第154話  『魔王』


「うお、まぶしっ!」


 クレバスを滑り降りるように底へとたどり着いた九郎は思わず目を瞑った。

 今まで何度も底近くまで落ちた経験があったが、底へ向かうにつれて当然光は弱まっていた。

 しかし声のした場所へと降り立った九郎を襲ったのは、刺すほどの光の洪水だった。


 クレバスの底は大きく開かれた空洞のようになっており、ある一ヶ所に向かって屈折した光が集まっている。およそこれだけ光が集まれば発火しそうなほどの熱量があっても良いものだが、場所の寒さからなのか空洞の中はヒンヤリとしている。

 荘厳ともいえる光の洪水の中心、輝く氷柱が一本聳え立っていた。


「オオ、ヤット届イタ! ヤッタゾ! オオ、オオ!」


 そして驚く事に声はその氷柱から聞こえて来ていた。

 叫び続けたからだろうか、しゃがれてがらがらの声は九郎の気配を感じ取ったのか、気色ばんだ声を上げて喜びを表していた。


「待ってろ! 今助け……」


 氷柱に向かって駆けよろうとした九郎が、はたと足を止める。

 近付いた事で薄ぼんやりと映し出された光の影は、氷柱の中に人がいることを示していた。


「50年叫ビ続ケタ甲斐ガアッタ……。神ヨ……感謝シマス……」


 喜びの声を上げる影の言葉に九郎は弱り顔を浮かべる。

 今更ながらに助けを求めていた者が人では無い何かだという事に気が付いたのだ。

 薄ぼんやりと映る人影は人の形をしている。しかし氷の中に封入された状態の男が生きていること自体が可笑しなことだと、九郎もやっと気が付く。


「助けにきといてこういうのも何なんだが……どうしてこんな場所に?」

「封ジラレテシマッタノダ……。勇者ト名乗ル者ニナ」

 

 微妙に申し訳ない気持ちになりながら尋ねた九郎の問いに、人影は自嘲の溜息を吐き出し答える。

 勇者に封じられたという男の答えに、九郎の頭に疑念が浮かぶ。


「あんた何者なんだ? 封じられるって何か悪い事でもしたのかよ?」

「ソウダナ……悪イ事……。ドウダロウナ……」


 恐る恐る質問を重ねた九郎に、男の声は少しの哀愁を伴って空間に響いていた。


「ドノミチモウ吾輩ニ残サレタ時間モナサソウダ……。貴殿ノ助ケヲ乞ウ他無イ……少し待っててくれ」


 暫く物思いに耽っていたかと思うと、光の中の人影が決意したようなハッキリとした声で呟いた。

 暫く沈黙が続き、再び九郎が声を掛けようとしたその時、低く良く通る声が魔法を唱える。


「――『黄金の扉』、ベファイトスの眷属にして万所に居なる極小の欠片よ! 汚せ! 『プルビス・フムス・レギオ』!」


 次の瞬間、空間中に満ちていた光が歪む。

 煤のような物体が空気溜まりの中に現れたかと思うと、徐々に周りの氷を汚して行く。

 周囲の光り輝いていた氷が汚された事で、空間の中に僅かな影がかかる。

 眩しくて目も開けられない程だった光が弱まった事で、朧気にしか見えなかった人影がはっきりと九郎の目の前に映し出される。


 氷の中に身なりの良い壮年の男が封じられていた。

 大柄な体躯を豪華で煌びやかな衣服で飾り、剣を掲げた男がそのままのポーズで氷に閉じ込められている。

 肩まで伸びた黒髪はウェーブがかっており、吊り上った眉や紫色の瞳に強い意志が感じられる。格好に対してやや風貌は荒っぽく、伸びた口髭がどこか海賊を想起させる。しかし目鼻立ちは整っていると言って良い、言うなれば美丈夫と言うところだろうか。


