第147話 閑話 少女達の見る夢


 アプサル王国レミウス領、アルバトーゼの街の周囲がが黄金に染まる季節。

 広大な敷地を持つが、レミウス領で麦が育つ地域は限られている。標高が高く、水はけも悪いレミウス領は、麦の生産には向いていない場所がほとんどだ。しかも通常夏の初めに終わる筈の麦の刈り入れも、冬の間際になるまで引き伸ばさなければ大きく実が育たないのが現状だ。

 もう少し北に行けば芋類が主な生産物となることからも、豊かとは言えない大地。


「風邪ひきますよ?」


 秋口の冷たい風に自分の肩を抱いたベルフラムに、クラヴィスから心配そうな声がかかる。


「そんなにヤワじゃないわ。ちょっと……ちょっとだけ思い出していたの……」


 ベルフラムは小さく口を尖らせクラヴィスに言葉を返す。

 言葉通り、ベルフラムはこの1年風邪一つ引いた記憶が無い。

 それまではどちらかと言うと病弱な部類に入っていた気もするが、毎日好き嫌いなく何でも食べ、運動もかかすことなく続けていることが関係しているのかも知れない。


 ベルフラムが口元を震わせながら麦畑を眺める姿に何かを感じ取ったのか、クラヴィスはそれ以上何も言わず黙って傍で控えている。


「でも、もう大丈夫よ。帰って夕食にしましょ? 今日はデンテが『弾丸兎バレットラビット』3匹も仕留めたんだって?」

「冬籠り前の『弾丸兎バレットラビット』は美味しいですからね。楽しみです」


 しかし風が冷たくなっているのも確かだ。

 ベルフラムは自分の感傷にクラヴィスに付きあわせるのも――と思い麦畑に背を向ける。

 エーレス山脈から吹き降ろす冷たい風が冬の訪れを運んでくる。


 一陣の強い風に髪を抑えたベルフラムは、風から逃れるようにもう一度麦畑に目を向ける。


(クロウ……もうすぐ私……大人になるわ……。今度は子ども扱い……しないでよね)


 あとひと月もしない内にベルフラムも12歳を迎える。

 このアプサル国では女性は12で成人と見なされる。九郎の嗜好を考えれば男の成人と同じ15歳まで待たないと駄目なような気がしながらも、ベルフラムは胸に湧き上がる感情を包むように抱きかかえる。


 その目には去年、希望と喜びに満ちているように見えた、金色の海原が変わらぬ姿で風にそよいでいた。 


☠ ☠ ☠


(……とは言ったものの……)


 問題は山積みだ……。そう一人肩を落としてベルフラムは溜息を吐き胸を押さえる。


「どうしました? お腹が空きましたか?」


 クラヴィスがベルフラムの後ろから覗きこんできた。


「べ、別にそんなんじゃないわ! ちょっと不甲斐無い自分の成長期を……ってどうしてすぐお腹が減ってると思う……の……よ……」


 ベルフラムは自分の胸をペタペタと触りながら、眉を顰めて振り返り、そのまま語尾を消沈させていく。


 夕食前、客が帰ったあと、この夕日が落ちる前の時間が、ベルフラム達の入浴の時間だ。

 もうベルフラムも風呂を沸かすのにも大分慣れてきている。一日2度の風呂の用意だけで魔力を枯渇させることも無い。もとからかなりの魔力を内包していたベルフラムだったが、アルケヴィータと言う名の大地の底に眠る原始の炎を身に宿したおかげか、魔力量は驚くほど成長を見せていた。

 しかし今憂慮しているのはその成長では無い。


 孤児院の子供達と風呂に浸かりながら、ベルフラムは半眼のままクラヴィスの胸を見やる。


(ずるい……)


