第129話  フィオレの里


「こりゃあまた……すげえな……」


 夕焼け空の色が真上から降り注ぐと言う不思議な体験。

 周囲全体が赤く染まると言う初めての経験に、九郎は思わずため息を吐き出す。

 九郎の感嘆の呟きは、ファルアとガランガルンの無言の肯定の中に沈む。

『世界樹』と言う規格外の巨木の麓と聞いて日の光等当たらない薄暗い場所を想像していたが、シルヴィアの説明を聞いた後でもその光景は見る物を圧倒していた。


「フィオレの里はの、『セフィロト』の葉の滴で光が捻じ曲げられて、外の世界と日照時間は左程かわらんのじゃよ」


 後半日と言う距離の森の中で出会ったゲルムと言う森林族の少女の案内で、『水の魔境』の最深部に辿り着いた九郎は目の前の光景に間抜け面を相していた。

『世界樹』に降り注ぐ太陽の光は、巨大な葉に溜まった水を反射、屈折させて麓を照らしていると言う。

 それにしても、森林族の村々は地球のどの地域にも当てはまらない奇妙な光景だ。

 童話の中にしか存在しない小人の家とでも言う様な、大きな葉っぱの屋根と自然に生えたサトウキビの様な植物の壁。見るとちらほら屋根すらない家もあり、夕餉の支度の煙がそのまま空へと登っている。


「…………屋根は?」

「ここはね~、屋根はあまり意味が無いからね~」


 ガランガルンの呟きにシャルルがふわんとした返事を返す。

『世界樹』の麓に作られたシャルル達の故郷フィオレの里は、大きな木の傘の下に作られた里だ。

 雨が幾ら降ろうとも、『世界樹』の巨大な葉に遮られて大地に直接降り注がない。

 逆に朝露や滴は決まった道筋を辿って落ちて来るので、雨が降らなくても幾筋もの滝が上空から零れ落ちている箇所がある。

 所謂巨大ドームの中に作られた里といった所か。

『聖なる魔力』の源と言うだけあって、周囲に魔物の気配も無く、道行く人々も何の武器も持たずに平穏そうだ。


「これでもう少し愛想がよけりゃなぁ……」


 ファルアが道行く人々を眺めながらポツリと溢したセリフに、シャルルとシルヴィア、そしてゲルムまでもが顔を曇らせる。

 ここで育ち皆が家族のようなものだと言っていたシルヴィアやシャルルが帰郷したというのに、道行く人々は声を掛けて来るでも無く、あからさまな余所者に対する視線を向けてくるのだ。


「森林族はね~……一度里を去るともう他人として考えちゃうから……」


 シャルルが苦笑を浮かべながら言葉少なく説明してくる。

 シルヴィアやシャルルのように里から外へと飛び出した森林族は、再び里の住人としては迎えられないものらしい。

 それは一度外へと出た事の有る森林族は、里の森林族とは時間の流れに対する認識が違い過ぎて、度々諍いに発展してしまうからだと言う。

 人族の街などのせかせかした時間の流れに慣れた者達と、森林族ののんびりとした生活の齟齬が問題なのだと言うシャルルの説明に、九郎は田舎特有の閉塞感の様なものを覚える。


(そういや都会に出てから田舎に帰ると、電車の待ち時間に辟易するしなぁ……)


 田舎生まれ田舎育ちの九郎でも、一度東京の電車の時間帯に慣れてしまうと、一日に数本しか運行しない地元の電車には、理不尽だとは知りつつ怒りを覚えたものだと感慨にふける。


「わ、私はシャルル様やシルヴィア様を姉さまと思ってますよ?」


 ゲルムが二人を交互に見上げながら、必死に取り繕った笑みを見せる。

 森の中で出会ったゲルムと言う少女は、シルヴィアとシャルルに自ら歩み寄ろうとしている様子だ。

 九郎達男3人には余り近づこうとはしないのだが、それは自分達が他種族だからか、それとも異性だからと言った所だろう。


(ガキンチョには受けが良い自信があったんだが……。あの出会い方じゃなぁ……)


