第141話  仲間


「何処に行こうってんだ?」


 暗闇の中に苛立った声が響き九郎がビクリと肩を震わす。

 ファルアが睨むその先には身を屈めた九郎の姿が映る。


「べ、便所だよっ! デカい方だ! 長くなっかもな」


 言わなくてもいい言葉を慌てた様子で言いやる九郎には後ろめたさが滲み出ている。


「クソすんのに武器が必要かぁ?」


 どうして気付かれたのかと九郎が息を飲む。暗闇の中を見通す目を持つガランガルンではあるまいし、背中に隠したナイフの存在まで悟られるとは思ってもいなかったと言ったところだろう。


「て、敵が迫ってんだろ? 護身だよ、護身」


 上擦った声で大げさにナイフを構えて見せる姿は、嘘の吐きなれていない証明だろうとファルアが小さく嘆息する。そもそも武器を掲げて戦う姿すら見せた事が無いだろう―――と。

 その息遣いを納得と見たのだろう、九郎が足を忍ばせ外へと出ていく。


「アホだろ、あいつ」


 ガランガルンが呆れたような呟きとともに身を起こす。

 

「間違いねえな」


 ファルアが喉の奥で噛み殺したようにクックッと嗤う。


「どれについての感想だそりゃ?」


 自分で言っておきながらガランガルンが奇妙な問いかけを投げかけてくる。

 いろいろ有り過ぎて分からんといった、ある意味感嘆の表情を浮かべて。


(さあ……どれだろうな……)


 握った紐の束を器用に弄びながらファルアが自問する。

 ゲルムが飛び込んできた理由、直ぐ近くまで『蜥蜴族ドラゴニュート』が迫ってきているとの情報は、ファルアも独自に得ていた。それでなくても動物の警戒音を聞き分けることの出来るファルアだ。どの距離にどれ程の数が迫ってきているかを鋭敏な感覚が捕えている。

 だからこそギリギリまでこの里に留まっていられるのだ。九郎達を待っていられたのだ。


「あいつが竜眼よりあめえところかぁ? それとも気付かれてねえって思ってやがるところか?」


 ガランガルンがファルアが答えない内に選択肢を迫ってくる。


わりいって思ってやがるところかねぇ? まあそれはうちのお姫さんも同じだけどもな」


 ギラリと歯を剥いてファルアが笑みを浮かべる。

 不器用な二人は人を使うという事を知らなさ過ぎると。表立って言葉にすれば反対されるのは目に見えているだろうが、ファルアもそこまで冷酷では無い。―――少なくとも仲間・・には。


「お前はどっちに付くんだ?」

「盾は足りてるだろうからオババかね?」

「んじゃ、俺はでかいガキの御守りといくか……」


 素直じゃない馬鹿がここにもいたとファルアが笑いを噛み殺しながら、山刀マチェットを取り出す。


(ま、ガランはアレだな……。ばーちゃん心配する孫みてえな感じかねぇ?)


 色の有る無しは俯瞰して見ている者には直ぐに気がつく。視線の合わし方やその所作に相手を気遣う空気が漂っているからだ。女好きのファルアであればそれこそ気付くのは容易い。


あいつらは・・・・・後でたっぷり弄り倒してやろうかね)


 ファルアは凶悪な笑みを浮かべて闇の中で笑う。

 知らない者が見たら、悪魔と見間違えたことだろう。


☠ ☠ ☠


 裸足で草を踏みしめながら九郎は闇夜を走る。

 右手に掲げたナイフは血を滴らせて月の光に不気味に光る。


 ゲルムが飛び込んできて、里に『蜥蜴族ドラゴニュート』が迫ってきていると知らされた時、ファルア達は驚きを見せなかった。知っていたと言わんばかりに肩を竦め、ゲルムも一緒に来るのかと問いかけたのみだ。

 ファルアにはこの里を助けようとする意志が無いようだった。

 仲間を害され、生贄に捧げようとした者達を助ける義務は無いとばかりに逃げ出す算段をしていた。

 それほど慌てていないのは、彼らが熟練の冒険者で自らの身を守る術を得ているからだろう。

 ゲルムは里そのものに不信感を抱いていた様子が有り、滅べばいいとすら言い放っただけに里に留まる事を最初から拒否している。シャルルはと言えば、思うところはあれどと言った感じだろうか。


