第177話 懲りない面々
空気さえあれば大抵の生物は存在出来る。
それはこの異世界に於いても変わらないのだなと九郎は物思いに耽る。
何も無いと思っていた砂漠でも生物の痕跡は発見できる。
時折見かける白い骨と化した動物達や、干からびてカラカラになった虫などがそうだ。
一月前に『光の魔境』と呼ばれる極寒の地を彷徨った時には生物のせの字も見てはいなかったが、この熱砂の砂漠に於いては生物は存在するようだ。
(いや……あの『光の魔境』にもいたな……
ふと知り合ったオッサンを思い出して苦笑を浮かべる。
そう言えばこの砂漠を縦断しているのも、その『光の魔境』で50年間生き続けた男と落ち合う為だったと思い出し、知り合いの安否を願わずにはおられない。
と言っても50年間生物の存在しない地で氷漬けにされたまま生き続けた彼の事だ。
砂漠で野たれ死ぬことは考えられず、待ちぼうけをくらって諦めて先に進んでいるだろうとも思える。
(つーか、カクさん平原の街って言ってたけど、この辺全部砂漠じゃんかよぉ……)
50年隔絶した世界に閉じ込められていたのだから、地形もある程度は変わっているかと言っていたが、彼の話ではこの辺りは大平原だと言っていた筈だ。
それが50年の間にこんなに干上がるものなのだろうか。
異世界だから地球とは違った力が働いているのかも知れないが、見渡す限り草の一つも存在しない、乾いた砂の海が広がっているとは思ってもいなかった。
まあ、道なき道を行くのも慣れたものだと、自分の彷徨い歴からはそっと目をそらしつつ砂の海を眺める。
「クロウ~! そろそろ近付いてきたよ~!」
「おうっ!」
アルトリアの声に九郎は思い出したかのように返事を返していた。
砂の海は生きるものなどいないかのように静かだ。
しかし本当にいない訳では無い。
「そろそろ献立に新たな食材が欲しいと思ってたんだ!」
荷物を砂地に放り投げて九郎は拳を打ち付ける。
「え~……。アレ食べんの……?」
「ゴメ食っときながら今更!?」
アルトリアの嫌そうな声に思わず突っ込む。
食べなくても死なない九郎達ではあったが、自分達が人であり続ける為に食事は必要だと考えていた。
腹が減るのもあるが、何より、人の道から外れていくのが2人とも怖かったと言うのもある。
忘れ去られた村で眷属にした『
ただ本当に人の道から外れていないかと言われると、
道中の食料はアルトリアの家にあった物は殆んど持って来ていたが、それでも十分な量が有った訳では無い。しかし九郎達は3食欠かさず食べていた。
出所を知ってしまうと少々食欲が減退することになるが、それでも無限に湧き続ける食料には助けられている。
九郎がゴメと呼んでいる米によく似た食材は、アルトリアの畑で育った味良し、栄養豊富で、どんな料理にも合う優れた食材だ。出所さえ知らなければ。
「ボク
「いや、うめえよっ!? でもアレも見た目はそう変わらねえよ!?」
九郎が砂漠を指さしアルトリアにフォローとも思えないフォローをする。
何も無いように見える砂漠に、波打つような盛り上がりが見える。
砂の中に何かが潜んでいる。
時折僅かに見えるテラテラとした肌色の体表が、日の落ちかけた夕陽に煌めき何ともグロイ。
「来るぞっ! 残さず食ってやっから安心しなっ!!」
動く砂のうねりは3本。すぐ傍まで近付いて来てその大きさが見えてくる。
以前出会ってしまった巨大なミミズ、『
「え~……。畑にした方が良くな~い?」
夕陽に照らされて、ぬめる体液を見せ始めた襲撃者にアルトリアは、いまだに眉を顰めてぶー垂れる。
畑というのはゴメの畑の事を言っているのだろう。確かにゴメは育つだろうが――。
「
「……え? やだぁ~……今の言葉はちょっとキュンとしちゃう……」
「いきなり盛りモードに突入してんじゃねえっ!!」
ゴメを良く知る九郎は思わず叫び、アルトリアが照れて頬を染めた。
