第097話  泥仕合


「なんだよぉ? その装備! 馬鹿にしてんのかぁ~? だっさ~!!」


 修練場中央に先に来ていた雄一が、小馬鹿にしたように九郎の格好を嘲笑う。


「生憎一張羅は大事なんでな!」


 肩を竦めて挑発を受け流した九郎に雄一は舌打ちで返す。


「魔法の法具を着てきた俺が何か弱い物いじめしてるみたいじゃ~ん? 大体なんで素手なんだよぉ?」


 雄一がこれ見よがしに来ているローブの裾をひけらかす。

 魔法の法具と聞いても今一ピンと来ないが、それなりに凄い物なのだろう。

 しかし財布事情から、魔法具と言う高価な物にはとんと縁の無い九郎にとっては、はあそうですかくらいの感想しか出て来ない。

 雄一は前の開いた黒色のローブと黒の上下を着ていた。

 何で異世界に来た人物は皆黒色を好むのかと、九郎はそこはかとなく思う。


 決闘の立会人が周囲の観客と化している貴族達に、再度決闘の意義を説明している。

 九郎としては流れ弾などを危惧してしまうが、修練場を囲むように魔法の防壁が張られるようだ。

 貴族たちは『国の英雄』と名高い雄一と、劇的な登場の仕方をして領主の姫を攫いに来た『芋の英雄』こと九郎の決闘を、物見気分で楽しむ腹積もりらしい。

 そんな観客達に説明する意味は、決闘時の約束事が覆されないように抑止力とする事だと言う。

 立会人として雄一側からはエルピオスの臣下のバムル・ビアハムが。

 九郎側からはグリデン・ストレッティオが選ばれていた。


「タイマンつったらステゴロだろうがっ! 大体武器なんかお前にゃ必要ねえだろうしなっ!!」

「だったら俺も素手で戦ってやろうかぁ~? あんまし一瞬で終わっちまうとギャラリーも楽しめねえもんなぁ~?」


 元から何も持っていなかった雄一が、恩着せがましく言ってくる。


「ああ、そりゃあ助かんぜ……。グロ映像はあんま子供には見せたくねえしな!」


 決闘の開始の宣言が領主アルフラムから発せられると同時、九郎は雄一に向かって駆け出す。

 ズボンの部分以外の体全体を炎に『変質』させ、体を低く構えて疾走する。

 雄一が水素をどうのと言っていたので、九郎は炎で対抗する気構えだ。

 本当なら体全てを炎に『変質』させた方が良いのだろうが、そうすると九郎のズボンそんげんは燃え尽きてしまう。

 股間への攻撃が来ない事を願いながら、九郎は唸り声を上げて雄一へと襲い掛かる。

 体内部から吐き出される熱が、冷たい空気を白く曇らす。


「グモになんのはテメエだけだけどなぁっ!!!」


 雄一が言葉と同時に右手を握る。

 九郎の眼前に水の塊が迫り、顔に当たって泡を巻き上げる。

 視界が泡で隠され、雄一の姿を見失った九郎だが、勘を頼りに右拳を振りかぶり振り下ろす。

 当然の様に九郎の右手は空を切り、雄一の失笑が九郎の耳に届く。


「らぁっ!!!」


 余裕を見せていた雄一の顔が驚愕に変わる。

 水の塊を顔の熱で蒸発させた九郎が、振り下ろした右手の勢いをそのままに体を回転させた。胴回し蹴りの要領で左足を伸ばし、九郎の炎の踵が雄一の肩に鈍い音を立てて激突する。


(……つーかかてえっ!! やっぱレイアが言ってたようにこれが魔力の差ってやつか……)


 骨を砕く威力を見込んで蹴ったと言うのに、跳ね返って来た踵に九郎は改めてこの世界の理に悪態を吐く。


 万物に魔力が宿るこの世界では、魔力を巡らせて体の強化を施す事が出来る。

 力や素早さと言った身体能力はもちろん、頑強さにも大いに関係している。

 17歳の少女であるレイアにスピードで負けあしらわれてしまう事や、『ソードベア』の戦闘の際に、九郎は一撃で吹っ飛ばされたのに、6歳のデンテがその一撃に耐えた事からも、その重要さが良く分かる。

