第144話  とどのつまり運が悪い


「くそっ! こんにゃろ! とっとと戻りやがれっ! ハウスッ!!」


 火の粉を巻き上げる戦火の中、無碍なセリフが発せられる。


「は~……疲れた……」


 背中から飛び出た『竜牙兵ドラゴントゥース』の腕を、何とかもう一度取り込み終えた九郎が大きく息を吐いてドッカと腰を下ろす。

 終わってみれば呆気ないものだと感じながらも、久しぶりに胸の中には充実感が込み上げている。

『不死』の体が本当に疲れる訳では無い。どちらかと言えば心の中では大きくガッツポーズを取りたい気分だ。


 シルヴィアの故郷を失わずに済んだ。炎に焼け落ちた家はあれど再起不能までには至っていない。

 森林族の誰一人犠牲を出す事無く、事を収められた九郎は失わなかった命を宝物を見るような目で眺める。

 ただ一つきりの命を守れた事は、自分の無限にある命に少しばかりの価値を付けてくれた――そんな思いがしていた。


(なんとか『今日』も勝利を掴めた……)


 九郎にとっての勝利の証。誰も失わずに済んだからこそ手に入れられた証は、恐怖に澱んだ瞳を向けてくる。


(わかってんよ……。充分)


 今回の戦いは自分でも引くくらいの惨劇を残している。

 自分と同じ顔をした大量の死体。

 むせ返るような血の匂いはしばらく消えない事だろう。

 守った者から恐れられる。2度目だろうとも慣れない思いは胸の中に確かにある。


 だが九郎はそれほど消沈していはしなかった。

 シルヴィアを筆頭にファルアもガランガルンも、自分のこの姿を見てさえ仲間と言ってくれたのだ。

 シルヴィアに至っては好意すら変わることは無かった。

 誰かから認めてもらえた心強さは、有象無象に拒絶されても確かな形で心を支えてくれる。


「クロウ君……。その……ありがとね……」


 白む空を眺めながら感慨にふけっていた九郎に、引き気味にシャルルが声を掛けてきた。

 抱き上げたままの自分の死体をどうしてよいのか分からない様子で、微妙な笑顔を作るシャルルの肩は少し震えている。


「怪我なかったか? なら俺も体を張った甲斐があったってなもんだ!」


 それでも九郎は笑顔を向ける。

 恐怖を残しながらでも自分に歩み寄ってくれたシャルルの心意気を感じて、心が少し軽くなる。


「私は……この通り傷一つ無いから……。それよりあっちが……」


 シャルルがそっと視線を外す。

 釣られるように視線を向けた先には、ずりずりと這いずりまわる『魔動死体レブナント』の姿が残っていた。


「やべっ! 忘れてたっ!」


 慌てて九郎は『魔動死体レブナント』の元へと急ぐ。

 元から歯も欠け、武器も無くしてしまっていた『魔動死体レブナント』は殆んど攻撃力も持たず、赤子のように『蜥蜴族ドラゴニュート』の体を這いずっているだけだ。

 自分の代わりの肉盾にと生み出した『魔動死体レブナント』だが、九郎の目論み通りの仕事をしてくれていた。

 しゃがみ込んで震えているが、ゲルムが生きている事が大事なのだから。


「お疲れさん。助かったぜ」


 一言労いの言葉を告げて九郎は拳を炎に『変質』させる。

 殆んど動けなかった『魔動死体レブナント』の残骸だ。数度の攻撃で滅ぼせるだろう。


「いや、こっちの方が良いかもな」


 誰に言うでも無く呟いた九郎は手のひらを『魔動死体レブナント』の頭に添える。

魔動死体レブナント』が九郎の掌に一瞬痙攣すると、砂が崩れるようにその姿を消していく。


「お疲れさん」


 もう一度同じ労いの言葉を告げて九郎は腰を伸ばす。

 自分の代わりに攻撃を受けてくれた『魔動死体レブナント』に攻撃する事を躊躇った九郎は、雄一との戦いの際に削り取った聖なる光を掌から出していた。

 痛みを感じた訳では無いので九郎自身を光に『変質』することは出来ないが、削り取った聖なる光は『魔動死体レブナント』を浄化することが出来たようだ。


「な、なんじゃこりゃぁぁぁ!!!」

「見たまんまクロウの体だろうがっ!」

「あいつ……やられ過ぎだろう……」

「そんなことよりコルル坊は無事か確かめんと!」

「シルヴィの無事の定義を聞きたくなってくんぜ……。その辺で喧しく喚いてんだろ、探さなくても―――」

「コルル坊が泣いとるかもしれんじゃろう!? あの子は結構繊細じゃ!」

「繊細の定義も聞きたくなって来たな……」

「これだけクロウの死体があるってのに、何で俺らは慌ててねえんだろうな?」

「担いでるのがそもそもあいつだ……」


 里の入り口でシルヴィアの叫ぶ声が聞こえる。同時に呆れた様子の仲間の声も。

 これ程頼もしい者達もいないと思えるほど、その声色は普段通りだ。


「おっせえよっ! もう俺が片付けちまったぜ?」


 遠くに見える仲間の姿に九郎は得意気に自分を指さす。


「ならお前も片付けちまってくれ。どーすんだよ!? このお前の山」


 ファルアの軽口を、酷いセリフだとは思いながらも九郎の顔が綻ぶ。

 シルヴィアが顔を輝かせて走って来るのが見える。その瞳に何の恐怖も浮かんでおらず、ただ純粋な喜びに満ちていて、自分の無事を心から喜んでいるのが分かる。

 

