第100話  敵襲


 ピニシュブ湖を一望できる山の斜面に暖かな風が吹き抜ける。

 雪に覆われていた大地が青々とした芽を一斉に芽吹き始め、白に彩られた世界は途端に姿を変える。

 冷たい大地で耐えていた様々な植物が次々と花を広げ、色彩豊かな景色を彩る。

 まだ雪の残ったエーレス山脈がピニシュブ湖に雄大な姿を映している。


 すっかり春の色に変わった景色の中を1台の馬車と1台の荷車が進んでいた。

 豪華な設えの馬車と、粗末な古い荷車の組み合わせはどこか不釣り合いで、行き交う人がいたのなら奇異な目を向けただろう。

 それ程急いでいる様には見えず、のんびりとした旅の様子を醸し出していたが、豪華な馬車には相応しい身分の者が乗っているのか、周囲には眼光鋭い冒険者の護衛の姿がある。

 しかし周囲を伺う気配から手練れであることを伺わせる冒険者達の顔には、どこか呆れた様子が見える。

 それは馬車を引く御者の顔にも表れており、自分が何故ここに座っているのかと疑問を抱いている様にも見えた。


「見て! クロウ! 花が咲いているわ! 食べられるのかしら?」

「何でも先ず食おうとすんじゃねえっ!  …………駄目だ……毒がありやがる」

「くろうしゃまー。ちょうちょー」

「おお、デンテ! う~ん……焼いてみるか? 何? 食う為に取ったんじゃねえの? 泣きそうな顔すんなっ。ほらっ!」


 馬車を引く馬の様子からして、馬車には誰も乗っていないかのようだ。

 逆に簡素な服を着た青年が引く荷車には様々な物が乗っていて、その最たるものがベッドと言う何とも旅姿とは思えない荷物である。そのベッドに座った3人の少女が景色を見ながら青年に話しかけては笑い声をあげている。

 切り立った崖に作られた勾配のきつい坂道を、青年は夜逃げもかくやと言う大荷物を苦にする様子も見せずに引いている。


「なあ、依頼主さんよお……。馬車にも誰か乗ってやんねえと御者がいじけちまわねえか? あれじゃあ何の為にいるのか分かんねえじゃねえか?」


 護衛の一人の冒険者が、荷車の後方で警備に当たっていた金髪のメイド姿の女性に声をかける。

 馬車の御者が空の荷物を運んでいるようで、居た堪れない表情をしているのを気にしての事だろう。


「え? ええ……それはそうなのでしょうけど……どうしょうもありませんね。夜の寝床には使っていますので……。」

「あの兄ちゃんも噂の『英雄』ってやつだろ? 全然そうは見えねえよなあ……。まあ力はすげえって思うけどよ…。」


 微妙に引きつった笑みを返しながら金髪の少女が肩を竦める。

 折角騎士団長の父が用意した馬車だと言うのに、誰も乗っていない状態では用意した父も浮かばれまい。

 だが主である少女に「こんなに風が気持ちいいのに車内で座ってるなんてもったいないじゃないっ!」と言われてしまえば、まあそうなのかなとも思う。

 春の心地良い風は色々なしがらみごと吹き飛ばしてくれるような、そんな爽やかさを持っている。

 冒険者が荷車を引いている青年を見やり、称賛とも侮辱とも取れそうな言葉を言い放つ。

 青年は格好もそうなのだが、大荷物の荷車を一人で引いていると言う奴隷か何かと見間違えるような労働をしていると言うのに、悲壮感など全く感じさせず、鼻歌交じりで歩いている。

 護衛の冒険者に、あの青年がココにいる一番身分の高い少女の主であると言っても誰も信じないだろう。

 そして青年が引く荷馬車に乗って、輝くばかりの笑顔を咲かせている赤髪の少女がこの領地の姫君という事も――。


 雄一が姿を消してから2週間が経っていた。

 いつ報復に現れるかとピリピリとしていた九郎達であったが、雄一の消息が誰にも掴めないまま時だけが過ぎて行った。

 中央聖輪教会に問い合わせても、雄一の消息は分からず、誰もがその行方に見当がつかない様子だった。

 公務も何もかもをほっぽらかして姿を消した雄一に、国も頭を抱え処分を前倒しにして存在の隠ぺいを図ったと言う。

 雄一に下された処分は、神官長の身分の更迭と爵位の一段降格。公爵位にあった雄一が侯爵位に身分を落とした事で、公爵の姫の身分を留めたベルフラムを身分によって害する事は出来なくなったという事だ。

