第139話 不死から生まれる命
「まあ……無事に帰って来れたから良いんだけどよぉ……」
気が付くと九郎は『水の神殿』の祭壇、水晶の台座の上に座り込んでいた。
気に成る事は数多く残ったが、それより何より元の世界に戻って来た事が重要だ。
辺りを見渡しても誰も居る気配が無い。
あんな水の蛇が暴れたら流石に誰も近寄らないだろうと、九郎は水晶の光を浴びて寝転がる。
早く確認しなければ安堵の吐息すら吐き出せない。
「頼む……! 上手くいってくれよ!」
九郎は天に祈る様に目を瞑る。
祈る神は今回ばかりはグレアモルだ。あの半老半幼の死神の『フロウフシ』の力が無ければ、大事な人を守りきれなかっただろう。
ベイアが少々不安の残るセリフを残していたが、『フロウフシ』より強力な力が思い浮かばず、強い分には問題ないと意識を離す。
今は何より大事な事―――シルヴィアを生み出す事に集中する。
九郎の胸がにわかに盛り上がり、ピシリと縦に裂けめを作る。
漢字の人の字に伸びた裂け目は九郎の腹を、足を割って伸びて行く。
(シルヴィ! ちゃんと生まれてくれよっ!)
生まれると言うのも何だか変だが、ひり出すよりはマシだろうとそう願う。
肉が裂け、胸が開き徐々に薄緑の髪が目に入る。
寝転がったまま首だけ擡げて九郎は祈る様にそれを見つめる。
生み出す際には僅かな痛みも、血の一滴も出はしない。肉が露わに見え、皮膚下の脂肪が覗いていると言うのにだ。
九郎がまんじりとした視線で見つめる中、薄緑の髪の毛の下に白い背中が見えてくる。
(落ち着け俺っ! 慎重に! 慎重にだ! ヒッヒッフー! ヒッヒッフー!)
意識を途切れさせてシルヴィアが千切れた状態で出てきてしまえば何もかもが無駄になる。
途中で物体が千切れた事は無かった筈だが、人ほど大きなものを生み出すのも初めての事だ。
慎重にしなければ、胸から下がありませんでしたなんてことになりかねない。
目一杯意識を「体を開く」事に集中し、徐々にせり上がって来るシルヴィアの頭を、肩を、体を見つめる。
どれ程の時間が経ったのか。九郎がジッと見つめる中、シルヴィアが大きくのけ反り体を起こす。
緑の髪が水晶から照らされた光に煌めき、息を飲むほど美しい白い肢体が九郎の体を破りせり出す。
それはさながら九郎と言う人の形をした蛹を破り、シルヴィアと言う蝶を誕生させるような、不気味でありながら何処か幻想的とも思える光景だった。
「コルル坊やぁぁぁ……」
九郎の体から生まれたシルヴィアの産声は、涙に濡れて熱い色を纏っていた。
両の腕を九郎の肩から引き抜き、腰を九郎の腹から持ち上げてシルヴィアが九郎の顔を抱きしめる。
ズルリと九郎の太腿からシルヴィアの膝が引き抜かれ、白いつま先を確認してやっと九郎は息を吐く。
「おめでとうございます……。38000
まさか自分が人を生み出すとは思ってもいなかったが、やっと緊張を解いた九郎の口からはそんな軽口が飛び出していた。
「コルル坊やぁぁぁぁ! お主は……儂はちゃんと生きちょるんか!? 夢じゃありゃせんか!?」
シルヴィアは感極まった様に九郎の頬を両手で挟み、滂沱の涙を流しながら九郎の名を呼び続けている。
何度も何度も頬を擦り付け、熱を感じようとしているかのようだ。
はらりとシルヴィアの長い緑の髪の毛が九郎の頬にかかり、外と二人を隔つように緑のカーテンを降ろす。
そして訪れる暫くの沈黙。
水晶の光を浴び、光り輝く台座で沈黙の余韻に浸ったシルヴィアが体を起こす。
少女の様に純粋で、それでいて少し憂いを帯びた翡翠の瞳が妖艶に細まる。
「んふっ……。儂もとことん逆上せておるのぅ……」
「光栄の至りだ…………ぜ!?」
シルヴィアが口元を抑えて頬を赤らめ呟いく。
同時に九郎はもっと顔を赤らめ、視線を泳がすようにシルヴィアから反らす。
「なんじゃ? 照れちょるんか? 愛いやつよのぅ……。儂の唇を奪った時はあれ程震えちょったのに……」
