第138話  獅子身中の不死


「シルヴィ……。俺にシルヴィの全てをくれねえか……?」


 抱きしめた腕の中の少女にこの言葉を伝えた時、自分はどんな顔をしていたのだろう……。


 彼方に見える壁の様な津波を見て、シルヴィアの弱音を聞いて、九郎ですらもう駄目だと思ってしまった。

 もちろん自分自身の命への憂いでは無い。シルヴィアを守りきれないと言う、ある意味命の終わりを悟る事よりも残酷な思いだ。


 あれ程自身に誓ったと言うのに、結局自分の力ではシルヴィアの死を覆す事が出来なかった。

 見捨てまいと、神の眷属の腹の中まで押しかけたと言うのに、彼女の死の時間を僅かに伸ばす事しか出来なかった事を悔やむ。

 あの津波に飲み込まれたら自分は無事だろうか……。そんなの事を考えてしまう程、九郎の心は折れかけていた。

 シルヴィアの言う通り、ここで一緒に終わるのならばそれはそれで良いかとすら思う。

 いつか必ず訪れる筈の『死』を忘れていた九郎にとって『死』が迫る事には恐怖を覚えなかった。

 何度も死ぬほどの目に遭い続けていた九郎にとって、『死』は幾度となく体験している過程が少し伸びた程度の認識になっている。


 だが――だがここで死な・・・・・・・・なかったとしたら・・・・・・・・? ――


 その恐怖に九郎は震えていた。

 シルヴィアと同様、九郎もまた取り残される事を、先の未来を悲しみで満たす事を恐れていたのだ。


 そしてシルヴィアに唇を重ねられ、はにかんだ笑顔を向けられた時九郎の恐れは大きく膨らむ。

 自分の凄惨な姿を見て恐れを抱くどころか、唇を寄せてくるシルヴィアが愛おしく感じ、自分はもしかしたら無事かも知れないが、彼女はこのままでは確実に死ぬであろう事実に恐れ慄く。

 

 そして何より恐れたのはシルヴィアの唇が触れた時に思いついた、ただ一つの希望。

 幸せだとはにかんだ笑顔を見て、九郎はその笑顔を失いたくないと強く願い―――同時に、思いついた希望の恐ろしさに打ち震えた。


 最後の望みに思えるただ一つの手段。

 シルヴィアを守る為の唯一の方法。

 文字通りの蜘蛛の糸――――。


 ―――しかし――――


 思いついた手段を想像し、九郎はその身に走る震えを抑える事が出来ずにいた。

 一歩間違えれば取り返しのつかない事になってしまう。

 確かにその方法なら、九郎が生きてさえいれ・・・・・・・・・シルヴィアは無事だと思える。

 この場所を脱出した後にシルヴィアを・・・・・・解放すれば・・・・・良いだけだ。

 だが同時にこの方法は全てを殺せる力でもある。


 九郎の持つ力の中で未だに最強の座を譲らない赤の光。

 『運命の赤い糸スレッドオブフェイト』でシルヴィアを丸ごと削り取れば―――。


 頭に浮かんだその方法が如何に恐ろしいか、自分が狂気に苛まれているのではと思えるほどだ。

 上手く行けばシルヴィアを失わずに済む。九郎の何処かにある見えない空間は生物を殺す事は無い筈だ。

 その事は腕から生み出す生きた醤油――『塩蝗エンコウ』で証明済みだ。

 だが――九郎の脳裏には幾多の削り取って来た魔物達の凄惨な姿が蘇る。

 上手く削り取れなかったら……そう考えると恐ろしくてたまらない。

 自分の凄惨な姿には毛ほどの感情も抱かなくなっている九郎だが、勝手な事に愛する者の凄惨な姿は見たくない。


 九郎はシルヴィアを抱きしめたまま、彼方に迫る白い津波を睨む。

 残された時間は後僅か……。

 焦る気持ちが心臓を五月蠅い程打ち鳴らし、一歩間違えたらとの想像が足腰を弱らせる。

 それを気付かれないようにシルヴィアを強く抱きしめ、縋るように問いかける。


「シルヴィ……。俺にシルヴィの全てをくれねえか……?」


 ――と。

 命も未来も魂さえも――全てを委ねてくれないかと。


「え……ええよ……。その……時間はそれ程残っとりゃせんじゃろうが……。コルル坊が望むなら……」


 シルヴィアの言葉に九郎は覚悟を決める。

 シルヴィアの言う通り、時間はそれ程残されてはいない。

 心の中の恐怖を押し殺し、九郎は真剣な目でシルヴィアを見つめる。

 全てを委ねてくれると言ったシルヴィアに、何としてでも報いたいと。


(大丈夫だ……。出来る……! いや、やらなきゃいきねえんだっ!!)


