第163話  『魔死霊――ワイト――』


「ど…………ぅ……し…………て?」


 アルトリアの口からゴボリと血が溢れ出る。

 驚きに目を見開き、起こった事が信じられないと胸元を見つめて。


「…………とう…………さ……」


 一言一言発する度に、血が込み上げ喉に絡んだ。

 押し止めようと胸に力を込めると逆にゴボリと血を吐き出す。

 胸の中に焼け火箸を突き立てられたかのような、冷たい鉄の感触。

 その痛みすら驚きがかき消していた。


 アルトリアの胸に一振りのナイフが突き立っていた。

 今まで手を引いていてくれた父の手が、アルトリアの胸に吸い込まれるように伸ばされていた。

 何処から取り出したのかも分からない、黒い禍々しいナイフを携えて。


「…………ね…………え…………どう……し……て?」


 ふっと足から力が抜け、糸の切れた人形のようにアルトリアは仰向けに倒れる。

 背中も頭も強く打ち、倒れた拍子に喉に詰まった血が勢いよく吐き出され散らばった。


 アルトリアの豊かな胸の下に差しこまれた黒いナイフは、湧水のようにこんこんと赤黒い血を噴き出し続けている。

 白い花嫁衣装が見る間に赤く染まって行く。か細い炎に照らされたその赤は、赤く――黒く――闇のように純白の花嫁衣装を飲み込んでいく。


 血の気を失い寒気を覚えて、アルトリアは小さく身を震わせた。

 どんどん霞んで行く目には、自分を見下ろす父の姿が映し出される。


「母さんの時は駄目・・だった……。ヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロきっとお前を産んだから……。命が減ってしまってたのだ……チガウチガウチガウチガウ」


 父は何処を見ているかも分からない暗い瞳で喚いている。

 狂っている……朧気に霞む頭でアルトリアは父を見つめる。

 口角から泡を吹き、虚空を見上げながら顔を掻きむしる父は狂気に侵されたに違いない……。


 そう考えられる程度にはアルトリアは冷静になっていた。四肢の指先が冷たくなり、もう動かない事が分かっていたからだろうか。もう長くないと諦めていたからだろうか。

 急激に冷たくなる末端と逆に、ナイフが突き立つ場所は未だに熱を帯びている。


「イヤダイヤダイヤダイヤダ皆がそう願ったんだ……。苦しみの無い……コロシテヤルコロシテヤルコロシテヤル……安らかなる生活を……」


 父親が自分に言い聞かすように喚き立てる。

 後悔、懺悔、擁護、憤怒、絶望…………狂気。様々な思惑が一体になって父親の顔を歪めていく。

 風に撓む炎の灯りが暗く濁った影を躍らせていた。


「だから……最初はフラウを……イヤダイヤダイヤダイヤダ! 仕方ないさぁ……村の皆の為だもの……ダメダダメダダメダダメダ」


 父が何を話しているのか。冷たくなりゆくアルトリアは、狂気に顔を歪めて笑う父を見上げながら思い出していた。

 母が亡くなったのも今年の冬のような厳しい寒さの年だった。

 厳しい冬だったからこそ、村人は飢えと寒さからの救いを求めていた。


 あの冬の夜……父と母は連れ立って教会へと用事があると出かけたはずだ。

 ―――アルトリア、良い子にしているのよ―――

 母の最後の言葉。


(そうだ……ボクの名前は……)


 なぜ忘れていたのだろう。ずっと頭の中に靄がかかったように記憶が朧気だったのに。

 あの冬の夜、父と母は帰っては来なかった。

 心細い夜を過ごしたアルトリアが目覚めると、父は優しい・・・笑みを浮かべてこう言っていた。

 ―――アルトリグム……母さんは先に幸せの国へ行くってさ―――

 殊更悲しむ様子も見せず、母が亡くなった事を伝えてくる父に自分は何を感じたのか。


 あの頃から何も変わっていないと思っていた。思い込んでいた。

 母を亡くした悲しみを見せず、父は健気に娘を育てていた。そう思いたかった。

 何も見ずに過ごしたかった。自分をもう見てはいなかった父に気付きたくなかった。

 愚者の振りを続け、目の前にある興味だけを追い求め、現実から目を逸らしていればきっと……。


(きっと……ボクは……どうしたかったんだろう……?)


