第155話  油断させてズブリ


 太陽のみを映す鏡。

 淡く黄金色に光る氷の断崖絶壁を九郎は登る。

 両手を交互に壁に貼り付け、氷結した腕を手折りながらひたすらに上を目指す。


「『10人分の真実の愛』とはな……。難しい『神の指針クエスト』を出されたものだな」

「でしょー? マジきっついっすわ~。とは言えこんな体でも好いてくれるいいもいたんすよ~」

「妻帯者である吾輩に惚気とな? 容赦せぬぞ?」


 力だけは人の何倍もある九郎は、大柄なカクランティウスを背負っていても、腕だけでも楽々体を持ち上げる事が出来る。

 疲れる事も無い為、世間話をしながらでも登るスピードは落ちてはいない。


「そう言えば、奥さん『来訪者』っすよね? 聞いてもいいっすか? 『神の力ギフト』や『神の指針クエスト』」

「そうだな……結局ミツハは『神の指針クエスト』の達成を諦めておったようだが……」


 カクランティウスは背中でウムと唸りながら、口髭を撫でる。


 カクランティウスの三番目の妻、ミツハ―――扇 三葉みつはと出会ったのは今から100年も前の事だったらしい。


「あの時ほど死を覚悟した瞬間はなかったな……」


 九郎の背中でカクランティウスがブルリと身を竦ませる。


「最初は敵対してたんすか? それを奥さんにしちまうなんて、カクさんスゲェっすね」


 カクランティウス程力を持った魔族が『死』を覚悟するほどの強敵。そして敵対した者を妻に娶ったカクランティウスに九郎は尊敬の念を覚える。しかしカクランティウスは一瞬の間口ごもり、


「いや、吾輩が妻達と寝ていたらいつの間にかシーツの中に入っておってな……。正妻と側室から殺されそうになったのだ……」


 思い出すだけでも恐ろしいといった感じでカクランティウスは空を仰ぐ。

 予想外の出会いに九郎も顔を引きつらせる。


 まさかそんな出会い方だとは思ってもいなかった。

 上空16000メートルへと転移してきた九郎も大概だが、見知らぬ他人の逢瀬に乱入した形になってしまった「扇 三葉」にも同情を禁じ得ない。

 果たして一歩目がデストラップだった自分と、一歩目が濡れ場のど真ん中だった三葉とどちらがマシだったのか……『死なない』九郎であれば間違いなく前者を選びそうで、転移ってのは碌なもんじゃねえなと九郎は顔を顰める。


「丁度国が軌道に乗り始めていた頃でな。王の醜聞は避けたいという事で、家臣の勧めでミツハも囲うようにしてな……」


 王の醜聞と言う言葉になにやら興味も引かれたが、普通VIPの寝所に忍び込んだものは問答無用で殺されるのではと思った九郎は、カクランティウスの行動に疑問を持つ。ただでさえ暗殺者を寄こされていたと言うのに随分余裕な行動だ。


「もちろん最初はある程度言い含めて解放しようとしておったのだが……」


 とりあえず身元が分かるまでと、二人の妻と一緒に暮らさせることにしたミツハだったが、カクランティウスの妻達が異様にミツハを可愛がるようになっていったと言う。


「普通女と言うものは夫を独占したいと思うものだと思っておったのだが……正妻も側室もぜひミツハも娶るようにと、すごい勢いで勧めて来てな」


 カクランティウスは首を傾げながら話を続ける。

 二人の妻からの勧めや、家臣達の勧めも有ってなし崩し的に扇 三葉を娶る事になったカクランティウスだったが、結婚後の仲は悪く無かったと笑いながら言った。


「ミツハの『神の力ギフト』は『エツランシャ』と言ってな。古今東西あらゆる書物を見る事が出来るというものだったのだ。世界中の知識を手に入れたと同意だと、妻達にも家臣達にも説得された時は、本など読むだけで眠くなると言ってしまって叱られたな」


 カクランティウスの言葉に九郎は愛想笑いを返す。

 世界中の知識を覗ける『エツランシャ』の『神の力ギフト』も考えようによっては、ものすごいチート能力だろう。まだまだ文明の進んでいないこのアクゼリートの世界で、情報の持つ価値と言うのは計り知れない。ただの神輿と自嘲していたカクランティウスだったが、彼の妻達も家臣達も彼が誇るようにかなりの先見の明を持っていたのだろうと考える。


「しかし驚いたものよ。結婚するまでは大人しかったミツハが、結婚した後に豹変してな。それまで吾輩の影を踏むのは……などと可愛い事を言っておったのに、結婚してからは……」


