第145話  『鴉』


 白い床、白い壁。

 どこまでも続いているかのように先の見えない廊下に幾つもの白い扉が並んでいる。


(なんじゃぁ……?)


 シルヴィアは首を傾げながら、恐る恐るそのうちの一つを覗き込む。


「うぉっ!?!」


 扉を開けて驚愕に目を瞠る。

 扉の上まで水で溢れた部屋だった。

 水に飲み込まれると身構えたシルヴィアだが、部屋の中に満たされた水は透明な膜で覆われているかのように部屋から溢れる事は無い様子だ。


 不思議に思いながらシルヴィアは次の扉を開いてみる。

 今度は部屋中が炎に炙られていた。しかし不思議な事に、煌々と赤く燃え盛る炎は何の熱も伝えて来ない。

 幻でも見ているかのような気分に陥りながら、シルヴィアは次々と扉を調べていく。


 何かの動物の牙や爪が散乱している部屋が殆んどだったが、何百何千と犇めき合っている蛭の部屋では流石のシルヴィアも女らしい悲鳴を上げて慄いた。

 腐った腕や足、顔が這い回る部屋が有ると思ったら、次の部屋はただの土くれが山となっていたりと何ともまとまりが無い。

 眩いばかりの光輝く部屋や、何も無い空気だけの部屋。毒々しい液体が有ると思ったら、次の部屋には清涼とした青い何かが浮かんでいる。禍々しい黒い色の骸骨兵の集団がガチャガチャと音をたてて虚空に向かって剣を振るっている姿には血の気が引く思いがし、大量に積み上げられた黄金や魔鉱石の数々に目を奪われる。

 そうして次々と扉の中を確認していたシルヴィアの目の前に驚くものが現れる。


「儂……?」


 今までの部屋も十分驚くに値していたが、目の前の存在は幻かと思う程奇妙なものだった。

 部屋の中央に泡のように浮いた球の中、一人の少女が膝を抱えて眠っている。

 何も身につけていない全裸の少女の姿はシルヴィアとうり二つの姿をしていた。


 恐ろしいとか奇妙だだとかの感情は湧いて来ず、自分の中に温かな感情だけが溢れるように満ちてくる。

 泡の中の少女は他の部屋と違い、それは大事にされているような感じがしていた。

 乱雑に放り込まれたもので溢れんばかりだった他の部屋と違い、整然とした空気がそこに漂っていた。


(大事にされとるのぅ……儂は……)