「吾輩の求めに応じて貰えたことを先ず感謝しよう……。吾輩はカクランティウス・レギウス・ペテルセン。アルム公国の王であるぅぅぅぅぅぅぅぅん!?」

「な!? 何だっ!?」


 厳かとさえ思えるような口ぶりで礼を述べ、カッと目を見開いた男がそのまま素っ頓狂な叫び声を発する。

 男の叫び声に慌てて九郎が後ろを見やる。

 暢気に話しこんでいたが、この場所がただの割れ目にできた空間で無い事は薄々感付いていた。

 死なないから良いかと考え、ほったらかしにしていたが、何か異変が起きたのかと身構える。

 しかし振り返った先には何も動くものも無く、煤で汚れた氷の洞だけが静かに広がっている。


「お、脅かすなよ……」

「それは、こっちのセリフだ! な、何故貴殿はこのような場所で裸なのだ!!? ま、まさか動けない吾輩を慰み者に!?」


 胸を撫で下ろした九郎に対し、氷の中の男――カクランティウスは九郎の股間を凝視し怖気るような顔を浮かべていた。


「違えよっ!! 服が無くなっちまったんだよ! 俺にそんな趣味はねえ!」


 その言葉にやっと自分が全裸である事を思い出し、誤魔化すように九郎は大声を上げる。

 一年半以上ずっと裸で過ごしてきた所為で何の疑問も持たなかったが、初対面の相手に対する格好としては少々不適切だろう。

 再び思い出した羞恥の心に、九郎は慌てて股間を隠すが、カクランティウスは悔しそうに涙を滲ませる。


「くっ……『光の魔境』に入り込む者が只者で無い事は分かっていた筈だが……こんな所で散らされてしまうとは……」

「おい……」

「子供達は散らされてしまった吾輩を父親と見てくれるのだろうか……。娘は……無理であろうな……。息子たちは……こちらも望み薄か……」

「話しを聞けよっ! オッサン!!!」


 カクランティウスの口ぶりや見た目からある程度地位の高い人なのだろうと、敬語で話すか迷った九郎だが、思わず素で突っ込んでしまう。

 九郎の怒鳴り声に動けない体ながらに身を竦ませたカクランティウスは、恐る恐ると言った感じで口元を歪める。何かを覚悟したような、悲壮めいた表情から彼の中ではまだ自分の貞操が奪われるかもとの疑念が拭えていないのだろう。


「俺はホモじゃねっすから、オッサン襲う趣味なんてねえっす! とりあえず落ち着いてくんないっすか?」


 自分に向けられた誤解に九郎の口調も少々荒っぽい。

 助けに赴いた筈だがこのまま捨てて行こうかとすら思い始めている。カクランティウスの口ぶりが余裕そうだと言うのも有るし、勇者に封じられたという言葉から彼が良くないものなのかとの思いもある。

 それでも話を聞こうとしたのは、一年半もの間サクラ達と暮らして来た環境と、自分自身も『不死』であるだけで拒まれる事に苦しんでいた過去が有ったからだろう。


「う、うむ……。すまなかった……。少々取り乱してしまったな」


 敵対する気も襲うつもりも九郎に無い事を九郎の呆れた表情から悟ったのか、カクランティウスは咳払いを一度すると引きつった笑みで九郎を見据える。


「それで何でカクランティティスさんはこんな場所で氷漬けにされちまってんすか?」

「……カクランティウスだ……。そうだな、もう50年も前の事だ―――」


 九郎の質問に一言溜息を吐いたカクランティウスは、ポツリポツリと語り始めた。

 

☠ ☠ ☠


 カクランティウスは、ケテルリア大陸の中央よりやや北部に位置するアルバハムと言う地に生まれた魔族の貴族だったと言う。

 魔族の中でも上位の種族、不死系魔族種の出身だったことと、カクランティウス自身の魔力や力が並はずれていた事で周囲からは一目置かれる存在だったようだ。

 不死系魔族種とは、所謂『吸血鬼ヴァンピール』と呼ばれる種族の事で、魔法に対する高い抵抗力と強大な膂力を持つエリート種の事だと言う。氷柱に閉じ込められて尚50年間生き延びていたのは、彼の中に眠る膨大な魔力を常に消費し続け、命の延命に当てていたからだとカクランティウスは説明してきた。


 当時のアルバハムは小さな国々が戦争を繰り広げ、土地を奪い合う戦国時代然とした状態だったのだと言う。いつも何処かで戦が起こり、新たな国が現れては消えていく。そんな時代の中、武力に秀でたカクランティウスは瞬く間に頭角を現して行った。