悪戯っぽい笑みを湛えてシルヴィアは九郎の頬を指でなぞり、再び倒れ込むように九郎の胸に胸を寄せ――――。
「ん?」
何かを訝しんだ表情を浮かべる。
「な、なんでじゃ?」
務めて冷静にあろうとしているが、シルヴィアの顔は見る見る九郎の顔色を超える熱を帯びてくる。
九郎の胸にうつ伏せになり、半眼で見つめる瞳は先程の感激の涙とは別の涙を浮かべ、フルフルと震えて小動物のようだ。
「な、なんでだろうな……」
同じく顔を赤らめ視線を反らした九郎は、上擦った声で恍ける。
取り込んだ時は確かに服を着ていた筈なのに、今のシルヴィアは一糸纏わぬ姿であった。
シルヴィアの体を生み出す際にばっちり見ていた筈だが、その時はその胸の膨らみも、しなやかに伸びる太腿も傷が無いかだけを確認していて彼女が裸だと言うのは気にも留めていなかった。
よくよく考えてみればいつも髪を高く結い上げていた紐すら消え、長い髪の毛がさらさらと九郎の胸を流れているのにだ。
(
取り込んだ時と別の姿で生まれてきたシルヴィアに、九郎はそう結論付ける。
考えてみれば、黒犬の牙を生み出した時からその一面は現れていた。
牙だけが手のひらから生み出されていたが、九郎は黒犬の牙だけで無く、それに付随する肉も骨も同時に削り取っていた筈だ。
なのに牙のみを生み出せたのは、九郎が『黒犬の牙』
今回はシルヴィアだけを求め、無事である事だけを願っていたから、その求め通り彼女だけが生み出されたと考えれば辻褄は合う。
(って言う事は……シルヴィのパンツもブラも今は俺の中に……)
体の内側を探る様に意識を向けると、確かに布っぽい物が有る気がする。
「あ、あの……シルヴィ……これ……」
九郎は恐る恐ると言った感じで掌から布っぽい何かを取り出す。
「う、うん……」
色々有り過ぎて混乱しているのか、やけに素直にシルヴィアが手を伸ばす。
(何かティッシュ箱になったみてえ……)
掌からするりと抜けだした下着を見て九郎はそんな感想を抱く。
シルヴィアは胸元を隠しながら恥ずかしそうに俯き、腰を上げる。
腰を上げたという事はいろいろ見えてしまう訳で……。
「そ、そ、その前にもうお、降りねえか?」
自分の理性を総動員しつつ九郎はそう提案する。
今の格好はお互いに裸で、それに加えてシルヴィアは九郎に跨っている。
全裸で男に跨る少女は、見たまんまソレであり気を抜くと九郎のアレが高ぶってしまう。
それでなくても熱っぽい視線を向けられ、シルヴィアの命を救えた事で九郎も気分が高ぶっているのだ。
「そそそ、そうじゃな」
「ちょっ! そのまま下に降りようとするとっ!!?」
シルヴィアは瞳をグルグル回し後ろに退る様に体を滑らせる。
「ひんっ」「ひゃん!?」
素肌の上を滑られシルヴィアと九郎の声が同時に響いた。
シルヴィアが顔を真っ赤にしたままじっとりと九郎に視線を向ける。
威嚇する猫の様な体制で見つめられて、九郎も羞恥に眉を下げる。
シルヴィアは自分が何に触れてしまったのかを確かめる様に小さく身じろぎし、恥ずかしそうに肩を竦ませ小鳥が囀るように口を開き一言だけ囁く。
「え……ええよ?」
――――九郎は泣いた。
恥ずかしそうに顔を赤らめ、しかしながら真直ぐ九郎を見つめてシルヴィアが言った言葉に、九郎は本気で涙した。
この神殿でコトに及ぶ罰当たりさでも無く、心配しているであろう仲間を鑑みた訳でも無く、ただただ自分の不能を嘆いて九郎は泣いた。
血の涙を流さんばかり―――実際に流していたかもしれないが―――で。
どれ程の窮地に立たされようとも、どんな危機に陥ろうとも流さなかった涙は、ある意味自分の力の無さを残酷に突き付けた、今になって留まる事を知らなかった。
☠ ☠ ☠
「ほれ、コルル坊。しっかりするんじゃ!」
「うん……」
シルヴィアに発破をかけられ、九郎が項垂れたまま返事を濁す。
(儂もえらい男に惚れたもんじゃぁ……)
