閑話

第146話 閑話 少女達が目指す先


 暗い暗い闇の中。

 自分の足元すら見えない、そんな纏わりつく様な闇の中を泳ぐようにかき分けて行く。

 進んでいるのかすら分からない覚束ない感覚が、心の中を焦燥で埋め尽くす。

 腕に宝物のように抱いた温もりが、砂の様に零れて行く。

 前も後ろも上も下も……何も分からない常闇の世界に仄かな灯りが灯った気がして――。



「クロウッ!!!!!」


 伸ばした手の平が朝日に透けて輪郭をぼやかし、自分の声が悲しみを伴って耳に響く。

 初夏の日差しの始まりを告げる強い光が、厚いカーテンをも貫き部屋に満ちていた。

 寝汗が赤い髪を濡らし頬に張り付く。夏の暑さの所為だけでは無い背筋に伝う冷たい汗。

 心に残る寂寥の思いは、夢と現を曖昧に眺める少女の目にジワリと涙を生む。


 いつもと同じ目覚めに少女は眉を顰める。

 目覚める度に感じる寂しさ。心の中にぽっかりと空いた大穴は今もなお埋まっていない。

 今の自分の環境は望んだ以上に恵まれている。彼と出会う以前、望んだ以上に……。


 アプサル王国レミウス領、アルバトーゼの街。

 その街の東端に立つ今の屋敷の暮らしは、幼少の頃に夢見た少女の望み全てが詰まっていると言っても過言では無い。

 大勢で迎える食事。自分を自分として見てくれる人達。寂しさとは無縁の忙しい毎日。

 昔の自分が聞いたら目を瞠りそうなくらいに今の自分は恵まれている。

 それは分かっているのだが……。


 頬に張り付いた髪を無造作に払い、少女は両手でパシンと頬を叩くと目に溜まった涙を拭う。


 手に入れた幸せだけでは満足できない。

 心に開いた大穴は未だ埋まる気配は無い。

 何故なら彼女は今以上の幸せを知ってしまったから……。


 だが同時に失った幸せを嘆いて暮らして行くほど少女は弱くは無い。

 手が届くまで手を伸ばし続ける。


「今日も忙しくなるわね……」


 赤髪の少女――ベルフラムはそう一人呟くとシーツを撥ね退けカーテンを開いた。


☠ ☠ ☠


「お早うございます!! ベル様っ!!!」

「おはようごじゃいましゅ!!」


 着替えを済ませて窓を除くと、幼い獣人の少女達が洗濯物を抱えて笑顔を見せる。

 クラヴィスとデンテ。ベルフラムが孤児から拾い、今では一番心許せる少女達だ。

 以前の廃墟を改築したベルフラムの屋敷で、ベルフラム専属の従者として働いている。


「お早う! クラヴィス、デンテ。今日も良い天気ね」


 ベルフラムは庭を見下ろし笑顔を溢す。

 初夏の風が心地よい涼を運んでベルフラムの髪を撫でる。

 クラヴィスとデンテは拾い上げた自分に恩を感じ、自分の事を誰よりも大事に思ってくれている。

 同時にベルフラムも二人の姉妹に言い得ぬほどの恩を感じている。

 誰よりも守りたい者達と聞かれれば、クラヴィスとデンテを一番に上げるほど大切にしている。

 九郎と離れ、崩れかけたベルフラムの心を繋ぎとめたのはこの二人の少女なのは間違いない。

 強く聡明なクラヴィスと明るく無邪気なデンテにベルフラムは何度も救われている。

 その思いは口にしなくても溢れるくらいにその笑顔に込められている。


「もうすぐ朝食です。ベル様、先に向かっててくださいねー!!」


 クラヴィスはそう爽やかに言いやると、抱えていた洗濯物をデンテに渡す。

 クラヴィスは何も指示を出していないのにデンテが次々洗濯物を投げ、クラヴィスがそれを受け取り干して行く。


(いつ見ても凄いものよね……)