 強大な魔力を持っていると噂されている雄一の防御力は、素の九郎の何倍もの開きがありそうだ。

 更に言えば、鉄をも溶かす九郎の炎も、雄一のローブを焦がしてもいない。

 雄一の素の防御力の高さなのか、魔法の防具の性能なのかは分からないが、思った以上に時間がかかりそうだと九郎は渋面する。

 しかし衝撃を全て無効化された訳でも無いらしい。

 跳ね返って来た足の勢いを利用して片手で起き上がった九郎に、雄一は眉を顰めて睨んで来ていた。


「テメエ……手加減してやったってのに、いい気になってんじゃねえぞぉぉおお!」


 雄一が指先を突き出す。九郎が身構える。


  シュッ!!

 九郎の肩が一瞬跳ねる。九郎の胸に煙が上がる。


「「?」」


 九郎と雄一が同時に呆ける。


「死ねやぁぁぁぁああああ!!!」


 雄一が何度も指を突き出す。


 シュッ!シュッ!シュッ!シュッ!シュッ!シュッ!シュッ!シュッ!シュッ!

 九郎が微振動しながら雄一と距離を詰める。九郎の体から幾本もの水蒸気が立ち昇る、


「「?」」


 またもや雄一と九郎が首を傾げる。

 九郎が駆け出す。雄一は慌てた様子で両手を手刀にして交差させ振り下ろす。

   シュワッ!!!

 九郎の胸に蒸気が生まれ、九郎の周囲に砂埃が立つ。


(何やってんだこいつ……? なんかの罠か?)


 何をしているかは分からないが、微かに体に振動だけが残っている。

 だがあまり警戒していても九郎にとってはあまり意味が無い。

 多少なりとも打撃が通っている。ならば積み重ねる他無いと九郎は雄一に詰め寄る。


「なんで高水圧が効かねえんだよぉ! てめえはぁああああ!!」


 雄一が苛立った様子で両手を前に突き出す。九郎の胸に多少の衝撃と共に水が放たれる。雄一の悪態でやっと九郎は、雄一が何をしていたのかに思い当たる。

 どうやら雄一は高圧の水の魔法を使っていたようだ。

 だが全身を炎に『変質』させている今の九郎には、水の魔法は効果が薄い。体に到着すると同時に熱気で蒸気と化してしまうし、そもそも高圧水と言うのは物を斬ったり刺したりするのでは無く、削っていた筈である。要は水の圧力で鑢をかけている様な物だ。


「水遊びでポロリはしねえよっ! 俺は!!」


 様々な場所でポロリを晒している九郎ではあったが、水の鑢で体が切断される事は無い。今の九郎に鑢をかけた所で再生する速度の方が圧倒的に速い。


 大量の水蒸気が吹き上がり、その煙に紛れて九郎は雄一に飛びかかる。

 九郎のタックルは躍起になって腕を振るっていた雄一の足を捉え、雄一を地面に引き倒す。

 九郎が触れた場所から水蒸気が立ち昇る。どうやら水の魔法でコーティングするようにして、雄一自体も炎に対する耐性を得ているようだ。炎に因るダメージが期待できない事に顔を顰めながら、九郎は雄一の胸倉を掴み拳を振り下ろす。


(こっから逃がしちゃまじいっ! こいつが混乱している間に倒せんのか?!)


