第175話 閑話 青の聖女
「ふぅ……」
疲れそのものを吐き出すかのようにベルフラムは溜息を吐き出した。
体を支えるのも億劫だと言わんばかりにソファーに体を投げ出し、胡乱気に天井を見上げる。
「お疲れ様です」
鼻孔を茶葉の香りが擽り視線を向けると、クラヴィスがお茶の用意をしてくれていた。
クラヴィスも街中を飛び回っていたと言うのに、出来た家臣だとベルフラムは力ない笑みを向ける。
体力的なものもあるだろうが、ベルフラムも体はそれほど疲れている訳では無い。日々運動を欠かさずしてきた事で、体力もかなり付いてきたとの実感が有る。
しかしいくら体を鍛えても心の疲労まではどうしようもない。
「ありがとう」
クラヴィスが淹れてくれた茶のカップを受け取り、ベルフラムは礼を言って一口含む。
柔らかな茶葉の香りが心に溜まった疲れを流してくれる。
「しかし青麦ねぇ……」
数度に分けて熱い茶を喉に滑らせると、ベルフラムは傍らに目を向け呟く。
目の前のソファーには先客がいた。
精も根も尽きたと言わんばかりの様子でレイアがソファーに沈んでいた。
商家の扉を破壊するという暴挙を犯して飛び込んで行った時には頭を抱えたくなったが、レイアは思った以上に事を良い方向へと進めてくれていた。
原因を特定する一助になればと、力を貸してくれるよう頼んだのだが、しばらくして戻って来たレイアの報告を聞いて2度びっくりする事になった。
ひとつはレイアが屋敷の罹患者全てを治療し終えて戻って来た事。
解毒魔法を使えるようになっていると聞かされていたが、それが真実だと裏付けた形だ。
いつの間にとの思いもあるが、何故との思いもある。解毒魔法が使い手が途絶えた理由を知っていたベルフラムは、その時初めてレイアが自分の体で実験しながら解毒魔法を覚えていった事を知ることになる。
「何故って……食べ物が増えればベルフラム様が喜んでくださいますから……」
物凄い剣幕で問いただした時にも、レイアは自分が何をやっていたかも分からぬ様子で照れていた。
二の句も告げないとはああいう時の事を言うのだろう。
確かに食べれるものが増える事にはベルフラムは素直に喜びを表していた。
しかしその新たな食べ物を得る為に、レイアが命がけで調べていたと聞けば青褪めてしまう。
「私は大丈夫ですよ!? もう大体は平気になってますから!」
命を繋ぐ為に食料はあるのであって、それで命が失われては本末転倒も良いところだと叱ったのだが、レイアは顔を輝かせてそんなセリフを言い放っていた。
話を聞く限りレイアは毎日毒物を口にしていたらしい。そのことだけでもクラインが卒倒しそうになっていたが、一年以上続けている内に体に抵抗が付いて来たらしく、今は大概のものを食べても腹を壊す事すら無くなったのだと言う。
そんな馬鹿なと突っ込みたい気持ちを押さえ聞き続けると、レイアの口から魔法の真理とも言える、彼女と全く結びつかない言葉が飛び出していた。解毒の魔法が、一種類の毒物に対する一時的な抵抗力を強める類の魔法だという、今は失われてしまっていた真理を。
その一時的な抵抗力を強める魔法を毎日使っている内に、体そのものがそれを普通と認識するようになったのだろうか。
誇らしげに自身の成果を語るレイアを見ながら、ベルフラムはそう分析し、呆れ果てたような表情を浮かべるしかなかった。
そして2つ目の驚きはレイアが毒物の解毒魔法と同時に、魔法に頼らない解毒方法も見つけ出していたという事だろう。食べられない毒物を食べられるようにと日々研究を重ねていたからに他ならないが、そんな事を思いつくのはレイアのように一つの事しか目に入らない者だけだろうと今も思う。
