第124話 せうゆ
「右手にもう一体いやがるっ! 誰かフォロー頼むっ!!」
「アイサー! 俺が行くっ!!」
黒色の毛皮を纏った大型の山猫に向かって九郎が飛び出す。
ナイフも掲げず両手を広げてただ行く道を塞ぐように構える。
「どっせいっ!!」
飛びかかって来た大山猫、『リンクス』の攻撃を両手で受け止めた九郎は、人間離れしたその膂力で以って虎程の大型獣の突進を押し返す。
だが突進を受け止めただけで『リンクス』の攻撃を防いだ訳では無い。
両手のかぎ爪の脅威と同じように、獣には強靭な顎と牙が備えられている。
ズブリ
肩口に喰いこんだ牙の感触に九郎がニヤリと笑う。
「これでお前は病人食しか食えなくなっちまったなぁ!!」
赤い光が九郎の肩口に集まり、『リンクス』が驚いた様に顔をのけ反らす。
その顎にはある筈の鋭い牙が根こそぎ無くなっている。
「――『深緑の旅団』アーシーズの眷属にして世界を廻る尽きぬ風よ! 導けっ!
『サジタ・ウェント・フォルティア』!!!」
言葉と同時に放たれたシルヴィアの矢が横に弧を描いて『リンクス』の蟀谷を貫通する。
のけ反ったまま一瞬ビクリと震えた『リンクス』がその巨体の力を失い、大きな音を立てて大地に横たわる。
「『リンクス』を一発で仕留めるとは、オババも中々やるじゃねえか……」
顔中を血で染めながらガランガルンが斧を振るう。
どうやら最初に相手していた『リンクス』も打ち倒したようだ。
段々と連携に慣れて来た様子に九郎も笑顔を向ける。
「クロウっ! おめえも大分動ける様になってきたじゃねえか?」
「うっす! アザッス!!」
「……言葉」
「……お、おう……」
ファルアに褒められて顔を綻ばせた九郎だったが、続くファルアの言葉に戸惑いがちに言い直す。
消去法でとは言え、リーダーになったファルアが九郎に対して『仲間内での敬語の禁止』を言って来たのは2日目の夜だった。
何処か遠慮しがちな九郎を慮ったのだが、それだけが理由では無い。
「年長者を敬う?! そりゃあ立派な心がけだとは思うが、俺らがこれから向かうのは森林族の里だぞ!? 膝ぐらいしかねえガキンチョだって俺らよりも年上なんだ!おめえ、言葉も覚束ないガキに敬語で話しかけんのか?」
「ウッス……。すい……気をつける……」
ファルアが敬語を禁止したのにはそれ以外にも色々な理由がある。
敬語はそれだけで言葉が長くなり、短い指示や警告が出せなくなると言う心配や、常日頃からそう言う態度だと思い切り自分の能力を発揮出来なくなると言う理由も含んでいる。誰かに遠慮して動きが鈍るなど愚の骨頂だと言っていたが、最初にファルアが言った「仲間に気を使われてちゃ尻の座りが悪い」と言った理由が一番の様な気もする。
兄貴分的な気質が有るのか、ファルアもシルヴィアと並ぶほど面倒見が良い。
「しっかしまだ半分も来てねえのに『リンクス』が二体とは……こりゃあ先が思いやられるねぇ……」
動かなくなった巨獣を眺めながらガランガルンが顎鬚を撫でる。
『リンクス』もこの大森林に潜む魔物の中では強力な部類に入る魔物だ。
それこそ初心者パーティーなら一匹で全滅もあり得る。
ソロで長年流して来たファルア達だからこそ、一匹なら単独でも撃退する事は出来るが、旅程の半分にも達していないこの辺りで出くわすとは先々に不安が募る。
「まあ『大森林』の奥まで入ろうとはそうそう思わねえからな……」
ファルアが同意を示すように肩を竦め、徐々に体温を失って行く『リンクス』から牙や爪を剥ぎ取る。
うんざりした声色ながら、その表情には少しの歓喜も浮かんでいるのは思いもよらない臨時収入への期待からだろう。この黒い大山猫も色々な部位が金になる。
「解体っすか? 手伝いますよ」
「口調……おめえ普通にしゃべってたらもっと荒っぽいだろうが!?」
「お、おう」
