第125話 残された者達
「ホンに憎らしい事にこいつは何にでも合うのぅ……」
ポリポリと胡瓜に似た植物を齧りながらシルヴィアがこぼす。
やはりと言うか醤油の魔力に一番嵌ったのはシルヴィアであった。
肉よりも魚。魚よりも野菜を好むシルヴィアにとって、醤油は何に付けても上手い調味料となっていた。
ただギチギチと音を立てている『
「そろそろ見え始める頃じゃが………」
軽めの昼食を終えたシルヴィアが、栗鼠の様なしなやかな身のこなしで大樹を登って行く。
生い茂る植物の所為で昼でも空が見通せない『大森林』。その中を進む為に、シルヴィアは度々木に登っては方角を確かめている。
「見えるって何が?」
「んふっ。コルル坊も驚く顔がもうすぐ見えるぞ~」
上を見上げて声を上げた九郎に、シルヴィアは少女らしい含み笑いを浮かべる。
「今日中に見える場所まで行けそうじゃの。ま、そこからが本番じゃからその辺で今日は野営かの?」
一人予定を立てるシルヴィアに、シャルル以外は怪訝そうにシルヴィアを見つめる。
「シャルルは何か知ってんのか?」
「ガランも見れば驚くんじゃな~い?」
意味ありげな笑みを浮かべた女子二人に、男三人はそろって顔を見合わせた。
☠ ☠ ☠
「はあ………」
「へぇ………」
「ほう………」
目の前に広がった光景に男達三人はそろって言葉を失っていた。
優美、雄大、絶景。そんな言葉すら霞む様な美しい光景。
ただただ呆けた顔で固まる三人に、シャルルとシルヴィアは顔を見合わせほくそ笑む。
8日間『大森林』を進んだ先には、さらに深い森が広がっていた。
そのうっそうと茂るジャングルを
轟々と音を立てて流れ落ちる雄大な滝。
遥か下に広がる幾本もの大河。
そこに飛び交う極彩色の名も知らぬ巨大な鳥たち。
そして中央に聳え立つ巨大な、余りにも巨大な大樹の姿。
九郎の家から見えてはいたが、只の山だと思っていたそれが山ほどの大きさの一本の樹だった事に開いた口が塞がらない。
しかも山だと思っていたその木は、九郎が考えていた以上の高さがあった。
何せ大地がそこで窪んでいたのだから。
「ギアナ高地?」
思わず口を突いて出た言葉が、すんなりと胸に落ちるほどに眼下に広がる樹海が小さく見える。
写真でしか見た事が無い大地の隆起。
『大森林』を抜けた場所は、遥か下方、それこそ数百メートル下にさらなる森を広げていたのだ。
それなのに目の前に聳える巨大樹は見上げるばかりの高さにある。
2000mはありそうな大樹の姿には、ただただ息を呑むしか出来なくなる。
「あれが『世界樹』、『セフィロト』じゃ! どうじゃ、驚いたじゃろう?」
「あの木の麓に私達の故郷が有るの~。ん~……。ここからじゃまだ見えないね~」
腰に手をあて自分の故郷を指さす二人の少女が誇らしげに胸を張る。
パクパクと酸欠の魚の様に呆気に取られていたファルアが眉を寄せて呟く。
「麓つったって……どの辺だよ……」
『世界樹』『セフィロト』とシルヴィアが呼んだその木は、幹の太さだけでもフーガの街の何倍もの大きさがるように見える。
幹を一周するだけでも幾日もかかりそうなその巨大な木に、呆れを含んで息を吐き出す。
「大体川を上って来たってのにどうして滝が落ちてんだよ? 可笑しいじゃねえかっ!?」
ガランガルンが頭を振り疑問を叫ぶ。
港町フーガは海へと繋がる大河、ナガラジャの河口付近に位置する街だ。そこから『大森林』に分け入って来たのだから当然河を溯る進路を取っていた筈だ。
なのに水源に辿り着くでもなく、その河が再び流れ落ちている。滝となって流れ落ちる水は、中心に位置する大樹に向かって蜘蛛の巣のように幾本もの流れを作っている。
