第106話 胎動
「ホントに粘るねぇ……」
白い岩山に腰かけたまま雄一が忌々しそうにぼやく。
規格外の戦力を持っているであろう『来訪者』と言えども、丸二日無休で戦えるとは思っていなかった。
強大な力を以ってしても数の暴力には敵う訳が無いと踏んでいた。
未だに九郎と言う青年に何故負けたのかと言う理解が出来ない雄一には、九郎の『
雄一は九郎の『
しかし九郎が、虎の子の『
自身の体が傷ついても、自動的に体を回復させてしまう強力な『
だから雄一はどれほど攻撃を受けても、怯む素振りも見せない九郎の魔力の底を見定めようと、雑魚ではあるが大量に『召喚』出来る魔物を呼びだしていた。
『
その効力は強大だが、使い方が限られている力でもある。
所謂メリットとデメリットが存在している。
雄一の『
この力を貰った当初は、相手を『支配』する事など出来ないと考えていた雄一だが、アクゼリートの世界に存在する『魔法』の力に気が付いた時から雄一の欲望は形を成した。
このの世界の人々よりも何十倍もの『魔力』を持っていた雄一には、『魔法』と言う力により日本にいた頃に燻っていた自分の姿とは思えぬほど強大な力を手にした事を知った。
力を持たない者が突然力を持ってしまえば、その力を誇示する様に振る舞ってしまう。それが社会的弱者と自覚していた者ならなおさらだ。
今迄怯え、隠れる様に過ごしてきた日常と違い、誰にも恐れることも無く振る舞う事は雄一にとってはとてつもない快感だった。
力有る者が正義と言われる、中世程の文明のこの世界では雄一に意見する者も、刃向うものもいなかった。
こちらに来てから3年程は、雄一は本当に好き勝手に生き、強大な魔法で以って地位も名誉も金も全てが手に入る物だと思っていた。
だが雄一は、自分以外にも強者が居る事に気付かされた。
最初に出会ったのは中学生くらいの少年だった。
雄一がアプサル国より奪い取った領地で、好き放題していた折にその評判を聞きつけて雄一を諌めようとしてきた正義感溢れる少年だった。
まだ純粋に正義と悪とを考えることの出来る、純朴な少年は雄一と同じように強大な『魔力』と、『センクシャ』という『
光よりも早く行動できる彼の『
雄一の強大な魔法も当たらなければ意味は無く、どれだけ離れていようとも瞬時に距離を詰められて攻撃を受けて雄一はみっともなくのた打ち回る事になった。
だが雄一は生き残った。
これは雄一の悪運が強いと言うよりも、相手の少年が甘かったと言うべきだろう。
雄一を完膚無きまで叩きのめした少年だったが、雄一の命を奪う事を躊躇ったのだ。
だから雄一は勝った。
心を入れ替えたように装い、少年の食事に毒を盛って少年を毒殺する事に成功したのだ。少年とて雄一の食事に手をつけるほど愚かでは無かったが、『支配』した少女を『支配』が解けたように見せかけ、心を許した所で毒を盛る事など容易い事だった。
それから雄一は『来訪者』の情報を集め、出来るだけ関わらないように、関わるのなら無害を装って毒殺してきた。
雄一にとって同郷の『来訪者』とは自分の惨めだった日常の象徴の様に映り、どれだけ良い人物であろうとも憎しみの対象だった。
「あいつの表情はそそったなぁ~……目の前で仲間を犯って涙目だったモンなぁ~。あれはぜってぇ童貞だったぜぇ~?」
夜の帳が降り、青い月が周囲を明るく照らし出す闇の中で雄一が思いに耽る。
正義感に満ち溢れた純粋な少年が、苦痛と怨嗟の瞳を向けて来た一場面を思い出し、うっとりと余韻に浸る。
生き生きとしていた少年の顔が絶望に歪み、恨みの念しか送れない不甲斐無さに打ち震える姿は、生前の自分を追いやった世の中に対する復讐の様に感じられて、それだけで果ててしまいそうになるほどの快感を雄一に与えてくれた。
この世界に来れた事は雄一にとっては千載一遇の好機だと言えた。
現実世界ではまさに『何もしてこなかった者』だった雄一の性根は、罪も善行も無さぬまま酷く
