第102話 再登場のお約束
地響きを立てながら暗く大きな穴から姿を現したのは、それもひとつの大きな穴だった。
朝日を飲み込むように開いた穴から、城をも飲み込む巨大な咢が姿を現す。
「『
レイアの口から絶望と共にその正体が知らされる。
村一つを容易く飲み込み、山をも崩す災害級の魔物。九郎とベルフラムを飲み込み、僅か数か月前にレイアに絶望を齎した巨大なミミズの化物が、穴から這い出ようとしていた。
「『
ベルフラムが、炎の壁を避け、闇雲に『ここでは無い何処か』へ向かおうとしている『
考えてみれば奇妙なことだったのだ。
ベルフラムと九郎が40日以上も彷徨い歩いた『
都合よく開いていた
九郎が溢した通り、あの『
(後ろは崖……前には災害級の魔物……どうすれば……)
恐慌をきたしているのか、『
雄一は『
どれだけ大きくても『
(守りきれるの? 私の魔法で……)
ベルフラムは無意識に九郎のズボンの裾を掴む。
クラヴィス達も余りに規格外の大きさの化物に、尻尾を丸めて九郎の足に縋りついている。レイアの顔も青褪め、呆然とした表情で立ち尽くしている。
そんな緊張した空気を破ったのは、誰もが笑えない冗談だった。
「二度もうんこは嫌だよなぁ……なぁ?」
九郎一人が驚きを見せず、嫌そうに顔を歪めていた。
一瞬「何を言っているの?」と顔を上げた三人の少女の頭に、順に九郎の手が置かれる。
九郎はベルフラム達の頭を無造作に掻き回すと、首をコキリと鳴らして震える少女達に親指を立てて笑みを向けた。
「わ、私はクロウと一緒ならどこだって――」
「俺が
強がりと本心のどちらも含んでベルフラムが眉に力を込めて言うと、九郎はおどけた様子で舌を出す。
怯えを見せた自分達を奮い立たせようとしているのか、その表情には余裕さえ感じられる。
呆気に取られてベルフラム達が目を剥く中、九郎は前へと進み出ると、腰のナイフを引き抜いた。
☠ ☠ ☠
「まあ見てろって」
九郎はナイフを引き抜き斜面を下ると、肩越しにベルフラム達に笑みを向けた。
今迄の九郎であれば狼狽えまくっていたことだろう。
しかしこの状況で――保護者である自分が慌ててしまっては、またベルフラム達が無茶をする。
ずっと不甲斐無い姿ばかりを見せて来た自覚があり、ここ数日雄一がどんな手でくるのかばかりを考えていた九郎は、目の前の『災害級』の化物を見ても、焦りを表に出す事は無かった。
一応可能性は考えていた。
雄一が九郎を毒殺しようとした時溢した「『災害級』の魔物も『召喚』できる」との言葉。九郎が知る『災害級』の魔物は『
しかしその脅威は知らなくても、この地方で『
九郎は『不死』だ。食われてどうにかなる体では無い。
しかし守るべき者達が増えた今の九郎にはもう、
(まず落ちる時の衝撃から皆を守れる自信がねえ……)
もし雄一が『
仮定であってもその想像は、九郎からしてみれば恐怖そのものだ。
大量に降り注ぐ瓦礫からも、その後の酸の海からも、大事な命4人分は守りきれない。だからこそ九郎は模索していた。
嗾けられる可能性がある、巨大なミミズの倒し方を。
(最初は中にいたから取れなかっただけだっつーの!)
