第105話 窮地
(このままじゃ……)
九郎と合流し疲れ果てたデンテを後ろに守りながら、ベルフラムは唇を噛む。
例え『
徐々に上へ上へと後退しながら、黒い蟻塚の様になってきている山を想像し寒気を覚える。
レイアもクラヴィスも動きに精彩を欠いてきている。
動きの鈍い『
「クラヴィス! 下がって! レイア、クロウ! 暫く前線を維持して!」
ベルフラムが炎の壁の魔法を飛ばしながら鋭く叫ぶ。
いくら獣人と言えどもクラヴィスもまだ歳若い少女だ。
もう何時間戦っているのかすら分からない程の連戦で、動きが鈍ってきている。それを言うならベルフラムとて体力の無い少女ではあるが。
レイアと九郎に無理をさせてしまっている事を理解しながらも、相対的に体の大きな二人に任せるしか無い。
「レイアっ! 無理すんじゃねえぞっ! 俺が溢した奴だけ頼むわっ!!」
そんな中、九郎一人が気勢を振るっている。
殆んど休みなく戦い続け、もうすぐまた夜を迎える事になる時間だと言うのに、疲れを見せることも無く炎を燻らせた腕や足を振るい『
流石にベルフラムの魔法の炎と同等の威力を持っていると豪語するだけあり、仄かに赤く輝く腕に触れた『
(でも……クロウはもう2日も休み無しで戦ってる……)
未だに衰えを見せない九郎の姿に誇らしさを覚えながらも、ベルフラムの頭の中の不安が拭えない。
後方から襲い掛かって来ていた『
先程地揺れのような音がしていた事が関係しているのかは分からないが、壁を砕くことさえ出来た九郎のことだから道を崩してどうにかしたのだろう。
だがそんな大技を使って体力が持つのかとの不安が有る。
疲れた所を見せた事の無い九郎だが、流石に2日連続しての戦闘など出来る筈が無い。
ベルフラムは焦燥を覆い隠すようにゆっくりと山を登って来る『
「そろそろいい加減に泣きわめけよぉ~。こんな状況だと普通諦めんのが筋だろぉ~?」
またもや突然辺りに響いた粘っこい声に誰もが眉を跳ね上げる。
雄一の少々苛立った声が山彦の様に木霊して消えて行く。
雄一の方は苛立たしげだが、ベルフラム達の方はさらに怒りに苛立っていた。
度重なる戦闘に休むことも儘ならないのに、その中で自分の思い通りにならない事がさも意外だとでも言うかのような雄一のセリフには理不尽がこれでもかと詰め込まれている。
「陰からこそこそ雑魚を送り込んでばっかりの腰抜けの思い通りになる訳無いじゃないっ!!!」
ベルフラムは虚空に向かって声を荒げる。
凛とした声が山々に木霊して、そこでベルフラムはいつの間にかかなり上まで追いやられていた事に気付いて、周囲を伺う様に視線を巡らす。
白い岩がゴロゴロと転がる山頂付近、その中の一つの岩の上に黒い穴が開き、なんとも憎々しげに顔を歪めた雄一が姿を現す。
目の下に隈を作り、歳の割に幼かった顔が一気に老け込んだような顔つきだ。
「んなこと言ってそろそろ限界じゃねえのかぁ~? 今なら君と獣人の二人だけなら見逃してやってもいいんだぜぇ~?」
雄一が顔を歪めてのたまう。
九郎とレイアを外して来る事からも、雄一の歪んだ性癖を如実に語り、ベルフラムは奥歯を噛みしめて雄一を睨みつける。
雄一に対抗できるようにと全員に魔法を掛けながらも、打開策の一つも無い物かと必死に考えを巡らせる。