「あのイケメンの顔を刻んで首だけ目の前に持って行ったら、ベルフラムたんはどんな表情をしてくれるかなぁ~? あー、NTRってやられる側のしか見て無かったけど、やっぱやる方が気持ちええなぁ~。あ、でもやっぱあいつを行動不能にして、その目の前で全員を犯してやんのが一番気持ち良さそうだよなぁ~。年増はいらねえケドよぉ」
前の世界では何もしてこなかった故に手に入れることの出来なかったモノが、この世界では容易く手に入る事に雄一は酔っていた。
眼下に見下ろす赤い炎を纏わす九郎の姿に雄一は再度嗜虐的な笑みを浮かべる。
「どれだけ強大な『魔力』を持ってても、俺以上の『魔力』量な訳ねえしな……。俺もそろそろ決めねえと魔力が無くなりそうだわ……」
『災害級』の魔物『
雄一が『召喚』と呼んでいるこの魔法は、風と土の魔法を等分に配して作り出した『転移門』に魔力で作った紐を通して魔物を呼び寄せる技だ。強力な魔物はそれだけ強力な『魔力』で作った紐が必要になって来る。
宮廷魔術師数百人合わせた魔力量を持つ雄一と言えども、『魔力』は有限である。
九郎の『魔力』がどれ程のモノかは未だ分かっていないが、赤い炎や氷の技は『魔力』を消費している筈だと雄一は考える。
「雑魚相手にどんどん『魔力』を消費してぇ~、ふらふらになった所で叩きのめすのが一番安全で確実だぁ~。俺って賢くて、慎重で、用心深い性格だしぃ~。ぼろぼろになって『
青い光の中で雄一は口角を吊り上げる。
相手を弱らせ、抵抗出来なくしてから大上段で勝利を得る快感を想像して、雄一はうっとりとした笑みを浮かべる。
春の山の夜に九郎の雄叫びが大きく響き渡っていた。
☠ ☠ ☠
「クロウ様!2体行きますっ!」
「おうらーいっ!! 吹っ飛べ!! うらっしゃぁぁああああ!!!」
青い月明かりの下に赤い炎が一瞬噴き上げ、『
バラバラになった『
「クラヴィス! 無理すんなよー! 疲れたら言えよ! あんまりあいつらに近付くなよ! 剣持ってる奴は絶対に近寄んなよ!」
心配性の母親の様な言葉を投げかけてくる九郎に、クラヴィスは苦笑する。
「夜目は私の方が効きますから、クロウ様は目の前の敵だけを見てくださいって!」
今日の月明かりの下でなら、夜目の有る無しはあまり関係が無いようにも思えたが、自分にも何かできることは無いかと前線をかって出たクラヴィスには少々拍子抜けする事態ではあった。
動きが遅く、『
どれだけ強力な魔物であろうとも動きの遅い魔物には遅れを取らないとばかりに、力任せに拳を振るい蹴りを繰り出す九郎の姿はクラヴィスの心にも余裕を産む。
「だぁらっしゃぁああ! クラヴィスは女の子だから傷の一つも付いちまったら
『
気配を察知しては九郎の元へと誘導するくらいしか出来ていない事に、クラヴィスは死すら厭わない覚悟が空回りしている気分になって来る。
「クロウ様こそそんなに攻撃を受けては危険ですっ! 今の攻撃だって骨が折れた様に…………………………………折れてませんね…………」
九郎が『
鎖骨でも折れたのかと胆を冷やしたクラヴィスが慌てて九郎を観察するが、九郎の体には折れた痕どころか、青痣一つ残っていない。
「俺は頑丈だからな! クラヴィス! お前もカルシウムしっかりとっとけよ! ……ってお前ら骨も喰ってたな……」
力こぶを見せながら九郎がぼやく。
言葉とは裏腹にその表情は真剣そのものだ。
焦っているとも見て取れそうなほど、九郎の表情は硬い。
両手を広げ、道を立ち塞がるようにして構える九郎の背中には焦燥が滲んでいる。
汗一つ掻いていないその背中は怒った炭の様に仄かに輝き、春先の冷たい夜風を温めるかのように熱を発している。
「あ! 右側から5体程近付いてきます!!」
「了解だっ! うっらぁぁぁああ! ぱらふぅぅぅぅううぞぉぉおおお!!!」
雄叫びを上げて九郎が両手を斜めに振り回し、その勢いのままに体を捻って回し蹴りを繰り出す。
両手に触れた『
一塊の炎の様に輝く九郎の姿にクラヴィスは美しいとすら思ってしまう。
一瞬の間だけ大きく炎を迸らせる九郎の攻撃は、クラヴィスが街を彷徨っていた頃に一度だけ見た、祭りの夜空に咲く花火のような輝きを見せていた。