二人とも不死ゆえにいささか緊張感に欠けるが、以前油断して酷い目にあったことのある九郎は、気合を入れ直し眼前を睨む。
「来るぞっ!」
「ボクに触っちゃだめだよぉ~。あれ? 結構見た目えっちぃね?」
九郎が短く声を発し、アルトリアが薄く目を細める。
うねるように砂中を進んでいた蛇のような何かが、砂上に姿を現した。
肌色のヤツメウナギのようなグロテスクな生き物だ。体長はおよそ4mほど。その体表はぬらぬらと光る粘液に覆われ、本当に人の腸のように見える。
「さてっ! 大人しく晩飯になれやぁっ!!」
九郎は雄叫びをあげて突っ込む。
両手を炎に『変質』させ、赤く煌めく腕を掲げて飛びかかる。
「『
夕陽よりも濃い赤い煌めきが、砂漠の中で巨大な炎の間欠泉を噴き上げた。
ボグンと鈍い音を立てて、肌色のヤツメウナギが凹む。
「ちっ……。やっぱ炎は今一効果がねえな」
手ごたえは感じたが、肌色のヤツメウナギは動きを止めてはいない。
砂漠に潜む魔物だから炎に強いのかも知れないと、九郎は別の攻撃手段に切り替える。
「相棒っ! 出番だぜっ!」
九郎は腕から自分専用のナイフを生みだし、右腕を浅く切る。
殆んど傷も生まれ無いような僅かな傷でも、想像以上の痛みが腕に走る。
(くっそ……やっぱ慣れねえ……)
自傷の痛み――『フロウフシ』の『
しかしそれを躊躇っていては強く成れない。自分の力の無さに打ちひしがれたばかりの九郎は、今、強い攻撃手段を欲していた。
「強く成りてえのに、掠り傷ビビってられっかよぉっ!!」
ポタポタと流れ落ちる血の滴が徐々に指先を伝う。
その滴を振り払うように九郎は腕を横に振る。
小さな飛沫が砂漠の夕陽を浴びて、赤い宝石のように煌めく。
「『
九郎の声と同時に赤い滴が弾ける。
僅かな量の血液が小さな泡となり、そして霧に変わる。
「火に強いって事は冷気に弱いって事だよなぁっ! 『
九郎が叫んだその瞬間、空気そのものが凍り付くような強烈な冷気が辺りを覆っていた。
(ん? ちょっとは威力が上がってんのか?)
一瞬霜が降りたかのように肌色のヤツメウナギの回りの空気が白む。
とりあえずものは試しと冷気を拡散させる為に血を撒き散らし、少しでも温度が下がるようにと思っていたのだが……。
灼熱の太陽が赤と黒の彩りを見せる中、白く煙る霧の中から現れたのは凍りついたまま動きを止める異形な魔物の姿だ。
『
しかし一瞬で肉体を凍らせる『光の魔境』を彷徨っていたおかげか、その威力、放つ冷気は驚くほど強力に変化していた。
「でりゃぁあっ!!!」
掛け声と共に九郎は肌色のヤツメウナギを粉砕する。
柔らかく強靭な体を持っていた肌色のヤツメウナギも、こうなってしまえばただの氷の彫像だ。
「とりあえず一匹っ! アルトは!?」
ガラガラと崩れ落ちる氷と化したヤツメウナギに背を向けアルトリアに目を向ける。
「も~、眷属にしないようにって結構たいへ~ん!」
アルトリアは頬を膨らませながらも、余裕の表情を見せていた。
そもそも伝説級の『アンデッド』であるアルトリアも、そう易々死ぬ体では無い。
しかも300年の間に培われた魔法は、不死者すら葬り去ると豪語するだけあって、どれもこれもが一級品だ。
今も魔法で作り出した黒い鎌を携え、ヤツメウナギを切り刻んでいる。
それほど力を込めているようにも見えないが、彼女の膂力は相当のものだ。
「やっべ……。めっちゃ強え」
九郎が思わず呟く。
膂力もそうだが、アルトリアの作り出した黒い鎌も恐ろしい威力だ。
ただ触れただけでヤツメウナギが削られているようにも見える。
「……何で出来てやがんだ? ……あの鎌…………うぇっ!?」
その威力を自分も喰らった事があるだけに、恐ろしいまでの切れ味に舌を巻き、固唾を飲みこんだ九郎は眼を瞠り呻く。
闇夜の暗がりのような鎌が、僅かに振動していたのだ。
耳を澄ませばギチギチと小さな音が鳴り響いている。
