第171話 閑話 少女達の持つ手


「疫病ですか……」

「ご存じだったですか?」


 白髪を後ろに撫でつけた老齢の執事服を着た男、クラインが考え込む素振りをしたのを見て、クラヴィスが声をあげた。

 独自の情報網から得た情報を、早速主であるベルフラムへ報告したクラヴィスの言葉に、先にベルフラムの重臣の方が反応を示していた。

 まだ若干13歳になったばかりとはいえ、ここアルバトーゼの街の執政はベルフラムが執り行っている。

 貴族の、領主の娘であるから、例えその身の自由が約束されているとしてもそれ相応の責務も果たさねばならない。

 とは言えもう父アルフラムは領主の地位を長男のアルベルトに譲っていて、アルベルトから託されているのは税の徴収と治安の維持くらいなものではあるが……。


 クラヴィスの問いかけにクラインはフムと呟き白い顎鬚を撫でる。

 疫病が流行れば領地が、国が疲弊する。早急に手を打たなければならない案件だが、アルベルトからそう言った情報はもたらされてはいなかった。

 どこからその情報を得たのか気になったがために発した言葉だったのだが……。


「どう思われます? ベルフラム様……」


 執務机に座ってペンをもったまま動きを止めている小さな主に尋ねる。

 ベルフラムは難しい顔をして考え込む素振りを見せている。

 これまでは執務の殆んどをベルフラムに代わりクラインが執り行っていたが、彼女が成人を迎えた事で彼女に殆んどの権を譲り渡していた。

 ベルフラムはまだ若い少女なのだが、聡明さ、カリスマ性に秀でており、クラインが執務を執り行っていた時よりも執政がスムーズに出来ていた事がクラインが肩身の狭くなるところでもある。元から騎士出身だったクラインは、そもそも執政にはあまり向いておらず、これまでなんとかその体を取り繕っていたが、少女の方が優秀だったと分かってしまうのは、老齢の身になったクラインとしては中々に複雑な心境を抱かせる。


「なんか腑に落ちない……って言うか引っかかるのよねぇ……」


 ベルフラムがペンを口と鼻で挟み頬杖を突いて眉を顰める。


「と言うのは?」


 ベルフラムの言葉にクラインは先を促す。

 自分が感じた疑問は何故アルベルトからその情報がもたらされていなかったのか――という事なのだが、ベルフラムの表情を見るに彼女はその事を訝しんでいる様子では無い。


「何か変ですよね……」


 クラインの言葉にクラヴィスがポツリと呟く。

 どちらかと言うとクラインの言葉に対してと言うより、ベルフラムの言葉に同意をしめしたようなセリフだ。


「そうなのよね……クラヴィスの情報が確かだと仮定すると、他領の動きが変なのよね」


 ベルフラムがクラヴィスのセリフを継いで、腕組みする。

 クラインは二人が何を話しているのか、そこに至る考えを鑑みるのに必死だ。

 よわい50をとうに過ぎ、もうすぐ60を迎えようとしているクラインの大人としてのプライドもある。孫より幼い少女達の会話に付いていけないとなると、大人の沽券に係わってくる。


「疫病が流行っているとしたら人の流出を避けて通行税を引き上げるのは分かりますが、麦の値段の高騰は余り関係が無い筈ですもんね」

「人が病に倒れればそれだけ働き手が少なくなる。それほど可笑しなことでも無い筈ですが……」


 クラインが内心で必死に知恵を絞っていると、クラヴィスが再び口を開いた。

 その言葉にクラインが心の内で胸を撫で下ろす。クラインもクラヴィスの聡明さは認めているが、それでも彼女はまだ10にも満たない子供だ。人や財の動きがどういった結果をもたらしていくか、その年だけでなく次の年も考えなければ麦の、税の動きなど分かろう筈も無い。彼女は年単位でしか考えておらず、翌年に影響する税の推移を知らなかったのだろう。

 そう思いクラインはクラヴィスに教えるように意見を述べる。

 しかし返って来たのはクラインが目を瞠るようなクラヴィスの反論だった。


「そうは言ってもクラインさん。今はもう麦の刈り入れは全ての領地で終わっている筈です。税も収め終わっているでしょうし、急激な値段の高騰はおかしいですよ? それに今年は昨年よりも豊作でしたから、本来麦の値段は下がってしかるべきです。私が把握している限りの情報ですが、今他領地の備蓄はかなりの量があるはずです。多少働き手が減った所で、貯蔵量を考えれば2年はそれほど値段を上げなくても済むはずなんですが……」