曲がりなりにも雄一はこの国の『英雄』と呼ばれる人物だ。
何年も魔法を勉強し、魔法の研鑽を詰んできたベルフラムと言えども、その魔力の差は歴然で、九郎の炎でも焼けなかった事からも今のベルフラムでは打つ手が無い。
「嘘ばかりついてたあなたが今更何を言っても信じられないわよっ!!」
一瞬クラヴィスとデンテだけでもとの考えが頭に過るが、妻全てを人形の如く『支配』して侍らせている雄一に助けられた所でそれが生きているとは考えられない。
頭の中の考えを振り払い、ベルフラムは小さな杖を雄一に向ける。
(この男を倒さないと私達に安寧は無い……。あれだけの数の魔物を『召喚』してるんだからあいつの魔力も枯渇してるはず……)
ベルフラムは意識を魔力に集中させながら、雄一との距離を測る。
あれだけ大上段に言葉を放ちながらも、雄一と此方の距離はかなり離れている。
九郎に接近されることを恐れているのか、岩の上に立ち、ベルフラムとしゃべりながらも九郎をちらちらと盗み見ている。
突然その雄一の顔に黒い何かが飛来して触れるとともに弾け散る。
「こそこそこっち伺ってんじゃねえっ! 一対一万でも相手になってやっから手前もこいつらと混ざりやがれ! お前だったらゾンビと混じっても違和感ねえだろっ! このハゲッ!!」
『
赤く仄かに煌めく九郎が、前線に登って来る『
「ゾンビ映画のエンディングみたいに、山となった『
――嘘――。
ベルフラムは雄一の言葉にまたもや仄かな希望を織り交ぜて来た事に苛立ちを感じながらも、冷静にと頭の中で怒りの感情を押し止める。
(ユーイチはまだ参戦してこないの? お付の妻達の姿も全然見えない所を見ると……警戒しているのかしら? 目を潰せば『支配』が解けるってこっちが知っているから? 追い詰められるまで出さないつもりかしら?)
8人の雄一の妻と言う人形の姿が見えない事にいろいろな予想を立てながらも、憎き敵の真意を探る。
「どうせこの『
挑発するのは愚策かとも思えたが、この男を戦場に引きずり込まなければ延々と魔物を嗾けられてしまう。それはベルフラムの確信だ。
細い山道だからこそなんとか喰いとめているが、魔物の大軍相手に5人なんてものは普通に考えれば、ありえない。
「いやぁ~ホントだってぇ~。ツンツンしてんのも良いけど、そろそろデレも見せてくんないとねぇ~。俺も若いって言われるけど徹夜はそろそろきつくてさぁ~……。
――だからそろそろ諦めろよぉ~。早く絶望しろよぉ~。命乞いをしろよぉ~。恐怖に慄けよぉ~!!」
疲れた表情から一変して残虐な笑みに口元を引き上げ、雄一が目の前に大きな黒い穴を開ける。
空中に開いた穴からボト、ボトと黒い塊が大地に落ちる。
その蠢く黒い影にベルフラムの顔が険しくなる。九郎の顔は更に険しい。
「残ってた『
ここに来て再び『
ただでさえ追い詰められている所に、強力な魔物を投入されて少しずつ九郎とレイアが押され始める。
「じゃあ~俺はここで見てっからぁ~。死ぬまでにちゃんと命乞いしなよぉ~。でないと俺が犯せねえし~」
雄一が岩山に腰かけてタバコをふかす振りをしながら、にやにやと笑みを浮かべる。
「死んだってあんたのモノになんかなってやらないわ! 私はクロウのモノよ!!」
ベルフラムが怒りの籠った瞳で雄一を睨み、小さな杖を握りしめた。
☠ ☠ ☠
