第166話  死者の村の花嫁


「がっ!?」

「かふっ……」


 九郎とアルトリアは同時に呻き、血を吐き出していた。

 鳩尾と腹――九郎とアルトリアは何か黒い物体に縫いとめられるように串刺しにされていた。

 いったい何が? ――九郎が血の味に顔を歪めながら腹を見る。

 ぞわぞわと蠢く何かが腹を食い破っている。背中まで貫通してるその何かは黒く、干からびた人の腸のようで――――。


「アルト!?」

「クロウ! 大丈夫?」


 同時に互いの名前を呼ぶ。

 お互い自分は不死だからと思っていても、相手の不死がどのくらい強力なのかは知らない。

 互いに相手だけを慮った言葉は同じ『不死者』だからこそだろう。


「俺は大丈夫だが……アルト……おめえ腹が……」

「クロウッ! ホントに不死なんだね! スル前に混じり合っちゃうなんて……ボク疼いちゃう」


 アルトリアの鳩尾は穿たれ、彼女の生暖かい血が九郎の腹を濡らしている。

 しかし串刺しにされたままアルトリアは九郎の胸に指を這わせ、とろんとした目つきで唇を撫でた。

 彼女の不死性がどれほどのものか知らない九郎は悲壮な顔を浮かべていると言うのに、彼女は潤んだような眼差しで九郎を見つめ頬を赤らめている。


「うがっ!?」

「あぅっ!」


 九郎が眉を顰めたその時、今度はそれがズルリと引き抜かれた。

 ささくれ立った針に内臓を掻きまわされるような痛みが走り、体が宙に投げ出される。

 空高く吊りあげられ放り出された九郎の目に、黒く長い触手のようなものに貫かれたアルトリアの姿が映る。


「アルトォォォ!!」

「クロウ!!」


 互いが互いの名を呼び必死で手を伸ばす。指先が掠る。

 しかし遅い。九郎が握りしめようと手に力を込めた時には、アルトリアは天高く空へと投げ出され、宙に浮かぶ巨大な生首に絡め取られていた。


 巨大な生首は鬼の形相で九郎を見下ろしている。クラゲの触手のように垂れ下がったものは黒く干からびた人のはらわた。かなりグロテスクな怪物だ。

 自然下では考えられないような巨大な顔は、よく見ると数多の死体で作られていた。ボロボロの服と朽ち果てた体。白骨化した者もいれば腐ったままに留められている者もいる。死蝋のように固まった頭蓋が歯を形作り、瞳の部分は腐敗で膨らんで弾けた腹がじくじくと黒い液体を流している。

 多くの死体が折り重なり、一つの巨大な顔を作り上げていた。


(なんでこう今日は次から次へと……)


 早くアルトリアを救出しなければ――九郎はギリと奥歯を噛みしめ空を睨む。

 先程のアルトリアの様子から、彼女もまだ死んで・・・はいない。

 鳩尾を貫かれたと言うのに、気にする素振りも見せてはいなかった。

 だが、彼女の『不死』がどれ程のものか・・・・・・・九郎は分からない。いくら『不死』と言えどもその範囲は様々だ。『動く死体ゾンビ』のように人よりちょっとばかしタフな程度もいれば、『竜牙兵ドラゴントゥース』のように殆んど九郎と変わらぬ不死性を持つものもいる。


「すぐ助けてやるっ! 耐えてくれよ、アルト!」


 九郎は叫んで構えを取る。

 触手に貫かれたままのアルトリアはぐったりと手足を投げ出し、その腹からはポタポタと血が滴り落ちている。

 焦る九郎が生首を睨み、大地を蹴ろうと足に力を込めたその時、アルトリアがぱちりと目を開け唐突に言葉を放つ。


「もう……邪魔しないでよ、父さん……」


 九郎は反射的に流れるような動作で両手をつく。敵から目を離すなど以ての外だが地面に視線を移す。額を地面に擦り付ける。そして叫ぶ。


「スンマセンしたぁぁぁぁぁぁあああ!!!」


 九郎はそれはそれは見事な土下座を披露していた。

 相手の怒りが尤もだと思ってしまった。

 嫁に行った筈の娘と知らない男が抱き合っている。しかも男は半裸で娘は全裸。いくらやましいことは何もいたしてないと説明しても通じる筈が無いと、九郎自身が思ってしまった。

 実際アルトリアの魅力に負け抱きついてしまったのは事実なのだ。上手く言い訳できる気がしない。

 娘の浮気現場を目の当たりにした父親の心境を考えれば、腹の一つや二つ穿たれても文句は言えない。


「あぐっ!! がっ!?」


 大地にこうべを垂れた九郎に、巨大な生首――アルトリアの父親の鉄拳は容赦なく降り注ぐ。

 肩も背中も頭も、何度も何度も打ち据えられ、九郎は苦悶の声を上げる。

 だが頭を上げる訳には行かない。


(ここは誠意だ! 誠意を見せるっきゃねえ……。相手の怒りが収まってからじゃねえと、きっと話も聞いちゃくれねえ!)


