第159話  静かな村


「うん、心配しないで? 別になんでもないさ」


 色ガラスから透けた赤や青の光を浴びたアルトリアは、主祭壇に向かって寂しそうな笑顔を向けた。

 朝の静かな光はステンドグラスを通過し赤や青、そして紫に混じった淡い色彩で彼女を彩る。

 対して主祭壇には光が届かず、まるで彼女は闇に向かって話しかけているかに見えなくも無い。

 しかしざわつく礼拝堂の中で、彼女を気にする人の姿は見当たらない。


「―――――――」

「期待しても無駄だよ? 今度はちゃんと先に言っといたんだから」


 主祭壇からはくぐもって聞こえずらい音が返ってきた。

 アルトリアはその音に心外とばかりに頬を膨らませる。

 そしてその顔をクシャッと歪めると、わななく唇をわずかに引き結び、包帯だらけの手で目元を拭う。

 

「―――――――」

「もう……いや、なんでもな~いよっ! お父さんっ!」


 一瞬顔を歪めたアルトリアは、もう一度乱暴に目元を拭うと次の瞬間には満面の笑みを浮かべていた。

 いつもの……毎日彩ってきた彼女の笑顔に、紫の光は妖しい陰りを落としていた。


☠ ☠ ☠


「お待たせっ! クロウっ!」


 教会から出てきたアルトリアの笑顔の眩しさに九郎は照れた笑みを返す。

 教会に訪れたのは彼女が礼拝に立ち寄ったからだ。


「俺、本当に挨拶しとかなくていいのかよ? 親父さんいるんだろ?」

「ううん。お父さん忙しいしさ……。それにボクもれっきとした成人なんだから! もう保護者がいるような歳じゃないよーだ」


 折角立ち寄ったのなら、娘さんに世話になったお礼くらい伝えておくべきではないかと、アルトリアに尋ねたのだが、彼女は首を横に振って断りを口にした。確かに成人した後まで親にあれこれ言われるのは決まりが悪いものだ。

 彼女の言葉に九郎も「確かに」とそれ以上食い下がる事はしなかった。


(しっかしずいぶん……)


 それでも九郎は教会を名残惜しそうに……と言うよりどこか残念そうに見上げる。

 小さな村の教会などこんなものかとも思うのだが、それにしても手入れが行き届いていない。

 有体に言えばボロイ……。朽ち果てる寸前とも思えそうな佇まいの小さな教会には、黒い三日月の形をしたシンボルらしきものが、今にも落ちそうな状態でかかっている。

 2年前は廃墟を住処としていた九郎だが、それに輪をかけて朽ち果てている。絡まった蔦は伸び放題のまま枯れ落ち、半ば傾いているようにしか見えない屋根には、所々穴らしきものも見える。

 改修すれば喜んで貰えるのだろうかと、ふと思いついた案を口にしようと傍らを見る。しかし、今そこにいた筈のアルトリアはさっさと歩き始めていた。


「クロウ~! 早く行かないと日が暮れちゃうよ~!!」


 朝早くから出て来たと言うのに気が早い。

 九郎は苦笑を浮かべてアルトリアの後を追う。

 何か力仕事は無いかと尋ねた九郎に、アルトリアは薪の調達を手伝ってほしいと願い出ていた。

 お安い御用と引き受けた九郎は、これから山へと柴刈りに出かける予定だ。


(桃太郎かよっ!)


 柴刈りというフレーズに九郎は一人で苦笑して自分に突っ込みを入れる。

 川を流れると死ばかり……。笑えないなと自分を鑑みた九郎は背負った背負子を担ぎ直す。

 頭の片隅でカクランティウスとの約束はどうしようかとの思いも有ったが、自分が助けた中年オヤジと、自分を助けてくれた巨乳娘。どちらに重きを置くかは自明の理だ。比べようも無い。

