第132話 放置のツケ
「ったく……ガランの押入れでもこんなじゃねえだろうに……」
「おいっ!! 誤解を招くような言い方すんじゃねえっ!!」
ファルアが
ガランガルンが足元を蹴り上げ抗議の声を上げる。
「大分片付いたわね~?」
「こんなに湧いとるともう何が何やら……」
シャルルとシルヴィアがお互いを支え合いながら荒い息を吐き出す。
『水の神殿』への道に湧いた魔物を討伐し始めて5日。
次から次へと襲ってくる魔物を丁寧に駆逐して行く作業も、やっとの事で終わりが見えてきていた。
最初は先が見えない作業に思えた『水の神殿』内部の浄化だが、ここに来てその進捗はかなり速度を速めていた。シャルルのパーティーへの加入が大きい。
最初は危険だとシャルルの申し出を断っていたのだが、シャルルも『水の魔境』を共に越えた仲間だ。
自分一人では辿り着けないからとシルヴィア達を雇った形ではあるが、今回は自分の今後の生活の為にシルヴィアが引き受けてくれた仕事である。
ただ見ているだけという事は出来ないと言われれば断り辛い。
だが戦闘能力ではシルヴィア達よりかなり劣るシャルルだが、素材屋で長年勤めた経験や知識は、襲い来る魔物の弱点や習性を見抜く事に長けていた。また、狭い洞窟内で九郎やガランガルンの様な壁役を配して、後列に位置すれば危険もそれ程大きくは無い。
シャルルの加入で『水の神殿』内部の浄化は、かなり効率よく進める事が出来る様になっていた。
「あなたは何故疲れていないのですか……? クロウ……」
散らばった魔物の破片を拾い上げ、喰えるかどうか吟味していた九郎に幼い少女の声がかかる。
ファルアに度々どやされるが、今日戦った触手を伸ばす茸の魔物(『アグリーマッシュ』と言うらしい)は食べられそうにも見えるのだが……。
(触手を伸ばすキノコっつーのは字面は危ねえよなぁ……。やっぱやめた方が無難か……? あ、でも茸を頬張るシルヴィ……見てみてぇ……)
「お、俺は体力だけは自信があっからな!」
頭に湧いた煩悩を振り払い、何本かをそっとズタ袋に放り込んだ九郎が、疲れた様子を見せる森林族の幼女に振り返る。
ゲルムがこの場にいる訳は、ゲルム自らがシルヴィアに願い出たからだ。
自分の力の無さを痛感したと、シルヴィアに戦い方を学びたいと申し出たのだ。
幼さの残るゲルムは足手まといの何者でもないのだが、里で一人子供のゲルムには気の知れた友達もおらず、次に若い森林族と言うとシャルルしかいないと涙を滲ませられて、世話焼きのシルヴィアが同情した形だ。
ファルアはかなり嫌そうだったが、それでもゲルムの歳が自分より遥かに上だと言う事実や、森林族の後進の育成の為に協力して欲しいとシャルルやシルヴィアに頭を下げられ、仕方ないと肩を竦めて参加を許した。
それでもゲルムも内包魔力が人種の中では1、2を争う森林族だ。
使える魔法は数少なく、威力も微々たるものながらも完全にお荷物という訳でも無かった。
今も周囲に漂う茸の胞子を風の魔法で散らす作業の最中である。
「やはり冒険者と言うのは強い者なのですね」
ゲルムが自分の小さな手を見つめ、溜息と同時に小さな呟きを零す。
戦闘中はほぼ何もする事が出来ず、シルヴィアとシャルルの間に挟まれ守られるだけの自分が情けないのだろう。
(強い………のか?)