「私は毒物には詳しくありませんでした……。疫病と聞いてその事だけに囚われていたのが、今回の私の落ち度だったのでしょうね」
「それは私も同罪よ……クラヴィス。私もまさかそんな毒物が有る事なんて知らなかったもの……」
傍で立つクラヴィスが自分を責めるように俯いたのを見て、ベルフラムは励ましの言葉を口にする。
励ましの言葉と言っても本心からのものだ。疫病とは人から人へと移るものとの考えに囚われ、人の流ればかりに注視していたが、それが仇となった形だ。
レイアが
聞いたことも無い毒物の名前だったが、レイアの説明によると『青麦』とはただの麦が変質したものだそうだ。
通常刈り入れが終わり貯蔵されている麦は茶色く変色している状態だ。このままでも何年も持つと言えば持つのだが、時たまそれにカビが生える事が有るのだと言う。見た目は成長途中の麦そのもので、別段不思議に思わないのが危ないらしい。
そのカビには四肢を腐らせ、命を奪う強力な毒が含まれているのだそうだ。
同時に得も言われない高揚感を抱き天にも昇るような快感を得るのだと言っていたが、それは麻薬の類では無いだろうかとベルフラムは再びレイアを心配そうに見つめてしまったものだ。
「私はもうその頃大分毒に強くなってましたからっ! ちょ~っとふわ~っとしただけですよ?」
慌てたようにレイアが言っていたが、それもどこまで本当なのか……。
ともあれレイアはその毒――『青麦』を食べた経験から古い麦を無毒化する術を模索していたのだと言う。そして根性なのか執念なのか、思いもよらぬ方法でそれを発見していたと言うのだから驚きだ。
「『青麦』の食べ方はですね……ララケル草……そうです、ベルフラム様が一度食べて痺れてたあの毒草です。それを磨り潰したものと一緒に一晩おいておくとカビがそっちに移るんですよ!」
毒を以って毒を制すですと言っていたが、よくぞまあ発見したものだと感嘆する他無い。
事無げに言っているが、その方法を見つける為にどれ程の労力を費やし、どれぐらい毒を喰らっていたかと思うと気が遠くなりそうだ
しかしその事は、今も毒に伏している者達にとっても朗報をもたらした。
苦い記憶でもあるがベルフラムも食べた事の有る雑草――ララケル草はアプサル王国ではどこでも生えている雑草だ。食べた事のあるベルフラムも良く知っているが、その効果は麻痺。長い時間体がシビシビ痺れるような弱毒性の麻痺毒を持っている。しかし死ぬような毒では無く、手足が痺れる程度なのだが、それは食べた後にも他の毒性を集める効果があったようだ。
危険な実験でもあったが、解毒魔法を使えるレイアがいる事でクラインが自ら実験に名乗りを上げた。
孫娘がしでかすのであれば自分が犠牲になるのが一番角が立たない――との思いも有ったのだろう。
クラインが悲壮な覚悟で挑んだ実験だったが、結果は見るも明らかだった。
体を苛む『青麦』の毒はララケル草の毒で根こそぎ集められ、次の日には排出されると言う奇跡のような効果をもたらしていた。
「あ、なんでも毒を集める訳じゃあありませんからねっ!? 組み合わせによっては酷い事になったりしますから、気を付けてくださいね!」
したり顔でレイアが言っていたが、その言葉はどう聞いても経験者の談だ。
引きつった笑みを返すしかないベルフラムやクラインを他所に、レイアはゴリゴリ、ララケル草を摩り下ろしていた。
それからの日々はベルフラムも目の回る忙しさであった。
街中の患者はレイアとクラヴィス達に任せ、ベルフラムは何通もの文をしたため、各地に送る事に忙殺されていた。