 元来優秀であったカクランティウスはあれよあれよと言う間に出世していき、地方のいち貴族でしかなかったのにいつの間にか王となっていたと言う。


「担がれるままに、乞われるままに戦い続けていたら、いつの間にか……そんな感じであったな」


 昔を懐かしむようにカクランティウスは呟いていた。


 仲間にも恵まれ、周囲の助けを借りる事に何の躊躇いも持たなかったカクランティウスの国アルムはやがてケテルリア大陸の中でも存在感を放つ国へと成長していく。

 魔族故に寿命が長い事もあり、戦の絶えなかった地は徐々に平和を取り戻していったそうだ。


 しかし平和が長く続かないのはどの世界でも同じ事のようで、アルム公国は再び戦火に見舞われる事になってしまう。

 もとから人族との仲が決定的に悪い魔族の国。周囲の人族の国々が手を組み、アルム王国を攻め落とさんと再び戦争の火蓋が落とされた。

 だが当時250歳を数えていたカクランティウスの力は、一騎当千をも凌ぐ強大なものになっていた。


「王政の殆んどを部下に任せて暇だったからな。毎日修行ばかりに明け暮れていたら、吾輩に勝てる者など見当たらなくなっていたな」


 自分の力を誇示すると言うよりは、その環境を作り上げた自分を揶揄するような口ぶり。

 同時に頼れる仲間が居た事を誇るようなその表情から、九郎はカクランティウスに抱いていた『悪い奴かも』との疑念が徐々に薄れていくのを感じる。


 強大な力で以って戦に勝ち続けたカクランティウスは、人族の国から『魔王』と称される存在へとなっていた。

 例えアルム公国から戦を仕掛ける事が無かったとしても、強大な力を持つ国が隣国に有る、ただそれだけでカクランティウスは人族から恐れられる存在になってしまっていたのだ。


「力さえあれば……民を、大事なものを傷付けられることは無い……そう思っていたのだ……」


 カクランティウスは貴族と言う身分に有りながら全ての民を愛する優しい男だったようだ。

 少々お調子者だったと自嘲するが、だれもが笑って暮らせる国をとの仲間の言葉に、それがどんなに素晴らしいものかを夢想し、憧れた。

 武力で他国を侵略する事をしなければ、いずれまた平和な世の中が来る―――そう信じて防戦するだけに留めていたと言う。

 強大な武力を持ちながら、静かに存在する国があっても良いのではないかと思っていたとカクランティウスは笑う。


 しかし強力な武力を持ったまま静かに息を潜めるアルム王国を、他国は大人しい国だとはみなさなかった。


「忘れていたのだよ……。斧を振りかぶった男が背中にいるのなら、その男がどんなに大人しかろうが人はジッとなどしておられぬという事をな……」


 強大なぶりょくがいつか自分達に振り下ろされるのでは……。隣国の恐怖は留まる事を知らず、自らの想像の中で膨らんで行ったようだ。


 カクランティウスは隣国から恐れられ『魔王』の噂は広がっていく。

 噂の中でのカクランティウスは人民を酷使する、悪逆非道の王だと尾ひれがつき、人族の怨敵と称されるのにはそれ程の時間を必要とはしなかった。


 だが当時のカクランティウスの力は全盛期に入っており、生半可な武力では直ぐに返り討ちにされてしまう。人族達の想像の中・・・・でどんどんその力を強大にして行くカクランティウスに対し、人族達が取った手段は何のことは無い、ただの暗殺だった。


「ただの暗殺者など恐れるに足らぬ……そう思っていたのだが……」


 カクランティウスは大きなため息を吐く。

 自分の武力には大きな自信を持っていたカクランティウスだったが、相手となった暗殺者も強大な武力をもっていた。

 勇者と呼ばれる若者が現れた時、カクランティウスは確信したのだと言う。


「勇者は強かった……。それでも負ける気はしなかったのだが……周りを巻き込まずに封殺する手が思い浮かばなかった……」


 自分一人でなら――そう考えたカクランティウスは勇者に自ら近付き一つの提案をする。

 誰もいない場所で戦いをしないか―――と。


「それで負けちまったって訳か?」


 誰もいない場所がこの白銀の世界だった事を感じ取り、九郎が顛末を尋ねる。

 カクランティウスは少し寂しそうな表情をすると目線を九郎から側へと移す。

 視線にいざなわれて九郎がカクランティウスの視線を追うと、4体の凍った死体が横たわっている。

 そのなかの一人、黒髪黒目の青年の姿に九郎の顔が歪む。この世界に来てからまず見ない、平坦な顔つき。


「『来訪者』……。強かったよ……彼らは……。相討ち……と言ったところだろうな」


 カクランティウスの声色はどこか懐かしむような感情を含んでいた。

 同郷の者の死体に九郎はギリと歯を噛みしめる。例えカクランティウスの言った通り、彼らが暗殺者だったとしても、同じ故郷の者を屠ったカクランティウスに言いようの無い怒りが込み上げてくる。


