第六章  ローン・オブ・ザ・デッド

第176話  汗は心の涙


 抜けるような青い空。天高く雲一つ無い青空に燦々と輝く太陽が昇っている。

 アクゼリートの世界の太陽は大きな――地球と変わらない太陽とそれに付き従う衛星のような小さな緑の太陽で構成されている。小さな緑の太陽は有っても無くても変わらないのではと思うくらいに光が弱く、あの太陽自体は大きな太陽の光を反射して光っているだけなのかも知れない。


 太陽の恵み。古今東西で言い伝えられるこの言葉は寒さを祓う太陽が、闇を照らす太陽が、神と同一視されていた事を表している。事実、海の底で暮らしていた頃は自分も太陽に憧れ、その暖かさに焦がれていた。


(しかし……)


 眉を顰め、苦渋に満ちた表情の黒髪の青年が歩いていた。

 遠目に誰かが見ていても、それが人だと気付く事は無かっただろう。遠目に見たその姿は幌馬車が自立して動いているようにしか見えなかった。


 大きな荷物を背負った青年が、眉を八の字に下げ口元を歪めて歩いていた。

 大荷物を一纏めに縄で結わい、荷車ごと担いでいたのは一人の青年だった。

 自身の5倍はあろうかと言う容量を一人で担ぐ青年の姿は、巨大な獲物を運ぶ蟻のようだ。

 ともすれば押しつぶされそうな荷物を担いでいるから、青年は苦悶の表情を表しているのかとも思えたが、彼の足取りには疲れは見られない。

 一歩一歩進む速度は変わらず、めり込んで行く砂の動きにもなんら痛痒を感じていないようにも見える。


 では何故青年は苦悶の顔を晒しているのか。


 その理由の一つは彼を照らす太陽の恵みに他ならない。

 恵みと言えども行き過ぎては毒になる――その言葉を黒髪の青年、九郎は噛みしめていた。


☠ ☠ ☠


 燦々と降り注ぐ太陽の光は、影を一つも作らないこの場所に於いては、遠火でじっくり炙られているようにしか感じられない。

 大地に照り返された遠赤外線が熱気を伴いゆらゆら目に見えるかのようだ。

 陽炎を立ち昇らせる大地は砂と砂と砂で出来た砂の海だ。

 一歩踏み出す毎に足の踝までが砂に沈み、まるで泥の海を渡っているかのように感じる。

 さらさらとした極小の砂粒は、か弱い風にも舞い上げられ、赤い風紋を大地に描く。


 目の前に聳えるのは100メートルを超える砂で出来た山。影が無いのは頭上に太陽が有るからで、日が傾けばこの場所は赤と黒のコントラストに彩られる。

 その光景は、初めて目にした時には良く分からない郷愁のような物を抱かせるほど雄大だったが、それも今は見慣れてしまって感動も薄れてしまっている。

 何せここ毎日ずっとこの景色を繰り返し見ているのだから……。

 九郎は――――砂漠を彷徨っていた。


(彷徨ってばかりだな……俺ってば……)


 代わり映えの無い砂の海を渡るのももう何日目なのか。

 じりじりと焦げ付くような太陽の光を浴びながら九郎は眉を寄せる。

 いくら『慣れる』九郎であっても、目の前に広がる砂の海と焼けつく太陽の日差しにはうんざりする。

 汗もかかない『不老不死』の体と言えども、見た目の暑苦しい光景には心の中に汗が溜まる。


 思い返してみればこの世界、アクゼリートに転移してから彷徨ってばかりのような気もする。

 最初にこの世界に降り(落ち?)立った時には礫砂漠を2月ほど彷徨い、次に真っ暗闇の洞窟をひたすら彷徨った。

 樹海の中を彷徨った事も有れば、光り輝く雪原を彷徨った事も有る。

 この世界に来てから半分は彷徨っている時間だったのではと思えてしまう。彷徨う事に関してはベテランになりつつあるなと苦笑を浮かべ、この砂漠を彷徨い始めてから2週間と経っていないのだから彷徨う内にも入らないかと、気を取り直して進み始める九郎の腕に柔らかいものが押し付けられた。