自領レミウスだけでなく、王都や他領に鳥を飛ばし、一刻も早く事態の鎮静化を図りたかった。
既に何人もの死者を出している現状では国が荒れる一歩手前だ。
自身の為にも国が荒れる事を望まないベルフラムは、半信半疑の他領の貴族達を納得させるために何度も文を飛ばすことに追われていた。
ベルフラムの努力の甲斐あって、当初は半信半疑だった他領の貴族達も徐々に試す者が現れ始め、やっとアプサル王国を混乱の渦に巻き込んだ『青麦』の事態は沈静化を見せ始めていた。
「しっかし……ユーイチは死んでからも迷惑をかけるのねぇ……」
「流石に今回はアレの所為と言うのも……いえ、やっぱり私もアレは嫌いです! そう言う事にしておきましょう!」
ベルフラムは憎々しげに眉を歪めてぼやく。
クラヴィスが一瞬苦笑を浮かべたが、ベルフラムと同じように顔を顰めて同意を示す。
他人に悪感情をあまり抱かないクラヴィスにしても、あのユーイチと言う男は許せない気持ちが有るのだろう。名前を呼ぶのも悍ましいと言った様子のクラヴィス。彼女の信じる天国――九郎とベルフラムの側と言う場所を壊した切っ掛けを作った『青の英雄』の残りカスが今回の事件の発端だった。
と言ってもユーイチは九郎が倒したので、今回直接手を下されたと言う訳では無い。
自領から忽然と姿を消した彼の代わりの領主としてその地に赴いた新しい貴族が事の発端だった。
「欲っていうのは時にどうしようもない下らない事を引き起こすのね……」
力なく呟くベルフラムの言葉にクラヴィスが頷いている。
ユーイチ領に赴いた貴族は欲を掻いたのだ。何故か膨大な量が蓄えられていた旧ユーイチ領の小麦だが、その保存の仕方はお粗末極まりない有様だったようで、ほぼ腐りかけ、残っているものもカビで覆われ目も当てられない状態だったようだ。
そこで新たな領主として赴任した貴族は、まず麦を買い漁った。食料となる麦がカビているのでそれは仕方の無いことなのだが、一気に量を買い求めた事で値段の高騰を招いてしまった。
それだけなら商売の事を知らない素人の笑い話で済むのだが、そこでこの領主は欲をかいたのだ。
麦の値段が上がった事で膨大に腐らせている麦を売ろうと考えたのだ。
もちろんそのままでは腐っている事もバレバレだが、それを粉にして他と混ぜてしまえば分からないだろう……そんな悪知恵を働かせてしまった事がこの騒動のきっかけであった。
人の不可思議な移動も偽装工作の一環だ。――ばれないように色々な商人を経由させようとしたからに他ならない。
そして同時に売り払った小麦が再び戻ってこないよう、自領に入る小麦に税を掛けた。
はたして『青麦』が含まれた麦は商人の手に渡り、各地の領地に売られる事になる。そして運悪く『青麦』の混ぜられた小麦を口にした者が毒でバタバタ倒れていったと言う訳だ。
「レミウスが荒れ地で良かったと思う日が来るとは思いませんでした……」
クラヴィスはそう言って微妙な笑みを浮かべた。
レミウスに『青麦』の被害が少なかったのは単純な理由からだった。
レミウスはそもそも小麦があまり取れないので、小麦を食べる習慣が根付いていない。
小麦自体が高価なこともあり、市井の人々は麦では無く
「それにしても……」
嫌な男の事など思い出したくも無いとベルフラムは話題を変えようと視線を戻す。
主の意図を読んだのかクラヴィスも同じように視線を移す。
「う~ん……ベルフラム様……」
目の前にはへにゃと笑みを浮かべ、幸せそうな寝言を呟くレイアの姿がある。
「聖女様……ねぇ……」
「レイアさん、本当に凄かったと思いますよ?」
ベルフラムに頼られた事が余程嬉しかったのか、レイアは寝る間も惜しんで街中の人を治療して回っていた。
