第123話  『死』が近い国だから


 月に分厚い雲が掛かり、闇がさらに色濃く満ちる。

 遠くから聞こえてくる猿の鳴き声は、大型の魔物を見つけた警戒音だろう。

 ピクリと薄目を開けたファルアはその声から脅威に対する距離を測る。


(高音1……長音2……『大蛇ボア』種か……)


 耳に届いた猿の声からその対象までをも察知すると、ファルアは一つ身じろぎをして再び瞼を落とす。

 普通なら野営の際には必須である夜警だが、ファルア達には必要無い。

 長年ソロで活動してきた彼らは、独自に夜を越える術を身につけている。

 一人きりで森で一夜を明かす事が出来なければ、そもそもソロの冒険者と言うものは成り立たない。

 ファルアは吊床ハンモックを少し動かすと、その先に繋がった罠の存在を確かめる。

 簡単な括り罠の一種だが、それを三角錐に張り巡らせてどの方向からの夜襲にも警戒を怠らない作りだ。

 夜の森の中での一番の難敵、虫に対する備えも万全だ。

 通常森で一夜を明かす場合、耳や鼻には詰め物をするのだが、そうすると音や気配、匂いに対して無防備になってしまう。

 それを防ぐ為に、ファルアが付けているのは特注で作らせた細かい網目の耳栓や鼻栓だ。

 これならば耳や鼻に入り込もうとする虫を防ぎながらも周囲に対して警戒を続けられる。

 それに加えて泥を混ぜた虫よけを顔中に塗りたくり、蚊や虻に対する備えもしっかりしてある。


「………おい………」


 小さく押し殺した声が耳に届き、ファルアはそちらに目をやる。

 大きな蓑虫。

 今日初めて目にしたガランガルンの森での夜の過ごし方である。

 太い木にロープを掛けたかと思うと、それによじ登り土の魔法でその身を覆って行ったのだ。

 目の部分以外全てをごつごつとした土や岩に覆われたガランガルンは、笑いを噛み殺すシルヴィア達に少し居心地が悪そうだったが……。


「…………んだよ?」


 少々不機嫌な口ぶりでファルアが反応を示す。

 先程の猿達の声から此方にはまだ脅威は迫っていない。寝れる時に寝ておかなければ体力の回復など見込めないのだ。


「……どうすんだ?」


 だがファルアの不満など気にも留めずにガランガルンが再度声を掛けてくる。

 ――どう……。猿の声に反応しての事ではあるまい。

 ガランガルンが尋ねている対象など一つしか存在しない。

 クロウ……自らを『来訪者』であり『不老不死』と名乗った青年の事だ。

『不死の化物』と自ら明かした青年に、ファルアは背筋を強張らせた。

『不死』――それは所謂アンデッドと呼ばれる魔物だという事だろうか。

 手持ちの武器で打ち倒せる程度のレベルなのだろうか。

 様々な思惑が頭の中を廻っていた。

『不死』の魔物もその脅威はピンからキリまで存在している。

 新人の冒険者でも倒せてしまう『|動く死体ゾンビ』や『スケルトン』から、見た瞬間命の終わりを悟る『魔死霊ワイト』に至るまで様々だ。

 言葉を失った状況で、ファルアは九郎を見定めようと必死に情報を集めていた。

 だが……。


「…………あんな顔見ちまうとなぁ………」


 ポツリと呟いた声が思いのほか大きな音となって闇の中に消えていく。

『不死』を告白した九郎の表情を思い出して、ファルアは小さく苦笑を漏らす。

 恐れられる立場の九郎があの瞬間酷く怯えていた。

『不死』――死ぬ事の無い肉体を持つと言い放った九郎が、どう言う訳かこちらに対して怯えた視線を向けていたのだ。

 まるで小動物の様に震える九郎を見て、ファルアも気勢を削がれた格好だった。

 同時に、死と隣り合わせの生活をしているだけに鋭敏な死への予感を、ファルアが感じていなかった事もそれに気付けた一つの理由だ。