 何も言葉にせずとも通じ合う姉妹の様子に、ベルフラムは口元を抑え、驚きを噛み殺す。

 クラヴィスとデンテ。二人の姉妹は驚くほどに優秀だ。

 獣人と言うこの国で疎まれ蔑まれている種族だと言うのに、その辛さ苦しさを微塵も見せずにベルフラムに仕えてくれている。

 彼女達を排斥しようとする者がいれば、全霊を以って立ち向かうつもりだったベルフラムも拍子抜けするくらいに、彼女達は自分達の優秀さを見せつけその声を封じたのだから。


(……それにしても『ベル様』……か……)


 ベルフラムはクラヴィスの言葉を思い出して口元をムズムズ動かす。

 九郎と別れ、何日も泣き明かした時にクラヴィスが言い出した呼び名。

 唐突に呼び名を変えた物だからベルフラムも驚き泣き止んだ事を思い出し、笑みが口に零れる。


(あの時のクラヴィスもてんぱっちゃってたものね……)


 目をグルグルさせながら、何度もその名を呼び続けたクラヴィス。

 主に対して不敬とも取られそうな言葉を何度も叫ぶあの心境はどれ程の覚悟を伴っていたのだろうか。

 わんわん泣きながら「ベル様」と名を呼んだクラヴィスには、ベルフラムの心の穴が見えていたのかも知れない。賢い彼女が自分が何を欲しているのかを。


 ベルフラムは何度目かのクラヴィスへの感謝の念を胸に階段を駆け下りる。

 改築されたと言ってもこの屋敷はそれ程広くは無い。

 しかもその一部は別の用途に使っているのだから、貴族の、領主の姫君としての屋敷と考えると驚くほどに小さいだろう。常識的に考えるのならベルフラムの屋敷はいかにもみすぼらしく、貴族の地位を軽く見られてしまうに違いない。