 自分で自分を奮い立たせ、九郎は腰のナイフを引き抜く。

 もう自分専用・・・・と言って良い程の長い付き合いのナイフ。


(頼むぜ!? 相棒!)


 九郎はナイフの存在をを確かめる様に握り占める。

 どういう訳かシルヴィアが胸元の紐を解き始める。

 シルヴィアも九郎の考えを理解したのだろうか。

 確かに肌の露出が多い方が良さそうだが、どちらかと言うとこの方法で大事なのはシルヴィアが九郎の体からはみ出無い事だ。

 直線状に全てを削り取る『|運命の赤いスレッドオブフェイト』は、シルヴィアの体が小さいからこそ可能な方法なのだから。

 九郎は首元にナイフを押し当て息を吸い込む。

 もはや痛みを感じる唯一。未だに想像すると怖気の走る行為にゴクリと喉が鳴る。


「さささ、さあ……めめめ、召し上がれ―――――?」

「へ?」


 何故だか両手を広げて顔を赤らめたシルヴィアに、九郎は機先を外されナイフを滑らせた。

 首筋の頸動脈を断ち切り噴き出した血潮は、シルヴィアの呆けた顔を更に赤く染めていた。


☠ ☠ ☠


「お主はほとほと言葉が足らんようじゃ……」


 顔面を九郎の血で染め、慌てふためいて泣き出していたシルヴィアがようやく落ち着いたのは少し後のことだった。


「焦ってたんだよ……。俺も! ってか出来れば手伝って欲しいんだが」

「一瞬そうゆう趣味でもあるんかと思うたわ……しかし……」


 この状況でヤラシイ願いを口にするほど自分は愚かだと思われていた事に少し憤慨し、どちらかと言えばいやらしいのはシルヴィアでないかと口元を緩める。

 たがそれもつかの間、自傷の痛みでそれどころでは無くなり、九郎は引きつった笑みを浮かべて刃を走らせる。


 足元の水は既に赤黒く染まっており、どれだけの量が流れ落ちたのか想像もつかない。

 血液の全てを出しきってでもシルヴィアを自分の血で染め上げなければと思っている九郎は、体中に刃を走らせ今や血の出る噴水と言った所だ。


 手伝って欲しいと懇願されたシルヴィアだが、九郎のナイフを受け取ることを躊躇する素振りを見せる。

 いくらシルヴィアに傷付けられた方が痛くないとは言え、愛する者の体に刃を突き立てるのは酷なのだろう。

 九郎は眉尻を下げるシルヴィアからナイフを取り戻すと、顔を歪めて再び体を傷付ける作業に戻る。

 既に彼方に見える津波は天を隠すほどに迫っている。

 体を揺らす地響きが恐ろしい音を奏で、終わりの時を演出しているかのようだ。


「シルヴィ……」

「何じゃ?」


 体中の血を粗方流し尽くし、お互いが血濡れで真っ赤になった状態で九郎はシルヴィアを抱き寄せる。

 シルヴィアが抵抗もせず、されるがままに九郎の胸に抱かれ、血に染まった顔を上げる。


「その……もしかしたら俺……シルヴィを殺しちまうかも」


 九郎の言葉は再びシルヴィアの唇で遮られる事になる。

 一瞬重ねた唇を素早く離すと、シルヴィアは少し怒ったような顔をする。


「それはさっきも聞いたわい。ええよって言うたじゃろ? どの道死ぬ運命なんじゃから失敗しても責めはせん! こんなになってまで儂を助けようとしとる男をどうして恨むと思っとるんじゃ!?」


 心外だと言わんばかりに口を尖らすシルヴィアは、不安げな顔の九郎の顔を胸に抱きかかえる様に引き寄せる。

 そして諭すように優しく頭を撫で、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「ほんに……阿呆じゃ阿呆じゃ思うとったが……お主は驚くほど諦めが悪い阿呆じゃな……。あの状況になってさえ、儂を生かす事を諦めちょらんかったんじゃから……」


