第126話  『水の魔境』


「いやっふぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!」

「馬鹿もんっ!! そんなに漕ぐで無いっ!!」


 殆んどの冒険者が足を踏み入れた事も無いであろう、『大森林』の奥地、所謂本当の『水の魔境』と呼ばれる森に九郎の歓声が響く。


「おいっ!! あんまり離れんっじゃねぇっ! はぐれたら俺らもヤバいんだ!!」

「ウッス!!」

「何故にファルア坊じゃと素直なんじゃ!? あれか!? リーダーじゃからか!?」


 なぜファルアの言葉だとこんなに素直に聞くのかとシルヴィアが唇を尖らせる。

 それは単純にファルアの声が通りやすいのと、いつも戦闘で指示を出すのがファルアの為、九郎の体にそのことが刻み込まれているだけだ。


 崖を降りて1時間。九郎のテンションは最高潮に達していた。


 数百メートルはありそうな崖を降りる事は、今の九郎には容易い事だった。

 何せ自分の体重を指先一つで支えられるほどの力が、九郎の中には備わっているのである。

 手足が短い所為で崖を降りるのに手間取っていたガランガルンを背負って降りる事すら、鼻歌交じりにこなせていた。道中「落ちた方が早いんだけどな……」と九郎が溢した事で、背中のガランガルンから酒を奢ってもらえる事になった。


