第172話 閑話 少女達の日々


「ほりゃぁ~」


 冬の雲一つない高い空の下、呑気であどけない声が響く。


 続いて響いてきたのは、ゴギャン! ガキン! と大地を震わせる重い音だった。


「はいさ~!」


 事実を目の前にしても光景と音が繋がらない――岩を砕くような音を立てているのは年端も行かない少女だった。


「はい、それではデンテさんが砕いた所から掘って行ってくださいね」

「はーい!」

「今日こそ俺が一番大きいの見つけるんだ!」

「ちゃんと院長先生以外も食べられる物見つけなさいよー?」


 長い金髪をなびかせた娘が朗らかに声をあげ、幼い少年少女のはしゃいだ声が続く。


「レイアしゃん、どこまで砕きましゅ?」


 大きな金槌を片手で軽々持ち上げた少女、デンテが金髪の娘、レイアに尋ねる。


「そうですね……この辺一帯をお願いできますか?」

「あい!」


 頬に指を当て少しの間考え込む素振りを見せたレイアが、目の前で円を描くような仕草をするとデンテは元気よく返事を返し、タタと駆けていく。


「てりゃぁ~」


 なんとも気の抜けそうな掛け声を上げてデンテが跳躍し、金槌を振り下ろす。

 幼い少女に持てるはずの無い大きな金槌。傍から見てていても木で出来た――それでも重そうだが――模造品にしか感じられないそれを大地に打ち付ける。

 続く音はまた同じ、地面を砕くような重い音だ。

 バキンともボグンとも聞こえる重い音を立てて、地面に罅が入る。

 冬の凍りついた大地は砕かれ、一枚の岩のようだった場所は氷と土で出来た瓦礫と化す。

 続いて子供達が歓声を上げて、その後に群がっていく。

 手に石の欠片や鉄辺を持ち、思い思いの場所を掘り起こしている。


「は~……。えらい力の強い子じゃなぁ……」


 畔道でデンテの様子を眺めていた農夫の格好をした男性が呆れたように呟いた。

 目の当たりにしていても信じられない……その表情にはその心情がありありと浮かんでいた。


(……確かに……。デンテさんまた力が強く成ってますね……)


 男性に愛想笑いを返しながら、レイアも心の中で感嘆と呆れを同時に浮かべる。

 獣人種と言う人種よりも身体能力に優れた種族であるとは言え、デンテの見た目は他の子達となんら変わらない7歳の幼女だ。それが今や屋敷の中で一番――いや、街中の中でも一番ではと思わせるほど力が強い。獣人種は魔法が不得手な代わりに、身体能力を底上げする術を自然と覚えるのだと聞いていても、筋肉の欠片も無いような幼女が大地を砕くさまは、見ていると乾いた笑いが込み上げてくる。


 孤児たちを伴ってレイア達が訪れているのは、麦の収穫も終わり、雪と氷で固まった畑跡だ。

 農家の畑に食料を求めて――ではあるのだが、農夫にその事は言っていない。

 ベルフラムの発案なのだが、レイアは農家に畑を掘り返す見返りにいくばかの援助を求めていた。

 凍りついた大地をそのままにして冬を越すと、圧力がかかり掘り起こすのが大変になってしまう。春先に麦を蒔くにはまた畑を耕さねばならなくなり、結構重労働だ。

 そこに目を付けたベルフラムが、「固くなった畑を耕すから幾らかの援助を貰えないか、農家と交渉してみてくれない?」と、レイアにもちかけていた。

 当初レイアは何故そんな迂遠な申し出をするのかと思っていたが、目の前で見れば子供達もデンテも畑を耕しているようにしか見えない。

 農家は食料や衣服の端切れと引き換えに、春先の仕事のひと手間が無くなり、レイア達は食料――この場合は冬眠中の蛙や蛇、幼虫などだが――を得る事が出来ると言う一石二鳥の発案だった。


