第165話  性と死を抱いて


 赤々と燃え盛る家々。

 雪山の小さな村に積もった白い雪を紅蓮の炎が溶かし、黒ちゃけた大地を広げていく。


(間にあって……ねえよなぁ……)


 苦虫を噛み潰した顔で九郎は周囲に目を走らせる。

 間に合ったか間に合っていないかと考えると、最悪の事態を回避できたのだから間に合ったと言うべきだろう。だが赤々と燃え盛る民家があちこちに見える状況では、これで良かったとは中々言えない。

 アバウムのフラグス領主が『魔死霊ワイト』と言う『災害級』の魔物を討伐する為に、農村へと向かったとの情報を得た時、九郎は当初戻ろうとは思っていなかった。『災害級』の魔物相手に自分がどうにかなるとも思えないし、軍隊が出たのならとアルトリアの無事を祈るくらいしか無いと考えていたからだ。

 いくら『来訪者』としての力を授かっていようとも、九郎の能力は『フロウフシ』と『ヘンシツシャ』。

 どちらも攻撃に向いた『神の力ギフト』ではなく、精々負けない・・・・程度のものだ。

 軍が出たのなら自分の出る幕も無い――そう考えていた九郎だが、続く情報でとたんに不安が襲って来た。

 もとからそんな『災害級』の魔物が現れたのなら、この領主に倒せる筈が無いとの話。

 また、領主が名誉欲に駆られて村を焼き払い、どさくさに紛れて『魔死霊ワイト』討伐をでっちあげようとしているとの噂に、九郎は居ても立ってもおられず駆け出していた。

 無駄足でも良い。無駄足であってくれと願いながらも嫌な予感に体が勝手に動き出していた。


 そして不運にも九郎の予感は当たりを告げており、今まさに乱暴されようとしているアルトリアが目に映った時、九郎は無我夢中で駆け寄っていた。

 身分の高い人間に手を出せば面倒な事になる。そんな考えすら毛ほども思い浮かばなかった。

 押さえつけている騎士達を力ずくでなぎ倒し、ベルトを緩めようとしていた太った男に渾身の一撃を見舞った。殺すかもとの考えすら頭に無かった。


 アルトリアは後ろで震えている。

 気配だけでも彼女の怯えが伝わって来る。

 大勢の男に囲まれ裸にされ辱めをうける寸前だったのだ。その恐怖、嫌悪は想像も出来ない。


 九郎は顔中に怒気を籠らせ、眉を吊り上げる。

 女好きを自認し、あまつさえ女の敵とも思われそうなハーレムを築く事が課題の九郎といえど、無理やりと言う単語には人よりも強い忌避感を覚えてしまう。

 女性が好きだからこそ、愛でるもので慈しむものだとの考えが強い。女性の体も心も、傷付けること等以ての外と考えていた。

 女にはすべからく優しくするべし――母親から小言のように聞かされていた言葉が関係しているのかも知れない。


(さて……どうすっかなぁ……)


 義憤の怒りで今にも暴れ出しそうな九郎であったが、背中にアルトリアを置いて暴れるわけにもいかないと、どこか冷静な部分もあった。

 目の前の騎士達は総勢30人ほど。

 飛び込んだ時は無我夢中で、後の事など考えられなかったが、守るべき者を得た九郎は今後の事をどうするか今更頭を悩ませていた。

 物語の英雄ならばここで30人の騎士達を蹴散らし、カッコ良くハッピーエンドを迎えるのだろうが、生憎戦闘面での九郎はからっきしだ。襲って来る者、動きの遅い者に対してなら無類の強さを発揮するが、戦闘経験が豊富であろう騎士相手にアルトリアを守りながら無双出来るほど、自分の実力を高くは見ていない。


(騎士ってのは『守る者』じゃねえのかよぉ……)