 渾身の力を込めて殴っているのに雄一には僅かなダメージしか与えられないのか、雄一も九郎の拳を気にせず何度も拳を突き出し水を吹き付けてくる。


 鬼の形相で中年の顔を殴り続ける青年と、殴られながら拳を青年の胸に寸止めする中年の図が出来上がる。


「オラッ! テメッ! クソッ! カテエッ! クソッ!!」

「てめブッ! えちょうベッ! しにブッ! のるブベッ! なぁぁぁぁあああああ! ベッ!!」


 殴られながら激昂した雄一が両手を広げ、親指と人差し指を打ち鳴らす。

  パチン


 その瞬間九郎の頭と心臓に何かが触れる感触がする。

 しかしそれは一瞬の事で、体に何の変化も見られない。九郎は気にせず拳を振り下ろす。


「テメッ! ビビらせんじゃっ! ねえっ!!」

 パチン パチン パチン パチン パチン パチン


 今度は鬼の形相で中年の顔を殴り続ける青年と、殴られながらひたすら指パッチンする中年の図が出来上がる。


 ――決闘は早くも泥仕合の様相を呈していた。


「何で効かねえんだよぉ!!!」


 雄一が苛立ちを爆発させる。

 鳴らした指と連動して、観客席で固唾を飲んで決闘の行方を見守っていた、ベルフラム達の近くにいた貴族の頭が弾ける。


「キャァッ!!」


 レイアが突然血を被り短く悲鳴を上げた。

 九郎の振り下ろしていた拳の動きが止まる。

 ベルフラム達の近くにいた貴族達が慄き叫んで恐慌をきたす。我先にと逃げ出す貴族達で観客席は混乱の坩堝だ。


「手前っ! きたねえ真似してんじゃねえぞっ!」

「何だ……ちゃんと発動してるじゃん。おいおい、動くなよぉ~……。いつ俺の手元が狂うかわかんねぇぞぉ~? 景気良く殴ってくれた、なっ!!」

「ぐっ!!!」


 九郎の言葉に雄一がニタリと笑って、九郎の腹を蹴り上げる。

 ひょろそうな中年の蹴りとは思えない衝撃が、九郎を大きく吹き飛ばす。


「ナッシン卿! それは反則行為とみなしますぞっ!!」


 立会人のグリデンが声を上げる。いきなり動きを止めた九郎の様子から、グリデンも娘が狙われている事を空気で察したのだろう。

 雄一の嗜虐的な笑みと言動からレイア達を人質にしていることは明らかなのだ。


「おかしなこと言うオッサンだなぁ~? 俺が何かした証拠でもあんのかよぉ? こいつが俺の魔法にかかって、無抵抗になっただけだ……ろっ!!」

「がっ!!!」


 両手を広げうそぶく雄一が、再び九郎の腹を蹴り上げる。

 鈍い音を伴って、九郎の体が大きく跳ねる。

 チンピラなどよりもよっぽど強力な衝撃に、九郎はくぐもった声を上げる。

 雄一があのチンピラ達を爆散させた魔法をレイア達へと向けているのは明らかなのだが、射線の見えないあの魔法では雄一がやったと言う証明ができない。

 そもそもこの修練場を取り囲む魔法の防壁とやらはどうなっているのだと、九郎は悔しげに雄一を睨む。


「クロウっ!」「クロウ様っ!!!」

「皆っ! 逃げろっ――――――」

「何勝手にしゃべってんだ……よっ!」


 ベルフラム達がこの場にいては、九郎はこの先成す術も無くやられ続けるしか無い。それでも負けるつもりは無いが、戯れに大事な者達が害されるのを恐れて九郎は声を張り上げる。

 九郎の言葉に雄一が嗜虐的な笑みを見せて、九郎の顎を蹴りぬく。

 驚くほど強烈な蹴りが九郎の体を後方へと吹き飛ばす。

 ゆっくりと感じられる視線の先に苦しげに眼を閉じるベルフラムの姿が見える。

 そして背中に感じる地面の硬さに顔を歪める。


(やっぱ逃げてもらっときゃ良かったよなぁ……。これから先はこいつの体力が音をあげるまでサンドバックか……。仕方ねえっ! 根性決めろよっ、俺っ!!)


