第136話  悲壮に暮れ楽観に踊る


「お主がこれ程阿呆とは思わなんだっ! この馬鹿たれっ! 馬鹿たれっ!」

「痛いっ! 痛くねえけど心が痛いっ!」


 雲一つ無い青い空。

 鏡面のように静かな水面にシルヴィアの抗議の声が響き渡っていた。


 水の大蛇に呑まれたと思った瞬間、九郎とシルヴィアは何処までも続く青い空と、果てし無く続く水平線の見えるただっぴろい世界にいた。

 蛇に呑まれた森林族の女性の姿が蛇の体に見えなかった事から、何か有るとは思っていたが、呑まれたと思った瞬間転移するとは思ってもいなかった九郎は、シルヴィアの抗議の拳を受けながらも周りに視線を走らせる。

 

 蛇に呑まれた事でシルヴィアは既に諦めモードに入っているのかも知れないが、ミミズに鰐に虫にと、九郎は喰われる事に対してはエキスパートと言っても良い。――勿論あまり誇れるモノではない。

 ここが胃袋で無いのかを緊張した面持ちで確認し、足元に広がる水が酸で無い事に、九郎は少しばかりの安堵を浮かべる。


「なんで儂の願いを聞いてくれんかったんじゃ!? 儂は道連れなぞ欲しゅう無い! お主はそれをっ……」


 シルヴィアが九郎の背中を拳で何度も叩いて来る。

 仲間の為に命をねげうったシルヴィアの気持ちは九郎も分かっている。

 いつも九郎がしている事……。九郎の行動原理と言って良いその行動時に、守ろうとした者が逃げてくれなかったとしたら、九郎も怒りと遣る瀬無さを覚えるだろう。


 だが度重なる『死にそうな目』に遭って来た九郎にとって、例え蛇が自分を殺せる存在だとしてもその行動原理を変える事はできなかった。

 自分を化物と自認していた九郎。

 丸一年何度も『死』すべき事象に身を晒していた九郎は、『命』そのものを忘れつつあった。

 自身の命の価値を忘れた九郎にとって、他者の、親しい者達の命が唯一の大事な物だ。


「お主は……本当に馬鹿たれじゃぁ……」


 いつの間にか背中に感じる衝撃は力ないものに変わっていた。

 シルヴィアが九郎の背中に頭を預けて、嗚咽を漏らす。


「俺は……こんな所で死ぬつもりも、死なせるつもりもねえよ……」


 女の涙にめっぽう弱い九郎は弱り顔を浮かべたままぼそりと呟く。

 背中に熱い水が流れるのを感じながらも、シルヴィアの気持ちも分かるだけに、どう返せば良いのか言葉が思い浮かばない。


「ふふっ……。腹の中に入ってしもうとるのに……呆れるくらい諦めがわるいのぅ……コルル坊は……」


 言葉通り呆れ果てたと言わんばかりにシルヴィアが背中で笑みを溢したのが分かった。

 どんな危機的状況でも、諦める事をしてこなかった九郎を知らないのだから無理も無い。

 それでも自分の心臓の音とシルヴィアの熱が自分達が生きている事を証明している。


「食われただけで死んじまうなら、俺は既にここにはいねえよっ!」


 シルヴィアが笑みを溢した事に、九郎はさらに軽口を口にする。

 まだ予断を許さない状況だが、悲壮感に濡れているシルヴィアなど見たくは無い。

 気が強く優しいシルヴィアが戻って来たのだと思い九郎が振り返る。


「すまんのぅ……コルル坊やぁ……。儂が不甲斐無いばかりに……」


 だが振り返った九郎はそのまま眉に皺を刻む。

 シルヴィアの顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。

 大きな翡翠の瞳に大粒の涙を溢れさせ、引き結んだ口がわなわなと震えている。

 シルヴィアがのこんな泣き顔など見た事が無い。


「え!? ちょ……」


 シルヴィアが泣き顔が戻っていないとは思ってもおらず、九郎は狼狽え混乱してしまう。

 確かに楽観視できる状況では無いのだが、差し迫った危機も感じられない今の状況で、シルヴィアがこれ程絶望を相している事が理解できない。

 