 何気なく言ってはいるが、クラヴィスの言葉は想像を絶するものだった。

 ただのメイド……それも10歳に満たない子供のメイドが普通知りうる情報では無い。


 領地の備蓄量はすなわち力に直結する。王国と言う頂きを抱いてはいるが、爵位を授かる者同士が全て一枚岩と言う訳でも無い。小競り合いや領地の奪取は度々起こっているし、紛争に発展しかける事も有る。もとからこのアプサル王国は他国を侵略して大きくなった国なのだから、領民同士の諍いもある。

 だからこそ貴族はその力を溜めこみ、他領よりもより強い武力を持つために躍起だ。

 そして食料の備蓄量はその武力、領内の財力に直結する。貴族の力を表すと言っても過言では無い。

 だからこそ備蓄は秘匿されるし、他領に漏らす話しでは無い筈だ。


「それに疫病が流行っている地域……ここから南のバララムとウェガスね。どちらも大きな穀倉地帯だし、豊作の益を一番得ている筈の地域だわ……」

「それに麦以外の食料が高騰しているのも変ですよね? レミウスは麦が育ちにくい領地ですから、芋や玉蜀黍トウモロコシも育てていますが、他の地域ではあまり育てていない……。そもそも麦が育つのであれば余り歓迎されない食物ですから」

「他領で麦以外の食物と言えば豆かしら? でもそうなるとおかしいのは今年は市場に豆が全く出回っていない事よね」

「麦が豊作であれば豆を税として収める必要が無いから、市場にもっと出ていても良いはず……ですよね?」


 なのに何故こんな一介のメイド少女が他領の貯蔵まで把握しているのか……クラインが驚きを相してクラヴィスを見つめる中、クラヴィスとベルフラムは二人で顔を突き合わせ話しを続けている。

 もうクラインはまったく蚊帳の外だ。


 そもそも年端の行かない少女達が、他領の主作物の備蓄量や市場の動向まで把握しているのはどう考えてもおかしい。まるで当然のように意見の交換し合う二人の少女を、クラインはポカンと見つめることしか出来ない。


 クラインは知らないのも当然だった。


 ベルフラムはクラヴィスとは別の手段で九郎の行方を追っていた。

 彼女が選んだ方法は商人。貴族でありながら『風呂屋』を営むベルフラムは、クラヴィスとはまた別の情報網を持っていた。ただの『風呂屋』とは言えど布も籠も必要になる。それを買い求めるのは当然だ。

 そして貴族の娘が営む施設だけに、目聡い商人たちは贔屓してもらおうと自然と『風呂屋』にあしげく通うようになる。そこで得た情報――それだけではない。

 ベルフラムは孤児院の子供達を商家や職人に預けるので、その商家がまっとうかどうかも調べる。そして孤児達との繋がりは、あらたな情報網としてベルフラムに様々な情報をもたらす事になっていた。


 ベルフラムが他領の動向にも気を配っていたのにも訳が有る。

 婚姻に関して自由を勝ち取ったベルフラムではあったが、それは領主アルベルトの出した約束であり、他領の、また王家に通じるものではない。いつ他領の子息と婚姻を迫られるか分からないのが現状だ。

 公爵位を持つレミウス家に強引に婚姻をねじ込む力がある領地は、少ないと言えどゼロでは無い。

 九郎と添い遂げる事を目標としているベルフラムにとっては、他領も王家も警戒すべき相手であった。


 表と裏――――二つの情報網を駆使して、ベルフラムとクラヴィスは九郎の行方を捜すためにアプサルに広がる情報を集め、同時に権力を傘にした横暴にいつでも対応できるよう、日々警戒していたのである。

 まあ、最悪逃れられなくなれば、また出奔して九郎の行方を追おうと考えてたし、それでなくても15歳になれば、貴族の地位を捨てて九郎の行方を捜しに行こうとクラヴィス達とは話していたのだが……それもクラインは知ることのない情報である。


