第178話  嫉妬


「カクさん!??」


 九郎が目を見開き裏返った声を上げると、紫色の骸骨がフイッと視線を逸らしたかに見えた。


「クロウ……。会う予定だった人って……」


 アルトリアが九郎の声にいざなわれるようにカクランティウスに視線を向け、顔を強張らせて胸に抱きしめていた九郎の腕を解放する。掌を包み込む柔らかな感触から解放され、助かったと思う気持ちと残念な気持ちが同時に込み上げて来るのは、九郎が健全な男である証拠である。


「ボクがいつもこうしてクロウの足を遅くしちゃったから……だよね……。ゴメンね……」


 アルトリアの先程までの情欲にほのめいていた瞳の色は、今は見る影も無く陰っていた。

 どうやらアルトリアは、意外な場所でカクランティウスの姿を見つけた九郎の声を、知己の惨劇に驚いての悲鳴だと思ったようだ。


 違う――そう言いかけて九郎は口ごもる。

 アルトリアはカクランティウスの骨の姿を見て砂漠で力尽きて死んでしまったのだと思ったのだろう。

 初めて見るのなら当然だとも思える。

 しかしカクランティウスは不死系魔族と言う特殊な種族であり、この状態でもまだ死んではいない。


 だが、自分の愚息が殺される寸前だった九郎は、これ幸いと説明を後回しに立ち上がる。

 情欲に滾ったアルトリアは、九郎にとっては逃れられない蟻地獄のような存在だ。結末を知っていながら拒めないという天国めいた地獄の日々。魅力的な肢体を使い、幾多の誘惑を仕掛けてくるアルトリアから今日初めて逃げ切れたとの安堵の吐息が漏れ出てしまう。

 アルトリアは自分が度々九郎を気絶させていたから、カクランティウスと出会う前に彼が力尽きたと思ってしまったのだろう。

 泣きそうになっているアルトリアの頭を撫で、小さな罪悪感に九郎も眉を顰める。

 事実を知ればそれも笑い話に変わるだろう……そう期待して九郎はゆっくり立ち上がるとカクランティウスの方に近付いて行く。


「みつはモコンナ気持チデアッタノカ……」


 カクランティウスはぶつぶつ一人で呟いていた。

 睦事真っ最中の寝所に転移して来て、その後彼の妻となった人物を思い出しているのだろう。

 目玉も何も無いと言うのになんだか遠い目をしているように見える。


「カクさん、会えて良かったっス。元気そっすね」


 カクランティウスの独り言をあえて聞き流し、九郎は肩を竦める。

 まさかこんな場所で出会うなど思っても見なかったが、そんな幸運も偶には有っても良い。

 合縁奇縁とは言うが、砂漠のど真ん中で出会う確率を考えると、自然と笑いも込み上げてくる。

 後ろでアルトリアが「うぅっ……」と嗚咽を漏らし始める。完全に亡くなった人に対して偲ぶ思いを語る、哀愁漂う男に見えているのだろう。


(偶にはまぁ……凹んでもらってもいいか)


 少し可哀想にも感じてきたが、どの道最後は笑い話に変わるのだ。

 いくら言っても自重してくれないアルトリアにも偶にはお灸が必要だと、九郎は苦笑を漏らす。


 カクランティウスは砂漠の上に顔を出した状態で埋まっていた。

 何故こんな場所で埋まっているのか気になるが、それも聞けばいいかと思い直したその時、カクランティウスの顔が強張ったかのように口を開きアワアワ震えだした。


「マ、待テ! 話シ合オウ! 待タレヨ、くろう殿!」


 首だけの状態でカクランティウスは小刻みに揺れていた。

 後ろからは「え?」と言うアルトリアの驚きの声が聞こえてくる。


「何言ってんすか? カクさん……その誤解は解けた筈じゃ……」


 カクランティウスの慌て方から、未だに自分が穢されるのを恐れている様子が見え、九郎は憮然とした表情を浮かべる。アルトリアとの事前の姿を見ておきながら、そういった誤解をまだ持っているのかとの思いもある。


「シカシッ!? アレホドノ女性ニ迫ラレナガラ、くろう殿ハ拒ンデイタデハナイカッ!? ソレニ何ダ、ソノ膨ラミハッ!!?」


 歯の根をカチカチ合わせながらカクランティウスは泣きそうだ。

 カクランティウスの視線を辿ると九郎の股間に行き当たる。

 はち切れんばかりの九郎の情熱が、そこで夜営の準備と立派なテントを張っていた。


「こ、これはっ! 違うッス! アルト……あっちのでコウなったんス!」

「シカモヌルヌルデハナイカッ!! 吾輩嫌ナ予感ガシテナランッ!」


 肌色のヤツメウナギの粘液でヌルヌルのテカテカになった股間を膨らませた上半身裸の男。成程、彼が怯えるのも止む無しである。

 それにしても油でヌルヌルの男を見て嫌なソッチ方面の予感を浮かべるとは、なかなか筋がいい。

 日本にいた頃、どういう訳か流行っていた動画を思い出し、九郎は溜息を吐き出す。


「ほらっ! これでどうっすか?」


 しかし前科があるのだからそう簡単にトラウマは拭えないのかも知れない。九郎は体中から水を生みだしぬめりを取ると、テントの支柱を倒す。位置ポジションが変わって落ち着きを取り戻したのか、血気盛んな死にたがり達も大人しくなってきた。


「ミ、水? ……イヤ、貴殿ニ驚クノモモウ慣レネバナ……」


 ぬめりテカリが無くなり、股間も元に戻った九郎に、カクランティウスもやっと落ち着きを見せ始めた。

 表情の無い顔で諦めを相して、苦笑を浮かべているかのようだ。


「取リアエズ、少シ手ヲ貸シテクレヌカ。コノ姿デハドウニモチカラガ出セナクテナ」

「まったく……何でこんな場所で埋まってんだか……。まあ、会えたんで良しとするっすけど」


 眉を下げたかに見えるカクランティウスの頭を掴み、九郎はゆっくり彼を引き上がていく。

 知らないものが見ていたのなら、夕陽に照らされる中で紫色の人骨を砂から生み出すその姿は、恐ろしい怪物に見えたかもしれない。


「モウチョット他ノヤリヨウモアルト思ウノダガ……」

「な~に言ってんすか? こんな事で死ぬような体でもないっしょ……」


 アイアンクローで吊り上げられ、カクランティウスが不満を漏らす。

 しかし骨の状態のカクランティウスを砂から引き上げるには、これが一番効率が良いと、九郎に取りあう気は無い。掘り出そうにも隙間の多いカクランティウスは、回りの砂が入り込んで面倒臭そうな気がしていたからに他ならない。


 徐々に引き抜かれていく紫色の人骨。

 一日の最後を告げる、夕陽が沈む間際の眩い光が一瞬辺りを包み込む。

 九郎の目の前には筋肉の盛り上がった逞しい男の体が現れる。

 九郎とは厚みの違う胸板。どこか荒々しいと感じていたカクランティウスを表すような、毛深い肌。

 六つどころか幾多に分かれたはっきりとした腹筋。壮年の顔つきからは想い描けない頑丈な腰回り。

 そしてボロン。


「そおぃっ!!!」

「んがふっ!」


 掛け声と共に九郎はカクランティウスを元の位置に叩きこんだ。


「ななな、ナンデ、カクさんまで全裸なんスか!??」


 思わず埋めてしまったカクランティウスを見下ろしながら、九郎は狼狽え叫んでいた。

 引き上げたカクランティウスのティウスを間近で見てしまった九郎は、胸の動悸が止まらない。

 生理的な恐怖が九郎を襲っていた。カクランティウスの気持ちが今分かった。確かに男のモノを突然間近で見せられれば、男なら恐怖を抱かずにはおられないだろう。


「アレっすか? いつの間にか目覚めたんすか? 俺ノーマルなんでっ!!!」

「き、貴殿がそれを言うのは可笑しくないか!?」


 一瞬で跳び退った九郎が引きつった顔で尋ねる。

 不満気に眉を下げながら、釈然としない様子でカクランティウスが言い返して来る。


「っべーっすわ! 砂漠のど真ん中でマッパって……。解放感からっすか? ヘンタイっすね」

「ぬぬぬぬぬ……言わせておけば……」

「じょーだんすよ。まあ、訳があんでしょーけど……とりあえずこの借りてた服返します。これで尊厳回復さして下さいや」


 難なく体を引き抜くカクランティウスに九郎も言い過ぎたかと反省する。

 同性愛者と疑ったままのカクランティウスに仕返ししたかっただけだ。

 九郎は置いていた荷物の中からカクランティウスに貰った上着を取り出し、放り投げる。


「む……。かたじけない……」


 苦笑を漏らした九郎に機先を削がれたのか、カクランティウスは礼を述べて上着を羽織る。


「着るなやぁぁぁぁっ!!!」

「ふんがふぃっ!!!」


 九郎はもう一度カクランティウスを砂に埋めた。


(そんな意味じゃねえっ!)


 腰に巻けとの意味だったのだが、カクランティウスは自然な動作で上着を上着として羽織っていた。

 元貴族で現王族だから上着は羽織るものとの固定観念が先行したのだろうか……。

 上着を羽織った下半身丸出しボロンの男に、九郎は年上だという事も王族だという事も忘れ、思わず突っ込んでしまっていた。――――そう言った意味では無い。


「そろそろ説明してよぉ……」


 アルトリアの困った声が、背中に届いていた。


☠ ☠ ☠


 パチパチと薪が爆ぜる音が暗闇に響く。

 満天の星空の下にポツンと灯った炎の灯りは、一気に下がった砂漠の気温を気持ちていどに温める。


「――と言う訳だ」

「コントか」


 カクランティウスの説明を聞き終わり九郎は正直に感想を述べた。

 体格のいい壮年の美丈夫といったカクランティウスが、自分の上着を腰に巻き、不安げに目を泳がせているだけでも笑いを誘うのに、それに加えて今の話はまるで喜劇だ。

 常日頃、隙あらば全裸になっている自分の状況はこの際置いておく。


「面白い人だね~。このカクさんって人」


 アルトリアも正直な感想を述べている。

 一応互いに互いを紹介をしたのだが、カクランティウスもアルトリアも互いの正体を知ってもあまり驚きはしなかった。

 カクランティウスの方は少し顔を青褪めさせていたが、自分が『不死系魔族』の為、『魔死霊ワイト』に触れられただけでは死なないと分かっているからか、それとも『魔王』と呼ばれていた者の意地があるのか。


 アルトリアの方は父親からしてアレだったので、たかだかスケルトンの姿くらいでは驚く事に値しないのだろう。それどころか、やらしいことをしようとしていたのを邪魔された形だと言うのに、何処か機嫌が良さそうだ。自分の正体を知っても普通に接してくれるカクランティウスを気に入ったのかも知れない。


「しっかし……まあカクさんも大変だったようで……」

「いつの間にか『魔死霊ワイト』を引っ掛けてきた貴殿には言われたくないが……」


 九郎の言葉にカクランティウスが呆れたように言い返して来た。

 確かに目を離した隙にアンデッドの女の子をナンパしてきた九郎も大概だが、九郎が言うようにカクランティウスもコントのような状況を経て、地中に全裸で埋まっていた。


 九郎よりも3日早くこの場所に差し掛かったカクランティウスだったが、彼も彼で大変だったようだ。

 カクランティウスは不死系魔族で熱や炎に高い耐性を持っているが、アルトリアのように熱さを感じない訳では無い。

 カンカンと照りつける太陽の下を歩いていれば当然ダレてくる。

 スケルトン状態の時には汗は掻かないが、同時に熱を発散させることも出来ず、辟易していた。

 その時見つけたのが小さなオアシスだった。

 これ幸い、水でも浴びて涼を得ようと、服を脱いで飛び込んだのが間違いだったと彼は言う。

 この灼熱の砂漠にそう都合よくオアシスが有る事がそもそも間違い――そのオアシスは擬態した魔物の口の中だったと言うオチが待っていた。

 そうしてカクランティウスは魔物に呑まれ、地中深くに引きずり込まれてしまった。


 とは言え彼も『魔王』と呼ばれた実力者であり、氷の中に封じられたまま50年生き延びてきた不死系魔族の筆頭だ。回復しつつあった魔力で魔物を倒し、腹から這い出たまでは良かったのだが――。


 そこで一つの不幸が彼を襲う。

 全裸のスケルトンにとって、この砂漠の細かい砂は天敵だった。

 這い出そうと砂を掻いても滑り落ちる。水のように細かい砂は隙間が多い体をすり抜け、全く浮力を生みだす事が出来なかった。


 ただカクランティウスは、助けの見込みの無い場所でも50年間助けを呼び続けた人物だ。

 手段を変え、スケルトン状態の時は少ない魔力から絞り出すようにして、魔法で砂の中に土台を作り耐え続け、夜になり体を人へと変えられるようになれば、必死に上を目指すと言う方法を取っていたらしい。

 九郎が掘り出した際に、意識せずに人に戻ったのは、常に人になるよう意識を集中させすぎていて、夜と共に体が人へと変化する癖がついていたからだと、そう言い訳していた。


「まあ、無事で良かったっすよ。つってもここにいる全員が『不死』なんで命の心配はいらなさそうっすけど」


 カクランティウスのジト目に九郎は苦笑を浮かべて肩を竦める。


「でさ? カクさんも『不死』なんだよね? ボクに触っても死なない?」


 話が一段落したところを見計らい、アルトリアが興味深げにカクランティウスに問いかけた。

 その様子に九郎の胸がチクリと痛む。


 アルトリアの表情から、抱かなくても良い筈の不安を抱いてしまった。


「む……。触れても吾輩はアンデッドに成る事は無い筈だが……」


 カクランティウスは引きつった表情で答える。


「ホント? じゃあちょっと触ってみてよ!」


 アルトリアは顔を綻ばせて肩をはだけた。

 腕は今ゴメを飼育中なので仕方が無いとは言え、その仕草に九郎の胸がまたチクリと痛む。


「ぬ? 良いのか? クロウ殿?」

「いっすよー。そん代わりホント死なんでくださいねー」


 一瞬九郎に目を向けたカクランティウスの言葉の意味を知りつつ、九郎はぶっきら棒に答える。

 彼が言いたい言葉は分かる。

 カクランティウスはアルトリアと九郎がそう言う関係だと思っている。

 それこそアルトリアに迫られていた所をばっちり見られているので、そう考えるのが自然だろう。


 しかしアルトリアは何も九郎に惚れて付いて来ている訳では無い。

 彼女は彼女の目的――男と交わりたいとの思いから消去法で九郎を選んだに過ぎない。

 禁忌で現在デキない・・・・九郎の他に、デキる者が現れたなら……。


(ったく……。俺だってシルヴィがいんのにアルトの弱みに付け込んだようなもんだし、勝手も良いところだぜ……)


 自分の中に芽生えた嫉妬の心に九郎はそう説き伏せ平静を装う。

 恋人関係になった訳でも無いのに、独占欲を見せることなど間違っている。

 アルトリアはアルトリアで、彼女の目的の為に九郎に迫っていたのだからと自分自身の心を宥める。


「そうか……では失礼する……」

「…………あん」


 見ないようにと目を背ける耳にアルトリアの小さな声が聞こえた。


「……やったっ!」 


 続いて聞こえるアルトリアの気色ばんだ声に耳を塞ぎたくなる。

 勝手な事だと分かっていても、それまであれ程情熱的に迫られていたのにと思うと居た堪れない。


「はふん」


 少し遠くに行ってしまおう――そう考えたその時、なんとも力の抜けるカクランティウスの声が聞こえ、


「カクさぁぁぁぁぁん!!」


 アルトリアの悲鳴が続く。

 驚いて振り返ると、膝を折って崩れ落ちた紫の骸骨とその周りでオロオロするアルトリアの姿が映る。


「カクさぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」


 九郎も思わず叫ぶ。

 ――――しかしどこかで少しホッとしていた。


☠ ☠ ☠


 ――『魔死霊ワイト』の吸収ドレインがこれ程だとは……――


 夜空を見上げながら砂地に寝転ぶ九郎の頭に、息も絶え絶えなカクランティウスの言葉が蘇っていた。

 一瞬の内にカクランティウスは、体を維持する生命力にあたる分を根こそぎ吸い取られて、骨の状態に戻っていた。それでも無事だったのは、カクランティウスが死ぬ時は魔力そのものが尽きた時に限定されていたからだろう。死ねば塵となり崩れて行く……そう言っていたカクランティウスの言葉が九郎の頭に蘇ってくる。


(アルトが加減してたようだって、カクさん言ってたけど……)


 その言葉の意味を考えていた九郎の耳に、砂を踏む音が聞こえる。


「クロウ……。今日は一緒に寝てくれないの?」

「アルト……」


 いつもよりも若干沈んだ声で問いながら、アルトリアは近づいて来る。


「ちょっと考え事があんだ。ワリいけど、今日は一人で寝てくんね?」


 毎晩アルトリアを抱きしめると言う、天国と地獄を同時に味わっていた訳だが、今日はそれをする気になれずこうして砂地を寝床にするつもりだった。思った以上に冷たく籠った声が出てしまい、アルトリアは一瞬歩みを止める。


 男の嫉妬――しかも何も手出しも出来ない、アルトリアの望む事も出来ない自分が抱くには余りに身勝手な思いを知られたく無くて、九郎は顔を背けてしまう。


(この態度自体がカッコワリィ……)


 自分が酷く情けなく感じ、顔を背けた九郎。

 その男心を分かってくれないのか、アルトリアは再び歩みを再開し、九郎の隣に腰を下ろす。


「嫉妬……してくれたの?」

「ちげえよ……」


 九郎の背中にアルトリアの直球の問いが投げられた。

 そうだと正直には言えず、九郎は顔を背けたまま答える。


「なぁんだ……まあしょうがないね。ボクが勝手にクロウに付いてきたみたいなもんだし……」


 アルトリアの声は何処か自嘲が混じっていた。


「別にっ……」


 寂しそうなその声に言いようの無い苛立ちを感じ、九郎は振り向き、そして口にしようとした言葉を口ごもる。

 俺じゃなくてもいいんだろ? ――流石にこの言葉は情けなさ過ぎると自制がかかった。


「ボク……街に行きたかったんだ……」


 アルトリアは九郎が振り向いた瞬間、胸にもたれ掛かって来た。そして九郎を見上げてポツリと呟く。

 何で今その話が出て来るのか分からず、九郎はアルトリアを見つめる。


「カクさん……大丈夫だって言ってたけど……あれ、ボクが街に入れるかどうかの最後の確認のつもりだったんだ……」


 アルトリアはヘラと力無い笑みを浮かべる。


「ボクの力は触れる者の命を奪う。それは多分『不死系魔族』……カクさんでも一緒さ……。でも彼は少し特殊みたいだから……。殺してしまう・・・・・・可能性は低いと思ったんだ……」


 アルトリアは九郎を見つめながらポツリポツリと語り出した。


 その変化に気付いたのは九郎と旅するようになって1週間を過ぎた頃だった。


 アルトリアと言う触れるだけでアンデッドを生みだす存在がいる為、九郎達は街を避けて移動していた。

 しかし、人であろうとしていると言うのに人を避けてしか生きれない自分の存在は枷では無いか。九郎の重荷になっているのではないかと思うようになったと、アルトリアは顔を曇らせる。

 

 そして、それでも自分は九郎と言う唯一夢を叶えてくれるかもしれない存在を手放す事も出来ないと。

 自分の欲望と相手の想い。

 しかも九郎は、他の女性を虜にしなければ自分の欲望を叶える事が出来ない為、どうしたって人のいる場所に赴かなければならない。

 葛藤を続けていたアルトリアは、ある日ふと自分の中の力の変化に気付いたのだと言う。

 歩く足跡に変化が出てきていたのだと。


「それまで……ボクの歩いた後はね……皆……みんな死んでたんだ……」


 どんな変化と問う前に、アルトリアは眼を伏せながら寂しげに呟いた。

 歩き辛いと言われがらも、アルトリアが九郎に抱きつき続けていたのはそう言う理由もあったようだ。

 靴底から小さな命を吸い取り続けていたアルトリアは、自分の足跡の変化に一つの希望を見たのだと語る。その足跡は僅かながらに命が残っていたのだからと――――。


「も、もちろんボクが引っ付きたかったてのもあるよ?」


 しかしそれならこの砂漠に入ってからも抱きつき続けていた事に説明が付かない。そう問いかけようとした九郎に、アルトリアは言い繕うように顔を赤らめた。

 自分の顔はそれほど分かりやすいのだろうかと、九郎が眉を下げる。


「でもその為だけじゃないんだ。ボク、やっと街に入れるかも」


 眉を下げた九郎の頬を掴み、額を突き合わせるようにしてアルトリアははにかむ。


「俺に抱きつくのと街に入れるが繋がんねえんだが……」


 どうしてその結論に達したのか理解できず九郎が問いやる。


「ボク今ね、命が溢れそうなんだ……満タンって言うのかな? こんな感じ初めてだよ」


 思わず素で返した九郎にアルトリアは嬉しそうに顔を綻ばせ、


「でも、それだけ九郎の命を吸い取ったってことでもあるんだケド……」


 と申し訳なさそうに言葉を濁した。


 自分の命は無限にあるのだからと言いかけた九郎に先じて、アルトリアは話を続ける。

 アルトリアは自分の事を布に例えていた。生命と言う水を吸い続ける乾いた布だと――。

 草花などの小さな命は水蒸気のようなもの。近付くだけでも引き寄せ吸い取る。人のような大きな命は水滴のようなもの。触れれば根こそぎ飲み干してしまう。


「ボクは――乾いた布……雑巾みたいなものさ」


 アルトリアは九郎と肌を合わせる度に九郎の命を吸い続けていたのだ。


「でも……ボクはクロウの命を吸い続けた結果、触れただけで命を奪う存在じゃなくなってたんだ」


 今のアルトリアは水を大量に含んだ布のようなものだ。

 彼女の容量一杯まで九郎の命を吸い続けた結果、アルトリアは無差別に命を吸い取る存在では無くなっていた。国の一つや二つ簡単に滅ぼせる容量が一杯になるほど吸い取られていたのかと、九郎は一瞬呆れてしまう。


「それじゃあ、今日のあのヤツメウナギやカクさんは何であんななっちまったんだよ?」


 まあ、無限にある命の事はいいかと、九郎は思った疑問を口に出す。

 あれだけ頻繁に引っ付いておきながら、アルトリアを飲み込んだ肌色のヤツメウナギは『魔死霊ワイトの眷属』になり、カクランティウスは、生命力を殆んど吸われて、夜なのにスケルトンの状態に戻ってしまっている。


「あのヌルヌルは、ボクが魔法を使ったからその分で吸い取っちゃったんだって思ってたんだけど……」


 アルトリアの吸い取った命は彼女が魔法を使う度にまた減っていくらしい。枯渇する事はあり得ないが、満タンから減った分、吸い取る余裕が出来てしまうと言うところだろう。

 ――結果ヤツメウナギは『魔死霊ワイト』の眷属になってしまったと言う訳か―――。

 そう納得しかけた九郎だったが、思い返してみるとあの時もアルトリアは九郎にずっとくっ付いていた。

 減った分は直ぐに補充されていた筈だと首を傾げる。


「カクさんの時に分かっちゃった……ゴメンね……」


 言ってアルトリアは俯き九郎の胸にコツンと顔を埋めた。

 謝罪の意味を分かっていながら、分かりたくない気がしてならない。


「ちょっと期待しちゃったのは間違いじゃない。ボク、あの時ちょっとエッチな気分になっちゃったんだ……」


 男と交わる為に死を拒み続けたアルトリアは、異性であるカクランティウスに触れられた喜びも感じてしまったと打ち明けてきた。

 正直聞いていても面白くないアルトリアの告白に、九郎も微妙に顔を歪める。


「でも……ボク、エッチな気分になっちゃうと全然駄目だった……。加減も何も出来なくなっちゃうみたい……ホント、エッチすぎるよね……ボクってば……」


 九郎の胸に顔を埋めたまま、明るい声色でアルトリアは言う。

 普段のアルトリアの行動から考えても納得の出来る答えだった。

 死んだ後まで縋った願いを目の前に浮かべると、自制が効かなくなるのだ。

 ひたすらに交わる事を願い続けた彼女は、命を作る行為を想い描くと、命そのものを体が勝手に求めてしまうのだと寂しげに呟く。

 アルトリアは発情するといくら容量が満タンであろうとも、全ての性を貪るように生を求めてしまっていた。

 明るい声色なのに、アルトリアの声は震えていた。


「ボク、最低だよね……。クロウに抱いて欲しいって……溢れるほどクロウから命を吸い取っておきながら……その命のおかげで他の人に触れるようになったて言うのに……」


 九郎の胸から顔を上げたアルトリアの顔にはいつもの熱に潤んだ瞳では無く、子供のような泣き顔が浮かんでいた。


「分かってるんだ……。自分でも最低だって思うもん。あれだけ抱いてって言っておきながら、直ぐに他の人に色を見ちゃって……。ボクだって、自分で浮気者って思うもん! それで駄目だったらまたクロウに抱いてって言うなんて都合が良すぎるもん!」


 アルトリアは自分の放った言葉で自分を傷付けるかのように、一言一言顔を歪めていく。

 嫉妬を感じていた九郎も、アルトリアの様子に段々心が痛くなる。


「都合が良い事を言ってるって分かってるんだ! でもボクにはキミしかいない……。お願い……、何でもするから……、嫌ってもいいから……、ボクはキミを愛するからっ……役に立つからぁ……」


 ――――見捨てないで……――――

 最後の言葉は嗚咽に紛れて殆んど声も出ていなかったのに、九郎の耳に大きく響いていた。


 アルトリアが街に入りたいと言った理由が今分かった。

 彼女は不安だったのだ。言葉通り、いつ捨てられるのかと怖くて仕方が無かったのだ。

 九郎が女性に抱かれたいと思われなければ、アルトリアの夢も叶わない。

 だから必然的に九郎は人のいる場所に行く。

 だが、人の場所に踏み込めないアルトリアは……。

 アンデッドの自分が他と違う忌むべき存在だと、彼女自身が思っている。

 いずれどこかで捨てられるかもとの恐怖があったから、アルトリアは九郎に付いて行く決断を下していた。


 同時に彼女が自重せずに九郎を誘惑し続けた理由も知れた気がした。

 村を飛び出て来たアルトリアは焦っていたのだ。

 九郎と言う存在に縋るしか望みを叶える術がないと言うのに、肝心の九郎にはシルヴィアと言う恋人がいる事を知ってしまっている。

 少しでも自分を九郎に刻み込もうと、あの手この手で誘惑して来ていたのだ。


「嫌わねえよ。大体嫌いになってりゃこんな所でふて寝してねえよっ……」


 九郎は小さく息を吐き出し、アルトリアの背中に腕を回す。

 自分も十分浮気者だ。

 シルヴィアと言う恋人がいると言うのに、魅力的な女性を目で追うのを止められない。シルヴィアを抱く為に必要なのだからと女性に粉を掛けておいて、いざ本気で抱いてくれと言われた時に、シルヴィアだけだと拒む事は不誠実だと考えてしまっている始末だ。