 だが自分の『不死』以外の力が役立ったと言う事で、九郎が上機嫌になっている訳では無い。

 現在の状況が九郎の童心を刺激していたからだ。


 現在九郎達は3隻のカヌーで川下り中である。

 カヌーと言ってもその作りは単純で、お化けみたいな大きさの植物の葉っぱを笹船にした簡易のボートではあるが。

 蜘蛛の巣の様に張り巡らされた川が全て、中央の『世界樹』に向けて引き寄せられているので、川を下るのが一番確実にシルヴィア達の故郷へと繋がる道となる。

 アマゾンのようなジャングルをカヌーで進むという冒険に、九郎の心が躍るのも致し方ない部分ではある。


「ほれ、コルル坊! ガラン坊が付いて来れとらん! しっかり後ろを見てやらんと!」

「わりぃ! シルヴィ! ま~た高ぶっちまった!」

「その顔……反省しとらんじゃろ?」


 ニカッとした笑みを浮かべた九郎にシルヴィアが半眼で溜息を吐く。


 いくら大きな笹船だとしても5人も乗れる程の浮力が有る物では無く、何人かに分かれて乗船している。

 先頭は大概の不意打ちには耐えられるであろう九郎と、森林族秘伝の『精霊の道』を見つけられるシルヴィア。

 続いて戦闘力の殆んど無いシャルルと、リーダーのファルア。

 殿が体重の関係もあってガランガルンが一人で担当する配置となっている。

 九郎のテンションが高いのは川下りの爽快感にプラスして、シルヴィアと同船である事も関係していた。


「ふむ……結構散り散りになっとるのぅ……」


 九郎の笑顔に毒気を抜かれたのか、シルヴィアは苦笑するとは宙を睨んで眉を顰める。

 九郎には何が見えているのかさっぱり分からないが、シルヴィアには宙を漂う紐のような物が見えているらしい。

 シルヴィア達が言っている『精霊の道』と言うのは森林族だけが見える、道標の様な物だそうだ。

 シルヴィアの説明によると、『世界樹』から世界に向けて放たれる『聖なる力』、『生命の魔力』がその目に映っているらしい。

 今迄はそれを辿っていれば安全に故郷と外とを行き来出来たそうなのだが、その『精霊の道』が今は途切れ途切れでその役割を果たしていないと言う。


「でも見えてんならそれを探せば良いだけじゃねえの?」


 九郎がシルヴィアの向いている方角に目を凝らしながら尋ねる。

 千切れているが見えているなら、それを探しながら進めば良いだけではないかとの単純な考えでの言葉だ。


「そうはいかんのじゃ……。『精霊の道』が途切れちょるという事はのぅ、『世界樹の加護』が無いっちゅうことなのじゃ……」


 船足を緩めた九郎が後ろのシャルルに目くばせしながら重々しく答える。

 シルヴィアの説明によると、『精霊の道』とは『世界樹』の『聖なる力』によって守られた安全な道の事で、その力が有る内はその場に魔物が寄りつかないそうだ。

 だが一度その道を外れてしまえば、途端にその周囲には魔物が溢れるんばかりに潜んでいると言う。

 日毎にその姿を変える川を下り続けても、『精霊の道』でなければすぐさま魔物の餌食になってしまい、あれだけ大きな目印があるのに『世界樹』には辿り着けない。

 そして潜む魔物の強さも、これまでの『大森林』の魔物とは一段も二段も強力な物だと言うのだ。


『水の魔境』――そう呼ばれているのにもしっかりとした理由があるのだ。


「どっちだと思う~? シルヴィ……」

「ふぅむ……。儂の記憶も100年前じゃからのぅ……」


 空を見上げながらシルヴィアが唸る。

 困った事に川は二股に分かれてどちらを選ぶかで皆の命運が決まるのだから、シルヴィアもおいそれと決定が出来ない様子だ。


「仕方ねえ、神に采配を委ねるか?」


 ファルアが唸るシルヴィアに肩を竦める。

 ファルアは腰を探って木貨を取り出すと、親指で弾いて見せる。


「金に道を委ねるって言わねえか? それ……」

「俺らは冒険者だしな! 神と言えばこれだろ?」

「商人じゃろう……その言葉は……」


 追いついたガランガルンが非難の視線を向ける中、ファルアは木貨を川へと放り投げる。

 硬い木で出来ているとは言え、木貨は木なので水に浮く。

 フワフワと川面を漂っていた木貨が流れて行く。


「お! 右だな? それじゃあ俺らの神が善神であることを祈ろうじゃないのっ!」

「んじゃ行きますかっ!」


 右方向に流れて行った木貨を追う様に九郎が櫂を漕ぎ出す。

 シルヴィアは後ろを振り返り真剣な表情を向けると、その覚悟を皆に伝える。


「例えあっとっても『精霊の道』が途切れとるからの! 慎重に進まんと直ぐ魔物の餌じゃぞ!? ここからは気ぃ付けにゃならんぞぉぉ!?」


 シルヴィアの言葉に、皆が一様に頷き答えた。


☠ ☠ ☠


「――『深碧の旅団』アーシーズの眷属にして世界を廻る尽きぬ風よ!! 導けっ!

   『サジタ・ウェント・ムルト』!!!」

「―――『深碧の旅団』アーシーズの眷属にして木の葉を煽る小さき風よ!! 巻き上げて! 『インペティウス・ウェント』!!」


 シルヴィアとシャルルの風の魔法を皮切りに、今日3度目の戦闘が始まる。

『精霊の道』を探しながら川を下る九郎達に襲い掛かって来たのは、虹色の翼を持つトカゲの魔物だ。

 シルヴィアが一気阿世に放った5本の矢が、一体の魔物に次々と突き刺さり川面に大きな飛沫を作る。


「シャルルっ! ナイスだっ!!」


 シルヴィアの強力な魔法に比べシャルルの魔法は小さな突風を巻き起こしたに過ぎなかったが、風に煽られてバランスを崩したトカゲの魔物に、ファルアが投げナイフで虹色の翼を傷付ける。


「俺はどうしたら……」

「九郎とガランは船に寄って来るのを近付けんなっ! 近付いてきたらとっちめてやれっ!!」


 遠距離攻撃を持たない九郎とガランガルンは、船に乗っての戦闘ではあまり役に立ててい無い。

 九郎には『超絶エクスブロー美人ドボムシェル』と言う自爆技があるが、あれは全方位に岩の弾丸を飛ばすので狭い船上では使う事が出来ない。


「コルル坊は儂を守ってくれとったらええ! こやつ等『エルドラゴン』は、先の『デーモンフィッシュ』よりはましな相手じゃっ!!」


 シルヴィアが空を睨む九郎に声かけながら、次の矢を引き絞る。

 つい先程、畳6畳程の大きさのエイの魔物に襲われたばかりだ。

 トビウオの様に空を滑空しながら襲い掛かる『デーモンフィッシュ』は、水の中に隠れられると攻撃の手段が無い。敵が襲い掛かってくるまで攻撃できない所か、何処から来るのか分からない『デーモンフィッシュ』に比べれば、姿が見えているだけ今の『エルドラゴン』の方が対応がしやすいと言った所だろう。