 混乱しどうしたら良い中分からなくて九郎が両手を宙に彷徨わす。

 次の瞬間、シルヴィアがその腕の中に飛び込んできた。

 その勢いが思いのほか強く、九郎はバランスを崩して尻餅をつく。

 激しい水音があがりびしょ濡れになった九郎の胸にシルヴィアの涙が落ちる。


「お主は……たった20年しか生きちょらんかったのに……。儂なぞに付き合いおって……。ほんに阿呆じゃぁ……」


 困惑を浮かべた九郎に覆いかぶさり、シルヴィアは悲しそうに眼を伏せる。

 何度も喰われた経験のある者などそうはいない。

 九郎もやっとシルヴィアの感情を理解出来た。

 シルヴィアは喰われてしまった時点で命の終わりだと思っているのだ。


「これからも生きてくつもりだぜ。シルヴィこそなんで諦めちまってんだよ? 俺もシルヴィもまだ生きてんじゃねえか……。俺もシルヴィもまだまだ動いてるじゃん?」


 ふと自分で言った言葉に考え込む。

 命の価値そのものを忘れつつある九郎は、『生きている』と言う言葉の意味を色々と考えてしまう。

 動いているだけで生きていると言うならば、今迄見てきた不死アンデッド、『動く死体ゾンビ』や『竜牙兵ドラゴントゥース』も生きていると言えるのではと考えてしまったからだ。

 

「お主はこの場所がどこだか分からんからそんな事を言えるんじゃ……」


 九郎の言葉にシルヴィアがボソリと吐き捨てる。

 何も無い、何処までも続いている踝ほどの水が満ちた場所。

 太陽が無いのに明るく雲一つない青い空。


 シルヴィアはここが何処なのかを知っている様子だ。

 蛇に呑まれたあげくに変な場所に飛ばされた事位しか分かっていない九郎は、シルヴィアの不安を吹き飛ばそうと笑みを作る。


「ただのだだっ広い場所だろ? ここが何処かは分かっちゃいねえが、絶対生きて帰ろうぜ!」


 強がりを口にして胸を叩いた九郎に、シルヴィアは寂しげに視線を反らした。

 精一杯強がって見せた九郎だが、シルヴィアを元気づけられずに終わってしまいバツが悪そうに頬を掻く。

 蛇に呑まれた瞬間移動して来たこの場所がどこなのかは見当もつかない。

 だが胃の中だろうが、炎の海の中であろうがシルヴィアだけは無事に返すと心に決めている。

 ミミズの腹の中からでも凍れる湖の中からでも、大事な人達を守り切って来た。

 今の状況など絶望を覚えるには程遠い。


「……いくらお主が『不死』じゃろうと……精霊界に連れて来られたらお終いじゃよ……」


 シルヴィアが九郎の胸にそっと頬を寄せた。

 シルヴィアはここが何処だかを知っている様子だ。

 精霊界と言う聞きなれない単語に九郎は首を傾げる。

 疑問符を浮かべた九郎を見て、シルヴィアは小さく溜息を吐き、目元を拭い鼻を鳴らした。


「あの蛇は青の神の眷属……。遥か昔に『セフィロト』に水を運んだと言われちょる川の精霊じゃろう……。全てを飲み込む暴威の化身じゃ……こげな精霊を祀っとった場所じゃとは思ってもおらなんだわ……」


 シルヴィアが投げやりに呟く。


「そもそも精霊はこの世界とは別の次元の者達じゃ……。例えコルル坊が本当に『不死アンデッド』であろうとも……こやつは全てを喰らうと言い伝えられちょる……。そもそも世界の根源の力に抗えるはずが……はずが……」


 そこまで言ってシルヴィアは再び目尻に涙を溜めた。

 胸にボタボタと落ちて来る涙の熱さに、九郎は奥歯を噛む。

 世界とは別の次元の力――そのフレーズは九郎の心にも不安の影を落とす。

 自分自身で『不死アンデッド』と考えている九郎だが、シルヴィアの言葉をそのまま受け取るとあの蛇は『不死アンデッド』すら喰らえる力が有るのだろう。

 不死の怪物すら喰らう化物の存在がいるとは考えていなかった。


(そもそもここに移動させられた後どうなっちまうんだ? 確かに何もねえ場所だから、このままの状況じゃ普通は飢え死に一直線だろうが……)