 強力な魔物と対峙する度に感じる、喉の奥がひり付くような死の感覚が欠片も無かったのである。

 恐れを抱く側の者から怯えられる状況に奇妙な滑稽さを感じてしまった事も、狼狽えなかった一つの要因かもしれない。


「お前は?」


 あの状況で九郎以外の誰もが恐怖を感じていなかった事を思い出し、何気なく尋ねる。

 先に怯えられて誰もが自分と同じ感情を抱いたとは限らない。

 だがあの場の皆が九郎を受け入れる判断をした事の方が、どちらかというと驚きに値していた。

 皆熟練の冒険者として胆が据わっているのか……。ならばシャルルの様な冒険者で無い者も受け入れた事には疑問も残る。


「……オババがビビって無かったからよぉ……」


 何処か憮然とした声色でガランガルンが呟く。


「お前……シルヴィにやけに対抗心燃やしてんなぁ……実は気があんじゃねえの?」


 意外な理由にファルアが茶化すように笑う。

 鉱山族と森林族は馬が合わないとは聞いているが、ガランガルンの場合はそれにプラスして別の感情が有るようにも見える。


「……ちげえよ……。枯れ木を口説く奴の気が知れねえな……。それに……、ああ、違う! ああ、うん、これだ!」


 自分の中でも上手く纏まらないのか、ガランガルンが苛立った声を上げる。

 大きな蓑虫がゆらゆらと揺れている光景はコミカルにも見え、ファルアは更に苦笑を漏らす。


「酒だっ! 酒! 俺にとっちゃ酒を驕ってくれた奴に悪い奴はいねえっ! そんだけだな……」

「ぶっ!」


 なんともな理由だとファルアは堪えきれずに噴き出す。

 酒好きの鉱山族のガランガルンは人の善し悪しまで、酒の有る無しで判断してしまうのか。

 らしいと言えばらしいのだが、何処か照れ隠しの様にも思えてファルアもそれ以上の追及を諦める。


「なんだ? 文句あんのかぁ?」

「ククッ……いや、大事な事だな……。一晩飲み明かした仲だ……。悪い奴との酒じゃ無かったな」


 ひとしきり笑った後、ファルアはそう納得を表す。

 死と隣り合わせで生きているからこそ、ファルアは自分の死を知っている。

 その死が感じられなかった九郎に何の脅威があるのか。

 自分の中の感覚が九郎を危険と認識しなかったのだ。

 あの時の九郎には敵意も害意も感じなかった。

 ならばその感覚に身を委ねていればいい。

 例えその感覚が狂っていたとしても、別に気にするほどの事も無い。

 そうであれば自分が死ぬ。ただそれだけなのだから。


「じゃあ、アイツは仲間だって事で……」

「おめえより信用出来そうだしな?」

「違いねぇ……」


 ファルアの答えにガランガルンが軽口を呟く。

 どうにも騙されやすそうな顔を思い浮かべて、ファルアはもう一度含み笑いを噛み殺した。


☠ ☠ ☠


「驚いたね~? シルヴィ~」

「何じゃぁ? まだ寝とらんかったんか? まだまだ先は長いんじゃし、寝とかんともたんぞ?」


 好奇心を抑えられないといった表情でこちらを向いたシャルルに、シルヴィアは眉を顰める。

 各々が勝手気ままに夜の準備に入ったのだが、シルヴィアもシャルルもそれに口を挟まなかった。

 ソロの冒険者として長年過ごしてきたシルヴィアはもとより、シャルルも夜の越え方は知っている。

 と言うより森林族はそもそも森の民で、夜の『大森林』であっても安全に眠る事が出来るのである。

 シルヴィアとシャルルは大きな木の枝に体を横たえ、マントを毛布に眠りの準備に入っていた。

 ファルアやガランガルンの様にこれと言って特別な準備をしなくても、森林族ならば睡眠に入ると体は木々と殆んど変わらぬ気配となる。