 だが外聞等もう気にはしない。

 通例に倣う心算も無い。

 ベルフラムはその通例、常識を覆すために頑張っているのだから。


 ――――噂も偏見も全てを。


☠ ☠ ☠


「じゃあ、今日も食べられることに感謝して――――――」


「「「「「「「「「「「いただきますっ!!」」」」」」」」」」」


 小さな食卓に大勢の子供の声が響く。

 ベルフラムの屋敷の隣に建てられた小さな家。

 一階は広間と炊事場、二階は寝室。ただそれだけの機能しか持たない家に7人の少年少女が暮らしている。

 誰も彼もが親を失い、浮浪児として暮らしていた子供達だ。

 ベルフラムの一日は彼らと共に食事を摂る事から始まる。

 孤児院を作ったのは何も善行を積もうと思ったから――では無い。

 クラヴィスやデンテと同じように、自分をちゃんと見てくれる人間を育てようとしている――訳でも無い。

 彼らを育てると決めたのは、ベルフラムにとっての大事な一歩に含まれているからだ。


「残しちゃダメだからねー! あら? 今日のスープは具が多いわね?」

「ミックが枯れた木の中から一杯見つけたのっ!」

「この菜っ葉私が摘んで来たんだから」

「俺なんか蛙4匹も捕まえたんだぜ~?」


 ベルフラムが匙を見ながら感想を口にすると次々と子供達が戦果を告げてくる。

 スープの中身は小さな幼虫と、雑草、そして蛙の脚が浮いている。


 孤児院を運営するにあたってベルフラムの方針は決まっていた。

 それは何より生き抜く力を教える事だ。

 貴族としての財を使い施しをする事も出来たのだが、ベルフラムはそれを良しとはしなかった。

 ただ与えられるだけ施されるだけでは、もし自分がいなくなってしまえば元の浮浪児に戻ってしまう。

 自身の地位と子供達の命運を共にすることは、一度その地位を捨てた身のベルフラムには出来なかった。


 ベルフラム自身も九郎と出会っていなければ、家出をした時に直ぐに飢えて凍えていただろう。

 だからこの孤児院では周囲の食べられる物は全て食卓に並ぶ。

 鼠も蛙も芋虫も雑草も…辛いのも不味いのも苦いのも……毒の無い者は全て食べる。

 毒見は九郎しか出来なかったので、ベルフラム達が一度は試した事のある物だけに限られていたが、それでもこの辺りの大方の食物は判断できる。

 例えベルフラムがまた貴族の地位を追われる事になっても、この孤児院が無くなってしまっても、子供達は飢えて死ぬ事は免れるだろう。


「ベルフラム様、また絵本読んでくれる?」


 隣に座っていた7歳位の少女が、口の周りを汚しながら二カッと笑う。


「ええ良いわよ。でも食事が終わってからね」


 ベルフラムは少女の頭を撫でながらそう答える。

 ベルフラムはいつも子供達に本を読み聞かせる。

 それは字を覚えさせる事もあるが、それ以上に重要な意味を持っている。


「アタシ優しい骸骨スケルトンの話が良い!」

「私寂しがり屋の吸血鬼ヴァンピールの話ー!」

「僕はあの幽鬼ウィプスの話がいいなぁ……」


 口々にリクエストを上げる子供達にベルフラムは微笑みで答える。

 今日は何を選ぼうかと。


(新作を披露しようかしら)


 ベルフラムは書き上げたばかりで、机に置いたままの絵本を思い出す。


 これこそがベルフラムが孤児院を立ち上げた最大の理由。

 少しでも不死者に恐怖を抱かない様、不死というだけで恐れたり排斥したりしない様に。九郎がこの地に戻っても、全ての人から疎まれないように。


 ベルフラムは九郎の姿を見て、九郎の不死を知って恐れてしまった自分を責め続けていた。

 九郎が見せた最後の背中が捨てられた子供の様に見えて。

 何度も自分を救ってくれたその手を自ら振りほどいてしまった事を後悔していた。

 だが、たった一度その手に怯えてしまったからと言って、そこで九郎を嫌う事など出来る筈が無い。

『不死者』である事を知って尚、ベルフラムの想いは九郎に向き続けていた。

 小さな少女の胸に宿った初恋の炎は、今尚大きく燃え続けていた。

 自らを『諦めの悪い者』と認識しているベルフラムは、九郎と添い遂げる事をなんら諦めてはいない。

 ただ一心にそこへ辿り着く道を模索していた。


「レイア、また顔色が悪いわね……。虫嫌いも直さないと駄目よ?」


 頭の中で新作の校正をしていたベルフラムが、対面に座って匙を睨む金髪の少女を見咎める。

 九郎の腕を切り飛ばし、九郎が離れていく切っ掛けを作ったレイアは今この孤児院の責任者として働いている。

 本心を言えばベルフラムはレイアを傍に置いておきたくは無かった。

 だが同時にそれが八つ当たりだと言う事も分かっていた。

 九郎の不死を知り、その力の一端を見たであろうレイアはあの時、恐慌状態になって尚ベルフラムを想って九郎と対峙した。

 自分も九郎に恐れを抱いてしまったのだから、レイアだけを責める事は出来ない。

 レイアの怯えようから、あの時の異常性以上に凄惨な九郎の『不死』を目撃してしまったのだろう。

 だがどうしてもあの時レイアがもっと冷静であればとも思ってしまう。

 九郎の『不死』を知り、それでも自分の気持ちは変わらなかった。

 少し時間が過ぎれば、自分を貶めようとした兄エルピオスや、教会の神官たちの方が余程悍ましい化物に思えた。レイアが言い放った『化物』の意味をベルフラムはずっと考えていたのだ。


(九郎もちょっと怖がったくらいで私を置いて行くなんて酷いわよ……。あなたとなら例え地獄だろうと幸せだったのに……)