 ―――彼らは戦う心算が無い。

 本来なら九郎もその提案に諸手をあげて賛成を示しただろう。

 九郎は今でも人を殺すことを恐れている。人の命が軽いこの世界であってもだ。

 地球にいた頃は喧嘩も経験していたが、このアクゼリートの世界の諍いは命のやり取りに直結する。

 人一人を殺したとは言え殺人の快楽に溺れるような、不死の化物と呼ばれるような存在にならない為にも殺しを極力避けてきた。からまれても殴られるだけなら痛くも無い。殺意を向けられても恐怖も無い。

 だが化物と呼ばれる事だけはいまだ心を凍らせる。


「仕方なくなんてねえよ! シルヴィ……」


 暗闇の森を駆けながら九郎がポツリと呟く。

 誰もが逃げる事を選択した時、シルヴィアはそれに同意を示しながらも寂しそうに俯いた。

 その横顔が今も九郎の脳裏に残っている。

 里の人々に裏切られ、生贄にされたにも拘らず、シルヴィアの顔を曇らせたものの正体。

 シルヴィアの性根が優しい――――それだけではない何か。

 その何かに覚えがあるからこそ九郎はこうして走っている。


(故郷ってのは……大事だもんな!!)


 九郎は月を睨んで一人思う。

 シルヴィアの顔を曇らせたのは郷愁の念。九郎の覚えた寂寞の想いだ。

 例え良い思い出が無いとしても、自分が育った地を失うことがどれほど悲しいものなのか。

 失ってしまった・・・・・・・今だからこそ、九郎はシルヴィアの気持ちが分かってしまう。


「何、殺し合いにはなりゃしねえさ……。奴らはビビって逃げ出すだけだ!!」


蜥蜴族ドラゴニュート』が獣人の一派である事は、シルヴィアから聞かされている。

 里の加護の有る無しに関わらず、彼らがこの里を襲って来たのなら抗う術が無い事も。

 力のある者なら、『蜥蜴族ドラゴニュート』を殲滅して守る選択肢も持てるだろう。

 戦う気概があるのなら戦争となることもあり得るだろう。

 だが九郎はそのどちらも選択しないで駆けていた。

 