 古き良き大和撫子のようだったミツハだったが、結婚してからは夫には容赦が無かったと、それすら懐かしむ様子でカクランティウスは語っていた。

 居城を抜け出し下町の酒場で飲む事が好きだったカクランティウスだったが、ミツハの『神の力ギフト』にかかれば酒場の帳簿すら白日の下に晒される。

「正座と言うものを知っておるか? あれは貴殿の国の拷問なのだろう?」と顔を歪めて言ったカクランティウスの言葉に九郎も思わず苦笑を漏らす。

 彼の結婚生活の話を聞く限りでは、なし崩し的に結婚した形だったミツハだったが、存外幸せな人生だったのではないかと心を温かくする。


「そう言えば、ミツハさんの『神の指針クエスト』って?」

「確か『誰もが羨む生活』……と言っておった気がするな」


 カクランティウスの言葉に九郎は首を傾げる。

 経緯はどうであれミツハは王の妻となったのだ。王様の妻ともなればそれこそ『誰もが羨む生活』の最たるものでは無かろうかとカクランティウスに視線を投げる。


 九郎の視線の意味に気付いたのか、カクランティウスは居た堪れないかのように九郎の視線から目を逸らし、憮然とした表情で呟く。


「『カクさんがしっかりしてくれないから、いつも私は『大変ですね』って言われるんですっ!』……と散々どやされておったな」


 どうやら当時のカクランティウスはかなりヤンチャな性格だったらしい。城から抜け出し下町で飲み歩く王様と言うのだからさもありなんとも思うのだが、それでも話を聞いているとミツハも満更では無かったように思える。


(ミツハさんはツンデレだったのかねぇ~? 実はとうの昔に『神の指針クエスト』達成してたかもしれねえな)


 カクランティウスの行動を諌めようとして、『神の指針クエスト』の達成を明かさなかったのではないか。そう九郎は思う事にする。


 ミツハから言われた小言を指折り数えて不満を口にするカクランティウスも、その言葉とは裏腹に優しげな眼をしている事に気付いて、九郎は相槌を打ちながら過去にこの世界に迷い込んだ同朋の安寧を偲んでいた。