「凄いです! クロウ様こんなに強かったですね!?」
瞬く間に魔物の群れをなぎ倒した九郎に、クラヴィスが称賛を贈る。
頑強だとは思っていた。どんな事にもへこたれない強靭な肉体と精神を持っていると思っていた九郎だが、こと攻撃に関してはこれ程強いとは思っても見なかった。
主の危機に対して鋭敏な感覚を持っているクラヴィスの力を以ってしても、九郎の身には毛ほどの危機も感じられない。
まるで大岩の様に立ち塞がる九郎の背中が、クラヴィスには頼もしくそして誇らしく感じられる。
奇しくもデンテが感じたのと同じように、クラヴィスも大人に守られると言う安心感を十全に感じていた。
「おうっ! 俺はお前らの保護者だかんなっ! 腐った奴らに負ける訳にゃあいかねえんだ!!」
九郎が背中で語る言葉に、クラヴィスは嬉しそうに尻尾を振る。
(そうです! 私達の天国はこんな事では揺るがないです!)
迫りくる魔物の群れに打つ手が有ると言ったベルフラム。
雲霞の如く襲い掛かる魔物を一人で押し止める九郎。
どちらにも多大な信頼を寄せているクラヴィスには、未だに数を減らす様子を見せない魔物の群れにも絶望を感じはしなかった。
「次、左下から3体来ます!」
クラヴィスが目聡く動く『
「馬鹿っ! 後ろだ! クラヴィスっ!!!」
クラヴィスに向いた九郎が焦った様子で声を荒げる。
「………え?」
気が緩んでいたのかも知れない。
九郎の戦う姿に見惚れていたのかも知れない。
腐敗した匂いが立ち込める中では、クラヴィスの鋭敏な嗅覚も効かなくなっていた。
いつの間にか九郎を目で追っている内に、後ろに『
スローモーションに見える剣筋を、クラヴィスは振り返った瞳で見上げた。
『
振り下ろされた剣を避けようと、クラヴィスが足に力を入れる。
だが、不運な事に平気だと思っていたクラヴィスの体力も、既に限界を迎えていた。
殆んど戦っていなかった筈なのに……クラヴィスは足をもつれさせて倒れ込んだ地面の硬さに呻きながら、自身の不甲斐無さに唇を噛む。
命の終わりを告げるようにと振り下ろされる剣に、クラヴィスはギュッと目を瞑る。
九郎の悲鳴のような声が耳に聞こえる。
(クロウ様……ベルフラム様……ごめんなさい……)
倒れ伏して目を瞑ったクラヴィスは心の中で自身の主に不甲斐無い自分を詫びる。
油断など出来る状況では無いのに気を緩めてしまった自分が悪い。
いくら頼りになると感じても、九郎は一人の人間だ。
指先一つで敵を打ち倒す事が出来ないのは、目の前で見ていた通りでは無いか。
それなのに全てを打ち倒せると思って、気を緩めてしまった自分の所為で九郎やベルフラムが嘆く事がクラヴィスには何より申し訳なかった。
(私は充分幸せを頂きましたから……悲しまないでくれるといいなぁ……)
主を悲しませるのは本意ではないが、きっと悲しませてしまうだろうな……とクラヴィスは朧気に感じていた。
だが、自身の命の終わりを悟り、目を瞑ったクラヴィスに終わりの時はなかなか訪れなかった。
スローモーションに感じていたのは人生の最期の瞬間を覚えておくための、自分の錯覚では無かったのだろうかとふと考える。
体感ではもう1分程もじっと目を瞑って倒れ込んでいた筈だ。
それなのに来るはずの剣先も、訪れる筈の痛みも何も感じはしない。
痛みを感じる間もなく逝ってしまったのだろうか……。
勇気を振り絞ってクラヴィスは体に意識を巡らす。
痛みを恐れていては自分が死んだのかも分からず、『
(クロウ様が悲しまれますし……)
『
命の芽吹きを謳歌した山肌の感触がクラヴィスの手のひらから伝わってくる。
冷たい夜風に当たった草の感覚と、思った以上に暖かだった地面の温度に驚いたクラヴィスが恐る恐る閉じた瞳を開く。
そしてクラヴィスは再び動きを止める事になる。
――――目の前の光景に口をポカンと開いたまま―――――――。
☠ ☠ ☠
ギャァァ! ンギャァァァァアアア! アァァァァアアアアァァァアアア!!