これではその内この広大な窪んだ大地も直ぐに水で溢れてしまいそうなものだ。
「それはの、ガルン坊。『セフィロト』が水を吸っとるからじゃ」
事無げに言い放ったシルヴィアの言葉にガランガルンは再び息を呑む。
重力や高低を無視してあの大樹が水を集めた結果、ありえない光景が出来上がっているのだとシルヴィアは自慢げに言った。
樹海を走る幾本もの河は、全て目の前の大樹が吸い上げている水の奔流。
説明されても信じられないように、ただただ呆れて眺める事しか出来ない。
「ま、明日からは本格的な『水の魔境』の攻略じゃ。今日は早めに野営に入るとするかの?」
シルヴィアの言葉が聞こえていなかったのか、男たちはしばらくの間ずっとその光景を眺めていた。
☠ ☠ ☠
「100年ぶりじゃの…………」
8日振りに開けた夜空を見上げ、星が瞬くほど小さな声でシルヴィアはポツリと呟く。
森が開けた場所での野営とあって、今日は焚火を囲んでそれぞれが大地を寝床に寝転んでいる。
その場所から少し離れた崖の傍に腰かけ、眼下の森を見下ろした瞳に郷愁の念が少しよぎり、目の前に広がる黒い森とその中央に位置する巨大な大樹が、一瞬暗く淀んだ闇に見えて思わず肩を抱く。
「やっぱりちっとも変っとらんの……」
故郷を飛び出したのはシルヴィアがまだ60を過ぎた頃、森林族の中ではまだ幼子の範疇に見られる年頃だった。
全ての時が緩やかに流れて行く森林族の里は、部族の中でも特に好奇心旺盛だったシルヴィアにとって酷く退屈で代わり映えの無い世界に見えていた。
変化を嫌う大人たちや、緩慢な生活が自分の中で耐えられなくなったあの日、シルヴィアは外の世界に踏み出した。
あれから100年……。めまぐるしく変化して行く外の世界と隔絶されたように、目の前の光景は何も変わってはいない。
ぽつんと世界に取り残された様な故郷の姿に、シルヴィアは気付かずに溜息を漏らす。
「もう……2度と帰らんつもりじゃったのにの……」
一度外の世界を知ってしまえば、元の世界のなんと退屈な事か。
自然の恵みに満ちた故郷は働かずとも生きていける。
年中実る果実だけでも、生きて行けるのだ。
―――動く植物―――。
外の世界で度々耳にした、森林族を揶揄する言葉。
細っこい身体つきや、人族には余り見られない緑や青の髪色が由来のその嘲りも、今のシルヴィアには言い返すことの出来ない事実に聞こえる。
変化を嫌い悠久の時の中を生きる森林族は、成長を嫌いただあり続けるだけの、植物よりも愚かな存在に思えてくる。
思わず眉を顰めたシルヴィアの耳に、草を踏む微かな音が届く。
「やっぱりまだ帰りたくない?」
「ちょっと……顔を出し辛いだけじゃ……」
近付いてきたシャルルの声にシルヴィアは振り返らずに答える。
家出同然で里を飛び出したシルヴィアだが、それで誰かに心配をかけているとは思っていない。
森林族の里では母も父も存在していない。いや、生みの母が誰だか分からないと言った方が正しいのか。
森林族はコミュニティー単位で子育てをする。永きを生きる森林族は出生率が極端に低い。だから婚姻の風習も無く、時の流れの中で偶然出会った男女が逢瀬し、子が生まれたなら里全体で育てられる。
シルヴィアにとっては里の皆が父であり母となるのだ。
だから同郷であるシャルルはもしかしたらシルヴィアの妹かも知れないし、従妹、
「お主は……何故帰ろうと思ったんじゃ?」
何となく聞き辛かった疑問を口にしたシルヴィアに、シャルルは隣に腰を下ろすと空を見上げて瞳を閉じる。
シャルルはシルヴィアが里を飛び出した20年くらい後に人の世界に飛び込んできた。歳はシルヴィアよりも10程若かった筈だが、外の世界を80年で見尽くしたと言うのだろうか。