 レイアにはまだここまで思い至ることはできなかったが、これは何もベルフラムが少しでも多くの金を得ようと発案した訳ではない。貴族の娘であり、自分で『風呂屋』を営んでいるベルフラムは金に困っていない。この場合はこちらも食料を得る為なのだから、無償で引き受けても問題は無い。いくら孤児達に着せる服や冬場に使用する薪代が掛かるとは言え、その程度を出せないほど困窮している訳ではなかった。

 しかしベルフラムには子供達が無償で育てられて、逆に委縮することが無いよう、働いていると言う認識を持たせたいとの思いが有った。クラヴィスとデンテを拾ったベルフラムが、彼女たちが健やかに育ったのは、共に『風呂屋』で働いた経験があったからだと思っていたからだ。ただ庇護されるだけの存在では無く、自分の居場所として、自分も役だっていると言う自覚が孤児たちに必要だと考えていた。それに加えて、いつ自分達が出奔しても良いように、子供達に金を稼ぐ方法を色々と教えようとしていた部分もあった。


 今年は麦も豊作で農家と言えども懐は温かい。それにベルフラムがこの辺一帯に求めている税の率も低い為、レミウスと言う荒れた領地であっても人々は余裕のある暮らしが出来ていた。――税の率が低いのはここを治めるベルフラムが余りにも金のかからない暮らしをしているからと言う、領主の姫君としては特殊すぎる理由ではあるが……。


「ベルフラム様もあんなにお可愛らしいのですから、少しは着飾ったらいいのに……」


 レイアは着飾ることに興味を持たない主を思い出して口をへの字に結ぶ。

 ベルフラムも最低限領主の娘として恥をかかない程度の格好はしているのだが、それは外向きの場合であり、孤児院の中では殆んど街娘と変わらない格好をしていることすらある。自ら率先して動こうとするから「動きにくいドレスは邪魔」との言葉は彼女らしいとも言える。


(あ……お可愛らしいは禁句でしたっけ……)


 クラヴィスにそっと伝えられた言葉を思い出し、レイアは口元を押さえる。

 ここ1年半の間ベルフラムがあまり成長していない。胸はもとより身長も殆んど……どころか全く成長していないようにも見える。ベルフラムももう13歳だ。本来なら胸も膨らみ始め、身長も伸び女らしい身体つきに成って来る頃である。なのに遺伝なのか、それとも昔は偏食だった為か、ベルフラムは時を止めたかのように成長していなかった。

 それを言わずとも気にしているベルフラムを慮ってのクラヴィスの助言。

 ただでさえ、以前に比べてギクシャクしてしまっているベルフラムとの関係を少しでも良くするためにも、彼女を傷付ける言葉は口に出さない方がいい。


(でも……春の装束で着飾ったベルフラム様……可愛かったなぁ……)


 ほやんと呆けた笑みを浮かべて、レイアがまた主に想いを寄せていると子供達の中から歓声が上がっていた。


「でっけえ蛇見っけた―!!」

「すごーい! 食べるところいっぱーい!」


 視線を向けると孤児の男の子が大きな蛇を掲げ、誇らしげに戦果を周囲に見せつけていた。

 この辺の動植物は全て味見してきたと自負しているレイアも見たことの無い、珍しい色の蛇。

 赤紫色の人の腕程もある大きな蛇は、ぐったりと紐のように男児の腕に垂れ下がっている。


「いけないっ!!」


 それを見るや顔色を変え、レイアは叫んで駆け出す。


「早くその蛇を捨てなさいっ!!!」


 レイアが大声で叫ぶ。


「えー? 折角見つけたのに……」


 男児が物惜しげに蛇を見たその時、それまで紐のように垂れ下がっていた蛇が鎌首を擡げた。

 危ない――そう思った時には体が既に動いていた。

 子供達の輪の中に突っ込んだレイアの耳に「うわっ」と男児の短い悲鳴が響く。

 