ゲルムの言葉に九郎は苦笑いを浮かべる。
九郎は自分が強いとは思っていない。ファルア達の様な対応力も無く、敵が攻めてこない限り自分の能力が活かされなくて悩んでいる方だ。『不死』である九郎は敵の攻撃になんら脅威を感じないが、素早く動く魔物相手だと途端に役立たずになってしまう。
ガランガルンの方が手足も短く鈍重そうなのに、戦闘経験の差か魔力の差なのか彼は素早い魔物でも対応できているのが何とも情けない。
今回活躍できたのは相手がその場を動かない茸の魔物だったからで、今でも小動物の魔物や素早い魔物相手には囮くらいにしかなれない。
「別に俺は強くはねえさ……。シルヴィ達は強いって言えるだろうけど……」
九郎は居た堪れない気がして頭を掻きつつ瓦礫を蹴飛ばす。
雄一と言うこの国ですら有名な『英雄』を倒した九郎ではあるが、自分の力が『強さ』とは別の次元にあると考えている。魔力も持たず、戦闘経験も未熟な九郎はただ与えられた『不死』と言う不条理な力によって生き長らえて来たに過ぎない。
一年間戦い続けていても、自分は強く成ったとは思えず、どちらかというと死んでいないだけの気がして胸を張るには気が引けてしまうのだ。
九郎の言葉にゲルムは納得できない素振りを見せる。
今の戦闘だけを見れば『アグリーマッシュ』の鞭の様な攻撃を歯牙にもかけず、突き進んで蹂躙した九郎の姿は強者に見えるのも仕方が無いとは言えるのだが……。
強さとは何かと言う哲学的な事を考えながら、崩れた岩を片付けていた九郎が、目端に止まった瓦礫に足を止める。
「シルヴィ、ファルア。ちょっと来てくれ」
岩肌が硬質な物に変わっている。
自然の土壁であった洞窟内が、その先から切り落としたかのように滑らかになっている。
「なんじゃ? 何かおったのかえ?」
「模様……? 人工物ようだが……」
ゲルムに尋ねられたのか強さの定義から説明を始めていたシルヴィアが、九郎の傍へと寄って来る。
続いてファルアも近付いて九郎が指し示す壁に額を寄せる。
九郎が指し示した滑らかな壁には、良く見ると模様の様な物が掘られていた。
のたくった溝の様な模様が密に刻まれ、先々へと続いている。
シルヴィアがそれを見て、疲れを吐き出すように息を吐く。
「ふぅ~~……、なんとか終わりが見えてきた様じゃな……」
「シルヴィ、これは何なんだ?」
「それはのぅコルル坊。なんじゃと思う?」
珍しげに模様のある壁を眺めて尋ねる九郎に、シルヴィアが口角をあげる。
子供が捕まえた蛙を大人に披露する前の様な、何かを含んだ笑みだ。
「また勿体つけねえでくれよ……。俺こっちの事まだまだ知らねえんだからよぉ……。文字みてえに見えるけど……?」
「どうせ俺は学がねえよ」とシルヴィアの言葉に口を尖らせ、九郎は再び壁を観察する。
細かな装飾とミミズが躍る様な模様を見ても、この世界の知識が殆んど無い九郎には想像もつかない。
並んでいるミミズ模様を自分の記憶の中で当てはめ、想像するしかない。
何かの絵には見えず、九郎は何とは無しに思った事を口に出す。
「ほう! 正解じゃ! よう分かったのぅ? これは古代文字と言う奴じゃ」
驚いた様子でシルヴィアが目を見開き、九郎の頭を撫でながら壁を指さす。
教師が子供に教える様に同じ目線に立ち、壁に刻まれた模様を指でなぞる。
「へぇ……ジ……いやサか? ……キュ……リ……キ? ……キュム……」
「お、驚いたのぅ……。コルル坊は古代文字が読めおるのか!?」
地球にある文字に当てはめ、適当に口ずさんだ言葉が思った以上にシルヴィアの感嘆を引き出していた。
九郎が指でなぞる模様は地球で言うアルファベットに良く似ていた。
一文字一文字が崩されているのかJだかSだか分からない物や、RだかKだか判断つかない文字もあるが、発音だけは合っていたようだ。
だが、読めた所で意味までは分からず、九郎は謙遜しながら頭を掻く。
「マジ? 合ってんの? 俺の世界に似た文字があったから、適当に当てはめてみただけなんだけど?」
「おおよそ正解と言ったところじゃが……。これはサクリフィキュムと読むんじゃ。意味までは儂も知らんのじゃが……」