 九郎は先程叫んだ言葉を自分の中でもう一度反芻はんすうする。

 騎士は守る者――九郎の中でこの言葉は変わっていない。自分を害し、文字通り胸に大きな穴を開けた女性の言葉であっても、その言葉は尊敬に値するものだと今も思っている。

 瞼の裏には未だにレイアの震える瞳が残っている。悍ましいものを見るような、恐れの感情を零れ出さんかぎりに湛え、それでも自分と相対したレイアの口癖。

 彼女のとった行動にショックを覚えていたが、それでもレイアは騎士だったと九郎は感じていた。


 その騎士達が集団で一人の少女を暴行しようとしていた事実に、九郎の中でまた義憤が渦巻き始めていた。


 怒りに任せて暴れたい感情を必死で押し止めて、もう一度周囲を見渡す。

 不意打ちなら一撃入れられたが、次はどうだろう……相対する騎士達が油断を続けてくれるとは思えない。一瞬であろうとも自分の『不死』性を間近で見た騎士達の表情は硬い。


 ――――どうする? ――――九郎がギリと奥歯を噛みしめたその時、


「がふ……?」


 突然呻き声が上がった。


「隊長!? どうかなされましたか!?」


 一瞬間を開け慌てふためいた声があがる。

 見ると取り囲んでいた騎士の一画で、膝を落としわなわな震えている大柄の男の姿がある。

 傍にいた騎士の一人が男の肩を抱え青ざめた顔で叫んでいる。


「隊長!? 隊長!? うわぁぁぁぁぁぁああっ!!!」


 目の前で不思議な事が起こりはじめていた。

 不思議な事……と言うよりあまり見たく無い光景だった。

 隊長と呼ばれた騎士が突然隣の騎士に覆いかぶさっていた。

 ガチャガチャと金属音をかき鳴らし、這うように騎士の体をまさぐる大柄な鎧。


(うわぁぁ……。昂ぶり過ぎて近場でどうにかしようってかぁ……? ひくわー……)


 突然仲間を襲い出した騎士に、九郎は場違いな感想を浮かべ眉を寄せる。


「貴様っ!! 隊長に何をしたっ!!?」


 騎士の一人が九郎に剣を向けたまま怒鳴る。

 えー? と言うのが九郎の正直な感想だ。確かに今の九郎は上半身裸だが、自分の半裸を見て興奮したとでも言うのだろうか。それはそちらの問題で、自分は関係ないと叫びたい。

 幾分白けた気分の九郎とは違い、騎士達は悍ましいものでも見るように九郎を取り囲んでいる。


「なんもしてねえよ……そっちの隊長さん? にその気があったって俺の責任じゃねえだろうが……」


 ホモを誘発させる等と言われても困ってしまうと、九郎は眉を下げる。

 同時にこの呆れた空気の中に突破口は無いのかと様子を伺うが、盛っている隊長を除いて囲いに穴は見られない。


「動くなっ!!!」


 その時九郎の後ろから別の男の声が響いた。


「なっ!? 汚ねえぞっ!! それでも騎士かテメエら!!」


 振り返るとそこには頬を腫らした、領主らしき人物が立っていた。

 のしたと思っていたから意識から離れていた。先程まで伸びていた領主が、怒りの籠った眼差しを九郎に向け、アルトリアを抱きかかえている。

 その手には剣が握られ、剣がアルトリアの首筋に添えられていた。


「武器を捨てろ……っと持っておらぬようだな? よくも俺の美しい顔を殴ってくれたなぁ?」

「鏡ねえのかよ……この国は」


 領主の言葉に九郎は眉尻を下げ力を抜く。

 またもや自分が迂闊だったばかりに引き起こされたピンチ。思いっきり殴ったつもりが、また人の命を鑑みてしまったのだろうか。自分がどこかで手加減してしまい、殺せなかったばかりにアルトリアが危険に晒される事になってしまったと顔を歪める。


 アルトリアは九郎をじっと見つめ、一言も声を上げない。マントのように羽織っていた九郎の上着がはだけて落ち、彼女の裸体がまたもや朝日に照らされた。

 目に毒だと思いながらも、九郎はアルトリアを羽交い絞めにし、勝ち誇ったような笑みを浮かべる領主を睨む。


「クロウ……見ないで……」


 アルトリアが俯いて呟く。


「いや……分かってんだが……」


 羞恥心からの言葉だろうと九郎は更に弱った顔を浮かべる。

 裸を男にまじまじ見られるのが恥ずかしいのは分かるが、今そう言っている場合では無いだろう。

 この状況で彼女を無事に救い出すにはと、九郎が頭を必死で働かせる。

 