「同朋を殺された恨みを晴らすとでも言うか? 『来訪者』よ。よせよせ、貴殿の手を汚さなくても吾輩はこのままにしておけば、そう時を待たず滅ぶだろうよ」


 怒りの籠った眼差しを向けた九郎にカクランティウスやカラカラと笑った。

 助けを求めていたと言うのに、どこかあっけらかんとした彼の言葉に九郎の方が肩透かしを食らう。


「いつから気付いていたんだ?」

「貴殿と話してすぐかな? 吾輩はとことん『来訪者』と縁があるようだ……」


 九郎の問いに答えたカクランティウスの言葉に、九郎の眉が吊り上る。

 とことんとの言葉から伺うに、カクランティウスは他にも『来訪者』を知っているかのような口ぶりだ。

 賺された機先を再び向けて来た九郎に、カクランティウスの口角がニヤリと笑みを形作る。


「他にも『来訪者』を殺したってことか……?」

「いや、妻の一人がそうだっただけだ」

「はあ!???」


 唐突に飛び込んできた驚きの事実に九郎は素っ頓狂な声を上げた。

 片や自分と故郷を同じくする者を屠った『魔王』。片や自分の故郷を同じくする者を娶った男。

 『来訪者』に命を狙われると同時に、『来訪者』と結婚していたという事実があれば、カクランティウスが数奇な運命に笑みを浮かべる理由も分かる。

 そして封じられた彼の元へ来た九郎も『来訪者』。これが笑わずにいられるものかと、カクランティウスは眉をあげる。

 

「面白い女だったぞ? 大国の王である吾輩を全く敬わん。それどころか吾輩は尻に敷かれておったな。完全に頭が上がらなかったわ」

「だった?」

「もう70年以上前に流行の病でな……」


 過去を懐かしむかのようなカクランティウスの答えに、哀愁を感じて九郎も口ごもる。

 過去形の口ぶりから予想できた答えだが、彼の妻である『来訪者』はもうこの世にいないのだろう。

 このアクゼリートの世界の病原菌に抵抗を持たない『来訪者』は、病や毒ですぐ死んでしまうと言った雄一の言葉は本当だったようだ。


 カクランティウスが善人なのか悪人なのか……片方からの話を聞いたに過ぎない九郎はこのまま彼を助けて良いのか、またもや考え込んでしまう。カクランティウスの自棄めいた口ぶりから、彼に残された時間は本当に無いのだろう。自分の数奇な運命を恨むでもなく、ただ妻の同郷であり、自分を封じた者と同じ故郷を持つ九郎に対して腹を割った素振りを見せるカクランティウスに、九郎は苦虫を噛み潰したような表情を向ける。

 助けるべきか見捨てるべきか……またもや迷い出した九郎は数度逡巡を繰り返し、


「オッサンはここを出てどうするつもりだ?」


 単純に尋ねる事にした。


 この問いにカクランティウスがどう答えるかで、九郎は彼を助けるかを決めようとしていた。

 彼の言葉をそのままに受け取るのならば、彼の国はもう存在していない可能性が高い。強大な武力を失った彼の国がそのまま姿を留めていなかったら、『勇者』と相討ちになりながらも封じられるに留まっているカクランティウスがどのような行動に出るかはおおよその見当が付きそうなものだ。

 例え恨みがあろうとも再び誰かを殺すのなら見捨てよう……そう九郎は心に決めていた。


「そうだな……叶うのなら子供達に一目合いたい……」


 しかしカクランティウスの答えは九郎の予想から少し外れたものだった。

 親であれば当然だろうとも思うのだが、50年も氷の中に封じられていたというカクランティウスの言葉にはいささか楽観が過ぎると思える。


「国が残ってるって保証はねえんじゃねえか?」


 だからこそ九郎はワザと残酷な未来を突き付ける。

 怒りにまかせて行動するのなら、例え彼の性根が善人だろうとまた誰かが傷つくことになる。

 暗殺者を差し向けた国が悪であろうとも、戦いの火種を九郎自身が解き放つのを恐れたとも言える。


「言ったであろう? 吾輩は王政に殆んどかかわっておらぬし、王一人が行方不明になっただけで立ち行かなくなるような脆弱な国だったとは思わぬ。……しかしそうだな。国が無くなっていたらか……ならば吾輩のするべきことは一つだろうな……」

