第173話 閑話 疫病


王国歴1469年終黒の月


 新年の祭りの賑わいも落ち着いた頃、アプサル王国に原因不明の病の風が吹き荒れた。

 人々はバタバタと煙に煽られた羽虫のように地に倒れ、四肢を青黒く変色させて死と舞踏を踊った。

 風が吹けば人が死ぬ。そう噂されるほど、病はあっというまにアプサル国を飲み込んでいた。

 国は多くの神官を各地に派遣し、その対処に追われていたが、もとより誰も知らない未知の疫病。

 魔法も薬も役には立たず、人々はただ自分に死の粉が撒かれないよう、身を潜めて震える事しか出来ないでいた。


 そして原因不明の病は、ベルフラム達の対策でも封じ切れず、レミウスまでその手を伸ばしていた。


☠ ☠ ☠


「何が……何が原因なの?」


 燭台の灯りだけが光源の執務室で、ベルフラムが憔悴したまま呟く。

 ここ何日も睡眠時間すら削って調べていると言うのに、手掛かりは依然として掴めていなかった。

 手元に地図を広げ、疫病が発生した地域をつぶさに調べていたが、全く病の経路が見つからない。

 人の流れを制限し、街々では検疫の為の神官まで派遣して浄化の魔法を施していると言うのに、病は思っても見ない場所から発生していた。


 まるでモグラのように思わぬ場所で発生する疫病。

 地図に描かれたバツ印もそのことを物語るように、飛び石のように散在している。


 普通疫病と言うものは紙に滲むインクのようにじわじわと広がっていくものだ。

 その速さに違いはあれど、人から人へと伝播していくのだから、そこには確か道筋が見えてくる。

 その道筋を見分け、原因を突き止めればと考えいろいろ手を打って来たつもりだ。

 いっそ人の流れを完全に止めてしまえば――そう考えた事も有る。

 だが荒れた領地でもあるレミウスで人の流れを止めるという事は自殺行為だ。

 今年は豊作ではあったが、それでもレミウスは他領から食料や薪を買って何とかやりくりしている領地だ。

 冒険者が多いので、素材――魔物の毛皮や牙を輸出し、それと引き換えに麦を買って領民を養っているといってもいい。どう考えても完全に人の流れを止める事は出来ない。


 そしてそれが無駄だと感じるもう一つの理由。

 地図上に飛び石に付けられた×印がベルフラムを混乱させていた。

 自分が持つ商人の情報網とクラヴィスの情報を合わせ、発生した地域の日付や規模を事細かに記したメモを見ながらベルフラムは眉を顰める。

 発生した日付の順にメモを地図上へと並べていくが、その手が忙しなくあちこちに動く。――完全にランダムなのだ。

 南に置いたメモの次には西の中央に。東で発生したかと思えば今度は西にと、病の動く動線すら分からなくなってくる。


「何が起こってるのよ……」


 地図上に置かれたメモを手で払い、ベルフラムは苛立ったように声を上げた。

 幸いまだアルバトーゼの街で疫病を発症した人の噂は聞いていない。

 だが病の噂は広がり続け、街は今や火の気が消えたように閑散としている。

 どこから移るのかも分かっていない疫病なのだ。人が人との関わりを恐れ、皆が皆家に引き籠り、街は死んだように静かに動きを止めていた。


(このままじゃ……)


 机に突っ伏しベルフラムは焦る心を自覚していた。

 何も民の為、国の為に奔走している訳では無い。

 為政者としての多少の責任は感じているが、ベルフラムの貴族の自覚は微々たるものだ。

 九郎と添い遂げる事だけを目標に、その目的に向かって準備を進めるベルフラムに、国の為、領地の為との思いは薄い。

 ならば何故焦っているのか……。


(このままじゃクロウが……)