ンギャァァァァアアア! ンワァァァアアアアアア!! アァァァァアアァァ!
ァアアア! ンギャァァァァアアア!! アァァァァアアアアァァァアアア!!
ンワァァァアアアアアア!! アァァァァアアアアァァァアアア!!
アァァァァアアアアァァァアアア!! ンワァァァアアアアアア! アァァァァ!
アアアァァァアアア! ンギャァァァァアアア!! アァァァァ………………
耳を
朧気に意識できる自分の身体は、何も身に纏わぬか細い存在でしかない。
――怖がらないで……。私はあなた達の敵では無いわ――
精神下で語りかける事がこれ程『魔力』を消費するのかとの思いがベルフラムの胸に宿る。
意識を地中深くと繋げている自分の『魔力』の細い糸が、それこそ地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸の様に思えてしまう。
アァァァァアアアアァァァアアア! ンギャァァァァアアア!! アァァァァア!
アァァァアアア!! ンワァァァアアアアアア!!! アァァァァアア……アア
ンギャァァァァアアア! アァァァァアアアアァァァアアア!! ンワァァァ!!
アアアア! アァァァァアアアアァァァアアア! ンギャァァァァアアア!!
ァァァアアアアァァァアアア! アァァァァアァァアアァアア! ギャァァ!!
アァァァァアアアアァァァアアア!! アァァァァ………………
ベルフラムの意識を掻き乱すかのように鳴り響く赤子の様な声。
耳元で大音響で泣き叫ぶ何重にも重なる声に、意識そのものが霧散してしまいそうになる。
――私はあなた達とお話がしたくて来たのよ?お願いだから話を聞いて? ――
ベルフラムは魂すらも拒絶しそうな赤子の声に優しく意識を向ける。
灼熱の大地の内側に溜まった生命をも生み出す熱量に、生身で無いと言うのに焦げ落ちてしまいそうになるのを必死で堪える。
アァァァァアアアアァァァアアア! ンギャァァァァアアア! アァァァァアアア
アァァァアアア! ンワァァァアアアアアア! アァァァァアアアアァァァアア!
ンギャァァァアア! アァァァァアアアアァァァアアア! アアァァァアアア!!
――どうしたの? 怖い事があったの? 大丈夫よ……。あなた達の上で暴れている魔物は、今私の『英雄』達が戦ってくれているから――
堰を切ったように泣き叫ぶ声にベルフラムは殊更ゆっくりと言葉を投げかける。
この山の『魔力』が乱れているのは分かっている。
大量に送り込まれた、自然下では存在しない負の『魔力』に、奥底に眠っていたこの赤子達は怯えているのだろう。
『魔力が乱れる』と言う状況がこの様な形で表れている事に驚きを感じながらも、ベルフラムは勤めて平静を装いながら意識下の両手を広げる。
――怖いやつらはもうすぐいなくなるわ……。だから怯えなくても良いのよ――
ァァアアアアアアァァッァァァァァァアアアアアァァァァァ!!