鬼気迫ると言えそうな熱意と、どこか熱に浮かされている様な笑みを湛えながらひたすらに街の人々を治療し続けた。『青麦』の毒でトリップしているのかと一瞬心配してしまったほどに、レイアは人々の治療に必死だった。
そしてその姿は人々からは神の使いの如く映った。
移ると思われている恐ろしい疫病に臆する様子も見せず患者に接する姿。
何度も魔力切れで倒れそうになりながらも、這ってでも患者の元へと向かおうとする自己犠牲の化身とも言えそうな献身的な態度。
自分の方がふらふらになりながらも、一人の死者も出すまいと街を奔走していたレイアの姿は街の人々から尊敬の眼差しで見られるようになっていた。
――青の聖女――
アルバトーゼの街ではレイアは今そう呼ばれるまでに至っていた。
本人はたった一人の少女に振り向いて欲しい、認めて欲しいと言う単純な理由だったとは知る由も無い。
「もう……幸せそうな顔しちゃって……」
ベルフラムはレイアに近づき、その頬を指でつつく。
九郎を害し離れる切っ掛けを作ったレイアを疎む気持ちはまだ有る。
しかしこれ程までに慕ってくれる人間を突き離す事も出来ない。
他人に自分を見て欲しいと願っていたベルフラムにとって、自分だけを一心に見続け、他に目もくれないレイアを無下にする事は出来はしない。
そしてそもそもベルフラムは諦めの悪い人間を放ってはおけない性質だ。
「むにゃ……ベルフラムさまぁ……くすぐったい…………はっ!?」
「あ、ごめんなさい。起こしちゃった?」
自分の心の中を触って確かめるかのように、ベルフラムがレイアの白い頬をつついているとレイアが眠たげに瞼を擦り目を開いた。
起こすつもりは無かったとベルフラムが謝罪の言葉を口にする。
レイアはボーっとベルフラムを見つめ、口元を拭う仕草をし、
「ぴゃぃっ! スミマセン! スミマセン! い、いつのまにか寝てしまい……すぐ治療に行ってきま……あ……あれ?」
寝惚けていた。
立ち上がろうとしたのか、空中を泳ぐように手を掻き、そのまままたソファーに倒れ込む。
体の自由も儘ならない程疲れているのかとベルフラムが心配げに見やる中、レイアはキョトンと呆けた顔を晒す。
「もう街は大丈夫ですよ、レイアさん。お茶どうぞ」
「ぴぇっ!? あれ? あ、ありがとうございます……え? あれ?」
クラヴィスが苦笑を浮かべてレイアの前に茶の入ったカップを置く。
条件反射で礼を言いながらレイアがカップを手に持ち、状況が飲み込めないといった表情で首を傾げる。
(まったく……夢の中でまで私を見て……)
ベルフラムは小さく笑みを浮かべてレイアを見つめる。
まだ心のどこかで彼女を疎んでいるのだろうか。愛しい人と離れる切っ掛けを作ったレイアを許す気持ちは持てないのだろうか……。
自分の心を鑑みるように目を瞑ってみるが、その辺りがもやもやとして良く分からない。
自分だけを見つめ、喜ぶ顔を見たいが為に命を失う危険も考えずに毒を食べ続けていたレイア。
(そこまでされて嫌える訳が無いじゃない……)
報われたいと自分自身が思っている。九郎と言う青年に自分が抱く好意が報われてほしいと願っている。
だからこそ他者の好意も報われてほしいと思ってしまう。
九郎と添い遂げる事を諦めないベルフラムは、同じように諦めない者には報われてほしいと願う気持ちがある。
だからこそベルフラムは諦めないレイアを嫌いになれない。
それは自分自身を否定する事に他ならないと思っているから。
(例え何処かで道を違える事になっても……)
ベルフラムはまだ寝惚けている様な表情を浮かべているレイアに微笑みを向ける。