 怒れる立場では無いのだが、言いようの無い怒りのぶつけ先を無くしてベルフラムは口を尖らせる。

 その言葉は誇張でも何でも無く、経験からの言葉だ。

 暗闇の中一月以上彷徨ったあの時の思い出さえ、今のベルフラムには心を燃やす薪にしかならない。

 何より一度怯えられたくらいで身を引いた九郎に文句を言いたい気持ちがある。

 自分をなめないでもらいたい。身も心も捧げると誓ったのだ。

 例え九郎が邪神や悪魔だろうと離れるつもりは無かったのにと。


☠ ☠ ☠


「もう……だめ……………」


 荒く息を吐き、崩れる様に座り込んだベルフラムは一言呟くと大地に寝転がった。

 朝食を終え子供達に本を読み聞かせた後はしばしの運動の時間だ。

 体力の無さを痛感したベルフラムは一日最低3時間の運動を自らに課していた。

 庶民と変わらぬ簡素な服装の今のベルフラムを領主の姫君とは誰も思いもしないだろう。

 木陰に這う様に辿り着き息を整えるベルフラムに、クラヴィスとデンテが近づいて来る。


「じゃあベル様は今日はここまでですね。でも以前よりずっと先まで来られるようになりましたよ!」


 同じ距離を走っていたと言うのに、クラヴィスは疲れた様子も見せずに微笑みを浮かべている。

 種族の違いが有るにしても年下に体力で劣る事に何とも言えない思いが胸に込み上げてくる。


「それじゃあ今日はデンテの番よ。ベル様をお願いね」

「あいっ!!」

「今日は……一人で帰れるわよ……。来る時に魔物も見かけなかったし……」


 いつもならベルフラムが力尽きた時点で、クラヴィスかデンテのどちらかがベルフラムを屋敷まで護衛して帰っているのだが今日は必要無さそうだ。

 そう言ってベルフラムは木陰で座りながら姉妹に力ない笑みを向ける。


「でも……」

「大丈夫よ。私に付き合ってちゃあなた達の訓練になりそうも無いもの……。今日は途中にレイア達も採取に来ている筈だから直ぐに合流できるわ」


 片手をヒラヒラ振りながら何とか少しでも年長者の威厳を回復させようとするベルフラムに、クラヴィスは眉を下げつつデンテに振り返る。


「それじゃあ何かあったら叫んでくださいね? 直ぐに駆けつけますから!」

「ましゅからっ!!!」


 両手を前で握りしめて強く言い寄る姉妹に苦笑を浮かべながらベルフラムは了解の意を示す。

 どうやらクラヴィスはベルフラムの内心を汲み取ってくれた様だ。

 頻りに鼻と耳を動かしていたから、魔物の脅威は無いと確信したからなのかも知れないが……。


「じゃあお昼前には戻りますから!!」

「いってきましゅ! べるしゃまっ!!」


 二人はそう言うと今迄のスピードを遥かに凌駕する速さで彼方へと走って行く。

 彼女たちが暇を見つけては戦闘の鍛錬に励んでいた事は知っていたが、培われた体力がベルフラムの予想の遥か上回っている事を知りベルフラムは半ば呆れて大地に横たわる。


「私ももっと頑張らなくっちゃ……」


 そう溢したベルフラムの顔には、決意と笑みが浮かんでいた。


☠ ☠ ☠


 街道を逸れた道を疾走する小さな二つの影が交差する。


「デンテっ! 足っ!」

「あいっ!!」


 片手を地面に付け、三本脚で疾走しながらクラヴィスが激を飛ばす。

 同じように三本脚で駆けていたデンテが傾きかけた体重を元に戻す。

 姉であるクラヴィスはデンテに対してはいつも口数が少ない。

 それだけで通じてしまうのだからデンテも特に何も思わないが。

 今のセリフも「足の体重が偏り過ぎていてバランスを崩している」と言う指摘なのだとデンテも直ぐに理解して、その修正を図る。


(お姉ちゃんは軽い武器だから……)