 子供好きで子供に好かれやすいと自負していた九郎だが、流石に出会い頭に局部を晒すと言うハプニングの後では話しかける事すら躊躇してしまう。

 子供に見られた所でとも開き直りたいのだが、ゲルムの年齢が80歳と聞いて自分より遥かに年上の女性に裸を見られたと言う気恥ずかしさも相成り、どうにも調子が狂っていた。


「一度荷物を置きに私の家に寄って下さい。それで宜しいですか? 姉さま?」

「まあ……儂等の家はとうに無くなっとるじゃろうしな……」

「お世話になるね~。5人だけど大丈夫~?」


 縋るようにシルヴィアとシャルルのマントを引いたゲルムが、シャルルの言葉に顔を引きつらせている。


(ま、そりゃそうだよな……)


 九郎は頭を掻きながらファルアに視線を向ける。

 ファルアが九郎の視線に気が付いたのか、頬の傷を掻きながら立ち止まり肩を竦めて軽薄そうに言いやる。


淑女レディーの家に俺らみたいな男が押し掛けるのもなぁ?」

「雨風凌げるんだから何処だって寝れるしな?」

「魔物も来ねえらしいから大丈夫っしょ?」


 短い付き合いだが同じ飯を喰い命を預けて旅して来たからか、ファルアも九郎の言いたい事を汲んでくれたようだ。ファルアの提案にガランガルンが続き、九郎もそれに乗っかる。

