第158話  アルトリア


「そういえば自己紹介がまだだったね? ボクの名前はアルトリア。アルトって呼んでくれたら嬉しいな」

「クロウっす! 飯だけじゃ無く服まで貰っちまって申し訳ねえっす!」

「気にしないでよ。お父さんのお古だからさ? 誰も使わないまま置いておくよりよっぽどいいさ。でも丈それで大丈夫?」

「問題ねっす! 十分っす!」


 食事を終え、アルトリアと名乗った娘の父親のお古の服に着替えた九郎は、床に跪いて頭を下げた。

 いたれりつくせりとはこの事だろう。長らく服を着るということをしてこなかった九郎にとっては、「やっと人間に戻れた」と感涙にむせび泣きそうになったほどだ。アルトリアの言葉の通り、彼女の父親のズボンは九郎の膝下くらいの長さしか無かったが、もとからハーフパンツと思えば九郎は全然気にならない。逆にシャツはピッタリなのだから、この世界の人々と九郎とのガタイの違いを見せつけられた形だ。

 思い返してみればこの世界に来てから2年以上経っていたが、服を着ていた時間はどれほどなのだろう。思い出を廻ると頭が痛くなってくる。

『ヘンシツシャ』の能力はかなり有用なものになってきているが、やはり一番使う炎への『変質』の際に服が燃え尽きてしまう事が頭痛の種である。

 そしてそれ以上に服が無くなる原因は『不死』の『神の力ギフト』と関係している。服を失うイコール九郎も体を失っているに他ならない。失った服以上に九郎は命を失う目・・・・・にあっている・・・・・・のだ。

 ただ失った体は『不死』の力で回復するが、失ってしまった尊厳は回復してくれない。

 『フロウフシ』も『ヘンシツシャ』への道を助長している気がして、九郎は渋面する。


「ならいいけど……。ホント、気にしなくてもいいからね」

「いや、このご恩は必ず! 一宿一飯の恩を忘れるなんざ、俺にはできねえっす!」

「じゃあさ、とりあえずその畏まった口調直してよ。なんだかくすぐったいよ」


 アルトリアは九郎の言葉に手で顔を仰ぐような素振りをし、恥ずかしそうにはにかんだ。

 平和そうな笑みを浮かべるアルトリアの言葉に、九郎もつられて笑みを溢す。腕で頭を抱えてむずがるアルトリアは、畏まった言葉使いともいえない九郎の口調を本気で恥ずかしがっているようだ。

 身分制度の無い日本と違い、貴族や王が存在するアクゼリートの世界では、農民の身分で畏まられた経験が無いのだろう。女性であることも関係しているのかも知れない。


「わかった、アルト。でもちゃんと礼はさせてくれ。って言っても俺も持ち合わせがねぇから……」


 身を乗り出して言ってみたが、全裸の自分に返せるものなど有ろう筈も無いことに気が付き、九郎は頭を掻きつつ正座に戻る。体の中の『水筒』に溜まっているもので、金目のものや役立ちそうなものはあっただろうかと思いを巡らせるが、毒物以外の食料は粗方消費してしまっているし、残るは『魔動死体レブナント』や『竜牙兵ドラゴントゥース』のような扱いに困るアンデッドと、『スライム』。後は『塩蝗エンコウ』や『スケルトンメーカー』のような虫達ぐらいか。

 流石に虫をお礼に差し出すのは拙かろうと、それ以外の在庫を思い出そうと唸っていると、アルトリアはケタケタ笑いながら目を細める。


「裸で倒れてた人にお礼なんて期待してないよ。それとも何かい? 体で払ってくれるのかい?」


 からかいを含んだ声色で言った後、両頬を挟んでイヤンイヤンと恥ずかしがるアルトリアの言葉に九郎はすかさず飛び付いていた。


「おう! 薪割りでも荷運びでも何でもやるぜ!? 遠慮なくこき使ってくれ!」


 力だけなら役立てる。受けた恩の返し方を提案してくれたアルトリアに、九郎は満面の笑みで答える。

 九郎の言葉にアルトリアは一瞬呆けた後に、本気で赤面して顔を覆った。


☠ ☠ ☠


「普通さ~、体で払えって言われたらもっと違う事を想像しない? 全くクロウってば不用心だなぁ~」

「見知らぬ男を女一人の家に招いておいてどの口が言うんだ?」


 まだ羞恥の熱が引かないのか、顔をパタパタ仰ぎながらアルトリアが口を尖らせる。

 九郎は苦笑しながら、その可能性もあったのかと惜しいような、困るような微妙な眉を形作る。

 体を求められて困るのは女性だけだと思い込んでいたが、アルトリアが男であったのなら迂闊な言葉の結果、尻がむず痒くなる可能性もあったのだ。だが女性であるアルトリアがそんな提案をするとも思えないし、その可能性をすっぱり切り捨てていた。

 それに九郎も今体を求められても、何も出来はしないのだからどうしようもない。

 元気にはなるがモグラたたきのように凹まされるのは目に見えているし、シルヴィアにも何だか顔向けできない気がして、自ら提案する気も無い。

 当のシルヴィアにはとっとと出来る・・・ようにしろとの発破を掛けられている身ではあるのだが……。


「って言うか俺ホントに外で大丈夫だぜ? 得体のしれない男と一つ屋根の下とか不用心どころじゃねえぞ?」

「だって外また吹雪いて来てるよ? 折角助かった命を粗末にしないのっ!」


 アルトリアはあろうことか九郎に家に泊まって行くようにと勧めていた。

 部屋の隅に枯草を敷き、そこに毛布をかけて簡易のベッドを拵えている。アルトリアに、流石に不用心すぎると訴えてもなしのつぶてだ。男と見られていないのだろうかと自問するが、自分が若い男である証は、ばっちりしっかり見られているのでその可能性もない。