山麓に剣戟の音が鳴り始める。
得物を持たない『
こうなるとクラヴィスやデンテが参戦するのは明らかに力不足に成って来る。
戦闘センスがいくらずば抜けて高いクラヴィスと言えども、『
力も素早さもレイアよりも優れているとは言え、レイアの様に長年鍛錬して来た者と違い、戦闘経験が浅過ぎていた。また、魔法の盾を作り出して致命傷を避けられるレイアとは違い、クラヴィスとデンテは装備も只の服では、一撃を貰うだけで命の危機に陥ってしまう。
「はっ!!」
「でりゃぁぁぁぁあああ!!!」
レイアが魔法の盾で弾いた『
赤い炎が間欠泉の様に吹き上がり、橙に染まりつつある山に違う光を輝かせる。
「レイアっ! 無理すんなっ! 一回休んでろっ!!!」
九郎がレイアの顔色を一瞥しながら吠える。
レイアも今日は一日殆んど休み無く戦っている。
内包する魔力量の多くないレイアにとっては、魔法の盾すら何度も出せるものでは無い。
レイアの魔力量など知らない九郎から見ても、女性であるレイアの体力では、いくら鍛錬を積んでいると言えどもそろそろ限界が近いと感じていた。
「ま、まだまだですっ! ベルフラム様の元にこいつらを行かせる訳にはいきませんっ!!!」
レイアが肩で大きく息をしながら、強がる。
その言葉が強がりと言い切れる程、レイアの声はか細い。
「クロウっ! レイアっ! もう少しだけ時間を稼いでっ!!!」
ベルフラムの声が後ろから響く。
年長者二人が前線を維持している手前、どうしてもベルフラムが司令塔の役割を担ってしまう。
戦う事に不慣れなベルフラムに役目を負わせることを苦心しながらも、ベルフラムに任せる他に案が無い。
「分かったっ! レイアっ! お前は一旦休めっつーのっ! おうらぁぁああああローリングソバット『
九郎が右足を振り上げ、『
「もう少し防御も考えてくださいっ!! クロウ様っ!!!」
九郎の戦い方にレイアは今日何度目かの苦言を飛ばす。
九郎の戦い方はおよそ防御など何処かに忘れて来たかのように、攻撃一辺倒の戦い方だ。
『
だが、九郎に襲い掛かった『
凍った滝壺すら熱湯にする九郎の炎の力は、触れた『
だが『
何度も『
「こいつらの攻撃は俺にゃぁ効かねえんだよっ! 全然痛くねえっ! だから大丈夫だっ!!!」
九郎が『
(痛くない訳無いじゃないですかっ! 強がりもいい加減にしてくださいっ!!)
口の裏側まで登って来た言葉をレイアは何とか飲み下す。
この言葉も今日もう何度も言っているが、九郎は聞く耳を持ってくれない。
剣で薙ぎられようとも、槍で突かれようとも意に介す素振りも見せず、果敢に魔物達に挑みかかって行く姿は強さと言うよりも無謀にすら見える。
だがどれ程攻撃を受けようとも、九郎は怯む素振りも疲れる素振りも見せない。
レイアが思っていた以上に、九郎が強い事を今目の前で証明するかのような九郎の戦いぶりに、何故かレイアの心に不安の影がよぎる。
(まるで自分の命が石ころみたいな戦い方です……)
九郎の戦い方に、何故か胸が苦しくなるのを感じてレイアは胸を押さえる。
何故だか九郎の戦い方は、見ている者を切なくさせてしまう。
捨て鉢な素振りは見せていないのに、どうしても頼れると言う思い以上に儚さの様なモノを感じてしまい悲しくなる。
