第131話 ロリコン回避
清涼とした気配と草木の香る青い匂い。
頭上から降り注ぐ幾筋もの白い光が石と苔で出来た祭壇に斑模様を画く。
ハーブス大陸南方に位置する『大森林』。その中の中央に位置する『水の魔境』の中心部に聳える『世界樹』の麓にあるフィオレの里は常時蒸し暑い。
だが朝日の降る今の時間は夜の冷気を孕み幾ばかの風を祭壇へと運んでくる。
「シルヴィアの様子はどうだ?」
祭壇壇上から降る声に感情の色は見えない。
だがそれが内心に秘めた焦りを隠す為では無く、長年の時の末に無くしてしまったものだと知っている少女は俯きの中で小さく溜息を吐き出す。
「想像以上に『水の祭壇』内部は魔物が溢れている様子です。後しばらくは時間がかかると……」
フィオレの里の森林族の中で最年少の少女、ゲルムは居心地の悪さを感じながらも淡々とした口調で壇上の男に向かって報告する。
啖呵とも言えない拙い告別の言葉を放って、里を飛び出し一日も経たぬうちに舞い戻ってしまった為に、恥ずかしさと居た堪れなさが心を刺激して来る。
もう後が無いと半ば自棄気味に里を飛び出したゲルムであったが、所詮は自分はまだ子供と扱われる身であり、また自分の育った場所が『魔境』と呼ばれる類の場所であることを痛感していた。
これまでは『精霊の道』と言う安全な道が外の世界へと伸びていたが、それを失ってしまっている今、力も経験も未熟な自分一人で『水の魔境』を抜け出る等自殺に等しい行為だと。
「偉そうに講釈を垂れておきながら、情けない事よな」
壇上から再び意味の無い嘲り言葉が降ってくる。
言い返す事すら無駄だと感じてゲルムは何も言わない。
壇上で偉そうに言葉を垂れ流した壮年の男、フィオレの里の族長であるマグナルバは、今どれ程滑稽に見られているかなど気が付いていないのだろう。
自身では何も動かず、出した命令すら末端に届かず、ただ一番長く生きていると言うそれだけで権威を謳う老人を憐れとすら思う。
自分も出来るならば他の大人たちの様に我関せずを貫きたい。
だが里で最年少という立場は、里で一番弱者と言う立場だ。
この80年間ゲルムの後に子供が産まれていない。
もともと子供の出来にくい種族ではあるのだが、それでも年々出生率は下がっている様子だ。
里に蔓延した無気力と惰性の空気は、生きる者の本能である増える事すら忘れてしまっているかのようだ。
「まあ良い……。3日後にまた報告しろ」
「は……」
マグナルバの命礼に短く返事を返してゲルムは祭壇に背を向ける。
老人の話し相手ももうすぐ終わる。
考え無しに里を飛び出したゲルムだが、自身の力の無さを痛感して尚里に留まる心算は無い。
この里が再び生き長らえる道を得ようとも、ゲルムはそこに身を置く気は無かった。
ついぞマグナルバが嘲ったシルヴィア。
ゲルムは彼女に一筋の光明を見出していた。
同じ森林族ながら今のゲルムよりも20も若い時に里を飛び出し、100年の間研鑽を詰んで来たと言う少女。
一挙手一投足に熟練の技が見え、その内に宿る魔力は里の誰よりも強大に見えた。
彼女が『水の祭壇』を浄化し終えたならば、ゲルムは彼女に頼み込んで里を出ようと思っていた。
その願いが叶わなくても、『精霊の道』が修復されれば……。
(ここに未来は無い……。きっと外には……)
ゲルムは僅かに見えた灯りを見据える様に顔を上げる。
一度潰えた計画だが、残りの1000年をこの場所でただ、植物の様に生きる気はゲルムには無かった。
☠ ☠ ☠
『水の祭壇』――――世界樹『セフィロト』の大きく広がった根の内側、脈打つ丘と見まごう巨大な根っ子のアーチに押し上げられ、ぽっかりと開いた穴の奥に作られた祭壇。地底湖に備えられたその祭壇は屈折した光を水晶の壁に透かされ、泉の反射と相成って神々しいまでの存在感を放つ場所。
だがその場所に至るには長い自然の洞窟を抜けねばならず、今その場所は暗闇と脅威に満ちた『
三年誰にも管理される事無く荒れ果てたままの祭壇は、『世界樹』の『聖なる魔力』を留める力を無くし、『セフィロト』の真下であるにも拘らず、正にぽっかりと開いた魔力の穴となっていた。
そこに入り込んだ魔物はその内側で三年の間誰に邪魔される事も無く繁栄を謳歌していた。
そんな『
「どんだけいやがんだっ! ゴミ溜めの蠅かよっ!?」