いきなり敬語を止めろと言われても頼りになる兄貴分だけに、どうしても気を抜くと言葉が畏まってしまう。
九郎は頭を掻きながら、皮を剥ぎ始める。
獣の解体だけはこの世界に来てからかなりの腕前になった気がする。
元から田舎の山奥で育った九郎は、鹿や猪等の解体は知っていたのだが幼少の経験がここまで役立つとは思ってもいなかったと、九郎は亡き祖父をそっと思い出していた。
☠ ☠ ☠
「クロウ~、どうだぁ~?」
「いや~、別に毒とか無いみたいだけども、燃やしちゃっていいのかねぇ……」
旅は順調に進んでいた。
お互い出来る事も分かって来て、隊列にも変化が出てきた。
これまでは斥候の得意なファルアが先頭に立っていたが、今は九郎と並んで先導する事が多い。
斥候のせの字も知らない九郎だったが、不意打ちに対する備えと考えればこれ程頼もしい存在も居ない。
『大森林』の奥へ進めば進むほどファルアにとっても未知の領域が多くなる。
そこに立って九郎の『不死』の力は、ますますパーティーにとっての生命線となりつつあった。
九郎は大抵の攻撃に晒されても次の瞬間には治っているので、見つけ辛い虫系の魔物や、天然の罠とも言える植物系の魔物に対して驚くほど有用だったのだ。
「馬鹿っ! そのまま燃やしちまったら広がっちまうだろうがっ!? シルヴィ、頼むわ!」
九郎を見上げ苦笑を浮かべたファルアは、シルヴィアに指示を出す。
見上げるほど高くまで吊り上げられた九郎が、その身に喰いこむ弦には何の害も無いように言ってのけている事に何度目かの呆れを覚える。
『オーガプラント』は、その弦を地面に伸ばし踏んだ獣を巻き上げ絞め殺す植物で、一度捕らわれてしまえば中々抜け出せる類の物では無い筈なのだが……。
しかも今九郎を吊り上げている『オーガブラント』は、ファルアが知っている物よりも遥かに巨大で毒々しい。
「うむ、コルル坊。もう少し辛抱しておくれ……。
――『深碧の旅団』アーシーズの眷属にして焔を遮る硬き壁よ! 留まれっ!
『スクートゥム・ウェント』!!!」
シルヴィアが魔法を発動させ、九郎を中心に風のドームが展開される。
通常矢による攻撃を防ぐ魔法だが、この様にして使えば炎による延焼を遮る壁としても役に立つ。
「もういっすか?ほんじゃっ! 『
逆さづりにされた状態のまま九郎の体が赤く煌めく。
一瞬で弦に蓄えられた水分が煙を上げて立ち昇ったかと思うと、メラメラと燃えはじめ瞬く間に大火へと変わって行く。
凄まじい熱量が風のドームの中に渦巻く。
ファルア達が顔を覆って見守る中、煌々と燃え盛る炎が中の空気を吸い尽くして炎を弱めて行く。
その後に広がるのは黒々とした炭のみの世界。
「コルル坊………は………?」
半円状の中には黒い燃えカスしか存在していないように見えてシルヴィアが不安げに声を上げる。
何度目にしても慣れないのか、シルヴィアは九郎が傷付くたびに顔色を変えている。
(まるで孫を心配するばーさんみてえだな……)
ファルアがその様子に毎度ながらの苦笑を浮かべ、シルヴィアの肩を叩く。
「あいつが取りあえず炎で『死なない』って事は証明ずみだろうが」
「じゃが……」
シルヴィアの不安も分からなくも無いが、もう何度も九郎が炎の攻撃で相手ごと燃えている姿を見ている。
ファルアは少なくとも九郎が鉱山族以上の炎に対する耐性と、
通常炎に弱い
そんな事を考えていたら、目の前で微かに炭が動く。
「やりすぎちまったか? 油でも含んでたんかなぁ……」
焼け出された家主の様に体中を墨で真っ黒にした九郎が頭を掻きながらムクリと身を起こしていた。
☠ ☠ ☠
(いや~……。シルヴィもファルアもガランもシャルルも……。皆良い人たちで良かったなぁ……。ビビっちまってたけど、別に俺、普通にしてりゃグロくも何ともねえもんな!!)