 だが不死すら喰らうと言っている言葉からこのままの状況の筈は無い。

 何も食べなくても不死アンデッドは死なないのだ。

 ならば――――これから何が起きるか分からないと緊張した面持ちを浮かべた九郎を、シルヴィアは悲しそうな目で見つめる。


「魔物との戦いの中で命を落とすのなら納得も出来るじゃろう……。病や寿命なら諦めも付くじゃろう……。じゃがこんなしょうも無いはかりごとに巻き込んでしまうなぞ……」


 シルヴィアの表情からは悔しさが滲み出ていた。

 シルヴィアやシャルル達は裏切られたとはいえ、里の出身だ。

 生贄に選ばれた事に言いたいことはあるが、それも里の人間としての考えに沿って行われたものなのだから業腹ではあるが諦めも付く。だが……。


「無関係のコルル坊まで里のゴタゴタに巻き込んでしもうて――――」

「無関係じゃねえっ!!」


 溢れ出る涙を拭おうともせずに頭を下げようとしたシルヴィアの肩を九郎が掴む。

 九郎が怒った様に声を荒げたことに、シルヴィアがビクリと動きを止めて目を見開く。


「俺は無関係じゃねえっ! 例え地獄の果てだろうが付き合ってやんぜ!」


 せっかく出会った仲間。

 無関係と言われて九郎も思わず大声で言い返していた。半年間ずっと一人ソロで冒険者をやってきた九郎がやっと手に入れた仲間と言う関係を軽く捉えられた気がしていた。


 突然声を荒げた九郎にシルヴィアは目を丸くして固まっている。

 あれ程とめどなく溢れていた涙も驚いた拍子に止まっていた。

 シルヴィアは驚愕したまま九郎の言葉を噛み砕くように口をパクパクさせ、何かを口にしようと九郎を見つめては再び手を宙に彷徨わせ考え込む。


「俺は……ずっと一緒にやってきてぇと思ってたんだけど……シルヴィは違うんかよ?」


 奇妙な沈黙に耐えられなくなった九郎が更に言葉を被せる。

 せっかく仲間と認められ、気兼ねなく話せ、遠慮の無い関係を築けたのだ。

 たった一か月足らずの付き合いの中でも、九郎はシルヴィア達との冒険が楽しくて仕方が無かった。

 この先もパーティーを組んでやって行こうと話していたばかりだと言うのに、こんなくだらないはかりごとに巻き込まれて終わってしまいたくない。

 未来さきを楽しみにしていたのにと九郎の言葉に、シルヴィアは大きくした目を限界近くまで見開き九郎の目を見つめ―――――


「―――――――――へ?」


 ――――空気にそぐわない間の抜けた声を出した。


 シルヴィアが九郎の上でワタワタ手を彷徨わせ、何処かで見た覚えのある不思議な踊りを踊り出す。

 先程よりも更に狼狽えた様子で目を泳がせ、焦った様に首を振り――そして顔を真っ赤に染めていく。


(そんな臭えセリフを言ったつもりは……あんな……)


 仲間と過ごす時間が楽しいと素直に言ったつもりだが、面と向かって言われれば恥ずかしい思いをする人間もいるだろう。九郎は素面しらふでこういったセリフを口に出来るが、慣れていない者にとっては赤面するセリフでもあると思い出す。


「コ、コルル坊……お主も儂と同じ気持ちじゃったのか……」

「ああ! 俺の本音だ!」


 耳の先まで真っ赤になりながらシルヴィアが呆けたように呟いた。

 恥ずかしいセリフかも知れないが、そこまで照れなくても良いのではと思いながらも九郎は自信を持って言い放つ。


「まだほんの少ししか過ごしちょらんのに……。しかし……時間の長さじゃ無いのは儂が一番骨身に染みちょる……」

「時間の長さじゃ無くてこれからの話だろ?」


 自問自答を始めたシルヴィアに九郎が口を挟む。


「そそそ、それはそうじゃが……。ななななななな、何も、こここ、こんな状況で言わんでも……」

「こんな状況だから言ってんじゃねえか……」


 さらに慌て出したシルヴィアに、今度は九郎が呆れを見せる。

 涙は止まったみたいで良かったのだが、ここまで狼狽えられると段々九郎も恥ずかしく成って来る。

 仲間が大事だと口にしなくても、ファルアもガランガルンも気持ちは同じだろう。シルヴィアを助けに向かう彼らの必死さはそれを雄弁に語っていたのだから。


 男の考える仲間の意味と女性の考える仲間の意味が違うのだろうかとすら考え始める九郎。

 シルヴィアはキョロキョロト辺りを見渡し、赤い顔を両手で覆って恥ずかしそうにしている。

 いちいちリアクションが大げさだからからかいの種にされるのにと、九郎は肩を竦める。

 そんな九郎の耳におかしなセリフが聞こえた。

 

