第135話 生贄の祭壇
「爺殿はそれだけ長く生きて、何を惜しみ、何に縋る!? 何もして来んかったお主がっ! この先何かを成すつもりが有るのかっ!! 成長もせず虚ろな大木なぞ、中はすっからかんじゃろうが!!!」
光の届かない洞窟を走る九郎達の耳に、シルヴィアの啖呵が届く。
「おうおう、オババおかんむりだぜ……」
先頭を走るガランガルンが呟く。
「とっとと走れっ! うすのろっ!」
後続のファルアがガランガルンの尻を蹴飛ばす。その顔にいつもの余裕は見えず、苦虫を噛み潰したように顔を
朝方に襲って来た森林族の男達を脅して聞き出した話に、ファルアの顔は一番の凶悪さを見せた。
『水の神殿』に魔力を満たす為に、シルヴィア、シャルル、ゲルムの三人を生贄に捧げる『儀式』を執り行うと聞けば、ファルアでなくても怒りの形相を浮かべるだろう。
九郎とガランガルンもあらん限りの怒りを表したが、男達を詰っている暇も無いとすぐさま駆け出していた。
普段ならファルアが先頭を進むのだが、シルヴィア達が攫われたと聞いて、灯りを持たず近付かなければと考えたファルアが、洞窟で生まれ、生まれつき暗闇を見通す目を持つ鉱山族のガランガルンに先頭を走らせているというわけだ。
だがガランガルンの速度はファルアの苛立ちを募らせるのだろう。
いつもの軽口では無く、言い放つ言葉も辛辣だ。
それでもガランガルンも鉱山族の中では素早い方で、後ろに続く九郎は付いて行くのがやっとである。
怒気を籠らせた男達は、何日も籠った洞窟内は殆んど地形を覚えている事も有って、ほぼ全速力で暗闇の中を進んで行く。
僅かな光が段々と大きく広がり、見覚えのある平坦な壁に差し掛かる。
「どんな危険があるか分からねえが、露払いは頼んだぜ!? クロウ!!」
「おう! 例え細切れにされようとも俺の心配なんかすんじゃねえぞっ!?」
「男は体張ってなんぼだ! 誰もお前の心配なんかしねえよっ!」
一気に駆け出し始めたファルアが、拳を突き出す。
九郎とガランガルンがそれに拳を打ち付ける。
誰かが潜んでいるかと警戒していたが、ここまで辿り着いたのなら、後は突っ込むのみだ。
時間があるのなら忍び寄って救い出す事も出来たのだろうが、シルヴィアの叫び声から余裕はそれ程残されていないように思う。
道中決めた作戦をぶっつけ本番で成功させるしかない。
「うらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
青い光が満ちる祭壇に向かって九郎は駆け出す。
唸り声を上げ、隠れず姿を晒し、蛮族の様に猛々しく。
敵の注意が九郎に向けば向くほど、ファルアやガランガルンが動きやすくなる。
囮役は九郎の望むところだ。
足の腱が千切れて修復を繰り返し、一歩ごとに加速して行く。
「何だっ!?」
「きゃぁぁぁっ!!」
祭壇の下に10人ほどの森林族が壇上を見上げていた。
突然飛び出してきた九郎達に驚きの声を上げるが、攻撃してくる様子は無い。
それどころか逃げる様に道を開いた事に、少し拍子抜けした九郎だが壇上に見える青い魔方陣ににわかに顔色を変える。
九郎がマヤ文明のピラミッドのような水晶で出来た階段を3段飛ばしで駆けあがり――
シルヴィアを飲み込もうとしている大きな青い蛇が見えた。
「『
九郎が雄叫びを上げて振り回した拳は、青く輝く水の大蛇の横面を叩き、派手な音を立てて弾け飛ぶ。
大蛇の頭も、九郎の腕も―――。
「…………コル……ルゥ…………」
「シルヴィッ! シャルル! 無事か!!?」
脇目も振らずに九郎がシルヴィアの元へと駆け寄る。
「貴様何をすっ――――」
マグナルバが突然飛び込んできた九郎に杖を向け、短く呻いて倒れ伏した。
「いくら身内つったってなぁ? 限度ってもんがあんだぜぇ!」
ファルアがマグナルバの背後から近付き、
普段から凶悪な顔を今は更に凶悪に、悪鬼の如き形相と底冷えする声で怒りを表している。
「そんなっ!? 『儀式』を途中で止めたら……!」
突然現れた九郎達に森林族の女性が同時に振り向き、声を荒げた。
『儀式』と言う言葉に九郎は息を飲む。
『儀式』と聞いて九郎が思い浮かべるのは、赤髪の少女ベルフラムが山をも覆う魔法を解き放ったあの瞬間だ。
神々しいとまで言えるあの魔法は、『神の眷属』をその身に降ろして行ったと聞いている。
だが、それは諸刃の剣と後から聞いた。普通ならその命と引き換えに『神の眷属』を呼び寄せる『儀式』。
マグナルバがそれを執り行う為にシルヴィア達を生贄にしようとしていたならば……。
――――盟約ニシタガイ来タト言ウノニ、何ノ糧モヨコサナイノ? ――――