ここ数日の九郎はいつも上機嫌である。
認められた、受け入れられたと言う事実は、半年間鬱屈していた九郎の心を晴れやかな気持ちに変えていた。
レイア程凄惨な現場を見せてはいないが、それでも度々炎に巻かれ、傷付く姿を見せながらもファルア達に怯えの色は見えない。時たま呆れた様な視線は感じるが、それすら気にしていてはそもそも人付き合いなど出来るはずも無い。
ただ異様な『化物』としてでは無く、仲間として向かい入れられた事が九郎にとって、とても大事な物だった。
(皆優しいしなぁ……)
兄貴肌のファルアもぶっきら棒なガランガルンも、世話焼きのシルヴィアもにこやかなシャルルも……。
皆が九郎よりも年上だという事も有って、知らない事や気付かない事を教えてくれたりしてくれる。
九郎がどうみても危なっかしすぎる所為でもあったのだが、ベルフラム達の様に『守るべき人』では無く、肩を並べて戦える先輩達の頼もしさに感慨深いものがある。
――お前が頑丈なのは分かった! が、無闇に俺らも庇おうとしなくていい! 俺らは皆ずっと一人で
自分を庇う事はしないでくれと説明した時に、ファルアが返してきた言葉は九郎の胸にずっと残っている。
常に命のやり取りをしてきたファルア達には、一人一人に『命』に対する矜持の様な物があるように思えた。
だからこそ『不死』である九郎を受け入れてくれたし、共に旅をする事を認めてくれたと感じている。
それでも自分はその場に出くわしたら割って入る気構えではある。
大事な者を守るのに身を呈するのは、今や九郎の存在理由と成りつつある。
そこには親しい者の『死』を見たくないと言う自分本位な考えがあるからなので、感謝も恩義も必要としていない。
「えらく上機嫌じゃねえか? シルヴィと何かあったんか?」
「え? ななな、なんもねえよっ!?」
「コ、コルル坊っ!? 何でそこでキョドルんじゃっ!? まるで何かあったみたいじゃろうがっ!?」
「シルヴィ~? ちょっと私聞いてないんだけど~?」
「なななな何も無いから言いようが無いじゃろうがっ!?」
からかいの種を提供しながらも九郎は笑みを浮かべる。
別段シルヴィアと進展があった訳では無いが、それ以上に今の雰囲気がとても大事な物に思えていた。
「ファルア、ありゃなんだ?」
藪を掻き分けながら談笑を続けていた九郎達が、ガランガルンの言葉ににわかに緊張を走らせた。
「自然発火か……? 燃える水でも湧いてやがんのか?」
ファルアが目を細めて呟く。
ガランガルンが指し示した方角には、ポッカリと木々が無くなっている箇所がある。
穴の様に真っ黒に覆われた一帯は、以前九郎が炎で焼き払った『オーガプラント』の様にパチパチと音を立てていた。
「雷でも落ちたんかのぅ? 昨日の夕立も激しかったし、そこまで広がらんじゃろうが…………なっ!?」
シルヴィアが手で日差しを遮りながら目を細めてそちらを見やり、突如その顔色が血の気を失う。
少しずつ広がって行く黒い輪がパチパチパキパキと炎の爆ぜるような音を立てている。
パチパチパキパキパチパチパキパキパチパチパキパキパチパチパキパキパチ
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徐々に炎の燻る音が近づいて来る。
シルヴィアの顔色から不味い事態になっている事を悟った面々が、伺う様にシルヴィアに視線を集める。
顔面蒼白のシルヴィアの頬に一筋の汗が流れ――
ヴァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!!!!!