「それは?」

「決まっている。墓を建てることだ」


 九郎の言葉に自信ありげに口を開いたカクランティウスは、最悪の未来から目を逸らしているだけではない様子だ。

 だが、国が亡んでいたらとの問いにあっけらかんと言い放ったカクランティウスの言葉はまたしても九郎の予想の斜め上だった。


「吾輩の王としての責務はな? 民全ての名を覚える事だったのだよ」


 訝しんだ表情を浮かべた九郎に、やや自慢げにカクランティウスは鼻をならした。


「なんで名前?」

「吾輩は自分でも武力が秀でているだけの、ただの神輿だと分かっておったからな。内政に口出ししようにもどうにも思慮が足らんと良く大臣たちに叱られておってな。だが、ただそこに座っているだけの王と言うのも何とも対面が悪いからと、大臣たちに頼み込んで仕事を貰ったのが民全ての名を覚えていること……それだったのだ。まあ、それで頭の容量を使い切ってしまえとの言葉も貰ったが……」


 国中の中で一番武力に秀でていたカクランティウスは、一番生き延びる率が高いと思われていた。

 事実氷の中に50年封じられても、生き続けていたカクランティウスを目の前にすれば大臣たちの考えも間違いでは無かったのだろう。

 しかし大臣たちに頼み込んで仕事を貰う『魔王』とのフレーズに、九郎は思わず苦笑を浮かべる。

 しかも大臣たちの言葉は穿って見れば、「余計な事をするな」との意味にも聞こえ彼が蔑ろにされているのではと言った同情も覚える。


「我が国での王の責務は墓守なのだ。他国の王が何をしているかは知らぬが、吾輩はこの仕事を誇りに思っておるよ」


 九郎の苦笑にやや不満顔を浮かべながら、カクランティウスはそう言いきった。


「国を滅ぼされて復讐に走ったりしねえんだな?」


 最後の確認だと九郎ははっきりと問い尋ねる。


「滅んでおるとの言葉には意義を唱えたいところだが……民も残っておらぬ国を立ち上げる力は吾輩には無いな。そもそも一人では国など興せる気がせんわ。復讐しようにも50年も経った今、暗殺を企てた人族はもうおらぬだろうしな」


 憮然とした表情を浮かべながらも、カクランティウスははっきりと答えを返して来た。


「分かった……その言葉を信じる事にするっす。そんでどうすれば良いんすか?」


 カクランティウスの言葉は少し自棄めいていたが、それだけに本心に思えた。

 彼が九郎の言葉を違えて復讐に走らない保証はどこにも無かったが、最初から助けに赴いた初志を貫徹させる方を九郎は選ぶ。


「その信に答える事を約束しよう……。この氷を溶かしてもらえれば吾輩は解放されると思うが……」


 カクランティウスは真剣な目で約束を口にすると、その後自信なさそうに眉尻を下げる。

 一騎当千と称される彼でもどうする事も出来なかった氷の棺桶を、全裸で体も細い九郎がどう砕くのかとの疑問が今更に出て来た様子だ。


「あ、そんだけなんすね~! んじゃ、いきなり動かんで下さいね~」

「ここの氷は簡単に砕けるものでは無いのだが……どうするつもりだ?」


 助けに来たと言うのに手立てが無かったでは、九郎も格好がつかない。

 カクランティウスの訝しんだ表情にプレッシャーを感じながら、九郎は氷柱へと近付く。


「ところでカクランティスさんは熱や炎にも強かったりするんすか?」

「カクランティウスだ……。吾輩は魔族であるから熱や炎の耐性はそれなりにあるが……な、何をする!? やはり吾輩を襲うつもりであるか!? ま、待つのだ『来訪者』よ! 落ち着くのだ! 話し合おう!」


 熱や炎に耐性があるとの答えを聞いた九郎が、さっそく氷柱に抱きつくとカクランティウスは再び怖気るような悲鳴を上げた。話し合うも何も、先程までじっくり話し合った結果だと思いながら九郎は体を熱へと『変質』させる。