「ほ~らっ! あの山越えたらお昼にしようよ。んふふ~」


 朗らかで明るい声が耳の直ぐ傍から聞こえてくる。

 九郎の心の汗が止まらない理由その2。

 大荷物を担ぐ自分の二の腕に押し付けられる柔らかい膨らみが原因である。


 荷物を担いで砂漠を歩く九郎の腕には黒と白の衣装を着た若い娘が抱きついていた。

 この熱い日差しの中にあっても汗一つ掻かず、上半身裸の九郎の腕にべったりと引っ付いている美少女。

 雪深い寂れた村で出会い、それから行動を共にしているアルトリアだ。


「おいっ!? あんまりべったり引っ付くなよ!? 歩き辛えんだっ!」

「え~? ボク一人増えたところで何てことないって言ってたじゃん?」

「ナンてコト!? になりそうなんだよっ!!」


『フロウフシ』と言う神から授かった『神の力ギフト』のおかげで、九郎の力は人外に踏み込みつつある。

 アルトリアの言う通り、少女一人ぶら下がっていても重いとは感じない。

 感じないのだが…………。


 二の腕に感じる柔らかな感触は感じるのである。

 訳あって人と触れあう事が出来なかったアルトリアは、触れあえる九郎に事ある毎に抱きついて来ていた。

 巨乳の中の巨乳、ベストオブ巨乳と言えるアルトリアの二つの双丘に挟まれた腕は、否が応にもその幸せいっぱいの感触を脳に伝えてくる。

 そしてその感触を受け取った脳は、本能に従い一つの信号を出してしまう。

 ――男なら、若い男なら絶対に抗えない『戦いに備えろ』との信号を。


 その結果はさもあらんだ。

 両手が塞がっている事で位置を直す事も儘ならず、歩きにくくなってしまう。

 人は獣から進化する過程で2本の足で歩く事を覚えた。決して3本足で歩くようにはできていない。


 股間につっかえ棒が生えないよう眉を歪めて汗を流す九郎。

 もちろん汗は暑さによるものでは無く、脂汗だ。今の九郎の頭の中ではこの後に続く卑猥な妄想では無く、卑猥生物ピンクの尻尾に滅茶苦茶にされる自分自身がさめざめ泣いている。


「何なにナニ? ……あっ……んふ~。クロウってばえっちぃ~。いや~ん、ボクいつでもいいよ? する? でも初めてが太陽の下だなんて……ちょっと恥ずかしいな……」


 九郎の股間に目を向け、若干顔を赤らめたアルトリアが熱の籠った吐息を耳に吹きかけてきた。


「真昼間から盛ってんじゃねえっ! てか、出来ねえの説明しただろうがっ!」

「で、でもっ! サワリだけならっ! 最初の入り口までならっ! ほら……、ボクの胸もこんなにドキドキしてるの……分かる?」

「押し付けんなっ! 擦りつけんなっ! 耳を噛むなっ! あっ、マジでヤベえっっ!!」


 白昼堂々と濡れた瞳で縋るように抱きついてくるアルトリアに、九郎は悲鳴を上げる。

 巨乳の美少女に抱きつかれていると言うのに九郎の顔は青ざめている。

 これは何も九郎が女性嫌いだとか、童貞だとか、男色家だと言った理由からでは無い。九郎は女好きを自認している健全な男子だ。

 それに美少女に抱きつかれる事を嫌がる男はこの世に存在しない。

 特にアルトリアのように肉感的で魅力的な女子なら歓迎すべきであって、断る理由は無いだろう。

 ただ一つ問題があるとするのならば、それは九郎自身の問題だ。


『10人から真実の愛を受け取る事』――九郎がこの世界、アクゼリートに転移する時に課せられた『神の指針クエスト』の内容だ。所謂ハーレムを築けと神に言われてこの地に来た九郎だったが、同時に矛盾とも言えそうな禁忌を課せられていた。

『本心から抱かれたいと思う人が5人現れるまで、子を成すような行為をしてはならない』――とどのつまり、女性とエッチな関係になるには5人から抱かれたいと思われなければならない。それが九郎を悩ます問題だった。