 何気なく首を動かすと座っている村人たちが目に映る。

 皆一様に項垂れ、一言もしゃべらない。揃いの飾り―――胸元に突き立てられた黒いナイフで身を飾り、黒く汚れた服を着て……。


(ああ……みんなも……)


 教会の入り口に立っていた先導役の娘の胸にも、黒いナイフが突き立っていた。

 その顔に見覚えがあった。

 つい先日病気で死んだと聞かされていた、ベン爺さんの孫娘だ。

 顔は判別つかない程崩れ落ち骨が覗いていたが……。


「ソウダソウダソウダ……救われたいぃぃぃ!? 当り前だ! カンガエロカンガエロ……皆が皆そう思っている! 私も神に仕える身だ! ドウシテドウシテドウシテドウシテ救いを求める!」


 父は主祭壇の上で虚空を見つめ訴えるように叫んでいた。

 目の錯覚だろうか。

 自分の目がぼやけているのかとアルトリアは思った。

 父の周りには黄色い靄のようなものが集まって来ていた。

 汚れた染みのような蠢く風。そう例えるしか無いような靄が父の口に吸いこまれていた。

 一言父が叫ぶたびに、黄色い靄は父を黄色く染める。黄色、茶色、黒と汚れが重なり濁って行く父はもはやアルトリアが知っている父では無かった。

 纏う空気すら汚しながら必死に何かに縋るように両手を広げ、父は祈っていた。虚空に、天に呼びかけるように。


「フラウも……妻も…ナゼナゼナゼナゼナゼ…差し出したではないか! アナタアナタアナ……皆が望むから! 供物が必要だろうと!」


 父が声高に叫んだその時、灯りを絞っていた囲いが風で飛ぶ。

 にわかに灯りを増した教会の天井を、虚ろな目で見上げていたアルトリアの口から、血と共に言葉が零れた。


「か…………ぁ……さ……?」


 どうして今まで気付かなかったのか。何度も教会に忍び込んでいたと言うのに。

 どうして今更気付いてしまったのか。最後に見る光景としては余りに残酷では無いか。


 教会の天井には奇妙な白がぶら下がっていた。くすんだ白……炎の灯りでは無い、青白いのにも拘らずくすんだ色をしている白い物体。それが何十と蓑虫のようにぶら下がっていた。その内の一人・・の面影に気付いてしまったアルトリアは呆然と呟く。

 教会の天井には白く死蝋化した死体が氷柱のように垂れ下がっていた。

 夏でも気温の低いこの場所で、長く吊るされていたであろう母の顔は、苦悶と苦痛に満ちた表情を浮かべ、顔を歪めたまま固まっていた。


 供物――その言葉にアルトリアは父の狂気の原因に気が付く。

 司祭であった父は、厳しい冬を乗り越える為、神に祈り以上のものをさし出してしまったのだろう。

 村人たちの縋る思いに応えるため、司祭だからと、その責を負って。


 なぜ村の人達は誰も自分に触れようとしなかったのか。

 なぜ父だけが自分の事をアルトリグム・・・・・・と呼んでいたのか。

 アルトリグム――『供物』と呼ばれ続けた自分は、最初から神の生贄として育てられていた。清廉に純真に純潔に――誰にも穢されない『捧げもの』として自分は村から見られていたのだとアルトリアはやっと気が付く。


「しかし死は全く無くならない! ならばどうする!? サムイサムイサムイサムイ……死の無い世界に行けば良いのだ!! 飢えず、凍えず、不安の無い世界を! 彼らは望んだ! だから……ウルサイウルサイウルサ……だから私が…………導いてやらねば!」