 ぞりぞりと体を抉られ、その度に体を『再生』させながら九郎は耐える。

 体を抉られているのだから『運命の赤い 糸スレッドオブフェイト』を発動させれば、巨大な生首は容易く屠る事は出来るだろう。

 だがシテないとは言え、裸で抱き合っていたのは事実なのだから、そこでアルトリアの父親を殺して、めでたしめでたしとは行かない。そんなのは鬼畜の所業だ。


「やめて! クロウは悪くないの! ボクがシたかっただけなの!」


 アルトリアの言葉が胸に痛い。これでは女性に責任を擦り付けているようではないか。

 ここは黙って耐えて言い訳せず、溜飲を下げてもらうしかない。


「アルトは悪くねえ! 俺がムラッときちまったのがワリいんだ! 煮るなり焼くなり好きにしてくれ!」


 九郎は覚悟を決める。その覚悟すら見た目だけの覚悟だと自嘲しながら。

 死ぬ事の無い、傷付くことの無い自分がどれほど痛めつけられようとも、相手は何の溜飲も下がらないのかも知れない。


「父さん! お願いっ!」

「ダメダメロセダダメダダコロセキャッカコキャッロセコダメダコロセカキャッカ」


 初めて生首から声が漏れた。

 錆びた金属を擦り合わせたような、頭に響くような声。

 何を言っているのか分からないが、怒っているのだけは確かだろう。

 何も言わなくても良い……どうなろうとも自分は大丈夫だ――九郎がアルトリアにそう言いやろうと顔を上げる。

 その目に異様な光景が映る。


 黒い腸に囚われたアルトリアの周りには、何十何百とも言えそうな黄色い靄が集まっていた。

 生首から吐き出されている黄色い靄が、アルトリアを覆い隠す量で蠢きただよっている。

 いつのまにか、周囲の景色さえ黄色く汚れていた。

 まだ早朝だと言うのに、靄が霧のように立ち込め周囲が黒く濁っている。


「ヒトリダケ」「サムイヨサムイヨ」「タスケテダスゲデガァァァ」「ヨクモイタイウラギリイタイ」「オカサセロクワセロナブラセロ」「ヒモジイクサイハラヘッタガエェェ」「シネイキタイバカナ」「ボク、ずっと待ってたの! ボクを抱きしめてくれる人を! もういいじゃない……そろそろボクを自由にさせてよぉ……」「ゼンブゼンブコロセゼンブゼンブ」「ハヤクコッチニコイフコウニナレ」「サムイサムイサムイサムイ」


 生首から吐き出された靄が喚き立てている。錆びた金属のような音はこれかと九郎が顔を歪める。

 雑踏のようなざわめきがそこら中から聞こえてくる。耳の奥に響くような、怒声、罵声、恨みの声。

 耳を塞ぎたくなるような怨嗟の声に眉を顰め、黄色い靄に隠されたアルトリアを見上げる。

 夏場の蝉の鳴き声のように耳に響く煩わしい声の中で、アルトリアの声が涙交じりの嗚咽に変わっていた。


「オマエダケズルイ」「シネコロセ」「シニナサイヨォアナタダケズルイノヨォォォ」「クモツノクセニイケニエノクセニ」「ヒトリダケノガレルツモリカ」「ユルサンユルサンユルサンユルサン」「ウラギリモノガァァァァ」「やだやだ! ……何するの!? え!? 皆……やめてよぉ……。ボクだって幸せに…………」「ギャハハハハハハハ」「ソノニクモソノホネモゼンブゼンブ」「ママァオナカヘッタァ」「ボウヤヲタベレバフユヲコセルワ」「ナンデナンデナンデナンデ」