「せんせぇっ!」「レイアしゃん!!」「いやぁ」


 次の瞬間、子供達から悲鳴が上がった。遠くで畑を砕いていたデンテも一瞬で駆けつけていた。

 周りの子供達が顔を青ざめさせ言葉を失うその中で、レイアは顔を歪めて「くっ……」と痛みによる声を押し殺す。


 主を守る為に培われた動きは、このところ余り剣を持つ事がなくなった今でも自然と体を動かしていた。

 男児を押しのけ体を滑り込ませたレイアの腕に、大きな蛇が喰らいついている。


「落ち着いて下さい! 私は大丈夫ですから!」


 腕に蛇をぶら下げたままレイアが叫ぶ。大きな蛇はレイアの腕に絡まりながら、牙を突き立て毒を流し込もうと冷たい目を光らせている。


「でもっ……」


 子供達から心配そうな声が上がる。

 それはそうだろう……。大きな蛇に食いつかれ、あまつさえその蛇の口からは毒液が垂れているのが見えるのだ。


(この痺れ……。どこかで味わった・・・・経験が有りますね……。さて、いつ頃でしたっけ……)


 しかしレイアは驚くほど冷静だった。

 普段のおっちょこちょいのレイアとは別人のような冷静さ。

 孤児院の院長になってから、かかさず続けてきた毒見。毒があると知っていても更に食べられるよう知恵を絞っていた毎日。

 文字通り体を張って食料を探し求めていたレイアは、もう毒に犯された程度では慌てる事は無くなっていた。


 子供達が青褪めて見守る中、レイアは蛇の口から垂れている毒液を指で掬ってペロリと舐める。


「この酸味……ああ、芋の芽の毒ですね!」


 なんとも場違いな声色でレイアが暢気に声をあげ……ポカンとした子供達の視線に顔を赤らめ咳払いを一つ。


「いいですか? 冬眠中の生き物は決して死んでいる訳では無いのです! 見つけたら素早く頭を落とすかしないと危険ですからね!? しっかり覚えておいてください!」

「は……はい……」「分かりました……」「ました……」


 腰に手を当て言いやるレイアは、すっかり蛇の存在を忘れているかのようだ。

 レイアの剣幕に押されてか、それとも目の前の不思議な光景に呆気に取られたのか、子供達は口々に返事を返して方々へと散っていく。 


「レイアしゃん……大丈夫でしゅか?」


 子供達が再び畑を掘り起こし始めた中、デンテだけは心配そうにレイアを覗き見ていた。

 この中でデンテが一番戦闘経験が豊富であり、また彼女の鋭敏な嗅覚が、蛇の口から滴る毒が危険であることを感じ取っていた。


「デンテさん、私は慣れてますので問題無いですよ? この程度であれば解毒の魔法を使わなくても、もうなんとも無いですから! ってあれ? 元から弱ってたんですかね?」


 デンテの不安げな言葉にレイアが笑って手を振り、その手の動きに合わせて振られる蛇を見て不思議そうに首を傾げる。

 先程まで腕を締め付け、頻りに咬みついていた赤紫色の蛇は、力尽きたようにぐったりとまたひも状に垂れ下がっていた。

 不思議そうに蛇を見やりながらレイアは腕に刺さった牙を引き抜く。

 抵抗を感じる事無く外された顎からは涎のように毒液が滴っていた。


「今日は蛇のシチューですねっ! 蛇は毒持ちでも躰では無く牙の部分にしか無いものが多いですからね。ベルフラム様の好物ですから……喜んでくれるといいなぁ」


 ぐったりと力なく垂れた蛇を眺め、レイアはほやんと笑みを浮かべる。

 主であるベルフラムの好物は、今も変わらず蛇だ。そこに思い出と言う隠し味が含まれている事はレイアは知らない。しかし主の喜ぶ顔を思い浮かべてレイアは胸を膨らませる。

 ギクシャクとした関係が少しでも良くなってくれれば……それが出来なくても主の喜ぶ顔はレイアにとって一番の報酬だ。


「きっと喜んでくれましゅよ」


 レイアの言葉にデンテはつられるように笑みを溢し、二人そろって主の喜ぶ顔を思い浮かべる。

 畦道では、もはや言葉も出ないといった様子で、農夫の男が目を見開いていた。

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