 左手に持った大きな金槌を背負い直しデンテは口を尖らせる。

 クラヴィスは大きめのナイフを武器としているが、デンテは金槌である。

 力の強いデンテにとってそれ程重い武器では無いが、重さの偏りに力は関係ない。

 四足獣と同じ様に走りながら、何時でも攻撃に転じられるようにと姉が考え出した闘方はやっと形になり始めた頃だ。

 だが文句を言うつもりはデンテには無い。

 自分の力の無さを痛感したのは姉だけでは無くデンテも同じなのだから。


 九郎と言う安心できる拠り所を失ってから、姉のクラヴィスは何処か切羽詰まった様子を見せていた。

 もちろん賢い姉の事だから、それをベルフラムに悟られるような事はしなかったが、生まれて今迄片時も離れず過ごしてきたデンテには、姉の心も自分の事の様に分かってしまう。


 姉はずっと焦っている。

 九郎と言う絶対的な安心を失ったクラヴィスは、自分を追い込むように強さを求めていた。

 自分が強く無ければベルフラムを守れない。そう考えている。

 年齢から考えればあの歳で姉より動ける者など居ないのでは無いかと思えるほど、クラヴィスの戦闘センスはずば抜けているとデンテも思う。

 だが姉の求めている強さはそんな物では無い。


 ――――多分姉は人の力を越えようとしている―――――。


 クラヴィス自身でさえあやふやな目標をデンテもぼんやりと理解する。

 半年前の襲撃で自分の力が主たち二人に及びもつかない事を痛感したクラヴィスは、二人を守れる程の力を欲している。

 片や山一つを覆う魔法を使う少女と、片や倒れる事の無い不死の戦士。

そのどちらをも守れる程の力を。


(お姉ちゃんはやっぱりあの時の………)


 自分の力の無さを痛感したのはデンテも同じではあるのだが、姉の表に出さない焦燥を感じてデンテも心で嘆息する。

 姉はずっと後悔しているのだ。

 あの時、九郎が去ったあの時に自分かデンテどちらかが九郎と共に行くべきだったと。

 あの時九郎を一人にしてしまった事を姉はずっと後悔している。

「2人の傍が私達の天国」と信じている姉は、選択肢を誤った事を後になって気付いたのだろう。

 ベルフラムは今も九郎との生活を目標に行動しているし、姉もデンテもあの時の九郎を怖いと思っていなかった。

 社会の残酷さも他人の冷たさも人より多く知っている自分達にとって、『不死』だの『化物』だのはなんら関係なかったのだから。

 あの時の姉の逡巡は今ならわかる。


(デンテが泣いちゃったから……)


 あの時悲しい結末を予想してしまったデンテが泣いてしまった事で、姉もまた混乱してしまったのだろう。

 デンテが泣きじゃくっていなければ、姉は自分を九郎の元へ行かせたと思う。

 姉と自分は一心同体だ。いつか再び引き合う時まで、2人の主に付き従えば良かったと思っているのだろう。

 デンテが泣いてしまった事で姉は自分が行くべきか悩んでしまった。

 だが賢すぎる姉は、強くはあるが弱々しく泣き叫ぶベルフラムを置いて行く決心がつかなかった。

 そして同時に『不死』である九郎を守る必要性が無い事を悟ってしまった。

 だが、九郎の心まで『不死』であるとは限らない。

 あれ程の力を持ちながらも孤独に怯えていたベルフラム同様、九郎の心を気遣うべきだったのではないかと姉はずっと後悔している。


(デンテも頑張らなくっちゃ…!)