「い、いや……こんな状況で言うと……。そ、その……縁起が悪いと言うか……」

「はぁ? 何で縁起が悪いんだよ!?」

「ほ、ほれ……。良く言うじゃろ? 窮地で求婚すると、直ぐに死が訪れると言うか……。まあ……この状況じゃったらどの道一緒じゃろうが……」

「だからこれから生き延びようって話だ………………ん? キュウコン?」


 二人の間にまたもや奇妙な静寂が訪れる。

 風が無いのに風が吹いたかに思えた。


「…………」

「…………」


 お互いに顔を見合わせ、何かがおかしいと首を捻る。


「「へ?」」


 今度は二人同時に間抜けな声を出していた。


☠ ☠ ☠


「シルヴィ……そろそろ落ち着けって……」

「やかましい! 儂のことなぞほっといておくれぇぇぇぇ!!」


 困惑した表情を浮かべた九郎にシルヴィアは背中で返事を返す。


 シルヴィアは水をひたすら掻き分け、底を漁り続けていた。

 だが水面下の地面は掘れども掘れども元に戻り、一向に深くなってはいかない。


「あああああああっ!!! 穴があったら入りたいっっっっ!!!」


 盛大に勘違いをしてしまった先の自分を殴ってやりたい。

 混乱していたのもあるだろう。捨て鉢になっていた事も認めよう。

 だから終わってしまったものだと考え、最後の一瞬に色めき出ってしまった。


(コルル坊が悪いんじゃっ! 言葉が足りんにも程があるわっ!!)


 顔を背けているのは火照った顔を見られたく無いからだ。

 長い耳の先まで真っ赤な事は気付いていない。

 あの一瞬、シルヴィアは自分の置かれている状況も忘れてしまっていた。


 ――――ずっと一緒に―――――


 シルヴィアが待ち望んでいた言葉。別れの時を感じさせない、焦がれた言葉だ。


(だいたいやって行きたい・・・・・・・ってなんじゃ!? ヤッて行きたい・・・・・・・って!?!)


 どう考えてもそんな意味で無い事など、考えてみればすぐに分かる。

 だがもう死んでしまった身だと考えていたあの時は、自分が夢でも見ているのかとすら思えていた。

『死』への旅路への餞別――――走馬灯が見せた甘い夢――――。そう思っていた。

 だから九郎が未来を話す言葉が全て愛の囁きに聞こえてしまっていた。

 しかし何の因果かシルヴィアも九郎もまだ死んだわけでは無いようだ。

 頭の中で暴れる羞恥心がそれをシルヴィアに気付かせている。

 ―――――居た堪れない程に……。


「あああああっ!! いっそ殺しておくれぇぇぇぇ!!」

「馬鹿な事言ってんじゃねえよっ!!!!」


 流石に今の状況でこのセリフは問題があった。

 涙目で水を掻き分けるシルヴィアの頭に九郎の手刀が降ってくる。

 その小さな痛みが、シルヴィアがまだ生きている事を知らしめ、シルヴィアはペタンとその場にへたり込む。

 肩で息をつき、呆然とした表情のシルヴィアに、九郎は肩を竦めて笑みを浮かべている。


(臆面も無く恥ずかしいセリフを言いよると思ったら……)