広げた両腕に灼熱の痛みが走る。
意識の奥、魂を直接焼き尽くす様な熱量が腕に飛び込んできた。
瞬時に燃え尽き崩れてしまいそうになる両腕に目一杯の『魔力』を込めて、ベルフラムは両手に集う灼熱の『魔力』を抱きかかえる。
――よしよしよし……。怖かったのね……。でもお姉ちゃんがあいつらを追っ払ってあげるから――
まるで赤子をあやすかのように灼熱の『魔力』を抱きかかえ、優しく語りかけるベルフラムの声に、耳を劈くように響いていた鳴き声が次第に止んで行く。
荒れ狂い喚きたてていた灼熱の『魔力』は、静かに揺蕩う様にその熱量をベルフラムへと伝えてくる。
例え静かになったと言えども、気を抜けば魂ごと燃え尽きてしまう熱量を抱きかかえたまま、ベルフラムは優しい声色で語りかける。
――でもね……お姉ちゃんたちだけじゃ大変なのよ……。お願いだから少しだけ力を貸してくれないかしら? ――
ベルフラムの切り札。
人智を超える大規模な魔法の力を行使する為に、自分の『魔力』を代償にして大地に眠る灼熱の『魔力』を引き出す。
一歩間違えばそのままベルフラムは大地の下に眠る『魔力』の渦に巻かれて、燃え尽きてしまう恐れもあった。
上手く事が運んだとしても、ベルフラムには内包できない量の『魔力』に体が耐えきれない可能性も残っている。
そして何より、ベルフラムが魔法を行使出来るかと言う問題もまだ残っている。
(これからが正念場よね……クロウ……私も頑張るから……!!)
死の可能性は逃れられない程高い。
大地に眠る炎の『魔力』など、人の身には御しきれるモノでは無いのは分かっている。
この方法で『魔力』を底上げするには、普通なら何十人と言う魔術師が必要に成る事をベルフラムは知っている。
所謂『儀式』と呼ばれる方法。神の力の一端をその身に宿そうとする、明らかに人の分を超えた技。
ベルフラムは『儀式』をたった一人で行おうとしていた。
何十人と言う魔術師がいても、『儀式』を行えば、数人はその魔力を抑えきれずに命を落としてしまう事がある。
それ程危険な術を、少女の身一つで行う事はそれこそ自殺行為だと言われるかもしれない。
だが、追い詰められて死を待つぐらいなら、自分の選んだ道で誰かを救う方がよっぽど建設的だとベルフラムは考える。
例えそこに死の危険性があろうとも、諦めるくらいなら前のめりになって命を燃やす方を選ぶ。
多分数々の奇跡が起ころうとも、五体満足ではいられないだろうとベルフラムは感じていた。
それでも何処かで奇跡を願い、大事な者達の為に命を燃やす事にベルフラムは躊躇う気持ちは既に無い。
アァァァアアア……ァァアア……
腕の中で微かに動いた『魔力』の答えに、ベルフラムは大きく息を吐き出す。
これからこの『魔力』を抱えて体へと戻らなければならない。
そして体で大地の奥底に眠る灼熱の『魔力』を抑え込みながらの魔法の行使を行うと言う、気が遠くなりそうな時間が待っている。
ベルフラムはゆっくりと体に『魔力』を巡らせながら、自身の身体から伸ばした『魔力』の糸を手繰る。
気を抜けばそこで体は炎に包まれて燃え尽きてしまうだろう。
『魔力』を大分消費していた折に使えば、それこそ自分の身体に辿り着く前に『魔力』が尽きて終わりだったかもしれない。
九郎がレイアに預けた『クリスタル・バグ』の蜜が無ければ、ここまで来ることすら叶わなかったのではないかとの思いが頭を過る。
(またクロウに命を助けて貰ったって事になるのかしら……)
ベルフラムが覚悟を決めた瞬間にもたらされた、九郎からの応援にベルフラムは口を尖らせながら頬を染める。
助けてもらってばかりな気がして、何となく立つ瀬がないのだが、それでも愛する男に気遣われている事に嬉しさが入り混じってしまう。
思うだけで頑張れる存在が、自分達を守る為に戦ってくれているという事は、恋すら初めてで手探りを繰り返しているベルフラムにとっては面映ゆい感情として精神にも影響しているのかも知れない。
アァァウ?
