第156話 なめるなきけん
「カクさ~ん! マジ誤解っすって~!」
「ホ、本当デアロウナ!? マタ油断サセテ吾輩ノ穴ヲ狙ッテイルノデハナイノダナ!?」
「穴だらけの体で何言ってんすか~」
雄大な峡谷の景色に不釣り合いな会話が木霊する。
驚いた事に骨だけの身になってしまったカクランティウスは、それでも死んではいなかった。
「大体いきなりスケルトンになられたら俺だってビックリするッスよ~?」
「ソレデモ! イキナリ全裸ニナッテ、ずぼんヲ脱ガソウトシテ来ラレテ見ロ! サブイボドコロデハ無イゾ!?」
「さぶいぼ出る肌、今ねえじゃねえか……」
確かにカクランティウスの言葉も尤もだとは思う。
いきなり寝かされ全裸になった男がズボンを脱がそうとしてくれば、九郎であっても恐れ戦くことは間違いないだろう。しかしこれは些細な誤解から起こってしまった不幸な事故だ。自分以外に骨になった状態で生きている者がいるとは思っていなかったが為の、小さなすれ違いだ。
不死系魔族の頂点の面目躍如といった感じのカクランティウスだったが、今は紫色の骨をカタカタと鳴らして、変わる筈の無い顔色が青く見えてしまいそうだ。そこに『魔王』の面目は欠片も見えない。
「カクさ~ん! 本当に俺はそんな趣味ねえっすから~! 信じて下さいって~!!!」
先程から九郎はずっと大声を張り上げている。
紫色の骨となったカクランティウスがずっと距離をとって震えているからだ。
(―――こんな怯えられ方は初めてだ……)
九郎は半眼で空を見上げながら溜息を吐く。今まで九郎の『不死』性を恐れる人たちの視線はいろいろ浴びて来たが、まさか性癖を疑われて怯えられるとは思ってもいなかった。どちらも本能的な嫌悪から来る怯えなのだろうが、雪山で大声を上げ続けるのはいろいろ不味い気がする。
九郎もカクランティウスも雪崩に飲み込まれたくらいで死ぬ事は無いのだろうが、この会話で雪崩を引き起こす間抜けな状況には陥りたくない。
「ホ、本当ニくろう殿ハのーまるナンダナ!? マタ襲ッテキタラ今度ハ吾輩モ容赦セヌゾ!?」
腰に下げた剣の柄を握りしめながらカクランティウスが身構える。
誤解を生んだ行動時に即座に剣を抜かなかったのは、九郎に恩義を感じてなのか、それとも本当に力尽きる直前だったのか。勇ましい物言いとは真逆に、カクランティウスの腰が引けている事からも予期せぬ出来事に体が強張ってしまったと言うのが正解だろうか。
「マジ、マジっすよ! 俺は女の子専門っス! しかも無理やりとかぜってー無理な性格っすから!」
カクランティウスの誤解を解こうと手をヒラヒラさせながら自分の性癖を訴える。
雪山でほぼ全裸の男が言う言葉にどれ程の説得力があるのかは疑問が残るところだが、長時間の九郎の説得でやっとカクランティウスも信じてくれたようだ。
恐る恐ると言った感じではあるが、九郎との距離を詰めてきた。
「しっかしカクさん良くそんなになって生きてるッスね? めっちゃビックリしたっすよ?」
「吾輩ハ不死系種族『
九郎のワザとらしいほどの驚きにカクランティウスは少し気分を良くしたのか、今は無い口髭をしごく素振りを見せながら胸を張る。
『
不死と言っても完全なる不死は存在しないとカクランティウスは前置きしながらも、『
カクランティウスが言うには、『
体のほぼすべての器官を失っても、魔力が残っている状態であれば、
「ズット骨ダケヲ維持シテ耐エテオッタカラ、50年生キル事ガ出来タノダ」
骨の指の感触を確かめるように握りしめながら、カクランティウスは懐かしむように呟く。
魔力の回復できない『光の魔境』で、生命維持ギリギリの状態で助けが来るのを待っていたのだと笑ったカクランティウスの精神力に九郎は脱帽する。
「マア、コノス姿ハ妻達ニモ見セタ事ハ無カッタノダカラ、くろう殿ノ驚キモ仕方ガ無イナ……夜ニナッテ多少デモ魔力ガ回復スレバ姿クライハ整エラレル」
今までは夜になれば魔力が回復するため、ここまで追い詰められた状態を他人に見せる事は無かったと言う。しかし話を聞く限り、カクランティウスも本当にギリギリの状態で生き延びていたのが伺える。
まさにガソリン切れ寸前。メータはゼロだが微かに動くといった感じで体を維持していたようだ。
カクランティウスは「眠りに陥った途端に体が骨の状態に戻ってしまうとは思っていなかった」と、真摯な謝罪を告げてくる。
「暫ク昼間ハコノ状態ダロウナ……。50年消費シ続ケタ魔力ガ完全ニ回復スルニハ何年カカルカ……」
情けなさそうに頭を掻き、カクランティウスは肩を落とす。
50年間減り続けた魔力は、一日やそこらで回復する量を遥かに超えている。
元から膨大な魔力を持っていただけに、回復させるにも時間がかかる。そう言って乾いた笑い声を上げるカクランティウスには長年の苦労を偲ぶ哀愁が浮かんでいた。
武力だけは自信のあったが、今は歩く事がやっとの自分に向けた自虐の笑い。
なんだか見ていられなくなってきた九郎は、先程から頭に過っていた考えを口にする。
「カクさん吸血鬼っすよね? 血とか吸ったら回復するんすか? なんなら俺提供しても良いっすけど?」
「ウンハワァァァァ!?」
完全な善意からの言葉だったはずだが、九郎の言葉にカクランティウスはものすごい勢いで飛び退っていた。