「う~ん……玄孫まで生まれちゃったからなぁ~……」
はにかんだ笑みを浮かべたシャルルが、知ら無い者が聞いたら吹き出し法螺話だと思うような言葉を口にする。
シルヴィアよりも10は若いシャルルだが、年は150歳を超えているのだ。
人族の街で生活していたシャルルはその中で恋人を作り、子供まで授かっていた。
だがその子供も既にこの世を去っている。
命の軽いこの国では珍しい程長生きだと言えたのだろうが……。
人との間に生まれたシャルルの子は、森林族の寿命よりも人族の寿命を色濃く受け継いだのだろう。
その孫が子を授かった事でシャルルも思う所があったのかも知れない。
「子供に先立たれるのは……もう見たくないなぁ~……」
弱々しい笑みを浮かべたシャルルの言葉にシルヴィアの顔が歪む。
森林族が故に、永遠とも呼べる寿命故に、その思いは痛い程シルヴィアにも分かるからだ。
「アベルもウィズも……ちゃんと幸せじゃったじゃろうが……」
「ん~……ウィズはそうかも知れないけど……アベルは最期の方はボケちゃってたからなぁ~……。どうだったんだろうね~?」
子供の方が先に老い、子供の方が先に逝く。
世界に自分だけがとり残されていく感覚。
森林族の故郷に感じた暗い思いは、奇しくもシルヴィア達にも言える言葉だった。
「アベルは……お主を幸せに出来たんじゃろうかの?」
「ん~? アベルはアランとコレットの子供だよ~? シルヴィの知らない所でずっと私を幸せにしてくれてたよ~? 生娘のシルヴィには分からないだろうけど~」
「な、何言うとるんじゃ!? 儂だって恋の一つや二つっ……」
「でもシルヴィの恋が実ってたらアベルは生まれてこなかったから……シルヴィの初心さにちょっと感謝……かな?」
自分の初恋の相手の子供と恋をしたシャルルの言葉に、シルヴィアが気まずそうにそっと目を逸らす。
シルヴィアが故郷を飛び出し最初に出会った仲間たち。
一緒に冒険した期間は10年と少しの年月だったが、その思い出は今もシルヴィアの胸に色濃く残っている。
「シルヴィにアベルを紹介した後だったっけ~? シルヴィがそのお婆ちゃん口調になったのって? あれ? 私がウィズを産んだ後?」
「い、いやっ!! これはリリィの口調がうつっただけじゃぞ?!」
シルヴィアが最初にパーティーを組んだ仲間たち。
背が高い割にどこか頼りなかった剣士のアランと神官でありながら酒好きだったコレット。無口でミステリアスな魔術師のリリィ。そして若い森林族の娘である狩人のシルヴィア。
このパーティーで幾多の困難を乗り越え、冒険をした。
充分な財産と名声を得てアベルとコレットが家族になった時、シルヴィアの初恋は終わりを告げたのだが。
それでもシルヴィアは幸せだったと思う。
仲睦まじいかつての仲間達と共に過ごし、彼らを看取るまでは。
「シルヴィはさ……まだ逃げたりしちゃだめだよ……?」
残される立場、置いて行かれる立場に成らざるを得ない苦しみは、外へ出た森林族の者全てに共通する悩みでもある。
なのに、それを知っている筈のシャルルが厳しい言葉を言って来るのにも訳が有る。シルヴィアはまだ前に進めていなかった。
「儂は……弱虫じゃからの……」
シャルルの言葉にシルヴィアが弱音を口にして項垂れる。
100年の間に誰とも恋仲に成らなかった理由を知っているシャルルにだからこそ言える弱音に、シャルルは小さな溜息で答える。
一度置いて逝かれた事で、シルヴィアは人との関わりを恐れていた。
九郎の様に人里離れて暮らすまではしていなかったが、シルヴィアも九郎と同じく人との付き合いの深い場所まで踏み入る事を恐れていたと言って良い。
世話好きでお節介焼きのシルヴィアが、どうしてソロの冒険者としてやっているのかへの答えだった。