「走れっ! 『
重い羽音が聞こえた瞬間、シルヴィアは短く叫んで皆の手を引くと走り出していた。
「おいおいっ!? 『
走りながらもファルアが余裕を残してシルヴィアに尋ねる。
「ありゃ『
ファルアの余裕の表情が一気に厳しくなる。
『スケルトンメーカー』の暴威に加えて『
ファルアの記憶の端にある、蝗で滅びた国の話がとたんに真実味を帯びて恐怖と共に這い上がってくる。
「ちょっ!? どうすんだっ!? オババっ!!!」
シルヴィアの『災害級』と言う単語にガランガルンがにわかに慌てだす。
『災害級』とは軍や討伐隊を何千と揃えて対処するような、個人の手に負えない魔物の事だ。
シルヴィアの表情からも、もとより戦う気が無いのか必死に何処かを目指している。
「水じゃっ! 奴らは蝗じゃから水の中まで入って来れん! 今、風の結界を水に沈めるから早う水に飛び込むのじゃっ!!」
「蝗? シルヴィあいつら蝗なん?」
シャルルを抱きかかえながら走っていた九郎が、唐突に疑問を口にする。
「そうじゃっ! じゃから水の中で奴らが通り過ぎるのを待つんじゃっ! くぅ……魔力が持つか心配じゃが……。――『深碧の旅団』アーシーズの眷属にして焔を遮る硬き壁よ! 留まれっ! 『スクートゥム・ウェント・フォルティス』!!」
目の前が開けたと同時に、シルヴィアが魔法を唱えて周囲の水を押し分け球状の風の玉を沈める。
「あそこじゃっ! あそこに早う飛び込めっ! 魔力が切れたら堪忍じゃっ!!」
「死んでも文句は言わねえよっ! 俺らじゃどの道どうしようも無かったしなっ!」
「オババに命を預けんのも俺らの選択の一つだっ! 気にすんなっ!!」
「シルヴィ~、頑張ってね~」
焦燥した表情でシルヴィアが叫ぶ。
茶色く濁った川面の中で一か所、色が薄くなった場所にファルア達が次々と飛び込んで行く。
4本の水柱が次々と川面を揺らす。
ヴァァァァァァァァアァアァァァァァッ!!!!!!
水面に飛び込む直後に聞いた羽音が、悪魔の産声に聞こえた。
「今日の晩御飯はおめえらだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
水面に沈む仲間の耳にはその声は届かなかった。
☠ ☠ ☠
「久しぶりの故郷の味、楽しませてもらうぜぇ!!」
シルヴィア達が水に飛び込んだのを見届けた後、九郎は踵を返して指を鳴らす。
虫食い県で有名な九郎の故郷では、蜂と並んで蝗はメジャーな食材だ。
秋口前になると発生するそれらを取りに、よく田畑を駆けまわっていた事を思い出す。
「佃煮……
黒く煙る空を見上げながらも、九郎の頭は今日の晩の献立で一杯だ。
目の前に迫る蝗の大軍は大きさから行っても殿様バッタ程であろうか。
食いでが有りそうで、思わず唾を飲み込む。
ヴァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!!!!!
重い羽音も今の九郎には食欲を刺激するBGMにしか成りはしない。
(炎に『変質』させたままだと殆んど焦げちまうか? 麻痺毒か睡眠毒の方が良いかねぇ? 温暖な地方だから『冷気』も効きそうだし……。あ、蒸気で蒸すのも有りだな!)
暢気に構えて見せた九郎が気が付くと、黒い蝗の大軍は直ぐ目の前に迫っている。
「んじゃ! 一旦蒸し焼きにでもなってくれやっ! 俺の第9の必殺技!!
『
ヴァァァァヴァァァァヴァァァァヴァァァァヴァァァァヴァァァァヴァァァァ
ヴァァァァァァァァァァァァァァヴァァァァァァン!!!!!!!!!!
力を解放しようと九郎が気勢を上げた瞬間、黒い影が九郎を通過した。
ギチギチガチガチパチキチギチパチガチキチカチチキ
(あれ? いきなり真っ暗に……)
いきなり耳では無い場所に響いた音。チクチクと体の内側に走る小さな痛み。
九郎はその小さな痛みよりもまず、視界が奪われた事に疑問を持った。
体が弾けた訳では無かったので、飛び散る視界が無かったのは九郎にとっても幸運だっただろう。
視界が自分を見ていたのなら流石の九郎も恐怖に慄くほどの光景。
その光景は、数々の凄惨な光景を普通に耐えてきた精神でも、崩壊させそうな常軌を逸したグロさがあった。
体中を蝗に喰われ口や目から蠢く虫を溢れさせた人の姿は、ある種の恐怖の頂点だと言える。
(ん? もしかして俺喰われてんのかっ!? にゃろうっ! お前らが俺を喰うんじゃねえっ! 俺がお前らを喰うんだよっ!)