 死を恐れすぎた余り死を選んでしまった。

 正に狂人の思考だろう。だが……アルトリアは思った。

 雑穀を食み、長い冬を暗い部屋の中で身を潜めて過ぎるのを待つ。そんな暗鬱とした生活が父をここまで追い詰めてしまったのだと。

 人々に救いを説き続けた父だからこそ、逃れようも無い現実から目を背けてしまった――そう理解した。


「……………え?」


 そこまで考えてアルトリアはかすれた声で、か細い疑問の声を上げた。

 声を上げたつもりが、喉の奥から空気が少し漏れたに過ぎなかったが、今際の際に立たされている自分の状況に疑問が湧き上がっていた。


 急きょ決まった自分の結婚。それだけが父の狂気にひずみを生んでいる。


 不安を厭うあまり死を選んだ父の考えは、狂気に侵されているが納得も出来た。

 乞われるままに母を供物として差し出した罪の意識が、そしてそれでも死が止まなかった事が、父を狂気へと駆り立てたのだろう。

 進退窮まった故に自暴自棄になった。そう考えれば父の行動もそう可笑しなことでは無い。

 村一つを巻き込んでの心中と考えれば、それは確かに狂気ではあるが、追い詰められていた父が出した結論ならと、アルトリアも諦めの気持ちで納得していた。


 だがそれなら自分の結婚とは何だったのか。先程自分の手を引いてくれていた、ベンの孫娘は婚礼の衣装など着ていなかった。母の格好から見ても、生贄の儀式と婚礼は関係無い。娘に、最後に想いを遂げさせようとしたのだろうか。


「死にたくない死にたくない死にたくない……。そうだ、私は考えたのだ! 命を、命を沢山集めれば!」


 父の声がアルトリアの近くで響いた。

 父は喜悦に涎を垂らして何かを抱えていた。


「あぐぅっ……」


 ゴトリと重たい音が鳴る。

 もう声も出せないと思っていたアルトリアの喉から呻き声と共に血が漏れる。

 何が起きたかかは直ぐに分かった。

 胸に石が落ちていた。

 黒く、重く磨かれた、人の姿をしていながら人でない像。

 死に行くアルトリアを冷たい眼差しで見下ろしていた、アルトリアの夫となる筈だった者。

 赤子の半身と髑髏の半身を持つ黒き神。死と誕生を司る夜の神、グレアモルの石像。

 感覚の薄れてきた胸に、再び訪れた別の痛み見舞われアルトリアは苦悶の声を溢す。


「不死になれば……不死アンデッドになれば救われる! 沢山の命を喰らえば、人の業を極めれば、神に供物アルトリグムを捧げれば―――ー!!!」


 アルトリアの疑問の答えは失望と共に示されていた。

 狂った父は更に狂っていた。

 命と生を説き続けていた父は、生と真逆に傾く村の暮らしに耐えきれなかった。父はただ一人逃げ出そうとしていた。母への愛も、娘の命も、村からの信頼も全てを犠牲にして、ただただ足掻き逃れようとしていたのだ。


 狂った父の狂った論理で導き出されたその答えは、死を積み上げ、罪を重ねれば叶うと信じる滑稽な自慰行為だった。


 ただ滑稽で独り善がりな父の祈りは、確かに聞き入れられているようにも思われた。

 父の周囲に漂う黄色い靄。それを吸い込む度に、父はどんどん禍々しい何かに変貌しているようにも思えた。


「さあ! 私は調えた! 数多の死! 数多の罪! 数多の屍をぉぉぉ! そして私は『不死』になる!