今の九郎は、絶望に立ち向かう凛々しさも、全てから自分を守ろうとしたカッコ良さも微塵も感じさせない情けない物だ。
どちらかと言うと絶望に打ちひしがれた抜け殻の様な感じがする。
シルヴィアの誘いに表情を変えずに涙を流す九郎には、流石の彼女も責める気力を削がれてしまった。
本来なら女に恥をかかせてだとか、自分に魅力が無いのかと怒ったり嘆いたりする所だが、表情を固めたまま滂沱の涙を流す九郎に、そのどちらの気持ちも湧いてこなかった。
自分の不能に涙を流す九郎の方が情けない思いをしているだろうことは、聞かずとも分かってしまい、また、涙を流すほど自分を抱けない事を悔やんでいる様子から自分の魅力の無さを嘆く気持ちも湧いてこなかった。
「儂の見初めた男が女の5人や10人魅了できんでどうするんじゃ! ほれ、自信を持ちぃ!」
パンと景気よく九郎の背中をはたきながら、シルヴィアはカラカラと笑う。
悔しそうに涙を流しながら自分の身の上を語った、九郎に課せられた制約。
『来訪者』の現状がそんな事になっているとはと、シルヴィアは呆れと憐みを九郎に向ける他無い。
普通なら惚れた男が他の女を抱く事を気に病むのだろうが、元来森林族の貞操感はあまり貞淑な部類では無い。それでなくても人生で何度も伴侶を得る種族だ。
長寿故に寿命の違う種族を愛してしまうと、操を立てるには長すぎるのだ。
玄孫までいるシャルルでも、自分よりも若い少女。彼女の心を誰かが射止めればまた番に成る事も大いにありえる。
(まあ……儂は長い間付き合えそうじゃからな……)
シルヴィアも思う所はあっても、その思考の根本は森林族である。
九郎が何人もの女性を侍らす事に少しの嫉妬は覚えるが、人であれば精々50年。森林族の次に長寿の種族、魔族でも4、500年程だろう。
誰よりも長く惚れた男を愛する事が出来る。
その余裕がシルヴィアの中にはあるのだ。九郎が『不老不死』でないと持ち得なかった余裕とも言える。
「シルヴィは……いいのかよ……?」
「あげな『
どちらかと言うとその辺の罪悪感は九郎の方が強いようだ。
『10人から真実の愛を受け取らなければならない』との九郎に課せられた『
九郎は今になってその『
まだ何もやらかしていないのに、まるで浮気を見咎められたみたいだ。
「儂は心配しとらんよ。約束してくれたじゃろ? ずっと傍に居てくれるって」
その情けない姿にさえ心の何処かが刺激されてしまい、シルヴィアは――いよいよ儂もヤラレテいる――と小さく嘆息しながら九郎を見上げる。
シルヴィアにとって一番大事な事は一緒に
失う心配をしなくて良いという事は、それだけで憂いの一つが消え失せ、未来を明るく照らしてくれる。
シルヴィアのはにかんだ笑顔に、九郎は照れた様に頭をかき、「おう」と短く返事を返す。
「それにの……その……ちと恥ずかしいのぅ……流石に……」
照れた様子の九郎を見上げてシシと笑みをこぼしたシルヴィアは、そのまま言葉を続けようとして少し言い淀む。
照れている九郎と同じように顔を赤らめ、もじもじと視線を外すシルヴィアに九郎が怪訝そうに覗き込む。
シルヴィアは覗き込んだ九郎に、意味深な笑みを向けると小さく手招きして辺りを見回す。
誰もいないのは分かっているが、それでも何か大声で言うのは憚られたのだ。
訝しんだ表情を浮かべながら九郎が隣で少し屈む。
シルヴィアは顔を真っ赤に染めたまま、小悪魔の様な笑みを浮かべ九郎の耳元に口を寄せ、熱い吐息と共に囁く。
「儂は……お主とのヤヤコが欲しいしの……」
次の瞬間、九郎はゴフと咳き込む。
まじまじとシルヴィアを見つめる九郎は、それはそれは複雑な表情を浮かべていた。
複雑な表情――自分に不能を嘆く悲しみと、求められた物に対しての困惑と、言葉に対する気恥ずかしさと、向けられた好意に対する喜びと、シルヴィアのはにかんだ笑顔に呆けた様な
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