諦めない自分が諦めない娘に何を報いる事が出来るか――考えながら。
☠ ☠ ☠
夢を見ていた。
青い青い水の中必死でもがき続ける苦しい夢だ。
冷たく肌が引きつるような感覚と、纏わりつく様な水の感覚に胸の中に不安が渦巻く。
僅かな太陽の光が水面を揺らしていると言うのに、どんなに手を動かしても体が浮上しない。
そんな自分の力の無さに打ちひしがれるような絶望の中に沈む夢。
――――寒い……苦しい……誰かっ……! ――――
求めるのは太陽のように眩しい少女。水面に揺らめく光が炎のような髪を持つ少女の姿に重なる。
必死で手を伸ばし、腕をかいてもても届かない。
――――どうしてっ……――――
心の中に焦燥が生まれる。どうして? ――そんなものは分かっていると自分の中の誰かが答える。
寄る辺を求めるこの性根が。一つの事に目を奪われてしまう愚かな目が。そもそも力の足りないこの手足が、その理由を分かっているだろうと。
――釣り合わないのは分かっているでしょ? あなたはただ安心したいだけ……。手の届かないものに憧れてしまったから……どうあがいても無理だと……無力な自分を慰めたいだけ――
こころの奥底で
女だてらに騎士を目指した自分がただ愚かなだけ。
騎士の叙勲を目の前にして、ただ怖気づいて戻っただけと。
――違うっ!! ――
声を出そうと口を開くと、代わりにゴボリと泡が舞う。
自分はあの少女の為に騎士を目指した。あの傍らに控える為に修練を積んだ。
泣き叫んで訴えたかったが、自分の中の自分は薄笑いを浮かべて知らん顔を浮かべている。
――それですらただの言訳だわ……。あなたは以前言ったじゃない? 騎士になる為に
否定できない事実を突き付けられ、心が押しつぶされそうになる。
苦しい――寒い――助けて――――!
なんどもがいても縮まらない距離に心がすり減り摩耗していく。
もう駄目――もがいてもどうしようもないと伸ばす手が力なく垂れたその時――胸に熱い火が灯った気がした。
焼けつくような焦燥が、不安を祓う熱い炎に変わって胸を温める。
冷たく
――――諦めてしまったら私は
今迄か弱かった手足が嘘のように水をかいた。
浮上する感覚を身に纏い、目の前に眩しい光が見えてくる。
手を広げ柔らかな笑みを湛える少女が自分に胸に飛び込んでくる。
「……ベルフラム様……」
レイアは胸の熱と共に温かな光を抱きしめた。
「むにゃ……ベルフラムさまぁ……くすぐったい…………はっ!?」
「あ、ごめんなさい。起こしちゃった?」
夢と現の狭間で呟いた言葉に、返事が返って来た事にレイアは驚く。
慌てて目を開くとそこには申し訳なさそうに眉を寄せる赤髪の少女の姿が有る。
レイアはボーっとベルフラムを見つめ、涎が垂れていた口元を慌てて拭い、
「ぴゃぃっ! スミマセン! スミマセン! い、いつのまにか寝てしまい……すぐ治療に行ってきま……あ……あれ?」
寝惚けたまま叫んでいた。
アルバトーゼの街で突然発生した『青麦』。予期せぬ出来事だったが、同時に自分の挽回のチャンスでもあった。目的は違っていたが、約2年毎日欠かさず続けてきた毒の研究が、意外な形で主の役に立とうとしていた。
この機を逃してなるものかと必死で治療して回っていたが、とうとう魔力切れを起こしてしまったようだ。
いつのまに運ばれたのか――そう思ったのも束の間、目の前のベルフラムの姿に気が動転してしまった。
折角自分のしてきた事が役立つチャンスだと言うのに、暢気に寝ていてはまた主の不興を買ってしまう。
慌てて次の患者の元へ行かねばと動こうとして足がもつれ、再びソファーに突っ伏したレイアはベルフラム達が穏やかな笑みを湛えている事にふと我に返る。