 動きを見せない雄一をずっと警戒して引きこもっていてもそれはそれで埒が明かず、ベルフラムはアルバトーゼの街に帰る事を決めた。

 流石にまだ狙われている可能性が高いので、来た時の様に護衛も付けずでは危険と判断したレイアの父グリデンの計らいで、手練れの冒険者10人と馬車を用意されたと言う訳だ。

 腕もさることながら、瞳の青い者を除いての募集だったのでグリデンもさぞかし苦労しただろう。

 クラインは先にアルバトーゼに入って屋敷の準備をしているとの事だ。

『風呂屋』を離れる事を嫌ったベルフラムの意を汲み、あの廃墟の屋敷を人が住めるように大慌てで補修を進めている事だろう。雇い入れるメイドや従者も目の色はもちろん、ベルフラムをベルフラム個人として見れるような人物を選ばなければ直ぐに暇を出されてしまうかも知れない。それにクラヴィス達獣人を差別しない人でなくてはならない。


(お爺様も大変でしょうね……)


 レイアは祖父であり師匠のクラインの苦労をそっと偲ぶ。

 領主に剣を向けたクラインであったが、その咎を問われる事は無かった。

 操られていたアルフラムを正気に戻したと言う功績を認められ、不問となったのである。

 レイアがそれとなくどうやって操られているのを見破ったのかと聞いてみたが、「操られているとは思ってもいませんでしたな……ただ単純に昔の主の曇った眼を持って黄泉路に行くのも、まあ、今の主への手向けになるやもと……」と意外な言葉が返って来て驚いた物だ。

 守る事が騎士の本懐だと思っていたレイアに、諌める事も家臣としての責務と教えられた気がした。

 命を懸けて主人を害する騎士道などレイアには思いもつかなかった。

 あの場でクラインはクラインなりに元主のアルフラムや今の主のベルフラムを想って、命を懸けていたと言う訳だ。

 少々過激なやり方だとは思ったが……。


「レイアー! あの穴はなあに?」

「あれは『弾丸兎バレットラビット』の巣穴ですね。春になると巣穴を出て繁殖の為に移動すると言います。今はいない可能性が高いですよ。もっと北の方に移動している筈です」


 ベルフラムが遠方を指さしレイアに声をかけてくる。

 緑の生い茂った斜面に所々ぽっかりと穴が開いている。

 この辺りに多数生息している『弾丸兎バレットラビット』と言う魔物の巣だ。地域最弱と呼ばれている弱い魔物で、食肉用に狩られることも良くある。

 先程『英雄』と呼ばれた青年、九郎はどうにもこの魔物との相性が悪いらしく、強大な力を持つ魔物を倒せるのにこの魔物には良いように翻弄されていたのを思い出し、レイアは笑いを噛み殺す。


(ベルフラム様もクロウ様もあれから大分明るくなりましたね……。一時は眉間に皺が取れないのかと思ってましたが……)


 レイアは二人の主人の様子を見ながら目を細める。

 あまり居心地の良い場所では無かったレミウス城を離れ、心休まるアルバトーゼの街に戻れるのが嬉しいのだろう。ベルフラムは華やかな笑顔を振りまいて、周囲に花を咲かせているようだ。

 九郎もそんなベルフラムの様子に、苦笑しつつも気持ちが楽になっている様子が見て取れる。


「なんだ……晩御飯に丁度いいと思ったのに……。あっ! クロウ! その木に変な幼虫がいる! 食べられるかな?」

「お前は何でもかんでもっ……。……おお、結構イケるな……」

「ホントっ!? あ、そっちにも沢山いるっ!」

「ベルフラム様獲ってくるです!」

「レイアの分もねっ!」


 クラヴィスが荷馬車のベッドから飛び降りるのを、レイアは微妙な笑顔で見送った。


☠ ☠ ☠


「あと3日もすりゃあアルバトーゼの街か……。楽な仕事だなジャルセン?」


 焚火の火を眺めながらナッシュが仲間の男に声をかける。

 近衛騎士の団長と言う身分の高い人物からの依頼で、4人の少女と一人の男の護衛を引き受けたのは2日前だ。

 仕事の内容に反して報酬は高く、また集められた冒険者は皆名前の通った手練れぞろいだった事に驚いたものだ。貴族の移動に冒険者を使う事はこの地域では半ば常識であり、どちらかというと駆け出しが仕事に就くことが多い。しかし高位の身分の者なら暗殺など其れなりに危険も多く、熟練者が選ばれる事もそう珍しいものでも無かった。

 だが、今回の依頼内容はそれこそ徒歩でも5日と掛からない近郊への移動の護衛であり、また時期が冬と言う魔物も凶暴で道中も過酷な時期では無く、春のそれこそピクニックでも行きたくなるようなそんな季節の話だ。