「俺の名前はクロウっす! 動くと危ないっすよ?」

「ああ!? ミツハよ! 吾輩は汚れた体でそっちへ向かうかも知れぬ! すまぬ……すまぬぅ……」


 動けないから関係無いかと九郎はカクランティウスの言葉を無視して氷を溶かし始める。

 踏みしめていた白銀の大地よりは密度がある氷柱だったが、奪われる事の無い九郎の熱は徐々に氷柱を溶かし始める。


 少しの時間は掛かったが程なく氷は溶けきり、カクランティウスがぐったりと地面に膝をついて現れた。

 憔悴しきった表情から長くは持たないとの言葉は本当だったのだろう。

 蒸気が瞬く間に再び氷つきパラパラと落ちる中で、カクランティウスは解放された喜びからか、肩を小刻みに震わせ無事だった命を噛みしめているかのようだった。

 その瞳には薄っすらと凍った涙の粒が浮かんでいた。


☠ ☠ ☠


「あんだけ俺はノーマルだって言ったのにまだ信用して無かったってのは、失礼じゃねっすかねえ?」

「すまぬ……だが、考えても見て欲しい。氷柱は透き通っているが故、裸の男に抱きつかれた気になるのだ……」


 カクランティウスを背負い、文句を口にした九郎にカクランティウスは素直に謝罪した。

 続く言い訳の言葉に九郎もその光景を思い浮かべて、それ以上何も言えなくなってしまう。

 いくら氷で隔たれていようとも、裸の男に抱き竦められる光景はカクランティウスの心に深い傷を作ってしまったようだ。

 だが先が長くないと言った言葉も本当だったようで、カクランティウスは歩く体力も残ってはいなかった。やむなく九郎は彼を背負ってクレバスの底を歩いていた。


 歩く力も無くなっていたカクランティウスだったが、それはこの『光の魔境』を抜けるまでの間だと言う。

 夜の内に魔力を回復させる『吸血鬼ヴァンピール』の種族は、この夜の訪れる事の無い『光の魔境』では体力を回復する術がないのだと言う。だからこそ膨大な魔力をずっと消費し続け、助けを呼ぶことしか出来なかったのだと、カクランティウスは自嘲気味に笑っていた。


「しかしクロウ殿の『神の力ギフト』は面白いものだな。奪われない力とは王の身にも羨ましく思うぞ」

「カクさんの魔法もすっげえすね。コレが無きゃ俺はずっと上で彷徨ってたところだったっす」


 助けを求めた人間を疑った事に少々バツが悪いのか、カクランティウスが強引に話題を変え、九郎もそれに乗っかる。

 カクランティウスは自分の名が長く言い辛そうな九郎に、カクと呼ぶことを勧めてきていた。

 九郎と故郷を同じくする彼の妻もそう呼んでいたからと。


 王の身分に有りながら気さくで身分に頓着した様子が見えないカクランティウスだからこそ、九郎もただの年上として話す事ができていた。王様のような身分の高い人間に対しての言葉遣いなど、九郎に経験があるはずも無い。


 一年半ぶりに人との会話を楽しんでいた九郎だが、その声の弾みはそれだけが理由では無い。

 カクランティウスを解放した事で、九郎にとっても思わぬ幸運が舞い込んでいた。


 九郎が歩いていた雪原、『光の魔境』は全方向から差す光に方向感覚が狂わされるだけでなく、その地面もランダムに滑っているのだと言う。

 真直ぐ歩いているつもりが、地面自体も動いているので延々と歩き続けていても決して先へとは辿り着けない場所なのだと聞いた時、九郎は余りの話に立ち眩みを覚えたほどだ。


 『光の魔境』を出るには、クレバスを頼りに動き続ける地表と動かない大地を確かめながら進む他ないとの情報が無ければ、それこそ永遠に彷徨い続けていた可能性もあったのだ。


