第133話  故郷


『水の神殿』への道に湧いた魔物を全て掃討したのは、次の日の夕方頃だった。


「割りに合わぬ仕事じゃったろうに……。ほんに助かった。礼を言わせておくれ……」


 シルヴィアはそう言って深く頭を下げた。シャルルもそれに続き深々と頭を下げ、何故だかゲルムも続く。


「まだ言ってんのかよ? 高く付いたかも知れねえぜ? なんせガランとクロウがいるからな」

「それよかオババがどの位まで記憶が有るかを心配した方が良いんじゃねえの?」

「シルヴィ。悪いがこの前のカリは返させてもらうぜ?」


 男三人が口々に軽口を叩き、照れくさそうに笑う。

 短い間、ほんの一か月もたたない間だったが、気が合うというのはこう言う事なのだろう。

 歳の開きはあれど、種族的に言えば皆若者の範疇の4人。遠慮なく意見が飛び交い、それでもお互いを頼りに出来る良いパーティーだと認識していた。


(やはり……人と関わる方が楽しいのぅ……)


 シルヴィアは男達の反応に目を細める。年下で、なんなら孫とでも思っていた者達が自分と同じ目線で話しかけてくる。60年ぶりにパーティーを組んだと言うのに、昔の熱が昨日のことのように思い出される。


 寿命の違い故に別れを恐れ、置いて行かれる寂しさを恐れていたシルヴィアは吹っ切れたように空を見上げる。

『世界樹』の庇の中、夕日がいつもの様に上から降り注ぐ。

 温かい光。別れの光だと言うのに、何故夕日はこれ程温かいのだろう。


(そこにそれまで太陽が有ったからじゃろ……?)