 ある種悟りの極致な考えで、無抵抗の仕草をし、それでも負けを宣言されるのは不味いと、立ち上がって両手を広げる。

 そんな九郎の態度に雄一が頬を吊り上げる。

 その時ベルフラムの声が修練場に響き渡る。


「クロウっ! その下衆が何をしようとしているか分かってるわ! 皆に魔法をかけてる! ユーイチの爆発魔法は私達には効かないわっ! クロウっ! 私を信じてっ!」


 ベルフラムの言葉に九郎は驚きのままに振り向く。

 九郎には雄一がどんな手段で爆散の魔法を行使しているのかすら分からない。

 なのに、ベルフラムは雄一の魔法など怖くないと両手を広げていた。


「私はクロウを信じたわっ! だからクロウ! あなたも私を信じてっ!」


 ベルフラムの叫び声が訓練場に響き渡る。

 魔法の事が何も分からない九郎と違い、ベルフラムは長年魔法を勉強して来た事は知っている。

 だが、それでも九郎は逡巡する。

 原理の分からない魔法に対する恐怖と、もしかしたらと言う不安が九郎の動きを緩慢にする。


「簡単に防げる魔法だと思ってんじゃねぇぞぉ~? あ~あ、可哀想な金髪年増!」


 雄一がベルフラムの言葉に苛立ちを見せ、その口元を醜く歪める。

 九郎の顔が悲壮に歪み、無意識に雄一へと向かって駆け出す。

 止めてくれっ! 九郎の顔が懇願を表し、雄一が嘲るように指を擦り合わせる。


  パチン


「お、お? 座標をみ、見誤ったか……なっ!」


  パチン

  パチン

  パチン


「そいつが城に来てるのに、なんの対策も考えないでいられるほど私は暢気じゃないのよっ! クロウっ! 皆は私が守ってる! だからクロウは安心してそいつをぶっとばしてっ!」


 ベルフラムが祈る様に両手を組んで叫ぶ。

 雄一との邂逅以来、ベルフラムはずっとその対策を練っていた。

 九郎は雄一とエルピオスがグルだとは最初懐疑的だったが、ベルフラムは確実に雄一が敵方にいる事を予想していた。

 のあたりにした凶悪な魔法が、いずれ自分達に向かう可能性があるのに、それをただ何もせずに放置しておく彼女では無い。


 魔法とは魔力を感じる事から始まる。

 万物に宿る魔力を呪文によって行使する事でその効力を発揮する。

 ベルフラムは雄一がチンピラ達の頭を吹き飛ばして見せた時、一人「無詠唱の魔法」に気付いていた。


 雄一の魔法の行使により周囲に漂った魔力の残滓。

 そして九郎からもたらされた雄一の『神の力ギフト』、『召喚』の情報。

 その情報を元に、ベルフラムは爆散の魔法を考察していた。


 あの場に漂っていた魔力の残滓は黄と緑。すなわち土と風の魔力だった。

 相反する魔力であり同時に存在することは殆んど無い魔力だけに、ベルフラムの印象に残っていたのも大きかった。

 そして九郎から聞いた『召喚』の様子。

 それらを繋ぎ合わせて得た答えは、『転移』の魔法。

 黄色の神『黄金の扉』ベファイトス。緑の神『翠の旅団』アーシーズ。

 門を司る土の神と、移動を司る風の神の力を同時に使い、転移陣を相手の頭の中に作り出し、そこに風を送り込んで爆発させる。

 それが雄一の爆散魔法の正体だった。


『転移』の魔法はかなり繊細な魔法であり、土と風、相反する魔力を成立させると言うことは、僅かなずれも許されない綿密な魔力操作を必要とする。

 そこに他の魔力が混入してしまえば、とたんに効力を失う。

 ベルフラムがレイア達に掛けた魔法は、『フラム・フォールティア』。

 微かな熱を全身に巡らせる勇気の魔法。


 初級の魔法であり、気休め程度の効果しか無かったが、効果時間が長いのと、効果範囲が人体全てに及ぶことから、体内に侵入してくる転移陣を阻害するにはうってつけの魔法だった。


 以前は効いた爆散の魔法が、今の九郎に効かなかった理由は、九郎が体の内側までを炎に『変質』させていて、転移陣から送り込まれる風が熱で押し戻されていたからでもある。


 九郎の口が凶悪な笑みを象る。

 その口から怒気を伴った唸り声が漏れる。


「やっぱベルはお前にゃ勿体なさすぎるぜっ! 覚悟しやがれっ! 『昇天する心地セブンスヘブン』!!」


 九郎は雄一の口めがけて腕を突き出す。

 雄一の思考の残虐さが、九郎の危機感を最高レベルまで跳ね上げていた。

 一秒でも早くこの男を倒さないと、他の方法でまたベルフラム達が危険に晒されるのではと言った恐怖が、九郎の焦りを加速させる。

 人を殺す事に戸惑っている場合では無い。

 相手は何の良心の呵責も無く人を殺す怪物だ。

 自分の命よりも大事な物を壊そうとしている魔物だ。


(こいつは生かしといちゃいけねえっ! こいつは人じゃねえっ! 人じゃねえんだっ!)