まだ見た事のある魔物だから幸運だと、九郎は自分に激を入れる。
負けて帰って来ていたが、万の軍勢で倒せる算段があった事実も一つの希望。
そして何より、倒し方を事前に知る事が出来た事が、九郎にとっての突破口だ。
「クロウ! 私も!」
背中で我に返ったベルフラムが、共に戦う意思を見せる。
それに後ろ手に手を振り、問題無いと九郎は返す。
覚悟は決めているが、それでも今の顔は見せたくない。
痛みに怯える様な、情けない男の顔は、彼女達には見られたくない。
(もっと
九郎はベルフラム達に背中を向け、ナイフを振るう素振りで腕を切り裂く。
今迄に比べればかすり傷にも等しいのに、静脈を切り裂いただけで、堪えていても涙が滲む。
「レイア、一応俺も考えてんだぜ?」
「クロウ様……そそ、そ、それは……」
九郎は肩を竦めて虚勢をはる。
レイアの前では無様ばかりを晒している。少しは格好つけさせろと、言いたいところだ。レイアの声は震えている。その震えは迫りくる化物に対してのものか、それとも九郎の手を見て、余りのショボサに呆れているのか。
九郎の腕に血が伝う。
「俺の手札は少ねえからよぉぉっ! 『
しかしその血は地面に零れ落ちたりしない。
滴り落ちる筈の血潮は、生きたまま氷柱の中に封じられる。
赤い氷柱が伸びて行き、それは途中でポキリと折れる。
魔力を持たない九郎の氷柱はとても脆い。しかし今の九郎は強度を必要としていない。
「これでも肩の強さにゃ自信があんだよぉっ!!」
九郎は叫び、数歩助走を付けると、渾身の力で手の中にある赤い槍を放り投げる。
「届け! 俺の魔球! 『大暴投』!!」
赤い槍が『
的など狙う必要は無い。これだけ巨大であれば、どこであっても標的に当たる。
暗闇に吸い込まれるように消えていった槍が、穴の底に触れのを感じた瞬間、九郎は力を解放させた。
「2度目の登場怪獣はカマセって相場が決まってンだよぉ!!
『
ずっと鳴り響いていた地揺れの音はピタリと止んでいた。
☠ ☠ ☠
「うぇっ!? うわぁ……」
九郎がは思わず引きつった笑みを浮かべていた。
山をも崩すと言われる『
それだけであったのなら、九郎は渾身のドヤ顔で振り向き、称賛を浴びていただろう。
しかし、九郎自身が思っていたように『
「す、すまん……うんこが嫌だっつてたら、うんこ作っちまった……」
「……もうちょっと言い方ってものが無いの? さっきからうんこうんこって……」
九郎はいつものように弱り顔で頭を掻き振り返ると、ベルフラムが安堵の混じった呆れを溢していた。
「なにやったんだ坊主……」
先程まで戦う気概も見せなかった護衛の冒険者、ナッシュが自分の死が遠くなったのを悟り、眼下を眺めて声を漏らす。
「え? いや、聞いてたもんで……。『
どれだけ巨大であっても『
それはこのアクゼリートの世界に於いても変わらなかったと言う事だ。
「なんの毒をつかったらあんなになんのよ……」
ベルフラムは尚も呆れ顔を浮かべている。
「いや……いろいろ混ぜちまって……俺も分かんねえ……」
九郎もこの結果は予想外だと言う他無い。
山裾から見下ろしても冷や汗が噴き出るような、恐ろしい世界が広がっていた。
九郎の『
それだけであれば、単に巨大なうんこが出来上がるだけで済んだのだが……。
「悪臭だけで
レイアが恐々と麓を見下ろし、眉に皺を刻んでいる。
どうにも言い訳出来ない気がして、九郎は頭を掻くしかない。
九郎が作り出してしまった巨大なうんこからは黄茶けたガスの様な物が吹きだしていた。単なる悪臭であれば、笑い話で終わりそうなのだが、そのガスは木々を萎れさせ、同時に襲って来ていた『
(そういや亀の時も何か気体が直撃したら顔面が溶けたんだった……。ますますやべえ技だな……『
『
「やぁるねぇぇ? てっきりこれでお終い! 俺様超エコって思ってたんだがなぁ?」
とその時、粘つくような声と共に、岩棚の上に黒い穴が開く。
「――『深淵なる赤』、ミラの眷属にして心に灯る獅子の炎よ! 吠えよ!
『フラム・フォールティア・ムルト』!!」
穴が見えた瞬間、条件反射のようにベルフラムが魔法を唱えていた。
小さな炎がベルフラムを中心に浮かび上がり、九郎達の頭の上で弾けるようにして消えて行く。弾けた炎が雪の様にはらはらと九郎達に降り注ぐが、少しの熱も感じない。
雄一の爆散魔法に対抗する為の魔法だろう。
(ベルの魔法か? 何も変わった気がしねえが、『勇気の魔法』って言ってたし俺の勇気も湧いてくる気がしなくも無くも無い!!)
