第096話 勝利の女神の
レミウス城内にある、兵士修練場。
魔物の多いこの地域において、冒険者に劣るものの、武力としてかなりの数の兵士を抱えるレミウス領。兵士や騎士の鍛錬の為に設けられた場も、その数に相応しい大きな物だ。
円形状に作られた修練場は直径で100メートルを超えそうなほど広く、土を押し固めた地面は幾多の兵士の血と汗が染みこんでいるかのように、黒く変色していた。
定期的に模擬戦や御前試合が行われる為、見物用の席が修練場を囲むように設けられ、それはさながら闘技場の様であった。
九郎の提案を雄一は喜んで受け入れた。
あと少しの所で目の前で奪い取られた景品が、所有者の手によって再び景品棚へと上げられた事に、喜色を孕んで飛びついた。
自分の実力を多大に評価している雄一は、同じ『来訪者』と言えども、街のチンピラにすら捕えられていた九郎に負ける気は、毛ほども無かったのだろう。
顔にコンプレックスがあったのか、整った顔立ちの九郎を大衆の面前で痛めつけられる事にも興が乗ったのかもしれない。
九郎の出した条件を何でも受け入れるとばかりに余裕を見せて、勝負後に賞品に対してどんな遊びをしようかと相貌を崩していた。
(やっぱりあいつは、計画狂うと途端にせっかちになりやがんだな……)
九郎はベルフラムの救出に飛び込んだ自分を見て、子供の様な態度で駄々をこねていた雄一を思い出す。
自分を神と勘違いしている節のある雄一は、偶然にも最高に絵になる登場の仕方をした九郎を見て酷く取り乱していた。
あれだけ貴族がいたと言うのに、醜態を晒している事も気付かず、狂ったように喚き散らした事が雄一の精神の幼さを如実に表していると思えた。
だからこそ目の前にぶら下げられた餌に飛び付き、九郎が言うままに条件を飲んだ。
条件は、雄一が勝ったらベルフラムの所有権を譲る事。
九郎が勝ったら金輪際ベルフラムに関わらない事。ベルフラムの周囲の者達にも関わらない事。ベルフラムの『自由』を保障する事。エルピオス等を使った間接的な接触もしない事。等々多くの条件を付けたのにもかかわらず、にこやかに頷いて見せた。
負けるとは露と考えていない事が丸わかりだ。
エルピオスが条件に加えられた事に文句を言っていたが、目の前に釣られた餌に夢中の雄一によって無理やり納得させられていた。
決闘時の取り決めは、一対一である事。勝敗は生死を問わず、相手が戦闘不能になるか負けを認める事によっての決着となった。九郎が危惧していた雄一がお供の幼女を嗾けるのは反則行為と見なされると知り、九郎は胸を撫で下ろした。例え敵方であろうとも、やはり幼女を攻撃する事は九郎には躊躇われる。
「本当に……本当にあの……勝算があるのですよね? クロウ様……」
決闘の刻限の迫る中、修練場の近くの一室で控えている九郎にレイアが泣きそうな顔で聞いてくる。
レイアとしても雄一の魔法を見ているだけに、その恐ろしさを知っての事だろう。
突然上から降って来た九郎に驚き、呆気に取られて硬直していた先程と違い、狼狽え、焦り取り乱している。
距離感からしても、普段より近くに迫っている事からも、レイアの心情が表れている。
自分の中に策が有ると自信を持って言い放った九郎に、何度も何度も確認して来る。
「勝算が無けりゃ大事なベルを景品にはしねえさ……」
鼻と鼻がくっ付きそうな程詰め寄られて、九郎は若干顔を赤らめながらレイアの肩を押さえる。
「クロウ様……」「しゃま……」
「出来ればお前らは逃げて欲しいんだが……聞かねえんだろうな……」
クラヴィスとデンテが九郎のズボンを掴み、心配そうに見上げてくる。
九郎の格好は上半身裸に膝丈で切られたズボン。ズボンは一昨日の夜の雄一との戦闘で膝丈で切られていなければ、現代ショートパンツも真っ青な尻のはみ出る長さになる所だったと、九郎は心の中で冷や汗を拭う。
出来れば九郎は、レイアやクラヴィス達にはこの場を離れて欲しかった。
一対一の決闘を提案したのも、レイアやクラヴィス達に雄一の魔法が向かわないようにとの思いからだ。
ベルフラムに執着を見せている雄一が、ベルフラムを殺す標的に加える可能性は低いと見ていたが、レイア達にはその保証はない。
「私達はベルフラム様の家臣です! 主を置いて逃げるつもりはありません!!」
「人質にされねえようにだけ気ぃ付けといてくれ。あいつのお付の幼女達にもな……」
「承知しました。この身に代えましてもベルフラム様をお守りします!!」