「わーったよ……俺は抵抗しねえから、取りあえず剣を――――」

「さあ、抵抗するとこの娘の首が落ちるぞぉ? 大人しく――」

「あはっ……ふふふふ…………」


 二人が同時に言葉を吐き、同時に目を瞠った。

 九郎と領主。二人の言葉を遮るようにしてアルトリアが突然笑い出していた。


「もう……見ないでって言ったのに……。そんなにボクの裸が見たいの?」


 三日月の形に細められた瞳には妖艶な色気が浮かんでいた。


「貴様!? 大人しくしておらぬと切り捨て……」

「もうっ……せっかちな人だね。そんなに早くイキたいのかい?」


 突然雰囲気が変わったアルトリアに領主は声を荒げるが、アルトリアは押し付けられた剣を気にせず領主にしな垂れかかる。放つ色気に気圧されたのか、領主の顔が強張る。

 まるで恋人に体を預けるようにしてしなを作ったアルトリアが、そっと領主の頬を撫でる。いつも両手に巻かれていた包帯が蔦のように垂れ下り、アルトリアの白い指が覗いている。

 領主の強張った瞳が見開かれる。同時にアルトリアの胸からは朝日に輝く鋭利な刃物が生えていた。


「アルトッ!」

「もう……突くのはソコじゃないでしょ?」


 九郎が叫び、アルトリアはクスクスと笑って答えた。

 背中から胸まで貫通させた剣に指を這わせ、滴り落ちる血をなぞって臍下を撫で、うっとりとした表情を浮かべて。

 目の前に映る光景を誰もが呆気に取られて見つめていた。

 凄惨で残酷な光景なのに、目が離せないような淫靡で猥雑な色気が漂う。


「うふふっ……。 ちゃんとイケた? 気持ちよかったぁ? ねぇ? ボクまだ濡れてもいないのに……。早いにも程があるよね? ハジメテだったのぉ? ボクだってまだなんだぁ……いいなぁ……ボクも早くシたいなぁ……」


 暗く濁った瞳でアルトリアが微笑む。妖艶な笑みで、熱い吐息を吐き出し、唇に指を添えて。

 頬を一撫でされただけで領主はその場に崩れ落ちていた。


「みんなみんな……ボクに触れもしない癖に……先にイッちゃうなんて酷いじゃない……ねぇ……そう思わない? …………あんっ……もうっ! ボクだけ一人でシテるみたい……。ってそうかぁ……いつもと同じ……ボクは一人で慰めるだけ……あははは……あはははははっ」


 小さく嬌声を上げて剣を引き抜き、アルトリアは嗤う。

 炎の舌を背景に、赤々と照らし出された淫靡な姿。紫色の妖艶な瞳が、暗く赤く熱を帯びているかのように妖しく輝く。

 見事な裸体を惜しげも無く陽と火に晒し、アルトリアは狂ったような笑い声を上げていた。


「た、退避ー!! 『魔死霊ワイト』だっ! 本当に『魔死霊ワイト』が出やがった!!」

「た、隊長も『魔死霊ワイト』に!!」「ロッソンもだぁぁ!!」


 状況が飲み込めない九郎の耳に騎士達の声が届く。

 目の前で笑い続ける裸の少女。アルトリアが『災害級』の魔物――『魔死霊ワイト』。

 魔物との言葉とアルトリアが結びつかず呆然と立ち尽くす九郎をよそ目に、アルトリアはケラケラと楽しそうに笑っている。


 後ろで起こっているのは阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

 別の騎士に覆いかぶさっていた隊長格の騎士がのそりと起き上がり、別の騎士を襲い始めていた。

 兜が脱げ露わになったその顔は、黄色く膿に汚れたように曇っている。

 