 両手で押さえる自分の胸はちっとも成長を見せてはいないと言うのに、年下のクラヴィスの胸は僅かながらも女性らしさを匂わせはじめている。


「わ、私は獣人種ですからっ……。成長が早いんですって……。ベル様も直ぐにおっきくなりますよ」


 何も言葉にしなくてもクラヴィスは直ぐにベルフラムの内心を読んでしまう。

 その事はありがたい程自分を見ていてくれるのだと、ベルフラムに暖かな気持ちをもたらすのだが、ここ今に至っては何とも言えない悲しみを抱かせる。


 確かに獣人種は成長が早い種族だ。老化が早いのではなく、とにかく大人になるのが早いのだとベルフラムは知っている。

 獣人種の多くは狩猟を主としている種族の為か、動けないことが直ぐに死に直結する。

 だからなのか、獣人は人生の中で若々しい期間が長い。クラヴィスの身長も出会った頃はベルフラムよりも低いくらいだったのに、今はもうクラヴィスの方が高い。


 ベルフラムの視線を恥ずかしそうに避けながら、クラヴィスも自分の胸を押さえる。


「それに……」

「見ちゃ駄目よ、クラヴィス……。泣きたくなってきちゃうもの……」


 何かを言おうとして口を開いたクラヴィスを、ベルフラムは慌てて制止する。

 言わなくても分かる。見なくても空気が教えてくれると言わんばかりの存在感。

 子供ばかりのこの部屋の中で、圧倒的に存在感を放っている物体が揺れている。


「ちょっと! ライミー! ちゃんと髪の毛を洗わないとっ! ぴゃっ!? ルクス! 飛び込まないでっ!」


 あそこまで成長できるのかどうにも自信が持てないと、ベルフラムは湯の中に沈んで行く。

 レイアの胸は子供だらけのこの部屋で一人異彩を放っている。


(クロウ……良くレイアの胸を見てたもの……ナイチチもいけるって言ってたけど……)


 思い出す言葉と映像に翻弄されながらベルフラムは自分の胸を見下ろす。レイアが幼少の頃に何を食べていたのかクラインに聞いてみようと、そう決意しながら……。


☠ ☠ ☠


「おねーちゃん、今日も行くの?」


 夜着に着替えたデンテが、ベッドに腰掛け問いかける。


「すぐ帰って来るって。ベル様を宜しくね」


 黒いフードをすっぽりと頭から被ったクラヴィスが、ナイフを太腿に装備し、笑って答える。


 そう心配する事も無いと言ったが、ベルフラムの今の屋敷は人が少なく兵士もいない。

 立地的にも街の東の端で、野盗としては格好の獲物だろう。

 しかしこの屋敷を狙おうと言う者達がいたとしても、それこそ『英雄』クラスでないとそう害されることは無いとクラヴィスは思っている。

 クラインと言う腕の立つ側近が控えているし、ベルフラム自身だけでも一軍に匹敵するほどの魔術師だ。


 クラヴィスはベルフラムを守ると言う責務を自分に課してはいるが、同時にベルフラムは最高クラスの魔術師だと思っている。その思いは主を崇敬するほど大きなものだ。

 クラヴィスの胸の中には未だに山一つを飲み込んだ、あの凄まじい魔法が焼き付いて離れない。

 あの魔法を使わせるという事は、クラヴィス自身の力の無さの象徴でもあるだけに、再び見る事が無いよう祈ってはいるが……。


「今日はベル様とは寝る日じゃないから……ちゃんと耳と鼻はシーツから出しておくのよ」

「あい……。でも……ベルしゃま……いいなぁ……」


 不安げな顔をする妹の鼻を指で押してクラヴィスは眦を下げる。

 デンテが羨ましそうに指を咥えて壁を見ている。

 クラヴィスとデンテの部屋はベルフラムの部屋の隣にある。部屋と部屋とは中で繋がっており、レイアの父親のグリデン邸と同じように、暖気を通す為の穴が作られていた。

 そこから微かに……本当に僅かに香って来る懐かしい匂いにクラヴィスも尻尾が振れる。


「私達は私達で探してるでしょ? もう山まで行って帰って来られるだけの脚力は付いたんだから、後は見つけるだけだよ」


 クラヴィスは妹を励ますように肩を叩き、自分にも言い聞かすように拳を握る。

 いつも欠かさずしている鍛錬は確実にクラヴィス達を強くしている。頑張ったご褒美を貰える日も近いと確信を込めた姉の言葉に妹のデンテも納得したのか、ほんわかとした笑みを見せる。