 ただ怖がらせる。恐怖させる。怯えさせる。そして逃げ帰らせる。


 自分だからこそ持ちえた選択肢。誰しもが九郎をみて怯えた視線を向けていたからこその手段。

 仲間たちの方が特別なのは九郎も薄々感づいていた。

 自分の凄惨な姿を見ても怯えを見せないシルヴィア達の方が異常なのだ。

 彼らは『死』と隣り合わせの生活の中、常に『死』と向き合い、そこに身を晒す事で『死』に確固たる信念を持っている。

 それだけでなく危険な単独ソロの冒険者として生活して来た彼らだからこその思いもあるように思える。


 だがそれでも九郎は独り闇夜を駆ける。

 これから先の自分の姿は彼らの考える『死』すら消し飛ぶ異形の『不死』だ。

 例えどれほど心が強くても…………壊れてしまうかも知れない。


「それに……これは俺の我儘・・だからなっ!」


 自嘲の笑みを溢して九郎は呟く。

 この戦いで命を懸ける等馬鹿げている。シルヴィアを悲しませたくないと言った自分の我儘に仲間を巻き込むつもりは無い。


 里の周りを大きく一週した九郎はそこで足を止める。


「んじゃあ先ずは索敵しねえとな!」


 ニヤリと笑う九郎の額には大粒の汗が流れる。

 疲れている訳では無い。ただのやせ我慢だ。

 九郎は一人佇み瞳を閉じる。


 その左手は肘の先から消え失せていた。


☠ ☠ ☠


 水を掻き分ける波音に高音の息遣いが混じる。

 ゴムを擦り合わせたような聞き取りにくい単語の応酬。

 暗闇で見るからには鰐の魔物、『大顎コベット』と大差ない集団が河を渡っていた。


 ただ一点違いを上げるとすれば、顔の横の水面に月の光を反射する得物を持っていることだろう。

 規則正しく一列に並んで泳ぐ蜥蜴の群れ。


  キュイキュカキュウキュゥイ


 その先頭を泳ぐ頭が甲高い警戒音を鳴らす。

 闇夜であろうとも動物の体温を見る事の出来る彼の目には、川縁に立つ一人の男の姿がはっきりと映しだされていた。

 途端に川面が騒がしくなる。

 バシャバシャと水を蹴る音があがり、ギュイともキュイともつかない声が響く。


「……溺れたりしねえよな……? 鰐っぽいし」


 川縁に立つ男が自問するかのように呟き身を屈める。

 川面に浮かぶ蜥蜴の顔が威嚇するかのように口を開く。武器を掲げる。尻尾を打ち鳴らす。

 そのざわめきにたじろいだ様子を見せた男は慌てた様子で水辺に腕を伸ばす、


「できればぷかぁ~と浮くくらいで耐えてくれよ? 今度は使える技だといいなぁ!

    『付和フォローブ雷同レンドリー』!!!」


 男が叫ぶと同時、川面が一瞬昼間のように明るく光る。紫電の奔流とでも言える眩い光が河を走る。

 一瞬遅れてバチンと弾ける音が響く。何匹かの蜥蜴の頭が呆けたように空を見上げ、そのまま浮かんで流れていく。


 蜥蜴達が恐慌をきたしたかのようにざわめく中、男の呟きがそれに混ざる。


「あちゃぁ~……。手加減しすぎたかねぇ? 結構残っちまったな……って別の場所からも攻めて来てやがんのかよ!? 蜥蜴が包囲殲滅陣なんて生意気なっ!」


 怒りを露わに見せ始めた『蜥蜴族ドラゴニュート』に立ち塞がった九郎は、遠吠えの如く声を張り上げ叫ぶ。言葉が通じない気はするし、先制攻撃を仕掛けておいて今更な気もするがそれでも言っておかなければならないと。


「こっちにくんじゃねえよ! 怖い思いをすることになんぜぇ? 夜に一人でしょんべん出来なくしてやろうかぁ?! トラウマで肉が食えなくなっちまうかもなぁっ! グロイ姿なんか見たくねえだろ!? 俺の!!!」


 恐怖を煽るつもりのその叫びは、えらく間抜けなセリフとなって月夜に響く。

 人間慣れて無いことは出来ない証明であった。


☠ ☠ ☠


「なんでお主がここにおるんじゃ!? ガラン坊!」


 シルヴィアが鼻白んだ表情を浮かべる。


「深夜徘徊の老人の世話……だなっ!!」


 問いかけに対してガランガルンが振り向きもせず答える。

 構えられた円形の斧に甲高い金属音が響く。

 振り下ろされた身の丈を超える片刃の剣カトラスは、弾かれたように宙を舞う。


 里に迫る『蜥蜴族ドラゴニュート』を単独で撃退しようとしたのは何も九郎だけでは無い。

 シルヴィアもまた一人で思い立ち、一人で彼らを追い払おうと画策していた。

 それを見抜かれているとはつゆと知らずに。


「儂を老婆扱いするなと何度言ったら!!」


 シルヴィアが眉に皺を刻んで抗議の声を上げる。その間も何本もの矢を放っているのだから流石と言えるが。


「へっ! 痴呆症のオババが老婆じゃねえって? 笑わせやがるぜっとぉ!!」


 シルヴィアの前に立ちはだかり、その身一つで『蜥蜴族ドラゴニュート』の集団を押し止めているガランガルンが鼻を鳴らす。

 九郎もそうだがシルヴィアも阿呆だとガランガルンは少しの怒りを混ぜながら、厭味を口にする。


 なぜ頼らないのか。自分達がそれ程頼りないのか。

 なぜ言わないのか。自分達がそれほど薄情と思っているのか。

 なぜ遠慮するのか。自分達は仲間では無いのか。遠慮するなと言ったではないか。


 言葉にするには気恥ずかしいが、それはガランガルンの本心だ。

 戦斧バトルアックスを横に薙ぎ、確かな手ごたえが腕に登る。

 耳煩わしい蜥蜴の鳴き声に眉を顰めながらもガランガルンが吠える。


「オババ! リーダーがオカンムリだぜぇ!? いらねえ気遣いをすんなってよ! 言葉も忘れちまったのかぁ?」


 あれほど打ち解けあったではないか。そこに無用な遠慮を混ぜ込む気が知れない。

 それと同時に湧き上がるのは自分に対しての怒りだ。

 まだ守られる立場なのかとの自嘲も許さない悔しさだ。


(もう……俺は坊やじゃねえんだよっ!!)