九郎がKかRかで迷った部分は実はFだったようだ。
シルヴィアは古代文字が発音記号で、読む事は出来るが意味を探す事が大変なのだと肩を竦めて片目を瞑る。
古代文字を解き明かせば、新たな魔法を編み出す助けになるのだが、意味を理解していないと力有る言葉にならないそうだ。魔術師は皆この古代語を調べ、意味ある言葉を繋げる事で新たな魔法を編み出して行くと言う。
(ベルなんかポンポン魔法を開発してたように見えてたけど……マジあいつ滅茶苦茶賢かったんかねぇ……)
魔法と言えばやはり赤髪の少女を思い出す。
必要だからと次々と魔法を編み出していたベルフラムは、少女でありながら驚くほどの量の古代の言葉を知っていたと言う事になる。
シルヴィア程長く生きていても、意味に辿り着けない言葉が有ると言うのに、ベルフラムはいったい幾つの古代語を理解していたのだろうか。
古代文字がアルファベットと変わらぬ事で、この世界の文字の習得に手こずっていた九郎としては知識の活用に光明を見出したが、言葉の意味が分からなければ意味が無いと知り消沈してしまう。
「まあ、古代文字の柱まで来たっちゅう事は明日には終わりそうじゃの! 今日はここまでにして帰るとするかの?」
落ち込んだ様子を見せた九郎の肩をポンと叩き、シルヴィアが立ち上がり背骨を伸ばす。
終わりが見えた事で疲れた顔の中に明るさが見える。
「祭壇に関係する言葉じゃろうから……街に帰ったらもう一度調べてみようかのぅ? 協力してくれるかや?」
この仕事を終えればシルヴィアはまた里を出る。
臨時でパーティーを組んだ九郎達だが、折角仲間となったのだからと、暫くの間パーティーを続けて行こうと言う話が出来ている。
仲間との冒険の楽しさを知った九郎は、勢いよく頷きシルヴィアの後を追う。もしも尻尾があれば扇風機の様に振られていただろう。
「何だかんだで『水の魔境』で楽したツケが回って来た感じがすんぜ……」
「ゴメンね……。私が出来る事なら何でもするから言ってね?」
「ガランっ! てめえシャルルが困ってるってのに! それに付け込んで!!」
「お、俺は別にそんなつもりじゃ!」
「最低だなっ! あれだけ枯れ木だなんだと言っておきながら……。とんだムッツリだぜ、なあクロウ?」
「全くだぜ! 見境ないオープンスケベのファルアを見習え! こいつは男すら脱がす鬼畜だぞ!?」
「じ……人族の男は男同士でもそんなことを? あの長い尻尾を使ってですか?」
暗く湿った洞窟内に明るく朗らかな笑いと、引きつった男達の声が響いた。
☠ ☠ ☠
年間通して人の訪れる事はまれで、訪れる者も小さな少女一人に限られていたフィオレの里の祭壇。
その祭壇とて誰かが祈りを奉げる事も無く、今はただそこに有り続けるだけの、日当たりのよい場所として存在していたに過ぎない。
午後の日差しが眩しい斑模様を映すその壇上で、ここ何年もなかったざわめきと言う名の音が響く。
「なぜこんなギリギリまで放っておいたのか!」
「私はちゃんと伝えたわよっ!」
「俺は聞いてなかったぞ!」
「2年くらい前に言ったじゃないか!」
「巫女の選定をどうしてその時にしなかったのだ!?」
「ロイツにやらせればよかっただろうが!」
「私はエイベルにお願いしたわよ?」
ざわめきの主は纏まりも無く勝手勝手に言いたいことを言い放つ。
誰しもが責任など感じないままに、酷く狼狽え焦りを相していた。
「
「そんなの分かり切ってるじゃない! 里の加護が弱まっているからだ!」
「なぜ加護が弱まる?! 巫女達は仕事をしていないのか!?」
他者に無関心と言う弊害は、自己の周りだけで完結した世界を作る。
壇上に集まった人々の中には、つい3年前の災害すら知り得ぬ者達もいるようだ。
口々に自分の言いたいことを言い放ち、尋ねたいことを聞く。
自分の身に危険が及ぶ間際になって慌てる群衆の滑稽な様は、いっそ喜劇と呼ぶべきものだ。
「落ち着くのだ。皆よ」
フィオレの里の族長マグナルバ・フィオレ。今や何の尊厳も持たない張りぼての為政者とて、衆愚を纏める経験だけは持ち合わせている。