 しばらくは……少なくとも恩を返したと思える程度には、アルトリアを手助けしよう。

 そう決めた九郎は顔を上げる。


「クロウ~! は~や~く~!! 置いてっちゃうぞ~?」

「うぃ~っす! かしこまり~!!」


 細い畦道の先で手招きするアルトリアに、九郎は大声で答える。

 久しぶりの女性との掛け合いを楽しみたい。九郎の中にそんな気持ちがあることも否定できなかった。


☠ ☠ ☠


「う~っす! お早うございま~ッス!」


 農村の朝は早いのか、畑には疎らに人影が出ていた。

 あからさまな余所者である九郎は、挨拶だけはと元気よく声を出す。

 しかし田舎特有の排他的な思いでもあるのだろうか。元気よく挨拶を告げた九郎に、人影は返事を返してはくれなかった。それどころか顔を向けてもきてくれない。


「シャウアブさん達は去年に居ついたばっかりだからね……。きっと恥ずかしがってるんだよっ」


 アルトリアが肩を落としてしょぼくれている九郎に、取り繕う様な励まし言葉をかけてくる。

 自分が招いた客人に無愛想な村の様子を見せてしまい、焦る気持ちも分かるのだが……。


 ――それにしても、と九郎は畑を耕し続けるシャウアブと呼ばれた男に首を傾げる。

 がっしりとした体格の寡黙そうな男だ。疲れた表情は雪国の農村の過酷な現状を表しているのだろう。アルトリアの健康そうな肌の色に比べて、黄色く汚れた肌が男と女の清潔さに対する許容の範囲を表しているかに見える。

 しかしそんな肌の違いに疑問を覚えた訳ではない。

 シャウアブと呼ばれた男の格好が、九郎が知っている畑仕事をしている農民と違っていたから不思議な感じがしたのだ。

 男の格好は九郎がこの世界に来てから就いた唯一の職業――冒険者の格好に似通っていた。

 畑仕事をしているのに皮鎧をつけたシャウアブの姿は、この世界の外から来た九郎であっても奇妙に見える。


「なぁ……アルト。なんでシャウアブさんは鎧着て畑耕してんだ?」


 疑問に思った事は尋ねるのが一番早いと、九郎はなんとはなしにアルトリアに尋ねてみる。


「ぅえっ!? え……っと……。そ、そ、その……魔物っ! 魔物が出たりするから念のために着てるんじゃないかなぁ……」


 飛び跳ねんばかりに驚きを表した後、アルトリアはしどろもどろに答えてくれた。

 成程――確かに魔物が近くに出るなら自衛の為に鎧を着ていてもおかしくは無い。九郎が納得した様子を見せると、アルトリアはホウと胸を撫で下ろす。聞かれたくない質問だったのかなと、そんな感情が見え隠れした彼女の様子に、九郎は頭を掻いて追及を止める。

 彼が去年越してきたばかりの村民であれば、アルトリアもそれほど親しい仲でも無いのかもしれない。

 突然他人の事を尋ねられても困ってしまうよなと、九郎は自分の行動を反省した。


 この村はどうにも排他的な人が多いらしく、九郎は道中先々で村民に声を掛けていたが、挨拶を返してくれる人は一人もいなかった。

 同じ村民であるアルトリアにすら挨拶をしてこない村人達を見るに、一人で暮らしているアルトリアは微妙な立場に置かれているのかも知れないと、九郎は思い始めていた。


 人に移る病を患っているアルトリアは、村と積極的には関われないような立場にされていてもおかしくない。昨晩見せたアルトリアの寂しげな表情は、人との会話に飢えていたからなのかもしれないなと、九郎はそう感じて眉を寄せる。


(俺のベシャリ能力の見せどころかっ!!)


 アルトリアの寂しさを少しでも紛らわせるのが、一番の恩返しでは無かろうか。そう感じて九郎は両頬を叩いて気合を入れる。


「どうしたのさ? 虫が出る季節じゃないよね? あ、クロウって自分を叩いて喜ぶ人? 昨日のも、もしかして自分を虐める為に水に浸かってたの? それでおっきくなってたの~?」

「ばっ! ち、ちっげーよっ! どっちかって言うと縮んでた……いやいや、俺はいったい何を言おうと……おっきくなったのはその後アルトが……ってこれじゃセクハラじゃねえかっ!?」

「びーっくりしちゃったもん! 知ってたけどあんななるもんなんだねー?」

「オイ、ヤメロッ! 俺の息子を虐めないでくれっ!」

「またおっきくなっちゃうの? や~らし~っ」


 アルトリアはケタケタと笑い、悪戯っぽい笑みで九郎の股間を指さす。

 会話で楽しませようとしていた九郎だが、女性に息子ジュニアをからかわれて楽しまれるのは望んでいない。


「おいっ! 人妻が往来で何言ってやがんだっ!!?」

「わ~! クロウってば初心だねぇ~。童貞? もしかして童貞?」

「どどど、童貞ちゃうわっ!」


 先程の決意も忘れて恥じらいの中、九郎は声を荒げる。

 抗議の声を上げながら追いかける九郎に、アルトリアはおどけて逃げながらも子供のような笑い声をあげていた。


 畦道を走る二人に目を向ける人の姿は無く、村人達は畑を耕し続けていた。

 冷たく凍り、鍬の立たない固い大地を―――ひたすら―――意味も無く―――。

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