 デンテは野を駆けながら空を睨む。

 姉と自分は一心同体と思ってはいるが、今でも負担は姉の方が重い。

 力はクラヴィスよりもあるが、頭の方は余り良くないデンテには出来る事は限られている。

 だが出来ない事を嘆くのではなく、出来る事を増やして行けばきっと自分も役に立てる。

 そう思った瞬間体が宙を舞う感覚を覚える。


「ぼーっとしない!」

「……………あい………」


 呆れた様子でクラヴィスが肩を竦めていた。


☠ ☠ ☠


 アルバトーゼ東端のベルフラム邸の隣に位置する小さな家。

 寝静まった子供達にシーツをかけ直したレイアは、自室の扉を閉めると燭台に火を灯す。


 小さく簡素なテーブルの上には青いガラス瓶が置いてあり、燭台の光を受けて青い光をテーブルに映す。


「子供達もやっと慣れてきましたかね……」


 ベッドに腰掛け伸びをしてレイアは一人呟く。

 今のレイアの仕事は孤児院の運営だ。

 ベルフラムの騎士では無い。


 九郎の腕を切り落とし、心臓を貫いた時レイアはベルフラムを守る為に死を覚悟していた。

 恐ろしく禍々しい『化物』。

 その手がベルフラムに伸ばされた時、敵わないと知りながらも体は自然に動いていた。

 あの手はきっとベルフラムを不幸にする。

 その確信がレイアを突き動かした。

 あの時九郎が引かなければ、レイアは九郎諸共谷底に身を投げるつもりだった。


 恐怖に突き動かされた事も否定しない。

 敵うはずのない神々の兵士、『竜牙兵ドラゴントゥース』の大軍を意にも介さない『化物』。

 国の英雄を倒したと事無げに言い放ち、傷どころか疲れた様子も見せていなかった不死の怪物アンデッド

 あの時の言いようの無い恐怖は、水底に捕えられた時や、『動く死体ゾンビ』の大軍を臨んだ時とも比べられない程の物だった。

 足元がふわふわとして、体が自分の物で無い感覚。喉がひり付き空気を吸うのも億劫な程、体が恐怖に捕らわれていた。

 それでも動けたのは自分の心にあるただ一つの願い。

 ――ベルフラムを守る――彼女を害する全てのものから――。

 その一心だけだった。


 今でもあの時の判断は間違いでないとレイアは信じている。

 予想した通り九郎は国に追われる身となってしまっているし、その異常性はレイアが言わずとも気付かれていたようだ。

 聖輪教会が悪魔認定する事には言いたい事もあったが、それでもその判断に意を唱える気持ちは無い。

 人ならざる者――ベルフラムの側にいたのはそんな『化物』だったのだ。


 だが、九郎の『不死』という脅威を目にしたと言うのに主の心は捕らわれたままだ。

 何日も泣き続けレイアは近づく事も許されず、自分の判断に怒りの言葉をぶつけてきた。


 ――『化物』がなによっ! 私達を助けてくれたのはいったい誰!? 私達を追い詰めたユーイチは人間で、その私達を守ろうとしてくれたクロウは『化物』!? ――


 その言葉と共にレイアはベルフラムの騎士を降ろされた。

 今は孤児院の院長としてベルフラムの側に置いてはもらっているが、それもいつまで許してもらえるかは分からない。


また・・繰り返してしまったのでしょうか…………)


 レイアは滲む視界を袖で拭う。

 自分の判断は間違っていない。それは今でも思っている。

 ベルフラムを取り巻く環境は日に日に賑やかになり、彼女は寂しさとは無縁の生活をおくれている筈だ。

 だがそれでも時折見せる寂しげな眼に、レイアはずっと責められている気分に陥ってしまう。


 ――レイア……あなたはいったい何から私を・・・・・守ってくれる・・・・・・と言うの? 凍える冬の風の寒さから? 虚脱に身をさいなむ飢えから? 寂しさに泣きたくなるような孤独から? 望まぬ私の未来から? それとも――私の望む幸せから・・・・・・・・? ――