レイアとて九郎がベルフラムや獣人姉妹という小さな少女達だけでは無く、成人して武人として修業してきた自分ですら守ろうと体を張っている事は分かっている。
騎士として修業を積み、稽古では九郎にはまだ一度も敗れた事の無いレイアの実力を甘く見ている訳では無いと思うが、目の前で攻撃されそうになると直ぐに割って入って来ることからも、誰にも傷ついて欲しくないと言う思いが強いのだろう。
だが、それは逆に自分なら幾ら傷ついても良いと言う訳では無いとレイアは思う。
「レイア!!」
不意に近くで名前を呼ばれてレイアが顔を上げる。
その口に九郎の指が突っ込まれる。
ジワリと甘い味を感じて、レイアが瞳を丸くする。
喉と舌に滑る様に入って行く甘みの成分に、レイアの枯渇していた力が少し蘇える。下手な
男の指に口の中を弄ばれる事への羞恥に苛まれはするが、文句を言っている場合では無いので、レイアはそれを受け入れる。
「補給だっ!!後これをあいつらに持ってってくれっ!!!」
九郎は寄ってくる『
これは? とレイアが尋ねる前に九郎は再び前線に向かい、背中越しに答えを返す。
「蜜を氷で固めた奴だ!それで暫く凌いでくれって言っといてくれっ!!!」
指から直接与えるには九郎が前線を引かなけれならない。
だからこうして携帯できる食料を作ったのだと、自慢げに答えた九郎に、レイアは一瞬呆けた後、堪らず叫んでいた。
「なら私にもこうしてくださいよっ!!!」
『
(流石にこの行為は慣れる気がしません……)
何も知らない少女達ならいざ知らず、男の指を舐めると言う行為に思い浮かぶ猥らな想像に、レイアの顔が赤く染まる。
尖らせた唇にそっと触れたレイアの指が、甘い後味を微かに感じさせていた。
☠ ☠ ☠
「――『深淵なる赤』、ミラの眷属にして温もりを与える
『トゥテーラ・フラム・フォルティア』!!!!」
覚束ない足に力を込め、ベルフラムは声高に魔法を唱える。
オレンジ色に輝く球体が周囲の寒気を祓う様に散開し、別の峰から登って周囲に寄って来た『
夕陽の落ちる刻限が迫り、夜の帳が降りようとしている。
この様な戦いの最中でなければ、さぞ美しいと思えたであろう山間に沈む大きな太陽との別れの景色が、今の状況では死神が傾けた砂時計の様に思えてベルフラムの背筋に冷たい汗が伝う。
手を伸ばして掬えるものなら何としてでも留めたい、夜の到来に山間の冷たい風だけでは無い寒気を覚えて杖を持つ手が微かに震える。
夜になれば『
細い崖道だからこそ、やっと押し止めていた『
減る事の無いように思える黒集りの死体の群れに、ベルフラムは焦れたように足を踏み出す。
(怖気付いてるんじゃないわよっ! しっかりしなさいっ! これは死ぬ気で抵抗する気概の問題よっ! 何も死ぬと決まった訳じゃないの!)
頭の中に燻る考えに、多くの理由を付けて肯定させようとベルフラムは周囲にへたり込んでいる二人の獣人の姉妹に目を向ける。
この二人を拾った時には思っても見なかったある種の母性とも言える感情。
自分を慕い、命を擲ってでも守ろうとしてくれる二人の幼い少女の姿に、ベルフラムもまた命を懸けるに値する愛情を持つに至っていた。
危険など顧みない二人だからこそ、自分が体を張って守らなければならないと感じてしまう。
(私達は全員無事にあの屋敷に帰るのよっ! だからこれは賭けでは無いわ!