 待ち望んでいた言葉だけに心臓がまだ激しく脈打っている。

 そんな状況だからこそシルヴィアはまだ命が有る事を自覚したのだが、その代償は羞恥に身悶える現状となっていた。

 寿命による別れ――どうしようもない現実に耐えきれなくなり孤独を選んだシルヴィアにとって、九郎と言う人間はある種の理想だった。

 決して死なぬと豪語するこの目の前の若者は、半信半疑だったシルヴィアから見てもその『不死』を感じさせる異常な打たれ強さを持っていた。

 スライムに浸り、炎の海で寝転び、災害級の魔物の群れに何の痛痒も見せない。

 最初は大げさだと思っていた九郎が、本当に『不死』なのかもと考える様になっていた。


 同時に九郎に感じるのは若々しい生命力だ。

 小さなことに驚きを表し、感情豊かに表情を変える彼には、同じ寿命を歩く森林族には無い確かな情熱が感じられた。


 森林族以外で同じ時を歩める者などいない――――そう思っていただけに諦めかけていた恋。

 それが突然現れた九郎と言う特異イレギュラーな存在。惹かれてしまうのも無理は無いと己に言い訳する。


 その心が命の終わりを感じて少々暴走してしまった故に、先の勘違いが起こってしまった。

 そう結論付けるが、それでやらかした事が無くなる訳でも無く―――。


「コ、コルル坊……さっきのは忘れておくれぇ……」


 出来るのならば忘れて欲しいとシルヴィアは笑みを浮かべた九郎に懇願する。

 本心では忘れて欲しくないとの言葉は、恋を諦めていた初心なシルヴィアには言えるはずも無い。

 この状況で答えを聞くなどシルヴィアには難易度が高すぎる。

 ゆきずりで体を重ねようとしたのは酔っていたからであって、素面ならそんな事など出来る筈も無い。

 初心だからこそ大胆な行動に出るのはシルヴィアに限った話では無い筈だ。


「なんで? 忘れねえよ、絶対! いやーシルヴィも同じ気持ちだったのか~」


 恥を忍んで懇願したと言うのに九郎は頬を引くつかせてニヤケ顔を浮かべている。

 九郎としては、惹かれていたシルヴィアが同じ気持ちだと知れて舞い上がっているだけなのだが、恥ずかしさにのた打ち回っている今のシルヴィアにはそんな彼の心など分かる筈も無い。


「あぁぁぁぁぁぁぁっ! からかわれるっ! 絶対またガラン坊達と一緒になってからかって来おるつもりじゃ―――――」


 頭を抱え泣き事を口にしたシルヴィアが、ふと自分の言葉に顔を上げる。

 まだ生きている事は五月蠅く鳴り響いている自分の心臓が知らせている。

 だがよもや未来の心配を口にする自分に驚いていた。

 これほど短時間の内にどういう心境の変化があったのか。


 痙攣しているかのように頬を引くつかせる目の前の青年に視線を移す。

 目が合うと再び顔が熱を帯び、心臓の音が大きく内に木霊して来る。


(こやつといると……『死』が分からんようになってきよる……)


 視線を反らしたシルヴィアは小さく苦笑を浮かべた。

 危機的状況はなんら変わっていないと言うのに、『死』への恐怖を一時忘れてしまっていた。

 冒険者をやっている身だから『死』への覚悟は常にある。

 だが目の前の男といるとその『死』すら他愛も無い事象に思えて来て調子が狂ってしまう。


「やはり忘れんでおくれ……。返事は……無事に生き延びれたら聞かせて欲しい……」


 だからなのか、シルヴィアは心の中に秘めた思いを驚くほど簡単に口にしていた。

 未来さきなど無いと思っての言葉では無かった。

 あれほど恐れていた別れを感じさせない男。

不死アンデッド』の身も竦むような『死』への恐怖など、微塵も感じさせない『不死』の青年。

 惹かれた切っ掛けは九郎の『不死』の存在だったが、今のシルヴィアにとっての九郎の存在は『死』への恐怖への一つの答えに見えた。

 

 共に過ごす未来だけを見て行ける存在。

 そんな希望に満ちた視野をもつ九郎だからこそ惹かれたのだと――――。


「俺は今すぐにでも答えが……。って、流石にそれはフラグになっちまうか」


 九郎の表情からシルヴィアの希望は色濃く残っている様子だ。

 何やら考え込んだ九郎を眺めてシルヴィアは自分の胸に手を添える。


(ドキドキしちょる……。100年振りじゃの……この感情は)


 初恋は何も言葉に出来ないままに終わってしまったが、今度は一歩進めたようだ。


(シャルルには……報告せねばならんじゃろうな……)


 先の未来を考え面映ゆい気持ちを抱いたシルヴィアは、チラチラこちらを見ながら頭を掻いている九郎に飛び切りの笑顔を向ける。

 こんな状況で見せる表情では無い筈が、それでも心のままに見せた顔は九郎を真っ赤にさせる効果があった。


「ひやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 そんな二人の恋路に冷や水の様に悲鳴が浴びせられたのは、その次の瞬間だった。

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