「クロウ君ならシルヴィの条件にぴったりじゃない……」
「ふん……。多少頑丈なだけで、本当に『不老不死』かどうかもまだ分かっとらんじゃろうが……」
知り合いであるファルアを袖にして、どうしてさして知らない九郎に色事を持ちかけたのか。
自分の内に秘めた淡い初恋の思い出と、一人残されたという寂寥の思いが先に進む足を掴んで離さない。
いっそ行きずりでも肌を重ねてしまえば、その思いも吹っ切れるかと考えていただけなのだ。
先立たれるのが嫌であれば同じ森林族の者と恋をすればと何度も思ったのだが、一度人族の情熱やがむしゃらさを知ってからではもう遅い。
初恋の面影を追いながらも、失う悲しみを恐れるが余り、シルヴィアは前に進む事が出来ないでいた。
まさか行きずりの関係を持ちかけた青年が、自分の求めている相手だと聞かされシルヴィアも驚いたものだ。
「私は本当だと思うなぁ……。クロウ君ニオイしないし……」
「う…………。そうじゃな……」
シャルルの言葉にシルヴィアが眉尻を下げる。
九郎に言い寄ったのは、何も捨て鉢になっていただけでは無い。
ニオイ……あまり肉を好まないシルヴィア達森林族は、他の種族の食性との違いからその体臭をあまり好ましく思わない。それに冒険者となれば不潔な者も多く、シルヴィアとしても誰でも構わず一夜を共にする事には抵抗が有る。
それが九郎は毎日『風呂』に入っていたので匂いが薄かったと言う理由もあるのだが……。
それだけでなく、九郎はニオイがしなかった。
森林族と言う悠久の時を生きるが故に嗅ぎ慣れない異質だったニオイ――『死』の匂いが。
「でも……クロウ君が本当に『不死』だったら……今度はシルヴィが置いてっちゃうんだよ?」
思いもよらぬシャルルの言葉にシルヴィアは言葉を失う。
残されていく自分ばかりを気にして、相手を思う事等考えてもいなかった。
悠久の年月を生きると言っても、森林族にも寿命は存在している。
およそ1000年もすれば森林族と言えどその生涯を終える。
「ぜぜぜ、前提から間違っちょるじゃろうがっ!? 儂はコルル坊と恋仲でも
「でも顔も結構シルヴィの好みじゃないの~? 女としての先輩の私には正直に言ってもいいのよ~? うりうり」
顔を赤らめて慌てるシルヴィアを、シャルルがにやけ面でからかってくる。
今迄はふと悲しげな眼をする青年、世話を焼かずにはおられない危なっかしい後輩として見ていた九郎だが、これだけ周りに囃し立てられると嫌でも意識してしまう。
それでなくても恋などもうしないと思っていたのだ。
突然条件に合う男が現れた事で、どう接して良いのかすら分からないでいる。
置いて行かれる事の無い、残される悲しみを味わう事の無いシルヴィアの理想など叶うはずも無いと思っていただけに、突然来られてもどうしてよいのか全くサッパリ欠片も思いつかない。
「大丈夫よ~? シルヴィ。服を脱いで私をた・べ・て? で男なんてイチコロだから~?」
「じゃからっ~! ちゅうかコルル坊が『不死』じゃったからイチコロじゃ無かったんかの!?」
「え~? シルヴィ案外だいた~ん! もう既にやってたなんて~!」
「ちちちちち、違うんじゃっ! ややや、奴が、わ、儂を襲わんかっただけでっ!!」
「いや~ん! 襲って欲しいだなんてシルヴィったら助べえ~!!」
「くぅぅぅぅぅぅぅ!!」
自分の心を纏めきれず、シルヴィアはシャルルの口を封じにかかる。
シャルルに掴みかかりながらも熱の引かない頬に、シルヴィアは自分の中の気持ちを少しだけ知ってしまった。
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