 胸に今も残る苦い思い。

 20を超えた頃に冒険者として活動し始めたガランガルンも最初から一人ソロだった訳では無い。

 新人の自分を育ててくれた立派な仲間がいた。髭も生えそろわない若造だった自分を温かく、時に厳しく育ててくれた大事な仲間が。――――そう……いた・・のだ。


(見ててくれよ、兄貴達……)


 その身に多くの剣を受けても土で覆われたガランガルンを傷付ける事は叶わない。腕で背中で腹で『蜥蜴族ドラゴニュート』の攻撃を受けながらもガランガルンの心に有るのは悔しさだけだ。


 ガランガルンがずっと単独ソロで活動していた訳。


 ガランガルンは守られたのだ。自分達の実力に似合わぬ魔物に対峙した時、仲間達から。

 前衛職で盾役の自分が、一人だけ逃げ出せるようにと。

 一番若い―――その理由で。 


 盾役の自分一人が生き残った後、ガランガルンは誰とも長くパーティーを組めなくなった。また守られてしまう事を恐れた。逃げ出したというのに―――あの時確かにガランガルンは自らの意思で逃げ出したと言うのにだ。


 酒に逃げ、実力に似合わぬ雑魚を狩ってその日を暮らす。そんな生活をずっと続けていた。

 突き出た腹に溜まって行くのは実力の無さに対しての後悔の思いと自信の無さ。

 伸ばさぬ髭はせめてもの戒め。あの時を忘れない為の自分に対する戒めだ。


 それがまた何の因果かソロ同しでパーティーを組んだ。

 それでも感じるのは九郎とシルヴィアの二人の甘さ。―――また庇われるのではないかとの恐れ。

 そしてそれは現実となってまたもやガランガルンを打ちのめした。

 祭壇を睨む水の蛇から自分達を守ったシルヴィアと、そのシルヴィアの元に残り続けた九郎。

 自分が臆病な事は自覚している。ガランガルンは恐れている。命の終わりを。いつまでたっても無力な自分を。


   キャクイキキャシャ!!!!