「あんまり食べすぎちゃ駄目だよ~。後でボク達のご飯にするんだから~」
子供に言いやるように朗らかなアルトリアの声が聞こえる。
目を凝らして良く見ると、アルトリアの持つ鎌は、何かの生物で出来ていた。
それがヤツメウナギに接する度に、その場所が消失するかのように
(アルトの魔法って殆んど生き物関連なんかよ……)
死を振り撒く存在が生命の魔法を使う。
矛盾しているように見えるが、命を生みだす事を望み死を飛び越えてしまったアルトリアらしいと言えばらしい。
「やっほー。クロウの方も片付いた~?」
一瞬見惚れていた間にアルトリアの相手はバラバラに切り刻まれていた。
手を振りながら駆け寄って来るアルトリアに、九郎は色々な感情を含んだ苦笑いで答える。
「こっちは一匹倒したぜ? く、腐らないよう冷凍保存してあっから、お、俺の方が上手だな」
自分が弱いとは感じているが、それを素直に認められないのが男の面倒臭いところだ。恐ろしいまでの強さを見せたアルトリアに、少しでも見栄を張ろうとそんな言葉が口から出る。
「うん、クロウにはボクは敵わないよ~。きっとボクはベッドでアンアン泣かされちゃう」
その言葉に対してアルトリアは妖艶な目つきでしな垂れかかって来ていた。
戦闘という行為をした事で気持ちが高ぶってしまったのだろうか。そう言えばアルトリアは魔法を使った後は殆んど発情している気がする。
「そそ、それよりもう一匹いなかった――――かぁ??」
これは不味いと九郎が上ずった声を上げた瞬間、目の前が闇に包まれた。
「あんっ……クロウ……。激しいっ……」
「んな事言ってる場合かっ!?! 食われちまったぞ、おいっ!?」
一瞬にして最後の一匹の飲み込まれてしまった九郎とアルトリア。
巨大だといっても4メートル程のヤツメウナギのような魔物だ。
密着して身動きも取れない状態で消化器官を滑り落ちるのは、違った意味で気が気では無い。
魔物に飲み込まれたとしても九郎達は『不死者』だ。
「やん……。ぬるぬるする……。なんだかボクえっちい気分になってきちゃった……」
「状況を考えろぉぉぉぉぉおおおお!!!」
アルトリアの声色からも、魔物に飲み込まれたことくらいで死ぬ心配が無いのか、九郎の予想通りの脅威に変わりつつある。
「ドロドロに溶け合って混じり合うのもエッチだと思わない?」
「エッチじゃねえっ!! 俺はス〇トロはごめんだ!」
経験者の言葉は重いと、九郎はアルトリアを叱りつける。
飲み込まれる事に関してもベテランの九郎は、その後大概酷い目にあっているので実感が籠っている。その殆んどが羞恥心に対してのダメージだが、それは今回も同じような気がする。
「もう……でもボクもウンコはやだな……。って、あ……眷属になっちゃった……。どうしよ?」
暗闇で見通せないが、アルトリアが困った風に言って来た。
言われてみれば搾り取られるように掛かっていた圧力が弛緩している。
「まあ、食わねえ奴は殺さねえって言ってたけど……食われちまった奴も仕方ねえよ」
身動きが取れないまま九郎がぼやく。
『不死者』である自分達はやろうと思えば一方的に生物を殺すことが出来る。
しかし九郎はその事に対して未だに悩み続けていた。
死なない自分が命を奪う事が、ものすごく理不尽に思えていたからだ。
九郎のこの考えはアルトリアも賛同してくれている。
もとから命に対して憧憬の念が大きいアルトリアは、自分が襲われてでさえ抵抗を見せない娘だ。どれだけ辱められようとも、決して自分から命を奪う選択を持てなかった一人だ。
人でありたいと願う二人の『不死者』は、奇しくも同じ感傷を持ち、命を奪う事に対して自ら枷を付けていた。
しかしアルトリアの正体、『
「じゃあ、このコは天に返してあげるね……」
一瞬暗い声で呟いたアルトリアは、九郎の胸に顔を埋めながら小さな声で呪文を呟く。
ザザザザザザザザザ