勇気が増えるとはどんな感じか分からない九郎は、体に降り注ぐ炎の雪を横目に見ながら雄一を睨みつける。
「ん~? まだキミらに魔法使う気はねえよぉ~? 無駄な魔力消費乙!」
雄一は穴から顔を出しただけの状態でベルフラムを指さし、嘲るように笑う。
「やっと姿を現しやがったな! てめえ幼女誘拐も大概にしやがれっ! しつこすぎんだろ、このハゲっ!」
九郎は即座に駆け出し、穴の方へと駆け出す。
『
「しつこすぎんのはお前らだろうがぁぁ? ベルフラムたんも親父と同じように、とっとと泣き叫べば終わる話じゃぁぁん?」
「おあいにく様っ! 私にはクロウがいるもの! あんなミミズ何匹いたって絶望なんかしないわよ!」
雄一が顔を歪めて更に煽ると、ベルフラムが啖呵を切って杖を翳す。
彼女も初めて『
(雄一はベルに絶望を与える為に俺らを追い詰める気だっ! この道を通る様に仕向ける為に最初にあんなでけえ魔物を召喚したんだ!)
九郎の頭の中に確信めいた予感が湧く。
前もって『転移』の魔法は「好きな場所に自由に行き来する術では無い」ことが聞かされていた。もしそんな術であれば九郎はベルフラムの傍を片時も離れられなくなってしまう。
『転移』の術は前もって準備が――マーキングのような物が必要だとベルフラムから聞いている。
(街道を外れて、山道に誘導された今の状況はひたすらにマズイ!)
既に最初の罠にかかってしまっていた。
――まだ魔法を使う気は無い――雄一のセリフからも、この男がここでまたベルフラムを追い詰める為の嫌がらせを仕掛けてくる気であると気が付く。
自分に向けて駆け出した九郎の姿に、雄一は少し慌てた様子で黒い穴から地面に降り立つと、すぐさま両手を前にして黒い穴を作り出す。
雄一の目の前に展開された黒い穴は見る見る大きく広がって行く。
「あんな毒使うなんて酷いじゃないかぁ~! じゃあ続いて『
雄一の瞳が残虐な笑みを形作り、さも愉快そうに言葉を吐く。
開いた黒い穴からゾロリと人の影が湧き出てくる。
そして漂う腐敗臭に九郎が顔を顰める。
黒い穴から湧き出てきた、体の腐った人間の姿に背筋が寒くなる。
「逃げんな! 腰抜け野郎っ! もっかい除草してやっからこっちに来やがれっ! このハゲっ!!」
目の前に現れた大量の『
だが、人二人しか通れない道で溢れだした『
体を炎に『変質』させて『
「クロウ様っ! 逃げましょうっ! 数が多すぎますっ!!」
レイアの氷の槍が九郎に迫る『
胸に大きな穴を開けたと言うのに、貫かれた『
「くそっ! 罠だって分かってんのに進むしかねえのかっ!!!」
既に雄一の姿が見えない程に道には『
何匹かはそのまま崖下へと落ちているが、それ以上に積み上がって来る『
目の前の『
足に伝わって来た、腐った内臓の感触が気持ち悪い。
「気を付けろっ! この道を通る事はあいつの予定の一部だ! 油断すんなよっ!!!」
前方でベルフラムが頷く姿が見える。
ベルフラムも雄一が現れた事でその可能性を考えていたのだろう。
「でも細い道で『
――『深淵なる赤』、ミラの眷属にして全てを焼き尽くす煉獄の炎の子よ! 焼き尽くせ!
『ウォル・フラム・バイス』!!」
呪文の言葉と同時に九郎の後方に炎の柱が吹き上がる。
溢れだした『
「5000体いようが勝手に突き進んで燃え尽きるのがオチ………」
言い放ったベルフラムの言葉は途中で途切れる。
炎の壁を抜けて『
「『
ベルフラムが忌々しげに吐き捨てる。
『
「『
隣に走る九郎に魔法の効果が薄い事を言い訳する様に、ベルフラムが言葉を続ける。そして自分の言葉に何か気付いた様子で走りながらも後ろを見やる。
「5000人……全員戦士……討伐隊だったのね……。あなた達は…………」
ベルフラムは、悲しそうな悔しそうな、憐れむような視線を『
炎にその身を焼かれながらも突き進んで来る『
『
領地の為に戦って命を落とした兵たちが、領主の娘の自分に復讐して来ているかのように思えてベルフラムの心は大きくざわつく。
捨てようとした身分にしがみ付く選択をしたベルフラムを責めている様な、暗鬱とした気持ちが込み上げてくる。
「でも仕方ないじゃないっ! 私だって生きていたかったのよ! これまでも! これからもっ!!」
ベルフラムは『
伝わらない事は分かっている。
そもそも彼らにそんな気は無いのかも知れない。
だがベルフラムの後ろに迫る『
そんなベルフラムの頭に大きな手が置かれる。
「ベル! 後ろばかり見てたら躓くぞっ!!」
九郎の投げかけてくる言葉は、ベルフラムの心に言ってきたような気がした。
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