 ガランガルンを飛び越える様に『蜥蜴族ドラゴニュート』が跳躍する。

 なまじ硬いのが取り柄のガランガルンを諦め、後続から矢を放つシルヴィアを先に片付けようとしたのだろう。


「はっ!? やらせねえよ!! ――『黄金の扉』、ベファイトスの眷属にして大地の奥の硬き要よ! 阻め! 『クニウム・ソロム・バイス』!!!!」


 ガランガルンの言葉と同時に、二本の巨大な柱が具現する。青黒く光る硬質な輝きを持つ二本の楔。

 シルヴィアと『蜥蜴族ドラゴニュート』を分かつように出現した岩の壁にガランガルンを飛び越えようとした蜥蜴の一匹がぶちあたる。


「ふぁ、ファルアがなな、なんぼのもんじゃいいっ!!!」


 後ろに控えるシルヴィアから明らかに動揺した声が上がる。


「ファルアはこええぞぉぉ? あの顔で睨まれて粗相しなけりゃいいなぁ? 歳だからよぉっ!!」

「ひぃっ……って、せ、せ、せんわいっ!」


 粗方の進路を塞ぐ二本の楔のおかげで、シルヴィアを目指すには自分を倒すしか無くなったのを悟ったのだろう。『蜥蜴族ドラゴニュート』が威嚇しながら武器を構える。


「俺は知らねえからなぁ? 精々二人で叱られるんだなっ!!」


 ガランガルンが叫んだ言葉にシルヴィアが息を飲む。

 勝手な判断で動くと言うことは、こういう事態を招くのだと言外に咎めたガランガルンは戦斧バトルアックスを掲げて雄叫びを上げる。


「『ビア樽』のガランガルン! 酒は命の源よ! なまじっかな攻撃で壊せるとは思わねえこったなぁ!!」


 今でも自分の命は惜しい。だがそれ以上に意気地の無い自分が許せない。

 脳裏に浮かぶのは身を呈して自分を庇うかつての仲間たちの姿とシルヴィアの姿。そして動けないのではなく動かなかった九郎の意志だ。

 だからこそガランガルンは楔を打つ。

 臆病な自分も逃げ出さないようにと。どうしようもないほど甘い仲間を無くさぬために。

 そして―――後ろに続く者達の為に――――。


☠ ☠ ☠


「これでビビらなきゃ怪我すんぜ! 『超絶エクスブロー美人ドボムシェル』!!!」


 九郎が叫んで右手を掲げ、次の瞬間爆散する。

 飛び散る肉片に混じって石が飛び交い、打たれた『蜥蜴族ドラゴニュート』が悲鳴を上げて仰け反る。


「これでそろそろチビッたんじゃ……あいてっ!」


 何本もの刃を体から生やし、それでも倒れない九郎に『蜥蜴族ドラゴニュート』にも迷いが見える。

 何匹かは恐れを抱いて逃げ出している。

 だが獣人故に勇敢な者は九郎をいまだ攻撃し続ける。

 逃げろと信号を送る獣の本能を意思の力でねじ伏せ、恐れを抱かぬかのように剣を振り上げる。


「ったく…………マジで化け物だな……ありゃ……」


 九郎の視界から逃れ、暗闇に身を伏せる『蜥蜴族ドラゴニュート』にナイフを投げながら、ファルアが一人言ちる。

 九郎に必要なのは盾役では無く、俯瞰して周りを見れる者の助けだ。

 自ら体を爆散させ、そのなかで笑う彼に何の盾が必要なのか。


 その目に映る異様さがファルアの心を捉える事は無かった。

 度々傷付いては治る九郎が、かなりの傷も治ってしまう。ただそれだけだ。首すら落とされても無事なのは少々驚きが大きいが。

『死』を体現している筈の彼に『死』の欠片さえ見えないところが彼を道化にしているかのようだ。


 母親の死と同時に生まれたファルアはそもそも最初に『死』を感じていた。

 生き延びられたのは自身の体に少し残った魔族の血のおかげかと今は思っている。

 年端も行かない頃は盗賊として、体が出来上がって来てからは冒険者として生活していくのに何の疑問も抱かなかった。


(奪われねえから奪わねえってか……? バカバカしい……)


 ファルアは苛立たしげに九郎を見つめる。貴族をやっかむ貧者の様に。


 ファルアには戦いの力が備わっていた。人より僅かに強い身体能力と、魔族の血が授けてくれた黒の魔力。

 だが経験の無い若造がいきなり荒くれの中に飛び込んできたのだ。鴨を見れば寄って集って喰らい尽くすのは自然の摂理だ。


 ファルアが無意識に頬の傷を撫でる。

 目の前に映る『死』を嘲笑うかのような人物。『不死』の『化物』。

 決して交わる事の無い筈の異形の怪物。それを眺めている自分の心の平静さに呆れを相する。


 ファルアが単独ソロで活動し続けてきた理由は単純だ。

 ファルアは何度も裏切られてきたからだ。頬に刻まれた刃の痕は、これで最後と自分に言い聞かせて信頼し信用した者達からの返礼だ。

 傷を刻んだ仲間たちは、その後血に沈むことになったのだが……。

 仲間殺しのファルア。ミラデルフィアの首都では未だに言われるであろう『血文字』の二つ名。最後に残した裏切った側の怨嗟の証。

赤文字あかもんじ』がファルア自身が広めた二つ名だとは誰も知らないだろう。

 身元を偽装し、親しいものを作らず、ずっとソロでやってきた。


「さっさと殺しゃあいいもんを……ホントにアホだなアイツは……」


 敵意をむけられたら殺すのは当たり前の事だとファルアは唾を吐き捨てる。

 何度も裏切られ、騙されたファルアにに残ったのは歳にそぐわぬ抜きん出た実力。そして猜疑心と警戒心。

 他人を利用し、裏切られる前に裏切る。それがファルアの生き方だった。

 信用を何度も口にしていたファルアだが、その実誰にも心を開かない……筈だったのだが……。


 藪の中に潜む『蜥蜴族ドラゴニュート』を静かに山刀マチェットで切り裂きながら、河原でまごつく九郎を眺める。

 なぜ自分はこれ程馬鹿げた男に付き合っているのかと自問する。

 目の前の残虐な饗宴に眉を顰めるが、やかましい声が九郎の『死』を否定している。

 おびただしい血の海に沈んだ自分と同じように、九郎も血の海に沈んでいる。

 敵の血か自身の血かの違いの中で。


 血の海に沈んだままの九郎が苛立った様に声を上げる。四肢を彼らの剣に縫いとめられ、首を高々と掲げられているにもかかわらず。


「ってかあんまり時間がねえんだよっ! とっとと尻尾巻きやがれ! これでビビんなきゃ大したもんだぜ!! 『冷たい手ウォームハート』!!!」


 言葉と裏腹にみみっちい手だった。

 九郎は流れ出る血を冷気に『変質』させる。ヒヤッとすればビビると思っているところに九郎のアホさが滲み出ている。足元の血だまりが薄く霜を作り、周囲の熱気がまたたくまに冷え込む。


  クキャグ? キャウィクァーーー!!!