 ――神への供物を盗み、神への供物を冒涜し、神への供物を汚して!!! 伝説のアンデッド、『魔死霊ワイト』へと至るのだ!!!」

 

 既に禍々しい何かに変貌を遂げているようにも思えた父は、アルトリアの横に跪くと両手を広げて天を仰いだ。


(ゴメンね……父さん……。ボクがもっと支えてあげられてたら、もっと現実を見れていれば……こんな事にはならなかったね……)


 狂った父を見上げ、アルトリアは小さく息を吐き出す。

 紫色の瞳から色の無い涙が零れ落ちた。

 彼女が今更後悔してもどうにもならなかっただろう。物心つく前に狂っていた父に幼子が出来る事など無いに等しい。それでもアルトリアは父を恨みもせず、ただ静かに父の行く末を偲んだ。


「………ぁっ………くっ」


 もう痺れて感じないと思っていた腹から再び痛みが生まれる。

 父はナイフをアルトリアの腹に突き立てたまま下へと引き裂き始めていた。

 ゴボリ、ゴボリと口と腹から血が声に合わせて湧く。

 父が力を込める度に、動かなくなった体が痙攣する。

 腸を引きずり出そうとアルトリアの腹を裂く父は、もう人の姿をしていなかった。

 ただ禍々しい黒い何かだった。


「…………ぁっ…………んっ…………」


 アルトリアの口から零れる力ない痛みの歌は、声を押し殺し耽っていた―――自慰の喘ぎとよく似ていた。


☠ ☠ ☠


 教会の中に伸びた炎の影が黒い絨毯に赤と黒の物語を紡ぐ。

 クチュ、グチャ、クチュ……静かな空間に粘度の高い液体を弄ぶ音だけが響いていた。


「あおあおぁぁぉぁ……ああっ!」


 男の歓喜に満ちた声が水音に混じる。

 娘の腹を裂こうと刃を動かすその影は、情事に耽る男女のような猥雑さを孕んでいた。しかしそこにあるのは命の営みでは無く、死への冒涜だった。

 娘の腸を弄び、喜悦に歪んだ顔を晒して男だけが歓声をあげていた。

 狂っている。一言で言えばそうだろう。生命の輪廻を説き続けた男が出した安らぎへの答えが、真逆の穢れた不死への渇望だったのだから。


 しかし狂った男は狂ったままに物言わぬ娘の腹を裂き続ける。下へ、下へと…………。

 娘が生きていた頃は勢いよく噴き出していた血潮も、ぐったりと横たわった今の娘からはジワリとジワリと染み出る程度だ。


 純白の花嫁衣装は既に黒で覆われ、慶事の衣装は弔事の喪服へと変わっている。

 血を含んだ布は刃を阻み、男の作業は遅々と進まない。


 村人全てをその手に掛け、命を吸い続けた。妻と娘……愛する者と肉親を手に掛け罪を重ねた。

 男の頭の中で計画は順調だった。

『不死』――アンデッドとなるだけなら簡単だ。恨み、後悔、悲しみ……そう言った負の感情を抱いたまま命を終えれば、自我も朧気な悪霊となり神の国から拒まれる。


 だがそんな自我も朧気な只のアンデッドになる気は男には無かった。

 自分を自分と認識できない朧気で不安定な存在など『不死』とは言えぬ。

 男は『動く死体ゾンビ』や『幽霊ゴースト』などの低級なアンデッドになるつもりは無かった。

 文献の中で唯一意思を持ち、生きる人と何ら変わらない伝説の『不死アンデッド』―――『魔死霊ワイト』になりたかった。


 男は調べ始めた。世界の理を。


 寝食を忘れて調べた結果、男は一つの真理に行きつく。

 アクゼリートの世界の全てに宿る『魔力』。それはすなわち世界に、神に存在を認められた・・・・・・・・証明だ。人も、動物も、風も、土もその魔力が尽きれば神の御許に還る。だが、不死――アンデッドは還らない。それは何故か。彼らはその歪さの中に神に拒まれる何かが有るからだ。