 目の前の少女を何の疑いも無く自分と認めると言う奇妙な感覚も、するりと自分に入り込んで来る。

 何か良く分からない、しかし温かな気持ちを胸に抱きながらシルヴィアは歩を進める。


 しかし胸を満たしていた感情に綻んでいた顔は次第に曇り始めていく。


 その後に続いている部屋には、剣や槍、矢などの武器が種類別に収められていた。

 どれも穂先や剣先だけと言うものが殆んどだが、その数は膨大な量に思えた。

 戦もかくやという数の折れた剣にシルヴィアは言いようの無い不安感を抱く。


 さらに先を進むと今度は黒い扉が現れるようになってきた。

 不安と恐怖を抱きながら、それでもシルヴィアは躊躇う事無く扉を開いていく。

 ほとんどの部屋の中は空っぽだった。何も無い、がらんとした部屋。

 しかしシルヴィアの胸は泡立つような不安と、逃げ出したくなるような寂寥の思いが支配していく。

 部屋の中に閉じ込められた物が何か良からぬものに思えて。


 シルヴィアは胸を抑え苦み走った表情を浮かべながらさらに先を目指す。

 もう引き返したいと弱音を吐く自分を叱咤し歩を進める。恐ろしい思いが心を支配していながらも、見ておかなければという義務感めいた感情が足を動かす。


 ふと顔を上げるとその扉が最後のようだった。

 今までは廊下に立ち並ぶように備え付けられていた扉だったが、目の前の扉は行き止まりにポツンとその存在感を表していた。

 赤い扉―――。血の色のように赤黒い大きな扉が目の前に立ちはだかっていた。


「!?」


 扉の蝶番を手に取ろうとしたシルヴィアがビクリと身を竦ませて手を引込める。

 部屋から何かが漏れ出していた。

 赤黒い扉と同じ色をした赤い液体が、扉の下から溢れるように白い廊下に広がって行き―――――。


☠ ☠ ☠


「ぬぅわわゎゎゎぁっ!!!」


 柔らかな毛皮を跳ね上げシルヴィアが奇声をあげる。

 丸い円形の部屋は微かな光を壁に映している。

 簡素な作りながらも柔らかなベッドは新しい藁の匂いをシルヴィアの鼻に届けてくる。


「ぬぅ……変な夢でも見たんかのぅ……」


 自分の下着がぐっしょりと汗で濡れている事に、シルヴィアは眉を顰めて首を傾げる。

 何かの夢を見ていた気がするが、それが何の夢だか覚えていない。

 ただ胸の中にある温かな気持ちと、暗鬱とした気持ちがどうにもバランス悪くて気持ちが悪い。


「今日も……暑くなりそうじゃの……」


 シルヴィアは眼を細めてカーテンを開く。

 朝日が森を照らし美しい姿を眼下に映す。

 この景色を見るのも今日で最後かと思うと少し寂しい気もしてくる。


 九郎が偶然の産物の『転移』に巻き込まれてからもう1ヶ月。

 フーガの街に戻って来たシルヴィアは、ずっとこの大樹の家で九郎を待ち続けていた。

 彼が死ぬ事はあり得ない。どんな環境だろうとも、あの『不死者』が死ぬ事など考えられない。

 ひょこりと姿を現す事を期待して、シルヴィアはこの場所で待っていた。


「どこで迷子になっちょるんじゃろうな……。儂の旦那様は……」


 頬を膨らませて呟く。

 約束したのにと泣いたあの日を思い出して、自分の心を確かめる。

 1年でも2年でも待つことは可能だ。シルヴィアが待とうと思えばそれこそ1000年でも待っていられるだろう。

 だがシルヴィアの心が前に進めと逸っている。

 あの人の輪を求めて止まない優しい青年が、どこかで泣いているのではと心配が尽きない。

 一秒でも長く傍にと願った自分の心に従い、シルヴィアは旅に出る事を決めていた。

 九郎を探す旅に。


 シルヴィアは水瓶の水で体を清めて身支度を整える。

 荷物を詰めたザックを肩に、もう一度部屋を見渡し目を細めたシルヴィアは別れを告げるように部屋の椅子へと手を振ると縄梯子を降りる。


「やっと起きたのかぁ? 待ちくたびれちまったぜ」

「老人らしく夜明け前に起きると思ってたんだがなぁ……」

「ぬふわわわゎゎゎゎっ!!!」


 唐突に背中に言葉が掛けられてシルヴィアは手を滑らせて派手な音を立てて床に落ちる。

 涙目で薄目を開けると、ニヤケ面の十字傷の男とでっぷりと太った鉱山族の男が椅子に腰かけ見下ろしてきた。


「お、お主らなんでここにっ!!?」


 シルヴィアが慌てた声で尋ねる。

 少しばかりの罪悪感から声が上ずるのを抑えきれない。

 ファルアとガランガルンに何も言わずに旅に出ようとしていた事を叱られる気がしたのだ。

 どこにいるのかも分からない九郎を探す旅に出る等、言っても仕方の無い事だと、そう思っていたのだが。

 彼らは彼らで生活がある。自分の想い人を探す旅に付きあってなどとはそう言えるものでは無い。


 シルヴィアを見下ろしていたファルアが一瞬眉を吊り上げ、その後に溜息を吐き出す。


