第174話 閑話 伸ばされた手を掴むもの
「ベルフラム様! ここは危険でございます! お下がりください!」
「どきなさいっ! 調べないといけない事があるのよ!」
商家の屋敷に到着してすぐ、ベルフラムとクラインの押し問答が発生していた。
疫病が発生した家に来るだけでも危険なのに、領主の姫君が病人の診察をするなど家臣として認める訳には行かない。もし万が一が有ってならないとクラインは顔を青ざめさせている。
しかし祖父のクラインとベルフラムの押し問答を耳にしていても、レイアはどこか上の空のような感覚であった。ふわふわとした足元がおぼつかない感覚とでも言おうか。耳に残る澄んだ声だけが頭の中を支配していた。
「お爺様! 私が参ります! どいて下さい!」
「なっ!? レイア!? 何故ここに!?」
西区の商家の扉の前で「どけ」、「危険」、とどこか噛みあっていない攻防を繰り返していたクラインが目を瞠る。孫娘である自分がいることに今気付いたかのような面持ちだ。
ベルフラムがレイアを伴って行動する事はここ近年殆んど無かったのだから無理も無い。
孤児院で子供達の世話に追われていたレイアは、そもそも屋敷の敷居を跨ぐことも稀であったし、主のどこかギクシャクした空気も感じ取っていたからだ。
「何故? 患者を診て原因を探る為です!」
「何を馬鹿な事を!? お前が医者の真似事など出来るはずも無いではないか!」
孫娘に対してかなり辛辣と言えそうな言葉がクラインの口から飛び出る。
しかしその心の内は老婆心だろう。
ベルフラムも大事だがレイアも可愛い孫娘だ。病の蔓延る寝室に行かせる事など出来ないとの考えがあるに違いない。と思いたい。
確かにクラインはレイアの祖父であり、レイアの駄目な所も余すことなく知られている。
どう贔屓目に見てもレイアに医術の真似事など出来る筈は無いと言いきった言葉も、不甲斐無いが本心からだろうと確信できる。
「お爺様は黙っていてください!」
しかしレイアは怒りとも言えそうな剣幕で祖父を一喝した。
頭の中でずっと響いている言葉が、レイアを突き動かしてた。
――レイア、力を貸して?――
今朝ベルフラムが言った、たった一言の言葉。
今迄言われた事も無かった、自分の力を期待するかのような言葉。
「お爺様はそれでも騎士ですか! 主の願いにいち早く対応するのが騎士の務めでしょう!? ――『流れ廻る青』ベイアの眷属にして凍てつき穿つ青の氷柱よ! 貫け! 『クリス・グラキエス』!!」
一つの言葉に突き動かされるようにレイアは拳を突き出す。
腕の倍ほどはあろうかと思える魔法の氷柱がクラインの頬を掠めて扉を破壊する。
「レ、レイアっ!? 私を殺す気かっ!?」
祖父の抗議の声もレイアには聞こえていない。
ただ一つの事だけを見つめているレイアに、他の言葉は入って来ない。
「ベルフラム様……私が診て来ますのでここでお待ちください」
「え……ええ……。レイアも気を付けるのよ?」
「大丈夫です! 私は毒には強いんです!」
あまりのレイアの暴挙にベルフラムも固まっていた。
ベルフラムもレイアが商家の扉を破壊するとは考えていなかった。一つの事に目を向けると他が目に入らなくなるレイアの性格を再び思い知らされた気分だ。
同時に懐かしい感情が胸の中に込み上げていた。
「レイア……クロウみたいな事言って……」
その言葉も屋敷へ入るレイアの耳には届いていなかった。
☠ ☠ ☠
「診察に来ましたっ!!」
バァンッ! とドアを破壊するような大音響を立ててレイアは扉を開け放つ。
「だっ!? 誰です!?」
まだ罹患していない家人であろうか。使用人のような格好をした婦人がレイアの登場に慄いている。
「アプサルティオーネ家の者です! 患者はどこですか!?」
婦人の反応に目もくれず、レイアはズンズン部屋の中に踏み入る。全く周りが見えていないと言ったレイアの剣幕に圧されたのか、婦人は震える指でベッドを指さす。
「この方ですね!? 意識は……無いようですね」
「ああっ! 旦那様っ!?」
病人に対して遠慮の欠片も無い平手打ちを数度見舞い、レイアはフムと頷く。
婦人が悲鳴を上げる。
「さて……どうしましょうか?」
そしてここに来てレイアはやっと我に返る。
ベルフラムに力を乞われて舞い上がっていたが、もちろんレイアに診察の経験は無い。
子供達が熱にうなされた時でも、食べたものを聞いてそれに対応する解毒魔法を唱えるだけで対処出来ていたからだ。
もとから病を回復させる魔法は青の魔法には存在していないとされていた。病とは生命の暴走であり人種ではあまり素養が無い黒の魔法の範疇だ。そもそも孤児院では毎食しっかり食べ、風呂で毎日体を温めている為子供達は風邪一つひかなかった。だから異常が現れた時、レイアは直ぐに「何か拾い食いしたのだろう」と当たりをつけ、解毒魔法を使っていたに過ぎない。
「あ……あの? アプサルティオーネ家と言うと領主様の?」
「え、ええ……」
やっと我に返った婦人にレイアは歯切れの悪い返事を返す。
内心は冷や汗で溺れてしまいそうだ。
力を乞われて飛び込んできたが、疫病に造詣が深い訳でも無いから病症を見たところでさっぱり原因が分からない。
ベッドに寝かされた男性は、腕を天高く掲げうわ言のように何かを呟いている。
指の先が青黒く変色し、口からは泡を噴きながらニヤニヤ笑っているかのようだ。
(どうしましょぅ!? このままではいけませんっ! ベルフラム様に失望されてしまいます!)