 起き上がった隊長と呼ばれていた騎士がブルリと体を震わせた。そして暖を求めるかのようにまた別の騎士へと抱きつく。


「ひぃぃぃぃぃぃ!!」


 怖気走った悲鳴を上げ、また一人騎士が押し倒された。

 恐慌をきたし、仲間に対して剣を振るう。

 黄色い膿のような体液を撒き散らし、隊長の顔が切り刻まれる。だが、その剣を物ともせずに彼は抱きしめられ――――


「ああっ、グリュウが!」


 仲良く起き上がった騎士の顔は黄色く濁っていた。


「ベイガン様もだぁぁ!!」「死んでまで偉そうにしてんじゃねぇ!」「リックがやられた!」

「来るなっ! 来るなぁぁぁ!!」「俺は『魔死霊ワイト』じゃな……」


 混乱の極致。そう言って良いほど、騎士達は慌てふためき目も当てられない状態に陥っていた。

 恐慌をきたし、『魔死霊ワイト』化していない同僚にまで剣を振るう者が出る始末。兜の所為で顔色が見えないからか、誰もが疑心暗鬼に囚われだす。

魔死霊ワイト』と化した者達は、『動く死体ゾンビ』と違い運動能力が衰えないようだ。それに加えて、九郎の目には彼らが自分が死んだことにも気付いてないかに見えていた。

 生前と変わらぬ動きだからこそ始末が悪い。

 彼らと行動を共にしようとしているかのように追走し、思い出したかのように襲い掛っていた。


「ほら、置いてっちゃ駄目だよぉ。皆寒いんだって。暖めてあ・げ・て?」


 両肩を抱き、囁くアルトリアの表情は泣いているのか笑っているのか。

 抱きつきにかかる『魔死霊ワイト』とそれを拒む騎士。だが折り重なった騎士が起き上がれば、『魔死霊ワイト』は増える。


 肉を裂く音と金属を重ね合わす音、そして断末魔の悲鳴が響いていたのはどれ程の時間だったのか。

 再び訪れた静寂の中で、アルトリアは九郎に微笑みかけていた。


「もうっ……ボクをその気にさせといて……酷い人たちだよね?」


 その笑みは九郎にはやはり泣いているように見えた。


☠ ☠ ☠


「ねえクロウ……寒いんだ……。抱きしめてくれる?」


 アルトリアは首を傾げて両手を広げる。

 目の前には驚き固まったままの九郎が佇んでいる。

 その視線は忙しなく泳ぎ、禍々しい存在の自分を凝視出来ないと訴えているようだ。


「なんてね。……いいよ……。行っちゃいなよ……。追わないからさ……」


 固まったままの九郎にアルトリアは寂しげに微笑む。

 これだけ悍ましい惨劇を作り出したのだ。恐れを抱かない筈が無い。

 今まで人のふりを続け、人であろうと頑張っていたが、それがどれ程滑稽で悍ましいものかやっと分かった。

 人に触れれば命を吸い取り、あまつさえ人ならざるものを量産する。

 自分の存在自体が邪悪なものだとやっと気付いた。


(ううん……ずっと知ってたんだ……ボクは……。ただ見ないふりをして……ボクの正体は卑怯で浅ましいアンデッド……)


 自嘲しながらアルトリアは晴れ晴れした笑みを作る。

 悲しみを押し込み、最後の思い出を残そうと自分の中の狂気を押し留める。


 これから自分は狂っていく――確信めいた予感に残った理性が頬を伝う。

 領主が戻らず『魔死霊ワイト』の眷属と化したのだ。これから先はもっと多くの討伐隊を差し向けられるだろう。

 今まで以上に命を吸い取り、人の屍を積み上げ、人の死すら冒涜する。

 自分の存在がどれ程悍ましいのかがやっと分かった。


 アルトリアは眼を瞑って景色を閉ざす。

 自分の元を去っていく青年の姿が、アルトリアが人として見る最後の人の姿になる。

 それを拒んで目を瞑る。恐れを抱き、逃げ去る九郎を最後の思い出にはしたくは無かった。


(人だったボクの心に残す最後の景色は……笑って手を振るキミがいいんだ……)


「――――さよなら……また・・ね……」


 アルトリアは震える声を振り絞って別れの言葉を告げる。

 同時に告げた言葉に嗚咽が混じる。

 まだ縋ってしまった――また・・なんてもう無いのに……。自分の性根がこれ程脆く、浅ましいことを再び突き付けられ、反吐が出そうだ。

 