 このまま疫病が広がり続ければ……。

 ベルフラムは頭に過った予感に身を竦ませる。


 国が乱れれば世が乱れる。そうなれば起こるのは乱世……戦いの日々だ。

 もとより多くの国々を武力で併合してきたアプサル王国。国を揺るがすほど疫病が広まれば、民の不満も膨れ上がり、紛争程度では収まらなくなる予感がしていた。

 そして乱世が起これば英雄が求められる。『青の英雄』……国を代表していた武力の象徴は九郎が倒してもういない。

 とすれば……次に白羽の矢が立つのは『青の英雄』を決闘で打ち倒した『芋の英雄』……九郎だ。

 九郎を迎え入れる準備の為に、孤児を引き入れ、『不死』に嫌悪を抱かないよう画策してきた。

 それが水泡に帰す気がして、ベルフラムは眉を顰め、不安を追い払うように胸元の首飾りをぎゅっと握りしめた。


☠ ☠ ☠


「ついに……出たのね……」


 それから一週間ほど経った良く晴れた寒い日。

 朝早くから慌ただしく動き回る臣下を見ながら、ベルフラムは苦渋に満ちた顔で呟く。

 取れる手立ては全てとっていたのに、それでも病は発生してしまった。


「場所は?」

「西区全部です!」

「一晩でそんなに!?」


 ベルフラムはクラヴィスの言葉に目を瞠る。


 例えどんなに足の速い疫病だとしても、一晩で一区画を一斉に犯す病など聞いたことも無い。

 クラヴィスが青褪めた顔でベルフラムの言葉に頷く。彼女の顔にも悔しさが滲み出ている。

 普段微笑みを絶やさないクラヴィスが、これ程狼狽える様子を見せる事も珍しい。

 多くの情報を掻き集め、必死に手を講じて来たと言うのに、それでも病の侵入を防げなかったのだ。

 彼女の喪失感もかなりのものだろう。


「子供達は無事なの?」


 西区と言えば裕福な者達が住む地域。ベルフラムの住んでいた元の屋敷も西区にある。貴族の他は商人や騎士爵位を持つものが多い、所謂高級住宅街とも言える。そしてその中にはベルフラムが孤児達を下働きに出した商家も含まれていた。

 一冬の間だけの関係とは言え、共に食事をした子供の寄宿先がその辺りだと気付き、ベルフラムが焦りを相して問う。もとから情が深いベルフラムは、手を離れたと言っても子供達の命に危険が及んでいると聞けば、平静ではいられない。


「はい……。ミックやエレンが今孤児院の方に来ています」


 どうやら疫病の発生を伝えに来たのは里子に出した孤児たちのようだ。


「なら今から向かうわ! クライン! 屋敷の薬草を持って先に西区に向かって頂戴! 触れたりしちゃだめよ! 中で無事な者に使わせなさい! この病は3日は生きていられるわ! その間に打てる手を出来るだけ沢山打つよう伝えるのよ! あ、服も外套を被って、それは後で破棄しなさい!」