 聞けば森林族は大概一人一人が小さな家に住んでいるそうなので、どの道6人も泊まれる様な家では無いだろう。

 今迄の様に魔物を警戒する必要も無いのであれば、道中に比べても明らかに野宿が気楽だと頷き合うとひらひらと手を振って見せる。


「そ、そうですか? スイマセン……。あっちの方でしたら誰も住んでいない筈ですので……」

「ま、仕方ないの? 後で様子を見に行くからの」

「適当に寝やすいようにしちゃってもいいからね~」


 九郎達が別の場所で眠ると分かりゲルムが一瞬顔を輝かせ、直ぐに申し訳なさそうな顔を見せてくる。

 年端も行かない(年齢は九郎達男衆よりも上なのだが)少女の家に押しかけるには、自分達の身なりは明らかにそぐわない。

 頭を小さく下げたゲルムに、九郎は気にしないようにと笑顔を見せる。

 その様子を横目に見たシルヴィアが片目を瞑って肩を竦め、シャルルが手を振り返す。


「んじゃ、とっとと野営の準備と行くかっ!」

「今日の飯番はクロウだよな?」

「え~!? 昨日もじゃん! 今日はガランだろ?」

「ガランの飯は酒のツマミにしかなんねえのは知ってんだろっ!?」

「そもそもファルアは飯が不味いしな?」

「くそっ! 料理番が肉の量を決める権利がある事を知らしめてやる……」

「てめっ! 汚えぞっ! 今日の肉は俺が仕留めただろうが!?」

「クロウっ! 酒を飲みたくねえか? せっかく『水の魔境』攻略祝いにとっておきがあんだが?」


 話が纏まった所でワイワイやり始めた男達に、シルヴィアとシャルルが顔を見合わせ苦笑を漏らす。

 九郎は文句を口にしながらも、その口元に笑みが零れる。

 再び誰かと笑いあえる、言い合える――そんな関係を噛みしめて――――。


☠ ☠ ☠



「よく帰って来たな……我が娘たちよ……」


 抑揚の無い声の主が両手を広げて歓迎の意を示した事にシルヴィアは小さく息を呑む。

 森林族の考えでは一度外の世界に飛び出た者は、余所者として扱われる。

 なのに目の前の壮年の男、フィオレの里の族長であるマグナルバは、呼び戻したシャルルだけでは無くシルヴィアまでも歓迎する様子を見せていた。


「な……なんぞ悪いもんでも食べたのかえ? 爺殿よ……」


 思わずそんな皮肉が飛び出てしまう程、シルヴィアは狼狽えていた。


「族長……。あまり取り置きばかり口にしてますと……体に毒ですよ?」


 驚いたのはシルヴィアだけでなくシャルルも同様のようだ。

 普段ほんわかしたシャルルの口調も、今は全く成りを潜めている。

 シルヴィア達の皮肉めいたセリフにマグナルバがピクリと眉を跳ね上げるが、その表情から感情を読み取るにはこの男の表情は大人しすぎる。

 60年と言う短い間だとは言え、シルヴィアの知る族長は長く生き過ぎた為に感情の起伏が少なく、仮面のような印象を覚えていた。

 ――同時に族長は森林族の慣習の権化とも言えるような、堅物だった筈だが……。

 シルヴィアは目の前で両手を広げた男が、自分の知るマグナルバと同一人物なのかと訝しんだ表情を浮かべる。


「シャルルよ……。態々呼び出してすまなかったな……。行方が分かっていた者には全て手紙を飛ばしたのだが……シルヴィアまで連れ帰って来てくれるとは思ってもいなかったぞ」

「え? ええ……。『精霊の道』が途絶えていた為、私一人では里に辿り着けそうも無かったので……」


 マグナルバの言葉の真意を訝しがりながら、シャルルがたじろぐ。

 マグナルバの言葉からは、シルヴィアがこの里に戻った事は嬉しい誤算といった所なのだろうか。


「ゲルムの奴が後10日はかかるとか言っておったからな。あの小娘は……日にちも数えられぬ程だとは」

「本来はそうじゃったじゃろうな? 儂等とてコルル坊がおらんだら、もっと日にちが掛かっておったじゃろうし」


 マグナルバがここまで案内してくれた森林族の少女を蔑むように愚痴を吐いたのを、シルヴィアが釘を刺すように言い咎める。

 僅か5日で『水の魔境』を攻略するなど、シルヴィアも予想していなかった。

 まさか殆んど『スライム』に運ばれて一直線に『水の魔境』を突っ切ってしまうなど、どこの誰でも予想するまい。この事でゲルムを咎めるのは少々酷と言うものだ。


「そう言えば他にも冒険者なる者を里の中へ招き入れたそうだな?」

「彼らはシルヴィアと同じく私が雇った冒険者です。彼らがいなければ『精霊の道』が途絶えた今の里には辿り着く事すら出来ませんから」


 マグナルバの言葉に排他的な含みを覚え、シルヴィアの頬が一瞬引きつる。

 やはり目の前の男は本質的には変わっていない。

 余所者を嫌い、変化を嫌う森林族の代表全とした排他的な考えが、言葉一つに込められている。

 だがシャルルの言う様に、今のフィオレの里に戻る為には冒険者の力は不可欠だ。

 シャルル以外にも外に出た里の者に手紙を送っているようだが、果たしてどれ程の者達が里まで辿り着けるのだろう。


(それよりも……帰って来る者が他におるんかいの?)


 森林族の慣習を知っていれば、余所者と疎まれるのを知りながら里に帰ろうとする者など、それ程多いとは思えない。

 シルヴィアもシャルルの護衛の依頼で無ければ、二度と戻らない心算でいたし、シャルルも思う所が無ければ帰ろうとは思わなかっただろう。

 マグナルバの言葉の端々からや、迎えに出向いたと言うゲルムの言葉からも急ぎの様子が見て取れるが、例え一年前から手紙を飛ばしていたとしても、『大森林』に臨む街に住んでいたシャルル以外は帰って来ないのではあるまいか。


「それで族長? 火急の用があるからとしか手紙には書かれていませんでしたが?」


 シャルルの言葉にマグナルバが再度眉を跳ね上げる。

 急ぎの知らせと聞いて旅立つ決意を固めたシャルルだが、その手紙には肝心の内容が殆んど書かれていなかった。

 逆に何も書かれていなかったからこそ、何か良くない知らせなのではとシャルルも急いだ節がある。

 だが里に着いてみれば昔の長閑な雰囲気と何も違ってはいない事に、シャルルとシルヴィアは顔を見合わせ首を傾げていたのだ。


「おお、その件なのだがな……。シャルルも3年前の事件は知っておろう? あの忌々しいアプサルの青服が『水の神殿』を破壊しおったのだ。あやつの魔法で引き起こされた洪水で、神殿の巫女が居らぬようになってしまってな……お前に巫女を勤めて欲しいと思っているのだ」