 しかし何事もやって見るものだった。冷気に耐性の無い『蜥蜴族ドラゴニュート』がにわかにざわめき川に飛び込む。獣人の中でも毛皮を持たない『蜥蜴族ドラゴニュート』は頗る寒さに弱い。

 それはそのまま命に直結するほどに。


「返ってズボンを洗濯しとけよ! 二度と来んじゃねえぞ!! って俺も持って帰んじゃねぇぇぇぇっ!!」


 蜂の巣を突いたようにざわめき逃げ出す『蜥蜴族ドラゴニュート』に九郎が鬨の声を上げ、その後慌てふためく。

 あまりに慌てた為か剣に掲げられたままに河を渡って連れ去られる九郎に、ファルアがげんなりと眉尻を下げる。

 恐ろしい姿の筈が、あまりに間抜けな九郎の所為で喜劇に思える。

 

「まったく何やってんだかねぇ……あいつはよぉ!!」


 山刀マチェットを払い血を拭いながらファルアは体を闇から引き抜く。

 自分でも分からない行動にでているとファルアは呆れを自分に向ける。人を信じないと決めた筈なのにと。


(―――あの甘ちゃん共に絆されたってかぁ?)


 思い返してみればシルヴィアを救出しようとしていた頃から自分がおかしくなっていた。

 全幅の信頼を寄せる彼らに反吐が出そうなくらいの甘さを感じていたと言うのに。

 あの時自分は確かにシルヴィア達を守ろうとしていた。その命すら惜しまないで。

 寄せられるだけの信頼に居心地の悪さを感じてそんな暴挙に出たのだろうか……。


「げっ!? ファルア……」


 そう自嘲したファルアの心臓が大きく跳ねる。

 今まで見ていた筈の河原へ視線を向けると、河を渡る九郎の首が遠ざかって行く。

 その首はどう見ても自分と目を合わせていない。それどころかいつの間にか喚いてもいない。


 そして響いた声はファルアの後方。遠ざかる九郎の首とは別の場所だ。


「とりあえず、顔見せろや……おう」


 ファルアが底冷えする声で虚勢を張る。

 心臓は五月蠅い程鳴り響き、息を吸い込む事すら忘れてしまいそうだ。


「う……ウス」


 怯えるような声と共に暗闇に赤い光が灯る。

 血の匂いに紛れて気が付かなかったが、木の幹が赤黒く汚れている。

 それがにわかに溢れだしたかと思った瞬間、その場所から九郎が生える・・・


 余りの異質さに流石のファルアも度胆を抜かれて口ごもる。

 程なくして暗闇から九郎の姿が現れる。その左手だけは未だに治っていないようだが……。


 眉を下げ叱られる前の子供のように怯えを見せる九郎が俯きながら呟く。


「さ、流石に……こりゃあ駄目だよなぁ……。俺でもこれはどうかと思っちまうもん……」

「ああっ!!?」


 言い淀む九郎にファルアが怒声をあげる。飲まれたらだめだと自分の心を叱咤し、精一杯の怒気を込める。目の前に映るのは想像もつかない『不死』の怪物。『死』を冒涜する化物だ。