 矢継ぎ早に命令を下し、ベルフラムは外套を被り孤児院へ向かう。 

 発生してしまったからにはもう経路を調べていても仕方が無い。それよりも早く、今度は薬を見つけなければ……。



 焦りを顔から滲ませたまま、ベルフラムは孤児院に駆け込んだ。


「院長先生! お嬢様を助けて!」

「旦那様の腕が青黒くなっちゃったの!」


 慌ただしく孤児院の扉を開けると、二人の子供がレイアに縋りついていた。

 ともすれば不思議な光景にも見え、ベルフラムは一瞬固まる。

 孤児院の中でレイアはいつも子供達に翻弄されていた。おっちょこちょいでからかいがいがあるのか、孤児院ではいつもレイアの困りきった声が響いていた。

 しかしすぐにベルフラムは合点がいく。

 孤児院で一番子供達に長く接していたのは、レイアだ。

 舐められているようにも感じた子供達の態度は、それだけレイアに気を許していたからかも知れない。

 レイアのスカートに縋る孤児達の様子は母親に縋る子そのものに見えて、すこし胸が熱くなる気がした。


「レイア、状況を説明してちょうだい」


 しかしほっこりとしている時間は今は無い。

 ベルフラムが声を上げると、レイアは弾かれたように身を起こし、佇まいを正す。


「ベ、ベルフラム様! お早うございます!」

「それはいいからっ! ミック、エレン! あなた達ももう一度話を聞かせて頂戴!」


 空気の読めないレイアに少し苛立ちながら、ベルフラムは子供達を見渡す。

 疫病の侵入を防げなかった今、次に講じるのは病そのものに対しての回復手段だ。

 焦る心を押さえ、情報を得ようとベルフラムは躍起になっていた。


 すぐさま食堂に移動し、子供達から病の状況を尋ねる。


「朝起きて、旦那様に挨拶しようとしたら、ご家族皆が寝込んでいて……」

「僕はお嬢様に朝食を持って行こうとしたら……」


 二人の話を聞くに、病は一晩で商家の家人に一斉に襲い掛かったようだ。

 症状はうわ言のように何かを呟き、夢遊病者のように手足を振り乱し熱にうなされる。

 手足は青い斑点が徐々に広がり、痙攣が激しくなってくる。見た目も恐ろしい病に居ても経ってもおられず、こうしてレイアを頼って来たと子供達は話していた。


 聞いたことの無い病状だ。

 ベルフラムは話を聞きながら、様々な疫病を思い返す。しかし未だに国さえ手立てを見つけられない未知の病。幼少の頃から書物を読み漁り貯め込んだベルフラムの知識でも、一向に答えに結びつくものに行き当たらない。

 難しい顔を相して、ベルフラムが考え込んでいるとレイアが首を傾げた。


「どうしてミックやエレンは無事だったのでしょうか? あ、いえ、無事な事は喜ばしいのですが……」

「そう言えば……」


 なんとも気の抜けた言葉だが、レイアはまだ病が疫病だとは知らないようだ。

 孤児院の業務に掛かりっきりだったレイアは、その間ベルフラムとクラヴィスが疫病の対抗手段をいろいろ講じていた事は知らない。今、話を初めて聞いたのだろう。この病が国中に広がっていて、ともすれば国が崩壊しかねない危険なものだとの認識は無さそうだ。

 しかしレイアの言葉は一つベルフラムの頭に光をもたらす。

 ベルフラムが顔を上げてレイアを見やると、隣のクラヴィスも何かに気が付いたように考え込む。


「何か気になる事があれば言って頂戴」


 先程は病が発生した事に悔しそうに俯いていたクラヴィスだが、その頭の良さは誰もが認めるところだ。

 一つの失敗とも言えない失敗で尻込みされては困ると、ベルフラムは先を促す。


「私達は疫病の発生源を捜す為、地域や順序は調べていましたが、誰が病に掛かったのかまでは見ていませんでした……」


 クラヴィスは指で額を押さえながら、考えを纏める仕草をする。


「そもそも疫病というのは貧しい者、弱い者から蝕んで行きます……。以前の私達のように孤児やスラムの住人から広がっていくのが通例です……」


 少し俯きがちになっていたのは、自分もその恐怖の中でずっと暮らしていたからだろう。

 幸いクラヴィスは獣人の強靭な体力で病に倒れる事は無かったが、同じような環境の孤児たちは病が流行れば一番にバタバタ倒れていったと話を続ける。


「ですが今朝発生した未知の疫病は西区……この街でも一番裕福な区画です。もしかしたら、そこに理由が有るのではないかと……」


 成程……ベルフラムはクラヴィスの言葉にまた考え込む。

 確かに納得できる話だ。ここ2年風邪も引かなくなったベルフラムは、意識の外にいたが、偏食だった幼少は自分も病弱だった。それこそ貴族の身分でなければ、早々と死んでいたかもしれない。体力が弱っていれば、病に対する抵抗力も下がる。