 それでも頭の中に浮かぶ葛藤に九郎は顔を歪める。

 人を殺すと言う事実を覆い隠そうと、必死で自分を誤魔化す。

 突き出された拳は雄一の顔面を捉え、同時に刺激臭が鼻を刺す。


「い、痛かねえんだよぉ!!」


 そう言った雄一が自分の腹を押さえる。


「テメエ……毒……なんて……卑怯………な……真似を……」

「『来訪者』には毒が一番効くんだろうが! 腐り落ちやがれっ!」


 少しだが確実に雄一の口へと流し込んだ、九郎の持てる最凶最悪の毒。

 大亀を崩壊させた光景を思い出し、九郎の足が震える。

 例えどんな悪人だろうとも、自分が人を殺したと言う事実は覆らないと、項垂れる。


(これで俺も人殺しの仲間入り……か……)


 九郎が自分の拳を見詰めて眉を落としたその時、


「ゲェェェップ」


 眉をひそめたくなるような、空気を吐き出す音が鳴る。


 項垂れた九郎の目端に、雄一の歪んだ笑み。

 慄いた九郎に向かって雄一はあんぐりと口を開ける。

 雄一の口から水の塊が飛び出す。何種類もの絵具を混ぜ合わせて濁った様な色をした、液体とも気体とも言える毒を包み込んだ水が九郎に向かって打ち出される。


「ぐわっ!!!」


 毒の塊が九郎の肌に当たり、刺激臭を伴う蒸気を生み出す。


「毒対策くらい出来ねえと、生き残れねえんだよぉ~。ぶわぁぁ~か!!」


 雄一が勝ち誇ったように悪態を吐き、両手をパンッと合わせる。

 毒の水蒸気に目を押さえた九郎の周囲に、土で出来た分厚い二枚の板がせり上がる。バシンと音を立てて土の板が合わさる。


「水で死なねえなら土で埋めるだけなんだよぉ! 圧殺された気分はどうだぁ? いくら『超回復』でもペチャンコからは復活出来ねえ……」


 雄一の言葉が止まる。

 土の墓標に僅かにヒビが入り、そこから赤い粒子が漏れ出る。


「『青天の霹靂アウトオブエアー』!!」


 再度赤い光が膨らむ。

 土の墓標が音を立てて崩れ落ちる。


「こんなスカスカな土くれで俺を殺せると思ってんじゃねえぞコラァッ! ミミズの糞より脆いじゃねえかっ!!」


 崩れ落ちる土の噴煙の中から、叫びながら九郎は飛び出す。

 ペチャンコにされた九郎はそのまま体を衝撃へと『変質』させていた。

青天の霹靂アウトオブエアー』が動きを伴わなくても発動できると知っていなければ、思いつかなかった方法だ。


(圧殺は二度目? いや三度目だよっ! くっそ……。毒の対策もやっぱあんのかよ……)


 人を殺める覚悟までして放った、『昇天する心地セブンスヘブン』も雄一にさしたるダメージを与えなかった事に、九郎は苦虫を噛み潰した顔で雄一を観察する。

 どうにも攻撃手段に乏しい。

 九郎の頭の中では、絶対死なないデバッグ用のレベル1の勇者が魔王と戦っている様な、焦れてイライラするような展開が思い浮かぶ。

 こちらはミスか1ダメージしか与えられず、雄一は強大な魔術で襲い掛かってきている。

 やはり泥仕合は避けられそうにない。


 しかし雄一の方も先程まで見せていた余裕が無くなっているように見える。

 今迄一撃で相手を屠って来た技の数々が、自分には通じていない事に苛立っている様子が見て取れる。

 切り傷や衝撃、炎で死なないのならば何をすれば良いのか分からなくなっているようだ。

 憎々しげに九郎を睨みながらも、手を拱いているのが分かる。

 その時、雄一の足が少し縺れる。


(! 衝撃はちったあ有効なんだっ! 体は魔法で強化出来ても脳はその限りじゃねえのか?)