「やっぱ気持ちわりいってか……グロイって言うか……」


 九郎は俯いたまま消え入りそうな言葉で続ける。


「やっぱさ……怖いよな……俺?」

「お゛お゛お゛お゛ん?」


 ファルアの虚勢に九郎がビクリと肩を竦ませ恐る恐る顔を上げる。

 今にも泣き出しそうな顔をさらに歪ませて。


「おう、クロウ。今なんつった?」


 ファルアの怒気に気圧されたかのように九郎が再度首を竦める。


「俺が怖くねえのかよ!?」

「ほう。お前にビビッちまってると……。この俺がぁ?」

「ファルア落ち着いてくれ……。顔が怖い……」


 眉を吊り上げながらもファルアは笑いを噛み殺すので必死だった。

 これ程滑稽なことがあるのだろうかと。

 人の本能を刺激するような『死』の恐怖を身に纏う男に対して、これほど恐怖を覚えないのかと。


 目の前に映るのは確かに恐ろしい筈の化物なのだが、ファルアはちっとも『死』を感じない。

 その事が滑稽で喜劇じみていて笑いを噛み殺すのに必死な顔は、九郎をさらに恐怖に突き落とす。


「お前……なんで俺が怒ってっかわかってんだろうなぁ?」

「ひぃぃっ!! スンマセン!! 勝手な行動してたッス! リーダーに黙っててスンマセン!」


 ファルアの言葉に九郎が即座に跪く。ぺこぺこと頭を下げる様子は畑を啄ばむ鶏のようだ。

 ファルアはやっとここで自分の中の奇妙な感情に答えを出す。

 あれ程恐ろしい筈の『不死』の怪物をファルアが毛ほども恐れていない理由。

 敵意を向けたというのにそれに気付かず、叱られると思って怯える青年。


 九郎には殺意が全くないのだ。

 仲間に殺意を覚えること自体がそもそもの間違いだと感じているが、ファルアはその仲間達から何度も殺意を向けられてきた。

 だからこそ全てに警戒を怠らず、裏切りの兆候を見逃すまいと九郎達に注意を向けていた。


 殺意の無い相手に向かって吠える犬。まるで柳に怯える小娘のような滑稽さだとファルアは自分を樺見る。


(まったく……これで最後だからな……)


 何度も裏切られた感情を再び抱くファルアは自然と口元を吊り上げる。

 それを見た九郎がさらに怯えた声を上げる。


「俺がそんなにこええのかぁぁぁ? おおん!!?」

「あたりまえだろっ! テメエ鏡見た事ねえのかっ! そんな怖い顔で凄むんじゃねえ! この鬼! 悪魔! 893! ファルア! …………マジスンマセン。調子コイテマシタ……」


 噴き出しそうになるのを懸命に堪えたファルアに、九郎は縮こまって震えだす。


「まったくよぉ……うちの面子は砂糖菓子かってんだよ! 説教は後だ! 他を潰してシルヴィ達と合流すんぞ! ジャック!」


 ファルアは震える九郎の尻を蹴飛ばし走り出す。


「はぁ? ジャックって何だよ!? また二つ名かよ!? 俺は小僧じゃねえ……ってか、なんでシルヴィ達も戦ってんだよ!? 逃げるって言ってただろ!?」


 自分を棚に上げた発言に九郎が再度尻を蹴飛ばされて呻く。


「言っただろ!? 甘ちゃんだらけだってな!! シルヴィも黙ってやり合う心算だったってだけだ! 二人だからって安心してんじゃねえぞぉ! 説教二倍だかんな!」


 ファルアの怒声に首を竦めた九郎が右目を瞑り口元を引きつらせる。

 話を聞いて無さそうな素振りにファルアが再び口元を吊り上げた時、九郎が焦った声をあげる。


「見つけたっ! 結構ヤバそうだっ! わりいっ! ファルア、俺捨てといて!」


 言うと同時に九郎がぐらりと傾き倒れ伏す。


「おいっ!? お前何言ってんだ!?」


 慌てて九郎を抱き起すファルアは今日何度目かの驚愕を表す。

 その肉体は既に躯と化していた。徐々に冷たくなる体温と、動かぬ心臓がファルアに九郎の死を告げている。

 殺意を『死』と捉えているファルアが恐れを抱く事は無いが、それは紛れも無く死した体だ。


「てめえが怖い? 馬鹿言ってんじゃねえぞぉ? クロウ……。この『ビックジャック・イン・ザリ箱・ボックス』がよぅ!!」


 ファルアは驚きと共に笑い声を上げる。

『ビックリ箱』に害は無い。ただ人を驚かすだけの玩具オモチャだ。

 九郎に感じなかった恐怖の訳は、彼が自分を害する者だとは欠片も感じていない自分の甘さなのだと気付いたファルアは腹の底から笑いを漏らす。


 闇夜に低く木霊するその声は、晴れ晴れとした感情を微かに孕んで響いていた。

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