ざわめきが小さくなる中マグナルバはもう一度周囲を見渡すと、静かに話し始める。
「お前たちが余りに動かぬものだから、私が既に手を打った」
抑揚の無い声、無表情な顔からは覗えないが、その言葉からは自身の手柄を誇る態度が見え隠れする。
集まった里の大人たちの中には、自分の手間が省けたと喜色を浮かべる者や、何を今更と言う様な蔑んだ視線が向けられる。
しかし共通して集まり言い合っていた大人たちの誰しもが、今尚他人事の様子を拭えていない。
「なら大丈夫なのですね?」
「じゃあ俺は帰るわ……昼寝の時間なんだ」
「今日も暑いわねぇ」
途端に今の状況を忘れたように弛緩して行く。
マグナルバが何をしたかも語らぬ内に、安堵の様子を見せ日常へと戻ろうとする。
永き平和と安寧は人を腐らす毒となっていた。
「しかし間に合わぬかもしれん」
興味を失ったかのように祭壇を後にしようとしていた、里の人々の足がマグナルバの言葉にピタリと止まる。
「それなら何も解決していないでは無いですか!?」
「敵が攻めてきている時に何をしていたのです?」
「弓などここ300年触れてもいないんだぞ?」
「早く逃げる準備をしなければ」
「『精霊の道』が途絶えた今、どこに逃げればいいのだ?」
ただ一言に再びざわめきは広がりを見せる。
皆が皆他人事。逼迫した状態であるにも関わらず、結局他人任せで自分を見失う大人達に、誰もが勝手気ままに落胆を相する。
石の下に眠るダンゴ虫を起こしたような、慌てているのか慌てていないのか分からない有様ながら、人々が慌てふためく様子を見渡し、マグナルバが再び口を開く。
「100年程前にここを出て行ったシルヴィアとシャルルと言う娘たちを呼び戻した。あ奴らに今『水の祭壇』の浄化を行わせている。後数日もすれば祭壇への道が開かれよう」
マグナルバは眼を細めて久しぶりの感情を表す。
人々の目が今自分に向いている事を噛みしめている様子で。
誰もが他人に興味を失い、ここ1000年の間に起こった災害など数えるほどしか無い。
族長と言う地位に居ながら、頼られる事も相談される事も殆んどなかったマグナルバにとって、久しぶりに為政者に向ける視線を感じて愉悦の笑みを漏らしていた。
「それでは何とか間に合うのですね? 間に合わないとは……?」
集まった一人が遠慮がちに声を上げる。
成人し殆んど顔を合わせる事も無くなり、名前も思い出せない森林族の女性は不安気な瞳をマグナルバに向けている。
久方ぶりの縋る様な視線に、マグナルバは心の中で愉悦を感じながらも重苦しい表情を作って答えを返す。
「『水の神殿』に魔力を捧げれば『セフィロト』の加護は復活するが、神殿に魔力を溜める時間が足りぬのだ……」
とうに忘れていた『水の神殿』の役割だが、先日のシルヴィアの言葉に昔の記憶を掘り起し、何とか体裁を整える。
シルヴィアの言う通り、3年もの間放置していた『水の神殿』が正常の機能を取り戻すには、失った魔力を再び溜め直さなくてはならない。
マグナルバとしては、呼び戻したシャルルを巫女に据えて再び魔力を溜めて行けば良いと思っていたのだが、ここ今になって『
「神殿に魔力を捧げるのは巫女の仕事では無いですか!!」
「巫女は3年前の洪水で全て死んだでは無いかっ!!」
「嫌よ私。巫女の仕事は疲れるんですもの」
「だから若い奴らにやらせれば!」
「今の里に若い奴らが残っているかよ!? 殆んどが外へ出て行ったじゃないか!」
外の世界と隔絶した社会。その中で育って行った行き過ぎた個人主義は、尻に火が付いた状態でも誰も自分から動こうとはしないようだ。
口々に他人を責め、自分を蚊帳の外へ置こうとしかしていない。
「あれはそもそも若い奴らの仕事だろ?」
「その若い奴らがそろって外へ出て行ったから!」
「今は巫女見習いのゲルムしかいないではないか!」
「奴はもう40年も巫女見習いなのか? 遅すぎるではないか!」
「誰も教える者もいないのだから仕方あるまい」
巫女見習いの期間は今迄多く見積もっても20年ほどだった。その後10年間巫女を勤めれば後進に譲って(押し付けてともいうが)、その後は一人気ままに生きて行く事が許されていた。