 考えてみれば、雄一もいくら魔力で強化していると言えども、人間であることには変わりない。

 立って歩く事には平衡感覚が必要だ。

 平衡感覚があるのなら、逆に脳震盪にもなるかもしれない。

 そんな考えが九郎の頭をよぎる。


「なんでも試してみねえとなあっ!」


 叫んで九郎は走り出す。

 触る事は出来る。ならば組み伏せてひたすらに脳を揺らすのが最善だろう。

 両手を広げ逃げ道を塞ぐようにして、九郎は雄一へと飛びかかる。

 捕えたと思った瞬間、雄一の姿が消える。


「がっ!!!」


 後頭部に衝撃を受けて、九郎は地面に顔から突っ込む。

 口の中に土の味が広がる。


「の、のろまに捕まるかよぉ~!!」


 雄一の焦った声が九郎の後方から聞こえてくる。

 やはりスピードでも魔力の有る無しが如実に表れていた。

 最初は雄一の油断で九郎の奇襲が成功したが、油断が無くなった今の雄一を捉えるには、圧倒的にスピードが足りない。


「キャッキャウフフは女とやりてえんだけどなぁ!!」


 だが九郎は近付かないと何も出来ない。

 無尽蔵の体力に任せて、雄一がへたるまで追いかけ続けるしか道が無い。

 修練場に九郎の怒声と、雄一の足蹴の音が鳴り続け、周囲の観客から嘲りの声が聞こえ始める。


「ホン…トウ…にタフな野郎だぜぇ…………」

「ならとっとと諦めちまいなっ! ガッ!」


 かなりの時間追いかけっこを続けていたが、ようやく雄一が肩で息をしだした。


 未だに九郎が触れる事は出来ていない。

 時折雄一が水や土の魔法を使って来るが、それが九郎の足を止める理由には成っていない。

 大量の土が掘り返され、そこに大量の水が合わさり修練場が浅い泥沼へと変化していた。


 足が鈍るのは九郎も雄一も同じ事。九郎の足が触れた場所が、蒸気を上げて砂へと変わる事くらいしか違いは無い。


「こいつならどうだぁ!?」


 雄一が氷の槍を何本も打ち出して来る。

 九郎が腕を畳んで氷の槍を受ける。

 例え絶対零度の氷の槍でも、鉄を溶かす温度の九郎には届かない。

 熱量を奪われない九郎の力は、氷の槍をすぐさま蒸気へと変化させる。


「氷の槍ならレイアで十分喰らってたぜっ! アガッ!」


 飛びかかる九郎の胸に雄一の足が突き刺さる。

 蹴りの衝撃のダメージは既に慣れて・・・いてあまり痛みは感じないが、雄一の足が炎で焼け焦げない事がどうにも悔しい。それに九郎は打撃や衝撃を全て受け流すには至っていない。

 何処に来るかが分かっていれば、そこを『変質』させて受けきれるのだが、全身を衝撃に『変質』させると九郎の体が弾けてしまう。

 ベルフラムに『不死』を隠したいのもあるが、全身が爆散した状態になった時に、勝負が着いたと見なされるのも、避けなければならない。

 思い返してみれば、野盗にボコられた時も、全身を炎に『変質』させていても斬撃を受け流す事は出来ていなかった。

 九郎の『変質』の力は防御寄りの力ではあったが、どうにも使い勝手が悪い。


(いや、まてよ?)