 これで耳栓をして口元を布で覆えば、それだけで魔物や虫に襲われる事が無くなるのだ。

 森の中での野営に限って言えば、森林族ほどそれに適した種族はいないと言えるだろう。


「え~シルヴィは知ってたの~?」

「う、うむ……。昨日の夜にちょっと……の……」


 少々見栄を張ってしまったと顔を歪めながら、シルヴィアは答える。

 昨夜九郎が話した内容は、およそ大げさな話だと思っていたが、九郎が『不死』を報告した事でその内容ががぜん真実味を帯びていた。

水晶喰いアクアラング』の討伐や、今の家に至るまでの苦労話の数々が本当の事なのかもと思える程度には。


「夜~? やっぱ何かあったの~? 本当はそういう関係になっちゃったんじゃないの~?」

「べ、別に何もなっとりゃせんっ!! コ、コルル坊は儂が裸で寝とっても触りもせんかったようじゃし……」


 嬉々とした笑顔でにじり寄って来るシャルルにシルヴィアは上擦った声を上げる。

 今の状態でにじり寄られると直ぐに背中が逃げ道を失って動けなくなる。


「え~!? シルヴィだいた~ん!! 脱いだの!? 私をた・べ・て? って言ったの?」


 シルヴィアの言葉にさらに目をキラキラさせながらシャルルが詰め寄って来る。

 追い詰められた状態で顔が熱を持つのが分かってしまい、シルヴィアは更に慌てて視線を泳がす。


「そ、そんな破廉恥な事言うはずないじゃろうがっ! わ、儂がガラン坊の罠にかかってしもうて寝てしまっただけじゃっ!」

「え~じゃあクロウ君がシルヴィを裸にしたの~? 結局狼なんだね~。でもそれならどうしてしなかったの~? シルヴィが詰め物でもしててがっかりしたとか~?」

「つ、詰め物なんぞしとらんわっ! それに胸はお主とそんなに変わらんじゃろがっ!? わわわ、儂が酔っぱらってしもうて、『風呂』に入りたいと言ってしもうての……。そんで途中で寝てしもうたんじゃ」

「うん! それは知ってた!!」


 シャルルがにこやかに言い放ち、シルヴィアが泣きそうな顔で睨む。

 ここら辺のくだりは昨日の朝にシルヴィアが自ら暴露している。

 当のシルヴィアは混乱していて覚えていないようだが……。

 ひとしきりシルヴィアを弄んだ事で満足したと言いたげなシャルルに、シルヴィアは恨みがましい目を向ける。


「そ・れ・で~、シルヴィは驚いたの? クロウ君の事……?」


 シルヴィアの失敗談はまた今度と、シャルルは話を戻すかのようにシルヴィアの目の前に腰かける。

 ふにゃふにゃした笑みを真剣な表情に変え、真面目な話と言うところか。


「まあ……驚いとらんかったと言えば嘘になるかの……。じゃがそれよりも辛そうじゃなと思うての……」


 その言葉は本心からだが、口に出すのは少し辛いと言う様にシルヴィアは俯く。

 九郎が自らを『不死の化物』と言い放った時、シルヴィアはファルアよりさらに九郎の心の葛藤が見て取れていた。

 自らを自らが恐れるような、どうしようもない状況の中に取り残され、もがき溺れている様に見えた。


「私はね~……捨て犬みたいだな~って思ってたから……。私はシルヴィよりもクロウ君と話す事が多かったから~、シルヴィよりもクロウ君の事、知ってたんだけど~……」


 シルヴィアの隣に腰かけたシャルルが自らの気持ちを吐き出す。


「あの子ね~、ずっと顔隠してたでしょ~? どんな顔か気になってね~。お茶とかに誘ってたんだけど~……いっつも話しかけたそうにこっちをチラチラ見てるんだけど~、いざこっちから話しかけると物凄く尻込みしちゃてたの~……。最初はシャイなのかな~…って思ってたんだけど~……。今日の話を聞いて、あの子はきっと怖がってたのかな~って……」