レイアは必死に考える。この状況を打破する答えがどこにあるのか、頭から煙を吹く勢いで考えを巡らせる。
(普通に考えたら分かるでしょう!? 私に医者の真似事など出来る筈が無いって!? 私が詳しいのは毒物だけだっ…………て……)
婦人がおろおろ見つめる中、レイアは目をぐるぐるさせ頭を抱え、そして一つの言葉に立ち返る。
一つの事しか見えないレイアは、自然と元の言葉に戻って来ていた。
――レイア、力を貸して? ――
主のベルフラムの言葉が再び頭に蘇る。
レイアが崇敬して止まない主は、子供の見た目とは思えないほど頭が良い。
そして傍に仕えるクラヴィスは、祖父でさえ舌を巻くような賢さだ。
その二人が自分の頭の弱さを知らない訳がない。――なんとも情けない確信を持ちながらレイアは再び考える。
賢い二人の少女が自分を頼った訳を――。
「ご婦人!」
「は、はいっ!!」
一つの答えに行きついたレイアがグルんと首を回し声を上げる。
頭を抱えて黙っていたと思った次の瞬間大声をかけられ、婦人が飛び上がらんばかりの驚きを見せる。
「昨晩の食事! 昨晩の食事の残りを持って来てくださいっ!!」
「え? あ、あの……。お腹が空いたのでしょうか?」
「良いから早くっ!!」
「はいっ!!!」
唐突に声を荒げたレイアの迫力に、婦人は逃げるように部屋を出ていく。
その後ろ姿を見ながらレイアは再び患者に目を移す。
ベルフラムとクラヴィス。賢い二人の少女はこの病の原因が毒ではないかと考えたのだろう。
レイアが解毒の魔法を使える事すら知らなかった様子だが、そもそもレイアがこっそり研究していた事なのだから、それに落胆することは無い。
新たな食材を得る為、ベルフラムを喜ばせたい一心で研究を続けていた。そして新たな食材で主の喜ぶ顔を見る事が何よりレイアの幸せだった。一つの事しか出来ないレイアが一心に取り組んできた努力の成果は既に笑顔と言う形で報酬を受けている。
しかしそれに加えて予期せぬ実が成っているのかも知れない……。
レイアはじっと天に伸ばされている青く変色した腕を見つめる。
天に助けを求めるかのように伸ばされたその手は、足掻き喘いでいる自分自身の手にも見えた。
「も、持って来ました!」
僅かな感傷を抱いていたレイアの背中に声がかかる。
盆に料理を乗せた婦人戻っていた。湯気を立てているシチューや肉。ご丁寧にも温め直してくれたのだろうかと、レイアは訝しがりながらも会釈を返す。婦人の目もどこか疑うような視線であるからして、レイアが何をしようとしているのかも分かっていないのだろう。
「それでは診察しますね」
だがそれを説明する気にも成れず、レイアは食事を口に運ぶ。
「あ、あの……。やっぱりお腹が減ってらしたのでしょうか?」
婦人の誤解を手で否定しながら、レイアはムグムグ口を動かす。
そのままふと視線を寝室に備え付けられた鏡に移してしまい、顔を少し赤らめる。
口いっぱいに食事を詰め込み頬を膨らませた今の姿は、どうみても食事を集りに来たようにしか見えない。
「ん、ん、んぐっ! ん……。診察が終わりました」
口の中の物を無理やり飲み込んで、レイアは咳払いをして弛緩した空気を誤魔化す。
そのままぺろりと舐めた舌の中で、自分の記憶と味を照らし合わせていく。そして――
「――『流れ廻る青』ベイアの眷属にして不浄を流す清らかな水よ! 抗え!
『ヴェルマ・アクア・キュアーティオ』!!!」
青く柔らかい光がレイアの手から放たれると、ベッドで寝ていた男性を包み込む。
うわ言のように何かを呟いていた口元は戻り、天を掴もうと伸ばされていた腕がシーツにパサリと落ちた。
「旦那様っ!? 何をされたのです!? 説明してくださいっ!!」
力尽きたかのように見えたのだろう。婦人が顔を青褪めさせレイアをガクガク揺する。
「だ、大丈夫、ですからっ! 毒の、抵抗を、上げる、魔法をっ! 使いましたっ! あっ……やめてっ……気持ち悪くなって……」
まだ落ち着いていない胃と頭を揺さぶられ、レイアが青い顔で呻いた。
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