九郎が息を飲んだ次の瞬間、ガラスを擦り合わせたかのような甲高い声が祭壇上に響いた。
振り向いた九郎達の目の前には、頭を吹き飛ばした筈の水の大蛇が、九郎の腕と同じように一つの傷跡も残さず再び形を戻している。
「こいつはやべえっ! とっととずらかんぞっ!!!」
ファルアが顔を顰めて叫ぶ。
目の前には鎌首を擡げ、次の獲物を狙う水の大蛇がチロチロと舌を出し入れしている。
ファルアは瞬時に敵の危険さを感じたのか、端から戦う事を選択せずに逃げを選んだようだ。
「き、貴様らは、かかか、神の怒りに触れたのだ。は、早く生贄を元の場所に戻せっ!」
マグナルバが後頭部を擦り、狼狽えた様子で声を荒げる。
表情の乏しい人物とは思えない狼狽えようだ。
だが誰もその声も次の瞬間、引きつった悲鳴に変わった。
「うわあああああああっ!」
マグナルバの言葉と同時、森林族の女性の一人が悲鳴を上げていた。
その悲鳴が言い終わらぬ内に、女性の姿が掻き消える。
―――――喰われた―――――
誰もが一瞬でそれを理解する。
水の大蛇が森林族の一人を丸呑みにしていた。
何の抵抗も出来ず、大量の水に飲み込まれたと思った瞬間、その森林族は姿を消していた。
――――――足リナイ――――――
水の大蛇が舌を出し入れしながら短く呟く。
次の獲物を求めて舌なめずりをしているかのようだ。
「ひぃっ!!!!」
マグナルバが息を飲む音が響く。
自分で呼び出しただろう化物の姿に、今更ながらに慄いている。
―――――モット……モット欲シイ……――――
水で出来た大蛇が感情の映らない瞳を壇上に向けた。
「ひっ……! ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
それが限界とでも言わんばかりに、マグナルバともう一人の女性が恐怖に顔を歪めて逃げ出そうと後退る。
バシャン
バケツで水を撒いたかのような音がした。
今までそこで恐れ慄いていた筈のマグナルバ達の姿が消え失せている。
後に残った水の跡が祭壇上から階段を滑り落ち、小さな水の蛇となって再び大蛇へと戻って行く。
「神の使いがお怒りになったぁぁぁぁぁぁ!!!!」
下でその様子を見上げていた森林族の者達がパニックを起こして一斉に逃げ出しはじめた。
にわかに洞窟内に喧騒が渦巻く。
逃げ惑う人々の声。それをかき消す様にガランガルンの怒号が響く。
「やべえっ!! 来るぞ!!!」
ガランガルンの言葉に弾かれたように、水の大蛇が大きな口を開けて襲い掛かって来る。
祭壇上の誰もが目を瞑ったその時、擦れた声が響く。
「――――し……『深緑の旅団』アーシーズの眷属にして焔を遮る硬き壁よ! 留まれっ!!! 『スクートゥム・ウェント・バイレス』!!!」
吹き荒ぶ嵐の壁が九郎達と水の蛇の間を遮るように現れた。
大口を開けて突っ込んできた水の大蛇が、ガラスにぶつかったかのように動きを止める。
「は……早う……逃げるんじゃ……」
縛られたままの状態でシルヴィアが苦しそうに顔を顰めている。
風の壁の魔法が、大蛇の咢にグワンと形を歪ませる。
「「「馬鹿言ってんじゃねえっ! 仲間を見捨てて逃げるなんざ出来る分けがねえだろうがっ!!」」」
九郎達の声が見事に重なった。
危険だからとすぐさま逃げを決めたファルアでさえもだ。
必死に鎖に武器を打ち付けているガランガルンも、引きつった笑みを見せる。
水の蛇が祭壇ごと飲み込もうと風の壁に齧りついて来て、シルヴィアが呻く。
「シルヴィっ! 早く逃げねえとっ!」
九郎が叫ぶ。
シャルル達を抱えたファルア達が焦りの表情を浮かべて此方を見ている。
シルヴィアを縛っていた鎖ももう解けている。
だが――――
「儂が力を抜いたら……その時点で終わりじゃよ……。ほれ……早う逃げるんじゃ……」
シルヴィアが小さく笑って答えた。
大蛇の咢から九郎達を守っている風の壁。
その風の壁を解き放てば、眼前に迫る大蛇の咢は直ぐに祭壇ごと九郎達を飲み込んでしまう。
「馬鹿言ってんじゃねえって……」
ファルアの言葉にシルヴィアは微笑を浮かべて首を振った。
シャルルを抱きかかえたファルアとゲルムを抱きかかえたガランガルン。
そのどちらもシルヴィアの言葉の意味を分かっているのだろう。
大蛇の咢は風のドームを丸ごと飲み込もうと迫った状態のまま止まっている。
もし術を解けば、皆が丸ごと飲み込まれてしまうのに一秒と掛からないだろう。
「ファルア……リーダーじゃろう? 辛い選択をさせてしまうが……堪忍しておくれ……」
シルヴィアの額に汗が噴き出ている。