「何って、あのよちよち歩きの間抜けを捜索しに行くんだろうが……」

「後、痴呆症の老人の付き添い?」

「なぜお主らは儂が旅に出る事まで……」


 何も言わずに出て行こうとしたシルヴィアを咎めるような揶揄するような口ぶりに、シルヴィアが眉尻を下げながら聞きやる。

 ファルアもガランガルンも旅装束で、その傍らには荷物が詰まったザックが見える。

 まさか付きあってくれる気であったことが驚きだと、シルヴィアが寝転んだまま驚きを表す。


「シャルルがシルヴィが旅支度をしていたって教えてくれてな?」

「オババはあれで隠せてるって思ってる事が驚きだったぜ……」


 ファルアが片目を瞑り、ガランガルンが呆れたように肩を竦める。

 何処へ向かうか自分でも分からぬ旅だからと、財産を貴金属に変えたり装備を整えたりしていたのをシャルルに見られていたようだ。


 シャルルは結局このフーガの街に戻って来ていた。

 一度は里に帰って余生を送ろうかと考えていたようだが、里の変わらぬ雰囲気に嫌気がさしたのだろう。

 それに生贄にまでされそうになった不信感はそう簡単に拭えるものでも無い。

 普段通りに店に立ち、シャルルが一度店を辞めた事すら知らない者達もいることだろう。

 今は小間使いとして働いている小さな妹に、ミラデルフィアの流儀を教え込んでいる最中だ。


「どうして……」


 それでも合点がいかないとシルヴィアが口ごもる。

 黙って出て行く事を薄情だと咎めるだけなら理解できる。

 だが、同行してくれることの理由が分からない。

 シルヴィアは九郎に会いたい、傍にいたいという確固たる理由がある。

 だがファルア達はそこまでする理由があるのかとの疑問が残る。


 ポカンと口を開けたシルヴィアを見下ろし、ファルアが頭を掻いて仏頂面を晒す。


「それも分からなくなっちまってっとは、本当に痴呆じゃねえのかぁ? 当り前だろうが。……仲間なんだしよ……」


 そっぽ向いた頬が僅かに赤いのは照れているからだろうか。

 ファルアが求めていたのが裏切る事の無い仲間だという事を知らないシルヴィアは、ファルアのらしくないセリフに目を瞠る。

 そんなシルヴィアを見下ろし、ガランガルンが鼻を鳴らす。


「それに、俺らはまだ報酬を手にしちゃいねえんだぜ? オババ。洞窟掃除の報酬は俺ら全員での酒盛りだ! あいつだけ除けもんにしちまったら拗ねちまうぜ?」


 街に帰ってから頑なに受け取ろうとしなかった、金銭での報酬を今になってぶり返して来た意味を知り、シルヴィアは仲間のありがたさを噛みしめる。


「ど、何処におるのかも分からんのじゃぞ?」

「あの運の悪いクロウの事だ。火山口や風の魔境にいるかもなぁ……」


 ファルアが憐れむように外を眺める。その口の端は少し上がっているが……。


「何年かかるかも分からんのじゃぞ?」

「ファルアの髪の毛が残ってるうちだといいな?」

「てめえっ! 何恐ろしい事言ってやがる!」


 ガランガルンがファルアをからかい、ファルアが身震いして拳を振り上げる。

 ガルンガルンの首を絞めながらファルアはニヤリとシルヴィアに恐ろしい笑みを向ける。


「こんな楽な捜索はねえよ! なんせ」

「「死んじゃいねえだろうからな?」」


 男たち二人は呆れた顔で声を揃えた。

 死んでいる心配が無い人間の捜索。確かに心折れる事が無いだけ楽な部類なのかもしれない。

『不死』だからこそ安心できると言い放った二人にシルヴィアは、同意をするように目を瞑る。


「そうじゃな……。うん、そうじゃ! 楽な旅じゃ! コルル坊を早う見つけちゃらんとのぅ!」


 シルヴィアは力強く言い放って立ち上がる。

 男達が何も言わずにニヤリと笑う。

 そんな二人にシルヴィアは、はにかむような笑顔を向ける。


「そういやオババ……前から思ってたんだがよぉ」

「なんじゃぁ!? せっかく気合をいれようと思っちょったのにぃっ!」


 シルヴィアの宣言に同意を示したガランガルンがポツリと問う。

 気勢をはずされよろめいたシルヴィアを気にした様子も見せず、ガランガルンが言葉を続ける。。


「オババ、クロウの事を『鴉』って意味で『コルルゥ』って呼んでたけど……、そもそも『クロウ』が鴉の意味じゃね?」


 思わぬ問いを突き付けられてシルヴィアの言葉が詰まる。

 古い言葉での『コルルゥ』は今の言葉なら『クロウ』なのだ。

 それを聞き間違えて――あえて言うのなら昔の言葉に置き換えてしまったからこそ、シルヴィアは九郎のことをコルルと呼び続けていた。

 自分の間違いを咎められないように、年寄りだと思われてしまわないようにと……。


「そ、それよりこの家、だ、誰もおらんようになってしまうのぅ! こ、これがホントのカラス……空の巣じゃなかろうかのぅ?」

「上手い事いったような顔すんじゃねえっ! ぜんぜん上手くねえよ! 老人のお寒いギャグで誤魔化そうとすんじゃねえっ!」