「うぁ……ぅぇぇ………………え……?」


 嗚咽を必死で堪えていたアルトリアの声に、驚きと戸惑いの声が混じった。

 何かに押されたようにアルトリアの体が前に傾き、傾き倒れた頭が何かに触れる。


「……さ、寒いからな! 仕方ねえよなっ!?」


 おっかなびっくりと言った感じではあるが、上擦った声と共に体が包まれていた。

 アルトリアが驚きのままに目を開く。見上げると顔を真っ赤に染めた九郎が眉を下げ、苦しげな表情を浮かべていた。


「え? なんで……?」


 アルトリアの口から出たのは驚きと悲しみの声だった。

 折角見逃そうとしていたのに、九郎まで『魔死霊ワイト』化させてしまったと言う後悔の念が湧き上がる。


(抱きしめてなんて言うんじゃなかった……)


 アルトリアの目に涙が溢れる。裸で求めたからついに九郎の理性を飛ばしてしまったのだろうか。それとも自分が余りに憐れで同情を誘ってしまったのだろうか。

 後悔してももう遅い。九郎は自分に触れてしまった。

 胸に感じる熱い肌も、背中を抱く力強い手も自分の素肌に触れている。


「ばかぁぁぁぁぁぁぁ…………」


 彼が選んだ選択だ――そう思っていてもアルトリアは泣き出す事を止められなかった。

 思い出すら自ら壊し、悍ましい死に塗り替えてしまった後悔を堪えきれなくて、自分の運命を呪う。

 そしてそれでも、両手で九郎の腰を抱きしめてしまう自分の浅ましさに涙を流す。


 すぐにこの温もりも冷たくなる……その最後の温もりを求めるように、背中に回した手を這わせ――


「え?」


 もう一度驚きのままに顔を上げた。

 アルトリアが見上げた先には、難しい顔をして冷や汗を流し続ける九郎の姿があった。


☠ ☠ ☠


「なんで立ってるのさ!?」

「立つだろ!? 無茶言うな!」


 アルトリアの言葉に九郎は思わず語気を荒げていた。


 凄惨な現場を作り出したアルトリアだったが、九郎に嫌悪の感情は湧いてこなかった。

 アルトリアからは全く手出ししていないし、そもそもの原因が騎士達にあると感じていた。

 アルトリアを裸にひん剥き、乱暴しようとしていた騎士達に同情の余地は無い。

 人を殺すと言うことには多少の忌避感は覚えるが、それをしたのも殆んどが騎士達であってアルトリアでは無い。

魔死霊ワイト』が恐ろしいアンデッドだと聞かされていても、アルトリアと共に過ごした九郎は、彼女の事を邪悪な魔物とは思えなかった。アルトリアよりもよっぽどアンデッドらしいカクランティウスと先に出会っていた事や、体の中に無駄に大勢いる居候達に慣れていた事も理由の一つかも知れない。

 そもそも自分が『不死』なのに、彼女に忌避感を覚えるなんてことはない。

 人を遠ざけるように孤独の中で暮らし、お人好しとも思えるほど献身的な素振りを見せ、それなのに絶対に自分から人に触れようとしなかった彼女に罪が有るとは思えなかった。


 そのアルトリアからいきなり抱きしめてと問われたら。

 一糸まとわぬ姿のアルトリアは正直目に毒だ。豊満な胸は朝日に輝き誇らしげに張り、くびれた腰や伸びた足は、その映像だけで一年戦えそうな魅力を放っている。

 正直良いんですか? と一瞬固まってしまったほどだ。


 そして続くアルトリアのとったポーズ。

 両手を広げたまま目を瞑った彼女は、口では行けと言っておきながら寂しさが滲み出ていた。

 ――――それは自分の中での言い訳だ。殆んど聞こえていなかった。

 アルトリアの可愛く首を傾げて「抱きしめて」のポーズに、九郎の理性は吹っ飛んでいた。

 長く続く禁欲生活。直前でお預けを喰らい続けた数々の誘惑。その全てが凝縮されて九郎の理性を砕いていた。


 気が付いたら抱きついていたと言っても過言では無い。

 アルトリアを抱きしめた時、何度も眩暈を覚えていたが、それでどうにかなるような九郎では無い。

 素肌に感じるアルトリアの柔らかい胸の膨らみ。滑らかに手に伝わる背中と腰の感触。

 逆にどんどん元気になる九郎のクロウを押し止めようと、必死にトラウマを呼び起こしていた。

 寂しさに抱きしめてと言われたのに、自分が興奮していては格好がつかない。

 ここはクールに、冷静にと持てるトラウマの全てを使って、色男を演出したかった。

 だが――貯め込んだ力は全ての試練に打ち勝ち、山の頂へと登っていた。

 