「もう街は大丈夫ですよ、レイアさん。お茶どうぞ」
「ぴぇっ!? あれ? あ、ありがとうございます……え? あれ?」
気が付くとクラヴィスが苦笑を浮かべて目の前に茶の入ったカップを置いていた。
条件反射で礼を返しつつレイアがカップを手に持ち、状況を必死に考える。
そう言えばこれで最後とか言ってたような……倒れる寸前の状況を思い出し、再びベルフラムとクラヴィスに目を向ける。
クラヴィスは静かに微笑み、ベルフラムのカップに茶を継ぎ足している。
何も言わない二人の間にはどこか安堵する空気が流れている。それは手の中に収まる茶の入ったカップのように、温かな信頼と呼べるものだ。
(ああ――私もクラヴィスさんのように、言葉にしなくてもベルフラム様と通じ合えるような関係になりたい……)
憧憬と共に小さな嫉妬を覚える。
ベルフラムの騎士の任を解かれ、レイアが憧れていた地位には今はクラヴィスが座っている。
クラヴィスの才はレイアはもちろん、祖父であり師でもあるクラインすら認めるところだ。
ベルフラムの隣にクラヴィスがいればレイアも安心して見ていられる。
それでも、何もかもが足りない自分を自覚していても、羨ましいと思ってしまうのは仕方のない事だ。
騎士を目指した切っ掛けに過ぎなかった『ベルフラムの騎士』というレイアの夢は、今尚心の中から消えてはいない。クラヴィスのいる場所に自分も……そう願ってしまう事は止められない。
孤児院の仕事も充実している。だがそれでもどこかで満たされない。
ベルフラムと並んで遜色のない存在になりたい――偽りの無い本心がそこに存在していた。
(でも……私はクラヴィスさんも好きですから……
心の中に生まれた嫉妬を頭の中から振り払い、レイアはクラヴィスに視線を向ける。
クラヴィスを羨ましいと思う気持ちはあるが、同時に彼女に憧憬も覚えている。追いつきたいと思う心は間違い無い。だけど、追い落としたいと言う感情は持っていない。ピリと胸が引きつるような思いに、レイアは自分がかつて言われた事を思い出す。
クラヴィスからの助言はレイアの道標として、自分の中にしっかり根付いている。但し、そこに小さなささくれが混じっていることも自覚せざるを得ないのだから。
レイアが胸の中に宿る複雑な感情を隠し切れず顔を歪めていると、ベルフラムが目を細めて近付いてきた。
(あれ? まだ夢の続きでしょうか?)
唐突に自分の望む光景が再現され、レイアは呆けたまま首を傾げる。
いくら鈍いレイアと言えども、ベルフラムが自分を避けていた事には気が付いている。
微笑みながらカップを持つ自分の手を覆う少女は自分が見たかった幻。そう思うほどにはレイアとベルフラムの接点はか細くなっていた。
しかし手の甲に伝わる熱はやけにリアルに伝わっていて――。
「―――――――――――――」
ベルフラムの口から紡ぎだされた言葉も
それでも自然と涙が頬を伝っていた。
「え? ちょっと!? レイアっ!? どこか痛いの? やっぱり毒が……」
「違う……違うんです……」
ツウと頬を伝った涙を見て、ベルフラムが慌てふためき、レイアは目元を拭って頭を振る。
「体調は……なんとも……無いですから……」
滲む視界のままレイアは感動に打ち震えたまま泣き顔を隠すように俯く。
平静を装うがどうにも声が震えてしまう。ポタリと涙が紅茶に落ち、滲んで沈む。
ハラハラと涙を流すレイアの胸に、ベルフラムの「レイア……助けてくれてありがとう」の言葉はずっと仄かな火を灯し続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます