第169話 閑話 姉妹達の探し者
爽やかな風が吹き、少女の短めの髪を揺らす。僅かな冷気を伴った風は、日差しの強い今の季節にあって、心地良い涼となって頬を撫でる。
フワフワとした少し癖のある髪は踊るように風と戯れる。
同じ色の焦げ茶色の耳が僅かに跳ねる。人とは違う、獣の、垂れた犬の耳が翼のように一度羽ばたき、
「おねーちゃーん。あった~?」
7歳の
夏真っ盛りの山は緑の少ないこの地域であっても、濃い緑を湛えていた。
高さの乏しい木々が代わりとばかりに枝を伸ばし、目一杯に葉を茂らせている。
地面に光と陰で斑の模様を画く木漏れ日が、薄緑の大地で踊っている。
「まだ~。でもちょっと来て~」
一呼吸置いて姉の声が木霊してきた。
デンテは鼻をヒクと震わせ、姉の匂いを辿る。
同時に耳を跳ね上げ、両手をついて音のした方へと駆け出す。
木々の間を滑るように走り抜けるその姿は、獣と言うより風のようだった。
「ここ……そうじゃない?」
デンテが姉の匂いを間違える筈が無い。
一直線に姉の元へと駆けつけたデンテは、茶色の尻尾を見上げて体を起こす。
そこにはただの野原を見つめ、頻りに鼻を鳴らしている姉のクラヴィスの姿があった。
デンテよりも頭一つ分くらい高い背丈。歳はデンテよりも2歳上の9歳になったばかりだ。だというのに、姉のクラヴィスの成長は目覚ましい。同じ歳の子らと比べても背が高いだろうその肢体は、引き締まっていてすらりとしている。なのに体に柔らかさを感じさせるのは、成長し始めた胸の所為だろう。
精悍とも言える顔付きながら幼さも残している姉のクラヴィスは、幼いデンテであっても『綺麗』と感じる少女へと成長していた。
頭の横には二つの緑のリボンが風に揺れている。長く伸びた茶色の髪は大方が背中に流されているが、高めの位置で結ばれた二つのリボンから伸びた一束ずつの髪は、違った動きで風にそよいでいた。
自慢の姉の姿に見惚れていたデンテの目の前で茶色の尻尾が揺れる。
茶色で先が白い狐を思わせる尻尾は良く手入れされており、今すぐ顔を埋めたくなるような柔らかさを見せている。女性の美しさの基準はまだデンテには分からないが、それでも自分の尻尾よりも長く、艶やかな光を放つ姉の尻尾は美しいと思っている。獣人という出自に含むものがある姉と違って、疎まれていると知っていてもデンテは獣人であることにコンプレックスを持っていない。単純に美しいものとして姉の尻尾の行方を目で追う。
「聞いてる?」
「あいっ!!」
「あれ? 汚れてた?」
短い言葉に慌ててデンテは顔を上げる。姉の尻尾に見惚れていたが、姉は尻を眺められていたと思ったのだろうか。デンテの視線に気が付き、スカートを返り見て草を払う仕草をした。
「取れた? ってまあいいわ。それよりここどう思う?」
パンパンと尻を無造作に払い、クラヴィスはデンテに尋ねてくる。
クラヴィスが顎でしゃくった場所は一見するとただの開けた場所でしかない。しかし明らかに異質な箇所が所々に散在していた。
大きな範囲の地面が削れ、一段低く凹んでいる。運ばれた種が芽吹いたのか、地肌が見えている場所は少ないが、それでも地肌が見えている事が山の中にあって異彩を放っている。
そして明らかにその異質さを越える箇所。大きな岩が抉り取られたように半分ほど消失していた。
砕いた訳でも無さそうな、何かで削り取られた岩の断面は、鏡のように滑らかだ。
明らかに何かが起こった跡を思わせるその光景にデンテは頷く。
そしてそのままひれ伏すように身を屈め、鼻を地面に近付ける。
集中しながら匂いを追い、記憶の匂いと照合する。
クラヴィスもデンテと同じような仕草で周囲をつぶさに調べている。
「ねえちゃ……そうだと思うけど匂いが無い……」
ひとしきり周囲の匂いを嗅いだ後、デンテは耳をペタンとさせて顔をあげ、眉を下げた。
鋭敏な嗅覚を持つ
そのデンテが言った泣き事のような言葉に、クラヴィスは眉を下げて立ち上がり腰を伸ばす。
「やっと見つけたと思ったけど……ここも駄目かぁ……」
天を仰いで呟いたクラヴィスの言葉には、大きな落胆が含まれていた。
鍛錬と銘打って行ってはいるが、ここを訪れたデンテとクラヴィスには別の目的もあった。
大人の足でもアルバトーゼの街から半日以上かかるこの山を、僅か一時の間に往復出来るようになったのはつい先月の事だ。無謀とも思えるような無茶な目標。それを成し遂げたのはデンテ達が獣人と言う体力もスピードも人より優れた人種だから……だけではない。
主を守れる強さを得る為――鍛錬の発端は間違い無くその為だったが、デンテとクラヴィスが毎日この山を目指して走り込みを続けていたのには、もう一つ目的があった。