「ナッシュ! まだ道中だぞ? あんまり気を抜くとまた雇ってもらえなくなるぞ?」


 同じ護衛として雇われた顔見知りの冒険者であるジャルセンが、諌める様に答えてきた事に眉を顰めたナッシュであったが、ジャルセンの言葉も尤もな事だ。

 簡単な依頼内容で実入りが多い仕事だ。雇い主に気に入ってもらえればまた指名が来るかもしれない。

 とても金を持っている様には見えない護衛対象だが、それでも有名な『英雄』の一行だ。

 何処かに大口のパトロンでも付いているのかも知れない。


 ナッシュは『英雄』と称される青年の風貌を思い出し、片眉を下げる。

『英雄』と呼ばれてはいるが、市井の噂の中での話である。

 しかも『芋の英雄』と言う何とも言えない噂の人物。

 功績を上げた話は聞かず、何でも領主の姫君を娶る為に処刑を二度潜り抜けたとの噂だ。

 ならばあの赤髪の少女がかの有名な『冷炎フリグフラム』、ベルフラム・ディオーム・レミウス・アプサルティオーネなのだろうか。

 ジャルセンは今日荷台に乗って、良く分からない幼虫をんでいた少女を思い出す。

 ――ないな……。ナッシュはすぐさまその可能性を否定する。

 それなりに豪華な服を着ているが、華美と言うより実用的な服装で、それに領主の姫君がその辺の幼虫を口にするとは思えない。それにかの姫君は『冷炎フリグフラム』と噂されるほど冷たい印象の姫君だ。

道中で見せる華やいだ笑顔の少女とは結びつかない。


 頭の中の予測を振り払うとナッシュは夜警の仕事に戻る。

 もうすぐ夜明けも近い。

 東の空が白んで行くのを目を細めながら眺める。

 そこでナッシュはおや? と眉を顰める。

 登って来る太陽が黒いのだ。

 黒い穴、太陽を齧る様に黒い穴が開いているように見える。

 木立の間から見える黒い太陽は徐々にその大きさを拡大して行く。

 ナッシュの背中に冷たい汗が伝わる。

 無意識に腰に下げた両手剣バゼラードに手が伸びる。


  モソリ


 黒い太陽が蠢いた気がした。ナッシュは大きく息を吐き出すと、腹に力を込めて叫ぶ。


「敵襲ーーーーーー!!!!!!!!」


 黒い太陽からは異形な魔物が次々と生み出されていた。


☠ ☠ ☠


「敵襲ーーーーーー!!!!!!!!」


 護衛の冒険者の叫びに飛び起きたクラヴィスは、すぐさまナイフを手に取り外へと飛び出す。

 一拍遅れてレイアがそれに続き途端に慌ただしくなった周囲を伺う。


「どうしましたっ!?」

「黒い穴から魔物が湧き出てきやがった! とんでもねえ数だ! 早く逃げる準備をしてくれっ!!」


 慌てた様子で答える護衛の冒険者の言葉に、続いて飛びだして来た九郎とベルフラムが顔を青ざめさせる。


「とうとう仕掛けてきやがったかっ!!」


 九郎の吐き捨てるような言葉にレイアの顔が青くなる。

 九郎には既に敵の予測が付いている。

 それは敵がかの有名な『来訪者』、強大な力で主を手に入れようとしたユーワン・ホーク・ナッシン。小鳥遊 雄一だと言外に語っている。


「逃げるって何処へ?!」


 レイアが冒険者に指示を仰ぐ。

 皆手練れの冒険者だ。レイアよりも魔物との戦闘にも慣れている。


「あんな大群に囲まれちゃおしめえだっ! 山間部を登って裏へ抜ける! 遠回りになるが抜け道がある! 心配すんな! ちゃんと金額分は働かせてもらうからよっ! だが荷物は諦めてくれよっ!!!」


 護衛の冒険者から頼もしい声が返ってくる。

 だがその声に余裕が無い事は誰の目にも明らかだ。


「デンテっ! 大丈夫よっ! 私も走れるからっ!!」

「駄目でしゅっ! ベルフラムしゃまは遅いから駄目でしゅっ!!」


 デンテがベルフラムを抱え上げている。

 子供であり、獣人でも無いベルフラムがこの中で一番足が遅い。

 デンテの判断が正しいと九郎も言いやり、山道の方へとクラヴィス達を誘導する。


「ナッシュさん! 準備が終わりましたっ! 急いで先導してくださいっ!!」


九郎の言葉に冒険者が駆け寄って来る。


「じゃあ付いて来てくれ! 無事に逃げられたら次の指名もよろしく頼むぜっ!!」


 額の冷や汗を拭いながらも、冒険者は軽口を口にして山道を登って行く。


 黒い穴から這い出てきた魔物の数は、墨を零したように広がり続けていた。


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