ファルアの持つ
キーキーと鳴く小さな魔物が暗闇の中に雲霞の様に飛び交っている。
「ちと魔力が心もとなさそうじゃ! 一旦後退した方がええと思う!」
風の障壁を張り、群がる魔物を押し止めているシルヴィアが額に汗を滲ませる。
今無数に飛び交っているのは『
僅かな傷でも負わされれば熱病を齎す危険な蝙蝠だ。
シルヴィアが風の障壁の魔法で寄って集る『
安全に、無傷で一方的に魔物を狩る布陣ではあるが、シルヴィアはその間ずっと魔力を消費し続けねばならず、いくら初級の魔法と言えども限界は近いように思えた。
「おらぁっ! カモンッ! どんどん来いやぁぁあああ!!」
一人シルヴィアの風の障壁の外で九郎が咆哮を上げて腕を振るっている。
暗闇の中赤く炭の様に輝き、一人踊るように。
黒く小さな影が光に集まる虫の様に纏わり、その身を焦がして落ちて行く。
滅茶苦茶に腕を振り回すだけの攻撃も、通路を埋め尽くすほどの蝙蝠の魔物が自ら寄って来るのであれば当たりもする。
小さな命の灯火を集め、かき消すような炎の舞にシルヴィアの喉が小さく鳴る。
「クロウっ!
「おーけいっ!!」
ファルアの短い指示に九郎が答える。
「一度こやつらを吹き飛ばすっ! コルル坊! 無理するでないぞっ!!
――『深碧の旅団』アーシーズの眷属にして木の葉を煽る小さき風よ! 巻き上げよ! 『インペティウス・ウェント・エクセル』!!」
両手を前に張り出したシルヴィアが『突風』の魔法を放つ。
以前シャルルの見せた魔法と同じ詠唱ながら、その威力はそよ風と暴風の差異がある。
ゴウッと噴き出した魔力を伴った風の壁が、暗闇の中を飛び交う小さな羽を舞い上げ翻弄する。
「ガランっ! 遅れんなよっ!」
「クロウ! 30数える間耐えてくれっ!」
「お土産は?」
「何でもかんでも食おうとすんじゃねえっ! そいつらは病気持ちだっ!!」
暗闇の中踵を返したシルヴィアの耳に、切迫した状況とは思えない場違いな会話が聞こえた。
☠ ☠ ☠
「ちょっと、そこの前尻尾!」
最早この時間帯の定位置となりつつある鍋の前で、今日の献立を考えていた九郎の後ろから幼げな声がかかる。
「その呼び名止めてくんね……シャルルが言ってたろ? 男はみんな同じもんが付いてんだからよ……」
引きつり笑いを浮かべながら振り向くと、薄青色の髪と同じ色のワンピースを着た幼女が腰に手を当て立っている。
「シャルル姉さまはそう言ってましたが、里の男にあんな長い尻尾の持ち主は見た事ないです!」
森林族の男性のソレは人族に比べて頼りないモノなのだろうか。
人並みだと自認している
同い年くらいの少年と比べて判断しているかもしれない。
「そりゃあゲルムが……」
――大人になれば分かる――と言いかけて九郎は口をもごもごと動かす。
ゲルムと名乗るこの森林族の幼女だが、果たして幼女と言って良いのか判断が付かないのだ。
見た目はまごう事無く幼女のなりだが、その年齢は今年で80を数えると言う。
成長速度自体が人族の10倍緩やかだと聞かされているから、森林族の中では幼女と言って差し支えないのだろうが、九郎にとっては60歳も年上の女性となる。見た目の年齢通りに対応して良いのか迷う。
同じ森林族であるシルヴィアは今年169歳を迎えるが、「仲間間で遠慮は無用」とのファルアの提案もあって遠慮の無い関係を築いている。だが、仲間でも無いゲルムに対して子供と同じ接し方をして良いのかと悩んでしまう。
口調だけはファルアが危惧していた事を思い出し、普段通りにしているのだが……。
「俺の名前はクロウってんだ。ちゃんと呼んでくれなきゃ返事しねえぞ?」
どちらしても女性に男性のブツに対する説明をするのは避けるべきだと判断した九郎は、言いかけた言葉を飲み込み呼び名の修正を図る。
「そうですか。ではクロウ。お姉さまたちはどちらにいますか?」
ゲルムと言う少女は今時の生意気な子供とは違いとても素直な性格の様だ。
九郎の言を素直に聞くとコテリと首を傾げる。幼子らしい振る舞いに、九郎はゲルムを見た目通りの対応をする事に決め、肩の力を抜き寝床を指さす。
「家で風呂に入ってんよ。折角だから一緒に入ってきたらどうだ?」
この所、仕事が終わると夕食前にシルヴィア達は毎日風呂に入る。