「仕方ねえよ! 生理現象だ!!」


 バツが悪そうに九郎は開き直る。おっぱいには男の夢が詰まっている。夢に立ち上がるのは男のさがだ。


「そうじゃないよ! 大丈夫なの? 死んじゃうんだよ!? ボクに触れると!!」

「そういうなら手をサスサスさせるんじゃねえ! ってか俺は死なねえんだよ!」


 背中を這い回るアルトリアの小さな手の感触さえ、今は息子の燃料となる。

 驚き目を瞠っていると言うのに、アルトリアは決して九郎を手放さない。


 腰だけ引けた情けない格好で九郎は距離を取ろうとするが、その度にアルトリアは詰め寄って来る。


「死なない……?」

「ああ……俺は『不老不死』なんだよ。どんな事があっても死なねえ体なんだ」


 覗き込むように顔を上げたアルトリアに、九郎は引くつくキメ顔を作る。

 これほど情けない格好で打ち明けたのは初めてだ。羞恥と情けなさで涙がでそうになってくる。


「やっと見つけたっ!!」

「うおわっ!?」


 しかし、普通なら好感度など大暴落間違いなしの九郎の様子に、アルトリアは目を輝かせ抱きついたまま地面を蹴っていた。

 バランスを崩して尻餅を付く九郎にアルトリアは感激の涙を流しながら九郎の胸に頬を寄せる。


「夢みたい……嘘みたいだよぉ……。やっと……やっと見つけた……。ボクの王子様……」


 泣きながらアルトリアは何度も何度も呟く。腕を首を背中を撫で回し、胸に体を預けてくる。

 泣き別れた両親との再会を果たした子供みたいに、必死に縋りつき涙を流すアルトリアは、ただ喜びに湧いて胸の中の感情を弾けさせていた。


(ステイッ! 時と場所と状況を考えろっ! 大人しくしてろよ、コンチクショウ!)


 ただ縋りついているのは全裸の巨乳美少女だ。

 九郎はなんとか自分自身を押さえこもうと必死に抗えない力に抗う。どれほど盛り上がろうとも今の息子ジュニアは甲斐性なしだ。


 九郎が必死に逃れられない力に逆らい、一人感動に浸るように九郎の体をまさぐっていたアルトリア。

 別々の感情で涙を流していた二人の視線がふと合わさる。


 一人で盛り上がっていたのが恥ずかしかったのか、アルトリアが仄かに顔を赤らめた。


「ご、ゴメンね……。ボク一人で盛り上がっちゃって……あ……」


 九郎の視線から逃れるように俯いたアルトリアは、ピクンと身を震わせ再び九郎を覗き込む。

 再び顔を上げたアルトリアの表情は、恥じらいとは別の感情で熱い吐息を吐いていた。

 荒く息を吐き、熱の籠った眼がジッと九郎を見つめている。


「ア……アルト?」


 先程までは少女のように無邪気に喜ぶアルトリアの姿に、嗚呼やっぱり寂しかったんだなと幾分冷静さを取り戻していた九郎だったが、今の彼女に浮かんでいるのは情欲に火照った女の顔だ。


「……しよ?」


 薄っすら顔を赤らめ俯き見上げる仕草は、眩暈がするほど色気を孕んでいた。


「なに……を……」


 聞くまでも無い事を九郎は尋ねる。この状況この表情に尋ねるほど、九郎は朴念仁でもないのだが、今は恍ける道しか残されていない。


「我慢できないの……ボクのココ……クロウので……貫いて……?」

「そ、そうしてえのは山々なんだ……がっ!?」


 九郎の視線を誘うように、アルトリアが豊かな胸に添えた指を下へ下へと引きおろし、九郎が唾を飲み込んだ瞬間、九郎の腹に大きな穴が穿たれていた。

 口に込み上げる血を吐き出し、くぐもった声を上げる九郎。その目には、目を見開いたまま同じく口から血を流すアルトリアの姿。そして彼女の後ろには風船のように膨らんだ巨大な顔が怒りの形相で浮かんでいた。

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