「なっ!? 3年前からずっと誰もおらんのかっ!? それでは『精霊の道』が途絶えたのも道理じゃろうてっ!!」


 マグナルバの言葉にシルヴィアが思わず口を挟む。

 洪水が巻き起こされた3年前から誰も『水の神殿』を管理していないとすれば、『聖なる魔力』を導く事も出来ず『精霊の道』が散り散りになってしまったのも頷ける。

『世界樹』の魔力を導き、道とするには日ごろから『水の神殿』に魔力を捧げる必要がある。

 シルヴィアもシャルルも巫女見習い時代から里を飛び出すまでは、何度も神殿に魔力を捧げている。

『精霊の道』が途絶えた原因は人で言う所の『魔力切れ』の所為だと分かり納得も出来るのだが、それよりも3年も丸々放置していたと言う杜撰な管理の方が問題だ。


「仕方なかろう? あの件でその場に居た巫女は殆んど死んでしまったのだ」

「では里の者達に言えばよかろう? 巫女でなくとも魔力は捧げられる筈じゃ! この里の女なら誰でも一度は巫女の経験をしとるじゃろう!?」


 どうしようもなかったと首を振るマグナルバをシルヴィアは信じられないものを見る目で睨みつける。

『水の神殿』に魔力を奉納するのは何も巫女である必要性すら無い。男でも魔力を奉納する事は可能なのだ。

 誰もが少しばかりの魔力を捧げていれば、今の様な状況にはなっていなかったのだ。

 なのに今更外に出た者を呼び出し、その後始末をさせようとしている族長の無神経さに腹が立つ。


「我々年寄りに魔力を捧げろと言うのか、シルヴィア? 若い者達が率先して苦難に当たるのは当然の事だろう?」

「毎日少しの魔力を捧げるくらい誰だって出来るじゃろうがっ! 歩く事すら止めてしまえばそれはまるでっ………!!!」

「シルヴィ! 落ち着いてっ?」


 ――本当に植物では無いか――。

 激昂して拳を握りしめたシルヴィアの言葉は、何とかシャルルに抑え込まれる。


 ――何も変わっていない――。

 シルヴィアの自分の中の怒りが、変わろうとしない故郷への苛立ちと重なる。

 自分が里を飛び出た切っ掛けである、誰も彼もがただ生きているだけで、生物の本能である栄える事すら忘れてしまった育たない植物を見ている様な薄気味悪さ。

 目の前で抑揚も無く語る男が、一本の朽ちた枯れ木に見えてくる。


「そうは言ってもな? あの事件以来『水の神殿』付近は荒れ果ててしまい、魔物が蔓延るようになってしまったのだ。今は誰も近付けぬ」

「ならばなぜシャルルをそこに向かわせようとするんじゃ!? それではシャルルに死んで来いと言っとるようなものじゃろうがっ!!」


 一度治まったシルヴィアの怒りは、続くマグナルバのセリフに噴き上がる。

 シルヴィアが疑問を挟まなければ、マグナルバは何も知らないシャルルを平然と『水の神殿』に向かわせたのだろうか。歓迎する風を装いながら、結局自分達里を飛び出した者達は余所者として扱うつもりだったのかと、他人事のように言い放つマグナルバに食ってかかる。