体の中を這いずる虫の感覚に、やっと自分が齧られている事に気付いた九郎はすぐさま体を『修復』させる。
赤い粒子を体に纏い、次の瞬間にはその身は傷一つなく復活する。
「『再生』でも良かったんだろうが、そうなると俺の体にバッタが埋まる事になっちまうからなぁ!?」
一息ついたのもつかの間、すぐさま次の大軍に集られてまたもや体の前面を骨に変える。
何度も視界を奪われ、考え付いた必殺技を出す暇も無く九郎は体を『修復』させ続ける。
高い木々に集る習性があるのか、周りの木々を喰い尽くした『
「い、いつの間にかこんなに少なく成っちまった……俺の晩飯…………」
しばらく後……九郎は眉を落としてガックリと項垂れていた。
気が付くと、目の前には腕や足に咬みついているいくらかの蝗しか残っていなかった。たかだか10分程の間だと言うのに、空を埋め尽くすほどの蝗の群れは綺麗さっぱり姿を消していた。
「ひい、ふう、みい…………こんなんじゃオヤツにもなりゃしねえ……」
消沈した面持ちで九郎は落胆の息を吐き出す。
目の前に広がった故郷の味が儚く消え失せた事には落胆を隠せない。
「せっかく新しい必殺技考えついたってのによぉ……『
体を数千度の蒸気に『変質』させた九郎はポトリと落ちた蝗を掴むと、大きく溜息を吐き出した。
☠ ☠ ☠
「それ………本気で喰う気かえ?」
恐る恐ると言った表情で、シルヴィアが枝に刺した『
災害級の魔物を撃退したと言うのもにわかには信じられなかったが、体に炎を纏わす九郎であれば可能なのだと、呆れながらに納得を見せた。同じ虫の大軍である『スケルトンメーカー』も難なく蹂躙した九郎であれば、『
ただ、あれ程いた『
だが、今のシルヴィアにはそれよりも大きな問題が目の前に鎮座している。
程よく焦げ目を作っている淡水魚の素焼きの横には、三匹づつ串に刺さった『
「俺の故郷じゃ結構メジャーな食材だったんスけどね? 流石に無理強いはしねっすよ。今まで何でも喰う子が傍に居たんで忘れてたっスけど、嫌がる人は嫌がるもんだから……あ、やべっ! また敬語に戻っちまってた……」
「あの……クロウ君? それまじで喰う気なんスか?」
「流石の俺もそれはちょっと遠慮したいなーっと思いますですハイ……」
「ちょっと! ファルアとガランがなんで敬語になってんだよっ!?」
今迄一緒に暮らしてきた少女達は殆んどが虫を食べる事にも抵抗を見せなかった事で、この世界では虫食がメジャーな物かと思っていたが、そろそろ九郎もこの世界に来て1年が経つ。
やはり日本と同じように、それ程虫食が盛んで無い事には気が付いているので無理に人に勧めようとはしていない。
だが、食べてみれば好物に変わる事も有る。
九郎はレイアを思い出して小さく苦笑すると、焼けた串を摘まむ。
「マジで喰う気だ……こいつ……」
「やめとけ、コルル坊やぁ……。毒でも持っちょるかも知れんじゃろ?」
「俺に毒は効かねえよっ! うん、足が焦げて無くなってんのが丁度いい頃合いだな!」
香ばしい匂いに目を細めた九郎が、「いっただっきま~っす!」と口を開け『
パリパリと小気味よい音を立てて九郎がそれを咀嚼して、
「グッ! ぐはっ! な、なんだっ!?」
喉を抑えて咳き込んでいた。
目を白黒させた九郎に、シルヴィアが慌てて九郎の背中をさする。
「ほれ、言うたとおりじゃろっ!? 早う吐き出すんじゃっ!」
背中をさすりながら九郎の口に指を入れようとしたシルヴィアを、九郎は咳き込みながらも手で制す。
「ガハッ! ゴヘッ! ち、違う……。何だこれ!? ショッパイ!?」
目尻に涙を浮かべながら九郎が息を整え、『
もう一度恐る恐る『
「こいつ! 醤油だっ!! せうゆさまだっ!!!」
醤油――日本人なら誰しもが恋い焦がれる調味料。日本料理のさしすせその内の一つ。せうゆ。
大豆は手に入るが麹が見つからない事で、九郎は味噌も醤油も半ば諦めていた。
恐らく大豆の害虫である『
だが、それも今の九郎には神がくれたプレゼントに見えた。