 愛おしげに九郎の頭を撫で、シルヴィアは呟く。

 流石にもう終わりだと思った時でさえ、この男はシルヴィアの命を諦めていなかった。

 震えていたのはシルヴィアの命の為で、シルヴィアを傷付けるかもといった些細な事を恐れていた。

 九郎自身の命は路傍の石ころみたいに打ち捨て、その意識の中に欠片も存在していない。

 その事を慮ったシルヴィアは少し悲しげに眦を下げる。


 無私の献身と言えば聞こえは良いが、九郎にはそれだけでない儚さが有るような気がして胸に泡立つ感情が込み上げてくる。


(ほんに……阿呆で、諦めが悪くて、頑固で、一生懸命で……優しい男じゃな……)


 小さく嘆息してシルヴィアは九郎の頭を解放する。

 既に覚悟は出来ていると、視線に力を込め九郎を見上げる。


「儂は冒険者じゃ! 『死ぬ』覚悟はとうに出来ちょる! 儂は、儂の意思で、お主に全てを、運命を委ねるんじゃ! 例えどうなろうともそれは儂の責任。お主が気に病む必要はありゃせん!」


 初めて九郎が自分を打ち明けた時、仲間と共に伝えた冒険者の心得。

 ファルアが諭した命に対する矜持をもう一度伝える。


「それにお主の力は、全てを、魂さえも引き込むのじゃろ? なら儂は何の憂いもありゃせんよ。欠片だけでもお主の中に残れるんじゃ……。惚れた冥利に尽きると言うものじゃ!」


 それはシルヴィアの純粋たる思い。

 後顧の憂いも無いと胸を張ったシルヴィアは再び九郎の胸に飛び込み、九郎を見上げる。


「じゃあ……いくぜ?」

「この格好……この体勢だとそのセリフもえらく卑猥に聞こえるのぅ……」


 九郎の言葉にシルヴィアがシシと笑う。

 九郎は既にズボンも何もかもを脱ぎ捨て全裸の状態だ。

 シルヴィアの言葉に眉を歪めた九郎は、自分の腰に巻いていた血を吸って重くなっている毛織物をシルヴィアの背中に羽織わせる。

 できれば自分の皮を被って欲しいと思っていたが、流石に皮を剥ぐ時間は残されてはいない。

 出来るだけ体が九郎と重なる様に肌を重ね合せながら、シルヴィアは小さく体を縮こまらせる。

 

 押し寄せる津波はもう後少しの所まで迫っている。

 赤く染まった血溜まりに波が立ち、大地が揺れる。

 逡巡をしている時間も無いと九郎はシルヴィアを抱きしめ叫ぶ。


「シルヴィはやっと見つけた俺の運命の女神さまひとなんだっ! 手離してたまっかよぉっ!! 『|運命の赤いスレッドオブフェイト』ぉぉぉぉっ!!!」


 叫ぶと同時、九郎の流した血が一斉に赤い光を纏わせる。

 赤い霧となった光が次の瞬間糸を伸ばす。

 赤い糸。文字通り九郎にとっての最期の希望、地獄から抜け出す蜘蛛の糸。

 同時に命を繋ぎ、未来を繋ぐ運命の糸。

 その全てを手繰り寄せるかのように赤い糸がおり重なり、一瞬赤い光が弾ける。


 次の瞬間全てが消え失せていた。


「残ってねえよな!? ねえな!? ねえよなっ!????」


 体に収められたシルヴィアの感覚を確かめ、安堵を浮かべる間もなく九郎は這いつくばって確認する。

 足元の水も空気も何もかもが忽然と姿を消している。


「ねえな!? 忘れもんはねえな!? 大事なもん忘れてねえだろうな!??」


 もう後は運と自分の『不死』を信じる他無い九郎は、光すら覆い隠す様な巨大な津波を見てはいない。

 這いつくばり、やっと何も残っていない事に息を吐いた九郎はそのまま波に飲み込まれ消えて行った。


☠ ☠ ☠


 ――――オナカ痛イ……オナカ痛イヨゥ……――――

「どうしたの!? 坊や、大丈夫なの!?」


 耳に甲高い子供の泣き声と、鈴の様な女性の声が聞こえる。


(まだ……死んでねえみてえだな……)