 ふと思った疑問に自分で答えを導く。朝日の眩しさに比べて夕陽は緩く穏やかだ。なのに朝の光は冷たく、夕日の方が暖かに感じるのは太陽が空に有ったからだ。


「儂はお主らとパーティーが組めて良かったわい」


 シルヴィアははにかんだ笑顔を男達に向ける。夕陽の降り注ぐ森の中で赤く染まった頬をさらに赤くして。


「なんじゃ? 何でそんなアホ面晒しとるんじゃ?」


 男達が呆けたように何も言ってこない事に、シルヴィアが訝しがる。


「シルヴィが可愛かったんだよ~? 見惚れてたんじゃない~?」

「ば、馬鹿な事言ってんじゃねえ!?」

「い、いきなり臭え事言いだしたから呆れてんだよっ!? 臭えのは漬物だけかと思ってたぜ」


 シャルルが微笑みながら口にした言葉に、ファルアとガランガルンが一斉に抗議する。


「な? なんじゃとぅ!?」


 その反応にシルヴィアは途端に眉を吊り上げ、照れた表情を隠してしまう。

 からかいながら逃げ出したファルアとガランガルンを追いかけるシルヴィア。

 ―――その表情もどこか楽しげで―――


「今のは私もドキッとしちゃったなぁ~……。ねえ、クロウ君?」


 微笑にからかいを含み、シャルルが九郎を見上げる。九郎は呆けた様子で固まり、シルヴィアを目で追っていた。


☠ ☠ ☠


「『水の神殿』への道はもう魔物は残っちょらんじゃろう。これで儂らの仕事はおわりじゃ」

「ご苦労」


 仕事の終了を伝えにマグナルバの神殿へ赴いたシルヴィア達に、マグナルバは短く答えた。

 初めて顔を合わせた九郎やファルアは御年1000歳を超える森林族の族長に体を固くして身構える。

 目の前の人物が想像もできないほど長い年月を生きていると聞き、いくら歳上のシルヴィア達と普通に話していた九郎達でも流石に緊張を覚えてしまう。

 だが、シルヴィアやシャルル達はまた違った理由で緊張の面持ちを見せていた。


「よくやってくれたなシルヴィア」

「あなたが帰って来るとは思って無かったわ」

「娘たちが2人も帰って来た! こんなにめでたい事を何故族長は教えてくれなかったんだ?」

「よく顔を見せて頂戴。私達の娘たち」


 大勢の集まった人。

 普段は人気のない場所であろう里の中の神殿、族長の家には数多くの森林族が集まっていた。


「あの近付く事も出来なかった『水の祭壇』を浄化するとは……強く成ったのだなシルヴィア」

「シャルルも頑張ったんでしょ? 外の話も聞きたいわ」

「族長が教えてくれなかったから歓迎する事も出来なかったんだ。今日は歓迎の宴だ!」


 口々にシルヴィアとシャルルを誉めそやす人々に、逆にシルヴィアとシャルル方が後退る勢いだ。

 その表情には、「7日前から村にいて顔を見た事も有る人々がなぜ今更?」と言う疑いの念が含まれている。


「ロ、ロイツやエフリーとは顔を合わしちょった筈じゃろう!? あの時は全く声も返してくれなんだのに、なんで今頃?」

「私も~、エイベルに挨拶してもそっぽ向かれた記憶があるんだけど~?」

「い、いきなり帰ってきて言葉が出なかったのよ」

「私に声かけてくれたの? 最近耳が遠くなったから気付かなかったのよ」


 里に滞在してもう7日。

 普段から動き回らない森林族の人々を見かける機会はそう有る物では無かったし、九郎達も一日中魔物と戦っていたので会う機会も無かった。

 それでも何人かとは顔を合わせ、シルヴィアやシャルル、九郎達も挨拶をしていたのだが……。

 彼らは皆こちらに視線を向けただけで、一言も返してはくれなかった。

「里の人々は一度飛び出して行った者を、同朋とは認めない」と言うシルヴィアの言葉が無ければ、九郎も声を荒げたい気持ちだった。

 だがここに残るのはシャルルだけで、九郎は本当に余所者だ。シャルルの今後を考えても、諍いを起こす事は避けたいと、強く出る事は控えていた。

 

 なのに今になって歓迎されると言うサプライズに、シルヴィアとシャルルが狼狽えるのも無理は無い。

 それでもその眉尻が下がる訳は、やはり二人とも嬉しいのだろう。


(最初は冷てえ人たちだな……って思ってたけど……。なんだ、故郷の人達も緊張してたんだな。まあ、シルヴィで100年。シャルルで80年会って無いんだもんなぁ)


 日本でなら100年も故郷に帰らなければ、それこそ誰も覚えていない。

 100年の期間が開けば、記憶どころか住む人すら丸ごと変わる。

 そう考えれば「一度里を出た者を余所者と見なす」事も、それ程冷たい扱いでも無いのかも知れない。


「まあ良いではないか。帰って来た娘を喜ぶのなら。久しく会って無い者もいるだろう。宴とも言えぬ小さな場だが用意させた。旧交を温めあうのだな」


 族長であるマグナルバが高らかに宣言し、部屋に次々と料理が運ばれてくる。


「か、帰っておらん間にえらく変わったもんじゃのぅ…………」

「シルヴィ~……私なんだか知らない故郷に帰ったみたい……」


 囲まれ歓迎される二人の少女からは、訝しがりながらも笑みが零れる。

 故郷は離れていても故郷だと言う所だろうか。

 料理……それは殆んどが果実であり、手を加えられた所は見られなかったが、上座に座らされて勧められるままに果実を齧りはにかんだ笑顔を見せる二人。


「俺もあの酸っぱいおふくろのエールが飲みたくなっちまうな……」

「ま、俺の親はいねえけど生まれた街に住んでっからなぁ」


 故郷を想い出したのだろうか。少し手荒い歓待を受けながら、徐々に気持ちをほぐし、目尻に涙を浮かべているシルヴィアとシャルルを見て、ガランガルンが鼻を擦る。

 ファルアは故郷を離れた事が無いからと、その言葉に苦笑を漏らす。


 九郎は一人目を細める。

 まだこちらに来て1年も経っていないのに、帰れないと分かっているからこそ、故郷を想わずにはいられない。

 親兄弟も友達も残してこの世界に来た。

 あちらの世界に留まっていたのなら……いや、アクゼリートの世界に移らなければ死んでいた身だと理解している。


 しかし懐かしさだけは、寂寥の想いだけはその胸にとめどなく溢れていた。


☠ ☠ ☠


『世界樹』の麓、フィオレの里の朝日は真上から降ってくる。

 この時間帯だけは常夏の国と言えど過ごしやすい。フィオレの里は常に『世界樹』の日陰にあるので、フーガの街よりもかなり過ごしやすい気候ではあるのだが……。


 九郎は一つ身じろぎし、体を起こす。

 大きな欠伸を憚ることなくこぼし、体を伸ばす。

『フロウフシ』になって、寝違えたり体が硬くなったりなどなるはずも無いのだが、もはやこの行動は体に刻まれている。


 足元にはガランガルンの大きな腹が上下し、響くいびきにファルアが苦しそうな寝顔を晒している。


 昨日の夜、シルヴィアとシャルルを歓待する宴は長い間続き、九郎達は途中で中座していた。

 旧交を温めあうシルヴィア達を慮った形だ。

 シルヴィア達と違い、九郎達は紛れも無く余所者だ。

 場の雰囲気的にも座りが悪く、何よりシルヴィアにとってはまた離れる故郷なのだ。

 ならば水入らずで楽しめるだけ楽しんで欲しいと、気を利かせた形だった。


(もう少し、ゆっくりしてても良いんだがなぁ……)