 その何かとは、世界に拒まれるマイナスの『魔力』だと、男は結論を得る。

 膨大な罪を重ね、死を浴び続ければ、生きながら『不死』へと成れるのでは―――男はそう考えた。


 教会の司祭であった男は、元は善良で温厚な男だった。

 人々の安寧を願い、真摯に祈りを奉げ続けた。

 しかし厳しい自然が容赦なく襲って来るこの寒村では、神への祈りは無力であった。

 いくら祈っても育つ作物は微々たるもので、どれ程祈っても一冬に何人もの人が死んだ。

 生命の素晴らしさ、命の尊さを説き続けていた男はずっと打ちのめされていた。自分は無力だと。


 男はいつしか神の教えを疑う様になっていた。

 どれ程祈っても改善の兆しも見えない。自分の無力を責め続けていた男は、やがてその責めを他者へ転化していく。

 自分はずっと祈って来た。これ以上何をすれば。

 徐々に男の思考は狂い始める。

 神に仕える身でありながら、その逆を歩き始めていた。


 男は調べ始めた。神に縋らずとも生きていける道を。不死になる道を。

 罪人がアンデッドになりやすい。そんな噂を真面目に調べ、男は独自の結論に達していた。


 自分で考えた論理で妻を殺めた。

 村人たちに生贄の話を聞かせ、そこに縋るよう仕向けた。

 最初に自分が妻を差し出せば、後に村人たちは生贄を差し出さざるを得なくなる。

 そうやって男は自分の罪を知られながらに咎められなくした。

 多くの死を生みだし、男は罪を重ねていった。


 男の計画では最後に自分の娘を神の伴侶とし、その娘を殺め穢し尽くす事で神からもっとも拒まれる存在になろうとしていた。神の妻を殺める。考え得る最大の神への冒涜を経て、男は死から拒まれる存在に至ろうとしていた。


 男は狂っていた。

 神を疑い、神を汚そうとしていたのに、その一方で最後に縋ったのも自身の神であったのだから。


 狂った男は間違えた。自我を持つ唯一の『不死アンデッド』。『魔死霊ワイト』と呼ばれる伝説のアンデッドに至る唯一の道を。掛け違えたボタンに、男は最後の最後まで気付くことは無かった。


 男がナイフを力任せに引く。引きずられるように娘が動く。

 胸元から下へ下へ降ろされる刃は、娘の臍下を過ぎ、


「さぁ……神よ……私を恨め! 私を拒め!」


 あと一息で娘を、神の妻を完膚無きまでに穢せる。

 男は娘を一気に引き裂こうと腕に力を込め――――


「ダメェェェェッ!!!」


 その手によって命を吸われた。


☠ ☠ ☠


まだ・・覚えてるんだ……)


 激しく叩く戸の音に眉を顰めながら、アルトリアは気だるげに瞼を擦る。

 眠りを必要としない身となっても、変わらず続けている習慣。

 必要が無いと分かっていながら続けてしまうのは、きっと縋っているからだ。自分はまだ・・人であると――。

 自嘲の笑みを溢しながら、アルトリアは大きく欠伸をしてみる。

 冷たい空気を目一杯吸い込み、吐き出す。


 人となんら変わらない。

 息を吸う事も吐く事も出来る。なのに必要としていない。アルトリアは肩を竦めて一つ伸びをして立ち上がった。


 アルトリアは夜着を捲り上げ脱ぎ捨てる。

 妖艶で健康的な美を宿した裸体が、朝日を浴びて薄紅色に輝く。

 染み一つ無い健康的な肌。毎日畑仕事を繰り返しても、あかぎれ一つでない手。瑞々しさと張りを備えた胸。

 その胸の下に一本の赤い筋が罅割れのように臍下まで伸びていた。

 美しい裸体に唯一刻まれた歪な罅割れ。


(ボクもそこまで・・・・だったとは、思って無かったさ……)


 誰に言い訳するでも無く、アルトリアは口を尖らせる。

 狂った父により命を奪われたアルトリア。

 なのに死んでいたにも拘らず、彼女が焦がれ憧れたものを諦めきれなかった。


「どんだけエッチなんだってボクだって呆れてるよ」


 今度は小さく呟いてみる。

 死んでいた自分を引き裂こうと父が刃を走らせたその時、アルトリアは『魔死霊ワイト』となった。

 アルトリアが死してなお諦めきれなかったもの、生と性。

 快楽の先に命を生みだす器官を汚される事を、アルトリアは死んだ後まで拒んでしまった。


 『魔死霊ワイト』となる唯一の道。

 ただ恨むだけでは至らない―――恨みも無く死にゆく魂は稀だ。

 ただ望むだけでも至らない―――長く生きる事など人の全てが望んでいる。

 死を恐れても、死を恨んでも、死を拒んでも至らないただ一つの道。

 死して尚、先に紡ぐ命を渇望する。

 それが唯一『魔死霊ワイト』へと至る道筋だった。


 伝説のアンデッドと呼ばれる『魔死霊ワイト』は全ての生命を吸い取る。それは何も生きとし生けるものを恨んでそうしている訳ではない。もともとは引き継ぐ為にと、人に望まれて作られた力だった。