 カクランティウスを助けたことで、九郎はやっと『光の魔境』を抜ける手立てを得たと言っても良い。


 奇しくも九郎も助けられた形になって、大地を踏みしめる足取りも軽くなる。

 カクランティウスから上着を借りて、腰に巻きつけた九郎は裸でも無くなっているので憂いも何も無い。


「しかし上着借りちゃって悪いっすね? 俺は寒くねえから大丈夫っちゃ大丈夫なんすけど?」

「裸の男に負ぶわれていると違う意味で寒気を覚えるからな……。それにクロウ殿の体温があればそう寒さも感じぬよ」

「そっちのセリフの方が寒気を覚えるんスけど……」


 先が見えた事で軽口も飛び出し、九郎も機嫌はすこぶる良い。

 そして数日かけて『光の魔境』の出口を見つけたのだが――――。


「これどうやって登るんすか?」

「魔力がここまで枯渇することを考えていなかった……。『浮遊』の魔法すら使えなくなってしまうとはな……」


 目の前にそびえ立つのは氷の壁だった。

 すかさず溶かそうと体を炎に変質させたのだが、氷の壁はビクともしなかったのだ。

 カクランティウスが言うところによれば、この氷の壁は『光の魔境』とその先を隔てる結界の役割を果たしており、熱で溶ける氷では無いのだと言う。

 カクランティウスが『浮遊』の魔法を使えるほどの魔力が残っていたのなら、訳無く飛び越えられたのだが、『光の魔境』ではカクランティウスの魔力は回復しない。

 九郎は腕を放り投げるかと壁を見上げるが、どれだけ筋力が上がっていようとも山一つほどの高さの壁を越えられるとは思えなかった。


「ここまで来てまた別の道を探すっきゃねえのかよ!」


 後少しの所まで来ていただけに、九郎も苛立ちを覚えて壁を殴る。

 打撃で壊せないかと、最大限の力を込めて放った16000メートルからの衝撃、『青天の霹靂アウトオブエアー』でも壁には罅一つ入らない。


「っくっそぉぉぉお? やべ! くっ付いちまった!」


 怒りに任せて叩きつけた拳が氷に引っ付き、九郎は慌てる。

 体を炎に『変質』させずに放った『青天の霹靂アウトオブエアー』が仇となった。

 一瞬で九郎の腕は凍り付き、壁から離れなくなってしまう。


 単にまた拳を炎に『変質』させればよかったのだが、予想外の出来事に九郎は慌てて腕を引っ張る。

 芯まで凍りついた腕を乱暴に扱えば、どうなるのかなど決まっている。


「ありゃ?」

「クロウ殿!? 腕が! 腕が?」


 パキンと硬質な音を立てて九郎の腕は木の枝のように壁に残り、腕先を失った九郎にカクランティウスが呆気に取られる。簡単に腕を失った九郎が、その事にはそれほど驚きを見せなかった事が、そもそも驚きなのだろう。


 だが九郎は顔に喜色の笑みを浮かべて、腕を『再生』させる。

 振り出しに戻ったかに見えた壁を越える手段が目の前に映っているのだ。その喜びは一入ひとしおだ。


「クロウ殿も不死系種族なのか? それほど魔力を内包しているようには見えないのだが?」

「ああ、俺に魔力なんて欠片も無いっすよ? ただ俺は『神の力ギフト』を二つ持ってるんス。『ヘンシツシャ』と『フロウフシ』……。これが俺の力の全てっすよ」


 できるなら隠しておきたかった九郎のもう一つの『神の力ギフト』――『フロウフシ』だが、カクランティウスも不死系魔族という事で、九郎は正直に力の全てを明かす。

 カクランティウスは問われるままに九郎の問いに答えていたことも、理由の一助となっていたのかも知れない。


「二つの『神の力ギフト』だと? 聞いた事も無いが……貴殿が言うのであれば本当なのだろうな」


 もはや呆れて言葉も出ないと言った感じで、カクランティウスは九郎を眺める。

 そもそも『光の魔境』に全裸で現れた時点で、ある程度予想はついていたと、引きつった笑みを向けてくる。全てが常識では当てはまらないのだから、何があっても驚くまいと思っていたのだが……と肩を竦めたカクランティウスに九郎もつられて笑みを返す。


「んじゃ、登っていくんで、しっかり捕まっててくださいよぉ~!!」

「登る? 『不老不死』であることとこの壁の攻略は関係無いではない……の……か……」


 気合を入れるように両頬を叩くと、九郎は右手をつける。

 一瞬で凍りついた右腕を始点に体を持ち上げ、左腕を伸ばす。そして凍りついた右腕を肘から強引に折り、再び右腕を『再生』させる。

 左腕が凍りついたらまた右腕をと言った形で九郎は壁を登って行く。

 凍りついた腕を足場に、上へ上へと光り輝く壁を登る九郎に、カクランティウスは笑い声を上げ続けていた。


 その笑い声は喜びと呆れを含んで、光の壁を登る九郎と、50年間叫び続けた自分への勝鬨のように響いていた。

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