ベルフラムはデンテの手を掴んで起こし、傍らで荒い息を吐いているクラヴィスの頭を抱き寄せる。
「クラヴィス、デンテ……私はあなた達に出会えて本当に良かったわ……。『好き』って感情を私に自覚させてくれたのは……あなた達だものね……」
不安気な瞳を向ける姉妹達の額に小さく口付けすると、ベルフラムは優しい瞳で山裾を降り始める。
これからする事を考えると、未だに震えが込み上げて来るが、それでも足取りを止める事は無い。
誰かを守ろうとする覚悟の姿は、ベルフラムの瞼にしっかり焼き付いている。
背中を見るという事はその人に守られる事を自覚する。
あらゆる困難に立ち塞がり、前だけを見て守る姿がベルフラムには背中と言う映像によって象られている。
「ベルフラム様っ!!」
麓からレイアが一人、駆け寄って来る。
その姿にベルフラムが瞳を見開く。
レイアは九郎と前線で戦っていた筈だ。
そのレイアが一人で登って来たという事は、九郎に何か有ったのではないかとの不安が頭を擡げる。
「レイア! クロウはどうしたの!?」
擡げて来た不安の影を振り払おうと、ベルフラムはレイアに慌てて尋ねる。
昨日の夜も殆んど一人で『
あれ程タフな者などいないのではと思える九郎でも、何時かは力尽きて終うとの焦りが現実になったのではと悪い予感に身を竦ませる。
「クロウ様は一人で魔物の群れを押し止めています! 私はベルフラム様にこれを届ける様にと言われました。時間が無いので失礼します」
レイアは手のひらに握った青い塊をベルフラムの目の前に一度見せると、有無を言わせない様子でベルフラムの口へと押し込む。
レイアの突然の行動に驚きを表すベルフラムだったが、口の中に広がる甘みにコレが何なのかを瞬時に悟りゆっくりと氷の塊を噛み砕く。
喉を滑り落ちて行く蜜の味に力が湧いてくるのを感じてベルフラムはゆっくりと瞳を閉じる。
九郎は、自分が何をしようとしているのかが分かっているのではないかと思えるタイミングの良さだ。
何時も最後の最後には力を貸してくれているのではとの思いが強く心の中に渦巻く。
(そうね……。きっとクロウは何時だって私に力をくれる……。だって思うだけでも力が漲って来る様だもの……)
体を捧げ、心までも捧げるに至った経緯を思い出し、ベルフラムの頬が微かに朱が入る。
生れ落ちてから11年。これ程充実し、心が動いた事など無かったと思える程、九郎と出会った後の出来事は色濃くベルフラムの心に刻まれていた。
九郎に名前を呼ばれた時に自分は生まれたのではないかと思えるほど、世界が形を、色を変えた。
それを只、幼いと言うだけで興味を示した下衆な男に終わりにされる訳にはいかない。覚悟を持って挑むのは決して死への扉を開く為では無い。
ベルフラムは閉じた瞳をしっかりと見開くと、後ろでデンテ達にも蜜を配っていたレイアに向かって声をかける。
「レイア! これから私は切り札を切るわ! その間は私は何も出来なくなっちゃうから、クラヴィスとデンテを守ってあげて! クラヴィスとデンテは、その後の私をよろしくね……きっと動けなくなっちゃうから……。
クロウには………頑張ってもらうしか無いのよね……。全てが終わった後、きっと私を心配すると思うけど、大丈夫だって言っといてね?」
「ベルフラム様…何をなさろうとしているのですか?!?」
片目を瞑って軽く言い放つベルフラムに、レイアが顔を青くして尋ねてくる。
その事にベルフラムの方が驚きを表してしまう。
意外だった。レイアがベルフラムの奥底に封じ込めた不安や焦りを目聡く見つけた事に、意外だと言う思いがした。
あれだけベルフラムの気持ちを汲み取る事が苦手だったレイアが、いつの間にか自分の心の奥底まで読み取るほど自分を見てくれている事に驚きと共に嬉しさも込み上げてくる。
切り札を切るといったベルフラムの言葉から、表情からレイアはこの切り札に懸ける危険性を読み取ったのだろうか。
だがこの状況で危険が有るとからなどとは言ってはいられない。
危険ならこのメンバー全員が今まさに危険に晒されているのだ。
独り前線に残った九郎が今一番危険な状況にある事は間違いないし、クラヴィスやデンテでもこのまま夜を迎えて再び夜通し戦う事などできはしない。
自分の危険性を訴えて来ているレイアとて、もう一夜戦い続ける事など出来る筈が無い。
「心配いらないわ……。ちょっとだけ大技を使うから周囲に気を配っていられないのよ…。半刻ほどは私は外の音すら聞こえなくなるわ……。だからその間に抑え込まれたら成す術が無いのよ。だからレイア……。あなたが私の大事な者を守って頂戴。あなたは私の騎士だものね?」
少し卑怯な言い回しかしらと、ベルフラムは内心でレイアに謝罪をしつつもはっきりとした言葉でレイアに告げる。
説明している時間も、別の手を考えている時間ももう既に無い。
山間に沈んだ大きな太陽の姿はもう見えず、残る僅かな光だけが周囲を赤く染め上げている。
再び夜が訪れたなら、今度こそ全滅は免れない。そんな思いがベルフラムを駆り立てていた。
「では私はクロウ様を援護してきます! デンテ! レイアさんとベルフラム様をお守りするのよ!」
「ちょっと! クラヴィスっ! あなたはもう戦えないでしょ!? 無茶しちゃ駄目よ!」
「ベルフラム様が無茶しようとしているのに、家臣の私達が体を張らなくてどうするんですか? それにレイアさんに言ったじゃないですか?