 瞼の外に光を感じ九郎がボンヤリ薄目を開ける。

 白い―――何も無い白く眩しい空間が薄眼の間に映る。


 大津波に飲まれ、一瞬で消え失せたかのように思えた九郎だったが、残る意識も、感じる鼓動も自分がまだ生きている事を伝えてくる。


 ――――キットアノ不味イヤツダ! アレガイケナカッタンダ!!――――

「あらあら? また私に内緒でつまみ食いしたのかしら……? ちょっと見て来るから待ってなさい」


 綺麗な女性の声が子供をあやすように優しげに響く。


(……どっかで聞いた気がすんなぁ……この声……)


 九郎は身を起こして片膝をつき頭を掻く。

 消滅したかと思えた自分が、未だに肉体を留めているという事は何だか不思議な感じがするが、自分の『不死』がいかに強力な力なのかを改めて知り半ば呆れる気分だ。


「細胞一粒からでも復活出来るんは知ってたけど……まさか意識だけで戻れる・・・とはなぁ」


 あの瞬間九郎は肉体を消滅させていた筈だ。

 だがそう感じた瞬間体の『再生』は始まっていた。

 一瞬だけ消え失せた体に遅れて、意識――魂とでも言うものがすぐさま体を作り出していた。

 死へ向かう魂と肉体との那由多の齟齬が、自分を生き長らえさせたのだと感じて九郎は安堵の溜息を吐き出す。


「しっかし……今度のここはいったい何処だ? さっきのが胃だとすると腸あたりか?」


 九郎は周囲を注意深く観察する。

 何もさえぎる事の無い白い空間。床も周囲も真っ白で何処か最初に訪れた『白い部屋』を思い出す。


(……ここがあの白い部屋だとすると俺は後一秒後に死ぬ? 『不死』の俺が?)


 思い出してみるとあの部屋でも、自分は死んでいた訳では無い。ただ一秒後に死ぬであろう事を伝えられただけだ。

 だが今の九郎に一秒後の死などありえない。

 一秒も有れば十分に復活出来るのだから。 


「おかしいわねえ……。魔力が残っている感じはしないのだけど――――!?」

「おわっ!?」


 考え込んでいた九郎の耳に、遠くから聞こえていた女性の声がいきなり耳元で響く。

 驚き振り返る九郎だが、辺りに視線を彷徨わせても、白い世界が広がるだけで変化も何もありはしない。


「あらあら? クロウ・フジじゃないの? あの子ったら何でこんなもの食べて……」


 変化が無い訳では無かった。

 何も無い白い部屋だからこそ気付けた変化。白い部屋の床に青い一粒の点がしゃべっていた。

 青い点、それは小さな小さな青い色の蛙だった。


「俺に蛙の知り合いはいねえ筈なんだが……」


 蛙の口からは涼やかな女性の声でハッキリと自分の名を呼んでいた。

 こんなもの・・・・・とのセリフは引っ掛かりを覚えるが、今は蛙が自分を知っている事の方が驚きが大きく咬みつく気も起きない。


「あなたの『神の力ギフト』は『フロウフシ』と『ヘンシツシャ』よねぇ……? あの子に食べられて無事な筈が無いのだけれど……」


 九郎の呟きが聞こえてないのか、青い蛙はぶつぶつと考え込んでいる。

 しかしその口ぶりからは目の前のこの小さな蛙が、九郎が『来訪者』である事も、『神の力ギフト』を持っている事も知っている様子だ。

 

「えーっと……どちら様で?」


 蛙に向かって尋ねると言う感覚にそこはかとない奇妙さを覚えながら、九郎は再度問いかける。

 聞き覚えのある声から、どこかで会ったのかと記憶を手繰り、やはり蛙に知り合いはいない筈だと可笑しな結論に達する。


「アイツら……何か隠してたんじゃ……。しかしグレアモルが嘘なんか書くかしら……? でも――――」


 青い蛙は九郎の言葉が聞こえていないのか、ひたすらぶつぶつと思考に耽っている。


(駄目だ……。聞いちゃいねえ……。しかし今グレアモルの名前が――――)