 別に急いで街に戻る必要も無い。

 暫くの間、故郷でゆっくりすればいいのにと、九郎は思いを巡らせもう一度欠伸をこぼす。

 目尻の涙を拭いながら、体を解していてふといつもと違う様子に気が付き九郎は首を傾げる。


 いつもなら九郎が少しでも身じろぎするとファルアは直ぐに飛び起きていた筈だ。

 眠りが浅いのか警戒心が強いのか、ファルアは少しの物音でも直ぐに目を覚ます。

 なのに今日に限ってガランガルンのイビキの音にすら顔を歪めているだけで、未だに起きて来ない事が気に掛かった。


「ファルア~。朝だぜ~」


 することも無いから寝かして置いても良いかとも思えたが、一人暇を弄ぶのもつまらなく感じて九郎がファルアを揺り動かす。

 視線を感じただけでも起きるファルアが今日に限って、それでも起きない事に少し嫌な予感が首を擡げる。

 よくよく思い出してみると、昨日から何かがおかしい気がする。

 傍らに転がっている空き瓶はただの一つだけ……。

 中座する時にもらった酒瓶は三本だと言うのに、その一本だけしか空いていない。

 ガランガルン程の酒豪が、三人で一本のビンを空けただけで早々と寝入ってしまった事が不思議なのだ。

 酒が無くなるまでは意地でも潰れないと豪語しているガランガルンが、ただの一本で酔いつぶれてしまう訳が無い……。

 疲れの所為かとも思えたのだが、九郎はガランガルンが酒を残して寝入っている事が何やら嫌な予感に繋がった。


「おいっ! 朝だぜ!? 起きろよっ!!!」


 九郎は乱暴にファルアとガランガルンを揺り動かす。

 だがどちらも苦しそうな寝顔を晒すだけで、起きる気配が全く無い。


「起きろってっ!!!」


 擡げてくる嫌な予感。

 九郎は風呂場に溜まっていた水を二人に向かって引っ掛ける。


「ん……!?」


 眠っている時に冷たい水は効果があったのか、ファルアが眠たげな眼を薄く開いた。

 それでもその動きは何処か緩慢で、いつもの彼の動きでは無い事に九郎の不安は更に高まる。


(毒? ……なんでだ?)


 ファルア達がこれほど深い眠りに入っていた事に九郎の記憶が警鐘を鳴らす。

 毒が全く効かない体になっている九郎はいつも通りに目覚めたのだが、ファルア達は睡眠薬の所為で眠っていたのではないか……。

 そんな考えが頭に浮かんだ。


「……つっ! 何か仕込まれたな……」


 九郎の考えを後押しするかのようにファルアが短く呻いて頭を振る。

 寝起きだからか凶悪な顔がさらに剣呑な雰囲気を出し、九郎が顔を引きつらせながら恐る恐るといった感じで顔を覗き見る。


「やっぱそうだよな。ガランがあんだけで酔っぱらう訳がねえ……」


 九郎の呟きを苦み走った顔で聞きながら、ファルアは荷物の中から何やら草を取り出し口に含む。

 苦み走った顔を更に苦く歪めながら、ファルアはイビキを掻いて寝こけているガランガルンの口にもその草を放り込む。


「うぐわっ!! ぺっ! ぺっ! ぐあぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ガランガルンが潰されたヒキガエルのような声を出して飛び起きた。

 どうやらあの草は眠気覚ましの効果があるが、酷く苦いモノなのらしい。

 九郎は首を抑えてのた打ち回るガランガルンに憐みの視線を向ける。


「ファルアっ! テメエ何しやがんだっ! やって良い悪戯じゃねえだろっ!」

「うるせえ! とっとと起きやがれ! 緊急事態かも知れねえ」


 ガランガルンの抗議の声をファルアの怒気の籠った言葉が遮る。

 悪鬼の如き形相でファルアが睨み、その形相に気圧されてガランガルンが口を噤む。

 ファルアが残っている酒瓶の蓋をあけ、コップに注ぐ。


「迎え酒の誘いでビガの葉っぱを食わせんのは、流石にやり過ぎだと―――」

「――『黒の綴り手』グレアモルの眷属にして全てを腐す小さき命よ! 遊べ!