「アルト!?」


 周囲一杯に漂っていた汚れた靄が急にアルトリアに絡みだしていた。

 様子がおかしいと九郎が立ち上がる。怒りを向けられるのが自分であれば、いかようにされても反撃すまいと決めていたが、アルトリアに害があるのなら話は別だ。


 九郎は体の中からナイフを生み出す。

 これだけは失いたくないと、いつも体に収めている自分専用・・・・のナイフ。

 それより先に履くものを入れておけと、心の中の羞恥心は訴えて来るが、男の下着を入れる為に痛い思いはしたくない。いまや相棒ともいえる思い出のナイフと男物の下着。比べるまでもない。


 相手は空中だ。まずは引きずりおろさなければならない。


「がっぅ……」


 迷わず九郎は指を切り落とす。何度やっても痛みには慣れないが、何度もやっているので要領だけは得て来ている。――どのタイミングで投げるか――九郎は空を仰ぎ、切り離した指を握りしめる。


「待ってろ! 今助け――――」


 九郎が叫んで千切った指を放ろうとしたその時、わんわんと雲霞のようにアルトリアを覆っていた靄が黒く汚く爛れ――――膨らんだ。


「ハライッパイクワセロォ」「ギャァァァアアア」「コロシテヤルコロシテヤルコロシテヤル」「シネシネシネシネ」「クモツハカミニササゲテコソ」「いやだっ……止めて! 五月蠅い五月蠅い五月蠅い! やだっ! やだやだやだ!」「サムイヨォヒモジイヨォ」「コンナコトナラ」「ナゼメシガデナイ」「オヤジハトシダカラアスニモシメテシマオウ」「コレデダイブンニクガデキルワネェェェェ」「なんで皆ボクを責めるの!? ボクが悪い子だったから? ボクが……まだ狂ってないから……?」「シネバイイッテイッタジャナイ」「コノヤロォォォォ」「オンナオカスオンナオカス」「カアサンサムイサムイヨォ」「ムギヒトツブネエジャネエカ」「コロセシネ」「ニゲレバヨカッタノニ」「ドコヘ」「ココトハチガウバショヘ」「やめてよ……やっと願いが叶いそうなんだ……。あと……少しだけなんだ……時間を……」「ダメダダメダダメダダメダ」「アルトリグム」「カミノクモツ」「シンデコソワタシノムスメ……」


 何十何百とも思える声が一斉に叫んでいた。轟雷のような叫び声の中でアルトリアの声が次第に弱くなり――九郎が見上げる靄の中から一際濁った声が響いた。


「あはっ! あははははははははは!! なぁんだ……そうだったね……。ボク一人が幸せになんてなっちゃいけないんだ! 一人で慰めるだけがボクなんだ! ずーっと……ずーっと……永遠に! 永劫に!」


 アルトリアの嬌声が響いていた。朗らかで明るい声では無く、妖しく歪んだ子供の声。幼さと猥雑さが合わさったような酷く落ち込んだ声。泣き叫んでいるようにも、諦めたようにも、喜んでいるようにも聞こえる雑多な嬌声。


「わかってるよっ、父さん! ボクがちゃんとやるよっ! ボクいい子だから! だから……ボクを一人にしないでね」


 鳩尾に大穴を開けた状態でアルトリアがフワリと地面に降り立った。ボタボタと零れる腸が、白い雪を赤く汚す。

 明らかに先程とは違うアルトリアの様子に九郎が唾を飲み込む。

 アルトリアは生首を見上げ、媚びるような目つきで微笑むと九郎へと振り向く。

 紫色の瞳がゆっくりと細められ、薄い唇が妖艶に引き上げられる。


「綺麗でしょぉ……ボクの中……。まだ新品なんだぁ……。ほら、ピンクでひくひくしてて……」


 アルトリアはうっとりとした視線で九郎を見つめ、恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、熱の籠った吐息を吐き出し、自分の腸を掬って見せつけていた。


「でも……ボク……お嫁さんだから……。駄目なんだぁ……あんまり見せちゃ……。クロウなら……全部全部……ボクの恥ずかしい所も全部見せてあげよって……思ってたんだけど」


 顔を赤らめ、胸を押し上げるようなポーズを取りながらアルトリアが微笑む。

 美しい壊れかけた裸体を惜しげも無く晒すアルトリア。青褪めた九郎が見つめる中、アルトリアの『再生』が始まっていた。

 大きな穴が開いていたアルトリアの鳩尾が、布を織るように紡がれていく。

 九郎とは違った再生の仕方。一瞬自分の状況も忘れて九郎はその様子に見惚れる。

 ピンクの内臓も、断たれた骨も、赤い肉も、細い糸のような繊維が絡まり合い再び紡がれていく。

 自分のように粒子が集まり『生える』と言うより、残った肉体が手を繋ぐように元へと『戻る』。

 植物の成長を早送りにして見せられたような生命の神秘のような再生の仕方だった。


「ごめんね、クロウ……。ボクやっぱりキミを殺さなきゃ。ボク一人……幸せになっちゃいけないんだって……。父さんの夢を奪っちゃったボクは……父さんの分まで不幸にならなくっちゃ……」