「……かー!! 分かってねえじゃねえかっ! 雄一はベルを狙ってんだから危害はどっちかというと、レイア!! お前に行くんだぞ? あいつはロリコンだから一番躊躇なく狙うんはお前なんだよっ! あと、クラインさん! あんたもだ!」
雄一の性的思考がペドの域に達している事は明らかだ。
美しい顔立ちをしているが、レイアの様に身体の出来上がった女性に気心を加えるとは思えない。男であるクラインならそれこそ、気まぐれに殺す事も有り得るのだ。
雄一の残虐性、嗜虐性を目のあたりにしているだけに、例え決闘だと言っても安心できない。
「おや? クロウ殿はこんな老骨の心配までされておるのですかな? 心配せずとも私はそろそろお迎えが来ますので数に入れずとも結構ですよ。それよりも……本当に勝てるんでしょうな? もし負けたら私がその首落としますので……」
「お爺様!?!」
「あ、あ、あ、当たり前じゃないっすか……。俺に『負け』は無いっス! 本当っス!!」
クラインがにこやかな顔から剣呑な空気を漏らし、九郎は慄きながらも胸を張る。
クラインとしては、どうにも九郎に戦える力が有るとは思えないようで、ベルフラムがクラインを言い含めていなければ今にも九郎の首を落とさんばかりだ。
意外な事に、ベルフラムは九郎の暴論とも言える提案を飲んだのだった。
多分に言いたい事は有るようだったが……。
決闘の準備が終わり、刻限が迫る中、ベルフラムが九郎のズボンの端を引く。
「クロウの馬鹿……」
「スマン……」
俯いたまま小声で呟くベルフラムに、九郎は眉をハノ字にして頭を下げる。
今回九郎が取った方法はベルフラムの気持ちを知りながら、それを餌に雄一を釣り上げたような物だ。
九郎にとっても不本意な選択だったとしても、詰られても何の弁解の余地も無い。
「クロウの馬鹿……」
「返す言葉もねえ……」
再度のベルフラムの呟きに、九郎は弱り顔を更に歪める。
「私がなんでこんなに怒ってるか分かって無いでしょ……」
ベルフラムが顔を上げ、九郎を見上げる。
その瞳にはいつもの様に涙が溜められている。
「……いや……。分かってる……つもりだ……」
苦しげに九郎は答える。
またベルフラムを泣かせてしまった事に、九郎の心には鋭い棘が刺さる思いがする。
「分かって無いわよ! どうして一緒に戦ってくれないのよ! どうしていっつも一人で……何でも無い様な顔して……危ない事しようとするのよ! もっと頼ってよ! もっと私を信じてよ! 私だって皆を守りたいのっ! 私はあなたのものよ、クロウ! あなたの為なら何だって出来るわ! あなたを守れるなら命だって惜しくないの! だから……一人で……痛い思いばっか……しようとしないでよぉ……」
一気に捲し立てて泣き出したベルフラムの言葉に、九郎は少し困惑した様子を見せる。少女の心を蔑ろにした為に怒っているとばかり思っていたが、どうやら違ったようだ。
ベルフラムは、九郎が一人で雄一と戦おうとしたことに怒っていた。
景品にされた事よりも、九郎が一人で危険に飛び込む事に怒りを募らせていた。
信じると言った手前あの場は納得して見せたが、時間が経つにつれ、自分が頼りにならないのかと、そう言う思いを抱いているようだ。
九郎が色々な耐性を得ている事は知っているが、九郎の『不死』の能力を知らないベルフラムからしてみれば、九郎が自分たちの為にいつも危険を冒しているように思えるのだろう。
だが九郎からしてみれば、ベルフラムの今の提案はそれこそ承服出来ない事柄である。
誰かが自分を庇って傷付く事が、九郎にとっては一番の懸念事項である。
『不死』の自分を庇って、ベルフラム達が命を落とす事に成るなど有ってはならない。
今や自分の命に価値を見出せない九郎にとって、大事な人の命が何より価値ある物なのだ。
その為に自分が矢面に立つことに躊躇いが無いばかりか、当然の様に思っている。
九郎は苦笑しながら泣き顔のベルフラムの頭を撫でる。
「そりゃぁ無理だな……。俺はお前らの保護者きどってんだよ! お前ら全員守りてえんだ……。だから俺が一番前に立ちてえんだよっ! お前らに見せてえのは男の背中ってな?」
即答で提案を撥ね退けられて、ベルフラムの眉が上がる。
自分達が危険な事をするのは咎める癖に、自分だけ危険に飛び込もうとしているのはずるいとでも言いたげに頬を膨らませる。
だが、九郎の最後の一言にベルフラムは言葉を覆す事が出来ない。
自分の窮地を救ってくれた、ベルフラムにとっての守る姿の象徴がまさに九郎の背中だったからだ。
「クロウ……」
仕方なくベルフラムは両手を伸ばす。抱きしめて欲しいとせがむ時のベルフラムの仕草だ。