先程の距離よりもさらに離れた岩陰に身を隠したカクランティウスは、歯の根が合わないのかカチカチ、カチカチとしきりに音を鳴らしている。
「なんかまた不味いこと言いました? 俺……」
カクランティウスの表情(髑髏なのだが)から、迂闊な事でもまた言ってしまったのかと九郎は苦虫を噛み潰した様子で尋ねる。単純に『
「くろう殿ハ本当ニノーマルナノカ!? 男ノ血ヲ啜ルホド吾輩ガ
「え~?」
ガチガチ指を噛みながら怖気るように言い放ったカクランティウスの必死な
『
血、すなわち魔力を受け取るというのは、互いの信頼関係が確かな相手でないとしようとは思わないのが普通なのだ。首筋に咬みつく行為も淫靡な行為の延長、要は性行為の延長でしか無いのだと言う。
九郎は朧気に、自分の魔力量を確かめようとして、珍しく恥じらいを見せていた小さな少女を思い出す。
「そんなの、聞かなきゃ知らねえっすよ~!」
「考エテモミロ!?? 貴殿ハ男ノ首ヤ肌ヲ舐メタイト思ウ……ノ…………カ?」
「そこで言い淀まんでくださいっ! 俺だってそんなの嫌っす!!」
成程聞いてみれば確かに恐ろしいほど気味悪い絵面だ。
食事などでも魔力は少しは回復すると、必死で血を吸う必要性が無い事を訴えるカクランティウスに、人種の違いによる会話の難しさを九郎は痛感していた。
☠ ☠ ☠
どこであってもこの世界は人に優しくできていない。
その事を思い出すには充分な獣。
「『ガイアベア』ゴトキニ餌ト見ラレルノハ心外ダナッ!」
「カクさん! 落ち着いてくれっ!」
山を下り始めた九郎達の目の前には、九郎の3倍はあろうかと思われる背丈の黒い熊。その体表は岩のような鱗で覆われ、硬質な光を放っている。
「心配無用! コンナ雑魚ナド吾輩ノ膂力ニカカレバ一撃ヨ!? ア~!!」
「あんた今筋肉これっぽちもねえじゃねえかっ! カクさ~ん!!」
剣を抜き放って躍り掛かったカクランティウスが『ガイアベア』の払った腕を受け止めきれずに宙を舞う。
いくら膂力に自信があろうとも、今のカクランティウスは骨。筋肉の欠片も無いのだから軽いことこの上ない。
まるで小枝のように飛ばされたカクランティウスは『ガイアベア』にとっても、ただの骨としか映っていないのだろう。昼間は骨の状態を維持するのがやっとのカクランティウスは、自慢の魔力も無い状態だからか戦闘には全く役に立たない。
「また木の上に引っかけられたら面倒なんスから~!!」
だがどちらも『不死』である九郎達に危機感と言うものも存在しない。
カクランティウスの無事は確かなのだから油断も隙も生まれてしまう。今も九郎の心配事は針葉樹にはやにえ状態にされたカクランティウスの姿を思い浮かべ、木登りの面倒くささに顔を顰めているに過ぎない。
骨だけの状態のカクランティウスは引っ掛かりが多く、枝に刺さると取り外すのにも一苦労だとそんな事を思い浮かべている。
しかし油断と言うのは得てして不測の事態を招く。
『ガイアベア』から目を離した一瞬、横面に強烈な衝撃を受け九郎は吹っ飛ぶ。
「あぁぁぁ~!!」
「くろう殿~!!!
今度は九郎が空を舞う。九郎の3倍もの体長を誇る『ガイアベア』の攻撃は大人一人の体重を吹き飛ばすことも軽々やってのけていた。いくら力が人並み外れていようとも、九郎の体重はこの世界に来てから変わっていない。アクゼリートの一般男性よりも軽い体は、驚くほど高く空を飛ぶ。
「やりやがったな! 熊鍋にしてやっから大人しくそこにいろよ!」
吹き飛ばされながらも九郎は体を炎に『変質』させる。他に効果的な攻撃方法が思い浮かばないのだから仕方が無い。『ガイアベア』を食料と見なしている九郎は盛大に叫んで衝撃に備える。
ここで華麗に着地を決めたいなと、体を捻って拳を掲げる。
「くろう殿ォォォォォォォ!!」
今回は木に引っ掛かっていなかったカクランティウスが手を伸ばし叫ぶ。
『不死』を明かしていると言うのに、心配してくれるのかと九郎は余裕ぶり手を振って見せる。
カクランティウスの傍には『ガイアベア』が同じように手を伸ばしている。
骨だけのカクランティウスは『ガイアベア』に餌とも思われていない様子で、えらくコミカルな光景だ。
「心配いらねっすよ! カクさん! 直ぐに俺が……ん?」
にこやかに笑って見せていた九郎ははてなと首を傾げる。
いくら高く吹き飛ばされたからと言っても、そろそろ衝撃が来ても良い頃だ。
なのに未だに九郎の足は地面の気配を感じていない。
それどころか徐々にカクランティウスと『ガイアベア』が九郎の上へとせり上がって行く。
下に向かって手を伸ばすカクランティウスと、惜しい事をしたと言いたげな『ガイアベア』の瞳。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
足元の地面が無くなっている事に九郎はやっと気が付く。
吹き飛ばされた先が切り立った崖だったとは予想外だ。
糸のように見える青白い筋は川なのだろうか。そんな事を考えながら九郎はそこへと吸い込まれていく。
紫色の骨と黒い熊がずっと九郎を見下ろしていた。
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