 巨大な大木から響いた声は、朝の森へとしみ込んで行く。

 その声に驚いたように数羽の鳥が羽ばたき飛び立っていた。


☠ ☠ ☠


 アクゼリート北東に位置するハーブス大陸。その東南に位置する小国の一つミラデルフィア。

 大国アプサルを北西に控え、その位置から直ぐにでも飲み込まれそうな小国郡の一つである。


 その小国の南西に位置する中規模な港町、フーガの街の外れを行くと見えてくる大きな巨木から、いつからなのか多くの鳥たちが飛び立つ姿が見られるようになっていた。

 南国の極彩色の鳥たちが一斉に飛び立つ姿は密かな街のデートスポットになりつつある。


「もー! 何で3日でこんなになっちゃうの?」

「ほらほら~。文句言わない~」


 早朝の差し込む光を背中に浴びてかしましい少女の声が鳥たちの眠りを覚ます。

 一斉に羽をばたつかせて慌てふためく鳥たちの抜け落ちた羽で、雪が降ったかのようだ。


 酒瓶を一本だけ持って現れた少女達は、羽の舞い散る部屋を頭を庇いながらするすると進んで行く。

 部屋の隅にかけられた梯子を登り、慣れた様子で2階にあがる。


「シルヴィの手紙……ちゃんと残ってるわね! じゃあいつものようにちょっと空気入れ替えて帰ろっか」


 少女の一人、シャルルが小さなテーブルに残された羊皮紙を眺めて笑みを浮かべ、テーブルに酒瓶を置く。


「は~い……」


 ゲルムが不満気に口を尖らせながらも、慣れた手つきで部屋の窓を開け放ち外を眺める。


「シャルル姉さまは……ソレを怖いとは思わないんですか?」

「え~? 最初はびっくりしちゃったけど今は別に……」


 ゲルムはある一画だけには決して視線を向けようとしていない。

 そこにあるものが恐ろしいと態度でしめしている。


「どうしてですか? シルヴィア姉さまも、シャルル姉さまも! なぜソイツが恐ろしくないのですか!?」


 ゲルムは眼を背けながら椅子に座った人影を指さす。

 その指先が震えている事からも、彼女がいかにソレを恐れているのかが良く分かる。


「私達はね……もっと怖い『死』を知ってるから……」


 少し弱々しい笑みを湛えてシャルルは椅子に座ったソレを撫でる。

 人の骨。幾重にも極彩色の布で巻かれた人の髑髏が静かに椅子に座っていた。

 ともすれば恐ろしい『死』を連想させる人骨が、椅子の周りにも静かにその身を横たえている。


 村に散らばった九郎の死体は、結局荼毘にした後全て持って帰って来ていた。

 今までなじみなかった『死』を恐れて、里の者達が九郎の骨を忌むべきモノと捉えている恐れがあった事と、例えただの抜け殻だとしても仲間の死体をそのまま捨て置く気にはなれなかった事が理由だ。

 その内の一体は、ファルアやガランガルンの悪乗りでこうして九郎の格好をさせられて椅子に座っている。

 だがシャルルは少しもそれを恐ろしいと感じない。


 シャルルが九郎の恐怖を覚えなかった理由。

 シャルルは知っていたからだ。自らの身に降りかかる『死』よりも、もっと恐ろしいものを……。

 親しき者の『死』。我が子の『死』。

 それに比べれば目の前の『死』の象徴のなんと頼もしい事か。全ての『死』を撥ね退け、周りの人たちの『死』すら覆そうとする頼もしい青年の姿を思い浮かべてシャルルは優しげに骨を撫でる。


「あら? ……きゃっ!」


 光に照らされ、暗く落ち込んだ眼下の中で小さな囀りが聞こえ、訝しんで顎を開くと、勢いよく小鳥が外へと飛び立って行った。

 

「ずいぶんお気に入りだったようね~。悪い事しちゃったかしら……あら? ふふっ」


 遠くに飛び立つ鳥を眺めてシャルルが暢気そうに呟き、極彩色の布で覆われた九郎の骨に微笑みを浮かべる。

 九郎の骨たちは色とりどりの羽に覆われ、眠る様に横たわっている。

 その目に賑やかな様子にシャルルは一人思いを馳せる。


 捨てられた子犬のように人を恐れ、それでも人を求めていた『不死』の青年。

 賑やかな場が何より好きなくせに、恐れられることを恐れ、泣いていた優しい『不死者』。


(こっちは大分賑やかよ……。クロウ君寂しい思いをして無きゃいいけど……)


 シャルルは飛び散った羽を一枚拾い、九郎の被っている布に刺す。

 子供のころに聞かされた極彩色の鴉の話をふと思い出していた。

 他の鳥の羽で自分を隠した鴉は悲しい終わりを迎えていた。

 自らの全てを曝け出した九郎クロウは――――――――?


 その答えが目の前に広がっている様な温かな気持ちが胸を満たす。


「シルヴィ、そろそろ会えたかな~?」


 伸びをしたシャルルの目には、九郎の髑髏が微笑んでいるように映っていた。

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