だが現役の巫女が死に、巫女を終えた者達が里を飛び出して行った故に、里の最年少の巫女見習いの少女は何をして良いのかすら分からず、ずっと見習いのままだったのだ。
「ではゲルムを巫女に据えて……」
「その話が本当ならばゲルムは何も知らないのでは無いか?」
「誰かが教えればいいじゃないっ!」
「そんな面倒臭い事私は嫌よ?」
新たな子が産まれていない今のフィオレの里では、ゲルムの後に続く者もいない。
下へ下へと追いやった面倒事を、再び抱え込むのを誰もが嫌って声を上げる。
「それならばその呼び戻した奴らにやらせれば」
「そうだ! 所詮一度外へ逃げ出した者だろう? ならば断わる事も出来ないしな」
「成程、妙案だ」
妙案を口にした一人に、次々と賛同の声が上がる。
結局自分がやらなくても良いのなら誰でも良いと思っているが、自分に押し付けられては堪らないと立場の弱い者へと面倒事を追いやる。
命の危機がそこまで迫っていると言うのに、自分だけは違うと信じているのだ。
そんな悠長な事を言っている時期ではもう無いのに……。
「シルヴィアと言う小娘がシャルルを巫女に据えない事を条件に、『水の神殿』を浄化すると言いだしたのだが?」
マグナルバのセリフに壇上が一瞬の静寂に包まれる。
再び手元に戻って来た面倒事に、突如怒号が響き渡る。
「余所者の分際で何を生意気なっ!」
「里に入れてもらえるだけでも温情だと言うのにっ!」
「これだから一度でも外へ出た奴はっ!!」
口々に罵りを上げる群衆も、結局の所自分が煩わしい事をしたくないと言うその一点に尽きるのだ。
マグナルバは今ここにいない者に対して罵詈雑言を上げる群衆を眺めて思案する。
シルヴィアは見るからに自分を余所者と自認して条件を突き付けてきたきらいがある。
里に留まる心算も無さそうだった。
族長としての命礼をしても、聞く気も無いだろう。
ならばシャルルはと言うと、シルヴィアの条件を飲んでしまった以上命令を拒む可能性が高い。
もとより魔物の蔓延る『水の祭壇』へ放り込もうとした経緯で、不信感を持たれてしまっている事も大きい。
無理に命令すれば再び里を出て行く事も考えられる。
ならば今巫女見習いであるゲルムを巫女に引き上げて、その任に就かせるのが無難かと思えたが、巫女の仕事など誰にも教えられていないゲルムに祭壇の管理など出来るはずも無い。
そして何より今は時間が無いのだ。
差し迫った危機に対して、悠長に構えている時間が無い。
早急に『水の祭壇』に魔力を込めなければならないのに、一人二人の魔力では足りないのだ。
魔力切れ限界まで魔力を奉じさせても、一夕一朝に溜まる物では無い事ぐらいはマグナルバも承知している。
「皆が怒るのも尤もだとは思うが……。それよりも今は時間が無いのだ……」
マグナルバの言葉に周囲のざわめきが凪いだように静かになる。
やっと自分達が追い詰められている状況を飲み込めてきたのか、その顔色が血の気を失っている。
マグナルバはその様子に、もう一度目を細め愉悦の笑みを浮かべる。
久しく感じていなかった権力者に縋る様な視線。
「だが皆も知るように、『水の神殿』に魔力を注ぐのは時間も労力も掛かり過ぎる」
マグナルバの言葉に人々の顔に嫌悪の感情が宿る。
ここに来てもまだ誰もが面倒事を避けるのは、長年平和を謳歌してきたツケだろうと考えるが、マグナルバとて自分が名乗り出る心算も毛頭無い。
魔力の枯渇は身体に過重な負荷をかける。
それでなくても動く事すら煩わしくなってきた身だ。
だからこそマグナルバは笑みを浮かべて皆を見渡す。
千年の間個人主義に浸り、千年の間生き長らえてきたその心に、他人の『命』の重さなど感じはしない。
マグナルバは皺の刻まれた口元を吊り上げ、縋る眼に向け長寿の知恵を説く。
「―――――だから私は『儀式』の必要性を感じてしまうのだ――――」
半月の弧を描いた瞳に、群衆の誰もが目を見開き言葉を失っていた。
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