験を思い出して苦笑を浮かべる。

 野盗相手に尻込みしている訳でも無いが、最初に出会った野盗も今回の野盗も攻撃する事に躊躇いが無い。また自分の体が傷つけられてアルトリアを血まみれにしてしまっては堪らないと、取りあえず穏便に出て見たつもりだった。――が、


「むにゃ……夜這い~? うん、ボク大歓迎~。クロウ~ん~ちゅっちゅっ……あれ?」


 卑猥な単語に反応したのか、アルトリアの寝惚けた声が聞こえた。

 同時に男の上擦った悲鳴も聞こえた。

 アルトリアは自分に口付けしようとして、体をギュッと抱きしめている。ただそこに有る筈の首が無いことに寝ぼけまなこで起き上がっていた。


「あれ~? クロウ首は~? …………まいっか……てか今だと拒まれたりしないかも!? うへへぇ~」

「良くねえよっ!! うへへぇ~じゃねえっ!」


 寝惚けたまま九郎の体をまさぐり出したアルトリアに、九郎は思わず叫ぶ。

 離れていても感じる手の感触に、未だに持ち場に戻らない血液達が歓喜に湧く。


「もぅ……こんなにしちゃってぇ……ボクと~っても嬉しいっ! ってああっ!」

「早く起きろ! 寝惚けてんじゃねえ!! 発情してっから、既にそっちの野郎は虫の息だぞ!?」


 サワサワ撫でられながら、九郎の体はアルトリアを抱きかかえてベッドを飛び出る。

 寝惚けたまま発情し始めたアルトリアは、近くにいた男の命を吸い取り始めていた。触れていないから命全てを吸い取ってはいないようだが、それでもかなり奪われてしまったのだろう。くぐもった呻き声を呟き、男が膝から崩れ落ちている。

 同情する気は無いが、人殺しを極力避けたいと願っているのはアルトリアも九郎も同じ。

 知らずの内に人を殺めていたら彼女もまた落ち込んでしまう。


「や~だぁ~。クロウちょっと待ってぇ……」


 まだ寝惚けているのかアルトリアは九郎の首を抱きしめ、顔へと頬ずりして来る。

 もちろんそこに顔は無いから、アルトリアの頬は空をきるばかりだ。

 取りあえずこの見た目の悍ましい格好をどうにかしようと、九郎が首を拾い上げる。


「あ、クロウの首見っけ~……ん~っちゅっ……」


 しかしその首も即座にアルトリアに奪い取られてしまった。

 寝惚けているアルトリアの胸に頭だけで抱きすくめられ、頬にキスの雨を受けながら九郎は段々青褪めてくる。

 このままでは自分が先に戦闘不能に陥ってしまう。


(血が足りねえっ!!? あんだけ掻き集めたのに一か所に纏まってんじゃねえっ!!)(纏まれって言ったの頭だしぃ~?)(俺ら本能に従っただけだすぃ~?)(やっかましいわぁぁぁぁぁ!!!)


 もとからカオスな状況だったが、それでも今よりマシだろう。

 首の無い少々イキリタッタ男が、首を抱えてうっとりしている少女を抱きかかえている。

 誰もが言葉を失う状況なのは間違いない。


「アルトっ! そろそろ首を返せっ!」

「や~ん、ボクの~」

「お前のじゃねえっ! 俺んだよっ!」

「ケチ~………………ってあれ?」


 やっとの事で首を取り返した九郎。名残惜しそうに手をばたつかせていたアルトリアがやっと眠りから覚めたようだ。

 目をぱちくりさせながら辺りを見渡し、静まり返った闇の中に人影が有る事を確認し、


「どちらさま?」


 当然の感想を口にした。


「知らねえよっ!!!」


 夜の砂漠に一際大きな九郎の突っ込みが響き渡った。

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