   『ノスケル・ヴェノム』」


 ガランガルンが再度抗議の声を上げるが、ファルアはそれを無視して何やら唱える。

 盃に注がれた酒がにわかに黒ずみ枯れ果てて行く。

 だが――全てが蒸発して行くかに思えたその時、黒い霧と共にその効果が無くなった。


「おい……これって……」


 ガランガルンがそれを見て何かに気付いたかのように緊張を見せた。

 盃の中には青カビっぽい何かだけが残っている。


「ラウィランウィの睡眠毒か……。こりゃ流石の俺でも気付けねえな……」


 青カビの様なそれを指で掬い、舌で舐めたファルアが唾を吐き捨て呟く。

 やはり睡眠毒の類だと知り、九郎の頭に浮かんだ嫌な予感は大きく膨れ上がって行く。


「ファルア……」

「何が起きてやがんのか分かんねえが……毒を盛られるような事をした覚えはねえぞぉ?」

「しかも睡眠毒ってのが分かんねえよな。 ……しっ!」


 不安げな視線が集まる中、ファルアが人差し指を口に添えた。

 そのまま小声で九郎達を呼び寄せ、ファルアが外に顎を向ける。


「誰か来やがる……。眠ってるふりをしろ」

「あれが役に立つとは思ってなかったぜ……」


 ファルアの手元に細いロープが握られている。

 九郎は緊張した面持ちで呟く。

 家を作った時に、ファルアは当然の様に罠を仕掛けていた。

 無いと眠れないと言っていたが、里の中まで罠を張るのはいかがな物かと九郎は思う。

 まあ、それが鳴子の罠であるならば、誰かを傷付ける心配も無く、好きにさせていたのだが……。


「シルヴィじゃねえな……。男……3、4、5、5人だ」

「すげえな……そこまで分かるのか……。流石ドS」

「何だか分からねえ言葉だが、褒められた気がしねえぞ? それ……」


 少し考え込む様にしてファルアが答える。

 良く分かる物だと九郎は驚愕に目を瞠り感嘆の言葉を零す。その言葉にファルアの顔がさらに険を帯びる。


 鳴子の罠とは言え、部屋に物音など聞こえない。

 なのになぜファルアが来訪者に気付いたかと言うと、ファルアの感覚が人並み外れていた――それだけでは無い。


 ファルアの罠は殆んどが細い縄で作られていた。巧妙に家の周りに張り巡らされた『音の鳴らない鳴子』の罠。

 張力を使って張り巡らされたその罠が、ファルアの寝場所の下に取り付けられている。

 誰かが張り巡らされた縄を踏めば、その重さ、数まで分かると言うのだから、九郎としては感嘆してしまうのも仕方が無い。


「そろそろ来やがる! 眠った振りで様子を見て、その後は臨機応変にな!」

「「無茶言うな……」」


 ファルアの小声の指示に九郎とガランガルンが小声でぼやく。

 だが何が起こっているのかも分からない今、ファルアに合わせて動く他無いと寝たふりを決め込む。

 

 ファルアの言葉通り、数分も経つと複数の人の足音が聞こえ、やがて家の前で止まる。


(誰か入ってきやがった!?)


 鍵のかかる構造では無い家なので通常ならば一言かけるのが礼儀だと思うのだが、それをしないどころか忍び足で部屋に人が入り込んできた。

 見たことも無い―――いや、昨日の宴の席で見覚えのある森林族の男達だ。


「眠ってる……よな?」

「こんな朝早くに働かせるなんて……」

「シルヴィア達の事を気付かれたら面倒だとか……。族長も気が小さいよな」

「縛っとけば良いんだったっけ?」

「殺しておいた方が良いんじゃないか?」

「痛みで起きてしまったら元も子も無いだろ――――!!!?」


 部屋の中で眠ったふりをしている九郎達に、安心した素振りで話し合いを始めた男達が一斉に目を剥いた。

 飛び起きたファルアが一人の男の首元に山刀を突き付け、ガランガルンと九郎が残りの森林族の首を両腕に抱えている。


「朝早くから男が寝込みを襲って来るたぁ……あんまり嬉しいサプライズじゃねえなぁ? おいっ!」


 地の底から響いて来る様なファルアの不機嫌そうな声に、森林族の男達が息を飲む音が小さく響く。

 普段から強面のファルアが、今は更に剣呑な雰囲気を醸し出しており、一般人ならそれだけで震えて命乞いをするであろうその顔に、九郎も一緒に顔を引きつらせる。


「この里にゃ、肉料理がねえみてえだから俺がいっちょレシピを教えてやろうか? 耳の煮込みと目玉のバター焼き……どっちが喰いてえんだ!?」


 放たれる物騒なセリフに男達が抵抗する気力も霧散したのだろう。

 へたり込んだ森林族の男達にファルアが凶悪な笑みを見せる。


「何をするつもりだったか、全部話してくれりゃあレシピを変えてやってもいいんだぜぇ?」


 ファルアに頬を山刀で叩かれた男が短く悲鳴を漏らした。

 ファルアの顔は今や悪魔の形相と何ら変わらない。こんな顔で脅されたら、例え何も無かったとしても有る事無い事喋ってしまいそうだ。

 九郎も同時に引きつった声を上げた。

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