 九郎の頭に一つの考えが思い浮かぶ。

 思い浮かんだのなら即座にそれを行動に移す。

 九郎に出し惜しみしている余裕は無い。早く雄一を仕留めなければ、いつまた雄一の魔法がベルフラム達へ襲い掛かるか気が気では無い。

 死ぬことは無い。魔力は元から持っていない。熱量も何も奪われる事の無い、無い無い尽くしの九郎には、兎に角いろいろ試して考えるしか、方法が無い。


「そらよぉっ!!」


 雄一の氷の槍が頭上から襲い掛かる。


「うがっ!!」


 氷の槍が体に当たって九郎は泥の海に倒れ伏す。


「ぐぅっうっ!!」


 九郎は何とか体を起こす。

 両手を地面に付いて、悔しそうに雄一を睨みつける。


「あんれぇ~? そろそろそっちが魔力切れかなぁ~?」


 雄一が肩で息をしながら、忌々しそうに言いやる。

 それでもすぐには近付いて来ないのは、慎重なのか臆病なのか……。


「回復チートも魔力が切れれば形無しだなぁ?」


 雄一が右手を振り下ろし、それに呼応するように九郎の頭上に氷の槍が降り注ぐ。


「あだだだだだだだだ!!」

「クロウ様っ!」「クロウしゃまっ!!!」


 幾本もの氷の槍が九郎の背中に突き刺さる。

 クラヴィスやデンテ達の悲鳴が九郎の耳に届く。

 体の中で氷が九郎に削り取られる。支点を失った氷の槍が九郎の周りにゴトゴトと音を立てて転げ落ちる。

 今迄熱気で突き刺さらなかった氷の槍が、僅かとは言え突き立った事に、雄一がやっと安堵の様子を見せる。


「まぁ~頑張った方じゃな~い? ご褒美にお前の首の前であの子を犯してやるよぉおっ!」

「クロウっ! 信じてるからっ!」


 雄一が両手を掲げ、九郎の頭上に氷のギロチンが現れる。

 ベルフラムの悲痛な叫び声が聞こえる。

 雄一が腕を振り下ろす。ギロチンが九郎の首に正確に刃を落とす。


  ジャシュアァァッ!!!!!!!!


 九郎を中心に白い蒸気が巻き起こる。


「まだ力を残してたのかよぉ! 無駄なあが…き…!? ――――??」

「俺に力の残高ってのはねえんだよぉぉぉっっっっっ!」


 雄一の顔が驚愕に彩られる。蒸気に身を隠した九郎が雄一へと襲い掛かる。

 獣の様に飛び出した九郎の姿に雄一が、飛びのこうとして尻餅をつく。


「だっしゃぁぁああおらぁぁああああ!!」


 九郎が雄一に覆いかぶさる。

 九郎が触れた地面が歪な音を立てて割れる。

 九郎は耐えていた。

 泥の海で体を冷気に『変質』させて。

 雄一の距離まで冷気が行き渡り、雄一の足元を凍らすまでジッと耐えていた。

 それだけなら、雄一も直ぐに気が付いたかもしれない。

 だから九郎は餌を撒いた。

 体の炎を解除し、氷の攻撃ならば効果があると思わせた。そして周囲が冷気を放ち始めるのを、雄一の魔法の所為だと錯覚させた。

 動きが捕えられないのならばと思いついた手は、見事雄一の足を捉える事に成功していた。

 雄一の実力ならば、足元の氷を解除する事など容易かっただろう。

 だが、一瞬の戸惑いと驚きで、雄一は九郎からまず離れようとした。その事が災いして一瞬足元を見るのが遅れた。

 九郎は耐えていた。

 効果があるかも不明な、僅かばかりの隙を作る為に体を囮に耐えていた。


「ここで決めなきゃ観客が飽きちまうよなっ!」


 九郎が雄一の髪の毛を掴む。

 僅かばかりの策に全霊をかける。どんなに不利な賭けだとしても、自分の命ならどんどんつぎ込む。

 なにせ九郎は『不死』だ。減らない命ならどんな些細な可能性にも全額かける事が出来る。


「回復魔法で髪の毛が復活すると良いなっ!!」


 力任せに雄一の髪の毛をむしり取る。例えどんなに強靭だろうとも、元の強度が僅かばかりの髪の毛では流石に耐えられなかった。

 ぶちぶちとむしり取られる髪の毛に雄一が悲鳴を上げる。


「てんめぇええヤメロやぁぁぁぁぁあああああ!!」


 頭を庇って腕を振る雄一は殊更嫌がる様子を見せる。

 恐慌状態と言って良い程の慌てぶりだ。


(精神的に殺す! 精神的に殺す! 精神的に殺す! 精神的に殺ぉおす!)