クラヴィスは晴れやかとも言える笑顔を浮かべていた。
(やっぱりクラヴィスには敵わないわね……)
ベルフラムはクラヴィスの言葉に、小さく息を吐き出す。
レイアに感心した矢先だが、クラヴィスには感嘆の溜息が漏れそうだ。
まるで見透かしているかのように、強がりの中に隠した懸念を見破られてしまった。
これ程焦りを募らせてきているのは、もう2日も休みなく戦い続けている九郎の身を案じているからなのも間違いない。
もちろんベルフラムにとっては全員が大事な存在になっている。
だが、やはり真っ先に思い浮かぶのは九郎なのも間違いなかった。
は御見通しとでも言わんばかりに、胸を張って言い放ったクラヴィスにベルフラムの頬が熱を帯びる。
ベルフラムが言葉に詰まった事を、事実の肯定と受け止めたクラヴィスは新品なのに既に赤黒く汚れているナイフを手に持ち颯爽と九郎の元へと駆け出して行く。
クラヴィスに対してのある種の畏敬の念すら覚えたベルフラムは、その背中に自身の思いを託すと残ったレイアとデンテに向き直る。
「デンテ……あなたは私の傍にいて私が倒れないように見ていて頂戴。レイアは九郎達が止めきれなかった『
「お任せください」
ベルフラムの指示にレイアは短く返事を返す。
その表情には未だにベルフラムの身を案じているのか、心配そうな様子が見え隠れしているが、止める事は出来ないと判断したのだろう。
胸に手を宛て、騎士の一礼を返すとレイアはベルフラムから少し離れた場所に陣取り、周囲の気配を伺う。
デンテがベルフラムの腰にしがみ付いたまま、覚悟を決めたかのように身を固くしているのを見て、ベルフラムは小さく微笑を浮かべてデンテの頭を撫でる。
「心配しないでも、私の魔法で吹き飛ばしてあげるわよ。少しは私も良いところを見せないとねっ!」
本気の覚悟と死への恐怖を軽口で誤魔化すと、ベルフラムは杖を構えて精神を集中させる。
いつもの魔法の集中とは違う、もっと深淵へと至る精神の潜水ともいえる集中。
心の奥、周囲の闇、大地の内側へと潜り込むかのように、ベルフラムは意識を深く深くへと落として行く。
目指すは此の大地の奥底に眠ると言う、原始の炎。
鉄を溶かし、大地を溶かす灼熱の焔へとベルフラムは自身の魔力を糸の様に細く束ねて潜って行く。
(もっと……もっと深く…!)
大地が鳴くような重く鈍い音がベルフラムの意識の中に潜り込んで来る。
その音の中に生まれたての赤子の鳴き声が微かに混じった。
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