「そうじゃの………」


 シャルルの言葉にシルヴィアが重く口を開く。

 何故あれほど若く活発な青年が街を離れて一人で暮らしていたのか。

 酒場であれ程楽しげに語らい、毎日街に住むには充分な金銭を得ていると言うのに、偶にしか街へと入って来なかったのか。

 彼はきっと恐れていたのだ。

 性根が優しい若者なのは、酒場で知己の知らせに浮かべた嬉しそうな表情からも良く分かった。

 本心では毎日騒ぎたいであろうことも、酒場の雰囲気を目一杯楽しんでいた表情から見て取れた。

 なのに人に寄って来られると途端に他人行儀な振る舞いを見せる。


「きっと……ずっと怖かったんじゃろうな……。馴れ馴れしくなってしまうのが……、踏み込んで来られるのが……。『不死』がばれてしまうからの……」

「うちの国の人たちはあんまり気にしない様な気もするけどね~?」


 シルヴィアの分析にシャルルが重くなった空気を散らすように暢気に答える。

 シルヴィアはそんなシャルルの言葉を肯定するかのように薄く笑う。

 ミラデルフィアの国民性は皆刹那的で奔放だ。

 九郎が例え『不死』である事を知っても、それほど恐れなかったのではと思う。

 自分の『死』が身近である為に、他人の『死』にもそれ程興味を持たないのだ。

「今日も生き延びた」――この言葉が挨拶になるような厳しい環境の中で、羨む事があっても恐れる事があるのだろうか。

 酒を飲んで肩を組んで寝ていたら隣の奴が死んでいた。

 今朝早くに森に狩りに出かけた一人が『動く死体ゾンビ』になって帰ってきた。

 そんな話が笑い話になるくらいに、この国には『死』が溢れている。


「何か辛い事でもあったんじゃろうな……」


 シルヴィアは眼を細めて空を仰ぎ見る。


「シルヴィ~?」

「ん?」

「今日ね~……私、アランたちの所にお別れの挨拶に行ったんだ~」

「…………」


 突然話題を変えたシャルルにシルヴィアは顔を歪める。


「リリィがねーシルヴィがいつも花を持って来てくれるから置き場所に困っちゃうーって……」

「…………」


 シャルルも空を見上げて独り言の様に呟く。


「私ね~、やっとシルヴィにも春が来たんだよ~って言っちゃった……」

「わ、儂はそんな気じゃ……」


 シャルルの言葉にシルヴィアが反応を示す。

 少し赤らんだ顔をチラリと横目で見たシャルルは、夜空に話しかける様に話を続ける。


「私もね~……多分シルヴィと同じで気付いちゃってたんだと思うの……」

「な、何がじゃっ!?」


 上擦った声が既にシルヴィアの内心を表しているかのようだ。


におい・・・……薄かったもんね~?」


 シルヴィアが感じたのと同じように、シャルルも九郎の秘密に薄々感づいていたようだ。


「シルヴィ~? クロウ君、一気に候補に躍り出ちゃったね~? 逃がしちゃ駄目だよ~?」


 意味ありげに目を細めたシャルルに、またもやシルヴィアの顔が赤く火照る。


「な、何言うとるんじゃっ!? そそ、そんなに儂は軽い女じゃありゃせんっ!!」

「自分から誘ったくせに~。うりうり」

「そ、それはお主が儂をからかうからっ……」


 新たなからかいの種を見つけたと、シャルルは楽しそうにシルヴィアを肘でつつく。


「てめえらっ! わざわざ魔物を呼び寄せてえのかっ!?」


 少し下の方でファルアが苛立った声を上げた。

 いつの間にか結構大きな声でしゃべっていたようだ。


「も~……怒られちゃったじゃない~……」

「そ、それはシャルルがっ………」


 ワザとらしい笑みを浮かべてシャルルが人差し指を口に当てる。

 言いたいことは山ほどあるのに、口を開く事を許されない空気にされてしまい、シルヴィアは眉間に皺を刻む。


「魔物が来たらクロウ君が一番危険なんだから……」

「ほんに……あやつはアレで大丈夫っちゅうとったが……」


 シャルルの小声にシルヴィアもその怒りを心配に傾けて行く。

 各々が独自の夜の過ごし方を見せた折、九郎の過ごし方はやはり非常識極まりなかった。

 ただ自分の体を木の幹に縛り付け、「こうしないと俺ごとどっかに持ってかれちゃうんで……」と襲われる事には頓着していない様子で笑っていた九郎を思い出し、『不死』を聞かされた時以上に呆れを相したものだ。


「朝の仕込みって言ってたけど……何するつもりなんだろうね~?」


 シャルルの何気ない一言が、シルヴィアに眠れない夜をもたらしていた。

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