 体の中に仲間の命を溜める。

 太古の昔に編み出された、厳しい自然と相対する人が編み出した最後の手段だった。

 神の巫女に命を託す。

 その考えの元に編み出された秘術は、ただ一人を生かすために残りの全てを犠牲にする。そんな悲壮の先にあったものだった。

 だからこそ『魔死霊ワイト』に至るのには純粋な次への命への渇望・・・・・・・・が必要とされていた。自分の命では無く、続く命への渇望が『魔死霊ワイト』へ至るただ一つの道だった。

 巫女は死して尚、命を紡ぐ。

 伝説の『不死アンデッド』と呼ばれる『魔死霊ワイト』の誕生はこうして生み出されていた。


 だが、命を啜り続ける『魔死霊ワイト』が人と生を育める訳も無く……。


「ホント、人ってのは馬鹿だよね……。入れれもしないのに・・・・・・・・・、どうやって孕むのさ」


 裸のまま、臍下をなぞりアルトリアは自嘲する。

 美しさを留めた体。汚れることの無い無垢な躰。誰にも触れ得ない呪われた身体。

 文献によれば『魔死霊ワイト』になる巫女は妊婦だったようだ。宿した命を先へと送る為に『魔死霊ワイト』化の秘術は編み出されたのだろう。だが、その結果は悲惨なものだった。

 多くの命を吸い取り、厳しい自然を生き抜いた先に子供を産んで、抱き上げようとしたその瞬間、子供の命を吸い取ってしまった―――そんな笑えない伝承が残っていた。

 だからこそ『魔死霊ワイト』は伝説の『不死アンデッド』と恐れられることになる。

 数多の命を犠牲にしてまで紡いだ命を自らの手で壊してしまった母親の心は、壊れ狂ってしまうのだ。

 人を襲うアンデッドの中で唯一、『魔死霊ワイト』だけが『不死』になったその後で自我を崩壊させる……そんな存在だった。


(ボクもいつまで持つ・・か……)


 幸運なのか不幸なのか……。アルトリアはまだ狂うまでは至っていないと思っている。

 彼女が死んだ後まで渇望した生と性への好奇心が、彼女の精神が狂うのを押し止めている。

 だが、それもいつまで持つのか……。アルトリアは眉を寄せる。

 ただ一回の情事の為に自分はどれほど耐えているのか。どれくらい耐えられるのか。

 ―――もう300年は待っているのに……。


(一回で良いんだけどなぁ……)


 自嘲の笑みを浮かべたままアルトリアは下着を身につける。

 望み薄なのはアルトリアも分かっている。自分を抱きしめられる男など存在しない。

 生命を吸い尽くして『魔死霊ワイト』の眷属と化した者なら可能だろうが、彼らは死んでいるので勃ち・・はしない。それに、冷たい死体と交わると考えるとアルトリアの気持ちも萎えてしまう。

 ただ一回、力強く抱きしめられてみたい。温かな熱で包まれてみたい。そして―――。


 五月蠅く鳴り響く扉の音が、にわかに重い金音に変わる。


「はーい! 今行くよぉ~!」


 アルトリアは大声で叫んで、服を羽織り、スカートを履く。

 誰も自分を抱く事は出来ない。そう思いながらも焦がれてしまう。ただ一度の逢瀬を。

 狂っていない―――そう思い込んでいたアルトリアも頭の片隅では気付いていた。

 自分が欲望のままに死を生みだしている事には……。

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