「ほら、ゲルム。立てっか?」


 九郎は何気なく傍らに座り込んだままのゲルムに手を伸ばす。

 自分の守った者。それをシルヴィアに誇ろうと。


「い……」

「い?」

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!」


 ゲルムが張り裂けんばかりに叫んで両手を前に突き出した。


「ぶるすぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 強烈な突風が巻き起こり九郎の体が宙を舞う。

 ゲルムの中にあるありったけの魔力を込めたであろう風の魔法は、詠唱も言葉も紡がなくてもその力を表していた。


(やっぱ子供にゃ厳しい光景だったよなぁ……)


 自分の迂闊な行動が彼女の拒絶を招いてしまったと、九郎は吹き飛ばされながら反省する。

 子供であれば自分の姿が恐ろしく感じるのも無理は無いと、どこか自分に言い聞かせるように。


  キュアクキュクァァァ!!!

「んがふっ!」


 ただ次に襲って来た衝撃は予想外だった。

 飛ばされた方向がいけなかったのか、九郎は跪いたまま動かない『蜥蜴族ドラゴニュート』へと吹き飛んでいた。

 恐れを抱いたであろう九郎が風に飛ばされたのを、襲い掛かって来たかと勘違いしたのだろう。

蜥蜴族ドラゴニュート』の一匹が土の壁の魔法を使い、九郎を拒む。

 突如出現した土の壁に激突して九郎はそのまま固定される。

 ゲルムが半狂乱で突風を放ち続けているので身動きが取れなくなってしまう。


「あんな弱っちいのを何でそんなに恐れんのかねぇ」

「そりゃあんな格好だったら女、子供は泣き叫ぶんじゃねえのか?」

「ああ……確かに……。まあ、あの程度の子供の魔法じゃ直ぐに魔力切れになんだろ……」

「コルル坊やぁぁぁぁ! 前! 前を隠しとくれぇぇぇぇぇ!!」


 シルヴィアの言葉に九郎はハッと真顔になる。

 何もゲルムは自分を恐れただけでは無いのかも知れないと、僅かな希望を覚えながら、同時に自分の姿を思い出す。

 朝日に照らされた九郎の姿は全裸で……風に揺られて激しく暴れる九郎ベージュの尻尾が存在を主張していた。


(幼女に手を伸ばすときは大概全裸ってやばすぎんだろっ!! マジで俺『変質者』じゃねえかっ!)


 九郎が慌てて股間を隠す。


 その時体がグラリと後ろに傾く。


「うあ?」


 九郎は最初、後ろの壁が消えたのだと思った。

 壁が消えて後ろに倒れ込んでしまったのだと思っていた。

 自分が壁の中に吸い込まれているとは思ってもいなかった。


「ほへ?」


 何も理解できないまま、間の抜けた声だけを残して九郎は黒い穴に吸い込まれて消えた。

 

☠ ☠ ☠


「は?」


 ファルアが呆けたように声を上げ立ち尽くす。

 今の今迄局部を晒して壁に縫いとめられた九郎が突然現れた黒い穴に吸い込まれていったのだ。

 流石に理解が追いつかず、冷静な筈の自分さえ呆気に取られて間抜け面を晒すしかない。


「そんな……馬鹿な事があるもんか……」


 シルヴィアが呆然と膝をついて震えている。

 あまりの急な展開に、混乱したかのようにぶつぶつと独り言を呟きながら必死に自分を保とうとしている。


「オババっ! 何が起こりやがったっ!? 敵がまだいやがんのかっ!?」


 ガランガルンが緊張した面持ちで周囲に視線を巡らせている。

 突然消えた九郎の姿を探しているかのようにも見える。


「シルヴィ! 何か知ってんだったら言ってくれ! あいつは何処にいっちまいやがった!!?」


 ファルアが声を荒げてシルヴィアの肩を揺する。


「…………た」


 シルヴィアが目の前を呆然と見続けたままポツリと呟く。


「ああん? ハッキリ言えってっ!!」

「吊り合ってしまいおった……」


 ファルアの苛立った声にシルヴィアはもう一度呟く。


「こんな偶然……。なんでじゃぁ……。儂と共に歩いて行くって約束したじゃろう……。ずっと一緒じゃって言うたじゃろぉぉぉぉ……コルル坊やぁぁぁぁぁ」


 呆然と膝をついたままシルヴィアはポロポロと大粒の涙を流し、信じられない偶然に怨嗟の声を上げた。


 そんな馬鹿なとファルアも口元を抑えて呻く。

 ――――吊り合った―――。

 言葉からの予測だが間違い無いように思える。

 ゲルムが放った緑――風の魔法と『蜥蜴族ドラゴニュート』の放った黄――土の魔法の魔力が吊り合ったのではないか。

 両者が偶然放った魔法はどちらも拒絶を意味する魔法だ。

 敵も味方が同時に放った同種の魔法が、偶然同等の魔力に吊り合ってしまった。


 風と土の魔法を同じ魔力量で同じ意味で解き放つ。

 それが『転移』の魔法と転じてしまった。


「確かに……普通ありえねえ偶然だよなぁ……」


 ファルアの言葉は力なくその場に満ちる。

 運が悪いにも程があると、消えた九郎に憐みを向ける。

 敵からも味方からも拒絶された挙句に姿を消した人の良い青年に訪れた憐れな結末。


 子供のように泣きじゃくるシルヴィアの声は朝日が昇りきるまでずっと、ずっと消える事は無かった。

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