 一瞬泣き出しそうに顔を歪めたアルトリアは小さく溜め息を吐いた後、花が咲いたような笑顔で笑っていた。

 アルトリアは両手を広げる。先程「抱きしめて」と九郎を求めたポーズと同じ、愛しい誰かを待つように瞳を閉じる。

 砂が転がるようなザザザという潮騒の音が響く。アルトリアの体が白い何かで覆われる。

 純白の花嫁衣装……その姿は九郎の知るウェディングドレスとは少し違った白い衣装だった。

 一瞬の内にアルトリアはヴェールを被った花嫁姿に身を包んでいた。

 九郎が黙って見守る中、その胸元に赤い花が咲く。

 白い花嫁衣装に身を包んでいたアルトリアの胸の下に赤い筋が浮かんでいた。

 花が咲き開くような赤に白い衣装は飲みこまれていく。胸元から下を真っ赤に染めたアルトリアの花嫁衣装はやがて黄色くよごれ、黒くけがれ……肩から胸以外を真っ黒に塗り込められた衣装へと変貌を遂げていた。


「いいな……ソレ」


 思わず九郎の口を出たのはそんな間の抜けた一言だった。

 その言葉にアルトリアは一瞬ポカンとした表情を浮かべたが、その目を寂しそうに歪める。そしてまた妖艶な目つきに戻る。


「クロウ余裕そうだけど、ボクには敵わないよ? だってボク『魔死霊ワイト』だもん。伝説のアンデッドだよ? ボクの力は負の魔力だって吸い取っちゃう……ぃやぁ……凄いものなんだから! クロウがいくら『不死』だって本気をだしたボクに適うわけ……ぅぅ……な~いよっ! でもボク、クロウ気に入ったから、クロウが『魔死霊ワイト』になった……やだぁ……後でも、試してみるね! クロウだったら死んでても……ぃやだ……いいや……。ボクのハジメテあげるからさっ……クロウ……逃げて……の命を――――」


 早口でまくしたてるアルトリアはクルクルと表情を変え、九郎を睨み、


「ちょ~うだい!!」


 片手を真直ぐ九郎に向けた。

 ヴァァァァァァァン

 鈍い音が耳に響き、黒い波動が九郎を通過する。


「いって……」


 九郎は立ちつくしたまま眉を下げる。

 体の半身が削り取られていた。何をされたか分からないが、固い何かがぶつかって来たような感覚があった。


「そんな余裕ぶらないでよ! ボク舐められてるの? やだっ、や~らしっ」


 動かない九郎にアルトリアは続けざまにドレスをたくし上げる。

 アルトリアの黒いドレスの裾から黒く蠢く何かが広がる。


「おおう……」


 今度は足元がチクチクした。そう感じた瞬間九郎の視線が段々低く下がっていく。


(ああ……齧られてんなぁ……)


 今度の攻撃は分かってしまった。何度も経験している九郎は、眉を下げ冷や汗を流しながら肩を抱く。

 下は見ないと真直ぐアルトリアを見つめながら、体をチクチク啄ばむ何かを必死に意識から追い出す。

 体を『再生』させ、合わせて下半身を炎に『変質』させる。パキパキパチパチ聞き慣れた音が足元から聞こえてくる。


わりいな……。親父さんのズボン、半ズボンになっちまった」


 九郎は肩を竦めておどけて見せる。


「馬鹿にしないでよっ! それならボクを殺して……。見せてよ!」


 アルトリアが怒りの形相で飛びかかって来た。

 一瞬の間に手に黒い大鎌を作りだし、それを振りかぶって横なぎに振るう。


「おうふ……。親父さんの前で脱がすなよぉ……。やっぱ助平だな、アルト」


 自分の上半身が崩れて行くのを感じながら、九郎は眉を寄せて苦面した。

 丁度腰で別れた九郎の目に、自分の引き締まった尻が映る。


「どうして反撃しないのさ! 早く殺すなりなんなりしてよ! 出来ないなら逃げてよ! 馬鹿ぁぁぁぁぁぁ!!」


 やっぱりな……。飛びかかり得物を鋤に変えたアルトリアを見上げながら、九郎はやっと安堵の吐息を吐きだす。

 黄色い靄に包まれた後のアルトリアを見て、一瞬狂ってしまったのかと焦っていた。

 禍々しい靄に包まれた彼女は、騎士達に見せた表情と同じように妖艶な雰囲気を醸し出していた。

 だが、時折聞こえる僅かな泣き事や、一瞬見せる表情から九郎は彼女が狂いきっていない方に懸けた。

 