「シャルルもシルヴィアも里を出た身だろう? ならば魔物と戦う事等、普通であろうが?」


 ――ああ……。

 シルヴィアは平然と言ってのけるマグナルバの言葉が、何の躊躇いも含んでいない事に気付き、掲げていた拳を下げる。

 マグナルバは、里を出た者達は全て魔物達と戦って生活していると思っている。

 確かにシルヴィアの様に冒険者となる森林族は多いが、シャルルの様に殆んど街で働いて生活している者も沢山いる事をこの男は知らないのだろう。

 自分が知らないからこそ勝手に決めつけ、知らないままに勝手に判断する。

 族長と呼ばれているのに何の知識も得ようともせず、ただ惰性で生きている目の前の男が憐れにさえ映る。


「シャルルは戦う力は持っとらん……。代わりに儂が道は作ってやろう……」


 シルヴィアが俯き、絞り出すようにポツリと呟く。


「ならばその後はシャルルを巫女として―――」

「そうするのならば儂は協力せん! 巫女は里の者から選ぶんじゃな……。それが報酬の代わりじゃ……」


 シャルルが一人『水の神殿』で巫女として魔力を奉納し続けるには流石に無理がある。

 毎日少しずつでも魔力を奉納していれば、シャルル一人でも巫女の仕事は出来るだろう。

 しかし3年も放置していた『水の神殿』に魔力を満たすとなると、人一人の魔力では危険が過ぎる。

 それにマグナルバの言い方からも、この先シャルルがずっと巫女として神殿に捕らわれ続けるやもとの不安もある。

 余所者と扱われるシャルルを助けてくれる者など、この里に期待すべくも無い。

 友人として姉妹としての最後の餞別だと、シルヴィアは投げやりに言葉を告げる。が――――


「何故シルヴィアに報酬等払わねばならんのだ?」

「~~~~~~!!!」

「シルヴィッ!!」


 思わず腰に下げた短刀に手を掛けたシルヴィアに、シャルルが慌ててしがみつく。

 荒く肩で息を吐くシルヴィアに、マグナルバは理解できないと肩を竦めている。


(こういうものじゃったろうが……共同体としてすら機能しとらん……)


 確かに里にいる間、シルヴィアも族長の命礼でいろんな仕事に従事していた。

 それが当然だと思っていたが、外へ出た後ならそれがどれ程歪な状況を生むのか分かっている。

 報酬も無く動かされる者達ばかりだと、誰も率先して面倒事をしようとはしない。

 面倒事を下へ下へと降ろして行くうちに、誰もが自分の事以外をしようとしなくなったのが今の現状なのだろう。

 貨幣すら必要無いコミュニティーの歪さは、家族と言う枠組みの中だからこそ成り立つ物だ。

 里の者ならば命令を聞いて当然ととらえている目の前の男は、里に帰って来た森林族の住人がどんな暮らしをしているのかすら知らないのだろう。

 余所者として、白い目で見られながら暮らして行かなければならない者達の存在。

 他人に無関心故にそれ程煩わしい事は起こらないが、それでも仲間とすら思われずに暮らして行くシャルルの事を思うと、無性に遣る瀬無い気持ちが込み上げてくる。


「どんな魔物がおるか分からんが……。儂の仲間にも手伝ってもらわねばならんじゃろうからな。爺殿に……いや、この里に金等無かろう? それが嫌なら、余所者の儂らに頼るのでは無く、自分達で何とかするんじゃな!」


 シルヴィアは怒りの矛先を見据えながらそう言うと、シャルルの腕を掴んで踵を返す。

 頭の中にはシャルルをこのまま里に残して良いのだろうかと、焦りとも不安ともつかない考えが過っていた。


☠ ☠ ☠


「あ゛ぁぁぁぁぁっ! ムシャクシャするのぅっ! うわわわわわっわわっ!!」


 シルヴィアがダンと床を叩いて怒りを露わにする。

 モインモインとシルヴィアの拳に九郎達が揺れる。


「あちゃっ! あちゃっ!!」

「おいっシルヴィ! 床を揺らすなっ!!」


 波打つように揺れる残りのメンバーが抗議の声を上げる。


 ――まさかこんなことになっていようとは……。


(悪乗りが好きな)若い男達三人に――――

 適当に――――

 寝る場所を作っても良いと言えばこうなるのか――――。


 族長の家を後に、九郎達の様子を見に来たシルヴィアは一瞬怒りも忘れてそう嘆息した。


 里の外れに拵えられた九郎達の寝床は、他の森林族の家よりも余程立派に作られていた。


 植物の茎を使い立派な壁を作っていることは、他の森林族の家を真似た様なのでこの際置いておくとして、何故他の森林族の家の5倍以上の広さが必要だったのかと小一時間問い詰めたい。