 当初は自分に授けられた『神の力ギフト』を使えば、直ぐに『英雄』となり「すごいっ! 抱いてっ!」となると目論んでいたのだが……。

 九郎に授けられた『神の力ギフト』は『フロウフシ』と『ヘンシツシャ』と言う、見た目がグロイ力と見た目のショボイ力しか無かったのである。

 特に『フロウフシ』の『不死』の部分――何をしても死なないと言う自分の体は、人々に恐怖を抱かせてしまう。


 結果、九郎が数える中では、自分の『不死』の力を知っても抱かれたいと思ってくれた女性は、冒険者仲間で今は離れ離れになってしまっている森林族の少女シルヴィアと、最近知り合ったこのアルトリアの二人しか現れていない計算だ。 


「むぅ……。ボクはこんなに盛り上がってて、クロウのソコも盛り上がってるって言うのに……」

また・・ぶっ倒れちまったら、さらにデキる・・・日が遠のくぞっ!?」


 むくれて頬を膨らませるアルトリアに、九郎が眉を上げ下げしてがなる。

 むくれていじける顔すら可愛いと思ってしまうのだから性質が悪い。

 股間のツッパリが幕下力士から横綱に変わる前にどうにか鎮静化させないと大変な惨劇が起こってしまうと、顔に焦りが広がっている。


 5人に抱かれたいと思われない内に女性と交わろうとすれば、九郎には厄災が降りかかる仕様になっているからだ。

『死んだ方がマシ』と思えるほどの激痛が股間を襲うのである。

『不死』故に死ぬ事が無く、『ヘンシツシャ』の力で痛みに強い体だというのに、その激痛は脳が焼き切れてしまう程強烈なもので、現に今迄何度かそのような雰囲気になり、結果九郎のクロウは阿鼻叫喚の痛みを味わう事になって来ていた。


 それならば、そういった雰囲気にならないように努めればと思うが、このアルトリアと言う少女がそれをなかなか許してくれない。


「くっ…………。あぅ……。でもっ……。…………うん……300年待ってたんだから……ここでクロウが駄目になっちゃったらお終いだもんね? ……分かった……我慢しますん」

「おいっ!? 欲望がまだ漏れてんぞっ!」


 ひとしきり苦悩して見せたアルトリアがやっと九郎の腕を解放した。

 それでもその瞳は熱に浮かされたように濡れ、物欲しそうに指を咥える仕草が非情に艶めかしい。


 今の言葉の通り、アルトリアは300年以上人と交わる事を夢見てきた少女だ。

 生命を生み出す行為――所謂エッチな行為に魅せられた少女。

 死して尚エッチなことを諦めきれなかったばかりに誕生してしまったという、なんともな理由で誕生したアンデッド。『魔死霊ワイト』と呼ばれる伝説のアンデッドが、アルトリアの正体だ。

魔死霊ワイト』となった体では人に触れるだけでその命を吸い尽くしてしまう。

 人に触れて欲しいと願い続けていたアルトリアは、やっと触れ合える九郎と言う存在を見つけた事で、スキンシップが楽しくて仕方が無いようにも見えていた。

 だから九郎もアルトリアが望めば抱きしめる事くらいはいくらでもしてやりたいと思っている。

 美しい少女に抱きしめてと願われて断れる訳が無いし、それくらいでいきり立つほど自分は女慣れしていない訳では無いと考えていた。


 しかし問題は、アルトリアが九郎の思った以上に好色であり魅力的だった事だろう。

 300年以上悶々と処女を拗らせていたアルトリアは、春先の猫よりも露骨に扇情的だった。

 言葉一つで性的なものを思い浮かべてしまう程に妖艶で、情けない事に九郎のクロウは中学生男子のように分かりやすい反応を見せてしまう。

 以前であればスル直前までは大丈夫だった股間への制裁も、アルトリア相手だと本番のかなり以前に制裁されてしまい、既にもう何回も制裁されている身だ。


「分かったよ……。でもあとでもういっかいぎゅっとしてね? 今日の所はそれで我慢するからさ」


 覗き込むようにしてアルトリアが九郎を見上げていた。

 なんともいじましい上目遣いで口を尖らすアルトリアに、九郎は自分の顔が熱くなるのを感じてしまう。

 零れ落ちそうな胸元に目が吸い寄せられてしまう。


(普通にしててもエロいってなんの冗談だよっ!? くそぉ……)


 九郎は眦を下げて視線を逸らしながら、ぶっきら棒に「おう」と短く返事を返す。

 自らに課せられた試練の重さに今更ながらに気付き、九郎は心の中で汗と血の涙を流していた――。

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