 女の一人暮らしに見知らぬ男を泊める――その言葉の危うさが分からない歳でも無いだろうに……そう九郎が顔を顰めていると、毛布を整え終えたアルトリアが真剣な表情をして突然振り返った。


「ただし……ボクに触れないで……ね?」

「そりゃ、当然そんな不埒な真似はしねえが……」


 暖炉の仄かな灯りの中で、両肩を抱いて俯いたアルトリアの顔には憂いの影が掛かっていた。

 先程までの朗らかな表情から一転した、少し寂しげにも感じられるアルトリアの表情。九郎を見つめるその瞳には訳有りの事情があるのだろうか、複雑な感情が渦巻いているように見える。

 だが、先程まで快活だった彼女が突然見せた訳有り顔は、ギャップの所為だろうか……妖艶とすら思えるような強烈な色気を孕んでいた。

 思わずたじろぎ口ごもった九郎に、薄い笑みを浮かべてアルトリアは両手を開く。

 指の先まで巻かれた包帯の手を見せながら、一瞬見せた妖艶な笑みを再び人懐っこい苦笑に変えてアルトリアは肩を竦める。


「えっとさ……病気……そう、病気なんだ……ボク。移っちゃうから肌に触れないでね?」


 両手に厚く巻かれた包帯。あかぎれか火傷だと思っていたが、皮膚病の類だったのだろうか。

 思い返せば、アルトリアは九郎が生きてるかを確認しようとした時以降は、ある一定の距離を保ち続けていた。

 裸の男にみだりに近づかないのが普通だと、九郎はそう納得していたが、これだけ献身的に世話を焼いてくれようとしているのに全く触れようとしないのも可笑しな話だ。

 言動に対して行動が及び腰に見えていたのは、そういった訳かと九郎は納得を見せる。


「セクハラするつもりはねえけど、俺、病気とか移らねえから大丈夫だぜ?」


 しかし、そうすると先程一瞬見せた彼女の寂しそうな顔はどう言った心境からだろう。

 若い娘が山小屋のような場所で一人暮らしと言う、非常識な環境。人好きそうな性格なのに、病気を他人に移すのを恐れて一人暮らしを強いられているのだろうか。そのように考え九郎は片手を掲げて片目を瞑る。

『不死』である身で病気になろう筈も無い。自分との距離に必要以上に気を遣わせてしまっていたのかと、少し申し訳ない気がしてきていた。

 自分にこれ以上気を遣わなくても良い――そう宣言した九郎に、しかしアルトリアは一瞬呆けた後、


「え? い、あぅ……そ、それにボク人妻だからっ……手出ししようだなんて思っちゃ駄目だよ」


 驚きの言葉を口にした。


「マジで!?」


 九郎は思わず問い返す。

 アルトリアの年齢を聞いた訳ではないが、どう見ても20を超えてはいないだろう。九郎の見立てでは16歳から18歳の間だろうと思っていた。考えてみれば、こちらの世界の成人はおおむね15歳。アプサル王国であったのなら女性は12歳で成人とみなされていた。別段アルトリアが結婚していてもおかしい年齢では無い。

 しかし女性の一人暮らしと聞いていたから、てっきり独り身だと思い込んでいた。人妻だったとはと驚きを相した九郎に、アルトリアはアワアワ慌てふためきながらさらに畳み掛けてくる。


「そそ、そうだよ。それにお父さん怖いから、ボクに手を出したら酷いことになるよ」

「親父さんいんの!?」


 突然出てきた父親の存在。

 てっきり父親は死に別れたのだろうと思っていた。聞き辛い話題ではあるしあえて聞かなかったのだが、生きていてしかも近くにいるとしたらいろいろ問題が出て来るのではないだろうか。

 移る病気だから離れて暮らしている事もおかしなことでは無いと気付き、しかし父親が近くに住んでいるのなら、娘の一人暮らしの家に泊まろうとしている自分は酷く危うい存在なのではと、途端に背中に冷や汗が流れる。

 女性の男親――その響きだけで世の男性達は緊張する。やましい事などしていなくてもだ。

 九郎が目を剥き身を乗り出したのを見て、アルトリアは更に焦った様子で続ける。


「い……いるよ? お父さんは教会にずっと籠りっぱなしだけど……奥さんほったらかしにして酷いよね?」

「母ちゃんもどっか別の場所にいるのぉ!?」

「え? いないよ? 母さんはずっと前に死んじゃったし……」

「え?」


 アルトリアは混乱しているのだろうか。話がちぐはぐになって来た気がする。

 何か小さな嘘が綻び始めたような奇妙な感覚を覚える。だが初対面の九郎に嘘をつく必要性が思い当たらない。

 父親の奥さんと言えばアルトリアの母親だろうが、アルトリアの母親はずっと昔に死に別れたと言う。

 ならば後妻だろうかと考え、彼女の家庭環境の複雑さに頭を悩ませはじめた九郎に、アルトリアは半ば強引に取り繕うようにして話を纏める。


「え? あ、いや……とにかく! ボクに触っちゃ駄目だから! 気をつけておくれよ!」

「お、おう……?」


 首を捻ったまま勢いに押されて頷いた九郎を見届けると、アルトリアは逃げるように寝室へと引っ込んで行った。

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