 屋根など必要無いと言った筈なのに、何枚もの『世界樹』の葉を重ね、しかも天井を髙くしてある。

 そして更に驚くのは部屋の中身だ。

 波打つように揺れているのは九郎が拵えたと言う、部屋全てを覆う様な緑の床。

 直線状に長く伸び、弾力のある茎を生えたまま編み込んで笊の様にしたそれは、整地の手間も省けて一石二鳥の床として機能していた。

 これならば地面に体温を取られることも無く、快適に過ごす事が出来るだろう。



「だいたいお主らはここに住む気かっ! こんなの族長の家よりも立派になっとるじゃろうがっ! なんじゃぁこのモインモインする床はっ!?」

「それは九郎がっ!!」

「あっ! ずっり~! ファルアが言いだしたんだろっ!? どうせなら快適にって!!」


 先程までの鬱憤も相成って、理不尽な怒りを男達にぶつけるシルヴィア。

 仲間である男達が皆一様に凝り性だという事を忘れていた。

 只の寝床一つにしても、ファルアは器用に縄で吊床を作っていたし、ガランガルンの使える土の魔法は全て野営用の細々こまごまとしたものに限られていた。九郎は言わずもがな、街の外に自分で家を作っていた程だ。

 まるで大きなクッションの上に座っている様な眠気を誘う座り心地に、シャルルなどは既に横に寝そべっている。

 シルヴィアがバシバシと床を叩く度に、全員が僅かに揺れるのがさらに怒りを誘う。


「ガラン坊っ! お主はそこで何を作っとるんじゃ!? 便所なら外に作らんかっ!」


 一人快適な床に座らず端の方で何やら土を掘り返しているガランガルンに、シルヴィアは怒りの矛先を向ける。

 只の八つ当たりだとは知っていても、なまじ遠慮の無い関係なので気にすることも無い。


「便所はもう外に作ったよっ! これはクロウに頼まれた奴だ! 文句ならクロウに言えよ! ……おい、クロウ……これで良いのかよ?」


 とんだとばっちりだとガランガルンが肩を竦めて振り返る。

 ガランガルンが掘っていた穴は、基本的な森林族の家のサイズと同じくらいの面積の浅い穴のようだ。

 そこに砂利が敷き詰められ、深さはそれ程深くは無い。

 外に向かって僅かな傾斜の溝が掘られている事から、どう見ても大きな便所にしか見えずシルヴィアが首を捻る。


「お、さっすがガラン! やっぱ魔法はいいよなぁ……。俺も使いてえ」

「お前文字すら普通に書けねえじゃねえかっ!」

「勉強はしてんよ? 失敬な!」


 穴の出来栄えにうんうん頷いた九郎が、ファルアに目くばせする。


「シルヴィ? これはホントにクロウが作りてえって言った奴だかんな? 俺らは飯を人質に取られて仕方なくっ……」


 不穏な呟きを零したファルアはするりと外へ出ると、屋根に上って声を上げる。


「行くぞー? いいかぁー?」

「おーらいっ!!」


 何をやっているのかとシルヴィアが上を見上げた瞬間、屋根に水が落ちる音が響く。

 雨など降るはずも無いのにとシャルルが顔を上げ、九郎が穴の真上の屋根にナイフで切り込みを入れる。

 細い滝となって屋根から水が降り注ぎ、穴の中に水が溜まって行く。


「これでいったい何がしてえんだか……」

「あいつの行動にいちいち疑問をもってちゃ、疲れるだけだろ?」


 ファルアが屋根から降りて来、ガランガルンが諦めたように息を吐く。

 だがシルヴィアは何も言わずに目の前の光景をじっと見つめる。


「コルル坊やぁぁぁぁ……それはまさか……」

「おうっ! やっぱ家には『風呂』がなくっちゃな!」


 ビシッと親指を立てた九郎に、シルヴィアはヒシッと抱きついていた。

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