精神下でコロコロと表情を変えるベルフラムに、灼熱の『魔力』が仄かに輝く。
『魔力』が疑問を呈している事に少し驚きを覚えたベルフラムが、自分の腕に抱く『魔力』の熱が温かな物に変わっている事に気が付く。
『魔力』と言ってもいろいろと性質が違う。
ベルフラムの得意とする――赤――炎の『魔力』はどちらかと言うと好戦的で荒っぽい。
全てを拒絶するかのような荒々しい『魔力』の性質が殆んどで、この様に術者を気遣う様子を見せる『魔力』を感じた事が無かった。
だが、今の自分もただ一欠けらの『魔力』に過ぎない存在だと気が付き、ベルフラムは両腕に抱えた灼熱の『魔力』へと語りかける。
――お姉ちゃんが照れてる理由? それはね――
魔力の糸を手繰りながら、ベルフラムは照れながらも灼熱の『魔力』に自身の恋心を語る。
出会いから今に至るまで、どれ程の思いを彼に感じたのかを。
意識下での時間の流れは悠久に流れている。
じわりじわりと体へと引き寄せ、新たに内包して来た『魔力』に体を慣らさないと、一瞬でベルフラムの体が弾け飛んでしまう。
(だからと言って『魔力』相手に話す話なのかしら…………)
ベルフラムが自身の九郎への思いを語り終え、何とも言えない表情を浮かべる。
だが腕の中の灼熱の『魔力』は、ベルフラムの話を大人しく聞いているように思える。
見た感じは熱い溶岩の塊のような『魔力』だが、どこからか声も発しているように思えるし、動く事も出来る様子だ。
自分達人間も『魔力』という存在の元では、この灼熱と何も変わらないのかも知れないとベルフラムは一人で納得する。
声も聞こえ、内容も理解できるのであればそれは形が違うだけで、ある一つの人格の様にも思えて、ベルフラムは何気なく尋ねる。
――私はね……クロウに名前を呼ばれた時に生まれたと思ったの……。私の名前……ベルフラム……そう、古代の言葉で『美しい炎』って意味よ……。あなたにも名前があるなら教えて頂戴――
――××××××××――
――……そう……あなたも一つの存在としての名前があるのね――
「―――――力を貸して頂戴……」
意識下の存在から、自身の肉体へと戻って来たベルフラムがゆっくりと瞳を開ける。
既に夜の闇は完全に訪れている。
九郎が押し止めている道以外からも岩山を登り、迫りくる『
昼間なら登れなかった岩山も、夜になって力を付けた『
レイアが懸命に剣を振るい魔法の盾を掲げて防いではいるが、その肌には行く筋もの血が滲み、腐敗した肉の攻撃に何度も晒されているのが分かる。
「ベルフラムしゃま……」
潜っている間ずっとベルフラムを支えていてくれたであろうデンテが、泣きそうな声で名を呼んでくる。
ずっと傍らで不安に耐えていたであろう幼い少女の頭を撫でると、ベルフラムはゆっくりと『魔力』を解放して行く。
ベルフラムの髪が揺らめく炎の形を象り、足元から噴出した『魔力』の奔流はベルフラムを中心にしてどんどんと広がりを見せて行く。
体から溢れ出る様に広がる『魔力』の渦の中心でベルフラムは今迄感じた事の無い全能とも言える力に支配されそうになる。
その熱を伴った『魔力』の広がりは、これまでのベルフラムの『魔力』とは違い、青々とした草木には幾程の影響も与えてはいない。
だが確実に熱を伴う『魔力』の渦は広がりを見せ、山がそれに呼応するかのように赤く光を放ち始める。
「デンテ……離れて頂戴……」
ベルフラムは短くデンテに伝えると、自分の身体から漏れ出る炎に酔ったようにふらふらと体を傾ける。
意識の混濁を感じて、ベルフラムは自分の身体が自分のモノとは思えないような覚束ない感覚を覚える。
だがこれこそがベルフラムが灼熱の『魔力』を内包した事の表れだと思える。
半ばトランス状態に入ったベルフラムは、混濁して行く意識の中で、必死に自分の存在を維持するように意識を集中させる。
(飲み込まれちゃったら駄目よ! 私はベルフラム……。そしてあなたは――)