半分以上はシルヴィア達の為に作ったようなものだから、それを拒む理由も無い。
女性陣が風呂に入っている間、男達は武具の手入れや食事の用意となるわけだが、そもそも武器を使わない九郎が食事番を押し付けられるのは、避けられない事なのかもしれない。
シルヴィアやシャルルも一日目以降は同じ家で寝泊まりしているが、旅の間もずっと寝食を共にしてきた間なので今更だ。
見た目は同年代同士で、ガヤガヤと暮らす今の生活は思った以上に賑やかで楽しい。
「『風呂』とは温かいお湯の水浴びですよね? シルヴィア姉さまが言ってました! いいんですか? それでは私もご一緒して来ます」
「ちょっと待てっ! ここで脱ごうとするんじゃねえっ!」
顔を綻ばせたゲルムがワンピースの裾を捲り上げ、九郎が慌てて止めに入る。
森林族の生活が半ば路上生活者と変わらない物だと言うのは、この数日ここで暮らせば分かって来る。
体を清めるのも泉や滝での水浴びが基本なのだろう。
泉に飛び込む時と同じように服を脱ぎだしたゲルムは、九郎の言葉に再び首を傾げる。
「水浴びですよね? どの道脱ぐのならここで脱いでも変わらないのでは無いですか?」
「いや……まあそうだが……。いやいやっ! 違うっ! そうゆう決まりなんだっ!」
一瞬納得仕掛けたが、風呂は泉とは違う。
別段幼女の裸に興奮する
「そうですか? 分かりました」
ゲルムは納得いかない素振りを見せながらも、素直に言葉に従い家へと走って行く。
その後ろ姿を見送りながら、九郎は大きく息を吐き出す。
幼女の裸などこの世界に来てから毎日見ていた時期もある。
『風呂屋』を営んでいた頃など、それこそ日に何度も共に風呂に入っていたのだ。
そこに最初は躊躇いもあったが、相手に照れも無く、自分自身も慣れてしまえば気にもならなくなった。
女と言っても九郎は幼女に女性を感じることは無く、ひとくくりに子供として扱っていたので性別の差異など些細な事だった。
だがゲルムは御年80歳なのである。
子供で無ければ乳の有る無しに関わらずイケる九郎にとって、判断に迷うところであるのだ。
頭の中では子供と処理しようと思っているが、もし
子供と呼べる年齢に対して性欲を覚えないが、同い年の子供っぽい子に惹かれる事はある。
それは頭の中で「この年齢の子に性欲を覚えるのは駄目な事だ」とブレーキがかかるが、見た目で判断しているのでは無いという事だ。
だから見た目幼女の80歳に反応してしまえば、自分の中の何かが崩れてしまう気がしていた。
いくら見た目が幼くても80年も生きていれば、男女の差異や性に関する知識も有る可能性が高い。
シルヴィアは結構初心だが、シャルルはシルヴィアよりも若いが奔放だ。
それに森林族の里の者達も、あまり肌を晒す事に恥じらっている様子が無い。
初心なシルヴィアとて里の中ではかなりの薄着なのだ。
それでなくてもこの世界の人間は精神的に早熟だ。
女性なら12歳で成人扱いされると聞いて驚いた物だが、ベルフラムもクラヴィス達も日本の子供達よりもよっぽどしっかりしていた。
だから森林族の中では成人に達していないシルヴィアに惹かれた自分の判断が、どこまで許容しているのか分からなくなっていたのである。
「第一女子高生相手でもロリコンって言われると……なあ……」
誰とも無しに九郎は一人言ちる。
学術的に言えば18歳以下に性欲を覚えればロリコンと定義される。
だが20歳の九郎にとって女子高生は充分に
この世界に飛ばされてもうすぐ1年の月日が過ぎる。
この世界の人種は様々で、成人と認められる年齢もまた同様だ。
森林族の様に年上ながら驚くほど若々しい種族も居れば、小人族の様に総じて幼く見える種族もいる。
逆に年齢一桁でも大人と変わらない体型の
アプサル王国で感じた倫理の破壊された子供への性欲。
九郎が忌諱した慣習が自身の育って来た環境の倫理であって、アクゼリートの倫理では無い事を知りつつある。
所詮地球の、日本での倫理観に基づいている九郎の判断は少し綻びを見せていた。
「どのみち何も出来ねえから今反応したってどうにもならねえよ……
俯きながら九郎はもう一度自分自身に語りかけた。
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