 どの道反撃する気も無かったが……。


 彼女を苦しめているものは、あの黄色い靄だ。一人幸せに成る事を許さず、全員が不幸であればよいと願う穢れた思念。

 聞こえていた数々の言葉を整理しながら、アルトリアはこれらの思念に引っ張られるように狂った自分を演じている。

 どうするべきかと考え、漂う生首オトウサンに視線を移す。


「『不死』は命に負けるんだよ? 生命は輝かしいもの……ボクらみたいな『不死アンデッド』は世界から拒絶された穢れたもの……」

「そんなことねえよ。アルトは輝いてたぜ?」


 上半身を鋤で串刺しにされたまま九郎は片目を瞑って笑う。

 ポタリ、ポタリと九郎の胸に色の無い滴が輝いて落ちる。


「――ニゲル・アーテル・ヴィータ・テクサー・グレアモル! スキャトリグネ・アグアミル! プタラ・フィジャ・フルクサス! 『ノスケル・ヴェノム・フェスタム』!!!」


 アルトリアが泣き顔のまま、何かを叫ぶ。

 両手で九郎の頬を挟み、ポタポタ涙を流しながら口の端を歪める。

 体が沈む――そう感じたのは誤りだった。体が物凄い速さで腐って行く。

 アルトリアの支える顔の皮膚が溶け落ち、視界が暗く濁る。目が落ち窪み、歯が抜け落ちる。

 首を支える肉が腐り、胸が溶けて骨が覗く。黒く腐敗した体が嫌な匂いを漂わせ、ぐずぐずの汚れた水となって地面に染み込む。


「やだっ……やだやだやだ! なんで…………。死ななきゃ……ああ、ボクは死ねないんだ……。ひっ……違う……うぐぅ……狂わなきゃ……狂わなきゃボクは……駄目……もう駄目だよ……持たないよ・・・・・……諦めてよぉ……」


 子供のように泣きじゃくりながら、アルトリアは九郎の髑髏を抱きしめていた。

 狂おう狂おうと自分に暗示を掛け、それでも狂いきれない悲しみ。


 腐った水の中にペタンと座り込み、アルトリアは九郎の髑髏を抱きしめ泣く。


「ごめんねぇ……ボク、エッチだからさ……人に触って欲しくて……誘惑しちゃったりして……そんでもって一杯……一杯人を殺して……ううん、もっと恐ろしいものに変えて……。やっと見つけたと思ったんだ……ボクをここから連れ出してくれる……王子様をさ……」


 禍々しい赤い粒子が立ち込める。アルトリアが九郎の髑髏を見つめ、何も言わない口に唇を寄せる。

 赤い光が立ち込める中、アルトリアは顔を歪めて髑髏に頬を寄せた。


「ボク……抱きしめられたかったんだぁ……。でもクロウが……叶えてくれたから……幸せになっちゃったから……。父さん怒っちゃった……。ねえ、クロウ……? ボクは幸せになっちゃ駄目なのに……なのに諦めきれないんだ……もっと幸せになりたい……もっともっと抱きしめられたいって……そんなの許されないのに」

「いいんじゃねえか? 幸せの数は多い方が」


 アルトリアを抱きしめ九郎は苦笑を浮かべる。

 髑髏を起点に再生したので、またもや九郎の腰にアルトリアが座った状態になってしまっている。

 そして自分は全裸。


(やっぱ締まんねぇなぁ……)


 そう眉を下げながらも九郎は腕に力を込める。

 折れそうなくらい細い腰を抱きしめ、背中を優しく叩く。

 幸いなのか、不幸なのか、今度はアルトリアはしっかり服を着ているので、息子はなんとか押さえ込めている。ただし胸に感じる圧力に、今か今かとその時を待ち構えているが……。