手に入れる事を諦めかけていた醤油。それが意外な方法で手に入ったのだ。
驚きと同時に喜びも一入である。
九郎は『
「お、おめえ何してやがんだっ!?」
グチュっと腹を弾けさせた『
ファルアが止める間も無く降り注いだ『
「マジうんまぁぁああ! やっぱ醤油は調味料の王様やでぇぇぇ!!!」
堪らず齧り付いた九郎が喜びの叫びを上げる。
「ホント~? クロウ君ちょっと私も食べて見た~い!」
「ちょちょちょ! シャルル! 何言ってんだ!?」
「落ち着けっ! 匂いは良くてもあれは『
「どうぞどうぞっ! 俺の故郷の味! メチャウマ! オススメ! オレウソツカナイ!」
物怖じしない性格なのか、シャルルが一番に興味を示す。
慌てて止めるファルアやガランガルンを無視して、九郎は登り切ったテンションのまま焼けた魚を差し出す。
シャルルは差し出されたそれを一口齧ると、驚いた表情で口元に手を当てる。
「ほれ見ろっ! シャルルは『不死』じゃねえだろっ! 死んじまう前に吐き――」
「おいしー!!」
ファルアが声を荒げて言いかけた言葉を、シャルルの声が封じ込める。
「う、嘘吐くんじゃねえ……」
「俺らを嵌めようったってそうは行かねえから……」
「ホント、ホント! これ、きっとシルヴィの大好きな味だよ~?」
「なっ! そそそ、そんな訳なかろうがっ!?」
「騙されたと思って食べてみれば良いじゃない?」
「その言葉に何度儂が騙されとると思っとるんじゃっ!? 騙されんぞぉぉぉぉ!」
にわかに騒ぎ出した面々に九郎はニヤリと笑みを浮かべる。
確かに漬物の好きなシルヴィアが醤油の魅力に取りつかれるのは、そう遠くない未来に思える。
シャルルが進める魚をイヤイヤ齧っていたファルアが、目を見開いた事からもシルヴィアが醤油を口にするのは時間の問題だ。
「くっ……悔しいが……信じたくねえが………旨いっ!」
「なぁ!? 嘘だろぉ!? ファルアっ!! 正気に戻れっ!!」
ファルアが堕ちた。ぶっきら棒だが結構優しいファルアは、ツンデレの素質があるようだ。九郎が悪役顔負けの笑顔で「まず一人……」と呟き、はっと表情を曇らせる。
(これっぽっちじゃなぁ………)
目の前に映る『
残った『
これではあと数度の食事しか楽しめないではないか……。
九郎はシャルルを送った後は、もう一度『
「やめろぉぉぉ! 俺は虫は喰いたくねぇ! 例えそれが酒の味がしたってぇぇぇぇええ!!」
「ガラン坊やぁぁぁ! お主の犠牲は忘れんぞぉぉぉぉぉ!!」
ファルアに両肩を抑えられ、『
その悲鳴をBGMに考え込んでいた九郎の頭に一つの案が浮かぶ。
(いや、待てよ?)
何気なく手のひらを見た九郎は、その手に意識を傾ける。
掌から絞り出すように、今日削り取った『
「どわっ!? こいつ生きてやがるっ!?」
体内で丸々削り取った『
香ばしい醤油の焼ける匂いの中、九郎の顔に今日一番の笑みが浮かぶ。
「く、くぅぅぅ……ガラン坊……お主の犠牲のおかげじゃぁ……お主の死は儂が見届け!? な、何をするんじゃっ!? ガラン坊、血迷うたかっ!!」
「いや、結構こりゃあ酒がすすみそうな味でよぉ?」
「止めるんじゃ! 堪忍じゃ! 堪忍しておくれぇぇぇぇぇ!」
「シ~ル~ヴィ~? はいっ、あ~んして?」
「くぅぅぅぅぅぅぅっ! 負けんぞぉぉぉ!! 儂は負けはせんぞぉぉぉぉっ! だから、お願いじゃぁぁぁ」
「ファルア」
「おう」
「ひょっ!! にゃにしゅるちゅもりひゃっ!? ひゃわわわわわわわっ!!」
(丸ごと削り取ったら生きたまま出てくんのか……。俺の『水筒』どうなってやがんだ? まあ、それはまた考えればいいとして……)
九郎は羽交い絞めにされてイヤイヤ首を振るシルヴィアや、楽しげに魚を差し出すシャルル達を見渡し力強く宣言する。
「我、今此処にせうゆさまを得たりっ!!!!」
その声は遠く過去の自分まで届いた気がした。
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