「じゃあ……おねーちゃん気をつけてね……」

「今日はすぐに帰って来るって! デンテもちゃんとベル様をお守りするのよ?」


 笑みの中に少しの不安を混ぜた妹の頭をクシャリと撫でると、クラヴィスは窓から飛び降り闇に消えた。


☠ ☠ ☠


 獣の脂が燃える匂いに、青臭い匂いが混じる。


「…………種の中身は食べられませんが、実は大丈夫そうですね……」


 独り言を呟きながらレイアは灯りの中でペンを走らせる。


「この味は……弛緩系でしょうか? なら水にさらして成分を抜けば食べられるかも知れませんね」


 ぺろりと唇を舐めながらレイアは羊皮紙に細かく記載を続けていく。

 目の前には新たに見つかった木の実や虫が雑多に並べられている。

 僅かな灯りの下でも分かるほど、レイアの周りには羊皮紙の束が所狭しと積み上げられ、乳鉢やすりこ木などの道具も散乱している。


「……と、これは駄目ですね。子供達には危険すぎます」


 磨り潰した何かを指で舐め取り、顔を顰めてレイアは呟く。

 一瞬目を閉じ瞑想すると、レイアは羊皮紙に向かって書き物を続ける。


 レイアの日課となった『食べられる物の研究』は半年以上たった今、膨大な量の資料を作るに至っていた。

 付近の食べられる食物は粗方調べ終わっており、今は山で採れる食物や、食べ方によっては食べられるのではと思った食材の研究が主なところだ。

 もともと料理に楽しさを覚え始めていたレイアにとって、食材の幅の広がりは確かな手ごたえとして返って来ることや、主のベルフラムが喜んでくれる一石二鳥の研究だった。それに食べられる物を多く知れば知るほど、子供達が飢える確率が減る。

 飢えているものだけは見捨てておけないベルフラムに役立ちたい一心で、レイアは研究を続けている。


「こっちは焼けば……あふっ!」


 幼虫を燭台の火で炙って齧ったレイアが、一人目を白黒させながら口元を押さえる。

 子供達が寝ているのだから、騒ぐわけには行かない。


「ん~……コレはやっぱり無理ひょうそうですね……。おいなぁ……味は良いんですけど」


 舌を出して冷ましながら、レイアは眦を下げる。それでも胸にあるのは充実した気持ちだ。

 今日も新たな食材を見つけられた。自分は役立っていると言う小さな自信。そして――


(食べられない物を食べられないと決めて、諦めていた彼より……)


 主の求める人物に少しでも追いつき、そして追い越したい。

 背中が見えた小さな希望に、レイアの瞳を闘志で燃やしていた。


☠ ☠ ☠


 キイと軽い音を立ててベルフラムの部屋の扉が少し開く。

 夜着に着替えたベルフラムの顔が半分ほど顔を覗かせる。


(誰もいないわよね……)


 音を立てないよう慎重に周囲を伺い、静かな廊下を確認するとベルフラムはそっと扉を閉じ鍵を掛ける。

 カチャンといった小さな音にもビクつく様子を見せながら、ベッドに戻るとそのまま床に這いつくばる。


(今日はちょっと寂しいから……)


 ベッドの下に潜り込み、ゴソゴソと探る音すら気を付けながら、ベルフラムは細長い箱を取り出す。

 箱を目にした時のベルフラムの顔は、慈しみと寂しさと色々な感情が混じっていた。

 逸る心と脈打つ心臓の鼓動が外に漏れていないか心配になる。


(たまにだから……いいでしょ?)


 誰に言い訳するでも無く心で呟き、ベルフラムは箱を慎重に開ける。

 箱の中から出てきたものは白く細長い枕だ。

 ただ、羽毛が詰まっている訳では無い。


(早く会いたいわ。クロウ……)


 ベルフラムは愛おしげに枕をギュッと抱きしめる。

 毎日の夢見を少しだけでも安らかにしてくれるベルフラムの枕は、絶対に人に見られる訳には行かない。

 クラヴィスやデンテであれば大丈夫かもしれないが、それでもこれは駄目だと、ベルフラム自身が思っている。倫理、宗教、外聞……全ての事に抵触しているのは間違いないだろう。


 それでも求めてしまうのだから、自分の心に燃える炎はいかほどの熱を持っているのだろう。


 ベルフラムは枕を抱えてそっとシーツに潜り込む。


「大好きよ……クロウ……」


 小さく呟き枕を全身で抱きしめると、ベルフラムは瞼を降ろす。

 大きな安心が、ベルフラムを直ぐに微睡の中へと誘ってく。


(でも……腐らないなんて思って無かったわ……)


 夢と現の狭間で、ベルフラムは小さな驚き伝えるように腕枕に頬を寄せた。

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