「クロウ……どうして……?」

「あん? どうして死んで無いのかっつーなら、言ったろ? 俺は『不老不死』だかんな。自慢じゃねえが体が消し飛んでも生きてられっぜ?」


 アルトリアが九郎の肩に顎を乗せたまま呟く。耳に掛かる吐息がこそばゆいが、一応息子も空気を読んでくれている。九郎はアルトリアの髪を撫でながら、自慢ではないなと顔を顰めたまま胸を張る。

 どうにも自分の弱さを自慢しているようで、やっぱり格好が付かない気がする。


「じゃあ……どうしてボクを……」


 骨から蘇生した九郎にアルトリアも思わず素に戻ってしまったようだ。

 先程の狂気はなりを潜め、驚きのままに疑問を口にしている。今度は何故抱きしめているのかと問われているのだろうか。


「んなもん、泣いてる女の子を抱きしめるのは男の役割だからな! べ、別に胸に目が眩んでる訳じゃねえぞ!?」

「じゃなくって……殺さないの? ボクを……」

「殺したらアルトが幸せになれねえじゃんか! 幸せになりたいんだろ? 抱きしめられて幸せになんだったら俺が何度でも抱きしめてやんよ! 俺は不死だかんな! アルトに命を吸い取られる事もねえ! 役得だぜ!」


 今度こそ決まっただろうか……。そんな事を考えながら九郎は笑顔を浮かべた。

 泣いてる女性はほっとけない。減らない自分の命でいいなら、幾らでも差し出す気概は持っている。

 どうしたって殺せない自分の存在を見せつければ、アルトリアもその不毛さに諦めるだろうと、演じた無抵抗はどうやら上手くいったようだ。


「さてと……次はお父さんの番だよな? 娘の幸せを邪魔するってのは父親として……って俺の格好じゃ全く説得力がねえなぁ……。うしっ! 気のすむまで殴ってくんな! 俺は何の抵抗も――――」


 九郎はアルトリアを抱きかかえたまま立ち上がる。そしてアルトリアを横に立たせ、前に進もうと足を踏み出し、ゴキリと首を横に曲げられる。


「へへっ……も~らっちゃった! って二度目だっけ? やん、ボクってホント、エッチぃなぁ……」

 

 すわ何事かと目を瞠った九郎の顔に、アルトリアのはにかんだ顔が映る。

 触れるか触れないかと言えそうな軽い口付けを強引にされた九郎が呆けた顔で唇を触り、アルトリアは輝く笑顔を浮かべていた。

 アルトリアは呆けた九郎を押しのけ生首の前に立つ。

 再びアルトリアの体に黄色い靄が集まって来る。


「アルト!?」


 また狂ってしまうのではと九郎が駆け寄るのを制し、アルトリアは晴れ晴れとした顔で言いやる。


「ごめんね、父さん! ボクやっぱり幸せになりたい! いろんなことヤッテみたい! もうボク我慢できない! 300年ボクは父さんの言いつけどおりここにいたんだから……そろそろ子離れしてよね!」


 一方的な別れの言葉を笑顔で言い放ち、アルトリアは両腕を高く掲げた。


「――ニゲル・アーテル・ヴィータ・テクサー・グレアモル……。アニマ・メア・ジャクティス・レジャクティス……。アニマ・メア・ルルスス・レルスス……」


 歌うようにアルトリアが呪文を唱える。踊るようにアルトリアが回る。両手よりも長い黒い袖がヒラリ、ヒラリとひるがえる。


「ヴィータ・モルス・ジャクティス・モルスス……。ノクティス・ディエース・レジャクティス・レルスス……『メシス・レギーナ・アニマ・ヴィータ』!!!」


 アルトリアが翻った袖を天高く掲げた瞬間、地表が黒く輝いた。

 突如周囲に夜が訪れる。

 夜と言うより闇。黒より黒い、黒い光が汚れた靄を掻き消していた。


「ごめんね、父さん……。ボク……幸せになりたい」


 闇が晴れると全てが消え去っていた。

 黄色く漂っていた靄も、悍ましい姿の生首も。

 そして全ての命が芽吹いていた。

 冷たい大地を割り花が咲き乱れ、草が生い茂っていた。

 黒い光に包まれた場所だけが、季節が変わったかのように命を謳歌していた。


「クロウ……ボク幸せになりたいんだ……抱きしめてくれないかい?」


 振り返って両手を広げたアルトリアは、澄んだ涙を流していた。

 涙は頬を伝って滑り落ち、朝の光を受け虹色に光って大地に吸い込まれていった。

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