☠ ☠ ☠


 どれほどの時間登り続けていたのだろうか。

 丸一日は登っている気がするが、沈まぬ太陽のせいか時間の感覚があやふやだ。


「ひゃぁ~! たっけえ~!」


 それでもかなりの高さを登っていたのだろう。

 九郎は後ろを振り向きその光景に目を奪われる。


 真っ白な大地が光り輝き、キラキラと瞬いている。大地と空との境界で霞む地平線が美しい。

 その地平線すれすれに動く太陽の光は、時に虹色のプリズムを発生させ、この世のものとは思えぬ美しさを演出している。

 雪原を彷徨っている時には今登っている壁など見えなかったが、その理由もここにきてやっと知る事になる。

 九郎が登っている壁は、想像もつかない程高い山脈だった。

 その山脈がざっくりと削り落とされ、硬質な岩が鏡のようになっていたのだ。

 遠くから見ても鏡に映る大地や空しか映らず、それに太陽の光の反射も合わさって、四方八方がどこまでも続く地平線を映し出すだけになっていたのだ。

 炎の熱で溶けないのも納得だ。そもそも目の前の壁は氷では無く、冷たい山だったのだから……。


「もうちょっとで山頂っすよ!」


 九郎は空を見上げて声を上げる。

 ラストスパートとばかりにスピードを上げて、腕に力を込める。

 空の境目とも思える僅かなひずみ

 そこに手を掛け体を上げると、九郎の目の前には白く雪に覆われた新しい大地が広がっている。

 起伏に富んだ雪景色。歩き始めてから初めて見る針葉樹の森や、雄大な峡谷。

 変化の無かった白い世界は、変化に富んだ白い世界へと姿を変えていた。


「やったぜ! 抜けた! 違った景色だ!」


 体を山に乗り上げ、九郎は歓声をあげる。

 振り返って見る輝く世界と、影になった雪景色を見比べ―――そして苦しげに呟く。


「もうちょっとだけ……頑張ってくれりゃよぉ……」


 九郎はカクランティウスをゆっくりと降ろす。

 少し前から気付いていたが、気付かないふりを続けていた。

 一日中登っていたのだから眠ってしまったのだろうと自分を誤魔化していた。

 突然軽く感じたカクランティウスの体を、自分の力がまた強く成ったのだと言い訳していた。


「カクさんが……スケさんになっちまっただなんてさ……どんなギャグだよ」


 背中から降ろしたカクランティウスを見下ろし、九郎は苦しげに笑みを作る。

 静かに横たわっているカクランティウスの顔は、美丈夫と感じた面影を残していない。

 紫色の瞳は無く、吊り上った眉も高い鼻も何もかもが……無い。

 もう開く事の無い口の代わりに魔族の証だとでも伝えるかのように、紫色の骨だけがその衣服を支えている。


「子供達に会いたかったんだろ? 50年頑張ったんだからさ……。もう少しくらい……」


 長年その一心で、助けが来るはずの無い場所で助けを呼んでいたのに。

 やっと叶った願いに彼の心が緩んでしまったのだろうか。

 もう時間が無いと言っていた言葉通り、カクランティウスに残された僅かな時間は『光の魔境』を越えるまでもたなかった。

 彼の体が軽く感じた時、黒い塵が零れていくのを一瞬だけ目端に捉えていた。

 強靭な精神力と魔力で50年間助けを呼び続けた『魔王』は、塵と化して空へと消えていた。


 数日前に知り合っただけの男に、どうしてこんなに感情が掻き乱されるのか。

 不死族と呼ばれる魔族ですら、『不死』では無い……そんな矛盾めいた言葉を九郎はずっと噛みしめていた。 


☠ ☠ ☠


「アルムって言ってたっけな? 残ってりゃいいけど……」


 ひとしきりカクランティウスの冥福を祈った後、残った骨を見下ろし九郎は呟く。

 知り合ったのも何かの縁だ。志のあと少しの所で力尽きたカクランティウスだったが、彼の願った最後の言葉くらい叶えられるのなら叶えてやりたい。

 いまだにこの場所がケテルリア大陸と言う場所の南端だという情報しか得られていないが、シルヴィアの元へと向かう道中通るのなら、彼の親族の消息を訪ね遺骨だけでも届けてやれないだろうかと考える。

 家族の事を話すカクランティウスの言い分から、寿命は恐らく尽きてはいないだろう。

 彼に勇者を差し向けた国の侵略を防げていたらの話だが……。


 ともすれ折角関わった男の遺骸をこんな寂しい場所に晒しておくのは可哀想だ。

 そう思って九郎は横たえたカクランティウスの手をとる。

 骨と骨との間接に僅かばかりの筋が残り、ばらけてしまうのを防いでいた。


「分かってんよ……。出来る限り全部持ってきゃいいんだろ?」


 最後の抵抗とばかりに体の形を残したカクランティウスの意地と言うべきか。

 赤黒い筋で繋がれた紫色の骸骨。そのおどろおどろしい遺骸に、「さすが『魔王』の骨だ」と変な感想を抱く。

 

「しかしこのまま担いで行くとなぁ……」


 今でも頼りない筋で繋がれただけの骨だ。カクランティウスの体格を連想させる、太くがっしりとした骨に対して、その隙間を埋める筋はいかにも心許無い。これでは担いでいる途中で千切れてしまうのではないだろうか。


「とりあえず包むか」


 独り言を呟いて、九郎は腰に巻いていたカクランティウスの上着を解く。

 彼の大きな背中を包んでいただけに上着の面積は広い。

 とりあえずこの上着に骨を纏めて風呂敷包みにしようと考えたのだ。


「そん代わり、これ貸して貰うッスね」


 全裸に戻った九郎は、横たわる骨に向かって断りをいれる。

 全裸に慣れている九郎だが、この先また人と出会う機会もあるだろうと言う、期待も予感もある。その時に警戒されないようにとカクランティウスのズボンを借りようとしていた。骨であればもう隠すモノなど無いのだからと。

 死体から衣服を剥ぎ取る事に少しの葛藤があるが、彼を故郷に送り届ける駄賃変わりと言い訳してズボンのベルトに手を掛ける。


「あれ? 腰骨で引っかかってんのか……な……? ん?」


 ズボンを引き降ろそうとして引っ掛かりを感じ、顔をあげると紫色の手の骨がズボンの裾に引っかかっていた。確か先程地面に置いた筈なのにと、訝しがりながら九郎は再度手骨を掴む。


「あぁ? どこに引っかかってんだ? おおおおおぉぉぉぉぉぉ!??」


 どうにもズボンを離さない指の骨に九郎が力を込めた瞬間、九郎の腕を骨が掴む。


「カ……考エ直シテハクレヌカ……」


 驚きに仰け反った九郎の目の前には、フルフルと震える紫色の骸骨があった。


「確カニ貴殿ハ吾輩ノ命ノ恩人ダ……ダガ言ッタデハ無イカ? のーまるダト! 寝込ミヲ襲オウダナド、安心サセテカラずぶりトハ……流石ニ無体デアロウ?」 


 紫色の骨がしゃべっていた。

 小動物のように体を震わせ、懇願するように両手を前に組み、虚ろな眼窩から涙を溢さん勢いで。

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