九郎が苦笑しながらそれに答える。やはりまだ自分が守って行かなければと、子離れできていない父親の心境を慮る。
「勝ってね……。私をちゃんと貰ってね……」
九郎の首に手を回し、力いっぱい胸に抱きすくめるようにしてベルフラムが語りかける。
「子供じゃ無くなったらな……」
ベルフラムの背中を叩きながら九郎が答える。ベルフラムの身を受け取ると宣言した九郎だったが、だからと言って九郎が
ベルフラムが大人になって、それでも気持ちが変わらないのなら真剣に考える気持ちはあったが、小さな少女の恋心をそのまま受け取るつもりは無かった。
この国に来てから更に強くなった、少女への情欲を滾らせる者達への忌避感と、初恋故に全力の少女に対する危うさを感じ取っていたからだ。
この年頃の娘は麻疹みたいに大人を好きになる時がある。それがこの子にとって自分だったのだろう。
あと数年も経てば、また好きな人が現れるかもしれない。
身近に同年齢の男性がいない環境で育ったベルフラムには、もっと多くの出会いが必要だと感じていた。
「今、また胸小っちゃいとか思ったでしょ?」
そんな大人の心遣いを含んだ九郎の言葉を、ベルフラムは少し取り違えて受け取った様だ。九郎の頭から体を離すと、胸に手を当て半眼で睨んで来る。
「い、いや? ンナコトネエヨ?」
九郎はおどけて立ち上がり、肩を竦めて見せる。
この状況下でそんな思いを抱くと思われているのかと、少々立つ瀬が無い。
しかし、冗談を言える位にベルフラムの心が軽くなればと、言外に認めるように視線を外す。
『釜揚げ』の処刑前に同じやり取りをしたような気がする。
「やっぱり思ったんじゃないっ! 屈みなさいよ! 前と同じように気合いれてあげるわっ!!」
ベルフラムも同じ事を思い出したのか、両手をパンと打ち付けて大きく開く。
「んなことねえって言ったじゃねえかっ!!」
弁解しつつも九郎は苦笑しながら、腰を落とす。
そう言えば『釜揚げ』時にもベルフラムは九郎の身を案じて、心配している素振りを隠していた。
ベルフラムのある種悲壮な感じがこの後和らいだ事を思い出し、九郎はその提案に付き合う事にする。
少し強引な前振りだが、それでベルフラムの気が和らぐのなら頬を叩かれる位安い物だ。
「覚悟は良い?」
「お、応!! バッチ来いっ!!」
行くぞと言われると構えてしまうのは人の常。
両手に息を吐きかけ大きく手を広げたベルフラムに、九郎が思わず目を瞑り眉を寄せる。
一瞬頬に風が当たる。
しかし予想された小さな痛みも無く、九郎の頬にベルフラムの小さな手が添えられる。
ベルフラムの踵が上がる。
「…………………」
「…………………気合………入ったでしょ?」
口元を押さえてベルフラムが顔を赤らめて見上げてくる。
九郎は半眼でベルフラムを見下ろす。
どうにも強引な前振りだと思ったが、まんまとベルフラムの策略に嵌ってしまった事になる。
「ませたことを……………ま、そうだな! 気合は入ったかな……」
苦笑でベルフラムに答えながら、九郎は悔し紛れに自分で自分の頬を叩く。
勝利の女神さながらにキスを贈って来た少女に、なんだか手玉に取られた気がしなくも無い。
「……………何も分け与えないキスなんて初めて…………」
ベルフラムが思い出したかのように、自分の唇に触れながら呟く。
九郎とベルフラムの間にあったのは、どちらかがどちらへと食べ物を分け与える口移しのキスしかしていない。
クラヴィスに言わせれば、そちらの方が尊いと言うのだろうが、何も移す事の無い口付けにベルフラムは今更ながらに照れている様子だ。
「んなことねーよ……ちゃんと心は入って来たぜ?」
手玉に取られたままで終わるのは大人の沽券に係わると、九郎は片目を瞑って余裕を見せる。
九郎の気障なセリフに、ベルフラムの顔が驚くほど赤く染まった。
「………………負けちゃいやよ?」
「任せとけっ!! 俺はお前の『英雄』だぜ? 信じてくれるんだよな?」
扉に向かって歩き出した九郎の背中にベルフラムが声をかける。
九郎は背中越しに力こぶを作り、片目を瞑って答える。
「…………クロウが死んじゃったりしたら、私も死ぬから!」
(まだ信用が足りねえなぁ………)
九郎は苦笑する。
ここまで惚れられていると悪い気はしなが、普通ならかなり重い言葉である。
「ああ、そりゃあすっげー長生きする予定なんだなっ!!」
だが今の九郎にして見れば、ベルフラムの言葉は永遠に生きる宣言と同義に聞こえ、九郎は軽く手を振り扉を開けた。
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