 九郎の攻撃力では未だ雄一に届きそうにない。

 だから九郎は、まず雄一の心を折ると決めた。

 絶対に勝てないと思われた野盗の頭領でも、精神的に追い詰めれば泣き叫んだのだ。ならば雄一も―――――。

 ぶちぶちと雑草をむしる様に、九郎は雄一の髪をむしる。


「やめろよぉぉぉおおお!!!」

「止めねえよぉっ! 手前が今までやって来たベルへの仕打ちを考えやがれ!」


 九郎は雄一の髪をむしり続ける。もうそれ程量は残っていない。

 雄一の目に涙が浮かぶ。顔に焦燥と哀愁が漂う。

 悲惨な状態になった頭に九郎は右手を添える。

青天の霹靂アウトオブエアー』の衝撃なら脳を揺らす事も可能かもしれない。

 振りかぶる必要も無く衝撃を伝えられる。

 髪の毛を失った事で、雄一の心にも僅かな隙が出来ているかもしれない。


(これで俺が『不死』だってベルにばれちまうかな……)


 薄闇が訪れている今ならもしかしたら誤魔化せるかもと体の内部を炎に『変質』させて、表面を衝撃へと『変質』させる。


「今更泣きいれてもおせえんだよっ! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』!!」


 夕闇の中、九郎の腕が炎を撒き散らすかのように煌めいた。

 それは火山の噴火の様に周囲の目には映った。


「『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』!

 『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』!

 『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』!」


 腕の『再生』が終わる度に九郎は衝撃を解放する。

 雄一がその度にビグンと体を揺らす。

 雄一の頭の後ろの地面が九郎が力を解放する度にひび割れ、亀裂を伸ばして行く。

 生まれたての大地の様に炎を噴き上げ、九郎はひたすら攻撃を続ける。

 雄一の頭が地面へと徐々にめり込んで行く。


「『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』!

 『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』!

 『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』! 『赤天の霹靂アウトオブダスク』!!」

「………………」


 衝撃を受け続けていた雄一が無言で手を掲げる。


「…………『赤天の霹靂アウトオブダスク』! ッグアッ!」


 九郎がくぐもった声を上げて一瞬動きを止める。

 いつの間にか胸に刃が生えている。胸に焼ける痛みが走る。背中には人の半分ほどの重さを感じる。


「『赤天の霹靂アウトオブダスク』! ……ガアッッァァァアッ!!」


 なんだ? ――胸の痛みに戸惑いながらも九郎は再び力を解放する。その瞬間九郎の胸に生えた刃が数を増やす。合わせて背中に重みが増す。


「ナッシン卿! これは明らかな反則行為です! 勝者、クロウ殿! バムル殿もよろしいですよな!?」

「ぐ……うむ……仕方ない」


 グリデンが大声で勝者を宣言する。

 バムルが苦しげに同意を示す。


「え?」


 九郎が呆けた声を上げる。

 ふと体を起こすと、背中に増えていた重さが同時に消えた。

 九郎の体内で削り取られた刃の残りが九郎の周囲に力なく落ちる。

 意味も分からず振り返ると、そこには三人の幼女の姿がある。

 二人は見た事が無いが、一人は見た事が有る。青色の髪を肩まで伸ばした、青色の目をした少女。

 雄一が連れていた少女だと気が付き、九郎は自分が何をされていたのかを理解する。


 雄一が掲げた手は、『召喚』を使った動作だったようだ。

 死の危険を感じたのか、雄一は反則を犯してまで九郎を亡き者にしようとしていたようだった。


「そんな性根じゃ安心できねえな……ぁ………」


 九郎が嫌気を顔に表し、雄一への攻撃を再開しようと拳を振り上げ――。

 ――九郎は動きを止め眉を落とす。


 雄一を庇う様に、一人の少女が雄一に覆いかぶさっていた。


「は、はは、ははははは……」


 雄一がもそりと体を起こす。

 九郎は力なくそれを眺める。

 雄一は片手で黒い穴を作りだし、少女を引きつれ姿を消す。


(あんな最低野郎のどこが良いんだよ………くそっ!!)


 何故手を止めてしまったのかと自問する。

 後顧の憂いを断つためにもここで雄一を殺さなければと思っていた。

 例え勝利が宣言されていたとしても、攻撃の手を緩めるつもりは無かった。


 雄一の性根は腐っている。

 生かしておけば、またどこかで必ず害を撒き散らすだろう。

 だが九郎にはどうしても少女を攻撃する事は出来なかった。

 自分の覚悟の程が、少女一人で動きを止めてしまう程度しか無かった事に、九郎は溜息を吐き出す。


 何とも言えない幕切れに、九郎は凍った大地を蹴飛ばした。

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