「となると……商人の玉蜀黍トウモロコシと芋類の他領への持ち出しに警戒すべきよね?」

「レミウスから外に出る麦以外の食物に税を掛けるのが良いと思います。警戒していることを悟られるのは得策とは思えません」

「麦はいいの?」

「麦はもとからレミウスの主作物では無いですし、今年は大量に市場に出回っているんですよね……。一部地域でしか麦の値段が高騰していないのも気になりますね……」

「豆についてはどう思うの?」

「豆はどちらかと言うと……切っ掛け? 発端の可能性がありますね。豆が原因の疫病?」

「その可能性もあるのね……。ならしばらく豆類を食べないようにふれを出すわ。そもそもこの地域ではあまり食べない食材だから、それほど抵抗は無いでしょ」


 クラインが見つめる中、あれよあれよと方針を決めていくベルフラムとクラヴィス。

 一つの街だけとは言え、幼い少女達が街の執政を取り決めているのは奇妙な感覚を抱かせる。

 何より開いた口が塞がらないのが、ベルフラムがクラヴィスの意見をほぼ100%参考にして方針を決めている事だ。

 クラヴィスはこの国では疎まれ蔑まれている獣人であり、もとは浮浪児。そして幼い少女である。

 およそ蔑まれる要素の全てを兼ね備えたクラヴィスが、この街の執政の根幹をなしていると知れば、この街に住む人々はどう思うのだろう。

 しかしながら、この街の主、ベルフラムがクラヴィスを一番信頼している。


(これほどの逸材が孤児……しかも獣人なのですから……。老いて子供に教えられるとは言いますが……私もまだまだ頑張らねばなりませんかな……)


 半ば諦めたような表情でクラインはクラヴィスを見つめる。

 自分もかつては『獣風情』と蔑み、侮蔑を向けていた少女は、今は尊敬を向けざるを得ない存在だ。

 主の信頼を勝ち取り、またその主に信頼を寄せる。

 クラインが夢と諦め、孫娘のレイアが欲して手にすることが出来なかった関係がそこにはあった。

 少女達を眺めてクラインは眼を細める。


「じゃあその方向で……。クライン、このおふれを市井に回して頂戴」

「かしこまりました」


 クラインが年相応の好々爺のような笑みを浮かべていると、ベルフラムが羊皮紙を手渡して来た。

 それを受け取りクラインはうやうやしく礼をする。

 例え彼女たちが街の執政を執り行っていても、それを発する役目は今もクラインだ。

 彼女たちの実力を目の当たりにしているクラインは認めざるを得ないが、民衆はそうそう納得しないだろう。だから年長者で近衛騎士団長を務めていたクラインの方が適任だ。


「は~……また忙しくなりそうね……」

「早めに手を打てていれば良いんですけど……」

「でもクラヴィス助かったわ。ありがとっ……て何? その首飾り……」

「えへへぇ……。私の宝物なんです……」


 ベルフラム達に背を向け扉を開けようとしたクラインの耳に、少女達の年相応のおしゃべりが届いてきた。

 少女らしからぬ姿を目にしていただけに、聞こえてきた会話に微笑みを浮かべるクライン。

 主のベルフラムも従者のクラヴィスも、服や装飾の類には興味が無いのかと思っていた。

 貴族の姫君でもあるベルフラムだが、ほぼ全ての貴族の子女が常に追い求めていると思っていた、着飾る・・・と言うことにはとんと興味を示さない。身につけている装飾も母親の形見のペンダント……しかも中の宝石は失われ、代わりに黒い石のようなものが留められている宝飾とも言えないもの。それと見るからに土産物のような木彫りのブローチ。

 クラヴィスに至っては木彫りのブローチしか付けていなかった。


(ベルフラム様達もまだまだ子供……。大人がしっかりしてやらねば、そう言った話もできなかったのかも知れません……反省すべき点でしょうな)


 幼い少女達に被せるべきでは無い責を被せている事を反省し、クラインは部屋を後にする。

 部屋の中に続いた少女達の会話は彼の予想とは違っていたが、それはもう耳には届いていなかった。


「何よ……白い……骨?」

「うへへ……ベル様とお揃いですよ?」

「私の? お揃い?」

「ふふっ……これ……クロウ様です」

「えっ!? ホント!?」

「やっと見つけたんです。デンテともお揃いです」

「ちょ、ちょっとよく見せて! ねぇっ!!」

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