「ああああああっ!!! あんたアレだろ!? 俺を空に放り出した奴! 最初のナビゲータだろっ!!!」

「ひょぇっ!??」


 九郎がバンと床を叩き、大声で叫んだ。

 衝撃によって小さな蛙が飛び跳ね、驚いた様に悲鳴を上げる。


「どっかで聞いた覚えがあったと思ったら! いきなりデストラップに放り込んでくれやがった恨み! 今ここでぇぇぇ!!」

「ちょ!? ちょっと待ちなさいよ!? 女性の体をそんな無体に扱うもんじゃ!!? あ! 止めて! 食べないでっ!!」


 小さな蛙を引っ掴んで怒りを表した九郎に、足を掴まれた蛙がじたばたと暴れる。

 鈴の根の様な凛とした口調からてっきり美しい女性と思い込み、溜飲を下げていた九郎だが、蛙の姿だと途端に憎らしさが込み上げてくる。

 だがどれほど怒りに飲まれようとも、九郎の中にある一つの事象が九郎を冷静にと引き止める。


「喰われたくなかったら、とっとと元の世界に戻してくんねぇかなぁ? ほれほれその可愛い体を丸ごと喰っちまうぜぇ~?」


 獰猛な笑みを浮かべ舌なめずりをしてみせる九郎に、蛙から小さな悲鳴が上がる。

 九郎の頭の何処かでこの蛙が神に連なる何かだと訴えているが、それよりも大事な事はシルヴィアを無事に帰す事だ。

 先程漏れ聞こえていた子供の声が九郎達を飲み込んだ水の蛇だとすると、この蛙が親の様なものなのだろうか。

 出口の見えない空間に置かれた今、脱出のカギを握っているのはこの目の前の蛙以外にありえない。

 縋る思いで飛び付いた蛙、ある意味最高の人質が手元に転がって来たチャンスを逃すまいと、九郎は形振り構わず脅しに掛かる。


「わかったわ! 分かったから体を舐めないで!! あんっ……。……違うわよ!? びっくりしただけなんだからっ!」


 何処かのツンデレの様な悲鳴を上げて蛙が両手を組む。


「ほんとうかぁぁぁぁぁ!? もし嘘だったらぁぁぁぁぁぁ!?」

「本当よ!! ワタシカミサマ。ウソツカナイ! あんっ! 駄目よ! 子供が見ているわっ!」


 やはりこの蛙も神様の一柱だったのかと、背中に嫌な汗を掻きながら九郎は怒りの矛を収める。

 どうにもこの世界の神様たちには威厳が感じられないと、最初に出会った疲れたサラリーマンの様な歯車を思い出す。


「それじゃあ宜しくお願いします!」


 しかし、窮地を救ってくれるのなら其れなりの敬意を表さなければと考え、九郎は態度を改め蛙を床に降ろして頭を下げる。


「え……。もうちょっと……いえ、何でも無いわ! 殊勝な心がけの様ね!? その態度に免じてこのベイアが貴方を元の世界に戻してあげるわ!」


 この蛙には変な性癖でもあるのだろうか。

 少し物惜しげな声を上げた青色の蛙、ベイアに引きつつ九郎は縋る様な視線を向ける。


「まあ、どの道あなたがここにいたら坊やが苦しむようだから……追い出そうとしていたのだけども……」


 ベイアがあっけらかんと言い放ちながら、小首を傾げる仕草をする。


「あなた本当に『フロウフシ』なの? そんな程度の『神の力ギフト』で坊やの力を上回れるとは思えないんだけど……」


 続くベイアの言葉に九郎の心臓が跳ね上がる。

 今までずっと一番頼りになって来た九郎の『不老不死』の『神の力ギフト』が、違うのではと聞かされ、何かが足元から崩れて行く様な感覚に陥る。


「え!? ちょ!? どういう意味―――」


 ――――ママ! オナカ痛イヨゥ……―――――


 九郎が驚き尋ねようと口を開いたその時、部屋に子供の声が響く。


「あらあら、坊や。直ぐに悪い虫は外に出すからもう少し我慢なさい」

「ちょ!? ちょっと待って――」


 腕を伸ばして言葉を続けようとした九郎の足元に大きな水たまりが現れる。

 体が沈む――――!? そう感じた瞬間、九郎の体を浮遊感が襲う。

 感じた事のある感覚。

 最初にこの世界に飛び込む際に感じた、上下も左右もあやふやな水の中を揺蕩う感覚。


「坊や? どうかしら? お腹はもう大丈夫?」


 優しげなベイアの声は九郎にはもう聞こえない。

 トプンと水に沈むように、九郎の体は白い部屋から姿を消した。

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