 だが今襲い掛かってきている『エルドラゴン』の数は5体。シルヴィアが一匹仕留めたが、まだ上空では九郎達を囲むように『エルドラゴン』が輪を画いて襲撃の機会を伺っている。


(くそっ! 何か遠距離攻撃があれば……)


 空高く舞い上がった『エルドラゴン』まではシルヴィアの弓でも届かないのか、シルヴィアは空に向かって矢をつがえながらも唇を噛みしめるに留めている。


  キュケー


『エルドラゴン』の一匹が甲高い鳴き声を上げる。


「来るぞっ!!!」


 ファルアが短く叫ぶ。

 次々と滑空し始めた『エルドラゴン』はその標的をシャルルとシルヴィアに定めているようだ。

 小さい得物を狙ったのか軽そうな獲物を狙ったのかどちらかだろう。

 

「シルヴィはファルア達を援護してくれ! 俺はこっちに向かって来る奴らを止める!」


 シルヴィアは一瞬九郎に目を向けると何も言わずに狙いを変える。

 同じ2人が乗船していても殆んど戦闘力の無いシャルルと遠距離攻撃の手段に乏しいファルア達の方が、空からの魔物に対して不利だと悟ったのか、それとも九郎の頑丈さに賭けたのか。


「――『深碧の旅団』アーシーズの眷属にして歪む空の鋭利な刃よ! 斬り裂けっ!

   『ディラセイラ・ウェント・テトラ』!!」


 シルヴィアの言葉に周囲の空気が歪む。

 裂けた宙に激しい風が吸い込まれる。


「おらっ! 焼き鳥になりてえ奴から掛かってきやがれっ!!」


 同時に九郎が両手を構える。

 シルヴィアに襲い掛かって来た二匹の『エルドラゴン』が翼を広げて爪を振るう。

 シルヴィアを掴みあげようとした鋭い爪は、直前に割り込まれた九郎の両腕を掴む。


「鷹匠が腕に革巻いてる意味が分かったぜぇ!」


 突き刺さった爪が肉に喰いこみ、九郎が凶悪な笑みを浮かべる。


「おらっ! もうお前らはお終いだっ!!」


 勝利を宣言しながら九郎が腕を振り回す。

 タイミングを失った『エルドラゴン』が再び上空へと舞い上がる。


「燃え尽きやがれっ! 『焼け木杭チャードパイル』!!!」


 腕から血を流しながら九郎が叫ぶ。

 上空に舞い上がった2匹の『エルドラゴン』の足に火が灯る。


  ギェウェヘギュエフェ!!


 上空の『エルドラゴン』は、何が起こったのか分からないまま奇声を上げた。

 爪に付いた数滴の血が、その身を焼き尽くす炎となるとは『エルドラゴン』も予想していなかったのだろう。

 混乱したまま慌てふためく『エルドラゴン』が徐々に炎に包まれていく。


「二匹倒したっ! シルヴィはっ!?」

「きゃぁぁぁぁぁ!!」


 九郎が振り返った瞬間、シャルルの悲鳴が響く。

 見ると一匹の『エルドラゴン』が細切れにされて水面に落ちて行き、シャルルを掴んだ『エルドラゴン』が空へと翼をはためかせている。


「くそったれぇぇぇ!!」


 ファルアが怒声を上げて飛び上がる。

 だが、シャルルを掴みあげた『エルドラゴン』は一気に空を駆けあがる。


「シルヴィ!!」

「わかっちょる……。――『深碧の旅団』アー……シー」


 九郎が慌ててシルヴィアを見ると、シルヴィアが膝を付いて荒い息を吐き出している。


「くそっ!!」


 シルヴィアの症状が九郎が何度も目にしてきた赤髪の少女と重なる。

 ――魔力切れ……。天高く舞い上がった『エルドラゴン』に届く手立てが無くなった……。


(そうじゃねえだろっ!!)