 今も心に残り続けるベルフラムの言葉。

 自分の判断は間違っていない。だがベルフラムの心まで、彼女の望む幸せ・・・・・・・まで守る事が出来たのだろうか……。

 泣きはらした赤い目で見つめてきたベルフラムの顔を思い出し、レイアは自問する。


 ――クロウの為なら命も惜しく無い――


 戦いの場に一人で赴く決心をした九郎に対してベルフラムが言った言葉だ。

 同時にレイアが九郎を追った理由でもある。

 だが守ろうとした九郎に『命』等無かった。

 無いものの為に『命』を懸ける等無意味な事だ。『存在しない命』の為にベルフラムが『命』を懸ける事など有ってはならない。


「――存在しない物に何かを懸ける価値など無いのですよ……。ベルフラム様……」


 レイアは一人自答するとテーブルの上に雑草や茸、虫や蛇を並べて行く。


「……せめてクロウが出来ていた事位、私が代わりに…………」


 目の前に広げた物を見てレイアは蒼白した顔色で呟く。

 目の前に広がったそれぞれは、今日の採取してきたまだ食べた事・・・・・・の無い食材・・・・・だ。

 いつもと同じように広げたそれらを目の前に、レイアはいつもと同じように唾を飲み込む。

 孤児院を任されるようになってからレイアが続けている一つの事。

 ――毒見。


 雄一は九郎にこの世界の回復魔法には『解毒』や『病治療』は存在しないと言っていたが、それは正解では無い。

 この世界の魔法、青の魔法には『毒』や『病』に対する魔法も存在している。

 だがどうして雄一がそれを知らなかったかと言うと、『解毒』や『治療』の魔法は種類が多すぎたのだ。

 一つの毒に対抗出来るのは一つの魔法だけ。蛇の毒に毒草の解毒魔法は効果を現さない。

 麻痺毒に対して壊血毒の解毒魔法は効果が無いのである。

 最初から『万能薬』の効果を求めた雄一は『解毒』の魔法に至らなかったのだ。


 レイアが毎晩行っているのは、新たな食材の研究。

 同時に様々な毒に対する『解毒』の仕方だ。

 それをするには様々な毒を体に覚えさせなければならない。

 今日も採取してきた見知らぬ食材をレイアは一つ一つ試そうとしていた。


「……今朝もベルフラム様に顔色を指摘されてしまいましたし……気をつけなければなりませんね……」


 レイアは一人言ちると雑草を磨り潰し舌の上に乗せる。

 青臭い味が舌の上に広がる。


(あっ……舌が痺れて来ましたっ! まずいですっ! これじゃあ詠唱が出来ませんっ!)


 レイアは雑草を吐き出し、用意していたナイフで舌を削ぐ。


「――『流れ廻る青』ベイアの眷属にして不浄を流す清らかな水よ! 抗え!

   『トロポ・アクア・キュアーティオ』!」


 慌てて精神を集中させ、詠唱を口にする。

 体に溜まった魔力がごっそりと無くなって行く感覚がレイアを襲う。


「死……死ぬかと思いました……」


 レイアは額の汗を拭いながら息を吐き出す。

 毒に対する魔法を調べているが、数秒で意識を失う類の物も数多く存在している。

 いつもなら数滴舌に垂らして毒を徐々に体を馴染ませる段階を踏むのだが、今日は量を間違えてしまった。

 毎日毒を口にしているから気が緩んでいたのだろうか。

 何度も経験した疲労感に顔を歪めながら、レイアはテーブルの上のガラス瓶に口を付ける。


「……この草は食べられませんね……。冬までにもう少し食べれる野菜を確保しておきたい所ですが……」


 口元を拭いながらレイアは呟く。

 給金で買った魔力回復の治療薬ポーションも残り少ない。

 大事に使わなければと思いながら、レイアは次の食材を試し始めた。

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