「――私の願いに応じてくれた灼熱の炎よ――」
ベルフラムが唱え始めた呪文の言葉に大地が答える様に赤く光を放つ。
一言、言葉を紡ぐ毎に、ベルフラムの体に熱を帯びた血流が廻る。
体に廻る炎の血潮に、身の内側から焦がされる苦痛を感じてベルフラムは眉を寄せる。
「――繰り返し生まれ廻る、大地の下で眠る者――」
山の頂上より広がったオレンジとも赤とも言える光は、山一つを丸ごと包み込むような広さへと広がっていく。
杖を持つ手を掲げたベルフラムの白い腕に、幾本もの赤い線が現れる。
大地を割るマグマの奔流の予兆の様なその輝きが、両腕から首筋へと延びて行く。
「――無垢な赤子の如く、星の命を宿す者――」
一小節毎にベルフラムの言葉に呼応して巨大な魔方陣が大地に刻み込まれる。
幾何学模様に似た、古代の神々が使用していたと言われる古代の文字が刻まれた魔方陣は、その中にいる全てを包み込むようにして形を作る。
首筋まで伸びた輝く赤い線が体全体に広がりを見せ、ベルフラムの頬に口元に熱い液体が伝う。
両目から燻る様な赤い血を流し、口や鼻から溢れ出てくる血の味を感じながらもベルフラムは最後の言葉を紡ぎだす。
「――『深淵なる赤』、ミラの眷属にして命を生み出す原始の炎、アルケヴィータよ! 私に力を!! ――『フォエトゥス・フラム・マグナ』!!」
ベルフラムの言葉に答える様に大地そのものが一瞬赤く輝く。
真紅の魔方陣の内側全てが、真昼の様に光を放ち再び暗闇が訪れる。
光が収まった瞬間、奇妙な静寂が辺りを支配する……。
「……あ……………」
この言葉は誰が発した物だろう―――――。
自分の声の様な、レイアかデンテの声の様な……。はたまた雄一の驚きの声だったのだろうか……。
薄れる意識の中でベルフラムは満足そうに微笑みを浮かべる。
デンテの慌てふためく声が耳の奥底に届いて来る様な気がする。
(やった……わ…よ……皆……ありが……とう……アルケヴィータ……。ちゃんと……見てくれた……?)
地面に倒れ込む感触の代わりに、デンテの柔らかな肌の温もりを微かに感じながら ベルフラムは体から離れて行く灼熱の『魔力』へと礼を伝える。
――ワガ眷属ノ名ヲ知ル者ガ再ビアラワレルトハナ――
暗転する意識の中、ベルフラムの頭に聞いた事の無い声が響く。
力強い男性の様な――だが何処かのんびりとした雰囲気のある声の主が誰なのか。
ベルフラムの薄れる意識の中でその存在の正体に思い当たる。
――名前が有るのなら……――力を借りるなら、なおさらその子の事を良く知ろうとしないと失礼だと思っただけよ……――
初めて聞く声に対してベルフラムは頭の中で、得意気に答える。
自分がそれで救われた気がしたのだから、只の炎として、只の『魔力』として力を借りる存在だけだと、そう一括りにしてしまうのは自分の気持ち的に何となく躊躇われただけだったのだが……。
――考えてみれば当然よね……だって
暗転して行く意識の中で、ベルフラムは意識下に映る、赤く燃える雄牛を象った炎に対して微笑みを浮かべていた。
炎の雄牛が口を歪めてニヤリと満足そうに笑った様な気がした。
「そんな姿をしていたのね……
自分が生きてきた中で一番名前を呼んでいた存在の姿を知って、ベルフラムは意外そうに呟く。
予想されていた体の変調は、如何いう事か感じられはしない。
神の眷属をその身に宿したと言うのに、腕の一本すら失っていない事に何重もの奇跡を身に受けたのかと思ってしまう。
――タスケル……ノニ……ダイショウ……イラナイモン………――
炎の雄牛の傍らに小さな鼠の様な炎が現れる。
「あなたの本当の姿ってそんなだったのね……アルケヴィータ……。ありがとう……力を貸してくれて……」
ベルフラムの振り絞った小さな声は、夜風の巻かれ、静かに山間の闇へ沈んでいった――。
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