 頭に浮かんだ考えを振り払うと、九郎はナイフを振り上げ指を切り落す。


「ぶっ飛べっ! 俺っ!!」


 切り落とした指を握りしめた九郎が、掛け声と共に指を天高く投げる。

 人の何倍もの膂力で投げられた九郎の指が物凄い勢いで空を飛ぶ。

 血に濡れた赤い指が『エルドラゴン』に届く瞬間、九郎の手から赤い糸が伸びる。


「空は羽が無くても飛べんだぜっ!! 覚えとけっ!!」

「ええっ!?」


 言葉をしゃべれない『エルドラゴン』の代わりにとでも言う様に、シャルルが驚きの声を上げていた。

 一瞬で空へと移動した九郎が腕を振り上げ振り下ろす。


 僅かな間を置いて水飛沫が3つ上がる。


「わりぃ……。飛んだあとの事考えて無かった……」

「え? ううん……。私は飛べるとは思って無かった……かな……?」


 水面に上がった九郎が頭を掻き、シャルルが呆けた顔で笑みを浮かべた。


☠ ☠ ☠


「あいついるんだったらずっと陸上進んだ方が早かったかもな……」

「そうじゃの……」


 ガランガルンの言葉に、同意を示した筈のシルヴィアは何故か不満気に答える。


「クロウ、そこにデカイのいんぞ?」

「ほいほい」

「こんなに簡単に倒せるのね~?」


『エルドラゴン』の襲撃から、やはり近接型の九郎とガランガルンの戦力を活かせないのは不味いと判断したファルアは、魔物の犇めく『水の魔境』を突っ切る事を決めた。

 途中でシルヴィアが『精霊の道』を見つけたのならその都度川下りに切り替えると言う方法で先を進んでいるのだが、地上を進むスピードの方が速い様な気がする。

 通常なら進む事すら困難な『水の魔境』の森部分だが、その理由の多くは『世界樹』の『生命の魔力』で肥大した大量の『スライム』の所為だ。

 そのファルア達だけでは逃げるしか手立てが無く、炎の魔法が使える魔術師がいてもその数故に幾らも進めない筈の森の中が、ここまで簡単に進めるとは流石のシルヴィアも予想していなかった。

 壁の様に立ち塞がる『スライム』に手を突っ込み、見る間に蒸発させていく九郎には何の疲れも見えていない。


(魔法じゃ無いとは知っとったが……体力すら消耗せんとはの……)


 藪でも掻き分けるかのように次々と『スライム』を処理して行く九郎に、何もしていない筈のシルヴィアの方が疲れた顔を浮かべる。

『不死』――聞いていたが、それでもどんな物でも溶かすと言われる『スライム』に躊躇も無く腕を突っ込む姿には、納得がいかない物がある。


「オババ……あんまり考えすぎるとまた老けるぞ?」

「だまらっしゃい……」


 ガランガルンの軽口を叱る言葉にも力が出ない。

 ガランガルンも労せずに次々と増えて行く『スライム』の核に、複雑な心境を抱いているようだが。


「お? ファルア、コレ食えるぜ?」

「お前限定じゃねえのかぁ? 『スライム』喰うとか正気かよ?」

「じゃあ私が~」

「シャルルも何でそんなにチャレンジャーなんだよっ!?」


 分厚い葉っぱに鈴なりに群がった『スライム』を指さし九郎が言いやり、ファルアとシャルルが反応を示している。

 だがそれが市場に買い物に来た客の如く平和な雰囲気を醸し出しているのが、何とも言えない気分にさせる。

 九郎は鈴なりに群がっている『スライム』を鷲掴みにして、核玉を外して口に放り込む。


「ん~! もっちもち」

「大体何でテメエは『スライム』なんざ食おうって気になんだよっ!??」

「え? 美味そうじゃねえっすか?」

「ねえよっ!!」

「クロウ君私も早く早く~」


 ここは強国アプサルすら恐れる『水の魔境』。

 楽に進めるのは願っても無い事なのだがと、肩を落としたシルヴィアは小さく溜息を吐いた。

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