押し止めているだけでも辛い事を、何よりその表情が物語っている。
「何か他の手はねえのか!? オババを犠牲になんて出来ねえよっ!!」
ガランガルンが悲痛な叫び声を上げる。
助け出したと思った瞬間、その手からこぼれ落ちた仲間の命。
ここまで来てそれは無いだろうと苦面を晒す。
日頃シルヴィアをからかい、いつも皮肉気に顔を歪めていたガランガルンの表情は、今は悲壮感から悲しげに歪んでいる。
「ガラン坊……最期までオババ呼ばわりは酷いじゃろうに……。じゃが……お主の言う通り、儂がこの中で一番年寄りじゃ……。儂より若いもんが先に逝くのは見とう無いんじゃ……。分かっておくれ……」
苦しげな表情ながらもシルヴィアの声色は優しい。
魔力を放出した時に既にシルヴィアの覚悟は決まっていた。
先に魔力が付きて命を散らす事を覚悟していた。
それが九郎達の助けが入った事で、シャルルやゲルムが確実に助かるのであれば後顧の憂いも無いと言うものだとシルヴィアは笑う。
「早うっ! もう魔力が持たんのじゃ! シャルル達を……宜しく……頼むぞ……」
「くっそぉぉぉぉぉおお!!!」
シルヴィアの苦しげな声にファルアが罵声を叫んで天を仰ぐ。
結局助けられない事を悟り、自分の力の無さに苛立ち、何も出来ない事を悲しんだ叫び。
叫んでファルアはシルヴィアに背を向ける。
助からないのならばせめて苦しませないようにと、足早に祭壇を駆け下りる。
ガランガルンが顔を歪めて舌打ちをしてそれに続く。
未練を残し目尻に涙を浮かべながら、壇上を降りて行く。
しかし動かずに大蛇と対峙している者が一人。
九郎は両手に炎を宿し、拳を掲げて動かない。
「コルル坊もぼーっとしとるんじゃ無いっ! 早うお逃げ!」
「嫌だっ!!」
シルヴィアの言葉に九郎は振り向きもせずに答えた。
視線を蛇から離さず、赤々と燃える拳を握りしめて両足を大きく開く。
「何を聞き分けのない事を言っとるのじゃっ! 儂の最期の頼みくらい聞いてくれてもよいじゃろう!?」
「ぜってえ嫌だっ!! 何が最期だ!? ふざけんじゃねえっ!」
シルヴィアが魔法を解いた時点で大蛇が襲い掛かってくる事は九郎にも想像がついている。
もはやシルヴィアの運命は大蛇に呑まれる他無い事も……。
それでも九郎はシルヴィアを見捨てる選択肢を持っていない。
誰かの命が自分の命よりも大切なのだ。
食われる運命にあろうとも、だからと言って諦めたりはしない。
「『不死』だろうとこやつには関係ない! この大蛇は水の神の眷属じゃ! お主も見たじゃろう!? 人を消し去る奴の攻撃をっ!!!」
森林族の女性を消し去ってしまった大蛇の攻撃は、九郎の不死をもってしても抗える物では無いと、シルヴィアが悲痛な叫びを上げる。
「だ、だからなんだっ!? 俺は『
自分自身もその可能性が頭を過らなかった訳では無い。
目の前で消えた森林族の女性は、蛇に呑まれたと言うのに蛇の体に
何処へ消えたのかも分からない未知の攻撃。
九郎と言えども構える拳が小刻みに震えてしまう。
この世界に来て初めて九郎は命がけで敵と対峙している。
今迄自分の命を失う恐怖を抱いた事は一度も無い。
だがそれでも九郎が逃げ出せる筈が無い。
それでも九郎は親しい者達の死の方が恐ろしい。
(喰われるのも二度目……。ベルだってちゃんと守り切れたんだ! シルヴィだってきっと……)
九郎は蛇を睨みながら唇を噛みしめる。
例え消滅させられるとしても、例えここで死ぬかもしれないとしても……。
――――死なないかも知れないのだから――――
生き残る可能性が一欠けらでも有る以上、九郎はシルヴィアを見捨ててはおけない。
この大蛇に呑まれた自分が何処へ行くのか見当もつかない。
だがシルヴィアが呑まれる運命にあると言うのならば、九郎は何処までも付いて僅かな可能性でもシルヴィアを生かす方法を探すつもりだ。
「早う……後生じゃから……。目の前で……若い命が散るのは見とう無いんじゃ……」
後ろでシルヴィアが小さく嗚咽を漏らした。
先程魔力を解放した時に既に覚悟を決めていたのに。
若い者達の礎となっても良いと、今残されたありったけの魔力を注ぎ込んで『風の壁』を展開していると言うのに。
ビキリと何かが
シルヴィアが大きく目を見開く。
眼前に迫る蛇の口が深淵の渦の様に暗い色を湛えていた。
「シャルル……お主は嘘吐きじゃぁ……。こやつは地獄の底まで付いて来よったわ……」
何処か諦めたかのようなシルヴィアの呟きが九郎の耳に届いていた。
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