九郎の足元を擽るように、アルトリアのスカートの裾がはためき、黒い何かに覆われる。
視界が蝕まれるようにして、雄大な夕日に照らされた砂漠が現れ、体を包み込んでいたヤツメウナギのような魔物は跡形も無く姿を消していた。
「
アルトリアは寂しげに呟き九郎の腕にそっと腕を絡めた。
無為に命を奪った事にアルトリアも消沈してしまったのだろう。
そう考え、慰めの言葉を口にしようとした瞬間、
「おわぁ!?」「やんっ!」
足元が滑って九郎はアルトリアを巻き込み盛大に転ぶ。
体の表面どころか、その体内までが粘液で満たされていた肌色のヤツメウナギのような魔物。
九郎もアルトリアもその粘液を全身に浴びた格好になっていた。
「わ、悪いっ! ワザとじゃねえんだっわわわわわっ!」
はからずともアルトリアの豊満な胸に
「ねぇ……」
これはマズイッ! ――九郎が顔を無理やり上げると、うつ伏せになったまま九郎の首に腕を絡めたアルトリアの瞳が潤んでいた。
夕陽の中で妖しい紫色の光を湛え、切なそうに九郎を見つめるその瞳に心臓が早鐘のように脈打つ。
「アルトっ! 早まるなっ! 落ち着けっ! な?」
何をとかは言わずとも分かるだろう。
この表情をしているアルトリアは九郎にとって天敵だ。
結果はいつも酷い目なのに、懲りずに戦闘準備を始める愚息に眩暈がする。
「分かってるよ……。でも……命を奪うだけのボクが命を作る行為に憧れるのは仕方ないじゃない……」
アルトリアは切なそうに九郎の首に唇を寄せ、九郎の手を自分の胸へと誘って来る。
「少しで良いんだ……。ボクにも命の煌めきをちょうだい?」
掌が沈み込むかと思えるような柔らかさに体の中が熱くなる。
ヌルヌルの粘液にまみれたアルトリアの服は、肌に張り付き、てらてらと夕陽に輝いている。
元が薄い生地なのか、白い部分は透けかけており、アルトリアの健康的な肌の色が薄っすらと映し出されている。
黒い部分の下半身は、濡れた水着のように太腿に張り付き、美しい肢体を形取っている。
ヤバい――そう分かっていても抗えない魅力に九郎の頭がぼーっとしてくる。
「お、お天道様が見てるっ! 落ち着けっ! アルト!」
それでも気力を振り絞って九郎は欲望に抵抗する。
このまま雰囲気に流されても待っているのは地獄だけだ。どちらも盛り上がれば盛り上がるだけ、後の後悔が大きくなる。
「もう太陽は沈むよ。触ってくれるだけでいいんだ……。ボクもまだ
くらくらするような色気。アルトリアの言う通りそれだけならと、ピンクの尻尾によく似た悪魔が囁く。
(いやっ! ぜってー無理だっ! 俺は俺のオレを全く信用できねえっ! 絶対悲惨な目にしか合わねえっ!)
これだけ何度も酷い目にあって来た九郎は、鉄の意志で息子の頼みを蹴飛ばす。
もういい加減懲りても良い頃だと思うが、使い物にならないだけ立派な志なのかもしれない。
ただ立ち上がるだけで何もせずに磨り潰されているだけだと言うのに、心意気だけは立派なものだ。ただの馬鹿だと思う事の方が多いが……。
しかしそれでも九郎は
いくら男の下半身は別意識だと言っても、味わう痛みは一緒なのだ。蛮勇の勇み足に付き合わされてばかりでは堪らないと、九郎は心を鬼にする。
「ほら、アルト。他にも見ている奴らがいるからっ! 俺、アルトリアの乱れる姿を他の奴には見せたくねえんだ」
見ているだけでもマジでヤバいと九郎は周囲に目を逸らす。
そこには肌色のヤツメウナギに掘り起こされたのか、所々に獣の骨が散乱していた。
ハイエナのようなイヌ科の動物の頭蓋骨。牛のあばら骨のように巨大な白い肋骨。力尽きたかのように横たわる紫色の人骨。あちらに見えるのは蛇の骨だろうか……。
気障なセリフでもって納得してもらおうと、九郎は片目を瞑り――――
「カクさん!???」
二度見した。
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