 何かと理由を付けているが、結局自分も多くの女性を抱きたいのだと九郎は自覚する。


 アルトリア同様、九郎も身勝手な思いで彼女を利用しようとしていた部分もある。

 最初彼女は九郎の体が目当てで、九郎は彼女の思いが目当てだった。

 しかしどちらも選択肢の幅が限られている、『不死者』だ。

 アルトリアも自分以外に触れた異性の存在に、ときめいてしまっても仕方が無い部分もあるように思えた。


「役に立つとか考えねえでもいい……お互いお互いを利用する関係でもいいじゃねえか……」


 自分も同罪とアルトリアの背中を優しく叩き、あやしながら九郎は思ってもいない言葉を口にする。

 嫉妬を覚えた自分は既にアルトリアに惚れている。些か惚れやすいにも程があると感じながらも、自分の心に嘘は付けない。

 しかし同時に彼女は彼女の想いで選択肢を決めて欲しいとも思っている。


 アルトリアが感情のままに言った言葉が語っている。アルトリアはまだ九郎に惚れて付いて来ている訳では無い。九郎は消去法で選ばれた形に過ぎない。だが、それでも自分は一歩他の男よりも先んじた。


 アルトリアに触れられる男が他にいないとは限らない。

 自分のような存在が他にも見つかった時、それでも自分を選んでくれるよう彼女を虜にしたい。

 自分の心の内を確認すると、妙にすっきりした。


「浮気出来るんならやってみな? 俺以外見えねえようにしてやんよ」


 そもそも最近アルトリアに翻弄され続けた自分が悪い。

 迫られてアワアワしている男など傍から見れば情けないことこの上ない。それなのに独占欲だけ見せる等、小さい男にも程がある。大人の魅力が溢れるカクランティウスになびいてしまうのも仕方が無い。

 体の関係が無くても繋ぎ止めれるくらいの魅力が必要だと感じて、九郎は色男を演じる。


「クロウ……」

「ななな、なんだ?」


 涙に濡れたアルトリアの顔に、やり過ぎてスイッチを入れてしまったかと九郎は狼狽える。こういうところが自分の締まらないところだと自覚してしまう。


「今日はえっちなことしなくていいから……ずっと抱きしめていて……」

「今日だっ! まだまだ先は長えんぞ? 見捨ててくれんなよっ」

「もう……さっきカッコ良く言ってくれたばっかなのに……」


 つい本音が出てしまい、アルトリアが苦笑した。

 締まらない九郎のセリフにアルトリアも幾分罪悪感は薄れたのだろう。

 九郎が苦笑を浮かべると、アルトリアも涙顔で笑みを浮かべ、九郎の背中に腕を回す。


「でも、ボクのナカはまたクロウでいっぱいになっちゃう……ね?」


 恥ずかしそうに言ったアルトリアの小さな呟きに、九郎は身震いで答える。


(吸い取っちまう命の事を言ったんだよ! お前等、何その気になってやがんだよっ!)


 何もしないと言ったアルトリアは言葉通り九郎を抱きしめているだけだ。

 ただその言動の妖艶さだけはいつも通りのアルトリアだった。

 体に押し付けられる胸の柔らかさと、今し方言ったアルトリアのセリフに九郎は苦面しながら瞳を閉じる。

 生命力を吸い取られ続けていると言うのに、自分の下半身には逆に何かが供給され続けている様な、何とも不可思議な感覚に眉を顰めながら――彼女のセリフが心の中の意味となる日を願って。

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