 そして抵抗力が低い者……それは貧しい者達だ。日々の食事も儘ならない彼らが一番に病に倒れてしまうのが普通なのだ。


 なのに倒れたのは一番病からは遠い位置にいる筈の裕福な者達。

 そして先のレイアのセリフがベルフラムの中で繋がる。


「ミック、エレン! あなた達昨日何を食べたの?」


 唐突に尋ねられたベルフラムの言葉に、二人の子供はキョトンとしたまましばし固まった。

 自分の予想……これまで外し続けていたのだから自信は少々萎んでいたが、見えないものが見えてきたような気がした。


「え……えっと、昨日は小鳥と鼠……」

「僕は、アグの幼虫とラバユリの根っ子……」


 およそ知らないものが聞いたら突っ込みどころが満載の献立を、子供達は口にする。

 しかし残念ながらこの場所にそれをおかしいと思う者はいない。


「ちゃんと食べれているようね? 安心したわ……それと私達は大きな勘違いをしていたかもしれないわね? クラヴィス」

「そうですね……疫病という言葉に惑わされていたのかも知れません……」


 一つの光明を見出したように、ベルフラムがやっと苦笑を漏らした。

 横でクラヴィスが同じように眉を下げ、不甲斐無い自分に自嘲の笑みを溢している。


「あ……あの……。ベルフラム様? 何がどうなったのでしょうか?」


 レイアは全くついて来れないと言った様子で、おろおろと二人を見比べるように視線を彷徨わせている。


「レイアのおかげで病の原因が分かるかもしれないってことよ? ありがとう、助かったわ……」

「ぴっ!? わ、私のおかげ!?」


 ベルフラムが微笑みを浮かべたことに、レイアが驚いたように自分を指さす。

 全く役立つ言葉を言った記憶が無いと、顔にありありと書かれている。


「そうよ、レイア。あなたのおかげ? かなぁ……。そう言えば……」


 その様子にベルフラムはさらに笑いを噛み殺し、ふと子供達に視線を移す。

 少し晴れやかな顔をしたベルフラムを不思議そうに見つめる子供達は、未だに不安が拭えていない。

 早く子供達を安心させなければと思いながら、思った疑問を口にする。


「あなた達はレイアに何を頼もうとしていたの?」

「い、院長先生だったら病気を治してくれるかもって……」

「お腹痛くなった時は、院長先生に言えば魔法で治してくれるから」

「え゛?」


 子供達から予想もしていない答えが返ってきた。ベルフラムは声を上げ、レイアを見やる。

 病を治せる……すなわち医術。そして魔法。

 どちらもかなり知力を要する。レイアと全く結びつかない。

 解毒の魔法なんてものは、ここ数十年使い手がいない、幻の魔法とされていた筈だ。

 魔法の言葉は広まっていれど、まるで効果が無く、使い手がいなくなってしまっていたのだ。

 

 ベルフラムは、レイアが毎晩毒物を口にし、どうやれば食べれるか日々研究を重ねていた事を知らない。

 新しい食材を見つけたと、時々誇らしげに報告して来ていたが、それを素直に喜んでいただけだ。まさか一人で毎夜毒見をし続け、同時にその解毒魔法まで研究しているとは想像もしていない。

 クラヴィスも、レイアが毒物を持っている事は知っていても、それで何をしているかまでは知らなかった。九郎を切り付けた事でクラヴィスとレイアの間に小さな溝は出来ていたが、同時に同じ主を崇敬する者同士。レイアが毒でベルフラムを害するとは全く思っていなかったので、あえて触れていなかった。


「な? なんですか? また何かやらかしてしまいましたか!? 教えてください! 治しますから!」 


 皆の視線が一気に集まり、レイアは一人狼狽えていた。

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