厳しい鍛錬を成し遂げる為に自らが欲したご褒美。主に強請るのではなく、自ら探し始めたもの。
這いつくばって、デンテ達が必死に探していたものは、――欠片。思い出の欠片だった。
「じゃあ明日はもっと別の場所を探してみましょ」
クラヴィスは少々気落ちした自分を鼓舞するように拳を握ると、デンテに笑いかける。
冷たい風がまた少女達の髪を揺らした。
その時、デンテの鼻がスンと鳴く。
「ねえちゃっ!」
顔を上げたデンテの表情には驚きと喜びが浮かんでいた。
「どこ?」
流石は長年片時も離れなかっただけはある。
デンテの表情、声色だけでクラヴィスは全てを理解し先を促す。
「こっち!」
デンテが駆け出し、クラヴィスが後を追う。
二つの茶色の髪が風にたなびき、木々の間を縫うように登って行く。
植生が変化し、低く広がった木々も消え、ごつごつとした岩が崩れた崖に差し掛かる。
目も眩むような高さの崖。ためらう事無く飛び降りたデンテが気色ばんだ声を上げた。
「あったぁぁぁぁ!!!!」
「ホント!? わ、私も……」
デンテが掲げたソレを見て、姉のクラヴィスもためらう事無く崖を降りてきた。
焦りと希望とで顔を彩った姉は、岩を舐めるように顔を近付け、何度も鼻を鳴らしている。
普段見ている冷静な姉とは一味違うその姿。眉を吊り上げ目尻に涙を浮かべるその顔には、必死な様子が見て取れる。
「ねえちゃ……コレ……」
「あっ、あっ、やった……見つけたっ! やったぁっ!!」
あまりに見たことの無い姉の様子に、デンテが手にしたものを手渡そうとしたその時、クラヴィスの歓声が崖に木霊した。
「やたっ! やった……うくっ……ぐす……」
ポカンと姉を見つめるデンテの目には信じられない光景が映る。
いつも冷静沈着な姉が、飛び跳ねながら全身で喜びを表す事も初めての光景だったが、感激のあまり泣き出してしまった姉の姿など、デンテは見たことも無ければ想像もしていなかった。
そもそも姉のクラヴィスは怒りと慈愛の感情以外を表に出す事は稀だ。
いつも微笑んでいるか、敵に対して牙を剥くか……そのどちらかが殆んどだ。
もちろん妹であるデンテの前でははにかんだり咎めるような表情もするが、胸の内に宿る全てを曝け出すような性格では無いと思っていた。
その姉が今は手の中の物を握りしめ、感激に打ち震えている。
「あ……ちょっとまって!? ちょっと……うぅ……」
デンテの視線に気付いたのかクラヴィスは顔を赤らめ顔を隠す。それでも嗚咽が止められないのは、それだけ姉にとって胸に来るものが有ったのだろう。
一年以上毎日続けた厳しい鍛錬。自らの手で勝ち取ったそのご褒美が、姉の心を掻き乱している。
「クロウしゃま、やっと見つかったね? ねーちゃ」
デンテは二カッと笑い、手の中のものを太陽に掲げる。
白く綺麗な小さな骨。大きさから言って指の骨だろうか。鼻を近づけ匂いを嗅ぐと、普段から匂いの薄かった青年の僅かな……魂の匂いとでもいうような僅かな匂いが感じられる。一年以上長い月日を雨風に振られていたと言うのに、その骨は全く風化はしておらず、太陽の下で見ると真っ白に見える。
「うん…………うん……」
デンテの言葉にクラヴィスは目元を何度も拭って頷いていた。
デンテの目的は懐かしい面影を追ってのものだったが、姉にとってはまた違った意味合いが有ったのだろう。
デンテしか気付けない隠された姉の心の内。ベルフラムと言う主を守る為に、ひたすらに強さを求めていたクラヴィスが求めたもの。強さを求め続けた姉が求めた強さの象徴。
何であっても立ち向かい、どんな逆境であっても生き残り、どんな理不尽さえはね返してくれた人。
――――――その欠片。
「ねーちゃ。そろそろ帰らないとベルしゃま心配するよ」
「デンテは先に行ってて! 私の足ならすぐに追い越すから!」
姉の普段とは違う感情の吐露に、デンテはからかうように笑いかける。
妹にからかわれたクラヴィスは、眉をキッと吊り上げ怒鳴る。年上として、姉として、泣き顔を見られてしまった恥ずかしさが有るのだろう。
姉の思いを汲んで、デンテは素直に踵を返す。手に握りしめたその骨は、デンテにとっても宝物だ。後で姉に頼んで首飾りにでもしてもらおう。自分の妙案に口元を綻ばせて、デンテは崖を軽々と登っていく。
「クロウ様……」
崖を登り始めたデンテの耳に届いた姉の声には、再び嗚咽が混じっていた。
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